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「どういうことだオルール。
人形を動かすだなんて」
館の二階にあるオルールの私室。白いベッドシーツの上に腰かけて、両手をももの左右に置き上体を支えるオルール。そうやってくつろぐ彼女の前に立つアルトは怒っているかのような真剣な面持ちだった。
「人形ならもう元通り、
それぞれの場所で眠らせてあります。
フィーユが見つかったので、
そろそろ準備をしておこうと。
それも済んでしまいましたけれど」
「準備? いったい何の準備だ」
「"森"へ通じる扉を開く準備です。
ほらアルト、ごらんなさい」
オルールは微笑を浮かべながら左手のひらを上にして前に差し出す。
暗い境界面からわき上がった"森"の一部は、すでに左手をおおい隠すまでに大きく生長している。種種の枝葉は化け物の触手であるかのようにうごめきゆらいで、さわさわと葉と葉がこすれる音が鳴っていた。
「いったいそれは……。
"森"への扉などを開いてどうする
つもりなんだオルール。
荊姫を集めて君が昇華する
計画に、"森"なんてものは
関係ないはずだろう?」
「それが大いに関係あるのです。
今まであなたに秘密にしていた
だけです」
あっさり告白したオルールに、アルトはあ然とした様子で数秒間固まっていた。
「どうして"森"のことを隠していたんだ。
僕は君の使いだが、君の仲間でもある。
教えてくれたっていいだろう?」
「言ってしまってはつまらないでしょう。
秘密があるから面白いのですよ」
「オルール」
真面目に取り合わないオルールの調子に、アルトは詰問するように静かな力をこめて主の名を呼んだ。
それまで浮かべていた微笑みをオルールは不意に消し、精神が腐ってしまったかのようなよどんだ目でアルトをじっと見た。オルールがまとう空気はけだるげなのにどこか威圧的で、アルトにこんな態度をとることはめったになかった。オルールの変化に気づいたアルトが息をのむ。
「ねえアルト。
私がどれだけの永い時をこの世で
過ごしてきたのか分かっていますか。
これまで生きてきて、力も、財も、
名も、私はこの世のあらゆる宝を
手にしてきました。
その結果、私の胸に残ったのは……
どうしようもない退屈。
まるで世界すべてが砂漠になったよう。
その退屈の質量たるや、あなたの
想像を大きく超えているのでしょうね」
オルールは左手においしげる"森"の入り口に目をやり、"森"を見つめたまま冷たい笑みをうっすらと浮かべた。
「私を縛る退屈という忌まわしい鎖。
それを断ち切る素敵な刺激が、この
"森"というわけです」
地獄と呼んでもさしつかえがないような禍々しい雰囲気の"森"。何かおぞましい化け物でもすんでいそうな、それとも"森"そのものが意思をもった化け物のような、言い得ぬ不安と恐怖を見る者にいだかせる。
「……退屈しのぎに"森"への扉を
開けて……この世を地獄に変えて
やろうっていうのかい? オルール」
そんなアルトの問いかけに、オルールはそれまでの退廃的な空気を一変させて破顔した。「さあ、どうでしょうね」と答えながら、少女らしくくすくすと可愛らしく笑う。ひとしきり笑った後、いたずら好きの女の子が「もっと笑わせて?」とねだるかのようにオルールはアルトの目を見つめ返す。
愉快な様子のオルールとは対照的に、アルトの顔は青ざめてどんどん余裕を失っていった。
「君に救ってもらって以来、僕は
新しい自分に生まれ変わり君に
つかえてきた。
楽しくて充実した日々だったし、
君に感謝している。君が好きだ。
君がいつも退屈にしているのは
よく分かってる。でも……いったい
どうしてしまったんだオルール。
君だって、この世界をそれなりに
愛していたはずだろう?
君がこれから何をしようとしている
のかは分からない。
どうかおかしなまねはやめてくれ」
アルトの声は凛として心からの情熱がこもっており、本当に外見通りの少年がしゃべっているようだった。
そんなアルトを、オルールは遙かに隔たった世界からながめるような遠い目をして見つめた。そしてどこか悲しげな笑みを浮かべる。
「その誠実な気持ちに感謝します。
私の大事なかわいいアルト。
それでも、私は私のやるべきことを
やります。私の意思は揺らぎません」
これ以上議論しても無意味といわんばかりにオルールは左手の"森"をちぢめて境界線の内側に消し、"森"についての話題を打ち切った。
「フィーユの方は任せましたよ、
アルト」
そう言っていつも通りにっこり微笑むオルールに、アルトの表情がとまどいに揺れた。あくまで破滅的な計画を強行しようとする主に、このままでいいのかと迷う心情がオルールには手に取るように分かった。分かっていても、オルールは何も言わない。
アルトは返事もせずにオルールに背を向け、つかつかとした足取りで部屋から消えた。あとにはベッドに腰かけたオルールが広い部屋にぽつんと残った。
登校する道すがら、最近街の調子がどこか変だと女子高生の森野雫は思う。のんきに道を歩く小学生達や何も分かっていない通勤途中のサラリーマン達とすれちがうたびに、雫は「こんなことに気づけるのは私くらいだけどね」と得意な気分になる。しかし、大きな異変に自分以外だれ一人として気づいていないという状況は心細くもある。
街を歩く人々の様子も、道路を走る色々な自動車も、数々の一般住宅も、道の端に立つ電信柱も、青く澄んだ空の色も、いつもと変わらない。違っているのは雫だけが感じ取れる街の気配。雫が住む街を巨大な人間だとすれば、なにやら風邪でもひいて微熱をわずらっているかのようだ。
街から何かが失われつつある現状を知りえるのは雫が魔物の先祖からついだ血が理由であり、特別な血と能力を雫は誇りに思っていた。さらに神社の娘という特殊な身分、その上わずかとはいえ綺化式を操る才にも恵まれている。
私は特別な人間、私は特別な人間。街の異変を生まれもった第六感で感じとる雫は、そんな言葉を頭の中で呪文のようにくり返してうっとりしながら道を歩く。やがて女子校に着くと、雫はショートカットの髪を揺らし小さな胸を張ってどうどうと校門をくぐった。げた箱にくつを入れてうわばきにはきかえ、雫は教室に向かって廊下をゆったりと歩いてゆく。
雫は自意識過剰でうぬぼれがちであり、自分の力をひそかにアピールしようと綺化式で女のお化けの幻像を組み、それを図書室に仕掛けて亡霊騒動を起こしてやった。
騒ぎが大きくなるにつれて自分の名が売れてゆくような優越感を雫は味わっていたが、何者かに突然メモ製式本を始末されてしまい、雫の楽しみは終わった。
また同じようなことをしても同じように阻止されるだろうし、同じことをくり返すのも芸がない。雫はそう考えてくやしく思っていたが、街の気配が変わったことは能力者の自分しか知らない。雫は新たな満足を得ることで亡霊騒ぎを台なしにされた屈辱は忘れつつあった。
教室の引き戸に手をかけた雫の横を、図書室の亡霊を消した透風静琉が通り過ぎる。同学年とはいえ別のクラスの静琉を特に意識していなかったし、それは雫を知らない静琉も同じだった。
雪は降っていなくとも身体の内側まで凍るような風が吹く夜、静琉とフィーユは白夜堂のカウンターで店番をしていた。あいかわらず客は全然やってこない。
静琉が大きなあくびをもらし、白い本の上に横座りしたフィーユがぼんやり出入り口を見つめていると、不意に扉が開き変化が訪れた。
久しぶりの客は雪のように真っ白なトレンチコートをはおった背の高い女性だった。髪は肩まで届くほどのロングヘア、顔はきりっとした凛々しい印象で美青年を思わせる。茶色のブーツをかつかつと鳴らしながら、わき目もふらずにカウンターの静琉めがけて歩みよってきた。静琉の前に立つと、冷たい威圧的な目で静琉を見おろしてくる。
「おい。店長を呼べ」
「申しわけありません。
今外に出ています」
男のようなもの言いと女王然とした態度に静琉は驚いたが、白夜堂にやってくる客は変わり者ばかりなのでいつも通りの笑顔をつくろって受け答えすることができた。
静琉のそばにいたフィーユは本の中に戻っている。友達の紅月冴夜に見つかってしまって以来、店に客が来たらすぐ本の中に隠れるようにフィーユと約束してある。
「そうか。間が悪かったな」
「店長にご用ですよね?
ご用件があればお伝えします」
「奴の顔を見に立ち寄っただけだ。
"六花が来た"とだけ言っておけ。
それで伝わる」
六花という名だけで店長に通るらしいこと、そして客のあまりの傲岸不遜ぶりに、つい静琉はバイト店員の分を超えた好奇心を抱いてしまう。
「もしかして式本をお求めですか?
でしたらご案内しますけど」
「欲しい本などない。
必要があれば自分で書くさ」
「……?」
その時出入り口の扉が開かれ、外の某全国チェーンのコンビニに行っていた店長が戻ってきた。右手にさげたビニール袋の中にはコピーした書類のほか、いつも吸っているマイルドセブンや夜食用の肉まんピザまんなども入っているらしい。