94 君だけを永遠に愛す ③
ウルル=カンザスの館で目を覚ましたルーファスは、医療院で治療機器の中で眠るマリーウェザーと対面します。彼女の遺骨を探していたはずなのに、なぜ存命中の彼女が目の前にいるのか、ルーファスは混乱しました。やがて場所を移し、ウルルを交えて状況を整理しようとしますが…?
【 第九十四話 君だけを永遠に愛す ③ 】
「――俺がおかしいわけじゃないよな…?」
吃驚する俺に後ろで頷くウェンリーが言う。
「その気持ちは良くわかるぜ。俺も思わず同じことをシルヴァンに言っちまったかんな。」
両手を広げて首を振ると、ウェンリーは〝なにがなんだか〟と小さく呟いてから、右の頬を人差し指で引っ掻き、俺から目線を逸らしてあらぬ方を見た。
それはなにかで気まずくなって戸惑ったり、俺になにをどう話したらいいのかわからなくなった場合などに、ウェンリーが良くやる仕草だ。
――確かに俺達はフェヌア・クレフトでマリーウェザーを探していた。だけどそれは、過去に攫われて殺されたまま行方がわからなくなっていた、彼女の『遺骨』だ。
誤解のないように言っておくが、俺だってマリーウェザーが生きていることは素直に嬉しいし、驚いたけど良かったと思う。だが何度も繰り返すが、〝どうしてここに〟だ。
「どうなっているんだ…?」
この状況がすぐに理解できなかった俺は、ウェンリーやシルヴァンが口にしたであろう同じような言葉をまた繰り返した。するといつものようにウェンリーから突っ込みが入る。
「それ聞きてえのは俺達の方だし。ルーファスならなにかわかるんじゃねえかって、おまえが目を覚ますのをシルヴァンと待ってたぐらいなんだぜ。」
ちょっと待て、なんで俺にならわかると決めつけるんだ?ずっと一緒にいただろう。…そう言いたくなった。
そうして俺は思わず語気を強める。
「いや、俺にだってわからないよ!」
「ルーファス様、落ち着いて下さい。少し声が大きいです。」
「あ、ああ…ごめん。」
アテナに服の袖を引っ張られ、ハッとする。
そうか、ここは病院と同じだ。静かにしないと…
普段はウェンリーを注意する側なのに、珍しくアテナに諭された俺は、もう一度治療機器の中で眠るマリーウェザーの顔を硝子越しにまじまじと見つめた。
痩せ細って頬が痩けてはいるが、顔色は悪くなく今にも目を覚ましそうだ。
黒鳥族のこの治療機器というのは、表から見た感じ、産まれたばかりの赤ん坊を寝かせておく揺り籠の形に良く似ている。
丸みを帯びた駆動機器の寝台に、手の平大の魔法石が側面に幾つも埋め込まれ、患者の様子を見られるように硝子が嵌め込まれた蓋がついている。
寝台の脇には長方形の箱型をした制御装置があって、上部の画面には患者の状態が具に映し出されており、異常が発生した場合は、すぐにそれを見ながら対処できるようになっていた。
俺が見た限りだがこの治療機器は、閉ざされた機器内部に全ての必要な栄養素を粒子化させて霧散させてあり、安静に眠りながら呼吸するだけで、直接酸素と共にそれを体内に取り込める仕組みのようだ。
「――何度確かめてみても、間違いなくマリーウェザーだよな。あの混乱の最中、シルヴァンはいつ布に包まれていたのが彼女だと気が付いたんだ?」
俺から離れ、ウェンリーの斜め後ろに控え目に立っていたシルヴァンが、目線を落として拳をきゅっと握りしめると、すっかり意気消沈した声で胸の内を語る。
「…我はフェヌア・クレフトで、マリーウェザーのことがずっと頭から離れなかった。あの真っ暗な天然洞窟の中で一人、どんな思いでいたのだろう、と。」
――俺が罠に嵌まり魔法を封じられて、全員でどこかへ飛ばされた後、黒衣の男二人を相手に戦っていたシルヴァンは、なんらかの弱体化を受け、思うように戦えなかったんだそうだ。
マリーウェザーが見つからない落胆から気力までもが萎え、こんなところで終わるのか、と諦めかけた時、布に包まれて荷物のように地面に放り投げられていた彼女が、弱々しくシルヴァンの名前を呼んだらしい。
シルヴァンはずっと彼女のことを考えていたから、その声が聞こえた瞬間に、まさかと思いながらも、そこにいるのがマリーウェザーだとわかったようだ。
「マリーウェザーの声を聞いた瞬間、我は頭が真っ白になり、敵が目の前にいることも忘れて武器を手放し、そのまま彼女を抱き上げてしまった。そのせいでルーファスは我とマリーウェザーに防護障壁を施す羽目に…本当にすまぬ、ルーファス。」
俺はいいと言っているのに、未だ俺への万謝で一杯なシルヴァンは、借りて来た猫…もとい、狼となって身体を小さく丸め、俺と目を合わせようとしなかった。
それであの時完全に無防備な状態になったのか。
『ケルベロスの剣』と呼ばれた短剣で刺される前、黒衣の男の肩越しに見えた光景を思い出す。
シルヴァンが武器を捨て、マリーウェザーを抱きかかえて立ち上がった瞬間の姿だ。
…普通ならあり得ないことだと思う。マリーウェザーが攫われて亡くなったのは、FT歴1002年のことだ。
時と時代に千年近くもの開きがあるのに、シルヴァンがあのどさくさで、地面に放り投げられていた包みの中身が、マリーウェザーだと気づく可能性はそう高くない。俺はあの荷物から腕が見えるまで、人だということにさえ気付かなかったぐらいだ。
その前提として前日に宝物庫での肖像画の一件があり、マリーウェザーの思念体から亡くなった当時の状況を聞いて、遺骨を探していたからすぐにわかったんだろう。でなければあの混乱状態で、こんなに弱っていたマリーウェザーの声がシルヴァンの耳に届くはずがない。(愛の力の成せる技かもしれないと言うのは置いておいて)
…と言うか、マリーウェザーの死の状況が、本人から聞いていた話とかなり異なると言うのが引っかかるんだけど。
なにか全てが意図的なもののように感じるのは、俺の気のせいなんだろうか。
――思えばあの黒衣の男達は、なぜあの場に運んで来たマリーウェザーについて一言も発しなかったのか、それも疑問だ。
予めそうするのが当然のように、地面に放り出したまま気にも止めていなかったようだし、そもそもなんのために、どこからマリーウェザーを運んで来たんだか…まさかあの連中が過去のルフィルディルを襲って、マリーウェザーを現代に攫って来たとか言うわけじゃないよな?
…いやでも俺という存在がいるぐらいだから、全くあり得ない話じゃないのか…?
俺の頭の中をそんな思考が駆け巡っていた。
「…なんにしても、わからないことだらけだな。一旦場所を移して最初から状況を整理する必要がありそうだ。」
俺はいつもの癖で、右手を軽く握った拳の人差し指を眉間に当てると、大きく息を吐いた。
「では応接間の方にでも移動しましょうか。」
そんな俺の言葉にそう返したのは、ウルルさんだ。
ウェンリーに負傷した俺が不老不死でなかったら、同じことが言えるのか、と言い、俺が相変わらずだと自重するように叱責した後、ずっと壁際で俺達の様子を見ていたウルルさんは、なぜ、とか、どうして、とか俺に一切尋ねることなく莞爾して動き出した。
「ウルルさんはシルヴァンとウェンリーから、既に俺達がここへ来ることになった経緯を聞いているんですか?」
医療院を出てウルルさんの横に並び、一緒に廊下を歩きながらそれだけは聞いておく。
混乱する俺を他所に、突然マリーウェザーを連れて来たにも関わらず、さして疑問を抱いている風でもなく、質問を投げかけて来る様子もないことから、ある程度事情を聞いた後なのだとばかり思っていたからだ。
だがウルルさんはさらりと「いいえ、全く。」と返した。
「シルヴァンティスの恋人だったマリーウェザーさんの治療を優先しましたから、まだなにも伺ってはおりませぬよ。」
「え…?でもそれじゃ、さっきはなぜシルヴァンと言い争いを?」
俺がそう聞き返すと、ウルルさんが俺の後ろを歩くシルヴァンを横目で一瞥した。
「――それはシルヴァンティスがその話の腰を折り、途中で別のことに気を取られた所為ですよ。」
「む…」
不満げに口に出したウルルさんは、そのことに関してはまだ幾分怒っている様子で、冷ややかな声をシルヴァンに向けて放った。
シルヴァンはシルヴァンでその声を嫌味と受け取り、顔を顰める。
「なので詳しい事情はルーファス様から伺います。ルーファス様は本日どちらからいらっしゃったのですか?」
ウルルさんはころりと態度を変えて向き直ると、にこやかな笑みを浮かべながら俺を見て、"なにがあったのか" ではなく、そんな質問をして来た。
「多分、だけど…ルフィルディル近くにある、デゾルドル大森林のフェヌア・クレフトからだ。昨日『精霊の鏡』でウルルさんと話した後、色々あってそこを調べに入る用事ができたんだ。」
この時ウルルさんは俺の前で眉一つ動かさず、然も当たり前のような平然とした顔をして、俺のその答えだけで大まかな事情を察して見せた。
「…つまり、探索中に起きた不測の事態で緊急避難をすることになり、なぜか布に包まれていたマリーウェザーさんを連れてここへ転移して来た、ということなのですね?」
「ああ…うん、そうなんだ。」
――さすがはウルルさんだ。…この人は良く、黙ってただ人を観察しているようだけど、その会話や表情、行動や態度から得られる情報だけで、なにが起きたのかさえ推測できてしまうんじゃないかな。
その情報処理能力と頭の回転の速さには舌を巻いてしまう。
それから俺達は応接間に移動すると、ウルルさんに促されるまま中央に置かれたテーブルの椅子に各自腰を下ろした。
そこで俺はまた違和感を感じる。
俺達がこの部屋に通されるのは、これが初めてじゃない。前回魔物駆除協会の深刻な守護者不足を解消するために、その対策を話し合った時もこの応接間を利用したからだ。
あれからまだそう経っていないはずなのに、あまりにも部屋の雰囲気が違いすぎていた。
材質は高級でも無機質な印象だったテーブルが、緩やかな曲線を描いた柔らかな雰囲気のものに変えられ、それに合わせた椅子も革張りではなく、座面がふわりとした座り心地の良い座布団になっていた。
壁には暖かな色使いの絵画がかけられ、脇棚や本棚も全て同一素材、同色の物で揃えられている。
この短期間で模様替えをしたんじゃないか、と言われればそうなのかもしれないが、普通こう言った会議にも使用されるような部屋は、早々家具を入れ替えたりはしないものだ。
館内部の印象と言い、この応接間と言い…さすがになにかおかしい、と俺は思い始めた。
以前の雰囲気はウルルさんの趣味で、今は奥さんの好みなのかな。…ウェンリーやシルヴァンはあまり気にしてはいないようだけど――
そう思って顔を上げると、バチッとウルルさんと目が合った。瞬間、ウルルさんはフッ、とそれを細め、口の端をほんの少しだけ上げた。
――まさか俺がなにを考えているか、漠然とでも見透かされている?
そんな気がしてまごついたが、すぐにその答えは判明した。ウルルさんの方から話を切り出してきたからだ。
「――ルーファス様がなにか気づかれたようなので、先に私の方から幾つか情報を提供させて頂こうと思います。」
「情報?」
シルヴァンは〝出たな〟、と言わんばかりにウルルさんを訝る目を向ける。
「ウルルさん…なにか知っているんですか?」
さすがに俺がフェヌア・クレフトで罠にかかったことや、転移した先で黒衣の男達に襲われたことまではわからないとは思うが、ウルルさんの情報収集力とその処理能力なら、既になにか気が付いていてもおかしくないかもしれなかった。
「いいえ、私はなにかを知っているというわけではありませぬ。ですが、ルーファス様方の状況整理に必要な現実をお教え出来るかと愚考致しました。」
必要な現実…さらりと言うな。俺達になにがあったのかは知らないが、俺達に今必要な情報については心当たりがあると言うことか。
その内容次第では、確かに無駄な遠回りをせずに済むかもしれない。
「わかりました、お願いします。その情報というのを聞かせてください。」
俺はウルルさんに頷いて、アテナやウェンリー達にも話を聞くように促した。
「かしこまりました。では先ず第一に、ルーファス様が先程仰ったデゾルドル大森林には、『フェヌア・クレフト』と呼ばれるような名のついた場所は存在しておりません。」
え…
――いきなりそこからか。
「はあ!?なんだそれ…!!」
「待て、ウェンリー!疑問や質問は全部あとだ。先にウルルさんの話をきちんと聞かせてくれ。」
俺はすぐさま反応したウェンリーを諫め、そう言って黙っているように目を見て言い聞かせた。
ウルルさんはさらに話を続ける。
「――次に、私がルーファス様に贈ったと聞いた『黒鳥族の戻り羽根』という転移魔道具をシルヴァンティスに見せて貰いましたが、あの黒羽根自体は確かに私の身体の一部のようですが、あれを魔道具として作り出した覚えがありません。」
「な…」
今度はシルヴァンが声を上げそうになるが、俺と目が合った瞬間にぐっと堪えて口をつぐんだ。
「そして第三に、マリーウェザーさんがあのような状態でシルヴァンティスに運ばれて来たのを見て、私はすぐ『遣い鳥』に調査命令を出しました。『遣い鳥』については既に御存知だと思うので割愛させて頂きますが、調査対象はもちろん、彼女が里長を務めている獣人族の集落『ルフィルディル』です。」
ウルルさんがマリーウェザーのことを、そう説明した直後に再び俺を見た。それは俺に対しての〝これから核心に触れますよ〟という合図のようにも受け取れた。
「先程その結果を受け取りましたが…現在ルフィルディルでは、正体不明の人間集団に数人の獣人が殺され、マリーウェザーさんが攫われたと大騒ぎになっているそうです。」
「「「!!」」」
そう聞いた瞬間に、俺達は自分達が今置かれている状況を把握した。
「その驚きようはやはり〝そう〟なのですね。」
ウルルさんはその灰色の瞳だけをテーブル上のグラスに向けると、至って冷静な態度で確信を持ったように呟いた。
ウルルさんの情報から推測可能な俺の答えはこうだ。
『フェヌア・クレフト』は獣人族の言葉で『地の裂け目』と言う意味を持つ。つまりあの天然洞窟は、ルフィルディルの集落があそこに出来てから獣人の手で発見され、その後名付けられたと言うことだ。
それは遣い鳥から様々な情報を得られるウルルさんが、その存在を知らないと言うことから、今はまだ見つけられてさえいないのかもしれなかった。
次に『黒鳥族の戻り羽根』だが、ウルルさんは現物を見た上で、それを作り出した覚えがないと言った。
そしてシルヴァンに銀狼時でも使えるように、アイテムボックスに入れておけと手渡した時、シルヴァンはウルルさんに対して〝いつの間にこんなものを〟と独り言を呟いた。
それは千年前の時点で、ウルルさんはまだこの魔道具を作り出しておらず、シルヴァンがその存在を知らなかったと言うことでもある。そのことから今が俺達にとっての『現代』でないことに確信を持った。
そして最後のあの台詞だ。
つまり全ての情報を整理すると、俺達が今いるのはFT歴1996年ではなく、アティカ・ヌバラ大長老に聞いた、マリーウェザーが攫われて行方不明になった年――FT歴1002年だと言うことだ。
そこまでわかれば次に新たに湧いて来たのは、どうして過去に飛ばされたのか、と言う疑問だ。少なくとも俺自身の力ではない。
俺は魔法を完全に封じられていて、アテナも意識を失っていたからだ。
――マリーウェザーの存在がおかしかったのではなく、俺達の方が特異だったのか…。
そう理解したと同時に、己のあまりの鈍さに呆れて自嘲してしまった。
「ルーファス様、もう一度伺います。ルーファス様は、本日どちらからいらっしゃたのですか?」
「ウルルさん、それは…」
どう答えるべきか俺は一時的に悩んだ。千年近くも後の未来からだと正直に言ってしまっても良いものだろうか。
ウルルさんが他者に秘密を漏らすような人でないことは良くわかっているが、そういう問題ではなく、未来の情報を知ることで生じる『不変且つ確定的な未来』が心配だった。
ただでさえもう既に、フェヌア・クレフトの存在や、転移魔道具の情報を与えてしまっている。
これでなにがあってもあの天然洞窟は発見されることが確定したし、ウルルさんは『黒鳥族の戻り羽根』という名の魔道具を絶対に作ることが決まってしまった。
それはもう俺達の、予期せぬ過去への介入も同然の行いだ。
「――少なくとも千年ほどは経っている未来からいらしたのでしょうね。」
「…わかるんですか!?」
またもやさらりとその口から出された言葉に吃驚する。本当に、この人は…
「言わずもがなでする、ルーファス様。このノクス=アステールにルーファス様とシルヴァンティスが一緒に訪れた時点で、その可能性にはすぐに思い至りました。なにせ現在、守護七聖<セプテム・ガーディアン>は、その全員が『神魂の宝珠』に封じられ既に眠りについた後ですからね。…シルヴァンティスが目覚めるのは、少なくとも暗黒神ディースが復活するとされる千年ほど後のことです。」
「ああ、そうか…それはそうか。」
さっきから俺しか話していないのは、ウェンリーは呆気に取られてまだ混乱していて、アテナが聞いた話と俺の推測に似たようなことを説明しているのと、シルヴァンは驚きはしたものの既に落ち着きを取り戻すと、そのまま沈思黙考してしまったからだ。
俺達がいつの時代から来たのかも言い当てているんじゃ、少なくともこれに関してはもう隠しても仕方がないな。
「ウルルさんの推測通り、俺達はFT歴1996年から飛ばされて来たみたいだ。」
俺がそう答えると、ウルルさんはなぜか嬉しそうに〝やはりそうですか〟と微笑んだ。
ところがその直後に、シルヴァンが尋ねた質問でウルルさんの表情が凍り付く。
「ウルル=カンザス、ここがFT歴1002年だと言うのなら、一つどうしても知りたいことがある。」
「なんですか?シルヴァンティス。」
「――我が主…この時代にいるはずのもう一人のルーファスは今、どこでどうなされている?」
それは、守護七聖と違って眠りについてはおらず、神魂の宝珠に力の大半を込めた後、仲間達と別れてフェリューテラでただ一人、記憶を失った状態であるはずの俺の身を案じる、シルヴァンの口から出た問いかけだった。
♢
――翌朝…
俺とアテナとウェンリーの三人は朝食を済ませた後、どうしても一目この時代のフェリューテラを見てみたいと駄々を捏ねたウェンリーのために、『カストラの森』にある『黒鳥族の塔』からノクス=アステールの外へ出て来た。
この時代のこの辺りは獣人族が滅びた(正確にはイシリ・レコアとルフィルディルに逃れている)後、初代国王エルリディンが建国した『エヴァンニュ王国』の国土となっているようだ。
ここで少し、ウルルさんの協力で判明した、正確なエヴァンニュ王国を主とする歴史に触れておこうと思う。
先ず迫害戦争が勃発したのはFT歴994年のことだ。その戦争は獣人族の敗北により一年足らずで終結し、同じ年にイシリ・レコアがヴァンヌ山の南に広がるラビリンス・フォレスト内に創られた。
翌年の995年にマリーウェザーがアガメム王国内で、密かにシルヴァンとの間に出来た息子の『ヴァンアルム』を出産。
さらにそれから一年後の996年に俺達が暗黒神を(完全にではないが)倒し、フェリューテラから一時的に『カオス』が姿を消して、同年中にシルヴァンを含めた守護七聖が眠りについた。
この頃、マリーウェザーはアガメム王国内で、まだ国王になる前の従兄弟であり王太子でもあった『エルリディン』に匿われてヴァンアルムを育てている。
翌年997年になると、奴隷という労働力として生かされていた獣人族の生存者が、国王『ボルゴネフ』の気まぐれで再び全て処刑されることになり、この決定に不服を訴えたエルリディンが決起して、実の父親に対し謀反を起こした。
この時マリーウェザーはエルリディンと共に、劣悪な環境の牢獄に囚われていた全ての獣人を解放して、幼い子供を連れアガメム王国を脱出。
ルフィルディルの記録では『産まれたばかりの赤子』となっていたが、正確には二歳になるかならないかぐらいの『幼子』だった息子を連れて遠くには行けず、一緒に逃げ出したほぼ全ての獣人達と一部の人間と共に、デゾルドル大森林内にルフィルディルを創設した。
同年エルリディンの革命は成功し、実父であるボルゴネフ国王を断罪処刑。血塗られた歴史と、愚王であった不名誉な父親の存在を葬り去るために『アガメム王国』を亡国とし、後世まで平和であることを願って『エヴァンニュ王国』を建国した。
その後数年間で現代の場所に『王都』が設けられ、この頃からあの二重の外壁が建造され始める。
エヴァンニュ王国建国から四年後の1001年、ルフィルディルで暮らしていたマリーウェザーとシルヴァンの息子である『ヴァンアルム』が忽然と姿を消す。
当時の年令は七歳で、事態を知ったウルルさんも影でこっそり行方を捜したそうだが、遂に痕跡すら見つけられなかったそうだ。
そして俺達が今いる1002年。ルフィルディルは人間の集団に襲われ、一部の獣人が殺害された挙げ句、息子が行方不明になったことで衰弱していた里長のマリーウェザーまでもが連れ去られて行方不明となる。
――以上がこれまでの正確な歴史だ。
…まさかその1002年当時に来ているなんて…ちょっと予想外だったよな。
俺は一人、何とは無しに遠くを見て微苦笑した。そうして俺の気分などお構いなしに、仲良くきゃっきゃとこの状況を楽しんですらいるのはこの二人だ。
「ルーファス様!見てください、この子、やっぱり鶲ですよね!」
そう言って満面の笑みを浮かべて、子供のようにアテナがはしゃぐ。
なにをそんなに喜んでいるのかというと、ウルルさんの取り計らいで俺達三人にそれぞれ、『遣い鳥』が付けられたからだ。
その遣い鳥が今、パタパタと舞い降りてきて、アテナの肩にちょこんと留まっている。
薄い白灰色の俺の手より一回り小さいが、ツーツーツィー、と言う甲高い鳴き声を発していることから、今度は確かに鶲のようだ。
「嬉しそうだな、アテナ。でもその遣い鳥は、俺達に人や獣人の接近を知らせるために来てくれたんだぞ。何度も言うが、この時代の人間との接触を避けるためなんだ、わかっているよな?」
もちろんです!…と返事だけは良いが、なんとなく心配だ。
「なーなー、ルーファス、早く『魂食いの森』から出ようぜ?アラガト荒野が緑一色ってホントかな?ラビリンス・フォレスト以上に広大な森が広がってるなんて、見たことねえもん、すげえ楽しみなんだけど!!」
「いや…ヴァンヌ山に登るのと違って、上から眺められるわけじゃないんだぞ?どこの森ともそう大して景色に違いはないと思うけどな。」
キラキラとその琥珀色の瞳を輝かせて、アテナ同様に興奮してはしゃぐウェンリーは、とても成人した大人には見えない。
これで二十三才か…まだまだ子供だな。
そう思う反面、無邪気に童心に返っているように見える、ウェンリーのあの笑顔は久しぶりだと思った。
――それにしても…ウェンリーやアテナじゃないが、俺もなんだか胸が弾むな。
『時空点』が見つからなければ、俺達の元いた時代に帰れないかもしれないと言うのに…
このカストラの森は、千年後の俺達の時代にも変わらずこの場所に残っている。見たところ未来とはそう違いはないように思えるが、実は通常目には見えない部分のなにもかもが異なっていた。
その最たるものは、俺の肌に直接感じる命の息吹…『霊力』の濃度だ。
さすがにこれだけひしひしと感じると、以前マルティルが言っていた、俺は『霊力そのもの』の存在だという話も信じないわけには行かなくなる。
何故なら、じっとその場に佇んでいると、俺はそのまま俺という存在の意識ごと世界に溶け込んで消えて行くような錯覚に陥るからだ。
不思議なことにそれが凄く当たり前に、自然なことのように思えて、もし今地面に横たわったら、それきり二度と目が覚めないような気までして来るのだ。
俺は不老不死だが、いつの日か俺にも『死』というものが訪れるとしたなら、きっと今漠然と感じる、眠りながら世界に肉体や意識が拡散して行くような、そんな死に方をするんじゃないかなと、ふと思った。
その時俺は多分、自分の生に満足して幸せだったと思いながら消えて行くんだろう。
まあそれがいつになるのかは、当分わかりそうにないが。
――俺達がカストラの森の出口に辿り着いた時、その境界線を示す場所に緑門が設置されていた。
1996年では森の入口は大抵荒れ地との境目になっている。森から出ると、ある程度の範囲を超えた途端に緑が少なくなり、やがて疎らになって全く見えなくなる。
ところがこの時代では、わざわざこんな『門』を出入り口に設置しないとその境界がわからないほど、遙か彼方まで森が続いているのだ。
俺の記憶の中に、その光景は一部思い出せているが、実際に目で見て肌で感じ、匂いを嗅ぎ手で触れるのとは大違いだった。
これはウェンリーじゃなくても、はしゃぎたくなるかもしれないな。
「おおー!!!すっげー!!!どこまで行っても森が途切れねえ!!やべえ、シルヴァンかレイーノに乗っけて貰って、風切って駆け回りてえ!!ヒャッホー!!」
そう言うなり、ウェンリーはドダダダダッと突然走り始めた。
「おいウェンリー、走るな!朽ち木に躓いて転んでも知らないぞ!!」
…と声を掛けた側からウェンリーはズベッと素っ転んだ。お約束だ。しかも腐葉土の地面が柔らかく、怪我もしなかったらしい。
「ルーファス様、魔物に全く出会いませんね。…不思議と近くにその気配もないようです。ルーファス様と守護七聖の方々に、暗黒神が倒された直後だからでしょうか?」
「――そう言われてみればそうだな…」
そうか…魔物が少ないから、霊力も満ちているのか。
「アテナ、聞いていいか?」
「はい?」
俺の自己管理システムから外に出るようになって、アテナはすっかり人間のようになった。
それでも昨日のように俺の魔法が封じられると、突然為す術もなく意識を失うと言うことは、アテナが俺から離れて生きるには、なにかまだ条件が足りないのかもしれない。
そう思いながら朝露の雫に濡れた花びらのような、薄紫の瞳で俺を見て微笑むアテナに、覚えている最も古い記憶の年代がいつ頃なのかを俺は尋ねた。
「そうですね…先ず、最初に申し上げましたが、私の最も古い記憶はルーファス様の『声』だけです。」
「俺の声…〝また失敗したらその時は、俺が千年の孤独に耐えられるようにそばにいて欲しい。〟俺がそう言ったと言っていた、その時の『声』か。」
「はい。」
以前その言葉を聞いた時はさっぱりわけがわからなかったけど、俺もアテナも、今ならなにか気づくことがあるかもしれないな。
「その声を聞いたのがいつ頃かはわからないのか?」
ウェンリーが俺とアテナから離れ、奇声を上げながら足元の茸を覗き込んだり、朽ち木を棒で突いて這い出る虫を眺めたり、地面にびっしりと生している苔を捲り上げたりしている姿を、俺は眺めながらアテナの返事を待つ。
「――いえ…たぶん、ですが、今ぐらいの年代だったように思います。」
「今ぐらいの?」
アテナが言うに、俺から外に出たことで、以前はわからなかったことも、少しずつわかるようになったらしい。
例えば、周囲の環境や大気中に含まれる極僅かな霊力や魔力の差など、ありふれた自然に含まれる細かな物質や素粒子についてなどだ。
「周囲の自然環境が今と同じような感じだったことと、私は守護七聖の方々にお目にかかったことが一切ありませんから、総合的に判断すると皆様が眠られた後なのではないかと推測しました。」
そう言えばアテナは、千年前の暗黒神や守護七聖について詳しく話したことがなかったな。『カオス』がどういう存在か教えてくれたことはあったけど…あの内容は、俺のデータベースにあるものを、そのままそっくり読み上げただけに過ぎなかった。
つまりアテナは、実際に暗黒神やカオスと対峙したことはなく、守護七聖にも誰一人として実際に会ったことはなかったのか。…意外だったな。
「そうなのか…だとすると、俺が行方不明になっている、今ぐらいの時代のどこかで、アテナは生まれたのかもしれないんだな。」
「……そうですね。」
アテナが同意を返すまでほんの少し間があった。そこに俺への気遣いが見て取れる。…まあ、今の俺は精神的に少し痛手を負っているような節があるからな。ウェンリーは元より、ウルルさんやシルヴァンにだけでなく、成長途中にあるアテナにまで気を使わせちゃっているか。
――話は昨日ウルルさんが凍り付いた、シルヴァンの質問にまで遡る。
シルヴァンがその問いを投げかけたのは、ウルルさんが直前にした俺との会話で、守護七聖は皆眠りについていて、シルヴァンが目覚めるのは千年後だとわかっていた、と言う話をしたことに起因したようだった。
ウルルさんの話によると、俺は自分の力の殆どを失った後、守護七聖についての記憶も一緒に完全に失い、暫くの間は精霊界グリューネレイアのマルティルの元で眠っていたらしい。
それは俺が神魂の宝珠に力を移してシルヴァン達を眠らせるために、かなり自分自身の生命力を削って体力を消耗させた証拠だったそうだ。
だがそれもほんの一時的なものに過ぎず、程なくして目覚めた俺は、守護七聖に関しての記憶を失くしていても、自分のことはきちんと覚えていたと言う。
シルヴァンを解放した時に俺が記憶を失うことは想定されていた、とシルヴァンは言ったが、その時俺は違和感を感じていた。
それはそうだろう、俺はヴァンヌ山でウェンリーに、自分の名前を名乗っていたと聞いていたからだ。
もしその時点で自分についての記憶まで失っていたのなら、ウェンリーに名前を名乗れるはずがなかったのだ。
つまり、やはり俺は十年ほど前のなにかが原因であの大怪我をし、その所為で記憶を完全に失った可能性が高くなったということだ。
そこまではまあ、良かった。記憶を失くした原因について知る手がかりが、ほんの少し判明したようなものだからだ。
問題は目覚めた後、マルティルの元を離れてからだ。
ウルルさんが『遣い鳥』からの情報で俺の足取りを辿れたのは、今はもう存在しないフェリューテラの遙か北方にあった、『レエンカ・ルナシオン』という名の小さな田舎町が最後だった。
そこになにがあったのかはわからないが、とにかく俺はその小さな田舎町を訪れたのを最後に、以降フェリューテラから忽然と姿を消したらしい。
ウルルさんは俺の所在がわからなくなったことで、この1002年現在も、『遣い鳥』を世界各地の隅々まで行き渡らせて、行方を探し続けているんだそうだ。
――それがFT歴996年の終わり頃の話だった。
次回、仕上がり次第アップします。




