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黒いインナーの上に白いジャケットを羽織り、ひざたけの黒いスカート、茶色のブーツをはいている。ギブスで固定した右腕を三角巾で肩から下げていた。見た目は20代後半程度の美女だが、あいかわず女王のような貫禄がある。
六花はまっすぐカウンターまで歩いてきて静琉を見つめ、「透風、店長は?」と聞いてきた。天才的な式使いの六花が自分の名を憶えていてくれたことに静琉の気持ちははずむ。
六花は「ん?」という声を出し、静琉のそばに立っているフィーユの顔をまじまじと見つめた。
「オルール……!?
お前、こんなところで何を。
いや、こいつはオルールか?
背たけも雰囲気も違うが」
フィーユはわけがわからない様子できょとんとしたままだ。すると、フィーユの向かいに立っていたアルトが「六花!」とおののき震えながら名前をさけんだ。
「オルールと対等の式使い!
なぜこいつがこんなところに」
六花はアルトをちらりと見て、「誰だお前。どうして私がオルールとやりあったことを知っている?」と聞く。刃物のように鋭く冷たい視線だった。
六花は印象に残らなかったアルトのことなど完全に忘れていたが、アルトはそのことに触れずに後ずさる。
「……フィーユ、また会いに来る。
私と暮らすこと、考えておいてよ」
アルトはそう言い残し、そそくさと店のドアを開けて白夜堂から逃げ去った。六花はアルトのことなど眼中になく、あっさり視線の先をフィーユに戻して顔を見つめる。
「六花さん。この子はフィーユで、
前にお見せした本の女の子が変わったんです。
フィーユはオルールの分身なんです」
「どういうことだ。くわしく説明しろ」
店の個室から店長が「あー腹減った」と言いながら歩き出してきた。そしてカウンターの前に立つ六花を目にするやいなや、ものすごい勢いで六花の横まで走り寄ってきた。
「姐さん! ようこそようこそ!
わざわざ来てもらってすいません」
「静かにしていろ。吹っ飛ばすぞ」
静琉を見つめたままの六花は、店長に顔すら向けずに一蹴。店長はびくんと震え、命令された通りに一言も発しない。
白夜堂奥の倉庫。大量のダンボール箱が積まれインテリアも何も無い部屋は無骨で薄暗く、天井の蛍光灯が唯一の明かりだ。その倉庫で、静琉とフィーユが六花と情報を交換する。
荊姫たちから集めたデータとフィーユの分析をもとにオルールが精神生命体へ昇華したこと。そして名も知れぬ別世界、"森"の先へと消えてしまったことを静琉は丁寧に説明した。
六花はオルールと戦って両腕の骨とろっ骨が粉砕し、特上の治癒用式本を取り寄せて、まず利き腕の左腕とろっ骨を優先的に治療したことを静琉たちに伝えた。
話を終えた六花は煙草に火をつけ、それを吹かしながら倉庫に安置させた四角柱を見る。オルールの身体を封印し固定した結晶体だ。
静琉に贈られた四角柱は、アルトが能力を使って白夜堂の倉庫まで運んだ。店長の許可をとってあり、この陰気な倉庫は今やフィーユとアルトの憩いの場として活躍している。
伝説の魔女、もしくは悪魔オルールの身体をそっくりそのまま封印固定した結晶体には値がつけられないほどの価値がある。そして、美しい少女を標本のように封じこめた四角柱は、何も知らない者が見れば倫理に触れる危険なシロモノだと思うだろう。
結晶の中に閉じこめられ、時が凍りついたオルールには表情らしい表情はない。表情にも満たないようなかすかなものが浮かんでいるだけで、微笑んでいるようにも、悲しんでいるようにも映る。
「そうか。消えてしまったのか、あいつは。
それがあいつの結論か」
紫煙をくゆらせる六花に表情はない。しかし、静琉には六花がどこかさびしげに見えた。
「ハハは、自分がこの世界から嫌われていると
判断したの。だからこの世界から消えたのよ」
「ハハ……?」
フィーユは六花の視線を受けて、「オルールのこと。わたしはオルールの娘だから」と静かに返した。
「ハハの中に溶けこんで、わたしはハハの
心を少しだけ知った。
ハハは本当に荊姫たちを愛していたし、
この世界を愛しても、逆に憎んでもいた。
静琉と勝負して、ハハが勝って、もう運命だと
思ったみたい。この世界から消えることが。
ここではないどこか別の場所に進むことが。
"森"が何なのかとか、"森"にどんな思いを
もっていたのかはわたしにもわからないけど」
「そうか」
六花は目を閉じて小さく笑い、ジャケットの内ポケットから煙草が入った箱を取り出した。それを放り投げ、吸っていない煙草がたくさんつまった箱は四角柱の前に綺麗に落ちた。まるで墓標にそなえられた花のようだった。
「これからどうするつもりなんだ。
オルールの分身」
「わたしは」
六花の無感情な声に、しばしフィーユは目を伏せた。そして、薄暗い倉庫の中に浮かぶオルールのぬけがらを見つめた。
「わたしがどうしたいのかは、まだ分からないわ。
前のわたしは小さくて、本から離れられなくて、
人から人に渡されるだけの何もできない子だった。
でも、今のわたしには静琉みたいな身体がある。
本にも縛られていないし、頭もだいぶ良くなったわ。
どこでも自由に歩くことができる。どこでも行ける。
ハハはどこかに消えちゃったけど、ハハとはちがう
新しいオルールに、わたしはなりたいよ。
この世界への希望をハハから受けついだんだから。
フィーユとして、ハハの娘として、こっちの世界で
生きていきたいって思ったんだから」
フィーユはへへっと子どもっぽく笑う。その姿と様子はまるで、今は無きオルールが新たな希望を胸にいちからやり直そうとしているかのようだった。
「オルールとちがってずいぶん前向きなんだな。
お前には邪気がない。魔女にも悪魔にもほど遠い。
お前と殺し合ってもつまらなそうだ」
「ちょっと、それってどういう意味よお!」
六花は「さあな」と表情を消したまま応え、携帯灰皿を取り出し、煙草の吸いがらを入れて喫煙を終えた。
静琉はオルールの結晶体を見つめ、ぼんやりと思う。転生したオルールは今どこで何をしているのだろう。生きているのか、死んでいるのか。楽しいのか、つまらないのか。彼女は彼女の結論に満足しているのか、していないのか。いつか帰ってくるのか、それとも永遠に帰ってこないのか。
オルールは自分の意思をつらぬき通し、どことも知れない彼女だけの荒野へ旅立った。その最終目標のために少女たちを荊姫にする手段は決してほめられたものではないが、オルールが消失した今となっては――ただ彼女の勇気と目的意識の強さへの畏敬の念しか静琉の胸にない。
異界の"森"へと歩んで行ったオルールの冒険に較べれば、静琉が背負うべき危険などなんとちっぽけなことか。やりたいことをやって、たとえそれが失敗に終わったとしても、この世界から消失するわけでも帰ってこれなくなるわけでもない。死ぬことだってきっとない。死も破滅も決別も恐れないオルールの覚悟をまのあたりにして、静琉は小さな事でグズグズ悩む自分が恥ずかしかった。
やりたいことをやろうとする覚悟が、静琉の胸にめばえつつあった。それでも、まだ不安と恐れが重い足かせのように静琉の身体を縛っている。歩み出すのに必要なあと一押しが足りなかった。
「私も六花さんのようになれたら」と思い、静琉は六花が何を感じて生きているのかを知るために彼女の感情をのぞき視る。
六花がまとう感情は、圧倒的で絶対的な自信。何が起きても揺らがない、強すぎる精神力。この世で自分の思い通りにならないことなど何もないという、信じがたいほどのわがままさ。
静琉は雷に打たれたかのような衝撃を受けた。「これだ」と強く思った。私が視たかったものはこれだったんだと静琉は思った。
テレビごしに世界の著名人を見ても、彼らの感情は視えない。静琉の周囲の人間は誰も彼もあきらめと絶望をまとって生きている。負の感情に満ちあふれたこの世界で、揺らがない強さを静琉はついに見つけた。あきらめにも絶望にも無縁の、迷わない強さを。
六花とは周囲の星座が回転しようと一点でじっと動かない北極星のような女だ。六花が静琉の不動の目標だった。
狂おしいほどに強い恋心のせいで、頭で考えるよりも先に身体が動いてしまう現象に似ていた。静琉の口が勝手に動き、胸の思いを言葉にした。
「六花さん。綺化式のこと、教えて下さい」
「あ?」
「白夜堂に置いてある六花さんの式本、
読ませてもらいました。
とても綺麗で、独創的で、私もあんな
式が書けるようになりたいんです!
自分だけの、自分にしか書けない式が
書けるようになりたいんです!
お願いします! 綺化式を教えて下さい!
雑用でもなんでもします! お願いします!」
話の流れも、場の雰囲気も、静琉の立場もすべて無視した無茶な頼み事だった。静琉は頭を深く深く下げ、六花の返事を待っている。
静琉のような凡庸な式使いに天才の六花が教えてくれるわけがない。頭の中の冷静な部分がそう主張している。女王のごとき六花に怒られるのが恐くて、静琉の脚はがくがくと震えていた。
するといきなりフィーユが床にひれ伏し、いったいどこで覚えてきたのか床に額をつけて土下座の姿勢をとった。
次回のアップで完結します。