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「……うん。行ってらっしゃい」


美香の視線と声に魅入(みい)られたかのように母親はぼんやりうなずくと、洗濯かごを持って居間の方へ歩いていった。美香はそれっきり母親にかまうことなく、ピンクのパジャマを着たまま外へ出て行った。

真昼にさまよいだした亡霊のように、美香はそぞろに道路のはしを歩いてゆく。どう見ても小学生の美香が平日の昼間に歩いていることやそのパジャマ姿にすれちがった主婦や営業中のサラリーマンは一様に奇異の視線を注いだが、美香がそれに反応することはない。

ある時美香はふと立ち止まり、路面にひざまずいて灰色のアスファルトに右手の人差し指をそっと当てた。そして文字をつづるかのようにゆっくり指をすべらせる。美香の指が触れたあとには多量の黒インクで書きつけたような太い黒線が引かれ、美香は無心で指をすべらせ続ける。やがてつづり終えると美香の足元には奇怪な黒い文字列が並んでいた。文字列は地面にしみこむように消え、消えた後は普通の路面と変わらない。

美香はふらりと立ち上がって道を歩き、目的の場所までたどり着くとふたたび地面に文字列をつづる。それをくり返していった。

その(ころ)街の各地で眠る荊姫……精神のぬけがらたちが寝床(ねどこ)から幽鬼(ゆうき)のように起き上がっていた。ある体は美香のように自宅から外へ、またある者は病院のベッドから抜け出して街の中へと散って行った。家族や医者から制止を受けたぬけがらは何人もいたが、ぬけがらたちがひとにらみするだけで人間たちは魔法にでもかかったようにふぬけになった。

支配者の糸に操られる人形たちは路面に黒い文字をつづってはそれを透明にして隠し、その作業が進むにつれて少しずつ街をめぐる"道"が形づくられていった。それは生き物の体内を走り各組織に酸素や糖を供給する血管に似ていた。血管は(あみ)の目のように体内を通り、体中の血液を心臓に向けて集めてゆく。



「じゃあアルト達から逃げてきた

ってのは本当なんだ?」


「うん。ちょっとだけ思い出した」


雲間から白い陽光が射す下校中、静琉は透明化して肩に腰かけたフィーユにささやいた。学校に居る時は人目があるのでフィーユとは最小限しか言葉を交わさないが、歩いて帰る下校中は人の目にとまりにくいのでひかえめに話していた。


「何かとてもいやで恐いことが

あって、わたし、逃げたんだ。

黒い服の人、見たことがある」


「でもどうやって逃げて来たの?

本体の本を動かさないとフィーユは

逃げられないでしょ?」


手のひらほどの身長しかないフィーユが乗った肩に顔を向け、静琉がたずねた。フィーユが答えるまでに少しの沈黙が続いた。


「……本を持って逃げた……

と思う」


「フィーユの大きさじゃちょっと

無理なんじゃないかな……」


「よく分からないけど、持って逃げたの!

そんなかんじがするの!」


白い霧におおわれたあいまいな記憶にフィーユ自身いらいらしているのか、すねたような返事が返ってきた。


「……しつこく聞いてごめん。

昔のことが分からなくて恐いのは

フィーユだもんね」


「うん」


怒っているというよりも落ちこんでいるような悲しい声だった。静琉はかける言葉が思いつかずに、2人の会話はとぎれた。静琉は歩きながら考える。

律儀(りちぎ)にも予告状まで届けてアルトが現れたのが三日前、それっきり静琉の周りでは何も起こっていない。アルトがわざわざ取り戻しにやってくるフィーユの本は彼女にとっての何なのか。アルトとその主人はまだ切符を少女に送りつけ、荊姫を増やしているのだろうか。眠ったきりの佐々倉美香はいつか目を覚ますのか。

赤信号で待たされた後、交差点の横断歩道を少し歩いた先、静琉は行き先に立つ1人の少女に気がついた。白いセーターにジーンズ、スニーカーをはいていて、静琉をじっと見つめている。


「初めまして、透風静琉さん」


少女にそう話しかけられて静琉の足が止まる。見た目は小学生ほど、しかし彼女の顔に見覚えがなかった。


「眠ったきりのミカを診に来て

くれたそうですね」


「もしかして佐々倉美香さん?」


少女の言葉で、彼女が佐々倉家で眠ったきりだった美香であることを静琉は思い出した。目を閉じたままじっとしていた美香しか知らなかったので、印象のギャップがあったのだ。

佐々倉美香は微笑みながら静琉に近づき、静琉と5メートルほど距離をとって立ち止まる。


「美香さん、起きたんですね!

よかった……治るかどうか心配で」


「残念ですけれどミカは目覚めません。

私が身体を動かしているだけです」


「?」


「静琉……なにか変だよ……」


不安げなフィーユの声が耳に届き、静琉は目の前の美香に変に思われないように少しだけ肩に顔を向けた。


「久しぶりね、私のフィーユ。

無事でなにより」


「なっ、なんでフィーユが……」


姿を消したフィーユに向かって笑顔を浮かべる美香に、静琉は言葉につまった。


「この身体はササクラミカですが、

操り主の私の名はオルールです。

先日、フィーユの件でうかがった

アルトの主人、と言えば分かって

いただけますか?」


その言葉に静琉は反射的に身がまえたが、オルールは微笑しながら左手を前にかざして静琉を止めた。


「フィーユを取り返しに来たのでは

ありません。

少し、ごあいさつにうかがっただけ」


「あいさつって……」


「透風静琉というフィーユの所有者を

この目で見ておきたかったのです」


オルールは楽しげにそう言って、じっと静琉の身体を見る。

オルールと名乗る人物の乗り物は小学生の美香、しかし大人びた言動と小さな身体を包むどこか人間離れした空気に、静琉は息がつまり金縛(かなしば)りにでもあったような気になった。この感覚は紅月冴夜のように魔物の血を()く受け継いだ人間と相対したときに近いと、静琉は頭の片すみで思った。


「……なるほど。静琉さんは

純粋な人間ではないようですね。

そして良い綺化式使い。

遊び相手としてなかなか面白い」


「……2つ、聞いてもいい?

美香さん……いえ、オルール」


なぜ自分が心読みの末裔であることを見抜かれたのかは分からない。口の中がかわき指先が冷えてゆくなかで、静琉はかろうじて声を出した。「ええ、私に答えられることでしたら」とオルールは笑顔で受け答える。


「どうして人を荊姫にするの?

美香さんを、眠ったままの人達を

元に戻して」


「ご存じでしょうか? 人の世には

死の願望が満ちています。

苦しむ少女たちには夢の安らぎが、

私の目的には荊姫が、それぞれ

必要なのです」


「あなたの目的って、何?」


「それは秘密ですよ」


右手の人差し指を口元にそえながら、オルールは無邪気に微笑んだ。


「……もう1つ、あなたにとって

フィーユはなんなの?

フィーユにこだわるのは、この子が

あなたたちにとって特別だから?」


「ふふっ、(するど)い。その通りですよ。

フィーユが私の目的の(かぎ)なのです。

1つ目の質問にお答えできなかった

ので、少々ヒントを差し上げます。

フィーユは特別製で、ただの荊姫

とは一線を画す子です」


そう言った一瞬後にはオルールの左手に白い本が出現していた。びくんと身体をふるわせる静琉をよそにオルールはゆったりとした動作で本を開き、片手でかかげ持つ。


「これが普通の荊姫。

ちなみにこの子はササクラミカ。

私の憑代(よりしろ)となっている身体の

持ち主です」


本のページの上に立つ小さな少女に、静琉の目はくぎ付けになった。目を閉じたまま時間が止まったようにたたずむ少女の顔は、オルールが操る美香の顔と同じだった。フィーユが荊姫の1人ならフィーユと似たような本の少女がいてもおかしくないと静琉は考えていたが、実際に目にすると驚きを隠せない。肩に乗ったフィーユから「わたしと同じ……」とつぶやく声が伝わってきた。


「普通の荊姫はこのように眠ったまま。

動いてしゃべるフィーユとは別物です」


オルールはパタンと本を閉じ、出した時と同じように本をどこかへ消した。オルールは静琉を見てあどけなく笑う。


「さて、今日はこれぐらいで失礼します。

お話しできて楽しかったですよ、静琉さん」


「どうしてこの場でさっさとフィーユを奪おうと

しないの……? フィーユが必要なんでしょ」


「んーー」


あごに片手をそえて少しだけ考えるそぶりを見せると、オルールはパッと明るい笑みを浮かべた。


「せっかくの遊びがすぐに終わって

しまってはつまらないでしょう?

ゆっくりじっくり、じれながら進むのも

遊び方としては面白いのですよ」


オルールが静琉に向かって歩き出す。静琉は一瞬思考が真っ白になった後、うろたえてしまってどうにもできない自分に気がついた。

すれちがいざまに「また会いましょう、静琉さん」と言い残し、オルールが操る佐々倉美香の身体は静琉が来た道を歩き去っていった。

冷たい氷の中に閉じこめられでもしたかのように、静琉は呼吸をすることさえ忘れていた。オルールが行ってしまってからしばらく経って静琉はようやく振り返り、彼女の姿が見えないことに安堵(あんど)のため息をついた。オルールが近づいてくる時、まるで人食いの獅子(しし)(とら)を前にしたかのように生きた心地がしなかった。

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