10月二回目、晴れ、二階は28℃って…暑!
と、落ち着け私。
脱線するのが悪い癖。
友達と話してると結構な頻度で、「あれ、何で、一体どんな流れでこんな話になったんだっけ…?」と、真剣に検証が始まるのはもうデフォルトだよね。
何が言いたかったかというと、私たちが生まれてから刻んできた凹凸は、そう簡単にはすり減らないくらい頑固ってこと。
むしろすり減ってくれてたら、滑らかに何にも引っ掛からず、使われる社会人としてなんの疑問も持たずに尽くしやすいと思いません?
「すり減ってる」と感じて、「あー死にてー。いやむしろ生きてー。てか働きたくねー」とか言って苦しんでるのも、自分という凹凸が確かに削り取られず存在しているしるしなんだよね。
生きてる理由なんてない~だけど死にたくもない~とか歌われてるけど、ガンガン叩かれ潰され削られて、つるつる滑らかになって平たく小さくなって滑り落ちて行くのは、正に死んでいくってことだと思う。それが肉体の死と同時かどうかはその人の身体的精神的な耐性によると思うけど。
逆説的に言えば、凹凸があるのならば、その人は生きるに足る確かな削りかすと歪な引っかかりの積み重ねを持っているということ。それがどんなにカスみたいな代物でも、私で言えば二十余年分の重みをもって、自身を今在る場所に引っかけ続ける碇となるわけです。
場合によっては枷になるわけだ。