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オルールの確認に、静琉は「い、いらない」と言いながらぶんぶんと首を横に振る。
「カードを追加したい場合は"ヒット"。
追加不要で勝負に出る場合は
"スタンド"と宣言して下さい。
そういうルールですので」
オルールの表情も声もやわらかなものだ。静琉は「うん」と返事をして、目の前のクイーンとキングを見つめ続けた。
ジャック、クイーン、キングの絵札は10として数えるから、静琉の手は20。最強の21に非常に近いから、まず負けない。ツイてると静琉は思った。
オルールは伏せられたままのもう一枚を表にした。クラブの10。続けてカードの山から素速くもう一枚を引く。ダイヤのジャックだった。
「バストです」
残念がるふうでもそう言って、オルールは自分のチップの山から一枚の金貨を取り、それを静琉の前に丁寧に置いた。静琉がヒットとスタンドの用語を教えられてから、すべてはあっという間に過ぎ去った。
オルールの最初の手札はハートの3とクラブの10で、この時点での合計は13。ディーラー側の制約条件として17か17以上になるまでカードを引かなければならないから、オルールは制約にしたがいカードを引いてダイヤのジャックを出した。ジャックは10として数えるから、13+10=23で、上限の21をオーバー。バストしたのだ。
「ビギナーズラックですね」
子どものような無邪気な笑みを浮かべながらオルールがそう言った。敵と馴れ合ってはいけないと思った静琉はオルールをあえて無視し、配当のチップを取って、それをチップの山の横に置いた。
静琉は勝って嬉しかったが、それとともに「これなら私でも戦える」と納得していた。チェスや囲碁や将棋のようなゲームでは初心者と経験者で雲泥の差が出るが、ブラックジャックならルールも簡単でオルールと対等にやり合うことができる。
オルールがもつ40枚のチップのうちの1枚を奪っただけだから、オルールの損害はかすり傷に等しい。しかし、もしも勝負が実戦であったならかすり傷すら負わせることができず静琉はやられていたにちがいない。
場に出され勝負に使われたカードは、オルールがテーブルの横に廃棄した。早くも次の勝負が迫っている。
「賭けるチップをどうぞ」
静琉はチップの山から金貨を1枚取り、それを前に置いた。またしても1枚勝負だが、オルールはそれに何一つ触れない。
静琉に配られたカードはハートの10とスペードの6。合計は16だった。それに対し、オルールの2枚の手札のうち表にされた1枚のカード――それをアップカードと呼ぶ――はダイヤの10だった。
この時、静琉は自分の手札のことでせいいっぱいで、まだオルールのアップカードに注意を向ける余裕はない。16は強くもないが、上限の21まで5しか猶予がない。カードを追加してもバストする危険が大きいと思った静琉は、
「ス、スタンド……」
とオルールに教えられたとおりにつぶやいて、カードの追加をやめた。
オルールは伏せられたままの1枚――これをホールカードと呼ぶ――を表にした。クラブの9で、オルールの手札は10+9=19。
「19です」
オルールは機械のように熱も情もない声でそう言うと、静琉の賭けたチップをあっさり持っていった。それをチップの山に積む。
静琉の負けだった。オルールの手札と、持っていかれたチップをぼう然と見た。せっかく奪ったチップも簡単に奪い返されて、静琉のわずかな優勢は帳消しとなった。
「静琉さん。
ディーラーは手札が17か17以上に
なるまでカードを引く義務があります。
16ではディーラーに勝てません。
私のバスト待ちなら余計なお世話ですが」
そう優しく言われて、静琉はオルールのルール説明を思い出し「そういえばそうだった……」と自分のうかつさとまぬけさを後悔した。
場のカードが廃棄され、間を置かずに次の勝負が始まる。静琉は1枚のチップを賭けた。
静琉の手札はクラブの7とダイヤの7で合計14。オルールのアップカードはハートの8。先ほど身をもって知ったように、14では17か17以上の手札をもつオルールに勝てない。
「ヒ、ヒット」
ブラックジャック勝負が始まって以来、初めてのヒットだった。オルールは鮮やかな手つきで静琉にカードを配る。それはダイヤのエースだった。
エース。ブラックジャックで、唯一1か11の好きな方に数えられる特異なカード。それが今初めて場に現れ、静琉の元にやってきた。
静琉の手札は14で、ヒットしたエースを11とすると14+11=25でバストする。ここはエースを1として数えるしかない。14+1=15で、15ではオルールがバストする以外に勝つことはできない。
「ヒット」
そして静琉に配られたカードはクラブの6。15+6=21。一度もつっかえることなく難問を解いたときのような爽快感が静琉の胸に広がった。
「スタンド」
オルールはホールカードをオープン。スペードのクイーンで、絵札は10として数えるからオルールの手札は8+10=18。
ディーラーは手札が17か17以上になれば、それ以上はヒットできないという制約条件に縛られている。よってオルールの手札は18どまり。静琉の勝利だった。
オルールはチップの山から1枚の金貨を手に取り、それを静琉の前に置いた。静琉はチップを自身の山の横に置く。カードが廃棄され、次の勝負へ。
静琉は1枚のチップを賭けた。オルールはあいかわらず気分が良さそうに微笑したまま、静琉の賭け方に口をはさまない。
静琉の手札はスペードの3とダイヤの8で合計11。バストする危険を冒してでもヒットして21に近づけなければならない。
バストするかも……と考えた時、静琉はあることに気がついた。ブラックジャックでは2から10までのカードはそのまま、絵札はすべて10、エースを1か11のどちらかで数える。ということは次になんのカードが来ても、静琉はバストしない。
今の静琉の手札では、上限の21までの猶予は21-11=10。2から10が来ても、10として数える絵札が来ても、21をオーバーしないのだ。エースが来たらそれを1とすればいい。こうなると、なるべく10に近い数が来て欲しい。
「ヒット」
静琉の祈りが天に届いたのか、やって来たカードはダイヤの9。これで手札は11+9=20でほぼ最強だ。
「スタンド」
オルールのアップカードはスペードの10だった。オルールがホールカードをめくり、それはスペードの9だった。オルールの手札合計は19で、僅差で静琉が勝った。オルールから1枚のチップが渡され、カードが廃棄される。
手札が11かそれよりも小さい数ならば、ヒットしても絶対にバストしない。だから11以下の場合は即ヒットすべき。そのことを静琉は学んだ。
2回続けて勝った。しかも21と20で、どちらも良い数字だ。私は今、勝ちの流れに乗っている。静琉はそう感じた。
静琉は思い切って2枚のチップを賭けた。1枚ずつ賭けて、勝ったり負けたりをくり返しても状況はほとんど変化しない。勝ちの流れにいる今こそ、オルールに大損害を与えるチャンスだと静琉は考えた。
静琉の手札はハートのエースとダイヤのキング。これは……と静琉が息を呑んでいると、オルールがにこっと笑い、
「ブラックジャックですね。
おめでとうございます」
そう言って、静琉に2×1.5=3枚のチップを渡す。そしてアップカードのハートの6の隣のホールカードをめくりもせずに場のカードをすべて廃棄した。
手札がエースと10として数える札だった場合、エースを11とすれば11+10=21となる。この役をブラックジャックと呼び、プレーヤーが勝てば賭けたチップの1.5倍の配当を得ることができる。
プレーヤーの役がブラックジャックだった場合、ディーラーの手札もブラックジャックでなければ引き分けにならない。しかしオルールのアップカードはハートの6であり、ホールカードが何であれブラックジャックにはならない。
ブラックジャックの役と手札の合計が21では、ブラックジャックの方が強い。例えばオルールのホールカードが5であったとして、そこからヒットし10を引き当てて6+5+10=21になったとしても、ブラックジャックの役には勝てない。オルールのホールカードが6であった時点で、オルールの負けは確定していたのだ。
賭けたチップの隣に積まれた3枚の金貨。静琉はそれを持ち上げ、3枚の重みと厚みに意識が白くなるようだった。
たった一回の勝利で、1枚賭けの勝負を三連勝したぶんのチップが手に入った。ブラックジャックの役という幸運に助けられたことはもちろんだが、それよりも1枚でなく2枚賭けた勝負でたくさんの配当を勝ち取ったという印象の方がずっと強い。
そう。ちまちまと1枚ずつ賭けて勝ったり負けたりしていても、オルールの持ちチップをゼロにすることなんかできない。たくさんチップを賭けなければ、たくさんチップを奪えないのだ。
静琉はそう腹を決め、賭けたままの2枚のチップの隣に、たった今受け取ったばかりの3枚のチップを置いた。
今までの勝負よりも格段に多い、5枚賭けの勝負。緊張で静琉の指先は冷たくなり、脚が震えそうだった。負ければ一気に5枚を失うことになるが、5枚失っても20枚対40枚の勝負開始時点に逆戻りするだけだ。そう考えれば損害としてはそれほど酷いものでもない。それよりも勝てば勝負が次のステージに進む。リスクを恐れていたら何もできないし、何もできないから何も得られない。