#1 お願いだからそっちにヘビを持ってこないで
春の匂いがまだ残る、四月の始業式。 名古屋市立ニゲラ中学校の一年一組、教室のざわめきの中に、
市ノ瀬風巳はいた。
「市ノ瀬風巳です、趣味は……家庭菜園です」
自己紹介の順番が来て、立ち上がってそう言ったとき、教室の空気が一瞬、妙に静まった。 ざわ……ざわ……と後ろの席でささやきが起きる。
(え、家庭菜園? 中一男子で?) (なんか、おばあちゃんちでやってそう……)
風巳は席に座ると、気まずそうに下を向いた。だがその直後、隣の席の女子がガタリと身を乗り出してきた。
「え、マジで? それってさ、野菜も育ててるの?」
話しかけてきたのは夜守涼音。サイドダウンの髪と運動部っぽい健康的な雰囲気に、目を引く女子だった。
「う、うん。ナスとかトマトとか。あ、でも最近はコマツナも……」
「それってさ、最高じゃん!」
キラキラした目で夜守は言った。「エサ代、めっちゃ浮くじゃん!」と。
「……え?」
「わたし、いま生物部見学しててさ!」
その瞬間、風巳の世界がぐらりと傾いた。
*
昼休み。夜守に「いいとこ見せてやる」と強引に連れてこられたのは、理科室の一角。
「ここ、生物部の部室なんだけど、今仮入部中なんだ~」
そう言って夜守は勝手に鍵を開けると、中へ入っていった。 風巳は戸惑いながらも中に入る。
教室の中には、透明なケースがずらりと並んでいる。水槽、ケージ、テラリウム。
ケースの中には、黒光りするトカゲ。葉っぱの上で丸くなっているカエル。とぐろを巻いたヘビ。
「うわあああああ……」
風巳の体が震える。
「こいつら、全部わたしたちの仲間!」
そこに眼鏡をかけた三つ編みの女子が現れた。亀崎澪。理知的な雰囲気ながら、手にはカメのぬいぐるみを抱いている。
「夜守、餌の時間だよ」
「おっけー! じゃあ風巳くん、見ててね!」
夜守は冷蔵庫を開けると、透明なタッパーを取り出した。 中には刻んだニンジンとキャベツ、そして……ゴソゴソ動く黒い影。
「はい、今日のごちそう。ミルワームとマダゴキ!」
「……え」
風巳の目の前で、カエルが舌を伸ばし、ゴキブリを丸呑みにした。 トカゲが野菜の切れ端を飛び越えて、ワームに食らいつく。
「うわ、ちょ……マジで……」
ふらつく風巳。
「君、野菜育ててるんでしょ? こういうの育ててくれたら、すごい助かるよ?」
さも当然のように夜守が言う。
「だ、誰がゴキブリのために畑やるかぁああああ!」
風巳の叫びが、理科室に虚しく響いた。
そのとき、奥の扉が開いて、大柄な男子生徒が入ってくる。眼鏡に端正な顔立ち、完璧な制服姿。
「おや、新入部員?」
部長、輝宮星真の登場である。
その後ろから、ボブカットの紫髪の女子、毒島蛇菜がひょいと顔を出す。
「なに? ビビって泣いた?」
「泣いてないし!」
部長はにこりと笑って言った。
「歓迎するよ。ニゲラ生物部へ。……で、ヘビは大丈夫かな?」
その瞬間、夜守がニシキヘビのケージを持ち上げて、風巳のそばに近づける。
「や、やめろって! お願いだからそっちにヘビを持ってこないで!」
こうして、市ノ瀬風巳の波乱の生物部ライフが――まだ入部すらしていないのに――幕を開けた。
ずっと書きたいと思っていた小説を書きました。