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オルールはくすくすと笑うが、静琉は身体も表情も凍りついて身動きが取れない。その気になれば静琉などいつでも殺せる。そのことをオルールは目にも止まらぬ速さで髪を切断し、証明して見せたのだから。


「ひとくちに勝負と言っても、大きな力の

差がある者との戦いは勝負ではありません。

それは一方的な強奪(ごうだつ)、もしくは虐殺(ぎゃくさつ)です。

私はそんなつまらないことをしに静琉さんに

会いに来たのではありません。

2人の力量に関係なく、お互いが楽しめる

伯仲(はくちゅう)した勝負をしたいのです」


「……ど、どういうこと……?

どんな勝負がしたいって言うの」


恐怖から少しずつ立ち直り始めた静琉が話に乗ると、オルールは待ってましたとばかりに満面の笑みを浮かべる。


「ギャンブルです。博打(ばくち)

()(ごと)です」


「ギャ、ギャンブル……」


静琉はオルールの言葉を機械的にくり返しただけで、まるで実感がともなわなかった。本気で言っているのだろうか、この魔女は?と疑いながら、オルールの顔をまじまじと見つめる。


「勝負はギャンブル、勝者は

フィーユの本を手にする。

こういうことでいかがでしょう」


「な、何言ってるの。

賭け事なんて、そんな不良

みたいなこと」


ギャンブルは不良の遊び。静琉はそう決めつけて、テーブルの上におろおろと視線を迷わせた。


「静琉さん。ギャンブルの

ご経験は?」


「あ、あるわけないよ」


静琉の家では問題らしい問題もなく、静琉はいわば無菌室(むきんしつ)で大切に育てられる花のような女だった。品行方正な静琉は博打にも博打を勧めるような悪友にも無縁で、ギャンブルのことなどほとんど考えたことはなかった。

テレビ番組でたまに映し出される、パチンコや競馬のようなギャンブルにのめりこんで破産したり借金地獄におちいる人たち。静琉はそれを見て、強いマイナスのイメージをギャンブルに抱いていた。ギャンブルがどういう遊びなのかはまったく分からないが、とにかく危険で近づいてはいけない。そういう印象が心に刻みつけられていた。


「静琉さんは初心(うぶ)なのですね。

ふふ。可愛らしい」


オルールはテーブルにひじを立てて両手を組み、その上にあごを乗せて微笑んだ。その顔は外見相応の少女然としたもので、黒い汚れなど見受けられない。

にもかかわらず、静琉は冷たいモノがぞわりと全身をかけぬけるのを感じた。エスの気質をもつ黒乙女の紅月冴夜に見つめられた感覚に近いが、それよりももっと禍々(まがまが)しく、得体(えたい)の知れない魔をはらんでいた。


「楽してお金もうけ。

抜け出せない中毒性。

大損と隣り合わせという愚かしさ。

借金で家族や友人に大きな迷惑をかける。

静琉さんはギャンブルをそんなふうに

考えているのでしょう?」


胸の中で思っていることをそのまま読み上げられているような正確な指摘に、静琉は息をつまらせてオルールから目をそらす。


「ギャンブルのそういう面は真実です。

しかし、ギャンブルを楽しまない……

ひょっとしたらやったこともない人たちの

つくりだす偏見(へんけん)と幻想に、静琉さんは

少々(どく)されているようです。

ギャンブルの本質とは、自分のすぐ隣で

ひかえている破滅という死神……

その(かま)の恐怖に耐えながら、運という

不確かで頼りないものにどれだけ身を

預けられるかを試す、心の戦いです」


気がつけば、ずっとオルールの顔を飾っていた笑顔が消えている。その表情は冷たく、美しく、真剣な気持ちがありありと浮かんでいて、オルールのギャンブルへの思い入れを物語っていた。

それでもオルールの言うことを鵜呑(うのみ)みにしてはいそうですかとギャンブル勝負を受けるわけにもいかず、静琉は魔女を見つめて黙ったまま返答に困っていた。大切な友達のフィーユを賭け事の賞品になどしていいはずがないという考えも、静琉の決断をにぶらせていた。


「もしも静琉さんが勝てば、私は

フィーユをきっぱりあきらめます。

二度と静琉さんたちに関わらないと

約束します」


「!」


「そしてもう1つ。

静琉さんはササクラミカを……

荊姫となって眠ったままの少女たちを

助けたいと思っていますか?」


「お、思ってる」


おどおどと答える静琉に、オルールはにこっと笑った。


「荊姫たちも元の身体に戻すと

約束しましょう。

静琉さんが勝てば、2つの欲しい

ものが同時に手に入ります」


静琉は胸をぎゅっと締めつけられるような息苦しさを覚えていた。それは欲しいものを目の前にしたときに感じる強い衝動だ。

オルールとの勝負に勝てば、静琉の上に重くのしかかっていた問題のほとんどが消えて無くなる。勝てば。オルールとギャンブル勝負をして、勝てば。


「さらにもう2つ」


金色の瞳に楽しさをたたえながら、オルールはささやくように言った。


「勝負を受けて頂けるのなら、

私が荊姫を創る目的と、フィーユの

正体。その2つをお教えしましょう。

これは静琉さんの勝敗に関係なく、

必ずお教えします。参加賞のような

ものだと考えて下さい」


「ほ、本当に……?」


「ええ。本当ですとも」


オルールがちらつかせる情報を、静琉はずっと渇望(かつぼう)していた。謎のベールに包まれたフィーユの真相が知りたくて、静琉はこれまで動き回っていたほどだ。そして荊姫を生み出しフィーユを求めるオルールの目的は、フィーユの秘密に直結している。

知りたいという強い気持ちと、ギャンブルに負けてフィーユを失う恐怖が心の中でせめぎ合う。オルールの提示するメリットは、静琉をギャンブル勝負に誘いこむための甘いエサ。それが分かっていても、勝てば得られるものの大きさと参加賞の魅力に静琉の心は揺れる。


「静琉。わたしはいいよ。

わたしを使って、勝って」


「フィーユ……!?」


気がつけば、フィーユが透明化を解除してテーブルの上に立っていた。フィーユは少年のような凛とした顔で、静琉をじっと見上げている。


「わたしは、わたしが何なのかを

知りたいの。

この人はきっと、わたしのことを

知ってると思う。そう感じるんだ」


静琉の左横に立つフィーユは身体の向きを変えて、オルールを見上げた。オルールはあいかわらず手の上にあごを乗せたまま、フィーユに笑みを向けている。

静琉はテーブルのフィーユと向かいのオルールに視線を往復させながら、フィーユの予感はおそらく正しいと考えていた。

アルトに本を燃やされそうになった時、変化したフィーユの姿。その白い髪と金色の目は、目の前に座るオルールのものと同じであり、フィーユとオルールは不気味なほどに似ている。それは、オルールが日本人少女のカムフラージュ姿を解いて正体を現した時からずっと静琉が思っていたことだった。


「あの人に持っていかれるのは恐いよ。

でも、わたしは静琉のこと、信じてる」


そう言って、フィーユはへへっと静琉に笑いかけた。強がりなのか、彼女の笑みはぎこちなくおびえの色がにじんでいたが、これほど強いフィーユを今まで静琉は見たことがなかった。静琉はかすかに笑みを浮かべ、「ありがとう、フィーユ」とお礼を言う。そして、オルールへと視線を戻して金色の目をしっかりと見る。


「もしこの勝負を断ったら……?」


「さあ。まだ考えていませんが、何か

別の勝負で静琉さんに挑戦したい

と思います」


オルールはそれまでの笑みをまったく崩さずにそう言った。しかし、静琉は見えない刃をのど元に突きつけられるような思いだった。恐怖で息がつまり、身体に悪寒が走る。

思った通り、オルールはフィーユをあきらめはしない。女の子を傷つけるのは趣味じゃないと言ってはいるが、オルールの気が変われば実力行使に打って出ることも十分に考えられる。そうなれば静琉はあっさり首を()ねられ、フィーユは100%の確率で奪われる。

顔や肌の色を変え、一瞬で静琉の髪を切断し、しかも切った髪を伸ばして元に戻す魔女オルール。魔女どころか、人とさえ思えない。そんなオルールとまともに戦ったとしても、静琉にはまるで勝てる気がしなかった。

静琉にも勝ち目があるギャンブル勝負に乗るか、それともこの機会を見送ってあるかどうかも分からない次に賭けるか。ギャンブル勝負以前に、この選択自体がすでにギャンブルだった。


「どんなギャンブルで勝負を?」


静琉はうつむいて長考した後、顔を上げ、オルールを見て言った。

オルールはコートの左ポケットから小さな箱を取り出し、それを丁寧にテーブルの真ん中に置いた。名刺ほどの大きさをした長方形の箱で、封を切っていないトランプの箱だった。異様な磁力(じりょく)でも放っているかのように、静琉の視線がトランプ箱にくぎ付けになった。


「ポーカーやセブンスタッドポーカーは

ルールがやや複雑で、カードの役を

覚えるのが大変です。

初心者の静琉さんが不利になって

しまうでしょう。

ここは、ルールが簡単で、なおかつ

単純すぎずに奥が深い…………」


オルールが言ったギャンブルの名を、静琉はまるで知らなかった。前に本屋で見かけた手塚治虫著の闇医者漫画を思い出したが、説明を聞くうちに漫画と同じ名前のギャンブルなのだと理解した。

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