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「ギャンブルはまるで人生の縮図ですね」
静琉が青い顔をして悩んでいると、不意にオルールがそんなことをつぶやいた。
「大多数の人間は危険がともなう挑戦を避け
安全で確実な人生を選びます。しかし彼らは
人生が終わるとき、後悔する傾向がかなり強い。
代償を支払わないと欲しいものは得られません。
その当然に気がつかないから、彼らは死の際、
晩年に苦しむのでしょうね」
危険と困難が立ちふさがる挑戦を避け、安全で堅実な人生を選ぶ人たち。彼らはたしかに望んだ通りの安全を得られるが、それ以上のものは得られないとオルールは語る。彼らは安全で変わらない日常を過ごし、それに退屈し、「何かが足りない」「もっと素晴らしい生き方があったんじゃないのか」と真綿で首をしめられるような苦しみを味わいながら死んでゆく。
安全指向でない少数派は、危険やリスク、あるいは大多数を占める安全派の批判や白い目を受け入れて挑戦の人生を歩む。
彼らの道には危険がつきまとうから、ある人は破滅したり挑戦に失敗して悲惨な末路をたどる。挑戦したいというだけで会う人みんなに注意されたり笑われることも日常茶飯事。それは安全指向の人々が恐れた通りの事だが、その破滅の可能性や努力や苦労こそが代償なのだ。
代償を支払った果てに、彼らは欲しい人生を手に入れる。それは安全派がうらやむ輝かしい人生だが、安全派にそれを手に入れる道理はない。なぜなら彼らは代償を支払っていないから。
「チップの賭け方で、その人が安全派か、
それとも挑戦派かが大まかに分かります。
これまでの流れから、静琉さんが安全派
であることが分かります。
それでは勝負に負けますし、後悔が多い
人生を歩むことになるでしょう」
明日の天気を予報するかのように笑顔で言って、オルールはギャンブルと人生の類似についての話を終えた。
さっきの運は人が現象を解釈したものにすぎないという話といい今の話といい、何が目的でそんなことを話すのか静琉には分からなかった。
オルールの真意をさぐるため、静琉はふたたび感情を視る。そこに視えたものは楽しみや悲しみ、期待やあきらめ、希望や恐れがいっしょくたに混ざっていて、どれが主な感情なのか、彼女が何を思い何を考えているのか分からなかった。こんな複雑で奇妙な感情図は今まで視たことがない。静琉の状況と人生が良いものになるようにアドバイスをしているのか? それとも静琉をたきつけて無茶な勝負に出させようとしているのか? 可能性は2つにしぼれるが、そのどちらが解答なのかは分からない。
オルールの話に感化されるのは良い気分がしなかったが、それでも静琉はオルールの主張が正しいことになかば気づいていた。ギャンブルでは危険を冒さなければ得るものは小さくなるばかりだと今までの流れから身にしみて分かっていた。
ブラックジャックは知識と技術をみがけば勝率を上げることができる戦略的ギャンブルだ。上級のテクニックにカードカウンティングというものがある。
場に出たカードで、2から6までのカードを+1、7から9までのカードを0、10・ジャック・クイーン・キング・エースの強いカードを-1として数える方式で、ハートやクラブといったカードのスーツは関係ない。例えばプレーヤーの手札が5と10だったら+1-1=0、ディーラーの手札が9とエースだったら0-1=-1として計算し、この場の合計はプレーヤーの0とディーラーの-1で0-1=-1となる。この計算を勝負と並行して延々と続けてゆくのだ。
カードカウンティングの結果、カードの山にどのグループのカードが残っているかが大まかに予想できる。-3や-5のようにマイナスの数字が大きくなっていけば、それはすでにたくさんの10と絵札とエースが消費されてカードの山にはそういった強い札が残り少なくなっている状況を教えてくれる。逆に+4とか+6のようにプラスの数字が大きくなっていけばすでに弱い数字がたくさん消費され、カードの山にたくさんの強い札が残っていることを教えてくれる。
マイナスの数字が大きい状況はカードの山に多くの弱い札が残っているので、そういった時は弱い札がプレーヤーに入りやすく、かなり勝ちにくい。だからこういう時は賭けるチップを少なくして負けに備えるべきだ。
プラスの数字が大きい状況こそ、プレーヤーが大勝ちするチャンスだ。カードの山に絵札やエースのような有用なカードがたくさん残っているので、プレーヤーの手札が10とジャックのような札の組み合わせになりやすく、ブラックジャックの役も生まれやすい。反対にディーラー側は12以上の手札から10や絵札を引いてバストしやすい。こういった勝ちやすい状況にいるとき、プレーヤーは賭けるチップを積極的に増やすべきである。
そしてプレーヤーの手札が15や16といったヒットすべきかスタンドすべきか判断が難しい時、カードカウンティングを続けた結果プラスが大きければ7から9のカードや10や絵札が来やすいのでスタンドしてバストを避けるべき、マイナスが大きければ2から6の小さい数字のカードが来やすいのでヒットして21に近づけるべきだと判断することができる。
ブラックジャックを行う上で52枚のトランプカードセットを使い、ゲームを進行させるとカードの山は減ってゆき残りのカードは変化しないという現象を利用したテクニックだ。カードカウンティングを使えば次に来るカードをある程度予測できるため、勝率は大きく上がる。その反面、カードカウンティングを使いこなすのは非常に難しい。次々と場に出されるカード、しかも勝負が終わればすぐに廃棄されるカードの数の合計を正確にリアルタイムでカウントするのは至難だ。そしてカードカウンティングに気を取られ勝負の判断がおろそかになっては元も子もない。
そして問題は、カードカウンティングを用いてすら100%勝つのは不可能だと言うことだ。カウンティングの結果、カードの山に残っている札を予測できても、次に具体的にどの数字が来るかは不明なのだ。
カードカウンティングの結果プラスが大きくなった勝負所で、プレーヤーの手札が11だとする。次に10やエースの札が来やすい状況なのでヒットして、来たカードはカードの山に残っていたハートの4だったということもある。プラスが大きい好機でチップをたくさん賭けて勝負を挑んだら、自分の方に来て欲しい絵札とエースがディーラーに行ってしまい、ブラックジャックの役の前に即死したというケースもある。
カードの山の並びだけは、プレーヤーにはどうすることもできない。結局、いかに戦略を極めても運という不可思議な領域に手出しはできず、制御もできない。それがギャンブルの恐ろしいところだ。
静琉はカードカウンティングのカの字も知らない。自分に有利になるようにカードの配列を操作するシャッフル技術ももっていない。人の感情は視えてもカードの山を透視することはできない。技術に頼れない以上、もうリスクを受け入れて勝負にでなければオルールに勝てない。
静琉は震える手でチップを3枚取り、それを前に置いた。残り6枚のうち、半分のチップである。負ければ残りわずかな命の半分を失うことになる。
瀕死の静琉がおかしいのか次の勝負に期待しているのか、オルールはにやにやと笑っていて、心底楽しそうだった。
静琉に来たカードはハートの6とダイヤのエース。オルールのアップカードはクラブの3。静琉は手札の2枚を見つめたまま植物のように止まっている。そして数十秒考えこんだ後、口を開いた。
「賭けるチップを倍にする方法、
たしかあったよね……?」
「ダブルダウンです。
賭けたチップと同額のチップを置いて
ダブルダウンを宣言する選択です。
ダブルダウンを宣言した場合、1枚
だけ強制的にカードが配られます。
このカードの後のヒットはできません」
エースは1か11の好きな方に数えられるから、静琉の手は6+1=7か6+11=17のどちらか。7の方にすれば、あと一回ヒットしてもバストの危険はない。エースという便利な札が来たおかげで、手を大きくするチャンスだった。
そして注目すべきはオルールのアップカードだ。これまでに何十回と勝負を重ねたことで、ディーラーのアップカードが小さいときにディーラーがバストしやすいことに静琉は何となく気づいていた。
ブラックジャックにおいてはエースからキングまでの13枚のカードのうち、10、ジャック、クイーン、キングの4枚を10として数える。その割合は4/13となり、これは全52枚中の30%が10の札ということを意味する。つまりプレーヤーもディーラーも30%というかなり高い確率で10を引く。
ディーラーのアップカードが6か6よりも小さいとき、もしもホールカードが10の札なら合計が17に届かないためディーラーはヒットする義務がある。そして、12、13、14、15、16といった手で10の札を30%の確率で引くことになる。12以上の数字に10を足せば22以上となり、バストする。
数学を使ってブラックジャックを分析すると、ゲームを進める上でディーラーがバストする確率は計算上25.61%となる。しかし、アップカードがある数に限定されるとバストする確率が変化する。アップカードが2なら35.67%、3なら37.54%、4なら39.45%、5なら41.64%、6なら42.32%と、バストの確率が25%よりもかなり大きくなるのだ。アップカードが7以上になるとバストの確率は25%に近似した数字をとり、エースの場合は11.53%まで下がる。
もちろん初心者の静琉がこのような細かい確率計算などできるはずもない。しかし、オルールのアップカードが3であることから、バストする見こみが大きいと感じとった。
静琉はオルールのアップカードを見つめたまま、今自分が何をしたいのか、そして何が欲しいのかを自分自身に問いかけた。