第8話
連れて行かれたのはまたイフリードの部屋だった。
イフリードはカーテンを自分の手で開けている。
普段はメイドがするのだが、こんなに早い時間ではまだやってこないからだ。
カーテンを開けたおかげで、部屋には明るい朝の光が入り込む。
「その椅子に座って、お腹は空いてる?」
「うん」
聞かれたことに対して素直に頷くと、天花は言われたテーブルの椅子に座った。
事情が飲み込めないものの、今の自分の状況が尋常ではないことを天花は感じ取っていたからだ。
イフリードは素直に座った天花に微笑みを浮かべ、そのままドアに向かう。
天花はそんなイフリードのスライドの長い足が動くのを目で追った。
イフリードはドアにかかっている水晶の飾りに触れ、突然それに向かって話しかける。
「朝食を2人分、少し多めに持って来てくれ」
「かしこまりました」
女性の声で返答があり、天花の大きな瞳がさらに大きく見開く。
そんな天花にイフリードはくすりと笑った。
「これがこの世界の通信方法なんだよ。ただ、あまり数があるものではないから高級品になるんだけどね」
そう説明し、イフリードは天花のところに戻ってきた。
椅子を引いて天花の目の前に座る。
天花達の座っているテーブルは6人掛けぐらいのものだ。
あまり大きな物ではないが、2人で使うのには十分な大きさだろう。
「すぐに朝食が運ばれてくるよ」
その言葉通り、あまり待たずにカートを押す女性が部屋にやってきた。
カートの上には見るからに美味しそうな食事が並んでいる。
女性は天花の存在に気づいたものの、何も言わずにテーブルに皿を乗せて出て行った。
「さ、どうぞ」
「……いただきます」
聞きたいことはたくさんあったが、美味しそうな食事の前に食欲が刺激され、天花はとりあえず朝食をとることに決めた。
天花の目の前に座っているイフリードは隙のない、上品さを感じさせる動きで朝食を口に運ぶ。
はやり、王の子として作法は完璧なのだろう。
最初、天花はイフリードを何度か盗み見ていたが、いつの間にか食事の美味しさに舌鼓を打つことにすっかり夢中になっていた。
そんな様子の天花をイフリードが楽しげに見つめていることにも気づいていない。
もぐもぐと一生懸命口を動かしている天花は、なんとなく小動物を連想させ、誰が見ても微笑ましく見えるだろう。
「おいしいかい?」
「うん!」
「それは良かった。こっちのも食べるといい」
イフリードに差し出された皿に乗った食べ物を、天花は素直に自分のお皿の上に分けた。
とても美味しそうに食べる天花に、イフリードの食欲も刺激される。
普段食べ慣れているはずの味なのに、天花の食べているのを見ると、不思議と美味しく感じるのだ。
天花とイフリードはしばらく、朝食に夢中になっていた。
「まず、何から話すべきかな?」
食事をしてお腹が落ち着いた頃、イフリートが話出した。
天花は甘い香りのする紅茶のような飲み物で喉を潤す。
「ここは私の世界じゃないって本当?」
「ああ、この世界はルーディア。君の世界で言うチキュウだ。国で言うとレジルファン。そしてここは国の中心である王都、シェーンだ。ここに王宮がある。君はスフィア。この世界を造ったとされる女神ルーディアの最愛の娘」
「娘? 私には……」
「魂の母だよ。君の世界ではちゃんと両親がいるだろうけど、これから話すことは伝承されている物語であってただの憶測かもしれない。それによると神々達に争いがあり、女神の娘、スフィアは呪われて亡くなった。最愛の娘を失った女神は、転生の呪文をかけたんだが、スフィアにかけられた呪いの力は強く、スフィアの魂の欠片は天界、つまり君の世界へと飛ばされてしまった。スフィアを復活させるには、我々人間の召喚儀式が必要だ。その召喚儀式によってスフィアの魂の欠片を持つ者がこの世界に召喚される」
「魂の欠片……」
「ああ、それが君、天花だよ。スフィアの魂を持つ者には特有の印がある。額に緑の花のような痣が浮かぶ。これを見てご覧」
そう言ってイフリードが出したのは大ぶりの手鏡だ。
手渡された鏡を天花が覗けば当然自分の顔が映る。
鏡を覗き込む天花の額にかかる髪をイフリードが優しくどかした。
「それがスフィアの印だよ」
「何……これ……」
鏡に映る自分の姿にははっきりと花の痣があった。
上下だけが少し長い6枚の花びらのような痣だ。
天花は信じられないものを見るような表情で自分の額を擦っている。
「本当はね、スフィアの特徴にはもう1つある。召喚されたスフィアは白髪で金の瞳、スフィアの外見を持って召喚されるんだ」
「でも……」
天花の言いたいことはイフリードにも判っている。
「ああ、天花はスフィアの外見とは違う。それでも君はスフィアの印を持ち、チキュウから召喚されたスフィアだ。ただ疑問なのはなぜ召喚された時に、魔方陣から出現しなかったか、そして、何故俺のベッドに寝ていたと言う2点」
「……」
「記憶はないのだろう?」
「うん」
「困ったね」
「……」
イフリードの言葉に、天花の表情が曇る。
そんな天花にイフリードは安心させようと微笑んだ。
「どのみち、俺が最後までちゃんと面倒を見るから安心していい。もう少し時間が経ったら、王と『姫』に謁見をお願いしよう。何かご存知かもしれない」
「うん……」
「大丈夫、俺は拾ったものは最後まで責任を持つ性格だよ」
あまり嬉しくないたとえではあるものの、確かにイフリードの世話はありがたかった。
最初酷いことをされた時は恐かったものだが、今頼れる相手はイフリードしかいない。
イフリードが優しいことだけは間違いない。
天花は困惑しつつも、イフリードの言葉を信じることにした……。