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顔の左右から巻き付いた黒髪は黒カーテンのように少女の顔をおおい隠し、髪はかすかに動き、カーテンの向こう側で何かが起こっている。
すべてはあっという間の出来事で、静琉は息を止めて口を半開きにすること以外は何もできなかった。
髪の色が黒から茶色になり、さらに色が薄まって銀糸を思わせる白色になると、少女の顔をおおっていた髪がふわりと解けた。
目を閉じたままの少女の顔立ちは明らかに先ほどとは異なっている。彫りの深い、日本人離れした異国風の顔。真っ白な長髪におとらない病的に白い肌。すっとまぶたを上げ、静琉を優しく見つめる瞳は異様な金色――。
静琉は驚きで声も出せない中で、少女の姿形と記憶に焼きついているある1人の姿をぴたりと重ねた。
「この目」
口元に微笑をたたえながら左手で左目を指さした。
「この髪」
そう言って、少女は左手で白い髪をぴんぴんと引っぱってみせる。
「目立って困るので、外を歩く時は
肌とか首から上を日本人風に変える
ようにしているんです」
「知ってる……! この人知ってる!
静琉、わたし、こわい……!」
今にも泣き出しそうなフィーユの声にも、静琉はどうしてあげることもできない。静琉は全神経を目の前の白い少女に集中させていたからだ。
「あ、あなたは誰……?
"何"……なの……?」
静琉の声はかすれて震え、口の中はからからに乾き、指先はどんどん冷たくなってゆく。暖房が効いているはずの店内が冷えてゆくように感じられるのは、静琉の強い緊張が原因か、それとも人とは思えない少女が発する妖気が原因か。
「申し遅れました。
オルールです。
よろしくお願いします」
ぺこりと頭を下げるオルール。
その名乗りは静琉の耳に届いていたが、固く凍りついた意識の中に染みこむには数秒の時を要した。
かの魔女オルールが、こうして今目の前に。
喫茶店内という衆目が集まる場所で堂々と現れるとは、完全な読み違い。意表をつかれた静琉はうろたえて恐慌におちいり、座ってオルールを見つめる以外に何もできない。
「そう固くならないで下さい。
別に取って食ったりしません」
オルールはうふふっと可愛らしく笑うが、静琉の心境は笑いとはほど遠い。
この世ならざる亡霊かなにかのような、白い髪に金の瞳。見れば見るほど心に暗い影を落とすような空気をまとっていて、オルールが人を喰うとしてもおかしくないと静琉は思う。
「もうご存じかも知れませんが、
先日おうかがいしたアルトの
主人をしております。
今までフィーユを大切に預かって
いただき、ありがとうございました。
心から感謝します、静琉さん」
真摯な口調でそう言うと、オルールはまたしても頭を下げた。その思わぬ低姿勢に、静琉はおや?と思い警戒心がややゆるむ。
「所有者が貴女で良かったです。
もしも粗暴な人間がフィーユを
手にしていれば、本をどこかに
捨てたり焼却しかねませんでしたから」
「……あなたもやっぱり……
フィーユを取り戻しに私の所へ?」
「そうですけれど、そればかりが
うかがった理由でもないんです」
緊張と恐れで話を先へ先へと進めようとする静琉に、オルールは困ったような苦笑を返す。
「そればかりじゃ……ない……?」
「ええ。順を追ってお話ししましょう」
話は少し長くなるといわんばかりに、オルールは「ふぅ」と小さく息をつき椅子の背もたれに背中を預けた。その様子に敵意や害意はなく、身体から力を抜いている。
「つい先日、私は六花という有名な
式使いの方と戦いました」
「六花……!?」
静琉はあまりの驚きで、店内だというのに大声を上げてしまった。
六花。当代最強最高の式使いともいわれ、以前白夜堂に現れた若い女性。その姿と王のように尊大な印象がすばやく静琉の頭を駆け抜けた。
「六花さんは噂に違わない……いえ、
噂以上の素晴らしい使い手でした。
この私が死の寸前まで生命を削られ
たのです」
「六花さんは……六花さんはどう
なったの……!?」
オルールは愛しい思い出を反芻するようにうっとりとしていたが、静琉はそれどころではなかった。「おや? お知りあいですか」と微笑むオルールに、静琉は「ちょ、ちょっとだけ……」と答えてテーブルの上に視線を泳がせる。
「六花さんも傷を負ったようですが
命に別状はないと思いますよ。
歩いて帰っていきましたから」
生きていて良かったと安堵し、静琉は息をもらす。しかし、黒幕のオルールと対面しているのに何を安心しているんだとすぐに思い至り、視線と意識をあわててオルールへ集中させた。
「戦いによって、私は大部分の力を
失いました。
内側の傷が治り、体力が回復する
までは人間並みの力しか出せません」
自身を不利にするような情報をあっさりしゃべったオルールは綺麗な身体をしていて、どこかを負傷しているようには見えなかった。服で怪我が隠れているのかもしれないし、そもそも力を失ったという話自体が真っ赤な嘘かもしれない。話の真偽は不明で、やすやすと信用するわけにはいかなかった。
「前にササクラミカの身体に乗って
お会いした時、私が荊姫を作り
続けていることをお話ししたでしょう。
現実に絶望した少女たちを救う
ために、彼女たちを荊姫にして
いるのですが……親族の方からは
怨みや憎しみを買うかもしれません。
そういった方の行動ならば納得
できるのですが、六花さんはあくまで
自分のために私と戦いました。
六花さんが私の前に現れたのは、
一種の偶然といえましょう。
この偶然に、アルトと私は何か……
運命的なものを感じとりました。
私の願い、計画を、運命の力……
世界の意思と言い換えてもいいで
しょうが、それが押しつぶそうとして
いるのかも知れません。
世界が私を拒絶しているのか、
それとも受け入れているのか……。
私の運命を試すために、こうして
フィーユを所有する静琉さんの前に
現れたというわけです」
「運命を……試す……?
一体、どうするつもりなの……」
「静琉さん」
オルールはずいと身を乗り出し、静琉の目をまじまじと見た。金色に光る魔性の瞳にけおされ、静琉は目を見はったまま後退りするように椅子の背もたれに背中を押しつけた。
「フィーユを賭けて、私と勝負
していただけませんか?」
勝負。まさか、この喫茶店内で始める気か。それとも、アルトがやったようにどこか奇妙な世界へ引きずりこむ気か。いや、場所など問題ではなく、あの六花と渡り合うような魔女……アルトの主人と戦って勝てるのか。恐ろしい感情を交えた思考が静琉のすべてを支配していた。
「ところで静琉さん。長い髪を
おもちですね。
そんなに長くてはさぞ手入れが
大変でしょう?」
突然の脱線に、オルールが何を言っているのかといぶかりつつ静琉は警戒を強めてゆく。
「短い髪もお似合いかも知れません。
少し、試してみましょうか」
蛇が首をもたげるように、オルールの髪のひとふさが動いた。静琉はそれを目で見たが、何かを思う前に顔をなでる微風と、何かが床に落ちる音を感じた。
静琉が床を見てみれば、そこには黒い糸が大量に散らばっている。数秒間見続けて、それが人の髪の毛であることを理解した。
妙に風通しが良くなった首周りと少しだけ軽くなった頭をおかしく思い、左手でそろそろと肩の周りを触ってみると、そこに伸びているはずの黒髪がない。髪の端は耳の下まであがり、髪が短く切られている。
静琉がおそるおそるオルールを見てみれば、オルールは身動きひとつせずににこにこと笑っている。しかし、彼女の髪のひとふさが合わさってナイフのような形に変わっていた。それを静琉に見せつけようにオルールの顔の横でゆらめかせている。
「短い髪は……あまり似合いませんね。
貴女には黒い長髪がよく似合います。
静琉さんはヤマトナデシコなのですね」
「……うぇっ!?」
オルールがふふっと笑うと同時、静琉は無数の小さな虫が後頭部をはっているような違和感を覚えた。そのおぞましい感覚に身をこわばらせていると、視界の端に黒いモノがゆっくりと伸びるのに静琉は気づく。
やがて違和感は鎮まり、今のはオルールのしわざかと思って正面を見るが、オルールはさっきの姿勢と笑顔のまま。
視界の端にとらえた黒いモノを確認するために自身の胸元を見てみると、そこには普段通りの黒髪が在る。手で触れてみれば、それは静琉の髪の毛に間違いなかった。床には切断された髪が落ちたままで、静琉の髪が伸び長髪に戻ったのだ。
「失礼しました。でも、論より証拠、
ともいいますし」
その声を聞き、静琉はオルールの脅威を思い出した。顔を上げ、呼吸を止めて、オルールを見つめた。オルールは白い髪で造ったナイフを揺らし、そしてもう充分だといわんばかりにナイフの形を解く。髪のふさは重力にしたがい、ふわりとたれ下がる。
「力をほとんど失ったと言っても、
人の首を刎ねるくらいなら簡単です。
でも、それではあまりに野卑でしょう?
それに、女の子をいじめるのは
趣味じゃないんです。
男だったら手加減しませんけれど」