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目を閉じた少女はオルールその人だった。黒いローブをまとい、両腕を下げた体勢で、足には何もはいていない。まるで宙に浮いているかのように、オルールは結晶の中に固定されている。


「今の私は精神を物質化した

存在です。

元の肉体は記念に封印固定

しました。

なかなか素敵なオブジェでしょう」


オルールはそう言って、透明な四角柱に手を添える。固定されたオルールは目を閉じたまま、死体のように何一つ反応しない。

精神生命体。あらゆる物理的干渉を受けつけず、その場に恒常的(こうじょうてき)に存在し続ける不滅の生命。肉の器から羽化(うか)し、魂を物質化し固定させた無限の存在。生物の領域を超越した、天使にも等しい高位の霊的存在。

新生(しんせい)オルールは何も手にしていない。試作品のフィーユのように式本に式を記述して存在を維持しなくても、精神情報のみで完全に自立している。いつかフィーユが式本内に凍結していた情報を解放して人間大になった時の完全版が今のオルールだ。生物ならば心臓に相当する式本もなく、それゆえに弱点もない。不死の身体にオルールの能力をすべてそのまま加えた手のつけられない化け物である。


「その"森"は……いったい何なの」


静琉の問いに、オルールは笑顔を浮かべながら"森"を自慢するかのように両腕を広げた。


「こことは別の次元世界……

異世界へと通じる門のような

ものです。

異世界の一部を、この世界に

出現させて具現化させたもの。

今から50年ほど前に私はこの

世界に気づきました。

荊姫も、転生も、すべてはこの

荒野の"森"のための準備です」


オルールが言うところの荒野の森は、その内側に悪魔でも()んでいそうな恐怖の領域だ。"森"から何かが出てくるか、それとも"森"自体が周囲に破滅的な被害をもたらすか。静琉の悪い想像は止まらない。


「オルール……君はこの"森"で

なにをするつもりなんだ?

君はいったい何を考えているんだ」


さけぶようなアルトの問いにも、オルールは微笑むだけで答えない。


「荊姫は、荊姫たちはどうなったの?」


静琉の問いに、オルールは魔法でも使うかのように何も無い場所から大量の本を出現させた。数十冊の白い式本はオルールの周囲に浮かんでいる。それらは間違いなく少女の精神を閉じこめた式本だった。


「お願い! みんなを、美香さんを元に

戻して!

もう研究は完成したんでしょう!?

だったら荊姫は必要ないはずでしょ!」


勇気をふりしぼって声を上げても、静琉の両脚はがくがくと震えている。転生したオルールはあまりに強大で神聖だ。思わずひれ伏してしまいそうなこうごうしい雰囲気を発している。

オルールは「気の毒ですが、それはできません」と首を横に振り、周囲に浮かべていた荊姫たちを消した。


「荊姫たちはこの世界から

消えてもらいます」


「そんな……。消えるって、

全員殺すってこと……?」


「いいえ。新たな旅立ちですよ。

少女たちは現実で絶望したから

ずっと眠り続けることを選びました。

このつまらない世界から完全に、

永遠に断絶(だんぜつ)することが、荊姫の

本当の幸福です。

私はそう信じています」


そう断言するオルールに、静琉はもう何も言えなかった。オルールとのギャンブル勝負に勝てば荊姫たちは解放される約束だった。しかし、静琉は負けた。オルールには負けた静琉の願いを聞き入れる義務などないのだ。


「フィーユは……? フィーユは

無事なんでしょう?

フィーユに会わせて! 私、まだ

あの子に謝ってないんだから!」


「フィーユ……? ああ、そういえば

そんな子もいましたね」


オルールは無邪気に笑って、開いた右手を胸に添える。


「フィーユはこの身体に統合しました。

フィーユは私のかけらなのですからね」


静琉はその場にくずれ落ち、「ああ……」と絶望の声を上げた。考えうる限りの最悪のシナリオ。大切なフィーユはすでに消え、オルールは何も聞き入れず、凶悪な"森"は今にも動き出そうとしている。


「フィーユ、ごめん、ごめんね。

私が負けたから。私が弱いから」


静琉は冷たい地面に両手を突いて顔をうつむけ、もはや届かない謝罪の言葉をくり返す。

それを見つめるオルールはどこかぼんやりしていて、考え事にふけっていたり自身の内側のわずかな変化に意識をめぐらせているかのようだった。数瞬後、オルールは我に返って静琉を見つめ直す。


「そんなに悲しむ必要はありませんよ」


オルールの優しい声に、静琉はゆるゆると顔を上げて前を見た。


「フィーユの苦しみも悲しみも、すべて

私に溶けて消えてしまったのですから。

あの子はいっときのささやかな幻。

不意に立ちのぼってはすぐに消える、

夏の蜃気楼(しんきろう)のようなものなのですから」


オルールの言葉を聞くうちに、静琉の胸の底から怒りにも似た激情がふきあがる。


「フィーユは悲しかっただろうし、荊姫に

された女の子たちだって生きたくなかった

かもしれない。

でも、みんな何かやりたいことがあったはず。

生きる理由がきっとあったはずなんだ。

それなのに、あなたはみんな消してしまう。

私にはやりたいことをやる勇気がないけど、

みんなは不安を乗り越えて先に進むことが

できたかもしれないのに!」


静琉は目を固く閉じ、涙をあふれさせる。オルールはそんな静琉をどこか悲しげな目で見つめ、まぶたを下ろして微笑した。


「静琉さんは、静琉さんが進むべき荒野を

見つけたのですね。

静琉さん以外に誰もいない、未知の荒野。

さびしくて、荒れていて、優しさも、安全も、

他者の理解にも無縁の荒野を。

あなたはあなただけの荒野を進めるでしょう。

でも、私の荊姫たちには無理というものです。

進めない者には絶対に進めない恐怖の世界。

それが人の夢見る荒野というものですから」


魂をこめた説得さえ通じず、がっくりとうなだれる静琉。そんな静琉を優しく見つめ、沈黙するオルール。すると――。


「大丈夫。静琉はきっとできるよ。

静琉ならできるよ」


子どものような口調でオルールがそうしゃべっていた。そのあまりの意外さに静琉とアルトは呼吸を止めて目をむき、オルール自身でさえわけが分からないといった顔で口に左手を添えていた。


「な……!?」


おどろくオルールの身体からまばゆい光があふれ出し、無数の砂つぶのような光は宙をただよってオルールのそばへ集まってゆく。雲のように不定形だった光のかたまりは、数瞬ののちに人の形をとっていた。

白色のセミロングに金色の目、12歳前後の外見で、その身体の大きさは人間の少女と同等。服装は静琉やオルールが見慣れたものだった。物質世界を超越した天使に等しいオルールでさえ、今しがた自身から分離したものをおどろきの表情で見つめていた。


「あなたはまさか、フィーユ?」


オルールのぼう然としたつぶやきに、オルールから生まれ出た少女は「うん」と答えてを見つめ返す。


「わたしはフィーユ。

オルール、あなたのかけらだったけど、

今はもう1人のフィーユなんだ」


今のフィーユの姿は、世界のはざまでアルトと交戦した時に変わったものとまったく同じであった。式本を持たず、身体ははっきりとして安定している。

フィーユは静琉を見て、にこっと笑う。大人びた笑みだった。


「静琉。来てくれてありがとう。

とてもうれしいわ。

わたし、もう怒ってないよ。

静琉が謝ることなんてないよ」


静琉はフィーユを見つめながら、ただ「フィーユ」と小声で名を呼ぶばかりだった。静琉自身、眼前の現実がまだ信じ切れていなかったのだ。


「信じがたいわ。

ただのかけらが、別人として

私から独立するだなんて」


まじまじとフィーユを見ながらそうつぶやくオルールに、フィーユはふたたび向き直った。


「わたしはあなたの中にばらばらに

溶けて眠っていたけど、わたしは

静琉に呼ばれて目を覚ました。

わたしはわたしを取り戻したんだ」


外界で経験を積み独自の人格を成長させたフィーユは、オリジナルのオルールに統合されて分解されても個としての存在を失わなかったのだ。

オルールは無言でフィーユと対峙した。世にも奇妙な光景だった。精神生命体に昇華した新生オルールと、彼女の分身であり娘でもあるフィーユ、そして水晶のような四角柱に固定されたオルールの体が一ヶ所に集まっている。3人はいずれも同じ顔をしていて、3人全員がオルールであった。


「オルール、荊姫たちを元に戻して。

静琉の願いなら、わたしはかなえたい」


「そう」


「それに、もうあなたには縛られないわ。

わたしはオルールじゃなくてフィーユだもの。

わたしは静琉といっしょに生きていく」


胸をはってそう主張するフィーユの様子は毅然(きぜん)としていて、以前の小さなフィーユの態度とはまるで別物だった。身体が8歳程度から12歳程度まで成長し、精神年齢まで外見相応に上がったようだった。

それまで表情を消したままだったオルールは不意に微笑し、口を開いた。


「フィーユ。

私の中にあった、この世界への未練(みれん)執着(しゅうちゃく)

それに希望が具象化(ぐしょうか)したのがあなたなのね。

この世界への愛も、荊姫たちへの気持ちも、

すっかりあなたに持っていかれてしまったよう。

そう。別の私がこっちに残って生きてゆくのも、

それはそれで面白いかもしれない。

認めましょう。この世界で生きることを望んだ

もう1人の私、フィーユという個人の存在を」

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