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「"フィーユの本の所有者には

暴力をふるうな"って主に言い

含められている。

今の条件で続けたら不利だね」


アルトは肩をすくめ、困ったように苦笑した。疲れた身体の力を抜き、これ以上争うつもりはないということを静琉に示していた。


「フィーユの本を無断で取り返す

のは簡単だけど、それは礼儀に

反するから僕たちはしない。

僕たちは非礼を好まない主義だ」


その声の高さや細身から黒スーツのアルトが同年代の女性であることは静琉も察していたが、青年然とした言葉づかいに調和(ちょうわ)した紳士的な主張。それに静琉は驚くとともに少しばかり感心してしまう。


「……っ!?」


突然、アルトの足元に星一つ無い夜空のような暗黒が染み出した。静琉は警戒して本を強くにぎるとともに、その暗闇が美香の部屋で見たものと同じであることを思い出す。


「今日のところはこれで失礼するよ。

次はフィーユをかえしてもらいたいな」


そう言い残すと、アルトは足から闇に沈んで消えた。こぼれた墨汁(ぼくじゅう)のように路面に広がっていた暗闇もアルトが消えるとともに縮んで消失する。

そうやって好きな場所に移動ができるのなら先回りされた不可解にもなっとくがいく。消えることといい拘束式を突破したことといい、彼女は人間離れしすぎていると静琉は思う。

攻撃系の綺化式など何も用意していなかったが、静琉のはったりは何とかアルトに通じたらしい。車の走る音が遠くからとどく以外は静かな空間に戻り、緊張の糸が切れた静琉は「はあっ」と大きな息をもらして冷たい雪の上に座りこんでしまった。髪や肩の上に降る雪、素肌(すはだ)(あし)に感じる雪の冷たさが今はむしろ気持ちいい。熱くなっていた心と身体を冷やしてくれるようだった。

誰も通らない細い道の真ん中に2分ほど座り、静琉は乱れた心を落ち着けた。立ち上がって頭やひざについた雪をはらい、さっき捨ててきてしまった傘を拾って家に帰るために道を歩き始めた。

左手に式本を持ったままアルトがどこかに立っていないか確認しながら歩く途中、静琉は考える。アルト(どうやら彼女には主人がいるらしい)は少女を眠らせて荊姫にしていることをあっさり認めた。荊姫の切符とフィーユの本に書かれた文字列が同種であることといい、アルトたちがフィーユを取り戻したがっていることといい、荊姫とフィーユは確実に近い関係にあるだろう。

美香の部屋で記憶を縛ってのぞき見た時、アルトの「転写しろ」という言葉、そして彼女の手にのせられた白い本を静琉は思いだす。本に文字列が記されるとともに美香の幻影はうすれ、美香は昏睡し、彼女の心はどこかへ消えた。消えた先は、恐らくアルトが持っていた白い本の中。

右手に下げたカバンの中のフィーユを意識せずにはいられない。フィーユとはアルトによって眠らされたどこか誰かの荊姫の心、それが結晶化した存在なのではないか。

やがて静琉は元の場所までたどり着き、道のはしにひっくり返っている傘を見つけた。傘を拾って薄く積もった雪を振りはらい、静琉は家まで用心しながら歩いていった。



「……というわけさ。まいったよ。

受けた式のせいで、まだ身体が

だるいんだ」


任務が上手くいかなかったというのに悪びれた様子も見せずに肩をすくめるアルト、その前にはにっこり微笑むオルールがひじ掛け付きの巨大なアンティークチェアに人形のように座っている。


「面白い方ですね。透風静琉と

いう人は」


「僕は面白くもなんともないよ。

彼女、意思が固くてフィーユを

手放そうとしないんだから。

おまけにやり手の式使いだし、

穏便(おんびん)な交渉で返してもらうのは

多分無理だ」


「挑戦すべき問題があるから

遊びは面白いのですよ。

もっと仕事をお楽しみなさい」


訴えを受け入れるどころか白い雲のようにとらえどころないことを言うオルールに、アルトはすねるような顔をして見せた。


「呪い本みたいに人から人へ

たらいまわしにされている時は

行方がつかめずどうしようかと

思ったけれど、現在フィーユは

透風静琉が大切に持っている。

居場所が分かっているんだから

もう手に入ったも同然さ」


「そうですね」


「人の精神でいくら実験しても

上手くいかなかった。

でもたった一つの成功例……

あのフィーユが戻ってくれば、君の

願いは成就する」


「生命の次の段階へ、私は

昇華することができるでしょう」


「楽しみだろう、オルール」


同意を求めるアルトの問いにオルールはせつなの間沈黙し、「はい」と明るく笑って答えた。


「人の心を転写した本はもう充分

集まりました。

これ以上人の解析は不要でしょう。

もう荊姫はいりません。

アルトはフィーユに専念して下さい」


「わかった」


これからの方針を伝えたオルールは、まるでその場に自分以外だれもいないかのようにうつむいたまま己の左手を凝視(ぎょうし)する。優美な白い手に浮かぶ小さな暗い平面、それを境界にして(みどり)の草の()が何種類も現れ、それらは生き物であるかのようにかすかに動いている。


「……それはなんだい?」


「……"森"への入り口。

私の目指す場所です」


「……?」


心ここにあらずといった風に答えたオルールは左手に出したものを煙のように消すと、椅子から立ち上がる。


「さて、フィーユは戻ってきそうですし、

私は私のできることを進めておきましょう」


オルールは独りつぶやくと部屋を横切ってドアを開け、アルトの前から姿を消した。消えていったオルールの後ろ姿に、アルトは言葉にできないかすかな不安を胸にいだいた。



オルールの館の一室、壁一面に並ぶ書棚には古今東西の名著がぎっしりと収められ、広々とした部屋にはめくるめく知の香りが満ちている。

その蔵書室の中央にオルールが独りで立っている。この部屋をわざわざ選んだのは、荊姫たちと交流するにはこの部屋の雰囲気が良く合うと思っただけだからだ。

宙に目を向けるオルールが軽く念じると、その一瞬後には大量の白い本が彼女の前に並んで静止していた。続いていっせいに本が開き、本のページの上に立つ小さな荊姫たちが姿を見せる。荊姫たちは色とりどりの可愛らしいドレスに身をつつみ、彼女たちは皆目を閉じたまま身動きをせず立ったまま眠っているようだった。

オルールは宙に浮く本の配置を変えて自分を円環状(えんかんじょう)に取り巻くようにすると、満月のように黄色い瞳をまぶたでおおい(うた)うように語りかけた。


「御機嫌麗しゅう、小さな淑女たち。

私の素敵で大切な荊姫たち。

貴女(あなた)たちの献身(けんしん)(いしずえ)にして、私の

願望はついに達成をむかえそうです。

そのことに、心からの感謝をここに。

幸せな夢の中で草木のように過ごす

貴女たちも、もうすぐこの世界との

根本的な別離がもたらされるでしょう。

肉体の風化、魂の霧散、ただの死

という結末よりそれはずっと素晴らしい」


目を閉じて微笑を浮かべたまま、オルールは自らの創造物を言葉で()でる。オルールの温かい気持ちが周りの荊姫たちに伝わり、それに応じて(かい)の感情が姫たちから返ってくる。楽しい夢でも見るかのように何人もの荊姫があわい笑顔を浮かべた。そのことにオルールは満足する。


「"向こう側"への(とびら)を開くために、

貴女たちが脱ぎ捨てた肉の(うつわ)

働いてもらいましょう」


そう言い終えた後、オルールの脳裏にある趣向(しゅこう)がひらめいた。オルールは目の前に一冊の白い本を出現させて開き、荊姫に語りかける。


「せっかくですので、フィーユ発見の

きっかけになった貴女にも加わって

もらいましょう。

フィーユの所有者に会ってみるのも

面白そうですし」


にっこり笑うオルールの前には、精神を本に結晶化された佐々倉美香が目を閉じたままたたずんでいた。



昼間、布団の中でずっと眠ったきりだった佐々倉美香が突然むくりと起き上がった。目はうつろで意思の力は宿っておらず、さながら生身の人形のようだった。

美香は布団から出て立ち上がると、寝たきりだったせいでやせ細った脚など気にもとめずにふらふらと玄関を目指して歩いてゆく。


「……美香……?

あなた、起きたの?

起きたのね……!?」


脱水したばかりの衣類をつめた洗濯かごを持つ佐々倉妻が、廊下を通りかかった美香に気づいてかけよった。にもかかわらず、美香は母親の言葉など耳に届いていないかのように玄関へ行きくつをはく。


「どこ行くの美香!

起きたばっかりなのに!」


「外。ちょっと歩いてくる」


美香は母親を見ることもせずにぼそぼそと死人のような声でそう言うと玄関のドアに手をかける。そんな美香に母親はぽかんとしてしまったが、ともかく洗濯かごを床に置き、あわてて娘の細い腕をつかんだ。


「ダメ、美香!

いったい何日眠ってたと

思ってるの!

すぐにお医者さんに()

もらわなきゃ……!」


腕をつかんで離さない母親に美香はゆらりとふり返り、じっと母親の目を見た。生気と感情が消え失せた暗闇のような美香の目に母親は一瞬言葉をなくした。


「行かせて」

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