92 君だけを永遠に愛す ①
シルヴァンとマリーウェザーの別れの場面に立ち会うことになったルーファスは、諦めきれないマリーウェザーが再び事を起こす前に、それを止めに入りました。いるはずのない場所にルーファスの姿を見たシルヴァンは、呆気なくマリーウェザーの暗示から逃れますが…?
【 第九十二話 君だけを永遠に愛す ① 】
「主…我を迎えに来た、とは…?なぜここに…」
シルヴァンは自分の身になにが起きたのか覚えていないらしく、マリーウェザーが作り出したこの異空間を現実世界だと思っている様子だった。
だが実際の過去では、俺はシルヴァンとマリーウェザーの別れの場面に立ち会っておらず、本来なら俺はここにいないはずなのだ。
すぐにその違いに気づいたシルヴァンは、なにかおかしい、どこか違う、と言う戸惑いをその表情に表し始めた。
因みに、俺とシルヴァンの間には守護七聖主と守護七聖<セプテム・ガーディアン>としての『魂の絆』があり、俺が本物か偽物かは瞬時に見分けがつく。
それだけにシルヴァンの中でその記憶に大きな差違が生じてしまい、シルヴァンの心をここに繋ぎ止めていたマリーウェザーの暗示は、呆気ないほど簡単に解けてしまった。
「――主がここにいるはずがない…主は今、一族の新たな安住の地を設けに出かけられているはず…だが我の目の前におられるのは、確かに主だ。…記憶と違う。こんなはずはない…!」
シルヴァンの言葉遣いが少しおかしい。多分記憶が混濁しているのだろう。
「そう思うのならわかるだろう?思い出せ、シルヴァン。ここは現実の世界じゃない、本当のおまえはルフィルディルの宝物庫だ。」
「ルフィルディル…その名は――」
「いやよシルヴァン、思い出さないで!!ここにいて、私だけを見ていて!!」
――力無く崩れ落ち、手を伸ばしてそう叫んだマリーウェザーを振り返り、シルヴァンは全てを思い出した。
「マリーウェザー…そうか、我はそなたと我が子を思い嘆いているうちに、絵画の中に引き摺り込まれてしまったのだな。」
「シルヴァン…いや…いやあ…」
シルヴァンは泣き崩れるマリーウェザーの元へと戻り、彼女の手を取って立たせると、そのまま抱きしめた。
「…死した後まで何度も辛い思いをさせてすまなかった。繰り返し繰り返しここでも我は、我を呼ぶそなたに背を向けて置き去りにする。だが我は我が選んだ答えを否定することは出来ぬ。一族の長として悩み抜いて出した答えを否定すれば、我は我でなくなってしまうのだ。」
だからシルヴァンは、どれほど同じことを繰り返しても、マリーウェザーの手を取り、共に行くことは出来ない、と泣き叫ぶ彼女を強く抱きしめながらそう言った。
――シルヴァンは強い。自分が過去を否定すれば、マリーウェザーの思いも同時に否定することになると知っているのだ。
そんなシルヴァンを俺は友人として誇りに思う。下した決断を悔いることなく、振り返らずに心に決めた己の姿であり続けようとする…その誠実な光こそ、他者に真似の出来ないシルヴァンだけの稀有な魂の輝きだ。
…そうしてシルヴァンの腕の中で泣き続けたマリーウェザーは、やがて諦めがついたのか、少しずつその姿が消え始めた。
「マリーウェザー…」
「酷い人ね…シルヴァン。どこまでも勝手でどこまでも強い…死ぬまで私が愛し続けた愛しい人。…あなたの横であなたの妻となり、あなたと共に生きたかった。私が望んだのはただそれだけだったのに…」
「…すまぬ。」
消えて行くマリーウェザーに、俺は最後にどうしても尋ねたいことがあった。
「待ってくれ、マリーウェザー。最後に一つだけ教えてくれないか?」
『…なあに?』
俺に顔を向けた彼女に、もうシルヴァンへの執着は見えなかった。まるで生きているかのような、清々しい微笑みさえ浮かべている。
「君の亡骸はどこにある?きちんと眠らせてあげたい。…思い出せるか?」
「ルーファス…」
『私の、亡骸…――』
その瞬間、さらにその姿が薄くなる。
マリーウェザーの思念体はか細い声で俺に、自分が死んだ時の最後の記憶を話すと、そのまま眠るように目を閉じて静かに消えて行った。
日記には恨む、と書き残していながら、最後までシルヴァンを恨むことも憎むこともなく、死霊と化すことはないまま、その高潔で優しい、シルヴァンを愛した彼女のままで――
♢
「――へえ…そんじゃ、結局ルーファスを異空間に引き込んだのは、思念体の中に残ってたマリーウェザー本人の『魂の欠片』だったってことなのか?」
ザッ、ザッ、と一定の調子で小気味良い音を立てながら、俺の視界から青々とした雑草の、切り払われた細長い葉っぱが左右に飛び散って行く。
「ああ、多分な。」
明けて翌日、ウェンリーは今、ルフィルディルの街外れにある立ち入り禁止区域の生い茂った草を、エアスピナーの刃で刈り散らしながら、俺達のためにある場所へと向かう通り道を切り開いてくれている。
その最中、昨日シルヴァンの身に起きた出来事について、話し切れていなかったことを、雑談を交えながら俺が詳しく独自の見解を説明しているところだ。
「ルーファス様、強い思い入れのある場所や物に、残留思念が宿ることがあるのはわかるのですが、そこに魂の欠片が混じることなどあるのですか?」
そう尋ねてきたアテナは、ウェンリーが周囲に飛び散らした草を、俺の横を歩きながら風属性魔法で器用に脇に振り分けて、邪魔にならないように除けている。
二人の息の合ったそれは、まるでヴァハの村にも一台だけあった、自動草刈り機のようだ。
「あるんじゃないか?人の心は時に、思いもよらない現象を引き起こすことがあるからな。特にシルヴァンは、それだけマリーウェザーに愛されていたんだろう。」
「へえぇ〜。」
ウェンリーの目が、下向きの三日月のように山を描いて、ニヤニヤとシルヴァンに向けられる。
「……ウェンリー、なんだ?その目は。」
そのシルヴァンは味のない感情を表に出して、苦虫を噛み潰していた。
――そんな品のない嫌らしい顔をしていると、アテナに嫌われても知らないぞ、ウェンリー。
苦笑しながらそう心の中で呟くと、間を空けずにアテナが突っ込んだ。
「ウェンリーさん…その目はやめた方が良いですよ?なんだか気持ち悪いです。」
「ガーン!!気持ち悪いって…ひでえ、アテナ!」
ほら、言わんこっちゃない。
――道作りは引き続きウェンリーとアテナに任せ、俺は歩く速度を緩めて二人から少し下がると、まだ物憂い顔をしているシルヴァンの隣に並んで話しかけた。
「体力的には問題ないんだろうが、昨日の今日でまだ浮かない顔をしているぞ?元気を出せとは言わないが、あまり思い詰めるなよ。」
「ああ…すまぬ、気を使わせているな。」
「いや…少しでも早くマリーウェザーの遺骨を見つけて、弔ってやりたい気持ちは俺も一緒だからな。謝らなくていい。」
俺はシルヴァンを励ますように、その背中にポン、と触れた。
――今の俺達の会話から、これからなにをしようとしているかは既にわかって貰えたと思う。…そう、マリーウェザーの遺骨捜索だ。
昨日異空間で俺が、浄化して消える直前のマリーウェザーから聞き出したその場所は、意外にもルフィルディルの目と鼻の先にあり、このデゾルドル大森林の直中の、獣人達が決して近寄らない立ち入り禁止となっている奥地にあった。
マリーウェザーがシルヴァンの腕の中で消えた直後に、宝物庫で目を覚ました俺とシルヴァンは、少し経って落ち着いた後でアティカ・ヌバラ大長老やイゼス達を交えて、肖像画の前で死者を送る香を焚き彼女の冥福を祈った。
そうしてマリーウェザーがルフィルディルから攫われた直後に、彼女から教えられた場所で殺されていたことを告げると、そこに遺骨がある可能性を伝えて、この場所に足を踏み入れる許可を貰って来たのだった。
「あ…ようやっと見えたぜ、あれがそうなんじゃねえ?」
ウェンリーが指差したその先に、巨木と巨木の間を埋めるような苔むした十五メートルほどの巨大な岩が横たわっており、その岩の下部にある割れ目に人一人がやっと通れるような、薄暗い隙間が空いていた。
「うむ、そのようだな…あれが『フェヌア・クレフト』か。」
『フェヌア・クレフト』とは、獣人族の言葉で『地の裂け目』という意味らしい。
ウェンリーとアテナが先を歩き、その後に俺とシルヴァンが続いて、昼でも暗い鬱蒼としたその場所へ徐々に近付いて行く。
俺はそこに辿り着く前に、もう一つ気になっていたことを、シルヴァンから聞き出しておきたかった。
「そう言えばシルヴァン、結局おまえはマリーウェザーにもう一度会って、どこからなにをやり直したいと思っていたんだ?」
話を蒸し返すように尋ねたものだから、シルヴァンが眉間に皺を寄せて露骨に嫌そうな顔になった。
「…それをここで聞くのか。」
「だめか?知りたいんだよ。マリーウェザーはおまえのその言葉を、別れた時点のことだと思っていたみたいだけど、違っただろう?じゃあ、いつどんなところからおまえはやり直したかったのかなと気になったんだ。」
シルヴァンは自分が出した答えを悔やまなかった。なのにもう一度やり直したいと口に出した、その理由を俺は知りたかったのだ。
シルヴァンは仕方がないな、とでも言うように短く息を吐くと、渋々教えてくれた。
「――マリーウェザーの父親が亡くなる直前辺りからだ。」
「うん?…それは迫害戦争が起きる前と言うことか。」
「…そうだ。」
シルヴァンは目を細めて、言っても詮無いことだが、と続けた。
もしその頃に戻れるのなら、今度はマリーウェザーが成人するまで待つなどと言わずに、花嫁衣装が出来上がった時点ですぐに結婚するだろう、と微笑む。
「そうすれば翌年には子が生まれ、我はきっと息子をこの腕に抱くことが出来たはずだ。たとえその後で同じようにあの戦争が起きたとしても、既に伴侶であるのだから、一族を説き伏せるのも容易だったであろうしな。」
「――なるほどな…。」
シルヴァンの中に獣人族の長ではない自分は、どう過去に遡っても、初めから存在しないと言うことか。…らしいな、全く。
「着いたぜ、ルーファス。ここが入口で良いんだろ?」
「ああ、お疲れ、ウェンリー。道を通れるようにしてくれて助かったよ。」
実はここまでの草刈りはウェンリーの方から自分がやると言い出して、こんな方法を取り道を作って来た。だが少し進んだ後になって、ここはまだ里の結界内で幻惑草もなく、ラファーガのような中級魔法を使って一直線に草を吹き飛ばしてしまえば早かったかな、と気づいた。
「へへ、いいって。草刈りに使ったのは古い方の得物だし、腕の筋肉を鍛える良い運動にもなったしな。」
「私も風魔法の威力調整の良い鍛錬になりましたよ、ルーファス様♪」
「そ、そうか…アテナもありがとう。」
…ま、まあ二人とも鍛錬になったと言ってくれていることだし、余計なことは言わないでおこう。(※ブラインド中。)
「さて、と…」
俺達は横一列に並んで、目の前の巨岩を見上げる。
離れた位置から見えていた時はそうと感じなかったが、近くに寄るとその裂け目は、幅こそ狭いものの四メートルほどの高さがあった。
表から中を覗いてみるが、周囲が薄暗いせいか、一メートルほどぐらいまでしか先が見えない。
「…で、ルフィルディルの獣人達が絶対にここには近付かず、立ち入り禁止区域になってんのは、こん中に入った奴は誰も帰って来なかったから、だっけ?」
「そうらしいな。…アテナ、なにかわかるか?」
入口に近付いてみても、今のところ特になにも感じない。そんな噂が立つような場所には思えないが…
「――いえ、特に変わったところはないようです。昨日の宝物庫のような空間的な異変もありませんし、入口は狭いですが、内部は普通の自然洞窟のようですよ?」
「そうか…」
戻って来なかったという獣人達は、内部で魔物に襲われたとかそんなところが原因なのかな。…まあいい。
「フェヌア・クレフトは千年前にもここに存在していた天然洞窟のようだから、念のため十分注意して入ることにしよう。俺達の目的はこの中のどこかに眠っている、マリーウェザーの遺骨を探し出すことだ。探索フィールドを張って、全員に簡易地図が表示されるようにしておくから、出来るだけ隅々まで調べながら歩き回ってみよう。」
「了解!」
「かしこまりました。」
「ああ、シルヴァン、おまえにもこれを渡しておく。」
俺はウルルさんから贈られた『黒鳥族の戻り羽根』を、無限収納から取り出してシルヴァンにも手渡した。
「これは?黒鳥族の羽根のようだが…」
「ノクス=アステールに直接飛べる転移用の道具らしい。ウルルさんが俺に送ってくれたんだ。それを手に持って『ヴォラーレ』と唱えると、魔法が発動する仕組みだそうだ。非常時に使えるから、おまえは銀狼姿でもすぐ取り出せるようにアイテムボックスの方に入れておけよ。」
「ふむ…ウルルめ、いつの間にこのようなものを…承知した。」
「よし、俺が最初に入るから、ウェンリーとアテナが続いてくれ。シルヴァンは殿を頼む。」
――こうして俺達は、何の変哲もない…と思っていた天然洞窟の中へ、マリーウェザーの遺骨を捜しに入って行った。
入口の狭い岩の裂け目は、この岩の直径ほどの長さがあり、比較的小柄な俺やアテナはともかくとして、ウェンリーとウェンリーよりも遙かに身体の大きいシルヴァンは、通り抜けるのにかなり苦労する。
「ぐ…せ、狭いな…これは…」
シルヴァンが四苦八苦しているような、そんな声が聞こえてくる。
「大丈夫か?ウェンリー、シルヴァン。」
「なんとか〜」
「足元の土は腐葉土のように柔らかいですから、長年誰も通らなかったことで、堆積物が溜まってしまい、きっと地面が嵩上げされてしまったのでしょうね。」
「ああ、そうかもしれないな。…よし、通り抜けたぞ。」
灯りのない真っ暗闇の中、スポンッという感じで、身体が隙間を通り抜けて楽になり、それなりの広さがある通路に出たと確認した俺は、まず最初に『ルスパーラ・フォロウ』を使用して灯りを点けた。
「出でよ光球、辺りを照らし我に続け。『ルスパーラ・フォロウ』。」
ポン、ポン、と頭上に二つ光球が現れ、前後の暗闇をかなり明るく照らし出す。
――と、次の瞬間、何の前触れもなく目の前に、ヌウッと巨大な土蜘蛛の毛の生えた黒い顔面と、そこにある八つ目が現れた。
「うわあっ!!ディ、『ディフェンド・ウォール』っっ!!!」
俺はさすがに焦って瞬間詠唱の魔技を使い、右手で防護障壁を張ると、もう片方の手でドラゴニック・フレイムを発動した。
「駆けよ、『ドラゴニック・フレイム』ーっ!!」
ゴッ
俺の左手に赤い魔法陣が輝き、そこから正面に向かって螺旋状の炎が前方へと駆け抜けて行くと、土蜘蛛はキーッという鳴き声を上げて黒焦げになった。
「ルーファス様!?」
「はあ、はあ、ああ驚いた…。」
魔物の拡大された真正面からの顔は、あんまり見て気持ちの良いものじゃない。
俺の後に続いてアテナ、ウェンリー、シルヴァンが無事に入口を抜け出る。
――いきなり目の前にいるんだものな、食われるかと思った。
「うわっ、でけえ!!なにこいつ、土蜘蛛!?」
プスプスと煙を上げるそれの死骸を見た、ウェンリーの第一声がこれだ。
「『ファス・パウーク』だ。見た目の割には大人しいCランクの魔物だけど、魔物には違いない。どうやら入口に巣を作って棲み着いていたみたいだ。」
目の前の壁と天井には、渦を巻くような土蜘蛛の巣糸が焼け残って垂れ下がっており、足元には無数の鳥の羽根や猪、鹿などの骨が転がっていた。
気を取り直した俺は、いつものようにスキルで戦利品を回収すると、簡易地図で全体的なここの構造を見て、魔物の状態などを確認する。
「…思ったより広くないな。地下迷宮やシェナハーンとの国境にあるロジェン・ガバルまで続いていると言う話だったけど、この程度なら二手に分かれて二時間ほどで回り切れてしまうぞ。」
「ルーファス、俺らにも地図〜!」
「ああ、ごめんごめん。探索フィールド展開。」
ウェンリーの要望ですぐにウェンリーとシルヴァンにも、洞窟内の簡易地図が見られるようにした。
――至極今さらだが、俺やアテナは、普段戦闘時には戦闘フィールドを、ダンジョンや遺跡などでは探索フィールドを展開しているが、これは俺の自己管理システムを極力簡素化した状態のものを、ウェンリーやシルヴァンの頭の中に表示させるために行っている。
例えば〝対○○戦闘フィールド展開〟と言うのは、俺のデータベースを参考に、魔物の状態と情報を常に表示させ、自分と仲間の状態に能力値や技能、魔法などの一覧と、俯瞰した自分と仲間の立ち位置、魔物との間合いを把握できるようにしている。
もちろんこれは、俺が自己管理システムを所持していると知っている、俺の仲間だけにしか表示されないように設定してあるし、アテナは当然、ウェンリーもシルヴァンも、自分達の頭にそれが表示されていて、戦闘が有利になっていることは絶対他人に口外しない。
当たり前のことだが、これは俺固有の特殊能力で、治癒魔法などと同じく他者に知られると、なにかと面倒なことになりかねないからだ。
因みに俺の仲間以外には、戦闘開始の合図も単なる掛け声ぐらいにしか思われていないと思う。
そして今展開した探索フィールドの方は、基本的に俺とアテナ以外には、周辺の地図だけが表示される。
魔物や目的地などの各色信号は、俺の索敵能力とデータベース、そして未知の情報から得ているようで、俺とアテナにしか見えない。
「――徘徊している魔物の数も大したことはないな、やっぱり二手に分かれて効率よく回るのが良さそうだ。」
「そうですね。」
そうなると当然、俺とアテナは確実に散ける。
「ウェンリーは…」
「あ、俺いつも通りアテナと組むよ。」
「………そうか。」
俺がなにか言う前に、ウェンリーはシュパッと素早く手を上げてそう言った。その行動に思わず溜めが長くなる。
…なんだか最近ウェンリーは、俺といるよりアテナと二人でいる時間の方が多いんじゃないか?…いや、それは俺は男だし、ウェンリーだって一緒にいるなら、女の子の方が良いのは当たり前なのかもしれないけど…ヴァハではあんなに毎日俺にベッタリだったのに…なんだろう、なんだか少し複雑な気分だ。
「?」
ブラインドをかけた状態の俺の思考を読み取れず、アテナが不思議そうに首を傾げた。
「それじゃシルヴァンは俺とだ。アテナは連絡を切らさないようにして、なにか見つけたらすぐに教えてくれ。」
「はい、かしこまりました。」
話が纏まると、最初の分かれ道で二手に分かれ、俺はシルヴァンと、ウェンリーはアテナと一緒に探索を開始した。
アテナとシルヴァンは俺と同じ照明魔法が使えるし、ウェンリーにはルスパーラ・フォロウの魔法石を幾つか作って渡してある。
その明かりを頼りに、岩と土壁の通路を歩きながら俺とシルヴァンは足元を中心に見て回る。
マリーウェザーはルフィルディルを襲った人間の集団に、フェヌア・クレフトまで連れて来られたところで、剣で胸を貫かれ殺されたと話してくれた。
そもそもその人間達は、マリーウェザーを最初から殺すつもりだったのなら、なぜわざわざこんなところまで攫って来たのだろう?…不可解だ。
「ルーファス。」
程なくして前を歩いていたシルヴァンが、早速ひとかたまりの人骨を見つけた。
俺達はしゃがんでそれを具に調べる。
「…違うな、この骨は男性のものだ。以前ここに入って戻らなかったと言う獣人のものじゃないのか?」
「――いや、獣人のものではない、恐らく人間のものだ。獣人族の特徴である骨の変形素体が見られぬからな。人間と違って我らは獣化する際に、魔力によって体内で骨格が組み変わる。獣人族は頻繁に獣化を行うから、死した後は骨にもその変形部位に魔力の残滓が変色して青く残るのだ。」
「そうなのか。…だけどこれが人間のものだとすると妙だな。俺が見た感じでは、あまり古いものじゃない。精々二、三年前のものだぞ?」
「なに?…どういうことだ?」
――そう聞き返されたところで、俺にだってわからない。真眼の年代測定でそういう結果が出たから口にしただけだ。
「俺の地図にない、外部の人間が入り込めるような出入り口がどこかにあるのかな…どちらにせよこの骨を見つけただけじゃなにもわからない。これはこのままにして探索を続けよう。」
「うむ。」
俺とシルヴァンは再び通路を歩き出した。
その後も時折出現する魔物を倒しながら、アテナと小まめに連絡を取りつつ、隅々まで歩き回ってマリーウェザーの遺骨を捜したが、動物の骨や人骨が見つかることはあっても、彼女のものと思しき亡骸は見つからなかった。
そうして二時間近くが過ぎて行き、精神的なものから少し疲れたのか、シルヴァンは歩いていた足を急に止めると道端に転がる岩に腰を下ろした。
「すまぬ、少し休んでも良いか?ルーファス。」
「…ああ。」
俯きがちに溜息を吐き、落胆するシルヴァンが呟く。
「…千年近くも前のことだ、見つけ出すのは難しいと思っていた。行方不明のままきちんと葬られなかったのであれば、バラバラになっているやもしれぬし、手の届かぬような場所に埋もれているのかもしれぬ。…こうなるともう、力のある占い師か霊媒師にでも頼んで、マリーウェザーの痕跡を辿ってでも貰わねば、やはり探し出すのは困難であろう。」
そんなシルヴァンの様子を見て、俺も土壁を背にそのまま地べたに座り込んだ。
――無理もないが…かなり気落ちしているな。
「力のある占い師か…そう言えばフェリューテラ西方にある、アヴァリーザ王国の出身だという神出鬼没の有名な占い師が一人いたな。失せ物、失踪、行方不明者など探し出せないものはないという…『ラーミア・ディオラシス』という名の老婆だ。」
「知り合いか?」
ふと思い出して口から出た俺の情報に、興味を示したシルヴァンが顔を上げる。どうしても遺骨を見つけられなければ、最終的にそう言った手段を取ることも考えた方がいいのかもしれない。
「いや、三年ぐらい前にメクレンを訪れたことがあって、遠くから見かけたことがあるだけだ。その頃俺はまだ守護者になっていなくて、ヴァハに住むただの民間人だったけど、あの占い師が常人にはない不思議な力を持っていることだけはなんとなく感じて、本物だと言うことだけはわかったよ。」
「ふむ…ルーファスがそう思ったのなら、間違いはなかろうな。占い師ラーミアか…そちらを先に捜した方が早いかもしれぬ。」
俺に心配をかけないように、平気な振りをして皮肉りながら苦笑するシルヴァンは、せめてマリーウェザーの亡骸だけでももう一度抱きしめたいと願っているのに、それすら叶わないことに歯痒さを感じているようだった。
『ルーファス様、アテナです。今大丈夫ですか?』
アテナ?ああ、どうした?
『探索中に地図にない、魔法による仕掛けが仕込まれた壁を見つけました。こちらに来られますか?』
わかった、すぐに行く。俺達が着くまで絶対にその仕掛けに触れるなよ。
『はい、待っています。』
「シルヴァン、アテナ達が魔法による仕掛けのある壁を見つけたらしい。俺達もそこに行ってみよう。」
俺はすぐに立ち上がってシルヴァンにそう言うと、二人で地図を頼りにアテナとウェンリーのいる場所へ急いだ。
二人が待っていたのは、フェヌア・クレフトの北西に位置する、かなり奥まったところにある行き止まりだった。
地面にしゃがみ込んでいたウェンリーが、俺を見ると立ち上がって手を振る。
「あ、来た来た。ルーファス、シルヴァン!」
「ウェンリー、アテナ。」
「ルーファス様、こちらです。」
二人と合流すると、アテナが早速その壁を指差した。
そこは一見、なんの変哲もないただの土壁にしか見えないが、俺の真眼で見ると、確かに地属性魔法による偽装した壁と、その中に初めて目にする銀色の設置型魔法陣らしきものが薄らと重なって見えた。
「ああ…確かになにか仕掛けがあるな。それに奧に空間があるみたいだ。解除魔法で仕掛けを消去してみよう。――『ディスペル』。」
目の前にあった土の壁が消え去り、銀色の設置型魔法陣も解除されて弾け飛ぶと、そこにはさらに奧へと延びる通路があった。
「隠し通路か…!」
「確かフェヌア・クレフトは、地下迷宮や国境近くの岩山辺りまで続いてるって話しだったよな。方角的にはルフィルディルの裏手に回り込むような感じだけど…どうする?ルーファス。行ってみるのか?」
「そうだな…」
ウェンリーの問いかけに俺はなぜか即答できなかった。漠然とした不安を感じていたからだ。
――時間的には問題ないし、まだマリーウェザーは見つかっていない。ただ、入口があの場所にあって、当時の里を襲撃した人間達が、こんな奥まで果たして入り込むのかと考えると…疑問を感じる。
奥にまだその理由となるものがなにかあるのかもしれないが、ご丁寧に魔法で偽装してあるとか、なんだか妙だ。
デゾルドル大森林自体、人間の出入りが千年近くも途絶えているはずなのに、転がっている人骨の中には比較的最近の年代のものがあった…そのことも引っかかっている。
…調べてみないことには、その答えも出ないか。
暫しその場で悩んだ結果、結局俺はそこから先に進むことを決めた。
「決めた、もう少し行ってみよう。色々と引っかかる部分はあるが、それも調べてみないとわからない。これまで以上に注意することと、一応イゼスに貰って来た幻惑草の中和剤を飲んでおこう。」
俺達はそれぞれ各自で持っていた幻惑草の中和剤を、その場で口に含んで噛み砕く。効果は数時間続き、切れる前に追加で飲めるように予備も貰ってあるから、花粉の猛毒対策はこれで万全だ。
ピリピリと舌先が痺れたことを確認すると、入口を入った時と同じように、俺が先頭で殿をシルヴァンに任せ、元は壁に見せかけてあったそこへ足を踏み入れた。
ところが俺達四人がほぼ同時にそこを越えた瞬間、足元でなにかが光る。
「!?」
――しまった、これは!!
目の前にさっき解除したはずの銀色の魔法陣が輝き、足元の光を浴びた瞬間、俺の中で全ての魔法が封印されたのを感じた。と同時に、照明魔法が消えて真っ暗になる。
どうやらあの銀色の魔法陣は幻影を見せるためのもので、二重に仕掛けられていたらしく、表層を解除するだけでは全て消去し切れていなかったようだ。
その上足元にあったのは、同じく設置型の複合魔法陣で、これには魔法封印と転移魔法が込められているようだった。つまりは――なにかの『罠』だったのだ。
「まずい、魔法が封じられた!!罠だ、戻れ!!」
そう叫んで踵を返したが、もう遅い。
ボウオンッ…
鈍音と共に灰色の光が俺達を包み込むと、そのまま身体がふわりと浮き上がり、俺達全員、強制的にどこかへ転移させられてしまった。
…シュシュシュシュンッ
その時間は、僅か一秒ほどだったと思う。
暗闇の中、足が地面に触れたと感じた瞬間に、俺はウェンリーへ指示を出した。
「ウェンリー、ルスパーラ・フォロウの魔法石を使え!!」
シャッ
この暗闇の中でも、魔法石は各属性の色光を放つから見えるはずだ。内包されている魔法は刻まれた光る魔法紋で見分けられる。
指示は聞こえていると思うが、ウェンリーは返事をする余裕もないんだろう。
それと同時に腰のエラディウムソードを抜き、俺は瞬時にスキルで索敵を開始する。すると二十メートル以内の範囲にかなりの数の敵意を、放たれる魔力の気配から感知した。
それが魔物であるかはまだ不明だが、敵であることに間違いはない。
「戦闘態勢!!」
魔法が封じられたために、自己管理システムの地図も表示されない。この状況ですぐに使えるのは、ウェンリーに常備させてある俺が作った魔法石だけだった。
「ルーファス、アテナが倒れている!!」
「!?」
混乱の最中、俺とシルヴァンはすぐに武器を構え、ウェンリーが照明魔法の魔法石を使い、辺りに光が灯る。
シルヴァンのその声に振り返ると、ウェンリーの足元にアテナが倒れていた。
「アテナっ!!」
ウェンリーがすぐさまアテナに手を伸ばした。
「アテナ…俺の魔法が封じられたせいで倒れたのか…!?」
それは俺の『想定外の事態』だった。
「ルーファスっ前!!」
アテナを抱えるようにしてしゃがむウェンリーの声に、今度は前を見ると、黒鉄の両開きの扉からバラバラと、俺達の前にフードを被って黒衣を着た、十人ほどの集団が雪崩れ込んできた。
顔は見えないが、気配とその印象から思うに獣人じゃない、恐らく人間だ。
手には各々杖だの剣だの槍だの錫杖だの、様々な武器を持っている。中には汚れた布に包まれた、大きな荷物を肩に抱えている者の姿まで見えた。
彼らは近くに設置されていた炬火台に次々と松明で火を点し、周囲を明るくして視界を確保した。
俺達が転移魔法陣で飛ばされたそこは、かなり天井の高い地下空間で、外壁はフェヌア・クレフトと同じく土と岩が剥き出しだったが、周囲に神殿などによく見られる数本の石柱が並んでいた。
足元には古代文字と呪文字が円形状に並んだ、石版のような石が埋め込まれている。それはなにかの儀式に使われるような、召喚陣に似ているようにも見えた。
――黒衣を着たフード姿の集団…何者だ?
到底まともな集団とは思えなかった。そもそもこちらに向けられている敵意が、半端なものじゃない。
「おお、盟主の予言通りだ…!!銀髪の男を狙え!!あれが〝レインフォルス・ブラッドホーク〟だ!!」
「な…っ」
≪なんだって…!?≫
黒衣集団の中心人物らしき顔の見えない男が、俺を指差してそう叫んだ。
「おい、待て!!俺を誰と間違えている!?」
一斉に動いた黒衣の集団に俺は武器を構えた。
俺の問いかけに黒衣の集団は誰も何も答えず、問答無用で襲いかかってくる。
「ウェンリー、ルーファスの補助魔法石と、各属性の攻撃魔法石は使えるな!?余裕があれば援護を頼む、それ以外はアテナと己の身を守ることを第一にして、ディフェンド・ウォールを切らすな!!」
あっという間に俺を取り囲んだ黒衣の敵に、俺はウェンリーに声を掛ける間もなく交戦に入ったが、咄嗟にシルヴァンがそう話してくれている会話が耳に飛び込んでくる。
――く…っ落ち着け、ウェンリーとアテナはディフェンド・ウォールの魔法石があるから心配は要らない。寧ろ問題なのは俺とシルヴァンの方だ。
「ルーファス!!人間が相手だと手加減をするな、此奴らは敵だ!きちんと戦え!!」
「…!!」
シルヴァン…!!
シルヴァンには、俺が〝なにを考えて〟剣を振るっていたのかがわかっていた。
――俺は自分の記憶にある限り、これまで一度も『人』を殺したことがない。
"そんなことはあり得ない" と信じて貰えないかもしれないが、実はあの迫害戦争時でさえこの手で、ただの一人の命も奪ったことがなかった。
何故なら俺にとって『人』とは、種族がどうであれ守るべき対象であり、簡単に命を奪って良い相手ではなかったからだ。
俺は〝不老不死〟であり、少しぐらいの傷を負っても死にはしない。ついさっき食らった魔法封印は、継続的なものではなく、一定の時間が経てば自然に解除される類いのものだ。
それは精々十五分程度で、多勢に無勢でも、俺ならこのぐらい凌いで持ち堪えられると思っていた。
相手は俺を殺すつもりで攻撃しているのに、狙われている側の俺が防戦一方なのは、馬鹿だと思われるかもしれない…だけどこれが『俺』だ。
シルヴァンが『獣人族の長』である自分以外を想像すら出来ないように、俺もまた、『人』の命を奪う自分の姿を、どうしても思い描くことが出来なかった。
それはまるでなにかの『理』か、或いは『呪縛』ででもあるかのように――
黒衣の敵達は、容赦なく俺に攻撃を仕掛けてくる。絶え間なく振り下ろされる剣や槍の刃を、俺は必死で躱し、元々耐性の高い魔法による損傷は、敢えて受けることで全て無視した。
俺を取り囲む五人ほどが武器による攻撃を、一人が魔法による攻撃を、二人がウェンリーが保っている防護障壁を砕こうと向かい、二人がシルヴァンを俺から引き離している。
ウェンリーは倒れたアテナを守りつつ、障壁の中から二人の相手をしているが、元々敵の攻撃を回避しながら隙を突く戦い方のウェンリーに、誰かを守りながらの戦闘は不慣れで難しいものがある。
シルヴァンは獣化までもが封じられたようで、銀狼化できずに戦っていたが、どういうわけか、黒衣の連中の一人が運んでいた大きな荷物に気を取られていて、らしくなくいつもの斧槍に覇気がない。
よく見ると、汚れた布に包まれたあの積み荷から、人の手のようなものが伸びていた。
あの大きな荷物…まさかあれの中身は人間なのか!?
――その瞬間、『滅亡の書』の記述が頭に思い浮かんだ。
〖汝自身の身を守るか、守護七聖が白、『シルヴァンティス・レックランド』の身を守るか、その場にて瞬時に選択せよ。〗
これがそうか…!!!
頭上から振り下ろされる剣の刃を、咄嗟に自分の剣で受け止める。
ガキンッ
「――五人もの手練れを相手にしているというのに、随分と余裕だな。」
フードから僅かに見えた目つきの悪い顔の男が、口の端を歪ませてそう言った。
俺はエラディウムソードに力を込めて、男を無理矢理押し返す。
「おまえ達は何者だ!?俺を誰かと間違えているだろう!!」
間合いを取って離れた男は、まるでなにかを待っているかのように俺の隙を窺っている。その不気味な行動に、俺は得体の知れないものを感じて、背中に冷や汗が流れた。
この男は俺のことを、ついさっき『レインフォルス・ブラッドホーク』だと言った。レインフォルス…カラミティが俺の耳元で囁いた名前だ。
だが俺は守護七聖主であり、太陽の希望のリーダーであり、力無き人を魔物から守る、守護者の『ルーファス・ラムザウアー』だ…!!
「いいや、間違えていないさ。貴様には何度も煮え湯を飲まされたが、今度こそ終わりだ。盟主から賜った、この〝ケルベロスの剣〟でな。」
「ケルベロス…!?」
持っていた片手剣を放り投げ、懐から別の武器を取り出した男の手に、あの闇の守護神剣マーシレスと似たような、闇を纏った短剣が握られていた。
その気配にゾッとして異様なものを感じた瞬間、俺の自己管理システムが突然復活した。
封印が解けたことに気が付いた俺は、すぐに隠形魔技を使ってディフェンド・ウォールを唱えた。
だが男の背後に見えた光景に、俺は迷わず、それを自分にではなく、離れた場所にいたシルヴァンに向けて放った。
「守れ、『ディフェンド・ウォール』っ!!」
俺の左手に白く魔法陣が輝き、俺の放った防護魔法がシルヴァン『達』を包み込む。
――直後に、俺の腹の辺りに男が『ケルベロスの剣』と呼んだ短剣の刃が、ズブリと沈み込んだのを感じた。
そうか…この男は、この瞬間を待っていたのか。
そうして俺は闇に包まれて目の前が暗くなり、そのままそこで意識を失った。
次回、仕上がり次第アップします。




