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「とても可愛らしいわね。

この子もお店の貸本?」


「ちがう。店長が引き取った本で、

店で扱えないから私がもらったの」


「この子も綺化式の結晶?

綺化式って素敵な技術ね」


「フィーユは式の産物じゃないよ。

この子は心も身体もちゃんとあるし。

どうも綺化式とは別の法則式がある

みたいで、現在調査中。

甘野さんにもらった切符がただ一つの

手がかりだったんだけどね。

砂のようにさらさらと消えてしまったよ」


「切符? 初耳ね。

あの子も思い人の静琉に贈りものが

できて幸せでしょう。

月下氷人(げっかひょうじん)としての私の腕はたしかな

ようね」


妖艶(ようえん)に微笑む冴夜に、静琉は冷たい手で背すじを優しくなでられるような寒気(さむけ)がした。


「言っておくけど、冴夜とちがって私は

女の子とつきあう趣味はないからね」


「静琉の方こそひどい誤解をしているわ。

私がしもべを連れる理由は、ただの手慰(てなぐさ)み」


冴夜はふわりとしゃがみこみ、ふたたびフィーユの顔を見つめた。


「さわがしくてごめんなさいね。

こんなに可愛いlittle ladyの上で

あれこれ口うるさく話してしまって。

フィーユ……だったかしら?」


「うん。フィーユだよ」


にっこり笑う冴夜にひそむ暗いものを感じとったのか、フィーユは学校で冴夜を見ているにもかかわらず少し気圧(けお)された様子だった。


「フィーユをないしょで独り占めに

するなんて、静琉ってけちね」


「しょうがないでしょ。みんなに知られたら

大変なことになるよ」


白夜堂のドアが開き、めずらしく客が入ってきた。30代風の男の客は重い病気でもわずらっているかのようなさしせまった顔で、書棚に置かれた貸本をかたっぱしからのぞきこんでゆく。


「ほら、お客さんが来たからもう

私はしゃべれないよ」


小声で言う静琉に冴夜は「十分楽しんだし、もう帰るわ」と言い、「さよなら」とフィーユに小さく手を振った。冴夜は立ち上がり静琉達に背を向ける。


「もう夜だよ。1人でだいじょうぶ?」


「外に車を待たせてあるもの。

ここに寄ったのは買い物の帰り」


あいかわらずの金持ち貴族ぶりだなあと静琉は思いながら、出入り口のドアを押す冴夜を見送った。

2人が別れたすぐ後に、さっき店にやって来た客が静琉の前まで歩いてきた。どうも冴夜との下らないやりとりが済むまで待たせてしまったらしく、静琉は笑顔を浮かべて「ご用でしょうか?」と聞いた。


「ここのお店には、病人を治す

本は置いてないでしょうか……。

娘がずっと眠ったきりで、医者にも

さじを投げられて、この店を知って」


「うちでは治療系の式本は扱って

おりません。すみません」


「そうですか」


気落ちして本当にがっくり肩を落とす人を、静琉は生まれて初めて目にした。「ほかを当たります」と今にも死にそうな声で言うと、男の客は静琉に背を向けた。しつこく食い下がらないのは店中の貸本をくまなく見た後で、静琉の答えをなかば覚悟していたからだろう。疲れた気配がただよう客の背中を見送りながら、かわいそうだけどここの本じゃどうにもならないと静琉は思う。白夜堂に置いてある式本は他人に害をなすようなものばかりで、眠ったままの女の人を目覚めさせるようなメルヘンチックな本とは無縁の領域、無法の荒野である。

客がドアに手をかけたとき、静琉は客の言葉の中にきらりと光るものを見出し、それが一瞬のうちに頭の中で1つの仮定を結んだ。「お客さん」と声を上げ、出て行こうとする彼を呼び止める。足を止めてふり返る男の前へ、静琉はカウンターを出てかけよった。


「お客さんの娘さん、"荊姫"って

言ってませんでしたか?

触るとメッセージが伝わる変な紙、

持っていませんでしたか?」


静琉の言葉に数秒間動きを止めた後、男ははっとした様子で静琉の顔を見つめ返す。


「紙のことは知りませんが……

たしかに荊姫と言っていました。

荊姫が何か聞いたり、なったら

楽しいのか、とか……。

何か、何か心当たりが……?」


正体不明の切符に静琉はなにか不吉なものを感じとってはいたが、切符を受け取ったらしい女の子は眠ったきり目を覚まさないという。静琉の胸がざわついた。


「私、少し綺化式……この店に

置いてあるような本が書けます。

店は力になれませんけど、私なら

お役に立てるかも知れません」


恐れと決意を等しく心に満たし、静琉は決然と男の目を見た。



その週の日曜日、静琉は家からほど近い駅の前に建つ書店の横に立っていた。空は青く澄んでいて風もなく、セーターの上に着こんだ厚いコートはあまりいらなかったかなと静琉は思う。右手にはフィーユの本と式本を入れたトートバッグをさげていた。

待ち合わせの時刻の昼12時きっかり、荊姫となった娘の父親……佐々倉という苗字の男は白のマーチ車に乗ってやって来た。車から降りてかけ寄ってきた佐々倉に静琉は頭を下げ、車に同乗して佐々倉の家まで運んでもらう。

佐々倉の家は市内にあり、ほんの10分ほどで家に着いた。佐々倉は商社に勤めていて、長いローンを組んで一戸建てを持つことができたと静琉に話した。静琉は家に上がり、出迎えた佐々倉の妻に軽くあいさつをして、娘を寝かせてある部屋まで通してもらう。

ふとんの中で静かに寝息を立てる女の子は美香(みか)という名前で、まだ小学校三年生だと佐々倉から紹介を受けた。美香の母親が言うにはある日の朝、起きる時間になってもいっこうに目を覚まさず、それからずっと眠ったきりらしい。医者にみせても原因不明で治療しようがなく、入院させて他の患者と同様に扱われるよりはと専業主婦の母親が家で看護している。

静琉はバッグから式本を取り出した。要らないから好きにしなと店長にもらった白紙の式本に、今日のために14ページからなる綺化式を書いてきた。静琉製の式が書かれたページを開き、両手で本を持つ。

綺化式は紙に記した特別な文字列でいろいろな異変を起こす術式だが、その存在は一般的には知られていない。式の組み方を学んで訓練すれば誰でも綺化式を操れるようにはなるが、理解のしやすさや応用力はかなり個人差が大きく、式についてのセンスにとぼしい人はほとんど何もできない。


「"身体の検査"、起動」


静琉は美香を見つめたまま、本のページに手を添えて式を開始する。そばに座る佐々倉夫妻には何も起こっていないと映るだろうが、"身体の検査"とさしあたって名付けた式によって美香の身体の様子が静琉の意識に流れこんできていた。20秒ほどで式が終了し、検査の結果を静琉は知る。


「身体の方には、異常はない

みたいです」


「ええ、医者もそう言ってました」


静琉の診断結果に佐々倉は重く小さな声で返した。病気を一発で治してしまうような複雑で高等な式は、静琉には書くことができない。できるのはせいぜい身体を調べることくらいだと静琉は前もって言っておいてあった。

身体が無事なら心はどんな夢を見ているんだろうと、静琉はなにげなく美香の感情を視てみた。何も視えなかった。人は眠っていてもかすかな感情をまとうことを知る静琉は、美香の顔を視たまま身動きが取れなかった。感情の発生源となる心を、美香は無くしている。


「美香さんが目覚めなくなった朝に

寝ていた場所、教えて下さい」


眠り続ける美香自身からはこれ以上の手がかりが得られず、静琉は気持ちを静め、夫妻に案内されて美香の部屋に行った。

美香の部屋はふとんがしかれたままのベッド、少女マンガが収められた本棚やうさぎやくまのぬいぐるみ、電気スタンド付きの勉強机が置かれたありふれた子ども部屋だった。


「おかしな紙はありませんでしたか」


「はい。前に透風さんに言われたように

部屋中探しましたが、それらしいものは

何も見つかりませんでした」


佐々倉の言葉に静琉はうなずき、ベッドに近寄ってまくらを裏返したが、甘野からもらった切符と同じものは見当たらなかった。荊姫の切符がないのだから、普通なら謎解(なぞと)きはここで手詰まりとなる。

しかし、ここには確実に何かがある。美香が荊姫のことを話していたことといい、まるで童話のいばら姫のように眠り続けていることといい、美香が切符を受け取ってそれを使ってしまったとしか静琉には思えない。


「すみません。少し、私一人でここを

調べてみたいんです」


わらにもすがる心境の佐々倉夫妻がそれを断るはずもなく、静琉は1人美香の部屋に残された。

静琉は勉強机の椅子に座ると、空気圧を調節して自分に合う高さを整えた。バッグから白紙の式本とシャープペンを取り出し、式本を開いて机に置く。


「何するの? 静琉」


部屋から静琉以外に人がいなくなったのを見はからい、フィーユが机の上に立ち周りを見回す。


「この部屋で何があったのか、

見てみようと思うんだ。上手く

いくかは分からないけどね」


フィーユの顔をちらりと見て答えた後、静琉は白紙の上にゆっくり式を書き進めてゆく。間違いを丁寧に消しゴムで消し、これでは上手く式が進行しないという部分を修正し、悪戦苦闘しながら式を組み立てる。

産みの苦しみを味わううちに自分の未熟(みじゅく)さに頭が痛くなり、白夜堂に置いてある「過去を追体験する」専用の式本があったらなとつい静琉は思う。それと同時に、店長はただで人助けなんかしないだろうなという思いも浮かび上がる。

その途中、佐々倉の妻が部屋にやってきて温かい紅茶とクッキーを差し入れてくれたが、静琉はそれに手をつけずひたすら式を書き進めた。

静琉が得意な"(しば)り"の綺化式を応用したということと熱意もあいまって、2時間ほどで10ページの式ができあがった。没頭(ぼっとう)していた静琉にはあっという間だった。静琉はさっそく本を持ち、美香のベッドの前に座る。本を開いてベッドに置き、静琉は目を閉じて意識をとぎすます。

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