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オルールの運命を占うためにあえて運まかせのブラックジャック勝負を挑んだが、オルールの進む道は研究の成就に運命づけられているようだ。ならばもう迷うまい。この世界に望まれたとおり、オルールは別の存在に生まれ変わり、新しい世界に旅立つべきだ。

そして静琉に残してきた1枚のメイプルリーフ金貨。ギャンブルに使った60枚の金貨すべてを置いていってもかまわなかったが、あえて1枚にとどめておいた。

ふとした思いつきで残してきた記念メダル。しかる場所で金貨を売れば学生としては多い小づかいが手に入るが、静琉はそんなことはしないだろうという思いがあった。

透風静琉は敬意を表すべき少女だから。しかし、今となってはもう関わりもない人間だ。静琉はオルールの思い出の中で生きればいい。研究の完成が間近に迫った今となってはどうでもいい。完成に近づくほど、この世界への関心が消えてなくなってゆく。

実験室のドアが二度続けてノックされた。「どうぞ」と応え、訪問者を部屋に通す。訪問者はアルトだった。銀製のトレイに湯気が立つ紅茶とシフォンケーキをのせ、オルールの横までゆっくりと歩いてきた。


「ありがとう、アルト。

ちょうど休んでいたところでした」


オルールは背もたれから上半身を起こし、笑顔でアルトをむかえた。アルトはまずトレイをパソコンデスクに置き、ケーキと紅茶をデスクの端に置いた。間食を頼んでいたのではなく、アルトが独自の判断で差し入れてくれたものだった。


「無理をしすぎだよ、オルール。

大怪我しているというのに。

研究もほどほどにしないと……」


「うわっ!? アルトだ!」


それまでぐずっていたフィーユがようやくアルトの存在に気づき、本の中に入って隠れてしまった。それに気づいたオルールが本に顔を向けた。


「どうしたのフィーユ?」


「アルト、まえに本を、わたしを

燃やそうとした。だから恐い。

アルト、きっとまた燃やすよ」


「…………そう」


オルールがゆっくりとアルトの方へ視線を移せば、アルトは覚悟(かくご)を決めたような固い表情でうつむいていた。帰ってきたフィーユとアルトが対面するのはこれが初めてだった。こうなることをなかば予想していたかのようだった。


「事情を説明して下さい、アルト。

小さなフィーユから聞き出すのは

大変ですからね」


オルールの顔からも声からも熱が失われていた。その様子は怒っているというよりも無関心に近い。アルトは無断で透風静琉を襲ったこと、そしてフィーユを燃やして消し去ろうとしたことを正直に話した。彼女の口調は、まるではらわたでも吐き出すかのような重く苦しげなものだった。


「ねえアルト。どうしてそんなことを

したのですか?」


「研究の完成を阻止したかった。

君は"森"を育てて何かをしようと

しているから、それが心配なんだ」


「なるほど」


オルールはうっすらと笑ったまま、アルトが持ってきた紅茶をすすっていた。アルトと目を合わせようとせず、本や書類が山と積まれた実験室をながめるだけだ。怒りのあまりアルトの存在を無視しているのか、それとも何とも思っていないのか。その穏やかな様子からは真相が読み取れない。


「――オルール、僕は……」


「そのうち言おうと思っていましたが、

この機会に()げましょう。

アルト、あなたは(くび)です」


「…………え……?」


耳に届いた言葉が理解できないとでも言うように、アルトはぼう然とした顔で聞きかえした。


「もう私のために働いてくれなくて

結構です。今までご苦労様でした」


「そんな、オルール――」


「退職金はうんと出しましょう。

行く当てがないのなら今までどおり

ここに住んでもかまいません。

ただ、もう私のためにあれこれ

働く必要はありません。

あなたはあなたの生きたいよう

自由に生きて下さい」


「オルール、フィーユのことは謝る!

勝手に動いて、大事なフィーユを

傷つけようとしてすまなかった!

どうか許して欲しい!」


「決定はくつがえりません」


オルールは表情を消し、空になったティーカップをデスクに置いた。そして初めてアルトの目を見つめた。やわらかな悲しみがオルールの目に浮かんでいた。


「もう私に縛られることはありません。

これからは好きに生きていきなさい」


「いやだ! 私は……私は……

まだオルールに恩を返していない!」


アルトの目には涙が浮かび、その口調は彼女本来のものに戻っていた。


「私は……オルールに拾ってもらったから

今日まで生きてこれた!

この命も、もらった特別な力も、みんな

オルールのものだ!

お金なんてもういらない! どんな汚い

仕事だってする!

だから、どうかそばにいさせて……!」


「本当に残念ですが、それはできません。

もう私たちの主従関係はお(しま)いです。

私がいなくても、あなたはもう十分に

自分の力で生きてゆけます。

私はそう信じていますよ」


オルールはアルトを見つめたまま、微笑んでいた。アルトはうつむき、静かに涙を流す。少しの間、2人の実験室から音が消えた。



「ずっと本当の友達だと思ってた。

これからも、ずっと」


「私もですよ。

今まで私を助けてくれてありがとう」


そして、アルトはふらりときびすを返し、実験室から出て行った。オルールはアルトがいなくなってがらんと広くなった実験室とドアをながめたあと、ケーキには手をつけずにパソコンへの打ち込みを再開した。フィーユの本を開かずディスプレイを見つめるオルールの顔は、心の一部がえぐり取られたかのような虚無の表情をたたえていた。



オルールとのブラックジャック勝負から一週間が経った。フィーユを賭けた勝負に負けて、オルールとの取り決め通りフィーユを持って行かれた。フィーユを失い、アルトもオルールも現れなくなって、静琉には安全で平和な日常が戻ってきた。退屈で、大切な何かが腐ってしまったかのようないまわしい日常だ。

自宅では廃人か死人のようにぼんやりと無為(むい)に過ごし、学校に来ても授業は右の耳から左の耳へ素通(すどお)りする。友達の冴夜と斐七との会話でさえわずらわしいと思ってしまう始末(しまつ)だった。

冴夜に「フィーユと会わせて」とねだられれば静琉は「フィーユはちょっと調子が悪くて、学校に持ってこられないんだ」と嘘をつかねばならず、自分と冴夜への嘘が静琉の気持ちを暗くさせた。

ものごころがついて以来の十数年間、他人の絶望とあきらめの感情に触れ続けてやる気を無くし、静琉は消極的に生きてきた。しかし、今の静琉はそれまでの消極的な態度をさらに下回るどん底の心境だった。

謎のフィーユと出会った時の好奇心と心の震動、荊姫にされた少女と関わるうちにアルトと接触し彼女に対抗するために新しい式を組んでいた時の充実感、そしてオルールとブラックジャックをしていた時の負けてなるものかという精神の高揚感(こうようかん)、全身がふるいたつような熱。まるでゆめまぼろしであったかのように、今ではすべて失われてしまった。

静琉の胸にたしかに宿っていたわくわくした気持ちと熱は、いったいどこへ消えてしまったのか? それが静琉には分からない。熱い気持ちの代わりに、ただ空虚(くうきょ)な気持ちだけが胸をおおっていた。

四方(しほう)を闇に囲まれ、自分がどこにいるかもどこへ進めばいいのかも分からないような中で、静琉の前に示された一本の光の道。その道を歩いていたときは不安と迷いが消えて心が満たされていたのに、光の道が消えてまた闇の中に逆戻りだった。静琉が居るべき本当の場所へつながる(とびら)が、一度は開きかかったのにまた閉ざされてしまったのだ。

静琉がギャンブル勝負で負けたから、フィーユを失い、荊姫たちを現実に戻す機会も失った。フィーユを所有していた静琉からアルトもオルールも静琉の前に現れた。フィーユを取りかえした今となってはもう彼女たちは姿を現さない。オルールたちがこれからどうするつもりなのかも、救えなかった荊姫たちがどうなるのかも分からない。オルールと戦ったという式使いの六花もあれ以来白夜堂に現れず、オルールたちの動向をつかむすべがない。

もう静琉の力ではどうにもならない。無力感が、冷たい雪のように静琉の胸に降り積もってゆく。そのせいで静琉の心は冷たくなり、熱が、覇気(はき)が消えてしまう。

何も起こらない日常に戻った今から振り返れば、まったく夢のように非現実的な日々だった。だが、あれは夢ではないのだ。

オルールが喫茶店のテーブルに残していった1枚のメイプルリーフ金貨。学校にいる時、制服のスカートのポケットにそれをしのばせていた。その金貨の冷たさと硬さ、重みと輝きが、オルールとの勝負が現実であったことを教えてくれる。そして、今があの夢のような日々と地続きであることも。

放課後、廊下のかたすみや体育館の裏側、グラウンドのはじでポケットから金貨を取り出し、じっくりと見つめる。夕日をあびてまばゆく光る金貨は美しく、どうしようもなく無機質で、見ているうちに涙がこみ上げてくる。

この金貨にはオルールからのメッセージがこめられている。これを売ってお金に換えて使えというほどこしか。それとも予想もつかない奇抜(きばつ)な理由からか。はたまた気まぐれに置いていっただけで意味らしい意味などないのか。

どのようにも受け取れるあいまいな置きみやげの意味を問い、答えが出ずになやみ、蜘蛛(くも)の巣にからめ取られもがき苦しんでいるような状況だった。透明で人を呪縛する巣を張った(ぬし)……蜘蛛のオルールが、静琉の煩悶(はんもん)する様子を笑っているような気さえする。

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