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「馬鹿な女だ。透風静琉。

僕は僕なりに(すじ)を通した。

本を勝手に盗むことも、君に

危害を加えることも()けた。

話し合いだけで済ませようと

思ったのに」


アルトの顔にそれまでかすかに浮かんでいた情けの表情が消え、彼女は冬の空気のように冷たく凛とした顔になった。

死者のための場所のような音のない暗黒世界。暑いのか寒いのかすら分からないその場の空気が静琉の身体をねっとりと包む。静琉の視線とアルトの視線が交差し、静琉は空気がどんどん張りつめていくのが分かった。数メートルの距離をあけたまま、2人はその場を動かない。

式使いとして未熟(みじゅく)なうえに実戦経験はほぼゼロ。あまりに大きな不利を(おぎな)うために少しでも相手の情報を得たい静琉は、アルト感情を盗み視る。

夜のように場が暗いのでかなり視えにくかったものの、アルトが敵意と決意の感情を半々にまとっているのがおぼろに視える。アルトの言葉ははったりではなく、本当に力ずくでフィーユを奪うつもりだ。

どこか遠い場所から夢でも見ているかのように現実感を欠いた意識の中で、やはり恐怖はほとんど感じない。大怪我をすると人体は苦痛を遮断することがあるが、恐怖も同じかもしれなかった。静琉は恐怖を忘れつつフィーユは必ず護ると誓いを立てた。

フィーユを出会ってから静琉の気持ちは輝き始め、彼女はもう少しで大切な何かがつかめそうな気がしていた。可愛らしい友達のフィーユを失ってなるものかと、静琉は心の内でかつを入れる。

おびえるフィーユは静琉の肩に乗ったまま首に寄り添い、すがるように両手で黒髪をにぎりしめていた。そんなフィーユを思考のかたすみで意識しつつ、静琉はアルトの感情にも注意もおこたらない。

感情は心の働きから生まれる呼気(こき)のようなもの。だから感情が視えれば相手が何を考えているのかをある程度読むことができる。これを利用しない手はなかった。

佐々倉美香の身体を操って会いに来たオルールは静琉を純粋な人間でないと見破ったようだが、感情を視る能力までは知らないはずだ。オルールの部下のアルトも静琉の能力を知らない可能性は高い。

静琉が縛りの式使いであることを、アルトは以前のやりとりで身をもって理解している。式本を右手に持ち臨戦態勢の静琉を警戒しているのか、アルトは静琉をにらんだまま動かない。秒単位で緊張が増してゆく一触即発の状況だった。

アルトの感情図が大きくゆらぎ、「覚悟」と「決意」がはね上がる。アルトが仕掛けるつもりであることを知り、静琉はこれまで以上に意識をとぎすまして呼吸を止めた。

アルトが右手を上げて手のひらを静琉に向けたと同時、静琉は横に()けた。アルトは右手に黒い霧のようなモノをもやもやとまとわせながら、静琉の動きを目で追っている。彼女の目は大きく見開かれ、少なからぬとまどいを味わっているようだった。

それまでじっと止まっていた(まと)が突然動き出せば、狙い手は混乱して照準が狂う。それが撃つのと同時となればなおさらだ。


「"拘束式(こうそくしき)①"!」


アルトと大きく間合いを取った静琉は、走りながら昔式本に書いた呪縛の式を発動。不可視の糸が一瞬でアルトの身動きを封じ、彼女は静琉に顔を向けた姿勢のまま固定された。

アルトは「くっ……」と小さくうめいた後、糸を破壊して式から脱出するべく素速(すばや)く身体の周りに黒い霧をめぐらせる。

静琉が縛ればアルトがそうやって式の解除にあたることを静琉は予測していた。そして前にアルトが静琉の式を破った時、それに十数秒の時間が費やされたことも知っている。

静琉は足を止めてアルトの方を向き、右手の式本を強くにぎって目を閉じる。敵を前にして目をつむったまま5秒間も精神を集中させたのは、そうしなければ次の式は発動できないからだ。


「"拘束・(きょう)"……!」


静琉の声と同時に、対アルト用に組んだ綺化式の1つが発動。突風が吹くときのような音を立てて透明の(くさり)がアルトの身体を瞬時に取りまく。その気配に、拘束式①を破りかけていたアルトの表情が驚愕(きょうがく)に凍りつく。

無慈悲な大蛇(だいじゃ)が野ウサギをしめ殺すかのように、不可視の鎖がアルトの身体をぎりぎりと強力に()めあげる。アルトは直立し、伸ばした両腕を体の横に当てたまま「うああっ」と苦悶(くもん)の声を上げた。

行動を封じるのみならず、呪縛の力を強めて相手を傷つけることを目的にした攻撃式。静琉が初めて組んだタイプの式だった。

アルトの苦しむ顔にも悲鳴にも静琉は意識を割く余裕はない。歯を食いしばって式を続行し、アルトの体力を削れるだけ削る。

全力で式を続けても、8秒間が限界だった。式は自然に解け、アルトは解放されてがくりとひざまずく。顔をうつむけて激しくせきこみ、荒い呼吸に肩を揺らせた。

その一方で、静琉も強い眠気に襲われたときのように思考が白濁(はくだく)し意識が遠のいた。(あし)から力が抜けて地面に倒れかかるが、静琉はかろうじて踏みとどまり、精神的な虚脱感に耐え忍んだ。

新たに組んだ式は強力だが多くの欠点をかかえていた。発動までに数秒の精神集中が要るうえに式が長続きせず、しかも代償として静琉の精神力を大きく消耗する。お世辞にも実戦的とはいえず、拘束式①で敵を縛り時間を稼いでからでないと使えない。

静琉はふらふらと揺らぐ意識の中で、それでも気持ちを張りつめさせながらアルトを見続けていた。いかに静琉が得意な縛りの式とはいえ、今の未熟な技術では重傷を負わせたりましてや殺すだけの効果はまだ得られない。必ずアルトは次の行動を起こすはず。

降参し、静琉たちをこの異空間から解放してくれれば良し。もし彼女が怒り、静琉に向かって来るようになれば――。


「透風……静琉……」


ひざまずいたままだったアルトは顔を上げて呪うような声で言った後、静琉をにらむ。眉根(まゆね)にしわを浮かべ、その凛々しい顔をいら立ちと怒りに歪めている。

アルトはふらりと立ち上がり、静琉の式で痛めたらしい左わき腹を押さえて苦痛の表情を浮かべた後、強い敵意をにじませた目で静琉を見た。

静琉がアルトの感情を視てみれば、演技でもにせ物でもない純粋な怒りを、アルトがゆらめく陽炎(かげろう)のように全身にまとっているのがよく視える。静琉の式は肉体的にはともかく、アルトの精神面へ大きな打撃を与えたらしい。静琉はフィーユを堅守(けんしゅ)し、フィーユを奪わんとするアルトは憎悪に心を燃やしている。もはや話し合いや妥協(だきょう)といったぬるい解決は望めない境地(きょうち)に2人はいた。

アルトが怒りの感情をまとっていて、次の行動を起こしていない今、静琉はこの好機に乗じてアルトを片付けることに決めた。


「"感情拘束"!」


「!!」


立て続けの先制に、アルトはびくりと身を震わせる。

静琉が対アルト用に組んだもう1つの式。それは表面上何も起こっていないように見える式であり、アルトは静琉と自分の身体に視線を往復させながら変化の無さにとまどっている。

怒りは他者への強い敵意、そしてすべての関心を憎い他者へ向けてしまうこと。強い怒りにとらわれれば自分自身への注意は限りなくゼロに近づき、それゆえに怒りは必ず(すき)を生む。そのことを感情を視てきた静琉はよく知っていた。

静琉に向ける怒りのせいで無防備になったアルトの心、その隙間(すきま)へ式が干渉して、鍵穴(かぎあな)(かぎ)をさしこみ(じょう)をおろすように心を拘束する。

静琉の声から数秒後、とまどいに満ちていたアルトの表情がうつろになり、彼女は眠りに落ちるかのようにがくんと両ひざを突く。そしてそのままうつぶせに倒れた。

静琉は呼吸を止めて式本をかまえたまま、油断なくアルトの次の行動を見つめ続ける。しかし、アルトは目を閉じて倒れたまま動く気配はない。


「はあーー……」


長く息を止めていたことに安堵(あんど)の気持ちが加わり、静琉は大きなため息を漏らした。そのとたんかくりとひざが抜け、静琉はぺたんと地面に座りこむ。(あや)ういほどに気持ちが緩み、もう少しで失禁しかねない勢いだった。

それまで忘れていた恐怖が今ごろになってよみがえり、静琉の指先を細かく震わせた。自分がどれだけ危ない橋を渡ったのかを思い返し、静琉の鼓動は高鳴って指先が冷水のように冷たくなった。

相手が怒らなければ効果がないという制約条件付きだが、静琉が新しく組んだ式はアルトを止めることに成功した。アルトは黒い霧のようなモノを使って綺化式を破るが、身体ではなく心を縛って人事不省(じんじふせい)にしてしまえば黒い霧は使えない。

静かな恐慌状態からやや立ち直った静琉は、ゆっくりと起き上がった。そしてアルトのそばへ慎重に歩みよる。アルトの横にしゃがんで横顔をのぞきこむが、彼女はあさい呼吸を続けるだけで眠っているのと変わらなかった。

アルトの心は静琉の式で縛られ、凍結された。その結果、意識を失い一時的な行動不能におちいっている。


「静琉、アルト、やっつけた?」


「うん」


肩から届くフィーユの無邪気な声。静琉の緊張はやわらぎ、ほっとする思いだった。


「じゃあ、おうちに帰ろう?」


「あ……」


静琉は今いる暗黒世界をそろそろと見回し、自分たちがいまだ恐るべき窮地(きゅうち)にいることを思い出した。

どこまでも続く音のない闇の道。ここが世界のどこにあるのかも分からない不明の領域。静琉はぞっとした。

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