98 獣人族の夜明け
ルーファス達はウルル=カンザスの手を借りて、1996年に無事に戻ります。そうしてシルヴァンとマリーウェザーの婚姻の儀を行うために、その準備に精を出しますが…?
【 第九十八話 獣人族の夜明け 】
昨日一日、シルヴァンとマリーウェザーは二人で過ごし、カストラの森から旧ガルフィデア獣国の領土へ出て、遣い鳥を警戒役に、シルヴァンが生まれ育った『ルプトゥーラ』の集落跡地へ向かった。
そこはもう完全な廃墟と化しているが、シルヴァンの両親の墓は残っていて、二人は墓前に最後の別れと、結婚することを告げに行ったのだ。
そしてその夜、俺はシルヴァンにその意思を聞いてから、『エフィアルティス・ソメイユ』の魔法を施した。
これはアティカ・ヌバラ大長老の考えを改めさせるために、"お仕置き" として俺が使った、他者の経験を現実のように体験させるあの魔法だ。
シルヴァンはもう、二度と彼らの息子『ヴァンアルム』を胸に抱くことが出来ない。この時代で俺達がその捜索をすることは出来ず、唯一の息子がどこかで生きていたとしても、会うことすら叶わないのだ。
それでも俺は、シルヴァンに一度だけでも息子を抱かせてやりたかった。
それを叶えることが出来たのは、マリーウェザーのおかげだ。
マリーウェザーはエルリディンに匿われた元王女であっても、我が子ヴァンアルムを乳母のような他人に預けたりせず、全て自らの手で慈しみ育てていた。
目も見えぬ赤子の状態から、初めてつかまり立ちをしたこと。気づいたら揺り籠の中で桜銀の赤ちゃん狼に獣化していたこと。
マリーウェザーを『ママ』と初めて呼んだこと。少しずつ成長し、パパに会いたい、と駄々を捏ねたこと。
その全ての経験をシルヴァンが再体験することが可能になった。
そうして本来ではあり得なかった、『息子との時間』をシルヴァンは手にすることが出来たのだ。
マリーウェザーが注いだ愛情と同じものを、シルヴァンもヴァンアルムに対して抱くことができ、マリーウェザーの悲しみをシルヴァンも分かち合って受け止めて行く。
それは何物にも代えがたい幸福なものであり、酷く残酷なものでもある。
だがそれでも、シルヴァンは喜んでくれた。
以前なにかのお仕置きで、この魔法を俺にかけられたことがあるのだそうだが、その時は二度とこれだけは体験したくないと思っていたのにな。…そう言って泣きながら笑っていた。
――そして今日、俺達はマリーウェザーを加えた五人で1996年に帰る。
俺達がそれぞれ、1996年と自分との縁ある大切なものをウルルさんに手渡し、
念には念を入れ、マリーウェザーにはこの時代で身に着けていた物全てを処分して貰う。
中には彼女の両親から受け継いだ形見の装飾品もあったが、マリーウェザーは一切の未練を断ち切り、前を向いてそれも自ら手放した。
俺は彼女の痕跡を完全に消すために、その場でそれらをこの世界から消し去る。
そうしてマリーウェザーには、アテナの無限収納に入っていた、1996年の衣服に着替えて貰う。
因みに服の大きさだが、当初適当に俺が買いそろえた物の中に、偶々アテナには大きすぎて着られなかったものがあって、それが偶然マリーウェザーにぴったりだったので、事なきを得た。
地下空洞の召喚魔法陣内に立ち、目の前のウルルさんに挨拶をする。その手には俺が預けた『キー・メダリオン』がしっかりと握られていた。
「それじゃ…ウルルさん、またすぐに会いましょう。」
俺の言葉にウルルさんは、ふはっ、という声を出して失笑する。
「ルーファス様にとってはそうでしょうが、私には994年後ですよ?…ですがここは、はい、と言っておきましょう。」
そう言ってウルルさんはさらに苦笑した。
「頼んだ、ウルル=カンザス。」
「頼まれましたよ、シルヴァンティス。」
シルヴァンとウルルさんは互いに目線を交わして頷き合う。
「よし、みんな準備は良いな?召喚魔法発動の合図を未来のウルルさんに送るぞ。」
「「「「了解!!」」」」
俺は全員の返事を確認した。
さて、ではどうやってこの時代から、未来のウルルさんにその合図を送るのかと言うと――
今、俺達の足元にある召喚魔法陣の石版には、魔法陣を形成していない部分に余白がある。
それは周囲をぐるりと囲む様に一周分あり、ここには一切なにも書かれていない。
この余白に、俺とウルルさんにしか理解できない文字を、俺がこれから一文字一文字、魔法で刻み込んで行く。
その文字数は全部で十個。1996年のこの場所には、既にウルルさんが待機しているはずだから、俺がこの文字を刻んで行くと、未来ではなにもなかった余白に突然文字が浮かび上がって行く現象が起きるのだ。
こんな風に過去を改変すると同時に、未来で変化が起きる現象のことを、『時間超越の同期現象』と呼ぶ。
俺は一昨日ここに来た時に、この場所に強化保存魔法を施した、と言ったが、実はあの魔法は一度かけると、後からその対象物に後々まで残るような変化を加えられない。
当然、俺が今しているように魔法で石版の余白に文字を刻む、なんてことも出来ないようになっているのだが、俺は逆にその現象を利用して、未来のウルルさんに合図を送ることにした。
今から俺が使用するのは『ヴェレバスク』という水属性魔法だ。この魔法は通常水圧で広範囲の対象を纏めて押し潰す攻撃魔法だが、その威力を調整し、細く効果範囲を絞ることで圧力を跳ね上げられる。
それは石や岩を砕くほどにまで高められるが、少し威力を下げると、石の表面を削ることができ、上手く操ることで文字を描くことも出来るのだ。
そうして俺が記して行くのは、『創世文字』と呼ばれる、古代文字よりもさらに古い時代の文字だ。
実はこの文字にはどういうわけか『魔法抵抗』の効果がある。文字自体になにか未知の力があり、それが文字に影響を与えるのを拒むらしい。
その原理は不明だが、これを利用することで、召喚魔法発動までの『秒読み』が可能になる。
簡単に順を追って説明すると、俺が予めかけておいた強化保存魔法に抵抗する『創世文字』を魔法で石版の余白に刻む。すると創世文字は強化保存魔法に抵抗して一定時間、消滅に抗うので暫くの間(ほんの数秒間)石版に留まる。それが過ぎるとやがて強化保存魔法の修復作用が始まり、最初に刻んだ文字から順番に創世文字が消えて行く。…と言う流れだ。
創世文字が十個刻まれた時点で、俺達の準備は整った、と言う意味を示し、ウルルさんにはその創世文字が順を追って全て消えた直後に、召喚魔法を発動して貰う手筈になっている。
これが俺とウルルさんで決めた合図の全てだ。
ウルルさんは少し緊張した面持ちで、俺が魔法『ヴェレバスク』を指先で操り、創世文字を刻んで行くのをじっと見守っていた。
やがてその作業が終わると、最初に描いた文字から順に、一つ一つそれが消え始める。
「創世文字が消える…アテナ、ディフェンド・ウォールを発動。」
「はい、お任せを。防護魔法『ディフェンド・ウォール』!」
キンキンキンッ
これも念のためだ。
「シルヴァン…!」
マリーウェザーは初めてのことに緊張から少し怯え、シルヴァンの衣服を強く掴んだ。
「案ずるな、マリーウェザー。我が傍にいる。」
不安気に寄り添うマリーウェザーの肩を、シルヴァンはぎゅっと抱き寄せる。
――次の瞬間…
ボウオンッ…
鈍音と共に俺達の足下から、垂直に灰色がかった七色の光柱が輝き、俺達はそこから転移した。
――その場に一人残されたウルル=カンザスは呟く。
「ルーファス様、シルヴァンティス…ウェンリーさんとアテナさん、そしてマリーウェザーさんも…遠い未来で必ずまたお会いしましょう。」
♢ ♢ ♢
――あの罠にかかって暗闇に放り出された時と同じく、その時間は僅か一秒ほどだった。
「ルーファス様!!」
炬火台に赤々と灯された炎と、照明魔法による光で、昼の日の下にいるかのように明るく照らされたその場所に、俺達は全員無事に喚び出された。
数秒前と変わらぬ景色に、足元に輝いていた召喚魔法陣の光が消え失せ、目の前に黒鳥族の護衛を連れて立っていたウルルさんは、心から安堵の表情を浮かべると開口一番に俺の名前を呼ぶ。
その手には俺が預けたキー・メダリオンが握られていた。
俺はウルルさんに駆け寄り、現在の年月日と時間を尋ねて、すぐさまここが〝いつ〟なのかを確かめる。
1996年春の△月△日午後一時半。
間違いなく、俺達がフェヌア・クレフトに、マリーウェザーの遺骨を探して足を踏み入れた日だった。
「お帰りなさいませ、ルーファス様。シルヴァンティスに皆様も、無事のご帰還おめでとうございます。」
これでようやく私も肩の荷が下りました、とウルルさんは微笑む。
「本当にありがとうございます、ウルルさん。あなたには感謝してもし切れない。」
「いいえルーファス様、勿体ない御言葉にございます。つきましては、なにをおいても直ちにこちらをお返ししたく、どうぞお受け取り下さいませ。」
彼は俺の前に畏まって、キー・メダリオンを差し出したのだった。
――ウルルさんから各々私物を返して貰う(マリーウェザーの日記は俺が受け取った)と、俺達は取り急ぎ転移魔法石を使って、アティカ・ヌバラ大長老の屋敷へと戻った。
大役を終えたばかりのウルルさんだったが、俺の方からもう一つ頼み事があって、変化魔法で外見を変えて貰うと、『ステルスハイド』を使用した護衛と共に一緒に来て貰った。
今朝俺達は、フェヌア・クレフトへマリーウェザーの "遺骨探し" に入ったはずなのに、マリーウェザー本人を連れて戻ったことに、アティカ・ヌバラ大長老とイゼス、レイーノ、ランカの三人は、顎が外れそうになるほど口を開けて驚倒していた。
「ど、どどどどど、どうしたらそのようなことになるのですか!?ルーファス様…!!」
無理もないが、大長老は(相変わらず顔は見えないので多分、だが)真っ青になり、今にも気を失いそうになっている。
「確かにあの肖像画そのものの女性のように見受けられますが、真実ルフィルディルの創設者、マリーウェザー様なのですか…?」
恐る恐るそう尋ねたのはイゼスだ。
「はい。私の名はマリーウェザー・ルフィルディル、と申します。古代アガメム王国の第一王女であり、囚われていた獣人の方々とその家族である人族を連れ、私がルフィルディルの里をこの場所に興しました。」
マリーウェザーは凜とした姿で堂々とそう答える。
俺は彼女に、本物のマリーウェザーか、と獣人の誰かに問われたら、決して怯まずに堂々とそうだと認め、名を名乗るように言っておいた。
獣人族はオドオドした不審な態度を見せる者を嫌い、疑われていると思ったからと言って、怯えてビクつくような相手に敬意を払わない。
悪いことをしていないのであれば堂々としていれば良い、と言った獣人らしい考えが広く根付いているからだ。
俺の助言通りに、淀みなくそう告げたマリーウェザーの態度は上出来だった。
もちろんその根拠たるものがちゃんとあり、彼らが予め肖像画で彼女の顔を知っていたことと、獣人族の守護神であるシルヴァンの、彼女を見る瞳が心から愛しい者に対して向けられるそれであったこと、そしてなにより俺が、マリーウェザーを自分達の『仲間』として守護七聖主の庇護下に置いた、と説明したことが決定打となって、大長老とイゼス達はマリーウェザーが本人であることを信じてくれた。
――それから俺は準備が整い次第、数日の内にシルヴァンとマリーウェザーの『婚姻の儀』を行うと取り決め、ルフィルディルの二箇所にイシリ・レコアへの転送陣を設置する許可を大長老から得た。
このためにウルルさんに、外見変化魔法を施してまでついて来て貰ったのだ。
至極当然のことだが、転送陣を場に設置するには、『転移魔法』を使用可能なことが大前提だ。
それは魔法陣を設置する際に、実際に転移して往復し、その座標に空間と空間を結ぶ出入り口を刻まなければならないからだ。
これは先に説明した、例の "現実に今俺達が存在している世界" という定義の紙の上に、往復可能な点と点を設ける作業だと思ってくれればいい。
そして残念なことに、俺は(もちろんアテナも)まだ転移魔法を使えなかった。いや所持魔法の一覧にはきちんとあるのだが、ウルルさんに呪文を教えて貰ってもなぜだか暗転したままで、未だに使えるようにはならないのだ。
本当、俺は俺自身のことが良くわからない。
呪文を教えて貰っても使えるようにならないのでは諦めるしかなく、転送陣を設置可能なウルルさんに来て貰うしかなかったわけだが、色々と俺自身にわけのわからない制限があるのはもどかしいことこの上なかった。
「ルーファス様、無事に設置が完了致しました。どうぞお確かめください。」
ウルルさんはそう言って、実際に使ってみるよう俺に促した。
一つ目の転送陣は、大長老の屋敷にある広い庭に設置させて貰った。ここに置けば基本的に誰でも利用が可能になる。
屋敷の前では俺達が集まってなにやら見慣れぬことをしている、と興味津々で大勢の獣人がこちらを覗き込んでいた。
「ありがとうございますウルルさん、それじゃ早速――」
俺はたった今設置して貰ったばかりのそれに足を踏み入れる。すると問題なく魔法が発動し、イシリ・レコアの門前に転移した。
「――うん、確かにイシリ・レコアだ。」
俺はそこに到着すると、金色の光を放つ転送陣から出て顔を上げ、イシリ・レコアの入り口にある、壊れた石像と盾の形の紋章が刻まれた石門を眺めた。
存続と発展に成功したルフィルディルと違って、廃墟と化していたイシリ・レコアは、その上空を遮るものがなにもなく、暖かな日差しが燦々と降り注いではいるものの、微かな風の音と木々のざわめきが聞こえるほど静かで、俺は少し寂しくなった。
後に続いてウルルさんがシルヴァンとマリーウェザーを連れて来て、さらにウェンリーとアテナに、イゼス達とアティカ・ヌバラ大長老も転移して来る。
「おお…おお、ここが我ら獣人族の聖地、イシリ・レコア…!!この目で見、この地に立つことが叶うとは…感謝致しますぞ、黒鳥族の族長殿…!!」
アティカ・ヌバラ大長老とイゼス達は、感涙して門前でまず最初に跪き、頭を垂れてなにか祈りを捧げていた。
「既に滅びた廃墟だ。我が許す、皆気にせず入れ。」
シルヴァンが守護神らしく少しだけ偉そうにしてそう言うと、揶揄うように意地の悪い顔をしてウェンリーが突っ込む。
「ああ、そういやシルヴァンの許可なく、イシリ・レコアには入っちゃいけなかったんだっけ?すっかり忘れてたわ。」
「ウェンリー…!」
せっかくマリーウェザーの前で格好付けようとして、威厳のある雰囲気を醸し出そうとしたのに、それを潰されたシルヴァンはウェンリーを睨んだ。
俺の背後で、その明るい笑い声が響く。
――なぜ俺が、廃墟と化しているイシリ・レコアとルフィルディルをウルルさんに頼んでまで転送陣で繋いだのかと言うと、シルヴァン達がかつて崇めていた『ガルフ・ネシオス』という名の獣神を象った像が、今はもうイシリ・レコアにしか残されていないからだ。
シルヴァンが結婚と同時に『継承の儀式』を行うには、その獣神像に誓いを立てて祈りを捧げる必要がある。それだけでなく、現在のルフィルディルには獣神に祈りを捧げる御神体がなく、神事を行える巫女もいないことから、この機会にいっそのことイシリ・レコアへの出入りを可能にしてしまおうと考えたのだ。
「よし、それじゃ手っ取り早くやることをやってしまおう。」
門から里の中に入ると、各自予定通りの行動に移る。
ウェンリーとアテナは里最奥の祠に向かい、長い間放置されたままの祠と獣神像の状態を調べ、破損しているようならウェンリーの手作業とアテナの修復魔法で修繕する。
シルヴァンとマリーウェザー、大長老とイゼス達は里内を具に見て回り、ここを再び人の住める状況にするための簡単な事前調査を行う。
そして俺とウルルさんは、もう一つの転送陣の設置と、ここにあった『時空点』を封印するために、シルヴァンが眠っていた神殿前の広場へ向かった。
その里の中心にほど近い場所に、極狭い範囲の背景が歪んで見える箇所がある。俺が最初にイシリ・レコアを訪れた時から、ここにあることを知っていたあの時空点だ。
俺はそこに立ち止まり手を触れて、自己管理システムの使用可能な魔法一覧に変化がないかを確かめてみたが、未だ時空転移魔法は暗転したままだった。
――やっぱりだめみたいだな。…ここの時空点は、いったいどこに繋がっているんだろう?使えるようになるのに何か条件がいるんだろうか。
「これがルーファス様の仰っていた『時空点』ですか。」
俺が考え込んでいると、横に並んだウルルさんがしげしげと覗き込む。
「異界属性云々の有る無しに関わらず、私には時空転移魔法を使うことなど不可能ですが、それでもこのようなものを見ることは叶うのですね。」
「だとしても普通はこれが〝そう〟だと気づくことはないでしょう?俺だって自分が経験していなければ見過ごしていたかもしれません。」
これが時空点であることを知っているのは、俺がウェンリーと一緒に過去のムーリ湖へ飛ばされて、Aランクパーティー『根無し草』を助けた後、王都へ戻るのに利用したことがあるからだった。
――この時空点もいつか必要になる時が来るのかもしれないが、触れて時空転移魔法になんの反応もない以上、万が一の事故を防ぐ方が大事だ。
俺はウルルさんの手を借りてこの時空点に封印を施す。…と言っても時空点その物を閉じられるわけじゃない。"時空の揺らぎ" が広がっている一定の範囲に結界を施し、誰も近付かないよう目には見えない壁で覆って、人が無意識にこの場所を避けるように忌避の細工をするだけだ。
俺はその仕上げをウルルさんに頼み、幻覚魔法で俺の結界を覆って貰う。こうすることでこの場所には、大きな篝火が昼夜問わず赤々と燃えているように見え、きちんと熱さも感じられることから、誰も一定範囲に近付けなくなる。
もちろんこの炎は幻覚なので、雨が降っても水をかけても消すことができない。夜は照明代わりにもなり、この広場の良い象徴となってくれるだろう。
時空点の封印が済むと、俺とウルルさんは神殿内部のシルヴァンの像が立っている広間に入り、奧の部屋にもう一つの転送陣を設置した。
こちらは大長老の屋敷にある宝物庫前の中庭と繋がっている。
「よし、これで今日のところは終わりだ。後は明日から本格的に動くとしよう。」
俺は目の前に輝く金色の転送陣を見ながら一息を吐いた。
「イシリ・レコアの結界障壁はどうされるのですか?まさか以前の様にキー・メダリオンと神護の水晶を使われるわけではないのでしょう?」
「ああ、それにはルフィルディルと同じく『結界石』を使おうと思っているんです。」
『結界石』と言うのは、読んで字の如く、広範囲に障壁を張るために用いられる魔法石のことだ。
通常の魔法石と異なるのは掌大の物から一メートル以上というその幅広い大きさと、地属性と光属性に特化した魔力を含み、それ単体ではなんの効果も持たないことだ。
この結界石には、地面に埋め込むなどして大地の魔力を吸い上げ、刻まれた魔法紋の効果を長期間持続させられるという特徴がある。
俺は以前の反省を踏まえ、神護の水晶などの媒体を使用しない障壁を張ろうと決めていた。
シルヴァンには先に話しておいたので、既に大長老には説明してくれているはずだが、その障壁効果もルフィルディルとは異なり、主に上空からの視認を妨げる効果を持つものだ。
この場所は隔絶された地形にあり、ラビリンス・フォレストとヴァンヌ山のインフィランドゥマが人族の侵入を阻み、開けた海側は断崖絶壁となっている。
これなら通常の町や村同様に、頑強な外壁を築くことで魔物の侵入は防げるからだった。
俺はウルルさんにそう説明すると、結界を張るまでの数日間はルフィルディルに留まり、イシリ・レコアと転送陣で行き来することになると話した。
転送陣の設置が済み、俺とウルルさんは歩きながら他愛のない雑談をする。ウルルさんは時空点の話から、そう言えば…と切り出し、俺の見ていないところでウェンリーがこんな質問をしてきた、と苦笑いを浮かべた。
「彼は面白い人ですね。ルーファス様が忙しいと見るや、こっそりと私に話しかけてきて、ここが本当に自分達が過去に行く前にいた世界なのか、と何度も確かめるんです。」
ウルルさんのこの場合の〝面白い人〟と言う表現は、ウェンリーのことを褒めているわけじゃない。ちょっと困った、と遠回しに伝えているのだ。
その上ウェンリーは、カストラの森で実は初対面の振りをしていたのか、とか、その時既にキー・メダリオンを持っていたなら、あの場には二つキー・メダリオンがあったのか、など、まあ素朴な疑問を次々にぶつけてウルルさんを困らせていたらしい。
「彼の話を聞いていたら、なんだか私まで混乱してしまって…」
と、ウルルさんはすっかり困惑顔だ。要するに話を聞いている内にウルルさん自身も、ウェンリーの質問の答えがわからなくなってしまったのだろう。
俺はウルルさんに同情の目を向けながら、苦笑して答えた。
「――ウェンリーの最初の質問の答えは、結論から言うと〝違う〟ですね。」
それは召喚された過去でウルルさんと接触し、ウルルさんの力を借りて1996年に戻った先が、『俺達が過去に行く前の世界』ではなく、『俺達が過去から戻った世界』だからだ。
言うまでもないが、俺達が過去に召喚されて、そこに辿り着いた時点でもう、『未来の世界』は分岐している。
もし俺達が帰って来たのがウェンリーの言う〝過去へ行く前の世界〟だったのなら、ウルルさんは召喚魔法を使用しておらず、もちろん、俺達と過去で接触した記憶もない、と言うことになってしまう。
もしそうなら俺達は1996年に帰って来られないはずだから、その世界にはどうあっても辿り着けない。
つまり、ウェンリーと初対面だったウルルさんは〝初対面の振り〟をしていたのではなく、事実初対面で、あの時はウルルさんの手元にキー・メダリオンはまだなかった、と言うのが正解だ。
頭がこんがらがるかもしれないが、俺達自体の時間はたとえ過去に行っても、〝未来〟へ向かって一定方向にしか流れておらず、ここは同じ1996年でも俺達に取っての未来の世界と言うことになる。
そう考えれば変化するのは当然で、俺の目の前にいるウルルさんは、俺達にとっての未来のウルルさんなのだ。
――そう俺の考えを話して聞かせたら、ウルルさんは余計に混乱したようだ。
ウルルさんにしてみれば、自分は1002年に俺達と会い、俺達を1996年に召喚するため、キー・メダリオンを含めた私物を預かった、と言う記憶がある。
なのに俺の説明だと、カストラの森でウェンリーと初めて会った時は初対面の振りをしていたわけではなく、キー・メダリオンも手元にはなかった、と言う記憶にない矛盾が生じているのだから、無理もない。
これは俺が1002年から1996年のウルルさんに送った合図と同じ『時間超越の同期現象』がウルルさん自身に起きたことが原因だった。
そのせいでウルルさんの中では矛盾を消すために、自分は初対面の振りをしたはず、キー・メダリオンは持っていたはず、という修正力が働いている可能性が高かった。
これ以上混乱させないために、俺はウルルさんに、俺達が過去で関わったせいで、ウルルさんには『別の記憶』が後から付け足されたんだと考えて欲しい、そう話した。
これがウェンリーなら、誰がそれをやったんだ、とか、さらに追求して来そうだが、ウルルさんは俺が言うのだからそうなのだと思っておく、と言って、自分からこの話を振ったことを後悔しながら打ち切った。
――それからの数日間は目まぐるしく過ぎて行った。
シルヴァンの婚姻の儀に是非参加したいと言ってくれたウルルさんが、イシリ・レコアの結界石設置などの作業も手伝ってくれた(もちろん変化魔法で姿を変えたままだ)おかげで、予定よりも早く障壁を張り終わり、次に俺はマリーウェザーを『獣人族の巫女』にする行動に移った。
マリーウェザーは俺が想像していた通り、元々生まれ持った魔力が高く、シルヴァンと『眷属の誓い』を事前に交わしていたこともあって、俺が作成した女性獣人専用の治療魔法『レティフィケーション』を使用するのに必要な、『異界属性の理』の方は問題がなかった。
だがここで予想外に、もう一つ必要なフェリューテラの理である『光属性』の素質が、微妙に足りないことを知る。
そこで俺は精霊族の女王マルティルに連絡を取り、光の大精霊『ブラカーシュ』の手を借りることにした。
これにはブラカーシュの方から相応の謝礼と俺への頼み事を済ませるという条件を要求されたが、俺はそれを問題なく片付けると(長くなるので割愛するが、機会があればいつか話す)、マリーウェザーの光属性魔法を扱う素質を上げるため、『大精霊の祝福』を貰うことに成功する。
これで後はマリーウェザーが、無事に『レティフィケーション』を自力で発動できれば『巫女』の出来上がりだ。
もちろん獣人族の巫女としての役割は祭事や神事を行うなど他にも色々あるが、それについては彼らの長であるシルヴァンに任せることにする。
今回の『巫女』作成は、あくまでもマリーウェザーを受け入れて貰うために行った〝変則的な措置〟なので、誰でも彼女のようになれるというわけじゃないことだけは付け加えておく。
そうして無事に巫女になることが出来たマリーウェザーは、アテナから高位の治癒魔法や身を守るための魔法なども一通り教わり、いざという時にはシルヴァンに代わって自分がルフィルディルと獣人族を守る、と言って、長の番に相応しい不撓不屈の意を表したのだった。
――明けてまた後、全ての準備が整うと、ルフィルディルとイシリ・レコアの両方で、ようやくシルヴァンとマリーウェザーの婚姻の儀が盛大に執り行われることとなった。
シルヴァンは半分照れ、半分涙ぐみながら、せめて今所在が判明しているリヴグストにだけでも参列して欲しかった、と呟いた。
それについては俺のせいもあるし、多分他の七聖達も一目見たかったと言いそうな気がしたので、実はこっそり映像記録用の魔法石で婚姻の儀の模様を残すことにしてある。
それを記録する役目は、黒鳥族の精鋭がウルルさんの願いで買って出てくれた。彼らなら式を邪魔することなく隠形魔法で身を隠しながら、様々な場所から記録してくれることだろう。(鳥に姿を変えられるしな。)
長い苦難の時代を過ごし、夜明けを迎えたルフィルディルの獣人族は、改めて守護神シルヴァンティスの出現と、遠い過去から来た里の創設者の婚姻に歓喜し、人族でありながら彼らの『巫女』となったマリーウェザーを、『奇蹟の巫女』と呼んで受け入れてくれた。
因みにマリーウェザーのことはアティカ・ヌバラ大長老の判断で、隠すよりも肖像画を公に展示して住人達に知らしめ、不思議な力でフェヌア・クレフトに過去から飛ばされて来たのだ、ということにした。
これが人間であれば端から信用せず疑ってかかるところなのだろうが、そもそも守護神シルヴァンティスが千年前と変わらぬ姿でここを訪れ、一族の宿命であった獣人女性の短命を救った時点で、彼らは既に誰も疑いを持っていなかった。
大勢の獣人に心から祝福されて祝われ、イシリ・レコアの獣神像の前で番となる誓いを交わすシルヴァンとマリーウェザーを見て、俺は本当に良かった、と感慨に耽る。
マリーウェザーが着ている花嫁衣装は、過去彼女がどうしても捨てられずにずっと持っていたものだが、現在も宝物庫に保存魔法をかけて保管されていたため、それを魔法で綺麗に修復したものだ。
マリーウェザーは泣いて喜び、シルヴァンより年を取ってしまったけれど似合うかしら、と冗談を口にしていた。
「マリーウェザーさん、とっても綺麗ですね。なんだか羨ましいです。」
うっとりとした表情で二人に魅入り、そんなことを口にしたアテナに、俺はギョッとする。
「ちょっと待て、アテナ…羨ましい、とはどういう意味なんだ?」
まさか自分も結婚したくなった、とかそういう意味じゃないよな?…いくら何でもそれはまだ早いぞ!!
俺はそう焦ったが、アテナの方は大した意味もなく口にしただけで、単に綺麗な衣装を身に着けて、幸せそうに微笑んでいるマリーウェザーのように、自分もそんな気分を味わってみたいと思っただけだったようだ。
はあ、脅かすなよ。いつの間にかアテナが恋心までも学んで、誰かと結婚したくなったのかと思ったじゃないか。
まさかとは思うが、その相手が、ウェンリー…だったりすることはないよな?
――さすがにそれは俺の考えすぎである。
ウェンリーは婚姻の儀と継承の儀式の手伝いを買って出て、今は衣装替えの準備や番としての杯を交わすその用意に奔走している。
今日は裏方に徹してシルヴァンを影から支えるつもりなようで、行ったり来たりしながら忙しなく動くウェンリーを、俺は目を細めて眺めた。
すると、少し離れたところでアティカ・ヌバラ大長老がきょろきょろと辺りを見回し、なにか誰かを探しているような行動をしていることに気が付いた。
気になった俺はその場から離れ、大長老の元に歩いて行く。
「アティカ・ヌバラ大長老?」
「おお、ルーファス様。」
俺がどうしたのかと尋ねると、困惑顔で(何度も言うが、顔は髪の毛と髭で全く見えないので想像の域を出ない。)今この場に立っていたと思しき獣人を探している、と首を捻った。
なにやらその態度と口調や語尾に、不思議なものを感じたので詳しく聞くと、この里に来た初日の晩餐で、シルヴァンに滔々と語っていた『他所から来た獣人の若者』が、今ここに立っているのを見た、と言うのだ。
俺は驚いて聞き返す。
「それは黒い犬耳に赤目の男じゃなかったのか?」
そう言えばあの後シルヴァンのことやエーラさんのことがあって、確かめるのをすっかり忘れていた。
「黒い犬耳?いえ、わしが申しておりました獣人の若者は、犬ではなく、狼ですじゃ。おまけに――」
その獣人の特徴としては、薄明るい茶毛に同色の瞳を持っているが、獣化すると薄桃色の毛に緑色の瞳の狼に変わるのだと言う。
中肉中背で成人前の十代後半くらいの年令に見えるのに、やけに落ち着いた雰囲気を持っているらしい。
「シルヴァンティス様が里にいらして以降、ぱったりと姿を見せなくなったので心配しておったのですが、お二方の婚姻の儀を祝いたかったのでしょうな。食い入るようにして見つめておったので声をかけようとしたのですが、すぐに姿を消してしもうたようですじゃ。」
「狼の獣人…薄明るい茶毛に同色の瞳、か…」
てっきり他所から来た獣人というのは、俺達が戦ったあの暗黒種が獣人に化けていた姿だったのだと思っていたのに…違ったとは。
まさか別に存在していたとは思わず、もっと早くに大長老から話を聞いておくんだった、と失敗を悔いる。
同じような外見の獣人が、少なくともルフィルディルにはかなりの数いそうだよな。あれ以来俺達が命を狙われたりすることもないから、その獣人になにか問題があるとは限らないが…だが獣化すると薄桃色の毛に緑色の瞳に変化する?獣人族は人型の時と獣化の時とで毛色が変わることもあるのか…?
アティカ・ヌバラ大長老は、特段それについて不思議に思っている様子もなかったため、さして特別なことでもないのか、と思う。
結局それ以降もその獣人が姿を見せることはなかった。
――シルヴァンとマリーウェザーの婚姻の儀と同時に、継承の儀式も滞りなく無事に終わり、晴れて二人は皆に認められる夫婦となった。
今後ルフィルディルかイシリ・レコアのどちらかに、二人の新居が建てられることになるそうだが、ついでに俺達『太陽の希望』のエヴァンニュでの拠点もここに設けることにした。
今後封印を解く七聖のことも考えるとかなり大きな建物になりそうだが、もちろんそれには獣人の大工か建築家に、正式な依頼として対価を払って頼むつもりだ。
そう言った話し合いはこれからゆっくりすることにして、とりあえずこれで安心して隣国シェナハーンに水の大精霊『ウンディーネ』を訪ねることが出来るようになった。
リヴグストに会ってから実質的には十日程度になるが、1002年に行っていた期間も数えると既に三週間も過ぎている。
俺の記憶を取り戻すためにも、早いところ彼を『神魂の宝珠』から解放して、あの海神の宮から外に出られるようにしてあげたいところだ。
…そう思っていたのに、物事はどうにも思う通りには行かないものだ。
その知らせが届いたのは、婚姻の儀から二日後のことだった。
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