うごきだす
――コンコン――
「んぁ? 志継か?」
眠い目をこすりながら俺はそれに応対した。
『あ、ごめん。寝てた?』
「うん、ちょっとな。どうした?」
『ごめんね、とりあえず久々に今日学校行けたから、改めてお礼言いたいくて』
「そんなに改まってお礼言われるようなことしてないんだけどなぁ。まあ、お礼はお礼として受け取っておくよ」
壁越しだから俺の表情を窺うことは出来ないだろうが、俺は、非常に満足げで緩みきった表情をしていた。
『そういえば来週末は大会でしょ、調子どうなの?』
「まぁまぁ。でも来週はテストもあるから正直厳しいかなー」
『勉強……志穂ちゃんに教えてもらえば?』
そして、いつもどおりの志継のパターンが戻ってきた。
俺はがっくりとうなだれるも、何とか返事を返そうと頭を上げる。
「ええまぁ。志継の想像してるような関係ではないけどな」
すると、壁の向こうから指を鳴らす音が聞こえる。残念、という意味なのだろう。
『信用できないなー』
「お前、疑ってんのかよ」
『疑ってなんかいないよ。でも、由雄くんの場合、鈍感だから、案外思った通りにはなってないかもよ』
あ~……あのな」
―――コンコン―――
(ん?)
まさに返す言葉が見つからないそんな状況を一変する音が響く。壁の向こうからではない。
それほど珍しい事でもないが、来客のようである。
「悪い志継、誰か来たみたいだ」
疲れと眠気ですっかり重くなった体を「よっこいしょ」と声をあげ、持ち上げる。志継は『はいはい』と返事をする。
由雄はのそのそと歩きながらドアへと近づく。ドアスコープを覗いていったい誰なのだろうと思考をめぐりながら、その人物を確認する。
(あー、そういや)
昼のことを思い出し、ゆっくりとドアを開く。
「あ、こ、こんばんは……」
―――数分前―――
(だ、大丈夫かな……)
何故、あたしが由雄くんの家の前にいるかというと、来週末にある大会で良い記録がでるようにとミサンガを由雄くんのために編んできたためだ。
シゲくんに住所聞いたところまでは良かった。でも正直、行こうか行くまいか迷ってはいた。けど、迷うくらいなら行動しようと思ったし、後悔なんてしない。
そして私は、由雄くんの家のドアをノックしようとしたところで、由雄くんの家の中から話声が聞こえるのに気付いた。一人じゃない。
志継さん?
由雄くんの話に出てきた人で詳しくは知らないが、由雄くんが助けたいって私に相談してくれた人。
でも、ここまで来て。
―――コンコン―――
私は、頭が真っ白な状態でドアをノックしていた。この後の展開なんて知らない。そんなこといちいち考えていられないよ。
しばらく待っていると、こちらへ向かってくる足音が聞こえてくる。同時に、私の緊張もどんどん上がってきて……
―――ガチャ―――
「よお、いらっしゃい」
ドアが開かれるのと同時に由雄くんの顔が現れた。
「あ、こ、こんばんは……」
私は、なんと言っていいのか分からず、とりあえず挨拶だけは済ませた。
「遅くなって悪いな」
「あ、うん。大丈夫だよ。ここの住所、シゲくんに聞いたんだ。ごめんね、こんな遅い時間にお邪魔して」
「いや、別にいいよ。あがるか?」
「え?」と、思わず声が漏れた。
中には、シノブさんがいるんじゃ……
私は、急に恥ずかしくなって、うつむいてしまった。
「ど、どうした?」
由雄くんが声をかけてくれたが、なんとも言いだしづらいことで、しばらく下を向いていて気付いた。
(……あれ? 靴が一つしかない……)
正確には男物の靴、つまり女物の靴はそこには無かったのである。
陸上部だから、入口で彼の靴が2・3足散乱しているのは不思議な光景では無いのだが、今まで確実に誰かと話していたというのに由雄くんの靴しかないというのはおかしい。
でも、もしかして。
「由雄くん、あのさ……」
私は、なんだか言いづらくて一旦言葉を切る。
「……もしかして、電話中だった?」
一番、可能性として有り得る事を言ってみた。
「いや。……ああ、聞こえてたんだ。本当うちのアパートって壁薄いんだなー」
壁が薄い……ますます分からなくなった。
一体、何のことだろう。
「あれ? 言ってなかったっけ? 隣の住人の事。」
「志継さん……だよね?」
私の言葉に大げさに反応して、「そうそう!」と呟く。
「その志継と、俺の部屋の間の壁がもう本当に薄くてさー、電話してても内容がダダ漏れ。んで、今まさに壁越しに話してたところ」
由雄くん、やけに楽しそうに話すなーとぼんやり考えつつ、私はハッとなる。
(それって……由雄くんと私で二人きり! しかも、その話してる内容が隣の志継さんにも伝わる⁉)
この上無く恥ずかしいことだと、私はさらに顔を赤くした。
「どうした? お前、どこか悪いんじゃ……」
「ねえ?」
「⁉」
気付くと、隣の住人も顔を出していた。
二〇三号室。
由雄くんの話から察するにこの人が……
「私は野嶋志継、よろしくね」
由雄くんが助けた人。
助けたいと強く願った人。




