異世界食堂に、なぜか王女が列を作っています。
【第1話 包丁一本、異世界へ】
東京・築地の朝は早い。
雨宮蓮が目を覚ましたのは午前四時。まだ星が残る空の下、師匠の店で三年間、そして独り立ちして二年間、蓮はひたすら包丁を握り続けた。二十五歳。和食の修行に区切りをつけ、世界の食文化を学ぶ旅に出たばかりだった。
「……ここ、どこだ?」
気づけば深い森の中にいた。荷物の中には変わらず愛用の包丁ケース、だし昆布、いりこ、醤油、みりん——調味料を詰めた旅行鞄がある。スマートフォンは圏外どころか電源すら入らない。
森を抜けた先に小さな村があった。村人たちの耳はわずかに尖り、空には見慣れない双月が浮かんでいた。言葉は——不思議なことに通じた。
「あんた、冒険者かい?」と老婆が尋ねる。
「料理人です」と蓮は答えた。
村に食堂はなかった。宿屋のカウンターを借り、蓮は試しに出汁を引いた。昆布と煮干しを水に浸し、弱火でじっくり旨味を抽出する。そこに村で買った野菜と卵を加え、シンプルな味噌汁と卵焼きを作る。
宿の主人が一口すすった瞬間、目を丸くした。
「なんだこれ……うまい。信じられんほどうまいぞ」
翌朝から村人が並んだ。一週間後には隣村まで噂が届いた。
蓮は村外れの空き家を借り、「食堂 雨宮」の看板を掲げた。
これが、すべての始まりだった。
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【第2話 火の国の王女、現る】
食堂を開いて三ヶ月。蓮の店は辺境の観光名所になっていた。
ある晴れた昼下がり、轟音とともに一頭の赤い竜が店の前に降り立った。
「この店が、あの食堂か!」
竜から降り立ったのは、深紅のマントをまとった二十歳の女性だった。燃えるような赤髪に、負けず劣らず炎のような瞳。腰には剣を差し、全身からオーラを放っている。
「私はヴィア・イグニス。火の国イグニア王国の第一王女だ。そなたの料理の噂は我が国まで届いた。弟子にしてもらいに来た」
蓮は目を瞬かせた。
「えっと……今、昼のピーク時間なんですが」
「関係ない! まず腕を見せろ!」
仕方なく、蓮は「お試しセット」を出すことにした。出汁巻き卵、だし茶漬け、煮物の盛り合わせ。
ヴィアは勢いよく箸を手に取り——そのまま固まった。
「……箸? なんだこれは。使い方がわからん」
「こう持って——」
蓮が手を添えて教えようとした瞬間、ヴィアが「うわっ」と叫んで椅子から転げ落ちた。蓮もつられてよろけ、ヴィアの上に覆いかぶさる形になった。
真っ赤な顔のヴィアが睨み上げる。
「て……貴様ぁ! 王女に何をする!!」
「こっちが聞きたい!!」
しかし、ひと息ついてヴィアが渋々口にした茶漬けの一口目——。
「…………うまい」
炎の国の王女の頬が、ほんのりピンクに染まった。
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【第3話 水の国の王女は優雅に現れる】
ヴィアが「弟子入り修行」と称して居座るようになって二週間。彼女は箸の練習と皿洗いを命じられ、毎朝不満そうな顔で厨房に現れる。
そんなある夜明け、蓮が川辺で食材の水洗いをしていると、霧の中から小舟が滑り込んできた。
乗っていたのは月光のような銀髪の女性だった。二十一歳。薄いブルーのドレスが水面を揺蕩うようにたなびき、まるで絵から抜け出したかのような存在感がある。
「あら——噂の料理人様?」
アンリ・アクア。水の国アクアリア王国の第二王女。清澄な声で、ふわりと微笑む。
「お邪魔しますわね。ぜひ、弟子入りを」
蓮が「先客がいるんですが……」と困っていると、突然足元の岸が崩れた。
バランスを崩した蓮の手が——ちょうど川辺で体を洗っていたアンリの衣の紐を掴んでしまった。
ぱさり、と音がして、アンリのドレスの肩がはらりと落ちる。
「あら、まぁ」
アンリは少しも慌てず、ただ優雅に蓮を見つめた。蓮のほうが全力で目をそらしている。
「み……見てません! 絶対に見てません!」
「ふふ、見てくださっても構いませんのに」
翌朝の食事で、蓮が作った利尻昆布のすまし汁を一口飲んだアンリは目を細めた。
「水の旨味を、こんなふうに引き出せるなんて……」
アンリの瞳に、初めて本物の感動の光が宿った。
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【第4話 大地の王女、食堂を揺らす】
三人目の来訪者は、文字通り「地響き」とともに現れた。
馬でも竜でもなく、徒歩で——しかし巨大な岩を素手で砕きながら森から出てきたのが、ガイア・テラス、二十一歳、大地の国テラシア王国の第一王女だ。
身長170センチ、引き締まった筋肉、小麦色の肌、豪快なショートカット。まとうのは動きやすい革鎧で、剣の代わりに大鉄槌を背負っている。
「聞いたぞ、料理人! 腹を満たしてくれ! 三日飯を食っていない!」
「三日!? すぐ用意しますから座ってください!」
ガイアは椅子に座った——瞬間、木の椅子が「ぱきっ」と割れた。
「す、すみません……。いつもこうなる」
慌てて石造りのスツールを出すと、ガイアは豪快に笑った。「こういう店は好きだ!」
蓮は大急ぎでご飯を炊き、鶏の照り焼き、根菜の煮物、豚汁を作った。ガイアは目を輝かせ、がっつり食べる。三杯目のご飯をよそいに厨房へ戻った蓮が戻ってきたとき、ガイアは上着を脱いで涼んでいた。
蓮がよろけて、手のひらが……ガイアの背中に直接ぴたりと触れた。
「お、おい」ガイアが振り返る。「……急に触るな、びっくりするだろ」
真っ赤になっているのは蓮のほうだった。
「すみません!!」
「なんで謝る。背中くらい触っても死なんぞ」
ガイアはけらけら笑い、ご飯を四杯目によそいながら言った。
「うまい。大地の恵みをこんなに活かした料理、初めて食った。弟子にしてくれ」
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【第5話 風の王女は夜に忍び込む】
深夜、蓮の部屋に「何か」が入り込んできた。
目を覚ますと、布団の隣に人影がある。月明かりに照らされた、紫がかった銀色の髪と、透き通るような肌。仮面を外した表情は——まだ二十歳の、どこか儚い顔をしていた。
「……起きてたんだ」
「誰!? なんで部屋に!?」
「シルフ。風の国シルヴァリア王国の、一応第三王女。こっそり来るほうが楽しいから」
シルフ・シルヴァは軽い声で言って、枕元に胡座をかいた。
「で、起きたついでに何か作ってよ」
「今、夜中の二時ですよ?」
「夜食でいいじゃん。噂を聞いてたら食べたくなった」
呆れながらも、蓮は台所で出汁茶漬けと薄焼き卵を作った。シルフは興味深そうに厨房の隅でしゃがんでいる。
「なんで夜中に来たんですか、本当に」
「昼は人目が多い。それだけ」
食器を渡そうとした蓮の手が滑り、シルフの手の甲をつかむような形になった。彼女のほかとは違う、ひんやりとした手。
シルフは珍しそうに自分の手を眺めた。
「……あったかいね」
静かな声だった。威圧も笑いもない、ただ純粋な呟き。
茶漬けを一口すすり、シルフは表情を緩めた。
「うん。おいしい。弟子にして」
「もっとちゃんとした昼間に来てください」
「嫌。夜のほうが落ち着く」
風の王女は翌朝、煙のように消えていた。でも夕方にはちゃっかり戻ってきた。
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【第6話 光の王女の純真な一口】
五人目はもっとも静かに、もっとも礼儀正しくやってきた。
白いドレスを纏い、淡い金の巻き髪、大きな翠色の瞳。表情は緊張で強張っているが、それでも深く頭を下げた。
「はじめまして。ルーナ・ルクス、光の国ルクシア王国の第一王女です。二十歳になります。……お願いします、弟子にしてください」
五人の王女がそろった。
だが蓮が気になったのはルーナの声だった。食堂の噂を聞いてから一ヶ月、毎日勇気を出して旅の準備をしていたという。外の世界に出ることをずっと禁じられてきたルーナにとって、これが初めての「旅」だった。
「何か食べてみますか」
蓮が出したのは、白いご飯と卵焼きと味噌汁——一番シンプルな朝ごはんだった。
ルーナが一口、白いご飯を口に入れた瞬間。
涙がこぼれた。
「あ……ごめんなさい、変ですよね……」
蓮は静かに首を横に振った。
「いいんです。おいしいと泣けることは、素直な心の証拠です」
泣きながら、ルーナは味噌汁も卵焼きも全部食べた。ヴィアが「なんで泣きながら食ってんだよ」と言いかけて、アンリに袖を引っ張られた。
食事が終わり、ルーナが再び頭を下げた。
「世界でいちばん、おいしかったです」
蓮はその言葉を、厨房で一人、静かに噛みしめた。
——料理って、やっぱり人を生かすんだな。
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【第7話 五人で一つの厨房(大騒ぎ)】
正式に五人の弟子が決まった初日の朝。
「では実習第一回目——出汁の引き方から教えます」
「師匠! 火力はどのくらいですか!」とヴィア。
「師匠、この昆布はどちらで購入を?」とアンリ。
「師匠、この鍋を素手で持っていいか?」とガイア。
「……師匠、この煮干し食べていい?」とシルフ。
「師匠、わたしは何をすれば……!」とルーナ。
五人が同時に叫んだ。蓮の頭の中でなにかが「プチン」と切れた。
「一人ずつ!! 一人ずつ言ってください!!」
いちばんのカオスが起きたのは昼。ヴィアが火力を上げすぎて鍋が沸騰、アンリが水を足しすぎてスープが薄くなり、ガイアが鍋敷きを握り潰し、シルフが気配を消して試食を繰り返し、ルーナが緊張のあまり包丁を落とした。
蓮が拾おうとして屈んだ瞬間、通路を走ってきたヴィアと正面衝突。蓮の顔がヴィアの胸元に突っ込んだ。
「ぶーーーっ!!」
「何をしている師匠ーーー!!」
「ちがう!! 完全に事故!!」
厨房は修羅場と化したが、夕方にようやく完成した五人分の出汁——その透明な琥珀色を見て、蓮はため息をついた。
「……うん。ちゃんといい出汁だ」
「師匠、ほめてる?」とルーナが嬉しそうに尋ねた。
「ほめてます」
五人は顔を見合わせ、何故か誇らしそうに笑った。蓮も——こっそり笑った。
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【第8話 ヴィアの「なぜ勝てないのか」】
修行三週目。ヴィアだけが夕食後も厨房に残っていた。
「……なんで、アンリとシルフは上手くなるのに、私はいつも焦がすんだ」
蓮が声をかけると、ヴィアは悔しそうな表情で包丁を握り直した。
ヴィアの問題は「力」だった。剣の修行で培った腕力は、繊細な包丁さばきには邪魔になる。野菜を切るたびにざく、ざくと乱暴になる。熱の調節も「強くすれば速い」という発想から抜け出せない。
「料理って、戦いと逆なんですよ」と蓮は言った。「力を抜いたほうが、うまくいく」
「力を抜く……」
「包丁は引くだけでいい。野菜は抵抗しません」
蓮がヴィアの手に自分の手を重ね、一緒にゆっくりと大根を薄切りにした。
ヴィアは黙って感触を確かめる。するすると、信じられないほど薄く均一に、大根が並んでいく。
「……あ」
それは驚きの声だった。次第に、ヴィアの肩から力が抜けていく。
「火の国の王女が、力を抜くのは情けないことじゃないの?」
「強い人が力を抜けることを『コントロール』と言います。それこそが、本当の技術です」
ヴィアは長い間、その言葉を噛みしめた。
夜遅く、厨房に薄切り大根が整然と並んだ。ヴィアはそれを眺め、小声でつぶやいた。
「……師匠」
「はい」
「ありがとう」
それだけ言って、さっと立ち上がり、足早に部屋へ戻っていった。赤くなった耳が、暗い廊下でも見えた気がした。
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【第9話 温泉村の出張料理と混浴事件】
辺境の温泉村から出張依頼が届いた。祭りの料理番として五日間滞在してほしいという。蓮は五人の弟子を連れ、山あいの村へ向かった。
村には天然の硫黄泉が湧いており、宿の大浴場は「混浴」という異世界の習慣があった。
「師匠、一緒に入ろう」とガイアが扉を開ける。
「いや、その、文化の違いが……」
言い訳している間にガイアに引っ張られ、蓮は湯気の中へ。
中にはタオルを巻いたアンリとルーナがいた。
「あら」とアンリが涼しい顔で言い、ルーナが「えええっ!?」と湯の中に沈んだ。
蓮は全速力でUターンしようとして足を滑らせ、アンリの方向へ盛大に転んだ。
「師匠っ!!」
湯煙の中から聞こえた蓮の叫び声は村中に響き渡り、宿の主人は「活気のある一行ですな」と笑った。
翌日、赤面しながらも全力で料理をした蓮は、祭りの夜に山菜の天ぷら、岩魚の塩焼き、地元の芋を使った麦飯を振る舞った。
村人全員が黙って食べ、しばらくして一斉に笑顔になった。
ルーナが隣で「わたしも少しお手伝いできた」と小さく誇らしそうにしていた。
「上手でしたよ、ルーナさん」と蓮が言うと、ルーナは耳まで赤くして「——師匠に言われると、何倍も嬉しいです」とつぶやいた。
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【第10話 アンリの「完璧な笑顔の裏側」】
アンリはいつも優雅だった。
包丁さばきは美しく、盛り付けはセンスがあり、接客は完璧。師匠の蓮でさえ感心するほどの飲み込みの早さ。
だが蓮は気づいていた。アンリが一人になると、笑顔が消えることに。
「アンリさん。今日の夜、少しいいですか」
二人で店の裏の川辺に座り、蓮は何も聞かずにお茶を淹れた。
しばらく沈黙が続いた後、アンリが口を開いた。
「……私、料理が好きなんですって、誰にも言えなかったんです」
水の国では「王女は優雅であるべし」という不文律がある。厨房に立つことは「使用人の仕事」とされ、アンリが料理をしたいと言ったとき、母に一喝された。
「だからここに来たんです。誰も私を知らない場所で、ただ料理したかった」
蓮はしばらく月を見上げた。
「それでいいと思いますよ。理由はそれだけで、十分です」
「……師匠は、優しいですね」
「料理が好きな人に、好きって言わせてあげたいんです。僕もずっとそうして生きてきたので」
アンリは笑った。今度は「演じていない」笑顔だった。
「では、明日からはもっと積極的に厨房を荒らしますわ」
「ほどほどにしてください」
川の流れる音だけが、静かに夜を満たしていた。
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【第11話 シルフの「誰も知らない顔」】
シルフは謎が多かった。
昼間は気まぐれに姿を消し、夜中に戻ってくる。修行には参加するが、どこか壁を作っている。蓮が近づくと、かすかに緊張するのがわかった。
ある夜、蓮が屋根の上で星を見ていると、隣にシルフが現れた。
「何してるの」
「涼んでます」
「私も」
二人でしばらく空を見上げた。
「……実は、人が多いのが苦手なの」
シルフがぽつりと言った。
「賑やかなのは嫌いじゃない。でも、誰かと深く関わるのが怖い。いつか失うから」
風の国での話だった。幼い頃、シルフに懐いていた侍女が急逝した。誰かを好きになるたびに失うことを繰り返し、シルフは「関わらないほうが楽」という結論に至った。
「だからここに来たの。どうせすぐ飽きると思って」
「飽きましたか」
シルフは少し間を置いた。
「……飽きてない」
突風が吹き、二人分の上着の裾がばたばたと絡まった。ほどこうとした蓮の手がシルフの手と重なり、シルフが「っ」と固まった。
「ご、ごめん」
「……いや」
シルフはゆっくりと蓮の手を握り返した。ほんの一瞬。
「あったかい。ちゃんと生きてる感じがする」
小声の呟きは、風に紛れてかき消えた。でも蓮は確かに聞いた。
翌朝、シルフはいつも通り気まぐれな顔をしていた。でも、他の弟子たちと少しだけ近い距離に座っていた。
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【第12話 食べることは、生きること】
食堂を開いて半年。五人の弟子と迎えた夜。
近隣の村で飢饉の報せが届いた。干ばつで作物が育たず、子どもたちが食べるものに困っているという。
蓮は翌朝、五人を連れて荷車に食材を積んだ。王女たちは護衛も侍女も連れていない。ただの料理人の一行として村へ向かった。
村に着くと、やせ細った子どもたちが不安そうにこちらを見ていた。
蓮は大鍋を出し、村に残っていた乾物と根菜でシンプルな汁物を作った。五人の弟子がそれぞれ自分の得意な作業を黙々とこなす。ヴィアが火を管理し、アンリが丁寧に出汁を引き、ガイアが力仕事の薪割りをし、シルフが素早く下ごしらえをし、ルーナが子どもたちを集めて待ち受けた。
誰かが指示したわけではなかった。気づいたら、五人が一つのチームになっていた。
汁物が出来上がり、一番小さな子どもがお椀を受け取った。一口すすって、ぱっと笑顔になった。
「おいしい!」
その笑顔が連鎖した。次の子、その次の子——村中に笑顔が広がった。
帰り道、夕焼けの中でヴィアが言った。
「師匠。私、やっとわかった気がする。料理ってなんなのか」
「なんですか」
「戦いでもなく、見せ物でもなく——誰かを生かすことだ」
蓮は空を見上げた。元いた世界の師匠が、まったく同じことを言っていた。
「正解です、ヴィア」
五人が、柔らかく微笑んだ。
雨宮蓮の異世界食堂は、今日も続く。
——第1話〜第12話・完/後半へ続く——
【第13話 ガイアの「泣いた夜」】
ガイアは笑っていることが多かった。豪快に、気持ちよく、なにかを楽しむように。
だから蓮は気づくのが遅れた。
夜中に厨房から物音がした。覗いてみると、ガイアが一人で鍋を磨いていた。泣きながら。
「ガイアさん」
ガイアは振り向きもせず「見てない」と言った。
「見てます」
「……見ていないことにしてくれ」
蓮は黙って隣に座り、茶を淹れた。しばらくして、ガイアが口を開いた。
大地の国から手紙が届いていた。次の使節会議に「王女として出席せよ」という命令だった。それは、修行の終わりを意味していた。
「私はまだ……何もできていない。出汁の引き方も、盛り付けも、師匠の半分も」
「半年でそこまで来れば十分です」
「十分じゃない!」
ガイアが珍しく声を荒らげた。すぐに俯き、低く言った。
「ここが好きなんだ。みんなと、この食堂が。……こんなに居心地のいい場所、初めてだった」
蓮は少し考えてから言った。
「修行を終えても、また来ればいい。ここはなくなりません」
「……また来てもいいのか」
「当たり前じゃないですか」
ガイアはしばらく黙っていた。やがて大きく鼻をすすり、こぶしで目を拭った。
「……弱いとこ、見せちまった」
「強い人ほど、ちゃんと泣けると思います」
翌朝のガイアはいつも通り豪快に笑っていた。でも、蓮に会うたびに少しだけ、目を細めた。
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【第14話 料理対決!王女たちの真剣勝負】
蓮が市場へ行っている間に、食堂で重大事件が起きていた。
「私の料理のほうが師匠に認められている」とヴィア。
「あら、師匠に『センスがある』と言っていただきましたのよ」とアンリ。
「腕力だけじゃないと思うけどな」とガイア。
「……盛り付けは私が一番うまい」とシルフ。
「わたしは、えっと、えっと……!」とルーナ。
帰宅した蓮を出迎えたのは、ほぼ戦場と化した厨房だった。
「「「「「師匠! 審査してください!!」」」」」
五人がそれぞれ「師匠への一品」を用意していた。ヴィアの「火を使った豪快炒め」、アンリの「繊細な三色スープ」、ガイアの「ド迫力の大根おろし山盛り」、シルフの「半透明の美しい寒天ゼリー」、ルーナの「不格好だけど心を込めた卵焼き」。
蓮は全部食べた。全部、それぞれにおいしかった。
「全員合格です」
「「「「「えぇっ!?」」」」」
「優劣をつける気はありません。全員が、三ヶ月前より格段にうまくなってる」
沈黙の後、ヴィアが「……それじゃ審査にならないだろ」と言い、全員で笑いが爆発した。
夕方、ルーナが蓮の袖を引いた。
「師匠……わたしの卵焼き、本当においしかったですか?」
蓮はしっかりうなずいた。
「人に食べてもらいたくて作った気持ちが、ちゃんと伝わってきました」
ルーナは両手で顔を覆い、肩を震わせた。
泣いているのか笑っているのか、たぶん両方だった。
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【第15話 師匠の過去と、懐かしい一皿】
五人がそろって気づいたのは、蓮が自分の話をほとんどしないことだった。
誰から、どこで料理を学んだのか。なぜ一人で旅をしていたのか。元いた世界のこと。
ある雨の夜、ヴィアが直球で聞いた。
「師匠は、なんで料理人になったんだ」
蓮は少し間を置いた後、話し始めた。
十歳のとき、母が倒れた。入院が長引き、父は仕事で不在がちで、幼い蓮は一人で家にいることが多かった。ある日、台所で見よう見まねで作った卵雑炊を、病院へ持っていった。
母は一口食べて「おいしい」と泣いた。
それだけだった。それだけで、蓮は料理人になると決めた。
「……大事な人に、おいしいと言ってもらいたかったんです。それが全部の始まり」
五人は静かに聞いていた。
「その母は……?」
「元気です。今頃、僕がいなくて心配してると思いますが」
蓮は少し笑った。
「だから、早くここで一人前にならないといけない。みなさんを一人前にして、僕も帰れる方法を見つけないと」
アンリが静かに立ち上がり、厨房へ入った。しばらくして、卵雑炊を持ってきた。
「こういうものですか?」
蓮は一口すすった。母のものとは違う。でも、温かかった。
「……うまいです、アンリさん」
「師匠のために作りました。初めてです、誰かのために作ったのは」
その夜は、雨が長く降り続けた。
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【第16話 市場のトラブルと着替え事件】
月に一度の大市。六人で連れ立って近くの街の市場へ出かけた。
問題はシルフが「見えなくなる」風の魔法を使い、はぐれたことから始まった。
蓮がシルフを探して路地を曲がった瞬間、何かにつまずいた。倒れた先は、ちょうど着替え中だったアンリのいる試着小部屋——。
アンリの清澄な叫び声が路地に響いた。
「し、失礼しました!!」
「師匠……ノックくらいしてください」
「扉だと思わなかったんです! 本当に!」
赤面して逃げた蓮の前に、今度はシルフがふわりと現れた。
「見た?」
「見てない!!」
「そっか」とシルフは少し残念そうだった。
「なんで残念そうなんですか!?」
さらに奥の市場では、ガイアが値切り交渉で露店主と格闘(言葉で)しており、ヴィアが火の魔法で試食の肉を焼こうとして「魔法禁止!」と注意を受け、ルーナが子ども向けの人形焼きに見とれて立ち止まっていた。
帰り道、ルーナが人形焼きの袋を胸に抱えて幸せそうに歩いている。
「師匠が好きそうだから買いました」
蓮が受け取ると、ルーナの指先が少しだけ触れた。ルーナはさっと前を向いた。
夕暮れの市場は賑やかで、蓮はそのにぎわいの中で、この場所が好きになっていることに気づいた。
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【第17話 ルーナの「初めて守れたもの」】
食堂に盗賊が入った。
夜中に侵入した二人組は、食材と売上金を奪おうとした。運悪く厨房に残っていたルーナが鉢合わせた。
ルーナは普通なら逃げる。外の世界を知らない、臆病な王女。それが自分だと思っていた。
でも気づいたら、棚から鍋を取り出して構えていた。
「こ……ここには触らせません!」
声は震えていたが、足は動かなかった。
物音に気づいたヴィアとガイアが飛び込んできて、盗賊は一瞬でのされた。
事後、蓮が倉庫でへたり込んでいるルーナを見つけた。膝が震えていた。
「怖かったです……」
「そうですよね」
「でも、逃げませんでした。……師匠が一生懸命作った食材を、守りたかったんです」
蓮はしゃがんで、ルーナの目線に合わせた。
「ありがとう、ルーナさん。助かりました」
ルーナはぽろっと泣いた。
「勇敢だったなぁ、ルーナ」とガイアが頭をがしがしと撫でた。
「師匠の食堂は、なぜか守りたくなるよな」とヴィアも珍しく優しい声で言った。
その夜、六人で遅い夕食を食べた。蓮がルーナのために特別に卵雑炊を作った。
「今日のは、特別においしいです」
「頑張った人には特別盛りです」
ルーナは頬を押さえ、しばらく笑い続けた。
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【第18話 五か国の王たちが乗り込んできた】
朝、食堂の前に五台の馬車が並んでいた。
それぞれ、火・水・大地・風・光の国の紋章を掲げた王室の馬車だった。
「娘を返してもらいに来た」「視察に参った」「様子を見に」「偶然通りかかった(嘘)」「……帰れと言っても帰らないので」——理由はバラバラだったが、つまり五か国の王と王妃(一部)が集結した。
蓮は朝食の仕込み中だった。
「あの……今、朝のピーク時間なんですが」
「かまわん、続けろ」と火の国の王が鷹揚に座った。
全員に朝食を出すはめになった。だし巻き卵、白米、味噌汁、漬物、焼き魚——シンプルな朝ごはんセット。
五か国の王たちが無言でそれを食べた。
火の王が一口すすって目を丸くした。
「……これが、娘が夢中になるものか」
水の王妃が「まあ」と上品に驚いた。
「師匠!」とヴィアが怒鳴り込んできて、父王と目が合い、三秒沈黙した後「……来てたの」と小声で言った。
最終的に、五か国の王たちは三時間居座り、昼食も食べて帰った。帰り際、火の王が蓮に言った。
「娘の面倒をかけているな。礼を言う」
「いいえ。こちらが助けてもらっています」
王は少し意外そうな顔をし、それから微笑んだ。「……そうか」
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【第19話 雪の夜のカップ一杯】
異世界の冬は突然来た。
一晩で雪が積もり、食堂の周囲は銀世界になった。
暖炉の前で蓮が甘酒を作っていると、一人、また一人と弟子たちが集まってきた。
「なんか……いい匂いがする」とシルフが毛布にくるまって現れ、「温かいのか」とヴィアが寝ぼけた顔で来て、アンリ、ガイア、ルーナも順番に現れた。
六人で暖炉を囲み、甘酒を飲んだ。
会話が途切れた静かな時間、ヴィアが眠そうに肩を傾けて、蓮の肩にもたれかかった。
「ヴィア、寝るなら部屋に……」
「うるさい……」
眠った。
対面ではアンリが「まあ」と微笑み、シルフが「私も」とすすすっと蓮の反対側に体を寄せた。
「シルフさん?」
「寒いから」
はさまれた蓮は身動きが取れなくなり、ガイアが「師匠なかなかやるな」と笑い、ルーナが「わたしも……!」と立ち上がりかけて、恥ずかしくなって座り直した。
窓の外、雪が静かに降り続ける。暖炉の火がぱちりと鳴った。
こんな夜が、あと何回あるのだろうかと蓮は思った。
いつか、みんなはそれぞれの国へ戻る。それまでのこの時間が、どれほど貴重なものか。
甘酒の湯気が、やわらかく漂っていた。
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【第20話 ヴィアの告白未遂】
ヴィアが朝からそわそわしていた。
料理中のミスが増え、出汁を焦がし、卵焼きを三回作り直し、ついに蓮に「今日の調子はどうしましたか」と聞かれた。
「な、なんでもない!!」
しかし昼食後、ヴィアが珍しく「少し話せるか」と言った。
川辺に二人で行き、ヴィアは前置きもなく言った。
「師匠。私は……その……」
「はい」
「貴様のことが……貴様のことが……!」
そこへ水面から魚が跳ね上がり、ヴィアの顔に直撃した。
「ぶっ!?」
「大丈夫ですか!?」
顔を拭いたヴィアは全力で赤面していた。
「な……なんでもない!! 言いたかったのは、師匠の料理が最近また上手くなったということだ!!」
「あ……ありがとうございます」
「以上!! 帰る!!」
颯爽と帰るヴィアの背中を見送りながら、蓮は首をかしげた。
「なんか言いかけてたような……?」
翌日、アンリが蓮の耳元でそっと言った。
「師匠、ヴィアには少し優しくしてあげてください」
「え、なんで?」
「……気づいてないんですか」
アンリはため息をつき、「師匠は料理の腕前と同じくらい、鈍感も一流ですわね」と去っていった。
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【第21話 食の外交——五か国晩餐会】
王たちが提案した。「この食堂で、五か国の晩餐会を開こう」と。
長年、微妙な緊張関係にあった五か国。火と水は昔から利権で対立し、大地と風は国境問題を抱え、光の国は孤立主義をとってきた。
蓮は頭を抱えた。
「料理人に外交は無理です」
「料理でやれ」とヴィアが言った。「師匠の料理は、人の心を開く」
蓮は三日間考え、一つの答えを出した。
コース料理で「五か国を旅する一夜」を作る。
火の国の食材を活かした炎焼き料理、水の国の海産物を使ったすまし汁、大地の国の根菜の煮込み、風の国の香草を使った和えもの、光の国の蜂蜜を使った甘味——すべてを一つの食卓につなげる。
五人の弟子も全力でサポートした。ヴィアが火を管理し、アンリが盛り付けを磨き、ガイアが食材の重い運搬を担い、シルフが素早く配膳し、ルーナが給仕で丁寧に各国の王に料理の説明をした。
晩餐が進むにつれ、場の空気が変わっていった。
火の王と水の王が、同じ料理を食べながら初めて「これはうまいな」と笑い合った。
光の王妃がルーナの手を取り「大きくなった」と言った。
最後の甘味を食べ終え、しばらく沈黙が続いた後、大地の王が口を開いた。
「……この食堂が続く限り、我が国は剣を向けぬ」
それが五か国晩餐会の、唯一の外交文書となった。
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【第22話 蓮が倒れた日】
晩餐会の翌日。
蓮が厨房で倒れた。
三日間、ほぼ眠らずに準備を続けた疲労が一気に出た。幸い、ただの過労だった。
五人が大騒ぎした。
ヴィアが「師匠! 死ぬな!!」と怒鳴り、アンリが冷静に「まず寝かせましょう」と布団を用意し、ガイアが「俺が食堂を守る!」と宣言し、シルフが無言でおかゆを作り始め、ルーナが泣きながら蓮の手を握った。
「……ルーナさん、泣かなくて大丈夫です、過労なので」
「師匠が心配なんです!!」
一日中、蓮は弟子たちに世話をされた。シルフのおかゆは意外なほどうまかった。
「シルフさん、これ作れたんですか」
「作れるよ。教えてもらったから」
夕方、五人が枕元に並んだ。
「今日の食堂、なんとかなりました」とヴィアが不器用に言った。
「客から『王女が料理してる!』と大騒ぎになりましたが」とアンリが苦笑した。
「でも全員が完食してくれました」とガイアが誇らしそうに言った。
「売上も、いつもより多かった」とシルフが会計帳を見せた。
「わたしは……笑顔で接客できました」とルーナが言った。
蓮は枕の中で笑った。
「……一人前じゃないですか、みんな」
五人がそれぞれ、照れくさそうに目を逸らした。
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【第23話 それぞれの「修行終了」の日】
蓮が復活した翌週。
蓮は五人に言った。「一人ずつ、卒業試験をします」
試験の内容はシンプルだった。「誰かに食べてもらうための料理を、一品作ること」。
ヴィアは村の子どもたちに炊き込みご飯を作った。はじめ興味なさそうだった子どもたちが、一口食べて次々と「おかわり!」と叫んだ。ヴィアは「勝った」と小さくガッツポーズをした。
アンリは老いた旅人に椀物を出した。旅人が「若い頃に食べた故郷の味に似ている」と言って涙をこぼした。アンリは深々と礼をした。
ガイアは怪我をした山岳の猟師に力のつく煮物を作った。猟師が「こんなうまいもの食ったことない」と言い、ガイアは照れてそっぽを向いた。
シルフは夜中に目を覚ました老婆のために、温かい葛湯を作って渡した。老婆は「不思議な子ね」と言って笑い、シルフは「……そうでもない」と言った。
ルーナは食堂に戻ってきた旅人に、蓮が最初に作ったのと同じ「白いご飯と卵焼きと味噌汁」を出した。旅人が「普通だけどうまいな」と言って完食した。ルーナは声を殺して泣いた。
夜、蓮は五人に言った。
「全員、合格です。五人とも、一人前の料理人です」
誰も何も言わなかった。みんな、うつむいていた。
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【第24話 また来ます——そして食堂は続く】
別れの朝。
五人はそれぞれの国へ帰る日が来た。馬車が食堂の前に並び、侍女たちが荷物を積み込んでいる。
蓮は朝から全員の好きなものを作った。ヴィアの好きな照り焼き定食、アンリのすまし汁、ガイアの大盛り白米と煮物、シルフの薄い卵焼き、ルーナの普通の卵焼きと味噌汁。
六人で最後の朝食を食べた。
誰も話さなかった。でも、誰も急がなかった。
食べ終わり、片付けが終わり、荷物が揃って、いよいよ出発というとき。
ヴィアが振り返った。
「師匠。また来る」
「待ってます」
アンリがそっと蓮の手を取り、甲に口づけした。
「またいつか」
「……いつでも」
ガイアが蓮の肩を思い切り叩いた。「元気でいろ!」「痛い!」
シルフが蓮の耳元に口を寄せた。「あったかくしてて」それだけ言って、さっと馬車へ乗り込んだ。
ルーナが最後に、深く頭を下げた。
「師匠。わたし、変われました。ここに来て、変われました。……ありがとうございます」
蓮は何も言えなかった。
「またいつか、作ってもらえますか。白いご飯と卵焼きと味噌汁」
「いつでも作ります」
馬車が動き出した。窓から五人の手が伸びた。
蓮は一人、食堂の前に立ち、その手が見えなくなるまで見送った。
振り返ると、厨房に昨日の五人分の食器が洗われて並んでいた。誰かがこっそり洗っていたのだ。
蓮は少し笑い、エプロンを締め直した。
扉を開けると、いつの間にか客が並んでいた。
「やってますか?」
「はい」と蓮は答えた。「やってます」
雨宮蓮の異世界食堂は、今日も続く。
五人の王女が、いつかまたこの暖簾をくぐる日まで——。
——第1期・全24話・完——
次期 第2期へ続く




