第3話
秋も過ぎ、季節は冬になろうとしていた。
頬を撫でる風はどんどん冷たくなってきている。
空が赤みかかりはじめているのを、休憩中の天花は会社の駐車場で見上げた。
天花は地方の村に住む家に生まれた。
のんびりとした性格の為に都会へは出ず、仕事は地元の部品工場で事務員をしている。
天花が着ているのは、グレーのジャケットに紺のタイトスカート。
ごく普通の事務員用の制服だ。
今は外に出てきているため、その上にサーモンピンクのカーディガンを羽織、靴はニューバランスのスニーカーを履いている。
ふと、天花が視線を降ろすと、横の畑の向こうで女性が1人立っていることに気づいた。
女性は踝まである長く美しい髪をなびかせ、優しそうな笑みを浮かべて天花を見ている。
天花と視線が合うと、そっと手をこまねいた。
しかしその女性に見覚えはない。
もしかして他の誰かを呼んでいるのかと辺りを見回してみるが、ここには天花しかおらず、天花以外はみんな社内にいる。
天花は自分を指さしてみると、女性がゆっくりと頷く。
女性は11月だというのに、ノースリップのドレスを着ていた。
一瞬どうしたものかと思ったものの、すごい美人だし髪の色がプラチナブロンドだったので外国人だと思ったのだ。
もしかして近くで撮影でもしていて、その女優さんが自分を呼んでいるのかもしれないと思って、天花はあまり深く考えないまま勝手な想像だけで女性の方へと歩いていく。
田舎といってもいい村で生活してきたせいか、もともと天花は警戒心も薄く人が良い。
誰かに騙されたり、危害を加えられるなどと考えたことがないのだ。
会社の左隣に駐車場があり、天花はそこにいた。
そこから左斜めにある畑の小道を通って女性のもとへと向かう。
すぐ近くまできて天花はやっと足を止める。
ここまでくれば多少小さな声で話しても聞こえるという範囲だ。
「はい、何でしょうか?」
天花がそう聞くと、女性は手招いていた手の反対側。
右の手に何かを持っていて、それを天花に差し出してきた。
「ト、トマト?」
女性の手には真っ赤に熟れたトマトが1つある。
天花の大好物はトマトだ。
なぜこの女性が自分にトマトを差し出すのかと疑問には思うものの警戒心は湧かない。
「私に?」
そう天花が聞くと、女性が優しい笑みを浮かべて頷く。
天花は辺りを見回し、畑にトマトの木らしいものがないことを確認する。
この辺りにトマト畑がないか確認したのだ。
つまり、天花はこの女性が畑のトマトを採ってしまったのかと心配したのだが、時期が時期である。
トマトが成っているはずもない。
一瞬どうしたものかと悩みつつも、女性が優しい微笑を浮かべたままだったので、天花は素直にそのトマトを受け取った。
確かに手に触れているのはトマトだ。
真っ赤に熟して、とても美味しそうに見える。
「ありがとうございます。えっと」
少し躊躇っていると女性は笑みを消し、心配そうな表情に変わる。
自分の目の前で食べて欲しいのだろう。
天花はおずおずとトマトにかじりついた。
みずみずしく、甘い味覚が天花の口に広がる。
小さな時に食べた、祖母の作ったトマトの味に似ていた。
天花がトマト好きになったのは、その時食べたトマトがとても美味しかったからだ。
最近のトマトは水っぽいだけで、甘味がない。
少し冷やして、塩をふりかけてかぶりつきたくなりようなトマトはここのところずっと無沙汰だった。
「美味しい!」
天花がそう言うと、女性はとても嬉しそうな笑みを浮かべる。
とっても安心したような、幸せそうな笑みだ。
「ねえ?」
「はい?」
初めて女性が口を開いた。
その声は魅惑的で優しいものだ。
「特別な人間になりたくはない?」
「特別?」
女性の言い出した思惑がわからず、天花は言葉を繰り返す。
「例えば、誰からも敬わられるお姫さまになったり、特別な力を持って国を救うような救世主になったりしたいと思ったことはない?」
「お姫様と救世主とかですか? う~ん、ないですね」
「全然?」
「はい」
天花は今の自分で満足している。
本などの物語は好きだが、それはあくまでも読むのが好きなだけだ。
自分がなりたいだなんて思ったことはない。
「じゃあ、素敵な王子様と結婚したいとかは?」
「王子様かぁ~。素敵な男性と結婚したいっていうのならあります」
「そう」
天花の答えに女性は満足そうに頷く。
実際天花には好きな男性がいない。
淡い憧れのようなものはあったが、天花は異性に対し、一歩引いた感じがある。
それを敏感に感じた相手も引くという悪循環で、天花はこれまで特定の男性と親しくしたことがなかった。
天花のフルネームは雨宮 天花。
上に姉、下に弟がいる。
姉はちょっとキツめな美人で我がままだ。
そこが魅力でもある。
弟は人懐っこく甘え上手。
この2人に囲まれてきた天花は、年齢のわりにおっとりとしてどっしりとかまえている。
懐が広いというべきなのだろうか。
女性はますます笑みを深くする。
「では、その運命をあなたにあげる。いいえ、全てを」
「え?」
聞き返そうと思ったとたん、突然起こった激しい突風に天花はとっさに顔を庇う。
吹き飛ばされそうとまでいかないもののかなり強い風だ。
とても顔など上げられない。
「私の可愛い娘……」
その言葉を聞いた途端、天花は気を失っていた……。






