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「……図書室に亡霊の綺化式を
しかけたのはあなた。
亡霊のせいでみんなが恐がって、
図書室を使えなくなって、大勢が
嫌な思いをしたのに、あなたは平気
だったの? 森野さん」
「あ、当たり前よ! 楽しかったわよ!
楽しくてしかたなかったわよ!」
静琉は雫のまとう感情を視てみるが、すぐに雫の話と矛盾する感情を確認した。そのせいで静琉の不快は増大した。
「嘘だね。あなたはたしかに満足も
感じているけれど、無視できない強さの
後悔と恐れも感じているよ」
静琉の正確な指摘に、雫が「ううっ」と声をつまらせる。
ああ。この世界は嘘と欺瞞に満ち満ちている。人は他人にも、自分自身にも簡単に嘘をつく。感情、つまり偽らざる心の本音が目に視える静琉にとって、一番嫌いなものは嘘だった。言葉の中に含まれる嘘を嘘だとはっきり見抜ける静琉には、嘘つきの醜さと嫌らしさが肌で感じられるから。
「綺化式を悪用してもいいと……
本気でそう思ってるの? 森野さん」
雫の顔を見つめたまま、目をすわらせて淡々と問う静琉。そのただならぬ様子に雫は視線を宙に泳がせ、数瞬の沈黙の後に口を開いた。
「……思ってないわよ。
式は人の役に立てるべきだと
思ってる。反省してる」
「それも嘘だね。
そんな感情は視えない。
私の機嫌を取ろうとして、あなたは
また嘘をついたんだ」
静琉は何となく手を伸ばし、雫の左胸にぽんとタッチした。
「ちょ、ちょっと! 何するのよ!
エッチ! 変態! レズ!」
「変態……? 私が変態なら
冴夜はどうなるのよ。
嘘をつくと、裸にむいて廊下に
放置する。
あまり私を怒らせない方がいいよ」
ゴムまりをつくように、静琉はぽんぽんと続けて雫の胸をたたく。雫は顔を赤くしながら「やめてよ!」とうったえているが、静琉は容赦しない。雫の胸は小さかったがふんわりとやわらかく、さわりごこちが良い。だが静琉が感じるのはそれだけだった。
奇妙な感覚だった。心と身体が遠く離れてしまったかのように、自分がやっている事に現実感がわかない。目に映る光景が、まるでテレビ画面の映像を見るかのように遠く感じられる。静琉は心に降り積もった無力感と絶望のせいで自暴自棄に近い状態になっていた。
「さっきから何なのよ! 嘘だ、嘘だって
勝手に決めつけて! 心が読めるわけ
でもないくせに!」
「心は読めないよ。でも、感情は視える。
私は純粋な人間じゃなくて魔物の子孫
だからね」
機械人形のように表情を失ったまま雫の胸をいじりつつ、静琉は特級の秘密を告白していた。嘘をつくのが嫌だったし、真実を言わないと話がややこしくなる。そして、もしも雫が静琉のルーツを言いふらすようなことになっても目に見える証拠などないのだからいくらでもごまかせる。なによりも、どうでもいいという投げやりな気持ちが静琉の告白を後押ししていた。
「ま、魔物の子孫……? あなたが?」
「うん。心読みの末裔」
「私も同じ。先祖が人間じゃないわ」
「……え?」
静琉は胸をたたいていた手を止め、雫の感情を視てみる。彼女は嘘をついておらず、言っていることは真実だった。困惑と、仲間意識のような感情が雫の身体を包み始めている。静琉は胸から手をどけ、雫と見つめ合った。
「まったく! とんでもない目に
あったわよ!」
夕焼け色に染まった空の下を、雫がつかつかと歩いてゆく。うすくほおを赤らめて、隠すように両胸に左腕を当てていた。そんな雫の少し後ろを、静琉が「ごめんね、最近ちょっといらいらしてて」とつぶやきながらついてゆく。あれから2人は化学室を出て、いっしょに下校をしていた。
「しゃくだけど、あんたの実力は
たしかよ、透風。
図書委員の人に聞いた通り」
「図書委員の人」
「甘野って子。
式使いの仲間が欲しかったから
図書委員の甘野に聞いてみた。
亡霊騒ぎはどうやって解決した
んですか? ってね。
そしたらあなたの名前が出てきた
ってわけ。
すごいすごいってやたらほめるから
どんな奴かと思ったけど」
甘野が必要以上に静琉をほめちぎるのは、彼女が静琉を特別視しているわけで。それを思うと、静琉は胃のあたりがずっしりと重くなった。
「さっきも言ってた気がするけど、
手伝いとか仲間とか、どういうこと?」
「透風の先祖が魔物で人間の感情が目に
視えるように、私も凡人に感じられないもの
が分かる。
それは"土地の力"」
「土地の……力……」
「言葉にしにくい感覚でしか触れられないから
上手く説明できないけど、"土地の元気さ"が
肌で分かるんだ。
血って肌の内側の血管の中を通ってるでしょ。
だから皮膚の上からじゃ血の流れは見えない。
でも、私にはその土地に流れる血……生命の
力が直接見える。直接分かる。そんなかんじ」
「へええ! それはすごいね!」
静琉は本当に感心し、久しぶりに笑みを浮かべた。めったに出会えない同類と知り合いになれた喜びが全身に満ちていた。同性を恋の奴隷にする能力をもつ紅月冴夜のほかは、この森野雫しか同類を知らない。
「最近、街の様子がおかしい」
しばしの沈黙をやぶり、雫がぽつりと切り出した。
「だんだん、街から元気がなくなってる。
最初はただの偶然だと思ってた。街の元気さって
空が晴れたり曇ったり雨が降るみたいに変わるから。
だから大して気にしてなかったんだけど、最近は
本当に酷いんだ。
生命が直接吸い上げられてるみたいに、急激に
土地が年老いてる。
豊かな森が、あっという間に砂漠になるようだよ」
「それは……恐ろしいね……」
「この異変は偶然の範囲をはるかに超えてる。
偶然じゃなくて、確実に何かが起こってるわ。
私には解る。土地の悲鳴が聞こえてくるもん。
このまま私たちの街がからからに干涸らびて、
ころっと死んじゃうなんて嫌だ。絶対に、嫌だ」
雫はそこまで言って立ち止まり、静琉の方へ振り返った。彼女の顔はそれまでの表情とは一線を画す、真剣そのものだった。
「この異変は常識の外の事態だわ。
普通の人間なんかまったく頼りにならない。
綺化式が使えるような人じゃなきゃ、戦力に
ならない。
透風、あんたが強い式使いだけじゃなくて、
特別な血を引いてることはラッキーだった。
あなたの力が必要なの、透風。私といっしょに
街を救って」
静琉は雫と目を合わせられず、うつむいたまま地面のコンクリートを見つめていた。重く、長い沈黙が2人を包んだ。
「私なんか仲間にしても、足手まといに
なるだけだよ。
私は、何もできない。何も守れないし、
何も救えないんだから」
大切なものを賭けたギャンブル勝負に負けたことの無力感が、静琉の心を冷たく呪縛する。心からやる気と自信を失わせてゆく。
「あんたは上手い式が組めるじゃない。
私にも、ほかの人にもできない、あんた
にしかできないことがやれるじゃない」
「私にしか、できないこと」
自分自身に問いかけるように、静琉は小さな声でくり返した。雫は「そうよ!」と大声でうなずく。
「私は土地の生命が解る。少しだけど、
綺化式も書ける。
他の人がもてないこの個性を生かして、
将来はすごい人になろうと思ってるわ。
具体的な計画はまだ考えてないけど、
きっとやる。きっとできるはず。
あんただって、やろうと思えばできるわよ」
雫の態度ともの言いはなにやら高慢な雰囲気だったが、にかっと笑った顔は健康的で、夕日をあびて紅く美しく染まった姿は様になっている。そんな雫を見て、静琉は理屈抜きにすごいと思った。
雫は静琉から目をそらし、うつむいてへへっと照れくさそうに笑った。
「自分で自分が不思議だよ。この私が
人に協力を求めて街を救おうだなんて。
他人なんて、どうでもいいと思ってたわ。
式も書けないし、先祖は普通の人間だし。
私だけが得すれば良いと思ってた。
でも、私は知らないうちにこの街が好きに
なってたんだ。
私が育って、小さいときからずっと生命を
見てきたこの街がさ。
死にかかってる大切な街のためにさ、私の
力を役立てて助けてあげたいって、初めて
そう思ったのよ」
静琉は雫に協力すると約束し、携帯電話の番号とメールアドレスを交換した。そしていっしょに帰っていた雫と別れ、今は自宅の自分の部屋でベッドにあおむけになっている。
別れぎわ、「これからどう行動していくかは、2人で考えて決めていこう」と雫は言った。意気込みは十分だが、具体的な行動計画は考えていないらしい。
ベッドに寝そべり、雫のアドレスを登録した携帯電話を開いたり閉じたりしてもてあそびつつ、静琉は彼女から聞いた話を思い出していた。
街の異変と聞いた時、まっさきにオルールの顔が浮かんだ。荊姫の秘密を追い、ギャンブル勝負の参加賞としてオルールから彼女の目的を聞いたものの、街から生命力が失われるなどということには触れなかった。しかし、荊姫事件の始まりと街の衰弱があまりにタイミング良く重なることから、十中八九オルールが関わっているのだろうと静琉はにらんでいた。