ワウラディ
翌日。家畜を捌いてもらいふるまわれた肉料理は、数か月何も食べていないことを考慮しなくても格別な味だった。
もう一つの報酬であった情報は、ソリダンの口からアラム村がアルミルジ共和国の中央から少し南部に位置する場所であることが知れた。現在地が分かれば考えることのとっかかりが生まれる。
同日にソリダンの奥方、ミーサの書斎を見せてもらった。ハウヴィはせいぜい十数冊、多くても五十冊くらいだろうと高を括っていた。
本棚が壁を埋め尽くしていて、どの棚もぎっしりと本が刺し込まれていた。ソリダン談によれば、ヒト型のジャミングによりネットワーク通信端末がただの板となったあと、ミーサは行商人などからありったけ本を集めていたようだ。イクリル共和国では既にお役御免の向きがある本が、大量に収蔵してある様は圧巻であるとともに、内容を軽く攫うだけでもかなりの作業量になることを物語っていた。この蔵書の中から、ウニーの過去に繋がるものや地理関係の情報を探さなくてはならない。
作業を開始してから間もなく「頭が痛くなってきた」とシースが愚痴り始め、ウニーは「家畜の世話を手伝ってくるね」と早々にリタイアした。
結局、ソリダンの家にひと月近く世話になり続けた。その間はシースが適当に見繕った書籍をハウヴィが確認する作業を続けるといった流れができた。ウニーは家畜を世話し続けている。
ようやっと必要な分の知識を蓄えたと判断したあと、ウニーを書斎に引っ張り込んだ。
「まだあの子たちの世話が途中だから、早くしてね」
つばひろの帽子をかぶったウニーが不服そうに言う。
いつの間にかすっかり板についている彼女に呆れながらもハウヴィは口を開く。
「ウニー、あのワッペンまだ持ってるよな」
「ワッペン?」
思いだそうとして明後日の方向を見ているウニーにハウヴィはため息を呑み込む。
「ウニーが廃墟都市の拠点で見つけたっていう紀章」
「あれね」と得心したウニーはポケットから件のワッペンを取りだす。いよいとハウヴィはため息を吐く。
「失くしたらどうするんだよ……ちゃんと保管しといてくれ」
「今こうしてあるんだからいいでしょ」
またもや不服そうに唇を突き出す。
「そんでなー」話を先に進めようとシースが口を挟む。
「それに書いてあった『ワウラディ』てのは、ここアルミルジ共和国にあった武装勢力の一つだ。アルミルジの首都がヒト型で溢れて壊滅したあとに生き残って敗走した首都警察やら国軍が寄り集まってできた奴らで、アルミルジの西に隣接してるオンワ公国……先進医療で名を馳せてた国だな……からの補給を受けながら最後まででヒト型と戦った奴ららしい。らしいっつうのは、もうその組織は壊滅したみたいなんだよな」
「……はあ」とウニーは目を丸くしたまま、微動だにしない。
「ウニー? 何か思いだしたのか?」
少しの期待を込めて訊く。
ハッとしてウニーは、つばひろの帽子を脱いで、ふるふると顔を振った。
「思い出せたりはしてない。それにしても、よくそんなことまで分かったね」
「ソリダンの奥さんの賜物だよ」
ハウヴィは一冊の本を取り出す。背表紙には何も書かれておらず、表紙の端が折れているような質素な一冊だ。かなり乱暴に扱っていたようで、付いたクセで本自体が柔らかくなっている。ページをめくって、スケッチをウニーに見せた。
星を食らうヘビの絵。
恐らく、これがワウラディの紀章なのだ。
ウニーがスケッチと手に持ったワッペンを見比べて、うんうんと唸る。
ページをウニーに見せたまま、ハウヴィは続けた。
「ミーサさんがワウラディのことを調べていたみたいなんだ。行商人から本をかき集めてたのは本が好きという以外に、各地を移動する商人から情報を得るためだったんだろうな」
「俺たちの数週間に及ぶ苦労は何だったんだよ」とシースが舌打ちする。
「その苦労のおかげで日記が見つかったんだと喜ぼう」
同じ疲労感を背負いながらハウヴィは言う。
「それで? もっと何かわかったの?」
ウニーが先を急かす。ハウヴィも表情を改めた。
「ここからが重要なんだ。ウニー」
「うん?」
「ウニーが帰らなきゃと思ってる方角を、もう一回指してみてくれ」
「こっち」
彼女はなんの迷いもなく一点の方向を指さす。
「その方角には、さっきの話に出たオンワ公国があるんだ。ワウラディがいた国だ。ウニーが眠っているすぐ近くで見つかったワウラディの紀章。ウニーが指さしている方向。ここから一つの仮説をシースと立ててみた。
ウニーがワウラディとなにかしら関係、繋がりがあるという可能性」
「……わたしが?」
特にピンときた様子もなくウニーは訊き返す。そこでシースが付け足す。
「もしかしたら構成員だったなんて可能性もあるな。まぁ確証なんてどこにもないけどさ」
この情報を得て、ウニーがどういった反応をするのか分からなかった。既に壊滅した組織と自身が関わりがあったかもしれないと聞いて、悲しむだろうか、信じないだろうか。
「……そっか」苦笑しながらウニーは眼を細める。
「じゃあ、わたしがやってることって、意味が無いの、かな。えー、どうしよう。二人にこれだけ協力してもらったのに、無駄になっちゃったのか……ごめんね。二人とも」
決して暗くない声音で、ウニーは困ったような笑顔で謝る。
怒りも悲しみもなく、どのような感情が彼女の中にひしめいているのかハウヴィには分からない。
それでも、今のウニーが強がっていることだけは、何とか理解できた。
励ますべきなのだろうか。しかし、それが何の意味を持つのか。ハウヴィの言葉が届くとは思えず、彼女の事情を何も知らない頭が紡いだ言葉など、霞より軽いだろう。
だから、ハウヴィは自分の胸の内を話すことにした。
「ウニーが、いつからあそこで眠り続けていたのかも分からない」
ハウヴィは言葉を重ねる。
「行く意味があるのか、それすらも分からない。……でも俺はこのまま終わらせたくない。だから、確かめに行かないか?」
「確かめ、に?」
つばひろの帽子を持ったウニーの両手に、ぎゅっと、力がこもる。ハウヴィはぎこちなく頷いて、
「そこで待っている人がいたら御の字だし、既に誰もいなかったなら墓でも作って花でも添えたらいいんじゃないか?」
そんなことのために、命がけの旅をするなんてどうかしている、と警鐘を鳴らす理性を今だけは押し込める。
シースはこちらを見て、にやりと笑っていた。居心地が悪い。
ウニーは驚いたように目を見開いていたが、やがて柔らかく瞼を閉じると、ほほ笑んだ。
「それもいいかも」
今の笑顔が、牧場の柵に腰掛けて語り合った時に浮かべていた、あの夜と同じだと分かった。
ハウヴィの胸の高鳴りがあの時と全く一緒だったからだ。
「もう活字はこりごりだな。老け込んだ気がするぜ」
出発する日の早朝。シースはぶつぶつと呟きながら農舎の中に入り込んだ。
農舎はそれなり規模だった。
高い天井から差し込む日の光が、入り口に捨て置かれたピッチフォークをきらきらと輝かしていた。朝早いこともあり、まだ家畜たちは農舎の中にいる。朝日に反応して思い思いに鳴き声を上げていて、足元の干し草を踏み荒らしていた。
シースは出発する前に確かめたいことがあり、ハウヴィやウニーを置いてここを訪れたのだ。
「きれいだよ。ミーサ」
この農舎の持ち主の声が、耳に届く。
声の発信元へ飛んでいくと、そこにはソリダンと件のヒト型に攫われた羊がいた。ソリダンはほかの家畜には目もくれず、一匹の羊を執拗に撫でまわし抱きしめている。
「もうどこにも行かないでくれ」
「もしもーし、俺の声聞こえてる?」ウニーはソリダンに気安く呼びかける。
「万が一俺のことが見えてるけど、反応しちゃいけない悪鬼や幽霊のたぐいだと思ってんなら、勘違いだから安心してほしい。ほーらほらほら」
ソリダンの眼前で手を振るが、彼の瞳は僅かにも揺れない。シースは鼻を鳴らす。
「まあ俺のことが見えてるなら、こんなシーンを見せたりはしないわな。ごめんなぁ、おっさん、あいつらには言ったりしてないから心配しないでくれ」
ソリダンのこのような行いをシースは早くから知っていた。何度も彼の前に姿を現し、こちらの姿が見えないか確認をしていたからだ。
「ミーサ……」
目の前の羊しか視界に収めていない男を最後に一瞥して、シースは眼を細める。
「俺って一体何なんだろうな?」
「ソリダン、いるか?」
シースのその呟きは、別れの挨拶に農舎を訪れたハウヴィとウニーが門を開く音にかき消された。
既に音で気づいていたらしいソリダンは、二人と軽い挨拶をしている。あまりの変わり身に速さにシースは目を丸くしてしまう。
別にシースは彼を異常だとは思わない。相棒であるハウヴィ、出会って数か月のウニー、そして己の異常さを身に染みて理解しているからだ。
別れの挨拶を済ませたハウヴィが、シースに視線を向けた。来い、と言っているようだ。農舎を後にしようとするハウヴィに、シースは大人しく付き添いながら、最後に一度、振り返る。
「世話になったよ。色々と」
もちろん応答はない。
ソリダンへの挨拶を済ませたハウヴィは、農舎の隣に停めていた四輪へ乗り込んだ。
「シース、農舎で何してたんだ?」
アクセルを吹かし、クラッチを徐々に上げながらハウヴィは尋ねる。
「別に、あのおっさんに挨拶しておこうと思っただけだぜ。見えてないっつっても俺は礼儀を欠かさないんだ」
シースはいつも通りの様子で答える。
「それより、ウニーちゃんいい恰好になったじゃねぇか。イカしてるぜ」
「本当? ならよかった」
ウニーは農舎から放たれて牧場へ出てきた家畜たちに手を振りながら、嬉しそうに答えた。
その出で立ちは上半身はそれなりにゆったりとしているが、下半身はベルトや留め具でかなりタイトに引き締めてある。機動力を考えた結果だ。
「奥さんのお古を貰ったんだけど、元のままだとちょっと袖が膨らみすぎてたから、所々縛ったの」
「元の恰好よりはよほどいい」ハウヴィは彼女の恰好を一瞥してから感想を言う。
「機動力もありそうだし、衣擦れの音も最小限にできそうだ」
「女の子の服装に対する評価基準じゃない」
ウニーが不機嫌そうに言う。
「もっとないの?」
「もっと……と言われても」
ハウヴィはアクセルを浅く踏み直してから、彼女を注視する。
以前はかなりゆとりのある服装をしていたが、今回はかなりタイトだ。ミーサはウニーより少し小柄だったことが窺える。
つまり、身体の線が分かりやすい。
「どう?」
ウニーが上目遣いでハウヴィの顔を覗き込む。
「……動きやすそうだ」
ハウヴィは目を逸らして顔を前に向けた。
「何それー」とぶつくさ言うウニーと、何も言わずに成り行きを愉快そうに眺めているシース。特に幻覚の視線が酷く不愉快だ。
一体、自分はどうしてしまったのだ、と悲嘆しながらも顔は火照っていく。
頭を冷やすために、アクセルを強く踏み直した。