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作っていたぬいぐるみが完成すればその子への興味はとたんに消えて、次に作る子のイメージがあたしの心をとりこにしてしまう。完成したぬいぐるみが好きなんじゃなくて、あたしはぬいぐるみを作ることが好きなんだ。だからぬいぐるみが壊されたこと自体はそんなに腹は立てていない。また作ればいいだけなんだから。

それでもあたしの好きなことを踏みにじった奴らが憎い。どうして壊してしまうんだろう。どうしてあたしはこうさげすまれてしまうんだろう。少しの怒りと大きな悲しみが気分を落ちこませた。

生まれてこのかたずっと女をやっていれば、女という生き物がだいたい分かってくる。女はとにかく感情的で、自分が正しいと思うことを絶対に正しいと思いこんでしまう人種……ときどき女に生まれた自分が嫌になる。頭で分かっていても、あたしもほかの女と同じようにすぐに手を上げて感情に身を任せてしまうんだから。

女のことが分かるから、あたしが普通の女とズレていてるのも分かる。クラスの奴らはズレているあたしが気に入らないんだ。だから敵視していやがらせをする。あいつらからすればあたしは意味不明の変人なんだろう。でも、あたしもあいつらのことが分からない。

クラスの奴ら、いったい何を信じて生きてるんだろう。何を目指して毎日を過ごしてるんだろう。まるで分からない。本音(ほんね)を隠して、グループ連中の機嫌(きげん)をとって、うわべでニコニコ笑い合って、陰で悪口を言い合って、ずっとそうやって生きていくつもりか。ホンモノがどこにもないじゃないか。ちょっと探せば、この世界には綺麗なものが満ちているのに。

次に作るぬいぐるみの姿を思いえがく時、次はこんな工夫を試してみようと考える時、気持ちを静めて布に鋏を入れる時、少しずつ完成に近づいている時、わたをつめてふくらませる時、完成品が期待していたより上手くなかった時、あたしの心は温かく光ってる。またぬいぐるみが作りたくなる。今よりももっと上手く。

四六時中ぬいぐるみのことを考えているわけじゃない。良いアイデアが浮かばなくてうんざりすることもよくあるし、能力の壁にぶつかって自信をなくすことも多い。創作が煮つまればぼうっとしている時間を幸せに思う。風呂に入ってる時は頭の中が空っぽになるし、ご飯を食べているときはおかずに集中する。若いからピンク色の妄想が頭の中を占領することもある。

それでも、あたしにとって世界はぬいぐるみを中心に回ってる。ぬいぐるみって(じく)があるから、あたしの世界は安定して回ってるんだと思う。もしもあたしの中からぬいぐるみが消えたら、きっと回転が止まってどうしていいか分からなくなる。止まってしまった世界の景色は、さぞ退屈でつまらないんだろうな。

好きって気持ちにしたがうのは大切だと思う。その気持ちはあたしを前に動かして幸せにしてくれる。みんながそれぞれに好きなことをしていれば、自分だけのホンモノを大切にしていれば、たぶん世の中はもっと明るくなるんじゃないか。べつにあたしは無政府主義を推奨してるんじゃないぞ、かんちがいするなよ。

でも現実は、だらだら過ごす大勢の奴らがあたしを馬鹿にして邪魔をするんだ。あたしが大勢とズレてるんだから邪魔者扱いされるのは分かるけど、あたしなんかにちょっかい出してるひまがあったらホンモノを見つけてよ。あたしなんかにかまう時間がなくなって、絶対面白くなるから。

冴夜は女好きの変態だけど、あいつはあいつなりのホンモノを抱えて生きてると思う。静琉は迷ってばかりだけど、あいつもそのうちホンモノに出会えると思う。何があったか知らないけれど、最近のあいつは生き生きしてるから。妙な白い本を持ち始めたころからかな。

好きなものを目指すことは、自分に正直に生きるってこと。あたしはあたしらしく生きていきたい。邪魔や障害は多くて嫌だけど、それは仕方がないから受け入れようと思う。自分の気持ちを優先して好きなように生きると決まって軽蔑されるらしいことにあたしは最近気がついた。空が青いように、重力があるように、人がいつかは死ぬように、これって世界の法則じゃないかな。

考えが変に哲学的な方へズレていくにしたがって気持ちがぼんやり落ち着いてきた。足先がしびれはじめて意識が覚醒と眠りの世界を行き来する。今日の気持ちと考えを反映したぬいぐるみのイメージが頭に浮かんだような気がしたが、眠くて動けずノートにメモできない。

でも、まあいいや。きっと忘れないだろうし、眠っている間に頭の中でアイデアが洗練されるはずだから。あたしは最後にそう思って、憎しみを忘れて眠りについた。


                                      綾森斐七より、世界の誰かへ



斐七がいやがらせにあった日の夜、静琉は部屋で勉強机の椅子に座り、フィーユの本を置いた机と向き合っていた。静琉は椅子の背もたれに寄りかかって視線を宙空にぼんやりただよわせ、白い本に腰かけて不思議そうに見上げるフィーユにも意識を()いていない。

部屋には安物のCDコンポが備え付けてあるが、ポップスを聴く気にはならず部屋は静まりかえっていた。部屋の外の家族が観ているはずのテレビの音も、窓の外を行きかう自動車の走行音も、何も静琉に届いてこない。いつも味わっているはずの無音が、今の静琉にはどうにも神経に(さわ)る。その理由は、彼女の心が奇妙にざわついていて静かな部屋がそれをきわだたせてしまうからだ。

友人で変人の綾森斐七。人目をはばからずぬいぐるみを作り、壊されてもなおめげずに自分の心に従う殊勝(しゅしょう)な芸術家。昼間の事件でそれを改めて感じた静琉は、自分も斐七のようになれないかとうっすら思っていた。斐七への尊敬、そしてあこがれ。今までにない特別な感情を、静琉は斐七に覚えつつあった。

どうしてあこがれなんかを感じるんだろう。心に起こった結果が分かっても、その原因が分からない。自分で自分のことが分からずに、静琉は少し気持ちがささくれ立った。

こういうときに己の感情が視えれば多くの手がかりを得られるだろうが、あいにく視ることができるのは他人の感情だけ。鏡や水面を使っても姿を映しても、自分の感情は視えないのだ。

まるで斐七の人生は無限に燃え続ける炭のよう。近づくものを焼いて遠ざけ、炎を上げるわけでも音を出すでもなく、いつでも熱く静かに燃え続けている。斐七を見ていれば、火がついていない自分のぬるい生き方が良いのかどうか不安になる。斐七が嫌われるのにはそういう理由も関わっているのだろうと静琉は思う。友達の静琉でさえ、胸がきゅっと締め付けられるような心苦しさを感じるのだから。

斐七に負い目を感じるということは、静琉も彼女のような熱い生き方を望んでいるということか? こんな私にも情熱の源泉(げんせん)があるんだろうか。進むべき道も分からずに未来に失望している自分にも。答の出ない問いの迷路に苦しんで、静琉は息抜きのために視線を下へずらしフィーユを見つめた。


「静琉、さっきからへん。

どうしたの?」


「うん、自分でも自分が

分からないんだ」


へへっ、と小さく笑って、静琉はきょとんとしているフィーユの身体を見つめた。

フィーユは美しい。少女として可愛らしい外見よりも、その存在自体に静琉は強く()きつけられる。

荊姫は人の精神を本に結晶化した存在だと静琉は考えている。佐々倉美香は心を失っていた。それはアルトが心を文字列として白い本に転写したから。そして美香の身体を操って現れたオルールが本に閉じこめた美香を見せたことからも静琉の推理は裏付けられる。

精神の分離と肉体の昏睡化。それは恐らく重大な倫理的冒涜だろう。人かどうかすら分からないアルトやオルールがどんな式を使って荊姫を生産しているか不明だが、少なくとも彼らの技術は異様に高度だ。

本物の人間といっさい変わらないフィーユの身体と動作。その精緻(せいち)無謬(むびゅう)、再現性、完成度。式でこんなことも出来るのかという驚きと畏敬(いけい)の念は、静琉の心をつかんで離さない。独創的でハイレベルな構造をもつ綺化式は、その用途(ようと)の善悪に関わらず美しいのだ。

フィーユを見つめてその身体を()りなす式に思いをはせていると、静琉はむしょうに式を(つづ)りたくなってきた。久しぶりのこの感覚にとまどいつつどうしようかと少し考えた末、静琉は学生カバンの中から自分用の式本と筆入れを取り出して机の上に置いた。

白紙のページを開き、筆入れからシャープペンシルと消しゴムを取り出して式本の横に置く。フィーユがじっと本を見つめて、今まで石のように固まっていた静琉の動向をうかがっている。

そして静琉が何をするかといえば、またもじっと止まっているのである。何か式を書こうとしても、そうすぐに式のアイデアが浮かぶはずがない。昼間に斐七がそうしていたように、静琉も椅子の後ろに頭を出して長髪をさらさらと揺らせた。

どんな必要を満たす式を書くべきか。そんな問いを頭の中でぐるぐるとめぐらせるうち、静琉の脳裏にアルトの顔が浮かんだ。アルトは敵で、男装の彼女は静琉の式を破る。またアルトが現れたときに備えて、対策を講じるべきではないか。静琉は上半身を起こし、真っ白なページを見つめた。

白い霧のように頭の中に広がっていたアイデアが少しずつ集まって形をなしていく。それはバラバラに散らばっていた夜空の星々を線で結び、意味のある形を見出すような感覚。思考の中に深く沈みこんだ静琉にはそばのフィーユも目に入らない。

静琉はペンを手に取ると、おもむろに式を綴ってゆく。ところどころつっかえながら、頭に浮かんだ式をゆっくりと文字列にしてゆく。

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