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友人機ウニー  作者: 久米 藍
一章
9/38

骸の山でたき火をする

 


ハウヴィは己の痩せこけた腕をじっと見つめた。生きていることが不思議で堪らないほど病的に細い。血管はくっきりと浮かび、どこかに掠ってしまえば一瞬で血が噴き出しそうだ。

 廃墟都市にたどり着いてから、ずっと何も口にしていなかった。たった一人でヒト型と交戦する気にはどうしてもなれなかったからだ。全身を引きずるようにして、ハウヴィは一つの民家に侵入する。内部を確かめる術も余裕もない。

 食料は無かった。代わりに錠剤が床に散らばっていた。効能も何も分からないが、今のハウヴィにはそれが口に含むものだというだけで、体にいいもののような気がした。錠剤のほかにヒト型の死体が部屋の中心にある。それは腹から白い液体を滴らせ、錠剤を濡らしていた。

 多少よごれていても問題ない──そう思った。

 砂金をかき集めるような気持ちで錠剤を寄せ集めて、口に放り込んだ。

 すぐに身体は異常をきたした。吐き気を覚えるが嚥下してしまったものを吐きだせるほどの体力は、残っていなかった。

 明滅する視界の中でハウヴィは死を悟り、意識は途切れた。

 その日を境に、ハウヴィには幻覚が見えるようになる。



 ハウヴィは、目を開いた。

 最初に感じたのは痛みだった。それがじわじわと溶けだすようにだるさに変わっていく。

 頭の中を辛いという感情だけが支配し、しばらくは他のことを何も考えられなかった。

 体感では長時間、呻き続けていたが、少しずつ、思考が輪郭を帯びてきて、視界がピントを合わせ始める。

 見慣れた顔面が目の前にあった。

「……ィ」栗色のくせ毛でこちらの視界を覆いながら、シースが口を動かしている。

 何か頻りに話しているようだが、頭が処理してくれない。とりあえず返答をしようと思い口を開くが、かすれ声が出るだけだ。腕を動かして応答しようとするが、同様に無駄だった。

 目だけは動かせたため、仕方なく視線を横へ向ける。めらめらとしたものが視界を覆った。

 たき火があった。確かに最近は夜が冷えるようになってきたので、用意してくれたのはありがたいことだ。

 そこまで思って、おかしいと気づく。

 シースは物に触れることはできない。たき火はいつもハウヴィ自身で用意していたはずだ。

 たき火を凝視していると、その向こうに誰かが腰かけていた。気づけたのは、あちらもこちらをじっと見つめていたからだ。

 目元がうっすらと青色に縁どられている瞳と、視線が交わる。

「やっと起きたね。元気、ではないけど平気そう」

 彼女が言った。その静けさを含んだ声がはっきりとハウヴィには聞き取れた。

 彼女は手に串を持っていた。廃墟都市周辺に生息している鹿の肉であると、見慣れているハウヴィには理解できた。

 その視線に気づいたのか、彼女はたき火の向こうから近づいてくる。

「これ欲しいの? わたしのだから嫌だなぁ。……もう一本焼いてるから、それを半分あげるよ。全部はダメ。わたしがとってきたから」

彼女は口を使って、串の側面から上手く肉を引き抜き、ほお張った。血色の良い頬に肉汁が少し付く。

「オイ、ウニーちゃん、そこの水筒持ってきてくんねぇか。こいつ干からびて喋れねぇようだ」

 頭上で浮遊していたシースが言う。こちらもやっと聞こえた。耳がまともになったようだ。

「はいはい」と面倒そうに言い、彼女、シースがウニーと呼んだ少女は水筒を持って、その飲み口をハウヴィに向け、

「はい飲んでね。こぼしたら怒るよ」

 そこそこの勢いを持って、ハウヴィの喉に水を流し込んできた。

 むせまくったが、身動きのできない身体は切望する水分を甘んじて受け入れる。身体が緩んでいくのをまざまざと感じた。

 水筒一本分を飲み干したところで、深い呼吸を一度し、それから口を開いた。

「君は、誰だ」

「ウニー」

 ただ一言、端的に質問に答える。そして、こう付け足した。

「あなたの命の恩人ね」

 そう言って、ウニーは肉を頬張る。



ハウヴィが横たえられていたのは、廃墟の中だった。

天井に明いた穴から月光が差し込み、炎の光と混じり合っている。たき火のぱちぱちと弾ける音が静寂を僅かに崩していた。

 ようやく身体が言うことを聞くようになりハウヴィは身を起こした。立ち上がることはまだできそうにない。

周囲に首を巡らすと、異様な物が辺りに転がっている。ヒト型の骸の山だ。そして、ここが小型と大型が争い、目の前の少女が倒れていた、その場所であると分かった。

 思わず小型の死骸を探してしまうが、大量のヒト型に紛れ判別することができなかったため早々に諦めた。

 たき火の炎がハウヴィの頬を照らしている。恐らく煤けているはずだ。肉の刺さった串が火のそばにあることから食事中だったらしい。

 最後の一本らしき串をウニーがひょいと手に取ると、むしゃむしゃと食べ始める。

「……あれ、それ俺にくれるって、話じゃ」

 活力が湧かないこともあって、控えめに主張する。おぼろげながら覚えていた。

「半分って言ったでしょ。わたしが食べた後で」

 咀嚼しながらシースが半目で答える。まるで卑しいと言わんばかりの目だ。

 正直、倒れていた時とかなり印象が違う。あの時は一種の芸術品めいた静謐さを醸し出していたが、目の前の少女はかなり人間味があり、表情や言葉の端に生気を感じる。それもかなり尖ったものを。

 恰好も今は着衣していて、ぶかぶかの上下で揃えている。どこかミノムシのようだ。袖や裾から除く細く白い腕とスネは少し病的なものを感じたが、栄養失調ぶりでハウヴィは人のことを言えない。

 彼女の恰好を見て思い至る。ハウヴィは肌着に着替えさせられていた。防弾ベストと外套は脇に置いてある。一緒に銃器一式もあった。

 シースは物に触れることはできない。ということは──そこまで考えて、思考を止める。

 頬が染まるより前に、糸が切れたように項垂れてしまう。あられもない自分を想像することは、病み上がりにまだ辛いようだ。

 とりあえず外套は羽織っておく。フードを目深に被ると、長い前髪とフートで視界が塞がれ、ほんの少しの安寧を得た。

「まず腹の中になんか入れろ、お前あんなことになってたんだから。体感では数か月は眠ってたぞ」

 そばのいるシースが小さい口を尖らせ言う。

「数か月?」次から次へと情報を追加され、処理が追い付かない。

「……あんなこと?」

ハウヴィは何か大事なことを失念していることに気付いた。先ほどはスルーしてしまったが、よくよく確認すると外套の一部が破けていて、黒いシミが付着していた。防弾ベストも同様に腹の辺りにぽっかりと空洞ができている。

混乱する頭を必死に回転させながらハウヴィは呟く。

「そうだ。俺、確かヒト型と戦って、それで、それで? どうしたんだ?」

「死にかけたの」

 ウニーが表情を曇らせながら言う。

「あー、その辺り説明が難しいんだ」シースが取り直すように口を挟む。

「まずは体調を元に戻せ。それから順を追って話してやるよ──ウニー」

 シースが呼びかけると、ウニーは手にしていた串をハウヴィに向けた。

 七割ほど食べられた串を受け取ろうと手を伸ばすと、

「! ……」

脇腹辺りにすさまじい痛みが走りうずくまってしまう。

患部辺りはすごく熱いのに、四肢の先が酷く冷たく感じる。

「ハウヴィ。どこか痛むか」

シースが傍らで顔を覗き込んでくるが、返答するが余裕がない。

「もしかしたら体内では怪我が治り切ってなかったのかも。端からじゃ分からないし」

ウニーが地面に再び串を刺してから、ハウヴィの元へ歩いてくる。「手、よこして」

「……?」

 意味が分からなかったが、痛みで疑問を挟む余地がなく素直に従う。

 ウニーは丈のあっていない袖を捲ってからハウヴィの左手を取り、繋ぐ。ここに来て、ハウヴィは自分の取れかかっていたはずの小指と薬指が当然のように繋がっていることに気付く。

触れた手先から、人間という生物の体温を感じる。狩った動物のそれと同じようで、やはり違う温かさ。

 人の体温なんて久々だとハウヴィは思った。しかし、すぐに思い直す。覚えがある。それこそ、死んだと思った直後に感じたものだ。

 ウニーの肌がわずかにオレンジ色に変色する。

 ハウヴィがおどろきの声を上げる前に、現象はさらに変化した。

 ウニーの手の表皮に、ヒダのようなものが生える。それがみるみる伸びていきハウヴィの腕に絡みついていく。

「これは……」

 尋ねようと思った瞬間、伸びたヒダが腕の中に侵入した。脇腹の痛みとは比べ物にならない衝撃が生じる。痛覚が暴走を起こしていた。

「い……ァア⁉」

「動かないで」

 ウニーは小さく言い含める。

よく見ると、ヒダが侵入した箇所から血は流れていなかった。それが幾分かハウヴィを落ち着かせる。必死に声を押し殺していると、間もなくヒダは引っ込んでいった。ウニーは手を放す。

「これで問題ないはず。どう?」

「……どうって、あれ?」

ハウヴィは脇腹の痛みが軽減していることに気付いた。

「お前が死にかけてた時も、それで生かされたんだぜ」

 シースが言う。

 ハウヴィは幾ばくかの恐れを感じた。いくら命を助けてくれたとはいえ、異様すぎた。

「助かったよ」それでも、恐怖はそこまでだった。もっと怖がってもいいはずだったが、疲労困憊の体と心がそれを許さない。ハウヴィは直截に訊くことにした。

「君は何者なんだ?」

「むしろ教えてほしい」ウニーは内側に巻いた毛先を弄りながら、さらっと答える。

「わたし、目を覚ます以前の記憶が何もないの」



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