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夜8時過ぎ、静琉の部屋。静琉は家族との夕食を済ませ、ベッドの上にうずくまりぼんやり時を過ごしていた。

ギャンブル勝負には勝てず、大切なフィーユを失い、自分がやりたいこともできない。無力感にさいなまれ、何もする気が起きない。最近は宿題もろくにやらず、冴夜や斐七にノートを写させてもらってばかりだ。

静琉は心の底で変化を待ち望んでいた。水の流れをせき止めて水をよどませにごらせる邪魔な石を吹き飛ばし、ふたたび澄んだ流れを取り戻してくれるような目が覚める変化を。

死んだ魚のような目で静琉が部屋を見つめていると、突然床に黒い染みが広がった。静琉は息と思考を止め、目の前の異変にただ固まるばかり。


「こんばんは。透風静琉」


「アルト」


暗黒色の染みの中から浮上してきたのは、オルールの使いであるアルト。あいかわらずの黒いスーツ姿だった。

静琉は空白になっていた思考から我に返り、おろおろと周囲に目を走らせる。護身用の式本は学生カバンの中に入れたままで、手元にはない。


「落ち着いてくれ。僕はもう、

君とは戦わない」


「えっ。それじゃ、何のために

ここへ?

もうフィーユは持ってないのに」


「ああ。フィーユはオルールが

持っている」


アルトはそう言って、落ちこんだ時のように顔をうつむけた。今のアルトには敵意も戦意もまったくうかがえず、言動が弱々しくて元気を失っているようだった。静琉もアルトにつられてがくりと顔を下に向けた。

アルトは不意に顔を上げ、黒光りする革靴(かわぐつ)を脱いで右手で持った。そしてスーツのポケットから白いハンカチを取り出し、それを器用に広げて床にしいた。そのハンカチの上に丁寧に靴を置く。土足(どそく)で部屋に現れた非礼に、アルトはこの時初めて気づいたようだった。アルトの紺色の靴下(くつした)を見て、静琉も初めて彼女が靴をはいていたことに意識がいった。


「フィーユをめぐって敵対し、僕は

君を危険な目にあわせた。しかし、

恥をしのんで君にお願いしたい」


部屋の中央に立ったままアルトが説明し、静琉はベッドの上に座ったままアルトの話を聞く。オルールが精神生命体へ昇華するための研究データとして荊姫を作り集めていたこと。それはオルールから聞いて知っていたが、正体不明の"森"についての話は初耳だった。オルールは"森"を利用して何か良からぬことをたくらんでいるらしい。


「僕はオルールを止めたい。

だけど、僕では説得(せっとく)できなかった。

でも君なら、オルールが一目置(いちもくお)

透風静琉なら……オルールを

止められるかも知れない。

僕は荊姫をつくってきた張本人(ちょうほんにん)だ。

こんなことを君に頼める義理じゃない

のは分かっている。

でも、どうか力を貸してもらえないか」


そこでアルトの話は止まった。アルトは顔をうつむけ、静琉の返答を待っている。空気が重みを増したような長い沈黙が流れた。

アルトみずからが会いに来るという千載一遇(せんざいいちぐう)の好機。それを前にしても、静琉は心がなえたままで前に踏み出すことができない。何かをしてまた失敗し、また自分の無能さがさらけ出されるのが恐いのだ。


「私にはできないよ。

あなたにも無理だったんでしょ。

私なんか、役に立たない」


「人が変わったようだね。

いったいになにがあった?」


「べつに。私は勝負に負けて、

何も守れず、何もできないことが

分かっただけだよ」


うずくまったままの姿勢だった静琉は、両ひざに顔を押し当てた。自分が情けなくて、恥ずかしくて、アルトの顔を見ることができなかった。


「オルールやフィーユが今の君を

見たら幻滅するだろう。

君にたしかに宿っていた"熱"が

どこかへ消えてしまったみたいだ」


こんな腐った静琉は助けにならないとばかりに、アルトはため息をついて肩を落とした。静琉は顔をうつむけたまま、ぼそぼそとアルトに問う。


「ねえ。フィーユはどうなったの?

元気で暮らしてるのかな」


「さあね。まだ個体として存在

しているか、すでに統合されて

消えてしまったか」


「消えてしまった……?

それって、どういうこと……」


静琉はそろそろと顔を上げ、アルトの顔を見つめ返す。悪い予感がして、心臓に氷を押しつけられたように胸が冷えてゆく。


「オルールの研究が進行すれば

オルールの精神体が出来上がる。

そうなればオルールの分身の

フィーユは精神体に統合されて

消えてしまうと思う。

オルールは基本的にのんきだけど、

仕事の完成度にはこだわるんだ。

フィーユを放置したままで完成、

とするのは非常に考えにくいんだ」


静琉は背中やわきに冷や汗がにじむのを感じた。ぎゅっと目を閉じ、フィーユを想う。

フィーユは人間由来の荊姫ではなくて、オルールの一部であり分身。それをオルールから聞かされた時、静琉は驚き動揺したが、フィーユを嫌うことはなかった。フィーユは魔女でも悪魔でもなく、心の優しい友達なのだから。

フィーユは静琉を信じてギャンブルの賞品になってくれた。それなのに、静琉は勝負に負けた。静琉はまだフィーユに一言も謝っていない。ギャンブル勝負の勝者であるオルールは、事前に交わした約束にのっとりフィーユを所有する権利がある。そのことを敗者の静琉はただ受け入れるしかない。

それでも、フィーユに謝ることくらいはしてもいいだろう。静琉の謝罪がどれだけフィーユのなぐさめになるのかは分からない。しかし、会って謝れば何かが変わるはず。止まりよどんでいた流れが動き出すはず。このままうじうじと腐っていては、いずれフィーユはオルールに統合されて二度と会えなくなるだろう。

ここが再起できるかどうかの分かれ目だった。ここで立ち上がらなければ心の底から自分が嫌いになり、静琉はもう救われない。閉じた目の端から涙がぽろぽろとこぼれた。

声を殺して泣く静琉を見て、あきれたと言わんばかりにアルトが大きなため息をついた。


「もういい。君の力は借りない。

夜分に邪魔したね。もう帰るよ」


「行く。私はオルールに会いに行く」


おえつにはばまれながらも、静琉はたしかな自分の意思でそう言った。アルトは一瞬目を見開き、まじまじと静琉の泣き顔を見つめた。



静琉ははき慣れたスニーカーをはいて、家の外に出た。白いセーターにジーンズという部屋着のままだった。雪が降っていて身が切られるような冷たさだったが、気持ちが高ぶっているせいで雪も寒さも平気だった。

夜の外出は両親がうるさいから、静琉は親の目を盗んでこっそり抜けだした。玄関のそばには夜の闇にまぎれるようにしてアルトがたたずんでいた。

アルトは一度静琉の部屋から消え、家の外へ移動した。静琉はくつをはく必要があったから、自分の足で土間を通り家を出なければならなかった。


「べつに昼間でもかまわないが、

本当に今からいくのかい?」


「今行かなきゃ気持ちが冷めちゃう」


護身用の式本は持ってきておらず、静琉は手ぶらだった。静琉が組める程度の式ではオルールに通用しないだろうし、もはや戦いは無意味だった。オルールの心を動かすには静琉の心をもってぶつかるしかない。


「じゃあ、行くよ。僕の手をにぎって。

恐がらないで」


静琉はアルトの手をにぎる。アルトの指は細くしなやかで、普通の女の手と何も変わらなかった。

2人の足元に黒い水たまりのようなものが広がり、静琉たちはその中へゆっくり沈みこんでゆく。沈むにしたがって、視線の高さが地面へ近づいてゆく。静琉とアルトは地面の中へ消えた。

静琉が目を開けば、そこは以前アルトに連れこまれた世界のはざまだった。どこまでも続くトンネルに黒い壁、そして頭上には蛍光灯を思わせる白い発光体が一列に浮かんでいる。暑くも寒くもない奇妙な場所だった。

アルトは静琉の手を引いてすたすた歩き、壁に開いたアーチ状の穴を通って別のトンネル道へ入った。そしてまた別の穴へ入り、さらにトンネルを進む。

入り組んだ迷路の奥底へ迷いこむようで静琉は恐くなったが、アルトの表情にも行動にもためらいがなくて頼もしい。まるで美男子にエスコートされるようだと静琉は感じた。

やがてアルトは何の変哲(へんてつ)もない壁の前で立ち止まり、「ここだ」とつぶやいた。そして壁に向かって前進する。彼女は抵抗もなく壁の中に沈みこみ、静琉は手を引かれるまま壁の中へ入っていった。


「おかしい。どうして電気が

点いていない?」


暗い場所で、アルトがそう言いながら周囲を見回している。静琉たちは真っ暗な室内……洋館とおぼしき場所、その廊下の壁ぎわにたたずんでいた。静琉の家の前から世界のはざまを経由してまったく知らない場所までやって来たのだ。


「ねえ、ここってオルールの家?」


「そうだよ。だけど、まだ9時前だ。

こんなに早く消灯するはずがない」


アルトは「ここで待っていて。周りを見てくる」と言って、静琉が返事をするひまもなく廊下の向こうへ駆けていってしまった。

「オルールの館まで直接移動する」とアルトから言われていたから、オルールの館にいることは約束通り。しかし、こんな暗闇の中に独り放置されるとは聞いていなかった。いつオルールが現れてもおかしくない状況で、静琉はとても心細かった。

10分ほど待って静琉の恐怖が耐えがたいほどにふくらんでいたとき、ようやくアルトが戻ってきた。彼女の顔には強い困惑の色が浮かんでいる。

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