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あまりに強大な力の式を何度も使いすぎたこと。そして知覚を強化し人体の限界を超えて動き回っていた負荷が、ここにきて一気に返ってきたのだ。


「ぐ」


重いうめきを短くはき、六花の(はがね)の精神力とは無関係にひざが抜け、その場にひざまずく。

これまで六花が戦闘で傷つけられたことなど、まったくといっていいほどなかった。だから彼女は痛みに不慣れで打たれ弱い。激痛に泣き声を上げてのたうち回るようなことは決してしなかったが、立ち上がろうという六花の意思に身体がついてこない。

ぐらぐらと揺らぎ、ぼんやりとかすむ視界の中央にはいまだ黒ずくめの化け物が立っている。勝敗は、決したのだ。

式使い六花の力は、魔女オルールにとどかなかった。だがそのことへの悔しさや悲しさは感じず、胸にぽっかり開いていた大穴と心の饑餓(きが)がすきまなく満たされたような充実感だけがあった。

ほとんどの敵は最初の一撃だけで倒してしまったから、こう何度も式を使う戦いは初めてだった。自分の組んだ式がこれほど身体に無理をかける代物(しろもの)だとは、六花自身ですら知らなかった。知らないことを知ったのは、身体と心の限界まで力を振りしぼったから。

掛け値なしに、ここが限界。力を振りしぼり、限界までやって、戦って死ぬ。そのことへの後悔や恐れはまるでなく、ただ楽しかったと思うだけだ。

耐えがたい激痛は感じていても、心は満たされていて六花はほのかな笑みを浮かべる。そして勝者であり、敗者の六花を殺す正当な権利をもつオルールを正視した。

頭の右半分が消え、右腕を失い、左わき腹が大きくえぐれたままのオルール。不意に彼女の表情が遠くなり、前のめりになって頭から床に倒れた。

うつぶせに倒れたオルールの手足がゆっくりと溶け出し、暗闇がそのまま水になったようなどす黒いモノへ変わってゆく。頭や右腕の断面からも、生き物が血を流すかのように黒い液体が溶け出していた。


「――まいりましたね。

私、ちょっと死にそうです」


ふふっとか細い声で笑った後、オルールは目を閉じて痛みにあえぐ様子を見せた。

六花は片ひざを突いたまま、無我夢中で戦っていた時の状況を思い出そうとした。六花の攻撃式を身に受け続けるオルールの動きがだんだんにぶり、体の再生もおぼつかなくなっていたようだった。それを六花は他人事のように思い出した。

本当に不死身かと思われたオルールも、その正体は有限の生命をもつ存在だったのだ。六花の式で身を消され続け、再生を続けるうちに体力を消耗し確実にダメージが蓄積(ちくせき)していったのである。その結果オルールの生命力は()きかけ、彼女は死にかかっている。そのことを六花は痛みに耐えながら考えた。


「六花さん、私はもう動けません。

どうぞ。とどめを刺して下さい」


戦いのさなかずっと浮かべていた笑みを薄く、やわらかくしたように微笑し、オルールはすっとまぶたを下ろす。満たされた顔のまま、最後の時を待っていた。


「私も、もう戦えない。

ここが限界だ」


表情を消し、無感情な声で六花は応えた。

動けなくなったオルールを殺すくらいならできるが、式の反動で六花も死ぬ。六花には死など恐くもなかったが、胸は心地よく満たされていて充分だった。ここでオルールを殺して魔女を超えようとも、死のうとも六花は思えなかった。


「オルール。決着は次に

持ち越さないか。

研究が完成した後でも、

それはそれで面白そうだ」


この館に踏みこんでから、六花は初めてオルールの名を呼んだ。オルールがさらなる化け物……無限の生命へ昇華しようと、また戦ってみたいものだと六花は思っていた。その時は一方的に殺されるだろうが、また限界まで力をふるえることは間違いない。


「次、ですか――」


少しの時を経て、オルールは優しい声で言った。


「次はもうありません。

私にとっても残念ですが」


「そうか」


再戦の意思をもたないオルールを、六花は不思議なおだやかさで受け入れた。腹を満たした獅子(しし)が他の動物を襲いはしないように、今の六花もあえて戦いたいとは思えなくなっていた。


「六花さん、貴女には私と近しい

ものを感じます。

力、気質、そして生きるのに退屈

しきっていること」


崩れかかった身体とその痛みにあえぎながらしゃべるオルール。その言葉に、六花はじっと耳をかたむけていた。


「知っての通り、孤高(ここう)とはさびしい

ものです。

世界中のどこにも自分の居場所が

ないように思えてしまいます。

私たちは歩くことが速すぎるのです。

あえて足の運びをゆっくりにして

誰かといっしょに歩くのも、あんがい

悪くないものですよ。

ねえ、アルト?」


オルールの呼びかけで、見る影もなく破壊された部屋の裂け目からずっと中をうかがっていたらしいアルトが飛び出してきた。オルールにかけ寄って横にひざまずき、その重態に声をつまらせる。そして強い怒りと憎しみをこめた目で六花をにらみつける。

崩れた壁と粉々になった調度品、そして家族か何かのように寄りそうオルールとアルト。それらを前にしても六花は罪悪感や後悔などまったく感じなかったが、オルールの言葉だけは胸に重く響くものがあった。オルールの助言は水面に放りこまれた(なまり)のように六花の心の中へ沈みこんでいった。

もう用事は済んだ。そう思い、六花は帰ることにする。

痛みに悲鳴を上げる身体を無視し、六花は足に力を入れてふらりと立ち上がる。両腕は折れていて、右のあばら骨も折れている。動きにつられて振り子のように揺れる腕ときしむあばら骨は、六花の顔を苦痛でゆがめた。

攻め続けることしか頭になかったから、自身の傷を治癒(ちゆ)させる式本は用意していない。六花へのダメージを肩代わりする綺化式も、攻撃式を使い続けた反動を軽減して0%になった。ダメージという呪いに浸食された本は二度と使えず、元から使い捨ての本である。痛みに耐えながら出て行くしかない。


「さようなら。六花さん。

お元気で」


アルトにあおむけに抱き起こされたオルールが、部屋を横切る六花にそう言った。その声は静かで重く、まるでこれが最後の別れのような言い方だった。

六花は立ち止まり、傷を刺激しないようにゆっくりとオルールの方を向く。アルトはあいかわらず敵意もあらわににらんでいたが、オルールは優しく微笑んでいた。


「じゃあな。オルール」


笑みにつられたわけでも愛想笑いでもなく六花から笑って、数秒間オルールを見つめた後、六花は壊れ果てた客間を後にした。

オルールが言った通り、もう二度目の戦いはない。また会うことも永遠にない。透明な天使が耳元でささやくように、確信めいた予感が六花の脳裏をよぎった。

結局、オルールと殺し合っても彼女の正体に触れることはできなかった。実験のために罪のない少女たちを犠牲にする"魔女"の一面。そしてそれを慈善活動とさえ言ってはばからない"悪魔"の一面。六花の式を受けても受けても死なずに身体を復元させる"化け物"の一面。そのどれもがオルールを表していて、どれも彼女の本質を言い表すにはずれているように六花は思う。アルトへ、そして敵の六花へ向けるオルールの愛に満ちた顔が記憶に焼きついて離れない。

オルールについての興味はあっても、そもそも今夜の目的は楽しむこと。そして六花と似たもの同士のオルールが道の果てに何を求めているのかを知ること。二つの目的は充分に達成された。オルールについてあれこれ思うより、とりあえずどうにかしなければならないことがある。

両腕の骨は砕けていて、車の運転はおろかハンドルをにぎることすらできない。ベンツはここに乗り捨てていって、近くの家を訪ねて住人にタクシーを呼んでもらおうと六花はいらいらしながら考えた。救急車でそのまま救急病院に運んでもらいたいほど痛みが酷かったが、救急車のサイレンをオルールに聞かれるくらいなら痛みで死んだ方がマシだった。

すでにオルールから使用人たちへ指示が下っているらしく、六花は彼らから襲われることも何かを言われることもなく、メイドにうやうやしく玄関ドアを引かれてオルール邸から外へ出た。六花は後ろを振り返ることもなく、夜の高級住宅街へと消えた。



「オルール……!

しっかりしてくれ!

死なないでくれ!」


今にも泣き出しそうな顔で抱きしめるアルトを、オルールはうつろな目と表情で見返した。


「死には、しませんよ。

傷が深すぎて再生が

追いつかないだけです。

致命傷ではありません」


苦しみながらかすかに笑うオルールの身体は、かろうじて人の形に戻っている。炎天下(えんてんか)に放り出された氷菓(ひょうか)のようにどろどろと溶け出していた手足も液状化を止め、元に戻りつつあった。欠けた頭だけを糸で最低限修復し、それ以外の消えた右腕と左わき腹はそのままだった。そこを治す力も残っていないほど、オルールの命は消耗(しょうもう)していた。


「本当に……素晴らしい……

時間を忘れる戦いでした……。

あのまま死んでいても、私は

まったく構わない気分でしたよ」


「オルール、また君はそんな

ことを!」

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