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「わたしのお友達なのかな?」
「どうかな。関係はありそうだよ」
切符を見つめて無邪気に問うフィーユに、静琉は優しく答えた。じっくりフィーユを見ていても彼女は本当に人間らしく、式で組まれた幻影などとはもはや静琉には思えない。
フィーユには人間並みの知能や心があり、その小さな身体は物に触って動かす事ができる実体。これで羽根でも生えていたらピーターパンに出てくる妖精ティンカーベルのような雰囲気になる。本体の本が封印されていないかぎり本が閉じていても出入り自由だが、本からある程度遠ざかると本に引き戻されるためあまり本から離れられない。静琉の知るかぎり、こんな綺化式はありえない。
机のすみに置いておいた図書室の亡霊の原因、粗悪なメモ製式本を静琉は手に取り、それを見て綺化式でできるのはせいぜい人をだます幻を映し出す程度だとあらためて思う。小冊子は破ってゴミ箱に捨てた。
フィーユの正体を知るには同じ式がつづられた切符からさぐるしかないと、もはや声を出さなくなった切符を手に取った。
「あっ」
静琉が切符を持ち上げた瞬間、切符は白い砂のようになってくずれ、机の上に散らばった。無数のつぶになった切符はけむりのように空気へ溶けて消えた。
「消えちゃったね」
「……うん」
フィーユのつぶやきに静琉もぼう然と返事をする。第三者に切符のことを知らせた場合に荊姫の資格を失うというのは、切符が消滅するということだったのだ。
「うがーーー!
唯一の手がかりがーーー!」
机にふせて頭をばりばりかきむしった後、静琉は意地にも近い知的好奇心の奴隷と化し椅子から勢いよく立ち上がる。そしてそのまま部屋に備え付けられたデスクトップパソコンの前に行き、急いで電源を入れた。
それから3日後、静琉は国語の授業中にもかかわらず魂が抜けたように窓の外を見つめていた。頭の中にはフィーユの本についての疑問がどっしり腰をすえていて、先生の言葉も頭に入れる余裕がない。
少しでも情報を集めようと、あれから静琉はインターネットで謎の切符について調べ続けた。しかし静琉が欲しい答えはかけらも見つけられなかった。気力ばかりを浪費して得られたものは、いばら姫にまつわるお話だけだ。
いくつもの類型がある「眠り姫」のお話の中で一般的に知られるのはグリム童話の中のいばら姫。
その昔、王女の出生を祝って国内の女魔法使いが12人、宴会に招待された。しかしじつは13人目の魔法使いがいた。生まれたばかりの王女に11人の魔法使いが美貌や富を授けた後、のけ者にされて怒った13人目がやって来て「15歳になった時、王女は紡錘に刺されて死ぬ」という呪いの予言を残して立ち去った。紡錘とは糸をつむいで巻くための細い棒だ。この予言は取り消すことができず、まだ王女を祝福していなかった12人目の魔法使いが「王女は死ぬのではなく100年の眠りにつく」という害の少ない予言に変更した。
王女が15歳になった時、王女は一人でお城の中を歩いていると、古い塔の頂上で老婆が紡錘で亜麻を紡いでいるのを見つけた。好奇心にかられた王女が手を出すと、13人目の魔法使いが予言したとおりに紡錘が手に刺さり、王女のみならず城に住むすべてのものが眠りの呪いにかかり皆眠り続けた。やがていばらがおいしげって城をおおい隠し、誰も城に入れなくなってしまった。眠れるいばら姫のうわさが広まり、姫を救わんといばらの城に挑んだ男達もいたが、皆いばらに刺されて死んでしまった。
100年後、いばら姫の伝説を知り勇敢な王子がいばらの城にやって来た。予言から100年が経ち、魔法使いの呪いが解けようとしていた。王子の前にいばらは道を開き、王子は城にたどり着いて眠り続ける人々と、15歳のまま眠り続ける美しい王女を見つけた。王女に口づけをすると眠りの呪いが解け、王女と城の者達は100年の眠りから目を覚ました。それから王女と王子は結婚し、幸せに暮らしたという。
名前しか覚えていなかった童話のいばら姫を知ったはいいが、このお話と甘野からもらった切符とのつながりが「いばら姫」という言葉以外、静琉には見出せない。
頭の中でとりとめもなく疑問をいじるうちにいつの間にか授業が終わり、休み時間に入った。
「ねえ静琉。向こうを歩いてたんだけど」
「机からあんまり離れちゃダメだよフィーユ。
姿が見えないんだから人に踏まれちゃう」
「向こうのお姉ちゃんが、いばら姫のこと、
話してた」
「本当!?」
耳元でささやくフィーユに静琉はつい大声で反応してしまい、クラスメイト達から降り注がれる好奇のまなざしに顔をうつむけた。
「もっと、もっと聞いてきてフィーユ……!
聞いてきたことをくわしく教えて」
「静琉が聞けばいいのに。お友達でしょ」
「うっ……。今、ちょっとケンカしてるの。
うまく話せないんだ」
「うん、わかったわ。もう一回行ってくる」
静琉と大勢のクラスメイトの間には深くて冷たい溝があり、その冷戦状態を小さなフィーユに教えるのは心苦しい。重い気持ちを胸に宿し、静琉はだまってフィーユを見送った。
少し経った後、フィーユが静琉の肩に戻ってくる。
「今はちがう話をしているよ。カレシと
遊んだって。静琉、カレシってなに?」
「……仲のいい男のこと」
静琉は頭を抱え、知りたい気持ちと話したくない気持ちを戦わせた。けっきょく勝ったのは好奇心であり、静琉はゆらりと立ち上がる。そしてフィーユに聞いた女子の前へとろとろと歩いて行った。
1人が椅子に座っていて2人がそばに立ち、楽しげにおしゃべりをしていた。突然前に立つ静琉に3人はじろりと目を向ける。彼女達の顔に映し出された、とまどい、驚き、そしてやわらかな敵意。見えない壁を意識して、静琉の足がすくむ。
「荊姫のこと、知ってるって聞いたんだ。
良かったら私にも教えてもらえないかな」
3人は顔を見合わせてかすかな笑いをもらした後、椅子に座った女の子が口を開いた。
「ある日突然、女の子の元に変な紙が
届くってうわさよ。
荊姫になろう、その紙は人に見せるな。
っていう。
紙を見せれば紙は消えちゃうし、もしも
誘いを受ければそのときは」
「そのときは……?」
うわさになるほど荊姫の切符はばらまかれている。そのことが静琉の不安をあおった。
「どうなるか分からない、って話」
「そのうわさ、みんな知ってるの?」
「そんなの知らない。私、友達から
聞いただけだしさ」
「どうもありがとう。助かりました」
静琉はぎこちない笑みを浮かべ、教えてくれたクラスメイトにぺこりと頭を下げた。立ち去る静琉の背中から「なにあれ」とくすくす笑う残酷な声が届いてくる。教室中の多くの視線が自分に向けられていることに静琉は気づいた。
どうして自分はこう人とズレているんだろう。心読みの血を薄く引いているだけで、それ以外は普通の人と変わらないはずなのに。子どもの時に何回思ったか知れない悲しい問いが、静琉の頭をぐるぐる回っていた。
身体に刺さる冷たい視線が辛くて、休み時間が終わるまでトイレに行くふりをして教室から出ていようかと静琉が歩きながら思っていると、斐七がやって来てすれちがいざまに言った。
「あたし達はあたし達がもってる色を
大事にしてればいい。
他人と同じか、そうじゃないかでしか
考えられない奴なんか無視してろ」
斐七なりに気を使ったのか過激な助言はささやき声で、静琉にしか届かなかった。返事をするひまもなく斐七は歩き去ってゆく。
斐七のがさつで心がこもった言葉と、荊姫のうわさを胸にして、静琉は教室から逃げることなく自分の席に戻った。
夜、白夜堂。静琉はカウンターで店番をしながら、フィーユの本をぱらぱらとめくっていた。本を置いた机の上にはフィーユがちんまりと座っている。
この本とフィーユ、それに荊姫の切符はどうつながるんだろうと、静琉はぼんやり考えていた。そして切符をまくらの下に置いて眠った子はどうなるんだろうと、不安に近い疑問が頭から離れずにいた。
一月で雪が降る寒さだというのに電気ストーブは別室の店長が独り占めしていて、静琉には何の温かみもほどこされていない。じっと座っているうちに静琉の身体は冷え、トイレに行きたくなってきた。
「別にいいよね、お客さん、全く
来ないし。
ちょっと外に行ってくるよフィーユ」
「うん」
静琉はカウンターから出ると白夜堂のドアを開け、別階の共同トイレを目指して階段を上がっていった。
その数十秒後、白夜堂のドアが押し開かれた。
「静琉。遊びに来たわ」
紅月冴夜だった。長そでの上着からひざまでのスカート、編み上げブーツにいたるまで、夜の暗黒が彼女にまとわりついたように黒色で統一されている。冴夜にとって黒は信仰の色だった。
誰もいない店内を見回しながら冴夜は歩き、いつも静琉が座っているはずのカウンターの前までやってきた。机の上に開かれた本に目をやると、本のそばに小さなフィーユが座っているのに冴夜は気づいた。呼吸を止めて目を見開く冴夜と、きょとんと見上げるフィーユの視線が交差する。冴夜はその場にひざまずき、フィーユの視線の高さまで身をかがめた。
静琉が店に戻ると、しゃがんでカウンターをのぞく冴夜の後ろ姿がまっさきに目に入った。
「ちょ、ちょっと冴夜! いきなり何で!
来るなんて一言も言ってなかったよ!」
「近くに寄ったものだから、ふらっとね。
それより静琉、この子、何……?」
「ああっ」
静琉は軽いめまいを覚えつつ、冴夜の横まで早足で歩いた。