最終話 永遠に続く瞬間
僕らは、もう一度線香花火に火を灯した。
パチ……パチ……
静寂の中、小さな火花が舞う。淡い光が彼女の横顔を照らし、その影を揺らしていた。指先がわずかに震えているのがわかる。
「……寒い?」
「ううん、少し緊張してるだけ」
彼女はそう言って、小さく笑った。
夜風がゆるやかに流れ、火花をかすかに揺らす。しばらく、何も言わずに見つめていた彼女が、ぽつりと呟いた。
「ねえ……」
「うん?」
「私ね、本当は、ずっと怖かったんだ」
彼女の声は、夜の静寂に溶けるように優しく、けれど微かに震えていた。
「君と連絡が途切れたとき、最初はまたすぐに話せるって思ってた。でも、気づいたら時間だけが過ぎてて……そのうち、自分から連絡する勇気がなくなったの」
彼女は静かに線香花火を見つめる。火花の淡い光が、彼女の瞳に映っていた。
「君のこと、ずっと考えてた。どうしてるのかな、元気かな、もう私のことなんて忘れたかな……って。でも、もしまた会えたとしても、君の中にはもう私はいないかもしれないって思ったら……」
言葉の端々が、夜風に揺れながら僕の胸に降り積もる。
「だから、偶然君を見つけたとき、嬉しかったのに、怖かった。話しかけるべきか、何もなかったふりをするべきかって……。でも、思い切って声をかけたら君が同じ席に座ってくれて。ほんの少しだけ、あの頃に戻れた気がしたの」
線香花火の火花が静かに弾ける。僕は、彼女の言葉を黙って聞いていた。
「また会える?じゃなくて、会いたいって、自分から言えばよかったって、お店を出てから気づいたの」
「あれは、僕も……そう言えばよかったって思った。でももう遅くて」
僕らはいつも同じ気持ちだった。なのに、ちょっとしたことで言葉を飲み込んで、すれ違う。
夜風がそっと吹き抜ける。
「ねえ」
彼女がふいに言う。
「今度は、願い事をしてもいい?」
「どんな願い?」
「言葉にしなくても、気持ちが伝わりますようにって」
「それ、いいね」
僕は笑う。彼女も微笑む。
「……じゃあ。これで最後な」
線香花火の火は、ゆっくりと先端へ向かって落ちていく。
僕らは、お互いの手をそっと重ねた。火は今にも尽きそうになりながら、儚い火花を散らしながら揺れている。静かに、二人で互いの花火を見守る。
――そして。
どちらの火も、最後まで落ちることなく、静かに燃え尽きた。
彼女がホッとしたように深く息を吐く。それまで息を詰めるように見守っていたのだろう。
「……叶ったね」
彼女は笑った。
その瞬間、僕は迷いなく彼女を抱き寄せた。温もりが、確かにそこにあった。
「……もう、離れないから」
「……うん」
彼女の声が震える。それが、ただの冷たい夜風のせいではないことを、僕は知っている。
僕らは、ゆっくりと唇を重ねた。
線香花火の光はもうない。でも、今、僕らの間にあるものは、ずっと消えることはない。
「……帰ろうか」
「うん」
どこに、なんて聞かずに彼女は頷いた。
僕らは手を繋いだまま歩き出す。もう二度と、離れたりしないように。
夜風が優しく吹き抜ける。空には、どこまでも静かな星が瞬いていた。
(終)
最後までお読みいただきありがとうございました。
この物語が、誰かの「忘れられない時間」をそっと照らすような存在になれたら嬉しいです。