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初頁

店にまるで客がやってこなくて、ただカウンターに座っているだけでバイト代をもらうのも心苦しく、女子高生の透風(ゆきかぜ)静琉(しずる)は床のはき掃除(そうじ)をしようと思った。

ほうきで床のほこりを集めながら、ついでに木製棚(もくせいだな)に並べられた商品の本のズレを直してゆく。スタンドを使って真っ黒な表紙が見えるように並べられた貸本(かしほん)はひとつひとつが透明なプラスチックケースに入っていて、それぞれ「植物と対話する」、「自分の不幸を他人になすりつける」、「他人の記憶を文章にして表示する」のように本の効果を説明したメモが添えられている。ここは神秘を提供する貸本屋「白夜堂(はくやどう)」。この店であつかっている五十冊以上のすべての本が、小さな奇跡を引き起こす本物の式本(しきほん)だ。


静琉(しずる)。こいつを調べておけ」


静琉が掃除をしていると、店の奥の別室から白夜堂の店長が一冊の奇妙な本を持って出てきた。白夜堂にはアルバイトの静琉しか従業員がいないので、あらゆる雑用が静琉一人に任せられる。


「何ですかこの本は?

本の表紙も裏表紙も白いですよ。

それに、本をぐるぐるに巻いている

このひもみたいな布は?

こんな式本、見たことありません」


押しつけられた本をじっと見つめる静琉に、長髪を後ろでしばった三十代半ばの男店長はふむ、とあごをさすった。


「見たことねぇのは俺も同じだな。

取引先から気味が悪いから処分してくれ

と頼まれて引き取った。タダでな。

なんでも、勝手に動いたりしゃべったりする

人から人を渡ってきたいわくつきの本だと。

掘り出し物なら店に並べるし、ごみなら

捨てるかお前にやるよ」


そんな呪いの式本を両手で持ったまま、どうしたものかと静琉はたたずむ。店長はさっさと別室に戻っていった。

すると店のドアが開き、スーツの上に茶色のロングコートをはおったサラリーマン風の男がやってきた。久しぶりの客に、静琉は白い本をわきにかかえ、ほうきとちりとりを持って急いでカウンターに戻った。

白夜堂はビルの小さなフロアを借りてほそぼそと営業している。広告や宣伝はまったく打たずに、店名を記した表札(ひょうさつ)が店の扉にぞんざいにかかっているだけ。商品の貸本もそのレンタル料も異様なので、一般人にはまったく相手にされない奇怪な店だ。たまにくるのは店の存在をかぎつけた金持ちや政治家の秘書、そして透風静琉のように普通の人間とは少し異なる人だけだ。

静琉は店番用のパイプ椅子(いす)に座り、カウンターに白い本を置いた。そして、本に巻かれた赤黒色の細長い布を丁寧に解いてゆく。背中までかかる素晴らしい黒髪をもち、眼鏡(めがね)をかけた静琉が本と向き合う様は文学的で奥ゆかしいと客に評判だった。布に触れるうちに、それが式の性質や威力が危険な本を無効化して暴走を防ぐ拘束装置(こうそくそうち)であることを静琉はふと思い出す。知識として憶えていたが、実物を見るのはこれが初めてだった。

不安のせいで静琉の指先はにぶったが、店番と、こういう商品になるかどうか分からないはんぱな本を大まかに調べるのが彼女の主な仕事だ。解いた布を横にどけて腹をくくり、いよいよ本を開こうとした時、静琉の前を客の男がちらりと横切った。男はさきほどから店の中をうろうろしていて、どうも挙動が不審。

これはくさいと思った静琉が生まれもった力を使って男を()ると、恐怖と緊張、そして達成感を示す感情が男の身体をじっとりと包んでいるのが視えた。静琉は「やったか」と思い小さなため息をついた後、店からそっと出て行こうとする男の前まで走り寄った。男は近づく静琉に気づき、静琉を見たまま表情と身体が固まった。蛍光灯の白い光が降る無音の店内に、張りつめた空気が生まれた。


「お客さん。本、盗みましたよね?

通報はしませんので、返して下さい」


「な、何を根拠(こんきょ)にそんなことを。

僕は盗んでなんかいないぞ」


「ごまかしても無駄ですよ。

私には視えるんですから」


男が着ているコートの左側を静琉はじっと見る。コートが厚いせいで怪しいふくらみなどないし、男もそれを計算してコートを着て、さらに万引きも静琉の目を盗んでやったのだろう。だが、静琉には感情……緊張がコートの左側に集中しているのが視えていて、それが無言の自白(じはく)だ。


「だ、大体なんだよ。

一ヶ月の貸出料が250万円って。

本一冊に、250万?

馬鹿にしてるのかよ」


「私もそう思いますが、ここでは

店長のルールが絶対ですので。

お金を貯めて、また来て下さい」


静琉の視線がコートに注がれ態度にも確信が満ちているので、もはや言いのがれができないと思ったのか、男の感情がぬり変わった。混乱、怒り、敵意、そして静琉への害意。

男が次に何をするのか予想がついた静琉は、男がすばやくコートの内側に手を入れた瞬間に先手を打つ。


『当店での暴力行為は禁止です』


静琉の声に応じて、本棚の裏側に隠してある防犯用の式本が発動。不可視(ふかし)の糸が瞬時に男の両腕を縛って左右に引き、まずは身動きを封じた。そのひょうしに、コートから抜き身の果物ナイフが床に落ちて小さな金属音が響く。

続いて有無(うむ)を言わさない制裁が発動。透明な糸が腕を通して男の体力と精神力を根こそぎ奪いとる。静琉の声から五秒ほどで音も光も出ない地味な式が完了し、糸が消えて男は解放された。わけが分からない異常な脱力(だつりょく)に、男は床に四つんばいになったまま顔すら上げられない。

静琉はカウンターに行って、机のすみに置いてあるこういうときのための式本を手に取り、男の前まで戻った。男がゆるゆると見上げるのを確認して、静琉は本を開く。

式が書きこまれた本の両ページから黒い(きり)が立ちのぼり、静琉よりも大きな霧は彼女の頭上にとどまって不定形にうごめいている。霧の一部がぱくりと裂け、サメの歯のようにするどく並んだ白い牙と赤く恐ろしい口の中を見せつけた。


「もう白夜堂には来ないで下さい。

次はこの子のご飯になってもらいます」


男は金切り声のような悲鳴を上げ、震える手でコートの左側の内ポケットから本を取り出し床に落とした。そして、体力皆無の身体をはわせて店の扉を開けて出て行こうとする。静琉は本を閉じて黒霧の化け物を消し、果物ナイフを拾って「忘れ物ですよ」と後ろから男の肩をたたいたが、静琉を畏怖(いふ)する男はいっそう悲鳴を上げるだけでナイフを受け取らずに店から消えた。


「式本に生き物なんか入れられないよ。

式で()んだ、形だけのただの幻」


それでも無知な一般人には効力絶大である。特に精神力が尽きている状態であんな幻影を突きつけられたら、一発で心が折れてもう二度と店にやって来ようとしないだろう。

静琉は盗まれかけた本を拾い、それが「異性の心をとりこにする」式がこめられた本なのを見て心がちくりと痛む。恋は盲目(もうもく)。その手を罪に染めてまで彼が手に入れたかった愛とは何か。


「何だあ? 客が来たかと思ったら

また強盗かよ。期待させやがってよ」


男の悲鳴を聞きつけて奥から店長がのそのそと出てきた。静琉は恋の式本をかかげて、店長に簡単に状況を説明する。店長は「やっぱりお前の"目"は役に立つな。これからも頼むよ」と言っただけで、犯人側に同情している様子はなかった。静琉はさっきのサラリーマン風万引き男が少しかわいそうになり、無駄だと思っていてもいちおう進言(しんげん)を試みる。


「店長、もう少し安くできないんですか。

高すぎるから万引きが絶えないと思いますよ」


「この値じゃなきゃ採算(さいさん)がとれねぇんだよ。

本の原価がいくらだと思ってんだよ」


「問答無用で攻撃ってルールもどうかと」


「やらなきゃ傷手(いたで)を受けるのはこっちだろ。

先手必勝。悪因悪果。

大体あの縛りの綺化式(きかしき)組んだのお前だろ」


「身体を傷つけずに追い返すには、あれが

一番だと思っただけですよ」


「お優しいことだなお前は。でもそれじゃダメ。

ビジネスってのは非情なもんだぜ。

そんなことより、さっきの本は使えそうか?」


「今から開いて調べるところです」


「ちゃっちゃと片付けとけよ」


店の奥へ戻ってゆく店長の背中を見ながら、白夜堂や店長に世の中一般の倫理はやはり望めないと静琉は思った。商品の式本やその値段も非常識なら白夜堂のルールも喧嘩上等(けんかじょうとう)、話し合いとは無縁の無法地帯だ。

静琉は恋の式本を元の棚に置いてカウンターに戻り、鬼が出るか蛇が出るかという思いで正体不明の白い本をそろそろと開く。


「ここは……外……?

わたし、外に出られたの?」


本の左ページに、手のひら位の大きさをした女の子が両足を伸ばして座っていた。外見は8才ほどの少女で、髪は白に近い薄茶色のセミロング。目は空のように青い(ひとみ)可憐(かれん)な顔を左右に振って周りを見ている。白いカットソー、すそに黒いフリルがあしらわれた白いミディスカートをはいている。カットソーの上に白色のエプロンドレスを重ねていて、肩ひもを背中で交差させ、腰で大きな蝶結(ちょうむす)びにしている。白いハイソックスに黒いストラップシューズをはいていて、前頭を小さな黒いリボンで飾っていた。アンティークドールのごとき姿の女の子であった。


「ここは、どこ?」


「は、白夜堂」


そばの静琉を見上げて不安げに問いかける少女に、静琉は混乱しつつも反射的に答えていた。綺化式(きかしき)で組まれた幻が勝手に動いて、しかも話しかけるなど、ありえない。静琉はぽかんと口を開けたまま、奇妙な女の子から目を離せないでいた。


「誰と話してんだ? 静琉」


別室に入りかけていた店長が静琉の前まで歩いてきた。堅気(かたぎ)の世界からは遠いような印象の店長のこわもて。それを見てこびとの少女は本から走って離れると、静琉の服にしがみついて身を隠す。

衣服を引っぱられる感触に、静琉はがくぜんとした。女の子は幻影などではなく、触れられる身体をもっている。

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