93 君だけを永遠に愛す ②
ルーファスが魔法を封じられた、と叫んだのを聞いて、シルヴァンは混乱しました。ルーファスの魔法を封じられるのは、ルーファスと同等か、もしくはそれ以上の魔力の持ち主でなければあり得ないことだったからです。それを知っていたシルヴァンは、得体の知れない敵の存在に総毛立ちます。そうしてまるで待ち伏せされていたかのように襲い来る敵を相手に、必死に戦おうとしますが…?
【 第九十三話 君だけを永遠に愛す ② 】
――ルーファスが魔法を封じられた、と叫んだ直後から、シルヴァンは混乱していた。
先ず彼の頭をいの一番に駆け巡ったのは、〝あり得ない〟という言葉だった。
いくら主の力が分散されて『神魂の宝珠』に封じられていると言っても、それでも主の、〝尽きることのない魔力〟を押さえ込めるような封印魔法を、罠として設置可能な存在がいるはずがない。…そう思ったからだった。
ルーファスは記憶を失っているせいなのか、時折細かな部分で至極常識的な道理を忘れている節がある。
基本的に魔法封印や状態異常を引き起こす精神系魔法は、その結果を施術者と被術者の魔力の優劣によって、大きく左右されるものなのだ。
つまり簡単に言うと、ルーファスが解除に失敗し、消去しきれなかったあの設置型魔法陣の罠は、ルーファスと同等か、もしくはそれ以上の魔力を有した存在が仕掛けたものだと言うことだった。
そんなことが可能なのは、あの『カラミティ』か、『暗黒神ディース』だけだ。
だがカラミティとマーシレスは、こう言ったチマチマした行動を取る必要がなく、過去に於いてもルーファスに用があれば、どこからともなく突然目の前に現れては七聖達をものともせずにルーファスを掻っ攫って行く。
暗黒神ディースに至ってはまだ世に復活さえしておらず、こんなことをするなど論外だ。
…そう思ったシルヴァンは、まさかルーファスがこんなところで、そんな罠にかかったと言うことが信じられなかった。
魔法を封じられた上に、強制転移でどこかの真っ暗闇に飛ばされても、ルーファスの対応は素早く、ウェンリーに魔法石を使わせて視界を確保すると、雪崩れ込んできた正体不明の敵を引き付けて、すぐにウェンリーと倒れたアテナから離れて行った。
だがシルヴァンは、それを目の当たりにしながらも硬直してすぐに動けず、黒衣の敵が最初に叫んだ言葉に気を取られた。
なんだこの連中は…ルーファスのことを指差してなんと言った?〝守護七聖主〟でも〝太陽の希望〟でもない、『レインフォルス』とは、いったい誰のことだ…!
シルヴァンは混乱しながらも我に返り、必死になにをするべきか考える。あまりにも早く敵が動いたためにその対応に追われ、ルーファスがウェンリーに指示を与える時間がなかったことに気づき、先ずは最優先でウェンリーにはアテナと自分の身を守って貰うべきだと判断した。
「ウェンリー、ルーファスの補助魔法石と、各属性の攻撃魔法石は使えるな!?余裕があれば援護を頼む、それ以外はアテナと己の身を守ることを第一にして、ディフェンド・ウォールを絶対に切らすな!!」
ルーファスであればこう指示を出したはずだ。
「シ、シルヴァン!!」
とりあえずウェンリーにそう言って動き出した時には、既に半分以上の敵がルーファスを取り囲んでいた。
シルヴァンは焦っていた。主を守るべき自分が後手に回っていたからだ。
――人間の敵は不味い、ルーファスにとって人間の敵は最悪だ…!!ルーファスは昔から、決して人の命を奪おうとせぬ。どんなに傷付けられても、どれほどの敵意や殺意を向けられても、なぜかルーファスは相手が『人』だと、命までもは奪おうとしないのだ。
この状況でそんな甘いことを考えられては凌げぬ!!
「ルーファス!!人間が相手だと手加減をするな、此奴らは敵だ!きちんと戦え!!」
異様な状況に危機感を持ったシルヴァンが、ルーファスに向かってそう叫んだ直後、正面から向かって来た敵が目の前で二手に分かれた。
半分は横を擦り抜けてウェンリーの元へ行き、残りの半分はルーファスから遠く引き離すようにして、シルヴァンの前に立ち開かる。
「退け!!何者かは知らぬが、我の邪魔はさせぬ!!」
「汚らしい獣人風情が吠えるな。その台詞は己の状態が万全かどうかを確かめてから言うのだな。」
「なに…!?」
フードで良く顔の見えない男が目を細めて嘲る。その男はシルヴァンが獣人だと知っており、その上で敢えてその言葉を発した。
それはシルヴァンが千年の間耳にしていない、人族から獣人族への不穏当な言辞を弄するものだった。
ほんの一瞬、そのことに違和感を覚えたシルヴァンは、訝りながらも能力的に自分より優れているようには見えない二人を相手取り、いつものように斧槍で薙ぎ払おうとした。…が、すぐに異変を感じ取る。
「…!?」
――なんだ…身体が異常に重い!?これは…っ
「だから言っただろう、貴様らへの対策は講じた。弱体化されたその貧弱な力では、我らを退けることはできんぞ。覚悟するんだな、守護七聖『シルヴァンティス・レックランド』。貴様にはここで死んで貰う!!」
「…!!!」
そう自分の名を呼ばれた瞬間、シルヴァンは総毛立った。
この黒衣の集団は、明確にルーファスが守護七聖主であり、シルヴァンが守護七聖<セプテム・ガーディアン>であると知っていて、襲って来たのだと言うことに気づいたからだった。
その上この男達は、まるで最初からルーファスが、ここで罠にかかると知っていたかのように現れた。
それはあの設置型魔法陣の罠と言い、シルヴァンの想像可能な敵対存在の予想の範囲を越えていた。
そうしてシルヴァンは、通常であれば苦もなく戦えるはずの相手に、思わぬ苦戦を強いられる羽目になった。
魔法と共に魔力を封じられて獣化することが出来なくなっただけでなく、なんらかの方法で気づかぬうちに弱体化までされていた。
五人もの手練れを相手にしているルーファスの方に、特段変化は見られないことから、この弱体化は自分だけに作用しているものだと言うことはわかっても、どうすれば元に戻るのかがわからない。
おまけに自分の相手をしているこの二人は、シルヴァンを確実にここで殺そうとしているのは確かだった。
――〝まさかこんなところで〟
珍しくシルヴァンの心が萎え悄然としかけた。
ルーファスを守らなければならないのに、カオスでもない、わけのわからぬ人間相手に、こんなところで力負けして屈するのか。
振り下ろされる剣の一撃一撃が重く、それを斧槍で受け止める度になぜかシルヴァンの力が抜けて行く。それは気力と力を奪う特異な弱体化の秘術だった。
そのまま攻撃を受け続ければ、シルヴァンは間違いなく志半ばで力尽きてしまい、この二人に殺されていただろう。ところが――
ガッギンッガカッ
ぶつかり合う武器と武器が、激しく音を立てる。
≪く…っ、なぜだ…なぜ力が、抜けて行く…!?≫
魔法を封じられた時に弱体化を仕掛けられたのであれば、我だけでなくルーファスも同じ状態になったはずだ。だがこれは我だけに作用している。なにか別の方法で呪詛のようなものでも謀られたのか…!?
――シルヴァンが炬火台のある壁際近くまで追い詰められた時、足元に放り投げられていた、あの大きな荷物がもぞりと動いた。
攻撃を避けることに必死だったシルヴァンが、足を取られぬようほんの一瞬地面を見たその時、泥で薄汚れた布の隙間から、弱々しく伸ばされたその手が、布を捲って僅かに息を吐くと、普通では聞き取れないほどの微かな声を発した。
「……シ…ル…ヴァ、ン……」
奇跡的にその声が耳へと届いた瞬間、シルヴァンが大きくそのエメラルドグリーンの瞳を見開いた。
ギインッ
振り下ろされた二本の剣を斧槍で受け止め、弱体化して力が抜けていくその状態でも、あらん限りの力を振り絞り、シルヴァンは男達の攻撃を大きく押し返した。
早鐘を打つ鼓動に、這いつくばるように地べたに屈んで、決して忘れることのない、その声の主を確かめようと布の隙間を覗き込んだ。
ゆっくりと流れる時間の中で、ごく僅かな隙間から見えた、水色の瞳と視線が合う。その刹那、桜色の前髪がはらりと垂れ下がり、布越しの相手が落ち窪んだ目を細めて涙を浮かべると、力無く微笑んだ。
〝…愛しい、あなた…〟…その声がもう一度小さくそう呟いた。
シルヴァンは声にならない声を上げ、ひゅっと息を吸い込むと、斧槍をその場で手放し、無我夢中でその布に包まれた身体を抱き上げて立ち上がった。
――そこにその瞬間を待っていた、黒衣の男達が突き出す二本の剣の刃が襲う。
目前に迫る刀身に、最早どうすることも出来ず、躱すことは不可能だった。
「守れ、『ディフェンド・ウォール』っ!!」
キンッキンキインッ
遠くにルーファスのその声が聞こえ、甲高い魔法の展開音と共に、シルヴァンを包むディフェンド・ウォールの防護障壁が輝いた。
直後に、反射作用によって突き攻撃を弾き返された黒衣の男達は、後方へ大きく吹き飛ばされる。
バチバチッ
「ぐあっ!!!」
「ぎゃあっ!!」
ドサドサンッ
――そうしてシルヴァンが顔を上げて、離れた位置で戦っていたルーファスに視線を向けると、黒衣の男達がルーファスの身体に、次々と武器の刃を突き刺す光景が目に飛び込んで来た。
「「ルーファス――ッッ!!!」」
驚愕したシルヴァンとウェンリーは、ほぼ同時にその名を叫ぶ。
ルーファスを取り囲んでいた黒衣の男達は、その身体から剣を引き抜いて後ろへ下がり、反撃に備えて後退った。後に残っていたのは腹部に突き刺さっていた『ケルベロスの剣』だけだ。
「ふ…ふははは!!どうだ…遂にやった、仕留めたぞ!!」
『ケルベロスの剣』をルーファスに突き刺した黒衣の男は、一声も発さずに前屈みになり、地面にガクンと膝を着いたルーファスを見て、高笑いをする。
ルーファスの右手は剣を握ったままだらりと垂れ下がり、同じく垂れ下がった左手はピクリとも動かない。
着ていた衣服には自己回復が間に合わない傷から、少しずつじわじわと血が滲み始めていた。
「終わりだ…これで今度こそ世界は終わる!!ふはははははは!!!」
狂喜した男の前で、ルーファスの腹部に柄まで深々と沈み込んだ短剣から、禍々しい黒い霧のようなものが吹き出していた。
あっという間にルーファスの全身がその闇に包まれると、男の視界から見えなくなったその合間に、銀色の髪が根元からサアーッと黒く染まって行った。
次の瞬間、下を向いたままのルーファスの口から、突如その言葉は放たれる。
「開け『邪眼』。」
ビシッ…
――刹那、世界が暗転し、黒き闇の中から蛇のそれに似た巨大な目玉が出現してギロリと見開かれると、黒衣の男達全員が一斉に石化したように動けなくなった。
「な、なんだ…か、身体が…!!」
「身体が動かせん…!なんだこれは…っ!!!」
指一本動かせなくなった男達の前で、銀髪が漆黒に染まったルーファスが静かに立ち上がると、腹部に突き刺さった短剣を無言で引き抜いた。
ブシュッという嫌な音と共にその傷口から少量の血が噴き出すも、すぐにそれは治まり、瞬時に傷が塞がって行く。
そうして引き抜かれた『ケルベロスの剣』は、ルーファスの手元でどこかに消え失せ、その身体から真紅の闘気を立ち昇らせた、漆黒髪のルーファスがゆっくりと顔を上げた。
「――何度も煮え湯を飲んだのに、懲りずにまだ飲み足りなかったのか。」
ルーファスはその紫紺の瞳で、動けなくなっている黒衣の男の顔を冷ややかに見る。
その顔はルクサール近くでウェンリーとシルヴァンが見た、カラミティと一緒だった時と同じく、普段のルーファスよりもやはり幾分年上に見えた。
「レインフォルス・ブラッドホーク…!」
「「…!?」」
黒衣の男の呟きにウェンリーとシルヴァンは愕然とする。
「レ、レインフォルスって…?どうなってんだよ、おい…!!」
思わず声を上げたウェンリーに対し、レインフォルスと呼ばれた漆黒髪のルーファスは、以前と同じくなにも言わずにウェンリーを一瞥しただけで、後は全てを無視してスタスタとシルヴァンに向かって真っ直ぐに歩き出した。
布に包まれた大きな荷物だと思い込んでいた〝それ〟を抱きかかえたまま、シルヴァンは近付いて来るレインフォルスにたじろぐ。
「そ、そなたは…いったい…」
「他の襲撃者が来る前に、すぐに『黒鳥族の戻り羽根』を使う。このままノクス=アステールへ転移する。後ろにいる黒衣の連中はもう助からない。それから、ルーファスに〝闇〟を近付けるな。世界の全てが滅ぶぞ。」
「な…ル、ルーファス…!?」
レインフォルスは、シルヴァンが抱きかかえた布に包まれた〝それ〟に顔を近付けると、小さな声で優しく囁いた。
「――良かったな、これで願いが叶う。…今度こそ幸せになれ。」
そのままいつの間にか取り出した『黒鳥族の戻り羽根』を握ると、レインフォルスは〝ヴォラーレ〟と一言唱えたのだった。
――数秒後、漆黒髪のルーファス…〝レインフォルス〟が使用した『黒鳥族の戻り羽根』の効果で、ウェンリーと気を失っていたアテナを含めた全員と、シルヴァンが抱きかかえていた布に包まれた〝誰か〟は、常夜の国ノクス=アステールに転移した。
直後地面に倒れ伏したルーファスは、あの場から移動した僅かの間に漆黒髪から銀髪に戻っており、ウェンリーに背負われていたアテナは、その場で突然目を覚ました。
ウェンリーもシルヴァンもアテナも、転移前になにが起きたのかわけのわからない状態だったが、それ以上に、なんの前触れもなく出現した来訪者に、黒鳥族の集落は恐慌状態に陥って逃げ惑う住人達で大騒ぎになった。
その事態に、間もなく黒鳥族の『鉄壁』部隊と、長のウルル=カンザスが駆け付ける。
「何事だ!!」
ウルル=カンザスと顔を合わせたシルヴァンは、その場ですぐに助けを求めて叫んだ。
「ウルル=カンザス!!頼む、手を貸してくれ…!!」
「な…シ、シルヴァンティス!?それに、まさか…そこにおられるのはルーファス様ですか!?」
シルヴァンとルーファスを見たウルル=カンザスは、なぜか驚き入ると、ルーファスの衣服が血に染まっていたことと、シルヴァンが病人を抱えていたことに、一も二もなく受け入れを決め、事情は後で聞くと言って、自身の屋敷に全員を招き入れてくれたのだった。
――そうしてウルル=カンザスの屋敷にある医療院で初めて、シルヴァンが大切に抱きかかえて来た、泥だらけの布に包まれていたその中身が、いったい誰だったのかが判明する。
「……う、そだろ…?ちょっと、待てってシルヴァン…!なんでだよ…なんでここにマリーウェザーがいるんだよ…っ!!」
治療室の二つ並んだ寝台に、気を失ったままのルーファスと、痩せ細って肖像画の面影はあまり残っていないが、桜色の髪に、昨日散々ウェンリーも見ていたその顔の、マリーウェザーが横たえられた。
「…わからぬ。ルーファスが目を覚ませばなにかわかるやもしれぬが…ウルル、ルーファスの傷の具合はどうだ?」
「傷自体はもう既に塞がっています。複数箇所刺されたと言っていましたが、脇腹の刺し傷以外はもう跡形もありませぬ。…さすがはルーファス様です、治癒力が並ではありませんね。」
「…そうか。…それで、マリーウェザーの方は…――」
シルヴァンはカタカタと震える手でマリーウェザーの手を握り、痩せこけて衰弱しきっている様子の彼女を、未だに信じられない、という顔をして見つめている。
「大丈夫ですよ、かなり衰弱しているが命に別状はありません。ルーファス様の『エクストラヒール』を施していただき、その後で一週間ほど我が一族の治療機器の中で休めば完全に回復するでしょう。」
「ああ…そうか、良かった。マリーウェザー…」
シルヴァンは心から安堵の笑顔を浮かべて涙ぐんだ。
「それでしたら私が治癒魔法をおかけします。ルーファス様はお怪我をされたばかりですし、そうすればすぐにマリーウェザーさんは治療機器で回復処置に入れますよね?その…シルヴァンティス殿さえよろしければ…ですが。」
ずっと意識を失っていたアテナは、みんなが大変な状態にあったのになにも出来なかったと、かなり落ち込んでいた。
ウェンリーは気にしないようにと慰めたが、特にルーファスが怪我をしたことに酷い衝撃を受けていて、せめてなにかさせて貰わないと、じっとしていられないのだと首を振った。
「助かるアテナ、感謝する。是非頼みたい。」
「はい、お任せ下さい。」
シルヴァンがその表情を明るくし、そう頼んだことで、アテナもホッとしたように安堵の表情を浮かべて微笑んだ。
すぐにアテナがマリーウェザーに治癒魔法『エクストラヒール』を施し、壊れかけていた身体を、頬に薄らと赤みが差すほどに回復させると、静かな寝息を立てるマリーウェザーをシルヴァンがそっと抱き上げて、黒鳥族の特殊治療機器の中に寝かせた。
「この駆動機器は病気などで食事が取れずに、衰えて失われた脂肪や身体を動かすための筋肉を、肉体を補う栄養素と霊力、魔力などを補給しながら短期間で再生させる治療器です。完全に回復するまで目は覚ましませんが、次に会う時はすっかり元気になっているでしょう。」
「うむ…ウルル=カンザス、そなたにも感謝する。緊急避難用にとルーファスに『黒鳥族の戻り羽根』を贈ってくれたそうだが、おかげで本当に助かったぞ。大きな借りが出来てしまったな。」
「『黒鳥族の戻り羽根』?……そうですか、そのような道具を私がルーファス様に…今それを持っていますか?シルヴァンティス。」
「ふむ…?持ってはいるが…」
ウルル=カンザスは、なぜか唐突にそれを見せて欲しい、と言って、シルヴァンにアイテムボックスから取り出させると、作ったのはウルル=カンザスのはずなのに、まるで初めて見るかのようにしげしげと具に調べた。
なにか妙だ。…そう感じたシルヴァンは、またウルル=カンザスお得意の隠し事か吃驚事かと不審に思う。
だがこの後、ルーファスが無事に目を覚まし、これまでに起こったこと全てを整理して纏めたことで、徐々に予想外のことが判明して行くことになる。
♢
『銀髪の男を狙え!!あれが〝レインフォルス・ブラッドホーク〟だ!!』
――遠ざかる意識の中で、黒衣の男に言われた言葉が、何度も頭の中で繰り返し響いていた。
〝レインフォルス〟…俺が、『レインフォルス・ブラッドホーク』…?違う、俺は〝ルーファス〟だ。レインフォルスなんて名前じゃない…!
十年前、ヴァンヌ山に倒れていた俺を見つけて助けてくれたウェンリーは、俺が意識を失う直前に自分でそう名乗ったと教えてくれた。だから俺は自分がどこの誰か思い出せなくても、ルーファスという名前だけは確かなんだと信じて来られた。
キー・メダリオンを手にして記憶の片鱗を思い出し、シルヴァンを神魂の宝珠から解放してその記憶も一部だけど取り戻せた。
シルヴァンと俺は『魂の絆』で確かに繋がっている。だから俺は、間違いなく千年前『太陽の希望』と呼ばれて暗黒神ディースやカオスと戦った、『守護七聖主』のルーファスなんだ。…そうだろう?ウェンリー、シルヴァン…。
――俺は『ルーファス・ラムザウアー』…だよな…?
腹の辺りがカッと熱くなって、鈍い痛みが少しずつ強くなった。目の前に黒い霧のような闇が広がって、ウェンリーとシルヴァンの、俺を呼ぶ声が聞こえた気がした。…大丈夫だ、俺はこのぐらいじゃ死なない。少しぐらいは眠るかもしれないけど、俺は死ねないんだ。
どんなに、死にたくなったとしても。
驚いたよ、シルヴァンが苦戦していたのに、斧槍を手放してまで布に包まれた荷物を抱え上げたんだ。
直前にそれから人の手が伸びていたのを見たから、誰だかわからないけれど、シルヴァンはその布に包まれていた人を助けようとしているんだと思った。
『滅亡の書』に記されていた〝対象者〟と言うのは、多分その布に包まれていた人のことだったんだろう。
シルヴァンは両手を塞がれていた上に、立ち上がった直後で無防備な状態だった。黒衣の男達は初めからそうなることを知っていたかのように、シルヴァンに剣を突き刺そうとしていたんだ。迷っている暇なんてない。
俺は予めそんな状況になったら、絶対にシルヴァンを守ると決めていた。ただ予想外だったのは、あの『ケルベロスの剣』とか言う短剣だ。あれはなんだか、かなり嫌な感じがした。
思った通り、刺された瞬間、これは不味いと思った。あの守護神剣マーシレスと同じような闇を感じたからだ。幸いなことに今回はアテナが俺の中にいなかったから、まだ良かったけどな。
それで俺はあの時と同じ感覚を味わう羽目になった。自分が闇に蝕まれていくような、あの感覚だ。だけどその直後に、遠のく意識の中で、ふわりとなにか温かいものに守られたような気がしたのは…あれは気のせいだったんだろうか。
そうして…静寂の中で、シルヴァンと話す声が自分の中から聞こえたんだ。
『ルーファスに〝闇〟を近付けるな。世界の全てが滅ぶぞ。』
それは俺じゃないのに、どうしてか俺の声だった。
「――眩し…」
目を開けると明光石の眩い光が俺の瞳を貫いて、思わず右手で目を庇う。
自分が寝台の上に横たわっていることに気づき、見えているのが知らない部屋の天井だとすぐにわかった。
最後の記憶は薄暗い地下空間だったはずだ。どうなっているんだ?
「ここは…?」
〝お気がつかれましたか?〟と、柔らかな声で話しかけられそちらを向くと、艶やかな紫紺の髪を結い上げた、黒地に朱と金の刺繍が入った、変わった衣装の女性が傍に座っていた。
え…誰…?
パタパタと小走る足音がして、すぐにアテナが顔を出すと、身体を起こした俺に抱き付いて来る。
「アテナ。」
「ルーファス様…!良かった…!!どこか痛むところはございませんか?」
痛むところ?…そうか、俺は刺されて――
「あ、ああ…大丈夫だ。ウェンリーとシルヴァンは…?ここはどこなんだ?」
きょろきょろと辺りを見回す俺に、立ち上がったその見知らぬ女性が、深々と会釈をして答えてくれる。
「ノクス=アステールですわ、『太陽の希望』様。お初にお目にかかります。ウルル=カンザスが妻、ミソラ=カンザスにございます。どうぞよしなに。」
ウルルさんの…奥さん!?
――アテナからウェンリーとシルヴァンが今、ウルルさんのこのお屋敷内にある医療院の一室にいると聞いて、俺はウルルさんの奥さんの案内で、アテナとその部屋を訪ねることにした。
そこを目指しながら、途中簡単にアテナから話を聞く。
「そうか…緊急避難で黒鳥族の戻り羽根を使って、ノクス=アステールに飛んできたのか。」
「はい、そのようです。今は私が少し離れている間、ウルル様の奥様に、ルーファス様の付き添いをお願いしていたところでした。」
アテナが人から聞いたように答えるのは、アテナが意識を取り戻したのがノクス=アステールに着いた後だったからだそうだ。
「それは…ご迷惑をおかけしました、突然来たのに、お世話になって…ありがとうございます。」
俺は改めてミソラさんに頭を下げた。
「いいえ、こちらこそ太陽の希望様には夫のウルルだけでなく、一族がどれほど助けていただいたことか…感謝するのは寧ろこちらの方ですわ。」
いや…そう言われても、なにをしたのかを覚えていないんだよな。それにその太陽の希望呼びは止めて欲しいんだけど…。
ウルルさんでもその呼び方はしなかったのに、奥さんにはそっちの名前の方が通っているのかな。
「その…ミソラさん、俺にその頃の記憶はないので、そのことは気にしないで下さい。それと、ソル・エルピスと呼ばれるのは慣れていないので、俺のことは名前で呼んで貰えると助かります。」
「まあ…そうですか、承りましたわ。ではルーファス様、と呼ばせていただきますね。」
ミソラさんは俺の願いを快諾してくれ、そう言って婉然とした。
その後もアテナから俺は、現在俺達がノクス=アステールに着いて、三時間ほどが経っていることと、これまでの経緯は俺が目を覚ましてから纏めて、ウルルさんに詳しく話すことになっていると聞かされる。
――これまでの経緯、か…短剣で刺されてからのことは記憶が曖昧なんだけど…上手く話せるかな。
なんだか色々と見たり聞いたりしたような気もするけど、はっきりしない。…頭に霧がかかったようになっているな。
ふと廊下に目を向けたその時、俺はあることに気づいて首を捻る。
あれ…?ここって…ウルルさんの屋敷、だよな…?なんだか雰囲気が――
ラファイエのことがあって出たっきりになっていたが、つい先日来た時とは屋敷の雰囲気が異なっていた。
あちこちに花瓶に生けた花々が飾られ、窓にかけられた布も、薄紅色や桃色など女性が好みそうな色ばかりだ。
以前はどちらかと言えば男性的な印象で、どこか無機質な飾り気のない雰囲気だった。ところが今は柔らかみのある温かな印象で、姿こそ見えないが、そこかしこに人のいる気配があるのだ。
そう言えば、ウルルさんと斥候の黒鳥族以外の人を見たのは今回が初めてだ。前回は本当にウルルさん以外の住人がいるのかと思うほど、人気がなかったけど…この屋敷にもこんなに人がいたんだな。
俺はミソラさんと話していて感じた違和感と、ウルルさんの屋敷の大きな雰囲気の違いに気づいても、さして気に止めるようなことじゃないと思っていた。
だが暫く経って、我ながら少し鈍すぎるんじゃないかと、この後自嘲することになる。
「この先が医療院になっておりますの。先程まで主人もおりましたから、おそらく今もそちらに…」
ミソラさんがその廊下に差し掛かったところで、俺に指差してそう話しかけた時だ。医療院だと聞いたばかりなのに、静かなはずのそこから、シルヴァンの怒鳴り声が響いて来た。
「なぜだ、ウルル=カンザス!!」
…シルヴァン?
――医療院の室内では、傍で話を聞いていたウェンリーの前で、腹を立てるシルヴァンがウルル=カンザスにその怒りをぶつけていた。
扉の前で立ち止まり、アテナと顔を見合わせるルーファスは、深く立ち入らないようにと会釈をして離れて行くミソラを見送ると、中に入る時機を見計らって、その場でシルヴァンとウルル=カンザスの会話を立ち聞く。
シルヴァンは興奮した様子でさらにウルルに噛みついた。
「今後も様々なことに支障を来す恐れがあるのだ、なにか知っているのであれば申せ!!我とそなたは友人であろうが!!」
「だからそれは出来ぬと言っている!!そなたは確かに気の置けぬ友人だが、私の友人はそなただけではない!それになにか知っていても、必要に迫られているわけでもないのに、許しなくおいそれとは他者に話せぬこともあるのだ!!諦めよ!!」
ウルルは憤慨した様子で両腕を組み、シルヴァンから顔を逸らしてあらぬ方を向いた。
それを見てシルヴァンがさらにカッとなる。
「ウルル=カンザス!!」
「諄い!!」
食い下がるシルヴァンに、ウルルも間髪を入れずにピシャリと撥ね除ける。
「我が黒鳥族は一族の誓いの元に、徹底して約束を違えぬ種族だ!!その誓いを破れば、全ての信用を失う!!故にたとえ死しても口は割らぬぞ!!」
「く…っこの頑固者め…!」
「ああ、もうやめろってシルヴァン…気持ちはわかるけど、少し頭冷やそうぜ。ウルルさんの言葉遣いがすっかり変わっちまってんじゃんか…!」
見かねたウェンリーが赤毛をガリガリと掻きながら、抜き差しならない羽目になり、シルヴァンを宥めようとはするものの、複雑な表情を浮かべている。
――いったいなにがあったんだろう?そう思いながら、声が途切れたところでルーファスは引き戸を開けた。
カラララ…
「いったいどうしたんだ?怒鳴り声が廊下の先まで聞こえて来たぞ、シルヴァン。」
「「!」」
ルーファスの声に、ウルル=カンザスとシルヴァンが一驚し、揃ってそちらを向いた。
「ルーファス…!目が覚めたのか!!」
ウェンリーはホッと安堵の笑顔を浮かべてルーファスに駆け寄ると、身体は大丈夫かと、両手で確かめるようにあちこちペタペタ触り始める。
「ちょ…大丈夫だから!擽ったいって、ウェンリー…!!」
ウェンリーの手から逃れるようにして身を捩ったルーファスの前に、シルヴァンはいきなり跪いて頭を垂れた。
「!?…シルヴァン!?」
「――主…いえ、ルーファス様…守護七聖が白、シルヴァンティス・レックランドは、七聖たる者の使命を怠り、己が私情を優先し、主たるあなた様を守るどころか身の危険に晒しました。謝って許されるような行いではなく、この上は如何様な処罰もお受け致します。大変、申し訳ありませんでした。」
シルヴァンは直前までとは別人のように神妙な態度で、まるでルーファスの顔を見ることさえもう許されない、とでも言いたげに俯いたまま顔を上げようとしなかった。
驚いたルーファスはすぐにシルヴァンの謝罪を否定しようとする。
「な…なにを言ってるんだ?おまえが謝るようなことじゃ――」
それを遮り、ウルル=カンザスが厳しい声で口を挟んだ。
「差し出がましいことを申し上げますが、ルーファス様、シルヴァンティスの謝罪をお受け下さい。でなければ此奴は己で首を括りかねませぬよ。それに、正直に申し上げれば、私も此奴を許せません。」
「ウルルさん!?」
ウルル=カンザスは敢えて突き放すように、シルヴァンに冷たい言葉を浴びせる。
「『太陽の希望』であり、『守護七聖主』であるルーファス様に万一のことがあれば、フェリューテラのみならず全世界が滅びます。ルーファス様は現在記憶を失われておられるそうですが、それなら尚のこと守護七聖<セプテム・ガーディアン>が背負う責任は大きい。それなのにこの虚け者は、あろうことか己が主の犠牲により守られました。私が守護七聖の一員であれば、即刻!打ち首にしてやるところでしたよ。」
フン、と鼻を鳴らして、再びウルル=カンザスは腕を組むと踏ん反り返った。
「いや、それっていくら何でも言い過ぎじゃね?あの場合は仕方なかったんだし…」
ウェンリーがシルヴァンを庇おうとして藪を突く。
「なにを言っているのです、ルーファス様が不老不死でなかったとしても、同じことが言えますか?」
「…!!」
「シルヴァンティスも、あなた方も、ルーファス様に甘えすぎです。そしてルーファス様も!!相変わらずのようですが、もう少し御自重ください!!」
ウルル=カンザスのその言葉に、その場がシンと静まり返った。
――ウルルさんに怒られた。…確かに、俺は自分が死なないことをわかっていて、自分よりもシルヴァンを守ることを優先した。
俺になにかあれば全世界が滅びる。それは暗黒神ディースを倒せる者が俺しかいない、と言う意味なのだろうが、全世界、とは?
なんだかその言い方は、フェリューテラだけのことじゃないような言い方だ。俺が聞いていたのは、『フェリューテラ』が滅びる、という話しだったはずなんだけど…?
それについては今ここで聞かない方が良いような気がして、俺は口をつぐんだ。
「あ…ええと、確かに俺も悪かった…です。ただウルルさん、俺にとってシルヴァンは従者じゃなくて、友人なんだ。だから俺のためにシルヴァンを犠牲にしようと思ったことはない。シルヴァンはシルヴァンのままで、自分の考えを優先することがあっても構わないし、本当に必要な時に俺の仲間でいてくれれば、それでいいんだ。」
――だから一応守護七聖主として謝罪は受けるが、謝る必要はないと言うことをシルヴァンにも言い聞かせた。
そもそもあんな状況だったら、俺がシルヴァンを捨てて自分を守るなんてことは初めからあり得ない。そう付け加えたら、そのようなことはわかっております、とむくれられた。
なんだかウルルさんが子供っぽ…いや、若返っているような気がする。
そう言っても中々顔を上げようとしないシルヴァンに俺は、シルヴァンが抱きかかえていたあの包みについて問いかけた。
するとシルヴァンはさらに深く頭を下げ、今度は謝罪ではなく、俺に礼を言い始めた。…いったいどうなっているんだ??
戸惑う俺に、ようやく立ち上がったシルヴァンは、隣室にあると言う黒鳥族の特殊治療機器の前に俺を案内した。
その機器の中で眠る見覚えのある痩せた女性の顔に、俺はあまりにも驚いて声を失った。
どうしてここに、マリーウェザーがいるんだ。…わけがわからなかった。
俺が思わず口に出したその言葉は、俺が目を覚ます前にウェンリーも口にした言葉だったらしい。
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