助けたい 逃げたい
「あなたがシホさん?」
いきなりの状況の変化に私は、しばらく思考が停止していた。
それでも、志継さんは私に構わず話を続けた。
「なんか困ってるみたいだし、私の部屋使う?」
勘が鋭いというのは、この場合少し違う。むしろ、由雄くんの勘が鈍いというか常識がなっていないというか……とりあえず私は志継さんに助けられる形になった。
「どうしたの? 二人ともボーっとしちゃって」
私は、しばらく頭の中の整理が出来なかった。ということで、先に口を開いたのは由雄くんの方だった。
「お前……よくわかったな」
「そりゃ、ここのアパートの壁の薄さは筋金入りだからね。それに……」
「それに……?」
「あんだけ、大きな声で話してれば嫌でも聞こえるわよ」
「あれ? そんなにうるさかった?」
「少なくとも由雄くんの声はね」
私は、すっかりその場においてかれてしまっていた。
何だかすごくみじめな気分になってきていたが、私はまだ為すべきことをまだ終えていないので帰るわけにはいかなかった。
「あれ? そういえば、志穂は今日何の用で来たんだっけか?」
「あ、えっと……」
突然、核心に迫る質問をされて返答に困る。
「だから、それを私の部屋に上がって話しなさいって言ってるの!」
そして、またもやシノブさんに助け舟を出される。
「あ、ああ。じゃあ、そうするか。志穂はどうする?」
「あ、うん。私は大丈夫だよ」
そして、私はなし崩し的にシノブさんの部屋に上がることとなった。
―――203号室。どうしよう、入っちゃった。
後悔してももう遅いし、後悔する必要もないと思うのだけど。やっぱり友達の家にお邪魔するのとは感覚が全くちがう。
「これで2回目か~。志継の部屋にくるのは」
「由雄くんの部屋と違って片付いてるでしょ?」
「まあ、確かに」
「ほらね。というか‼」
志継さんが、由雄くんの目の前に人差し指を立てて少し睨みつけている。『私の話を黙って聞きなさい』といった感じだ。
「女の子なんだから、そんな簡単に部屋に入れない。志穂さん困ってたでしょ⁉」
「んあ、あ‼ そうか、志穂ごめんな」
「う、うん。別にいいよ。いつも通りの由雄くんって感じだったし」
ここで私は気付かれないように小さな溜息を一つ。
気を取り直して。志継さんは、ホントに言ってほしい事をズバズバと言ってくれる、というのが私の抱いた印象だった。
まさに、志継さんの言った通りだった。
一人暮らしの男の子の部屋に女の子が一人で上り込むなど、正直なところ勇気のいる行動だし付き合ってもいないのに。
「……」
私が考え込んでいると、志継さんが私をジッと見ているような気がした。そのおかげか分からないけど大事なことを思い出すことが出来た。
「あ! 由雄くん、これ!!」
「ん? ミサンガか……もしかしてこれって」
「う、うん。来週末、大会あるでしょ? 秋にある駅伝大会の選考も兼ねての大事な大会なんでしょ? だから、頑張ってほしいなって……」
今日の私は何だか、歯切れが悪い。プレゼントを渡すことがこんなにも恥ずかしい事だったかと思い知った。
「ありがとう。よーし、志穂!」
「は、はい!」
急に、大声を出すものだからビックリして返事が裏返ってしまった。
「絶対に、今年こそ! 駅伝メンバーに選ばれてやるからな!」
そう言った由雄くんの顔は、自信満々とは言えなかったけど、それでも何かを成し遂げるまではこの人はあきらめないんだなと強く印象付けられる。そういう強くて、頼もしくて、でもどこか応援したくなるような……そんな表情だった。
「うん!」
私は、何だかこみあげてくる悲しみにも似た衝動を我慢して精一杯の笑顔で由雄くんに答えた。そうでもしないと、泣きそうだったから。
「さあて、そうと決まれば!」
「早く寝なくちゃね!」
志継さんが由雄くんの言葉にかぶせるように一喝した。ものすごく意地悪な笑顔だと思う。女子から見ても可愛いと見惚れてしまうような。
対して、由雄くんは「お前なー」と志継さんを睨みつけた。それでもお構いなしに志継さんは告げる。
「メンバーに選ばれるために頑張るなら、もう遅刻は厳禁だよ。ほらもう11時になるよ!」
「え⁉ もうそんな時間かよ!」
由雄くんが急いで身支度を始める。
「あ!志穂、このミサンガありがとうな。志継、悪いけど志穂のことよろしく頼む!」
「あ、うん」
「はいはい」
あたしたちの声は同じタイミングでかぶさってしまい、由雄くんに聞こえたのか微妙な線だったけど、慌ただしい音とともに由雄くんは志継さんの部屋から出ていった。
そして、隣の部屋……由雄くんの部屋のドアが荒々しく開けられるような音がしたかと思うと数分後には由雄くんの寝息がこちらまで響いてきていた。
「はや……」
「いつもこんな感じよ」
別に私達は、壁に耳をたてて今までの過程を盗み聞きしていたわけではない。
ホントに壁が薄いのだ。そして、由雄くんの寝息が大きいのだ。
そんな、由雄君のドタバタ劇を私と志継さんは黙って聞いていた。
でも、誤魔化してやり過ごしたかっただけなのかもしれない。
覚悟はしていたけど、由雄くんが寝静まったあとにはひたすらの沈黙がその場の空気を作っていた。
夜の11時を回ったあたりで私はついに耐えられなくなって、口を開く。
「あ、あの志継さんは寝なくていいんですか? 明日、朝早いんじゃ……」
「私は大丈夫、目覚ましで起きれるし、隣の朝はうるさいし。それより」
志継さんは私のそばに身を乗り出して耳元で囁く。
『ちょっと、散歩に行かない?』
私は、黙って首を縦に振った。おそらく『話したいことがあるから』という条件付きというのは言わなくても分かった。
由雄くんと会話していた時の志継さんの視線。勘違いではないと思う。
「私も志継さんに聞きたいことがあります」
私は決意を固めた。
自転車で来ていたので、終電の事などは気にしなくても良かったのだけど、さすがに暗くて怖い。少しだけ。
歩く志継さんに合わせて私は自転車には乗らずに隣に置いて歩いていた。
「あの、さ」
先に口を開いたのは、志継さんだった。
「私から言ってもいい?」
「多分、同じ内容だからどっちが先に言っても同じですよ」
精一杯の強がりをした。本当は、聞きたくない。志継さんの思っていること。由雄くんに感じていること。
「じゃあ、聞くけど……由雄くんのこと好きだよね?志穂さん」
黙って首を縦に振った。そして。
「志継さんも……ですよね?」
自分でも驚くくらい、冷静な声だったと思う。でも、内心はハラハラだった。
「どうかな、私は」
でも志継さんの返答は、意外にもあいまいなものだった。
「例の『伊達先輩』の事がまだ忘れられないんですか?」
言って、少し志継さんは表情を曇らせて……
「そこまで聞いているんだね、由雄くんから」
と、つぶやいた。私はしまった思った。いくらなんでも聞いていいことと悪い事がある。
「す、すいません! 私……」
気がつくと、私はその場で止まって志継さんに頭を下げていた。
「いいの、いいの。ただ、志穂さんの言った通りなの。まだ、忘れられなくて。時々まだ追いかけたくなる」
私は『追いかけたくなる』という一言に深く心をえぐられた。もし、由雄くんを失ったら私は、そしてこの人はどうなってしまうのだろう。正直、目を背けたい疑問であった。
「そんな時にね! あいつが助けくれたんだ、私の部屋のドアを無理やりにこじ開けて」
私は苦笑を浮かべつつも由雄くんならやりかねないなと考えていた。もし、私がそんなことになったら由雄くんは私も助けてくれるのだろうか。
そう思うと、目の前の明るい笑顔を振りまいている彼女が羨ましくて仕方なくなるのだ。
「たぶん、死んだ先輩の印象が由雄くんに重なっているんだとも思う。でもね……」
「?」
志継さんは、その後の言葉を告げることなく顔を上げた。
「志穂さんはアイツと高校からなんだっけ? やっぱり、その時からずっと好きだったの?」
その言葉に体の芯から熱くなる気がして、何も答えられなかった。
「ハハハ、志穂さんって可愛いね。いつもアイツの話題にあがっててさ、絶対に付き合ってるなって思ったんだけどさ」
「な、無いです無いです! そんな告白だってしてないのに……」
慌てて、両手をぶんぶんと振り回す。志継さんに嫉妬していた自分も、由雄くんに想いを伝えられない自分も嫌いになりそうで、でもあきらめられなくて、そうだ私は何度も同じ想いを味わってきたのだ。
「ふふ。頑張ってね」
「は、はい!」
……あれ? これは変だ。なんで、こんな事を言われているのだろうか。
志継さんを見ると、一瞬『しまった』という表情をしたが、すぐに悲しいような諦めたような遠い目をした表情で私をみて……
「あのさ、志穂さん……」
「なんですか?」
長い沈黙が訪れようとした時、志継さんの口から「任せたよ」と聞こえたような気がした。
「え?」
それでも私は、聞き取れなくて聞き返してしまった。
「……ご、ごめん何でもないの! 気にしないでね。あ、もうこんな時間! それじゃまた会う機会があったらゆっくりお茶でもしようね」
「は、はい……」
志継さんは、そう言うと、元来た道を引き返して自分のアパートへと引き返していた。
その時、強風が吹いて後ろで一本に結ってある髪を押さえた。
私は……志継さんに対する違和感と不安を隠せずにいた。
――――――
その帰り道。
野嶋志継は、ただひたすらに同じ言葉を、繰り返し繰り返し呪文のように唱えていた。
「私じゃ駄目。私じゃ駄目。私じゃ駄目。私じゃ駄目。私じゃ駄目。私じゃ駄目。私じゃ駄目。私じゃ駄目。私じゃ駄目。私じゃ駄目。私じゃ駄目。私じゃ駄目。私じゃ駄目。私じゃ駄目。私じゃ駄目。私じゃ駄目。私じゃ駄目。私じゃ……」
それは、暗示のようでもあった。その表情は、今まで水原由雄に向けていたものとも日向志穂に向けていたものとも一切違う。冷たく、他を寄せ付けない雰囲気だった。
そして彼女は三日月の昇る天を仰ぎ、一つの出来事と一つの言葉を記憶より引きずり出す。
『疫病神』
自動的に動いたその口から聞き取れたのは、彼女の声であっても彼女の言葉では無かったのかもしれない。




