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オルールの事はずっと前から心のすみにとどめていた。しかし、日々の仕事に追われるうちに少しずつ奴への関心が死んでいった。式の書き手として働き金に埋もれるうちに、私はいつからか牙も爪も()がれていたらしい。式使いが得意な式はその人間の性格や気質に大きく影響される。私の得意系統を考えれば、平和や安楽などとは真逆(まぎゃく)の位置が私の居場所であることは明らかだ。私はそれを忘れていた。

バイト店員の話によれば、オルールは女たちを眠らせて実験を続けているらしい。自分の目的のためには人をいくらでも犠牲にするのは、まさに悪魔の所行。

だがそれは、自分のために奴を殺そうとしている私と大差ない。奴の命を奪っても、私という人間はきっと罪悪感のかけらも感じないだろう。私とオルールは確かに同類。だからこそ奴と殺し合う価値がある。

この世に並ぶ者がいないほどの強大な力をもち、(せい)()いているだろうオルールは私と同じ道を歩んでいる。そんな異端の魔女に触れれば私の道の先が分かるだろう。力を求めた道の先に何が待っているのかが。

そして、奴との戦いこそ私が望む死闘。勝つことが当たり前になって、今ではもう望むべくもない苦闘がそこにある。生命を燃焼し尽くし、全身の血が凍りつくような戦いが。

それを思うと自然に口が笑みの形に歪む。久しく忘れていた勝敗が見えない戦いを前にして、身体が熱くなり期待に胸がおどる。

そう、この感覚だ。私が式使いとして進んできた道の原点は。自分が組んだ式を全力で強敵にぶつけ、生と死のはざまで揺らぐこと。それこそが私の求めた灼熱(しゃくねつ)の時。

オルールは"何"かすら分からない存在で、力が及ばず私は今夜オルールに殺されるかもしれない。そのことにも、私は恐怖は感じない。私は生まれつき感覚の一部が壊れている。退屈しきったままぐずぐずと生きながらえるよりは、前のめりになって死んだ方がよほど良い。私のいかれた人生にふさわしい幕引きだ。


                                          六花より、自分自身へ



オルールの館の一室。空き部屋で長らく放置されていた場所だが、今はオルールの実験室としての役割が与えられた。華美(かび)なシャンデリアから降る白い光の下、オルールがひとり部屋の壁に向かって立っていた。

3メートル四方の壁に"森"が広がっていて成熟した"森"の一部は今や翠色(みどりいろ)から褐色(かっしょく)に変わり、意思をもつかのようにゆらゆらと動く異形の枝やつたは巨大化した軟体生物の触手を思わせる。これはほんの氷山の一角で、壁の境界面の内側には遙かな先まで森が続いている。

初めは手のひら大だった"森"がここまで生長したのは、以前街に放たれた人形の仕事の成果だ。荊姫となった少女たちのぬけがらが街のいたる場所に不可視の式を記し、その式が街から人知れず養分を吸い上げ、"森"へと供給し続けている。

オルールは"森"の一部の前に立ち、金色の瞳に知の光をたたえながら森を見つめていた。小さなあごに左手を添えてひとくさり思案した後、右腕をおおう白色ブラウスの長そでをまくった。

素肌ではだめだった。だから二度目は条件を変えて試す。繊細にして頑強な守りの黒糸を二の腕から無数に生やし、それで右腕を何重にも包みこむ。そうやって厳重に守られた右腕は、まるで籠手(こて)でも着けているかのようだった。

オルールは右手を伸ばし、見るもおぞましい"森"の内側へとためらわずに右腕を差し入れた。空間と"森"の中をへだてる境界面は粘度(ねんど)の大きい水にも似ていて、ずぶずぶとオルールの腕を飲みこんでいった。

昆虫の脚か何かのようにうごめき続ける褐色の植物たちに異変はないが、オルールは歯を食いしばり苦痛にわずかに顔を歪める。

これ以上は無駄だと思ったオルールが境界面から腕を引き抜けば、案の定"森"の中に入れたひじから先が綺麗に失われていた。断面はピアノ線で一気に切断したかのようになめらかで、何かに喰われたというよりも向こう側にもっていかれたといった方が正しい。オルールは半分になった右腕を落ち着いた様子でまじまじと見た。


「やはりこの身体のままでは――」


「オルール様」


木製のドアがノックされ、ドアの向こうから女使用人の声が届いた。オルールは顔だけドアの方へ向ける。


「お客様がお見えです。

六花、とおっしゃる方でございます」


知り合いにリッカという名の人間はいないが、綺化式使いの六花ならば記憶の中にある。極めて優れた式の使い手、書き手だと。なにやらきな臭い未来を期待して、新しいおもちゃを前にした子どものような笑みをオルールは浮かべた。


「お通しして。

上等のお茶とお菓子を忘れずに」


右腕の切断面から無数の黒糸をゆらめかし、それらを瞬時に()みあげてひじから先の形をとりながら、オルールはドアの向こうの使用人に指示を下した。

「かしこまりました」と返事を残して使用人は言いつけられた仕事に向かい、オルールは元通りに再生させた右手を開いたり閉じたりしながら、「何が起きるのでしょう」と期待に胸をはずませた。



骨董品(こっとうひん)の皿や味わい深い風景画で上品に飾り立てられた広い客間に六花は通された。黒檀製(こくたんせい)のテーブルをはさむかたちで二つの背もたれ椅子が備えられ、六花はその片方に座っていた。

六花は黒いインナーの上にひざまでとどく純白のトレンチコートをはおり、下はタイトな黒いジーンズをはいている。茶色のショートブーツをはいた脚を悠然と組み、オルールが現れるのをじっと待っている。あまりに堂々とした態度なので、はたから見れば彼女がオルール(てい)の主人だと誤解されかねないほどだ。

メイドから丁寧に差し出されたウエッジウッドの紅茶も(いちご)のトルテのピースも、六花はそれを空気のように無視していた。

紅茶の湯気が消えかかるころ、ドアが開きオルールが姿を現した。

オルールは瀟洒(しょうしゃ)なノースリーブのワンピースをまとっていて、その色は六花のコートに劣らず新雪のように白い。彼女の白い長髪、白い肌と合わさって、天上から舞い降りた神の使いを思わせる姿だった。


「初めまして、六花さん。

オルールです」


優雅にお辞儀をするオルールに、六花は無表情のまま「六花」とだけ答えた。オルールは優しく微笑んだまま六花の向かいに座り、六花の後ろにひかえていたメイドに視線で退出を命じる。それを受けてメイドはすみやかに部屋から出て行った。


「六花さんのお(うわさ)

かねがね……」


「世間話をしにきたのではない」


夜に訪ねる不作法をわびすらせずに、六花はオルールとのなれ合いを(こば)んだ。


「お前が女たちの精神を本に

転写し続けていることを知った」


六花の声は凛として、そこにはオルールの悪行を責めるような感情は何も含まれていない。オルールは少しも動じる様子を見せず、「それをどこで?」とにっこり笑いながら応えた。


「どこでだっていいだろう。

"肉体と精神の分離"、

そして

"精神の生物的運営"。

それがお前が続けてきた

という研究のテーマだ」


「おっしゃる通りです」


風聞(ふうぶん)の中にしかその名を表さない伝説的な"悪魔"。幻の少女を前にしても、六花はまゆ一つ動かさずに淡々と話を進めた。


「おおかた予想はつくが、念のため

聞いておく。

なぜ人の女を眠らせる?

お前にとって人間など実験動物(モルモット)

等しいということか?」


「まさかそんな。滅相(めっそう)もありません」


オルールは外見相応の少女的な笑みを浮かべ、やんわりと六花のもの言いを否定した。


「んーー。そうですねぇ……」


オルールは左手の人差し指を口元に当てて数秒考える様子を見せた後、パッと(はな)やかな笑顔を見せた。


臨床試験(りんしょうしけん)と慈善活動をかねて、

という理由です」


「慈善活動、だと?」


「はい」


後ろめたさも迷いもいっさいにおわせない、はっきりとした明るい返事。オルールは誇らしげですらあった。

この2人の会話において、人体実験の倫理的問題などかけらも話題にされていない。人の世の常識からかけ離れた狂気の雰囲気が生まれる理由は、六花とオルールの両名が常識の遙か外側に身を置く人物であるからだ。


「六花さん。私は可哀想な少女たちを

つまらない現実から解き放っています」


「ふむ?」


「か弱く、繊細な彼女たちには、時に

現実の重みに耐えられません。

だから疲れてしまった少女たちの心を

本の中へ移して差し上げるのです。

皆さん幸せそうですよ。嘘じゃありません。

すべては同意のもとで行われました。

精神を転写した後、精神のぬけがらは

童話のいばら姫のように眠ったきりです。

そこで私は、本の中に生きる少女たちを

"荊姫"と名付けました。

お話のいばら姫は王子様の口づけで

百年の眠りから目を覚まします。

でも私の荊姫たちはずっと優しい夢の中。

辛い現実も嫌なものもいっさいない世界。

時が止まった本の中で、どの子も本当に

安らかに暮らしています」


「ほう」


自身の善行を確信し、うっとりとした表情で話し続けるオルール。そこには六花をあざむこうとする気配はみじんもなく、オルールの態度から本の中の少女たちが幸せだというのも多分本当だろうと六花は思う。

六花は短いあいづちを打ちがてら、石像のように固まったままだった無表情を笑みに変えた。六花という女に笑顔などは不釣(ふつ)りあいで、彼女の笑みは無表情や怒り顔よりも恐ろしい何かをたたえていた。


「そうやって女たちを救ってやるついでに

精神の抽出実験(ちゅうしゅつじっけん)を重ねているわけか」


「まさに一石二鳥です」


「眠ったきりの女たちはどうする?

体が魂のぬけがらじゃ目覚めない」


「起こすつもりなど最初からありませんよ?」


怒りも憎しみもこもっていない無関心な言葉に、オルールは小首をかしげながら微笑んで答えた。


「苦しみと悲しみに満ちた非情な現実、

年老いてゆく肉の器にどんな価値が

あるのでしょう。

咲き続ける美しい花はただそのままに。

みずみずしい青春の時間は永遠に。

それが荊姫たちの幸福だと私は考えます。

彼女たちを夢の世界から現実に引き戻す

ことなど、残酷すぎて私にはできません」


「お前の目的と哲学(てつがく)はよく分かった。

一言だけ、言わせてもらおう」


あどけない少女と同じ無垢な微笑をたたえるオルールに、六花もにっこり微笑み返す。


「"死ね屑野郎(くずやろう)"」


六花のその言葉を引き金にして、トレンチコートの内側に仕こんだ式本の1つが反応。瞬時に式が発動。

オルールがまばたきをするよりもはるかに短い時間で殺戮(さつりく)の綺化式が到達し、爆弾が爆発するような轟音(ごうおん)を立ててオルールの首から上を消し飛ばした。

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