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俺の好きな人は。

「ぁぁっ、ねみぃ……」


南館3階のさらに上、屋上につながる階段の最上段に腰掛けながら、思いっきり欠伸をする。

普段から立ち入り禁止のここに他の人はいない。


「あと15分……次は算数か」


左につけた腕時計をチラッと見てから、両手を高く挙げて伸びた。ポキポキッと背骨がなる。

ここは、俺だけのサボりスポット。


学生の頃もこうしてよくサボっていた。


体育館裏やトイレの個室、高校生の頃は保健室で堂々と寝たこともしばしば。


「大人になってもサボる場所は学校かぁ」


まさか自分が、こんなちゃらんぽらんな自分が小学校の教員になるとは思わなかった。


秋吉あきよし彰人あきと27歳。6年2組の担任として、子どもたちの前に立って、毎日授業をしている。


さて、2時間目と3時間目の間の休みは他の休み時間より長く設定されている。あと15分、今日は何をして過ごそうか。


次の算数の授業準備なんて、さらさらする気も起こらない。どうせ、ほとんどの子どもたちは塾やらなんやらで知っていることばかりなのだ。

自分に出来ることは、教科書通りに、書いてあることを読んで解かせるくらい。あとは、困っている子の近くで一緒に手助けしてやればいい。


「寝るかなぁ」


ゴールデンウィーク明けということもあり、身体がまだ忙しい日々に追いついていない。

前の長期休みの間、俺は趣味に没頭していた。

昼は男のツレとドライブをしたり、カラオケで時間潰したり……夜はとにかく飲んで飲んで飲んで飲み倒した。お陰で、若干昼夜逆転の生活が続いたのだ。


「はぁ……やる気でねぇ」


1人そう呟いたときだ。


「やっちゃったぁぁああ!!」


下の階で女性の大きな声が聞こえた。


「な、なんだ!?」


間違いなくトラブルだ。とにかく、こんなところで時間を潰している場合ではない。

俺はすぐに立ち上がると、2段飛ばしで階段を駆け降りた。

確か、聞こえたのは階段のすぐそばの教室。


「音楽室か」


開いた扉の先に人の気配を感じる。


「何だ今の声!?」


扉に右手をかけて、中を覗くと、そこには2人の高学年女子(名札の色的に5年生だろう)と、1人の女教師がいた。


女の子2人はこちらを見ているが、教師の方は背を向けて立っている。


「あっ、秋吉先生だ」


背の高い方の子と目が合う。

そして、こちらに背を向けて立っていたのは、夏川菜月だった。

彼女は音楽の先生だし、ここにいるのは自然だろう。


「あきと……し先生!」


「あきとし?俺はあきよしだ」


そこで、彼女の様子を見てすぐに状況を把握した。彼女の手には、ビショビショになった教科書がある。となると、今回の悲鳴も彼女のものだったのだろう。


「また夏川先生がやらかしたのか……」


夏川菜月は、俺の彼女である。今年の三月、菜月の方から告白されたので、俺はそれを受け入れた。

彼女はいつも騒がしくて、子どもたちや他の教員からも人気の先生だった。人に気に入られやすい奴というのは、どこにいっても大抵1人はいる。

まさに、俺と正反対の奴だった。


そんな彼女が、なぜ俺みたいなのに告白をしてきたのか、以前に聞いた気もするが、そんなこと忘れてしまった。


彼女は、この惨状にも引き攣った笑みを浮かべている。嫌いな顔だ。失敗したのを取り繕うような、誤魔化すような本心からではない無理やり作った笑み。


「はははっ、見ての通りでございます。はい」


それを見て、俺は思わず冷たく言い放ってしまった。


「笑い事じゃないだろ。ヘラヘラするな」


「はい……」


菜月が悲しげに俯く。少し言い過ぎたかもしれない。


俺は彼女が持つ教科書へと手を伸ばす。


「ほら、職員室の扇風機で乾かしといてやるから」


濡れた教科書を掴むと、スポンジのように指を押し付けたところから水が染み出した。

少し不快に思うも、手放すわけにもいかないのでそのまま職員室に向けて足を進める。


「昼寝タイムはお預けだなぁ」


職員室に向かう廊下を歩きながら、さっきの菜月の顔を思い出す。


「泣きそうな顔してたな」


ここ最近、俺は彼女を避けていた。それこそ、ゴールデンウィークなんか、毎日『体調不良』という名目で一度も会っていない。


では、なぜかだ。


付き合い始めてまだ数ヶ月。倦怠期にはまだ早い。


答えは簡単だった。


俺が、冷めたからだ。いや、冷めたという言葉には語弊がある。


冷めるも何も、俺は彼女に対して熱くなったことがなかった。


自分で言うのも何だが、俺は容姿が良い。世に言うイケメンだ。

だからこそ、これまで彼女に困った試しがない。欲しいと思えばいつでも手に入る存在だった。


夏川菜月に告白されてオッケーしたのも、『その時たまたま彼女がいなかったから』そして、夏川菜月がある程度『可愛かったから』である。


これまでの俺の彼女は、同じ穴の狢……要は、俺と同じでちゃらんぽらんな、清楚なせの字もないような連中ばかりだった。

たがらこそ、菜月のような王道ヒロインのようなタイプに告白されるのが珍しくて、別に好きでもなかったが何となく了承したのだ。


「でも、やっぱり好きにはならないんだよなぁ」


正直、菜月は『お堅い』し、自分の性に合っていないのだと思う。俺も、無理して彼女に合わせる気はサラサラなかったし、ヤらせてもくれないのに、休日までわざわざ会いたいとは思わなかった。


そこで、何だかんだ考えているうちに、職員室まで着いた。この中なら、扇風機もあるし、教科書も、うまい具合に乾くだろう。


ガラッと横開きの扉を開けると、ふわっとコーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。


いつもいる管理職……教頭がいない。どこかへ出ているのだろうか。


職員室内を見ると、1人だけ先生がいた。

いくつものデスクの先で、立ったまま窓の外を見ている女性。スラッと姿勢を正しており、長い黒髪のポニーテールが揺れている。

どうやら、運動場で動いている何かを見ているようだ。


冬坂ふゆさか先生、何してんの?」


俺は教科書を体の後ろに隠しながら、近づく。


「秋吉先生ですか。いえ、少し運動場の様子を」


こちらに一瞬だけ目をやって、すぐにまた運動場の方を見た。彼女は年下にも関わらず、ツンとした瞳と長いまつ毛が『可愛い』というより、『美しい』という雰囲気を醸し出す。


「暑いのにみんなよく走ってるな」


一緒になって外を見れば、5月になって日差しも強くなってきているのに、元気に走り回る子どもたちの姿があった。


「はい。それに、先生も」


冬坂は表情を変えることなく、運動場を指差した。それにつられるように、窓の外を見る。


「ははっ、ほんとだ、春咲か?あれ」


そこには、おそらく5年生の児童と一緒に全力で、死にそうな顔をして走っている男がいた。あの特徴的な天パ頭は5年2組担任の春咲遥太だろう。


「春咲先生です」


冬坂の言葉に抑揚はない。彼女は今年新卒の初任者だった。一ヶ月ほど同じ職場にいるが、いつもこんな感じだ。

ミステリアスで、普段からクールだった。笑った顔は一度も見たことがない。

プライベートのことなど聞いたこともないので、唯一分かっていることは彼女が容姿端麗だということだ。


10人いれば10人がその容姿を褒めるだろう。


「春咲、全然追いついてないじゃん……あんな全力なのに」


沈黙を作りたくなくて、1つ後輩にあたる春咲を少しイジる。


「ですね……ふふっ」


笑った。冬坂ふゆさか冬乃ふゆのが。


ほぼほぼ反射的に彼女の顔を見ていた。


綺麗だと思った。


普段の澄まし顔が少し崩れ、完璧の中に生まれた愛嬌とでも言えばいいのだろうか。隠しているが、その奥には僅かに上がった口角が見える。

そうそう変わることのない彼女の表情が和らいだ。


俺は何も言うことができなかった。


すると突然、冬坂がこちらを見ながら俺に一歩近づいた。


「なっ!?」


心拍数が上がる。自分の顔なんて見えないが、おそらく真っ赤であろう。


彼女はそのまま、しゃがみ込んだ。

頭頂部のつむじが見えた。


「これ、落としましたよ?」


どうやら、俺が後ろで持っていた菜月の教科書を落としていたらしい。

冬坂はいつのまにか地面に落ちていた教科書を拾い上げると、こちらに差し出した。


結構な音がしたはずなのに、全然気が付かなかった。


「あ、ありがとう」


受け取るとき、彼女と目があった。そこには、普段通り澄ました顔の冬坂がいる。


「いえ、それでは」


そう言って彼女は軽く会釈すると、そのまま去って行ってしまった。


かの有名画家、パブロ・ピカソの名言が脳を掠めた。

それは、最近新婚になったこの学校の図工の教師が、俺に向かって自慢げに言い放った言葉だった。


『女性には2種類しかない。「女神」か「都合のいい女」のいずれかだ。』


図工のそいつ曰く、「ウチの嫁が女神だ」とのことらしい。そうは思わないが。


これを聞いた時、流石の俺でもちょっと酷いことを言ってるなぁなんて思った。が、もしかすると、彼は出会ったのかもしれない。


本当に、女神だと感じる人に。


「……いやいやいや、だめだろ」


誰に対してか、そんな言葉で思考を遮る。


「一応、俺には彼女がいるし」


無意味な言い訳。

手に持ったぐしょぐしょの教科書を見る。


「乾かしといてやるか」


俺はそのまま、近くで静かに待機していた扇風機のもとまで足を進めるのだった。

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