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アルトは眠ったきりで、静琉が式を解かないかぎり心が拘束されたまま動き出すことはない。静琉はそれを思い、アルトから離れて出口を探し始めた。

照明のような空の白い円には手が届かない。白い円に群がっている生物たちは遠目に見るのもおぞましい姿形をしていて、調べてみようなどという気すら起こらなかった。

道はずっと先まで伸びているが、道の横幅はおよそ10メートルほどだった。道の側面には黒色の壁のようなものがあり、それはざらざらとした岩のようなもので出来ていた。

壁をつたって歩いていると、たまにぽっかりとあいた大穴がある。それは大人の男でも充分に通れるアーチ状の穴で、出口かと思ってくぐってみると、穴の先には今までと同じトンネル道がずっと続いている。

静琉は恐ろしくなり、すぐに元の道に引き返した。無数の木々が連なる樹海がそうであるように、単調な景色の中をずっと進んでいると方向感覚が狂って今いる場所が分からなくなる。やみくもにトンネルのわき道を突き進めば、アルトがいる場所に戻れなくなってしまうだろう。ここは巨大な迷路に等しいのだ。

元いた場所の周りを10分以上うろうろした結果に分かったことは、とても静琉の手に負える場所でないということだけ。

ここは人がやって来ることのない隔絶した場所、世界の狭間(はざま)うんぬんとアルトが言っていたのを静琉は歩きながら思い出す。彼女の言葉がおそらく真実であることを静琉は肌で感じとった。

こんな異様な空間に静琉独りで残されたら恐怖と絶望でほどなく発狂するだろうが、現実世界に帰還する手は残されている。

この無限通路に引っぱりこんだアルトに元いた場所へ戻してもらうしかなかった。しかしそのためにはアルトを起こす必要があり、彼女が素直に出してくれるとは考えにくい。それどころか起きたとたんにまた戦いが始まるかもしれない。そうなればすでに持ち技を出し尽くしている静琉は負ける。


「どうしよう」


フィーユを心配させまいと静琉はこれまで気丈(きじょう)に振る舞っていたが、ついそんな弱気な言葉が口をついて出た。

静琉は悩みながら、とぼとぼと初めの場所まで戻った。


「あ……?」


そこに横たわっているはずのアルトがいなかった。一瞬場所を間違えたかと思ったが、静琉が落とした学生カバンはちゃんと残っている。式の効果はちゃんと続いていて、心を封じられたアルトが動けるはずがない。アルトが消えてもう二度とここから出られないという現実を受け入れまいと、静琉の思考は一瞬停止した。

その直後、式が破られた感触が身体を走り、静琉は反射的に右手に持ったままの式本に目をやる。この時も何かを考えられる精神状態ではなかった。

背後から突き出した左手が静琉の口をふさぎ、同じようにして現れた右手が静琉の右手首をねじり上げる。その痛みに、静琉は思わず式本を地面に落とした。

静琉が必死に首を後ろにひねって見れば、宙空に浮かんだ黒いもやを境界線として右腕と左腕が別々の場所から伸びている。悪夢のごとき光景であった。

右腕は静琉の手首から手を離すと、静琉の全身を右手で素速くなで回した。右手が通った後には(すみ)で塗ったような黒い(あと)が残った。

静琉の全身に塗りつけられた黒い跡は邪悪な蛇のごとく身体の表面をすべり、つながり合って静琉を締め上げる。そうやって静琉はたちまち縛られ、自由を失い地面に倒れた。すべては一瞬で、式本を落とし混乱の極みにあった静琉にはどうすることもできなかった。

腕を出していた黒いもやが大きくなって、その中からアルトが歩み出た。彼女の口元は冷笑をたたえ、静琉を見おろすこの状況にアルトは満足げだった。


「想像以上に厄介(やっかい)な式使いだ、

君は。

しかし、こうしてしまえばもう何も

できないだろう?」


アルトはそう言って、地面に落ちた護身用の式本を遠くへ蹴飛ばした。静琉を縛る前に口を封じたことといい手から式本を落とさせたことといい、アルトは静琉に二度と式を(とな)えさせないつもりだった。


「どうやって式から抜けたの?

心が止まっていたのに、どうして」


うつぶせに倒れた静琉は首を右後ろ側にひねってアルトを見上げる。静琉が式でアルトを縛ったように今度は静琉が拘束され、背中へ伸ばした両腕もそろえて伸ばした両足もまったく動かない。ギロチン台にすえられた死刑囚のような心境を静琉は味わっていた。


一時(いちじ)はどうなるかと思ったよ。

君の式は強力だが、不完全だ。

式のほころびから少しずつ食い

破ったのさ。

まったく骨が折れる作業だったよ。

式の作用で頭が上手く働かない。

その上、君に気づかれないように

最後まで式を破らなかったから」


気を失ったかに見えたアルトが式の解除を進めていたのに気づかなかった原因は、静琉の油断とアルトの策略。水面下で活動し続けていた革命派が不意に蜂起(ほうき)して王政を打ち倒すように、静琉をからめとる直前までアルトはあえて式のすべてを破らず油断を誘ったのだ。

静琉は自分が情けなくて泣きたくなった。黒い蛇のようなモノに全身を拘束された時、静琉のそばにフィーユの白い本が落ち、身を護る力をもたないフィーユは静琉の顔に寄りそって震えている。

そんなフィーユに、静琉はどうすることもできない。どうしてもっとアルトの変化に注意していなかったんだろう。

いや、そもそも敵を確実に活動不能にできる完全な式が書けていればと静琉はくやむ。基礎をしっかり勉強せずに修行を積んでいないから、ずさんな式を書いてしまう。にわか仕立ての式など実戦では通用しないんだと静琉は目をきつく閉じた。


「君は手も足も出ない状態だ。

肝心(かんじん)の式本はずっと向こう側。

君はこうでもしないと何をするか

分からない危険人物だ。

さて」


アルトは身をかがめ、悠々(ゆうゆう)とフィーユの本を拾い上げた。フィーユは「あっ」と小さくさけび、静琉の横から消えて本の中へ引き寄せられた。静琉は「フィーユ!」と声を上げて身をよじるが、身体がわずかに左右に揺れただけだった。

アルトは本を開き、ページの間に立つフィーユと対面した。フィーユは身を縮めてびくびくとアルトを見上げているが、アルトの方にはフィーユを思いやる様子は無い。


「こうして君を手に取るのは

本当に久しぶりだ、フィーユ。

せっかくの再会だけど……

残念ながらすぐにまたお別れだ」


少しだけ悲しみが混じった声でそう言うと、アルトはスーツのふところから刃物のような銀色をしたオイルライターを取り出した。


「やめて!

フィーユを傷つけないで!

その子に罪なんかない!」


「その通りさ」


静琉は力のかぎりさけんだが、アルトは人形のように熱のない無機質な表情でつぶやいただけだ。


「フィーユ自身に罪など無い。

フィーユの存在自体が問題

なんだ。

放っておけば、フィーユを引き金に

この世に地獄が具現する。

フィーユと君には気の毒だけど、

人々のため、オルールのため、

フィーユは消去する以外にない」


「オ、オルールはフィーユを取り

戻したがっていた……!

オルールの願いをつぶす気!?」


アルトが右手を振ったと同時、くさび型をした黒い闇が四つ、静琉の頭の周りを囲むようにして突き刺さった。


「だまっていろ透風静琉。

次は、当てる」


アルトの凛とした声には、隠しようのない怒りがにじんでいた。

固体化した闇のようだった四つのくさびは、放たれてから数秒後に輪郭(りんかく)がぼやけ、霧のようになって空気の中へ四散した。それでも地面には刺さった跡がしっかり残っていて、静琉は息を呑み言葉を失った。


「君にオルールの何が分かる?

オルールは悲しみ、苦しんでいる。

変わってしまったオルールを元に

戻してあげるのが、僕の務め。

今度は僕が、オルールを助ける」


「アルト、あなた、フィーユを

燃やしたりなんかしたらきっと

殺されるよ、オルールに……」


信念にかられたアルトを揺らがせるには、もはや少しでもありえそうなことを言って恐怖心を呼び起こすしかない。黙れという命令に背いた決死の言葉に、アルトはなぜか笑いを返した。


「そうかも知れないね。

だけど、今の僕の命はもともと

オルールに拾ってもらったもの。

だから彼女に命を()れようが、

もとの死ぬはずだった運命が

また僕の前に戻ってくるだけさ。

殺されようが、相手がオルール

なら僕はかまわない」


アルトは遠い目をして言った後、ライターのふたを指ではじき、フリント・ホイールを回してついに火を(とも)した。「さようなら、フィーユ」とつぶやいた後、アルトはライターの火を本の端へ近づける。


「やめてーーっ!!」


静琉は目を閉じて絶叫(ぜっきょう)し、一秒にも満たない刹那(せつな)の時間にフィーユとの楽しい思い出が頭をかけめぐった。

本に近づけられる破滅の火をがたがたと震えながら見つめていたフィーユは、静琉のさけびにはじかれるように目をぎゅっと閉じて「いやーっ!」と大声を上げた。

次の瞬間、フィーユの小さな身体が目もくらむ白い光を発した。「な……!?」と短い驚きの声を上げたアルトが白い本を取り落とし、静琉は光が生まれた方に顔を向けたがまぶしくて何も見えない。

地面に落ちた本を、見知らぬ少女がゆっくり拾い上げた。そして左手で本を持ち、アルトへと目を向ける。

服装はフィーユのものと同じ。しかし髪の色は雲のように白くなり、その瞳は満月のような金色に変わっていた。手のひら大だった身体は人間の少女と同じ大きさとなり、12歳前後の外見へと成長している。さなぎから美しい(ちょう)への羽化。(つぼみ)から雪のように白い花の開花。そんな事を想わせる変貌だった。

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