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あまりに負けが続くのでいかさまをしているのではと思い、静琉はオルールの感情を視る。しかし、不正をにおわす感情は何も無い。シャッフルは静琉自身が担当している。ディーラーのオルールはカードの山から1枚ずつ札を配るだけで、カードを抜いたり増やしたりすることはできようはずもない。

恐怖と絶望のあまり、静琉は普通の思考が不可能になっていた。怒りと焦燥(しょうそう)のせいで頭がオーバーヒート状態なのか、それとも逆に思考が停止し凍りついてしまったのか、それさえも静琉には分からない。喫茶店の中にいるというのに、店内に雪が降っているかのように指先が冷たい。極度の緊張で吐き気がする。奇妙な具合(ぐあい)に現実感が失われ、店内の様子も目の前のゲームの進行もどこか遠い世界の出来事のように感じられる。


「何だか暗くて嫌な空気ですね」


不意のオルールのつぶやきに、静琉は眠りから覚めたように意識を現実に引き戻した。


気晴(きば)らしに、少し"運"について

お話ししましょうか」


そしてオルールは一時ゲームを中断し、カジノの本職ディーラーが客のプレーヤーにしゃれたトークをプレゼントするかのごとく、「運とその解釈」について語り始めた。

あるところに美しい容姿と明るい性格をもつ女学生がいたとする。彼女が休日に街中を歩いていると、通りすがりの芸能プロダクションのスカウトマンとすれちがった。スカウトマンは女学生の容姿に光るモノを見出し、歩み去る女学生に声をかけた。そしてプロダクションとの話し合いの末、女学生のアイドルデビューが決まった。

アイドルとなった女学生は持ち前の美しい顔と人を引きつける明朗さ、そして努力を惜しまない勤勉さのおかげで成功し、アイドル界で名を上げていった。女学生の友人や家族、親戚その他の人たちは「なんと運が良いのだろう!」とうらやみ、ねたみもした。

果たして女学生は運が良かったのか? 彼女の人生が華々(はなばな)しいものとなった原因は周りの人間が言うように運が良かったことなのか?

オルールはこの問いに、女学生は運が良かったからアイドルデビューし成功できたのではなく、彼女の成功はたんなる必然の現象だと断言した。

すべては「偶然スカウトマンとすれちがった」という現象から続く、一連の必然的な現象だという。それを周囲の人間が幸運だとか生まれもった才能が違うと解釈をし、馬鹿騒ぎしているにすぎない。

スカウトマンとすれ違ったとき、女学生はすでに「美しい容姿」と「人を引きつける性格」というアイドルの資質を備えていた。だから彼女がスカウトマンの目にとまったのは必然なのだ。

仮にすれちがいという偶然の現象が起こらなかったとしても、のちに他のスカウトマンが女学生の評判を聞きつけアプローチしていた可能性が高い。女学生自身がプロダクションに足を運んだことだってありえる。彼女の友人が勝手にオーディションに応募しデビューが決まることだってあるだろう。デビューの要因は運などというものではなく、女学生の容姿と性格が人並み外れて優れているからだ。

そして同様に、アイドルデビューしてからの成功も運によるものではない。困難に立ち向かい自分を高めるための努力を続ける勤勉さと、明朗で人をひきつける性格に支えられた必然の現象。努力し実力を上げればそれだけ成功に近づくし、他人に可愛がられる性格ならば多くの援助やコネクションを得られるだろう。

人の思わくなどいっさい関係なく世界は自然に回っているだけなのに、人はとある現象について幸運・不運だとあきもせず解釈し喜んだり悲しんだりする。入念にシャッフルしたトランプカードの山から続けて3枚引くとして、1枚目がダイヤのエース、2枚目がハートのエース、3枚目がクラブのエースだったなら運が良いような気分になる。それに対して1枚目がダイヤの3、2枚目がダイヤの7、3枚目がスペードの8だったなら運が良いとも思わない。どちらの場合の組み合わせも、数学的な確率はまったく同じだというのに。


「長く生きるといろいろな人間を見るもの

ですが、不運や失敗を恐れて何もできず、

何もつかめないまま(むな)しく死んでゆく人の

なんと多いことかと常々(つねづね)思っていました。

運がすべてだと決めつけ、早々(そうそう)に努力を

あきらめ腐ってしまう人もざらにいます。

この世には幸運の人生も不運の人生も

ありません。

必然の出来事、あるいは偶然の出来事を

人が幸運とか不運とか解釈するだけです」


オルールは話を終え、勝負に使われたカードを廃棄。静琉はチップを1枚賭けた。やって来たカードはクラブの8とスペードの2。オルールのアップカードはダイヤの6。

オルールの話を聞くうちに、静琉の恐慌はいくらかおさまり冷静さを取り戻していた。そして、現状に対する解釈が変わりつつあった。

幸運も不運もなく、ただ人が状況を良いか悪いか解釈するだけ。オルールはそう言っている。静琉はずっと負け続けている。単純に考えればツキがなく、負けの流れのただなかにいるということ。

これまで負け続けたからといって、次の勝負も必ず負けるとどうしていえる? 勝負の流れでトランプの並びが変わるわけでもない。シャッフルを完了した時点でトランプの並びは確定し、静琉が勝とうが負けようが並びは変わらない。


「ヒット」


ヒットしたカードはハートの8だった。合計18で、静琉は冷静にスタンドを宣言。オルールはアップカードをめくり、それはダイヤの8だった。オルールはヒットし、スペードのジャックを引いた。これで合計は6+8+10=24。


「バストです」


オルールは1枚チップを取って静琉に渡し、場のカードを廃棄する。

負け続けたからもう勝てないなんて決めつけちゃダメだ。今までの連敗はただのそういう現象だと考えるべきで、不運だの悪運だのととらえてはいけない。不運だと思えば勝とうとする気持ちが失せてまともに戦えなくなる。

それよりも心を落ち着けて戦略を立てるべき。そうすれば合計15以上で考えもせずヒットすることや小さい数字でびくびくスタンドをくり返す無謀なこともしなくなる。静琉はそう心に誓った。

静琉の連敗は彼女が恐怖と混乱でまともな手を打てなかったことが原因だった。幸運の流れや不運の流れのようなあいまいな解釈で右往左往(うおうさおう)するのではなく、その時その時で冷静に戦略を立てれば簡単には負けない。静琉はそのことを、少しずつチップを取り返すことで証明して見せた。

コインを投げて表か裏かを賭けるたぐいのギャンブルとは違い、ブラックジャックは戦略とプレーヤーの精神力が問われるゲームだった。一回当たりの勝負時間は数十秒と短いが、その勝負が何回も何回も延々と続く。そしてそのたびにプレーヤーは勝ったり負けたりをくり返し、心をゆさぶられるのだ。勝てば「次はもっと勝とう」と欲が首をもたげるし、負ければおびえて勇気を失うか「次こそ負けを取りかえす」と弱気の反動がプレーヤーの暴挙をさそう。勝っても負けても心が乱されて、それに耐えて心を落ち着けるのは容易ではない。勝負の回数を重ねるほど、プレーヤーの心の体力は消費されてゆく。

そして何より、負けの可能性が常にプレーヤーの隣にひかえている。戦略を用いることで負けの可能性をある程度小さくすることはできるが、決してゼロにはならないのだ。プレーヤーがヒットを続ければバストの危険は上がってゆくし、いかに戦略と勇気をふるって19以上の強い数字に仕上げたとしても、ディーラーがそれより強い数字だったなら負けざるを得ない。もしもディーラーにブラックジャックの役が入れば戦略以前の問題としてプレーヤーはほぼ即死させられる。ブラックジャックの役はブラックジャックの役でしか相殺できない。

勝負を始める前にオルールが言ったとおり、ギャンブルは負けや失敗の恐怖に耐えながらいかに自分の判断に身をたくせるかを試す心の戦いだった。

そして、ギャンブルにおいては理や戦略に頼っているだけでは決して大勝できない。そのことに、静琉はうすうす気づき始めた。

冷静さを取り戻した静琉は手札が15か15以上になればヒットをしないと決めていた。15以上になればバストの危険が高く、危険を冒すくらいならスタンドしてオルールのバストを期待した方が安全だからだ。この堅実(けんじつ)な戦略をとることで静琉は5枚まで減ったチップを12枚まで増やしたが、12枚をピークにふたたびチップが減少し始めた。

静琉にもよく分からない奇妙な現象だった。無茶なヒットを避けて、馬鹿らしいスタンドも避けている。安全重視の戦略の結果、負けは減ってそこそこ勝つようになった。それなのに、包帯(ほうたい)止血(しけつ)した傷口から一滴(いってき)一滴血がもれ出すように静琉のチップが少しずつ消えてゆく。勝ちによるチップの増加と負けによるチップの減少をくり返し、小さなマイナスが重なってだんだん破産の(ふち)へ追いつめられてゆく。

静琉の残りチップは6枚にまで減っていた。5枚まで減った危機を経験済みだから前ほどのパニックは味わわなかったが、それでも静琉の心は恐怖で震えていた。

前にやったように6枚から12枚まで増やすのは不可能ではない。しかし、確実にできる保証などない。そして問題は、静琉が選んだ安全重視策では結局少しずつチップが減っていくという点だ。同じ戦略を用いても、6枚から少しずつ減ってゆきついには破産する危険が高い。

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