ある日のおはなし
「こんの……ド下手くそがぁぁぁ!」
そう突然怒鳴り込んできた乱入者に、僕は思わず指を止め首を傾げた。
夕暮れの河川敷。
橙に染まる空はまだ明るく、犬の散歩やジョギングする人が行き交う中、着崩した制服に金髪を逆立てた――見るからにガラの悪そうな男がこちらを睨んでいる。
「ん? ……やないわ! なんで毎回毎回同じところでミスるねん! 貸してみ!」
「あ、ちょっ……」
まくし立てながら僕の手からトランペットを奪った彼は、迷うことなくマウスピースに口をつけた。
~♪~~♪
「……ぁ」
こぼれたのは、僕の声。
先ほどまでの言動からは想像もつかないほど澄んだ音色は、柔らかいオレンジの空気に溶けていく。
その瞬間が――僕と冬弥の、初めての出会いだった。
*
「なぁ、ユキん苗字って雪下なん? 雪下由貴?」
「……"由貴"ね」
聞いておきながら、ほー、と興味なさげに楽譜に目を落とした冬弥とは、あの日以来ちょくちょくこの河川敷で会うようになった。
――その派手な見た目に反して、冬弥の演奏はすごく上手い。
それもそのはず。冬弥が着ているのは、このあたりでは名の知れた吹奏楽強豪校の制服だ。
でも、わざわざ関西から進学してきたのに、強豪校特有のトップ争いに辟易してさっさと辞めてしまったらしい。
「ユキはド下手くそやけど、こんな所で吹く度量はあるから練習次第でいけると思うで」
「それは失礼すぎない?」
「だってほんまのことやろ?」
ニッと笑う冬弥は、夏の日差しのように突き抜けて明るい。
女子が多い吹奏楽では男の肩身は狭いが、彼はそんな世界とも無縁に思えるほど――いわゆる“陽キャ”だった。
真逆ともいえる僕らは、最初の出会いこそ喧嘩腰だったけど、トランペットを通じて少しずつ距離を縮めていく。
「ここな、もうちょい早くブレスいれるといいで。じゃないとこっちの三連のところでつまづく」
「こっち?」
「せや」
肩を寄せ楽譜を覗き込む僕らの距離は、ゼロを通り越して相手に侵食する勢いだ。
ワックスで固めた冬弥の髪が頬を掠め、僕はほんの少し目を細めた。
「ねぇ冬弥」
「ん? なんや?」
「距離、近い」
「うぉ! ホンマや! ちょ、惚れんでな? 俺は高いで?」
「何それ。それなら最初にナンパしてきたのは冬弥でしょ」
「そうやった――! ってナンパやあらへんわ!」
馬鹿みたいに笑い合う時間はあっという間に過ぎ、空は宵へと落ちていく。
帰る道すがら、冬弥は笑った。
「そういや俺が“冬弥”でお前が“雪下”。ナンパにしては珍しい冬繋がりやな」
「そうだね」
「名前もユキやしな!」
「由貴ね」
再三の訂正に冬弥がさらに悪戯っぽく笑い、肌寒くなった風が僕らの間を吹き抜ける。
季節は、もうすぐ冬。
僕と冬弥を繋ぐ季節は――まだ始まったばかり。




