87 獣人族と呪いの絵画 ①
シルヴァンから恋人の名前を聞いたルーファスは、シルヴァンが動揺していた理由に納得が行きます。その上で、獣人族の問題を解決しようと決めましたが…
【 第八十七話 獣人族と呪いの絵画 ① 】
――今でも思い出す度に胸が痛み、苦しくなる。目を閉じて浮かんでくるのは、幸せであった頃の輝いていた笑顔ではなく、決して振り返るなと自らを戒めて立ち去った時の…痛哭に泣き濡れ絶望に歪んだ表情だ。
マリーウェザー…そなたはあの後、どのような一生を過ごしたのだろう?手前勝手な話だが、政略で定められたエルリディンと結婚し、我のことは忘れて幸せな生涯を終えたのだと思いたかった。
千年の時を経ても、調べようと手を尽くせばいくらでもその方法はあったのに、主に記憶がないのを言い訳にして知ることを恐れ、目を逸らしていた。
心の隅で思わなかったわけではない。我がそうであるように、そなたも我を思い続けてくれれば良い、と。…なんと歪んで醜い感情だろう。
愛していたのだ。
その手を取ってなにもかもを捨て、共に逃げ出したいと思ったほどに。
愛している。
そなたがこの世界のどこにもおらず、たとえもう二度と会えなくとも。
――我が彼女と出会ったのは、我らがまだ互いに幼少の頃だった。
FT歴974年当時、フェリューテラ南部の大洋に向かって大きく突き出した、半島大陸の三分の二を占めるその深き森は〝半獣民族の聖域〟と呼ばれ、暗黙の不可侵を守る人族の殆どは滅多に足を踏み入れなかった。
東から南に聳えるヴァンヌ連峰の麓から、北は人族の街と遙か西方の海岸線まで続く広大な樹海は、その全てが我らが住むガルフィデア獣国の国土で、所々に点在する獣人族の各集落と、その時代よりさらに古い遺跡の他にいくつかの獣神神殿があり、数多くの獣人と野生動物と、鳥と精霊と魔物が暮らしていた。
その中の主要最大集落『ルプトゥーラ』に住む獣人族の長の家庭に生まれた我は、自由奔放で豪胆でありながら、剛毅果断な気質を持った父親の、結婚した次期が遅く、中々子宝に恵まれなかったという両親待望の一人息子であり、一族にとっては待ち侘びていた白銀狼の男児だった。
そのためか物心ついた時には、長としての厳しい訓練や勉強ばかりの毎日で、父を恐れる同年代の子供は我にあまり近寄らず、いつも一人だった。
そんなおり勉強が嫌になって家から飛び出し、好奇心から集落の外へ散歩に出て人族の国境近くまで足を伸ばすと、森外れにいつの間にか建っていた小さな小屋を見つけて近付いた。
その小屋からは甘いお菓子の匂いが漂っていて、窓から中を覗くと、そこには人間の老女と幼い少女がいた。
その少女が当時五才になったばかりのマリーウェザーだったのだ。
後になって知ったことだが、この時のマリーウェザーは、王家のごたごたから危険を避けてこの地に逃れてきており、乳母と共に国境を越えての一時的な滞在を父に許されていたのだった。
それとは知らず、特に近付くなとも言われていなかった我は、焼きたてのお菓子を手に外へ出て来た彼女が、目の前で転んだことに驚いて飛び出し、声を掛け助け起こしたことですぐに親しくなった。
マリーウェザーは我が狼に獣化しても一切怖がらず、逆に凄い凄いと手を叩いて喜んで褒めてくれるような人間の幼子だった。
その素直な性格と愛らしさに心を惹かれた我は、以降足繁く彼女の元へ通い、幼いながらも恋心を抱くようになる。
それはマリーウェザーの方も同様だったようで、我らは知り合って三年が過ぎた頃には、大人になったら結婚しようという約束を交わすほどだった。
獣人の国の次期族長と人族の国の第一王女の口約束。所詮は子供同士のやり取りに過ぎなかったのだが、マリーウェザーの父親であったその当時のアガメム国王『ユバーファル』と、我の父『グロウ』の関係は比較的良好であったため、先々の両国にとっては寧ろ良縁だと、意外にも父上は喜んでくれていた。
それからさらに二年後、マリーウェザーが当たり前のようにルプトゥーラに出入りするようになった頃、王家の状態が落ち着いたことで、彼女は両親に呼び戻されて城へ帰ることになった。
その頃には、出会った初めの頃にはあった、生まれながらにして淑女のようだった大人しさは消え失せ、我や獣人の子供達と活発に森を走り回るようになっていた彼女は、我と離れることと、窮屈な家に帰ることを泣いて嫌がったものだった。
だが父上とユバーファル王との口約束で半年に一度は会えることになり、マリーウェザーは説得に応じ諦めて帰って行った。
それからの七年間は、我とマリーウェザーにとって最も幸せで、最も輝いていた時間だった。
互いに少しずつ成長して行く中で、離れている間にも思いは薄れることがなく、会う度に我は彼女を好きになり、彼女も我を思ってくれた。
我が一足先に十八で成人し、その一年後彼女が十七になる頃には、そろそろ正式に婚約を公にして、婚姻の準備に入ろうかという話をしていた矢先だった。
マリーウェザーの父ユバーファル王が、突然何者かによって暗殺されてしまったのだ。
直系男児の世襲制だったアガメム王国に王太子はなく、皇嗣にあったのはマリーウェザーの叔父であり、ユバーファル王の実弟であるボルゴネフだった。
だがマリーウェザーの母である王妃は、ボルゴネフに国王暗殺の疑いを向けて王位継承に異を唱え、第一王女であるマリーウェザーに相応しい婿(我が含まれていたのかはわからぬ)を取らせることでその者を王位に据えようとした。
直後に、今度は王妃が不慮の事故(表向きにはそうされているが、実際は国王同様に暗殺されたと思われる)で亡くなると、ボルゴネフは周囲に有無を言わさず王位に就いた。
やがてどこからともなく国王夫妻暗殺犯の噂が流れ、欲深く税金を上げて民に圧政を強いたボルゴネフは、国民から反感を買い、度々国内で小さな反乱が起こり始めると、今度はそれを抑えるために、民からの人気が高かった自身の息子である王太子『エルリディン』とマリーウェザーを結婚させようと企んだ。
エヴァンニュ王国の初代国王でもあり、マリーウェザーの従兄弟でもあったエルリディンは、民に好かれるだけあり父親とは似ても似つかず、文武両道に長けた聖人賢者と名高き優れた男だった。
少なからずともマリーウェザーを愛し大切に思っており、一時婚約を喜びはしたものの、我と恋仲である事実を知ると、隙を見て彼女を逃がしてくれたのだ。
だがこのことが、我ら獣人族の運命を決めることになった。
折しもこの頃、フェリューテラでは大災厄の兆しが世界各国を襲っていた。
凶悪な魔物が世に蔓延り、度々信じられないような天変地異が起きており、ガルフィデアの樹海でも獣人の手に負えない化け物が、次々降って湧いたように現れてはその犠牲となる者を増やしていた。
それはアガメム王国も同じで、ボルゴネフは上手くそれを利用し、自身への不満が他へ向かうように、国内にある噂を流した。
――〝獣人族は『魔物に最も近い凶暴な異種民族』であり、魔物を使って人族の国を襲わせている。〟
〝獣人族の亡き長の息子は、エルリディンの婚約者であるマリーウェザーを拐かし、無理矢理手籠めにするつもりだ。〟
…などという内容のものだ。
エルリディンとマリーウェザーの結婚を楽しみにしていた国民は、安易にこの噂を信じた。
そうしていつの間にかボルゴネフに対する不満が、獣人族に対する怒りと憎悪に掏り替わり、この年遂に、現在でもエヴァンニュ王国以外の歴史に残る『人族の獣人虐殺』という迫害戦争が始まった。
我とマリーウェザー、そしてエルリディンの三人は理解者と共に、獣人を家族に持つ人間や、人間を家族に持つ獣人達と協力して、この戦争を止めようと必死に奔走した。
しかしその最中、停戦交渉まであと一歩というところで、今度は父上がボルゴネフの手にかかり、惨殺されてしまった。
その首を手に、諸外国までもを巻き込んで、ボルゴネフは我ら獣人族を追い詰めた。
失意の中、父上の後を継いで長となった我は、一族の人間に対する憎悪が高まり、このままではマリーウェザーの身が危ないと感じて、エルリディンに頼んで密かに彼女を匿って貰うことにした。
――そこからは坂道を転がるように、情勢は悪化の一途を辿った。我らは押し寄せる人間に狩られ続け、必死の抵抗も虚しく行き場を失くしていった。
もしあの時、『太陽の希望』と呼ばれていたルーファスが駆け付けてくれなければ、その時点で我を含めた僅か数百名の獣人族は滅びていただろう。
ルーファスは追い詰められていた不利な戦況を一瞬で覆し、凄まじい力で人間の勢力を押し返した。
その頃既にフェリューテラの救世主として、太陽の希望の名が知れ渡っていたルーファスが我らの側につき、敵に回ったことで、アガメム王国以外の諸外国は一斉に手を引いた。
それほどルーファスの力は大きかったのだ。
ほんの一時、今後のことを考えられるだけの時間を得た我は、長として何度も一族とルーファスを交えた話し合いをした。
その結果修復が不可能なほどの隔たりを感じた我は、完全に人と獣人を分断させることにしたのだ。
だが自らが人族を娶るのでは誰にも納得して貰えぬ。
――そうして我は、マリーウェザーとの別離を選んだ。
別れを告げた最後の日、彼女は我に〝行かないで〟と縋って泣き叫んだ。我はその絶叫に耳を塞ぎ、背を向けて二度と彼女には会わなかった。
生涯『番』は持たぬと誓って――
♢ ♢ ♢
「――マリーウェザー・ルフィルディル…?」
「え?え?その名前って…」
シルヴァンの口から恋人の名前を聞いた俺とウェンリーは、この里の名前と同じなのは偶然ではないだろうとすぐに思った。
人族と家庭を持っていた獣人が、家族との別れを拒み、死を覚悟してイシリ・レコアには行かなかった結果、ここに里が出来た。
そしてその里の名前が『ルフィルディル』。それが恋人の名字だったとは…シルヴァンが動揺したのも無理はない。
「その恋人とこの里が全くの無関係だとはちょっと思えないな。」
「…ルーファスもそう思うか。」
「ああ。」
シルヴァンは益々暗い顔になった。
俺はまだシルヴァンの恋人の顔や姿を思い出せない。会ったことがあると言う認識はあるのに、頭にまだ霧がかかっているような感じだった。
恋人とは一緒になれなかったと言っていたが、死別ではなさそうだから、多分一族を説得するためにシルヴァン自ら別れたんだろう。
その恋人とこの里がどう関わっているのかは、情報が少なすぎてまだわからないから、この続きは大長老から話を聞いてからにした方が良さそうだ。(話をしてくれると良いんだが)
「シルヴァンが継承の儀式を行いたくない理由は良くわかった。因みにおまえが留守の間や、神魂の宝珠に封印されて眠りについた後、イシリ・レコアではこの問題をどうしていたんだ?」
「あちらには我の代わりをする『巫女』という存在がいた。留守の際は我への緊急時連絡伝達の役目を担い、封印後は守護七聖主の祭壇に祈りを捧げ、『神護の水晶』と『キー・メダリオン』を使い、生命維持装置の中で眠っていた我の力を、自らを媒介にすることで引き出して使うことが出来たのだ。」
「…なるほど。」
と言うことは、留守中はともかく、シルヴァンがいれば直接それを行使しなくても、特殊な力を『誰かが代わりに使うこと』は可能だったのか。
鍵は守護七聖主の祭壇にシルヴァン本人と、巫女と神護の水晶、そしてキー・メダリオン、か。…必要なものが多いな。
多分その方法を考えたのも俺なんだとは思うんだけど、なにをどう構築したのか思い出せないのが痛い。
だが神護の水晶はここに保管されているという話だし、祭壇は単にキー・メダリオンを起動するための祝詞を唱える場だった可能性が高いかな。
キー・メダリオンは神魂の宝珠と密接な関係があるようだから(封印を解除したら融合したくらいだしな)、里の結界障壁のためだけでなく、それでイシリ・レコアに預けてあったのか?
――その辺りから糸口が掴めるかもしれないな。
「ルーファス…?」
思わず思考に耽った俺を、不安げな顔でシルヴァンが見ていた。
「ああ、ごめん、考え込んでしまった。獣人女性の短命治療の件と合わせて長の問題も、おまえにとって最善となる方法が見つからないか、色々調べて考えてみるよ。」
「主…だが…」
「大丈夫だ、心配するな。千年前とは状況が違っているが、だからこそ解決策が見つかるかもしれない。なんとかするから、俺に任せておけ。」
神魂の宝珠に力は分散されているが、今の俺にはアテナがいるからな。一人では見つからない答えも、アテナと二人でならなんとかなるはずだ。
『ルーファス様…!はい!』
ああ、聞こえちゃったか。うん、まあそう言うことだから、アテナにはたくさん力を貸して貰うよ。
『お任せ下さい!』
頼もしいな、と思う。アテナの明るい声を聞くと俺自身励みになるからだ。
「とりあえずこんなところか。シルヴァン、おまえが悩んでいたのはこれだけか?他に隠していることはないな?」
念のためもう一度探るように様子を窺う。
「ない。マリーウェザーの家名が里の名になっているのが気になるということを除けば、悩んでいたのはこれで全てだ。」
話したことですっきりした顔をして、今度は真っ直ぐに俺の目を見て頷いたシルヴァンに、俺への信頼を感じて、もう大丈夫だな、と安堵する。
「…そうか、ならこの後は獣人族の問題に、俺は積極的に介入することにする。ここの獣人達から本当の意味で信頼を得るまでは、大長老との折り合いをつけるために、おまえには守護神として進んで動いて貰うからそのつもりでいてくれ。」
「…心得た。感謝する、我が主よ。」
「礼は要らないぞ、おまえは俺の友人であり大切な仲間だ。獣人族のことは元々乗りかかった船だしな。」
イシリ・レコアの獣人族を最後まで救えなかったのなら、今生きている彼らをなんとしても救ってみせる。俺はそう決めた。
その上で俺は今後の方針を伝える。暫くの間ルフィルディルに滞在するつもりでいることだ。
どの道ここから出ようとすれば、引き止められて揉めるだろうことは目に見えていたからだ。
当然だがウェンリーは少し驚き、シルヴァンはリヴグストのことはどうするのかと申し訳なさそうな顔をして尋ねて来る。
もちろんそちらも出来る限り急ぐつもりだが、急いては事をし損じる、だ。基本的に物事は成るようにしか成らないし、その先へ至る道は、成るように成って行くものだとも俺は思っている。
些か楽観的すぎるんじゃないかと言われるかもしれないが、これが俺なのだから仕様が無い。
当面の間は彼らの生活状況をよく見て、手助けが必要なほどに困っていることがあれば進んで手を貸して行く。
信頼と絆を育むにはそれなりの時間がかかるものだが、こちらが誠意を見せて接していれば、さほど時間をかけずにわかって貰えるだろうとも思う。
何故なら、俺達は既に獣人族であるシルヴァンと、信頼で結ばれた親しい仲間同士だからだ。
「一応ここにもギルドはあるから、後で覗いて高難易度の依頼があれば合間を見て熟しても行く。それと最後に最低限絶対にこれだけは守って欲しいんだが、ここの里でウェンリーは、俺が良いと言うまでアテナと一緒に動くこと。この部屋にいる時と俺達といる時以外は、なにをするのも、どこへ行くのも必ず二人でだ。」
――このことは言うまでも無いが、獣人との余計な揉め事を避けるためだ。
ウェンリーがなにかすると言うよりも、寧ろ人間に対して悪意を抱く獣人から、ウェンリーを守るための意味合いが強い。
沿道沿いでシルヴァンを歓迎する獣人の中には、あからさまに俺達に敵意を向けている者もいた。
悲しいかな、そういう人種の中には影で襲ってくるような者もいるだろう。もちろんそれは俺も同様なのだが、俺は相手を無傷で無力化できるが、ウェンリーはそうはいかない。そんな時でもアテナが一緒なら俺同様相手を傷付けずにウェンリーを守ってくれるだろう。…と言うわけだ。
「それは構わねえけど…ルーファスは?」
「俺は出来るだけシルヴァンの傍にいるようにする。それに他に気になることがあって、色々と調べなきゃならないからな。離れていても俺はアテナといつでも連絡が取れるし、心配は要らない。」
「了解〜アテナもそれでいいの?」
「もちろんです。」
アテナ、くれぐれもウェンリーを守って欲しい。
『かしこまりました、お任せ下さいルーファス様。』
「うん、二人とも頼んだぞ…気をつけてくれ。よし、それじゃあ話はこれで一応終わりだ。ウェンリーは風呂だったな、入って来て良いぞ。」
「やった!もう体中に幻惑草の花粉がついてる気がして、気持ち悪くてさあ〜!!」
そう言うと再びタオルを掴んで、ウェンリーは一直線にバタバタと浴室へ駆け込んで行った。
「ウェンリーはああ言うが、我らの身体は着ている服ごと里の結界内に入った時に、ルーファスが魔法で浄化してくれたのではないのか?」
シルヴァンは微苦笑しながらウェンリーを見送ると、チラリと俺を見る。
「なんだ、気が付いてたのか?…まあな。イゼスから耐性があると聞きはしたものの、幻惑草の花粉を持ち込んで、獣人の子供になにかあったら取り返しがつかないだろう?」
「ふ…ルーファスは変わらぬな、本当に。あなたはいつだって他者を守り、誰かを救うことを第一に考える。それに比べて、我は…」
「そういうのは無しだ、シルヴァン。自分を責める理由を間違えるな。」
出たな。…やっぱり罪悪感を抱えていたか。
予想通りの落胆ぶりに、俺は耳の倒れた銀狼姿を思い浮かべる。今なら多分、尻尾が後ろ足の間に垂れて内側に入り込んでいることだろう。
「おまえは同族を見捨てたわけじゃない。過去から逃げたいのなら、初めからここに来ないという選択肢もあったはずだ。だがおまえは、俺に一言もそうは言わなかった。それは獣人族が本当に生き残っているのなら、必ず自分の助けが必要になるとわかっていたからだろう。」
この里のことは、その当時にきっとかなり悩んで出した答えから、予想外に生じた現実だったはずだ。
その結果イシリ・レコアは滅んだが、獣人族は生き残った。なにがどう転んで幸いするかなど、わからないものだ。
「おまえは自分の長としての責任から逃げなかった。…それで良いじゃないか。」
シルヴァンは顔を上げて俺に微笑むと、黙って目を伏せた。
それから俺は、シルヴァンに解析目的で、長の特殊能力をここで初めて見せて貰った。
どうもこれは魔法と技能を複雑に組み合わせた上に、それ以外にもなにか未知の別の要素が含まれた真実『特殊な力』だった。
考えてみれば、獣人女性の身体構成情報を、正常な状態に書き換えて治すようなものだ。特別でも当たり前かと思う。
とりあえず発動時の術式を読み取ることは出来たのだが、所々俺とアテナでもなんの意味があるのか理解不能な構築部分があって、残念だがやはり解析複写することは出来なかった。
だが意外な副産物で、どういうわけかその解析途中、突然俺のある魔法が使用可能になった。
それは光属性の古代魔法、『リザレクション』だ。これは過去の光神の神殿に飛ばされた際、ラファイエの部屋の本棚で覚えてきたもので、現代では『禁呪』とされている魔法の一つだ。
俺の使用可能、及び所持魔法一覧の中には、こう言った禁呪系の類いがかなりの数存在している。
なぜ魔法の中に『禁呪』とされるものが存在するのかというと、威力や効果が桁外れのものがあるからだ。
それは常人であれば魔法を使用することに、身体の方が耐えられず死んでしまったり、自爆同様の自分も他者も巻き込んでしまいかねないほどの危険を伴う。
まあ中には『魔物呼びの笛』のように、効果そのものに問題があるものも一応含まれてはいるのだが、要するに俺のような特殊な存在でもなければ、使い熟せないものが多いのだ。
話が逸れたが、とにかくそういうわけで使用可能になったその魔法は、驚いたことに、絶命した直後なら自分の生命力である霊力を削って分け与え、蘇生させることが可能になると言う常識外の禁呪だった。
こんな魔法を俺以外の人間が使おうものなら、ほぼ確実に死んでしまうことだろう。良くても瀕死だ。つまりは己の命と引き換えに、他者を生き返らせる魔法だと言うことだ。
――正に禁呪だな…だがこの魔法が使用可能になったと言うことは、シルヴァンの特殊能力の構築術式にリザレクションの術式が含まれている可能性がある。
それがこの時点で得ることが出来た、唯一の手がかりだった。
後は合間を見てリザレクションの術式を分解して、解析できた特殊能力の構築術式と細かく比較してみるしかなかった。
「はあ〜、さっぱりした〜」
身体からほこほこと湯気を立て、ぴかぴかの艶を顔面から放ったウェンリーが、そんな声を上げながら風呂から出てくる。
それとほぼ同時に、引き戸をコンコンと叩く音が聞こえ、イゼスが俺達を呼びに戻って来た。
「大変お待たせしました、お食事の用意が出来たそうです。ご案内しますのでどうぞ。」
「悪いな、イゼス。泊めて貰う上に食事までごちそうになるなんて…」
「いえ、お気になさらず。」
俺達はイゼスの後に続いて、屋敷内の複雑な廊下を歩いて行く。頭の中にある地図を見る限り、想像通りこの屋敷はまるで迷路だ。
――かなり広いな。
足元の廊下は継ぎ足し継ぎ足し延ばされているようで、一定の距離(接している部屋の壁の長さ)ごとに繋ぎ目がある。
上階に上がる階段は、中央の巨木に沿って螺旋階段のように作られていて、木の幹は壁などに覆われておらず、そのまま剥き出しになっていたのには少し驚いた。
「シルヴァンの部屋はどこにあるんだ?」
一応場所を聞いておこうと思った。もちろん、シルヴァンにではなくイゼスにだ。
「三階の南側にある、大長老の御自室のお隣だそうです。」
「む…」
そう聞いた途端にシルヴァンが物凄く嫌そうな顔をした。三階と言うことは、俺達のいる離れとはかなり離されている。
なにかあってもすぐに俺と合流できないことに、不快感を持ったのだろう。しかも隣室が大長老の部屋では、こっそり移動してくることも難しそうだ。
――ああ、そうだあれをシルヴァンに渡しておこう。
唐突に俺はある物のことを思い出し、無限収納を開いて貴重品の中からそれを取り出すと、小分けにして首紐をつけておいた小袋の一つをシルヴァンの手に押しつけた。
「シルヴァン。」
シルヴァンはそれを見るなり、俺の意図を察したのかすぐに首にかけて服の中に仕舞い込む。
俺が今渡したのは、『精霊の粉』だ。強力な睡眠作用を持ち、少量の水でもそれに溶かせば水鏡となって、俺が持っている『精霊の鏡』といつでも連絡が取れる。
その他に精霊の泉で使うと精霊界との道を繋ぐ効果を持っているが、それは精霊側が所持者を呼ぶなどの条件が整わないと意味が無い。
この時点でシルヴァンにこれを渡したのは、俺の中に『無意識の予感』が働いたせいだったのかもしれない。
こんなことが偶にあるのだ。ふと頭を過る、直前の行動や会話とはなんの脈絡もない思いつきが。
その時点では俺自身、全く意識せずに取る行動が、後に必ず正解だったと役に立つ。
それはまるで、初めからそれを〝知っていた〟かのような、俺にも理解不能な行いだ。
――ウェンリーに渡すのは必要になってからで良いな。
そんな判断すらも、無意識に下していたりする。
イゼスの案内で食堂に通された俺達は、各々予め決められた席に着く。
屋敷の主人であるアティカ・ヌバラ氏が上座に座るのかと思えば、当然のようにその場所にはシルヴァンが座らされた。
そのシルヴァンを挟むようにして俺と大長老が席に着き、俺の隣にウェンリーとアテナが座る。
座る場所など俺にとってはどうでも良いことだが、完全に中心的存在として主が如く扱われることに、シルヴァンの居心地が悪そうにしていたのには(悪いと思うが)少し笑ってしまった。
まず最初に大長老の挨拶から始まって、すぐに出来立ての料理が運ばれてくる。俺は簡単な挨拶だけを返して、後の会話は全てシルヴァンに任せ、ウェンリーやアテナと一緒に食事に専念している。
なにも言わなくても俺が聞きたがっていることは、既にシルヴァンが全て把握しているからだ。
俺はそれに傍で聞き耳を立て、その情報の整理は後回しにして、具に内容を記憶していくだけだ。
こうして大長老の前では、シルヴァンが付き従うほどの人物ではないと、無能で馬鹿な振りをしておくのだ。
俺が思うに、ここの大長老は私情で獣人を纏め、単に人族を敵視しているのではなく、なにか腹に一物ありそうな気がしていた。
だが一族のことを思わない人物が、これほどの境遇にある彼らの上に立てるはずもない。
ならば見方や考え方を少し変えて貰うだけで、良い方向に行く可能性があると俺は判断した。
ところが――
「お待たせ致しました、茸づくしのデュクセルです。」
獣人の男性が運んできたそれは、カリッと焼き上げたパンの上に葉物野菜と、様々な茸をバターで炒め焼きにしたソースをのせた料理だった。
それを見た瞬間、顔にも態度にも一切出さなかったが、珍しく俺は腹の底から怒りが湧いた。
――こんなことをするのか…俺を嘗めて貰っては困る。
「おお、これも美味そう〜いただきま〜す!」
なにも気づかず、ウェンリーはそのまま料理をぱくりと口に頬張る。だが俺はその前に誰にも気付かれないよう、出された料理への浄化魔法と解毒魔法を使用した。
通常なら手元で輝く魔法陣も、隠形魔技を使えば、それを出さずに魔法を使うことが出来るのだ。
「う〜ん、うまあい!!」
もちろん俺のこの行動にアテナだけは疾うに気が付いている。
――これは明確な敵意だ。大長老の判断かどうかは不明だが、シルヴァンと大長老の料理には毒物が入っていないことは見てわかる。
食事に猛毒を盛られたのは、記憶にある限りこれが初めて(過去のことはわからない)のことだが、俺には『真眼』と言う固有スキルがあり、様々な対象物の真実を一瞬で見抜くことが出来る。
因みに自主規制を行うが、今の料理の茸ソースは中々に凄まじい威力のゲテモノ料理に見えた。
…使用したのは猛毒を持つ『ファソラポカ』の幼虫か。普通の人間なら一口で即死だぞ。
つまりどういう経緯であれ、これを作って出した相手は、俺達を殺すつもりだったと言うことだ。
俺は俺の命を狙うことに対しては、あまり大きな感情の変化を起こさない。だが仲間に…況してや俺が見過ごせば確実に命を落とす、獣人を最初から疑ってもいないウェンリーに対して、危害を加えようとしたこの行為は逆鱗に触れた。
俺は怒っていた。表面には一切表さずに、猛烈に激怒していたのだ。
――シルヴァンは俺の感情の変化に、実はとても敏感だ。俺にその記憶はないのだが、昔なにかやらかして相当俺を怒らせたことがあるらしい。
そのせいか俺の怒りの感情には、普段の三倍増しの速度で気づく。そうして俺は微塵も顔に出してはいないのに、既になにかを察して、その表情が慄然としたものに変化した。
まだだぞ、シルヴァン。おまえが今、俺が怒っていることを周囲に気づかせたら、後で徹底的にお仕置きするからな…だから黙っていろ。態度にも決して出すなよ。
その意味を込めて、目が合った瞬間ににこっと微笑んで見せた。
シルヴァンが戦慄したのは言うまでも無い。
――その戦慄していたシルヴァンは、ルーファスが怒っていることに逸早く気づき、まずいと察しはしたものの、なにに激怒しているのかその理由には気づいていなかった。
――まずい。…あれはまずいぞ。主が…ルーファスがなにかに激怒している。
我がまたなにかやらかしたのであろうか?…いや、そのようなはずはない。直前までは相手の出方を窺うように、しれっとして、ただの人間のようなふりをしていた。だから我が原因ではないはずだ。
しかも目が合った瞬間、にっこりと微笑んだ。
ゾッ…
背中に冷や汗が流れる。我にはわかる、余計なことを申せば後でこっぴどいお仕置きが待っている。恐ろしい。主のあの、静かな怒りが…いかん、気づかぬフリをせねば――
我は必死で平静を装い、ルーファスの無言の圧力に耐え続けた。
「それでですじゃ、シルヴァンティス様には是非、その遠方から来た獣人の若者にもお会いいただきたいと…」
「――アティカ・ヌバラ、さっきからそなたはなんの話をしているのだ?我が一族の生存者が、エヴァンニュ王国以外の地に隠れ里を築いているだと?そんな戯れ言を信じたのか。」
「戯れ言ではありませぬぞ。その者がルフィルディルではない集落から来た同族であることは間違いありませぬ。イシリ・レコアが滅んでいる以上、同族であることが確かであれば、他所から来たというその言葉も誠である証ではありませぬか。」
我がルーファスに怯えながら、今なんの話を聞かされているかというと、この大長老は、最近になってある獣人の若者を里に受け入れたのだそうだ。
その者は人族に追われて身を隠しながら、同族の気配を辿ってなんとかここに辿り着いたという。
その上そやつが言うには、他国にある獣人族の隠れ里では、人族に反旗を飜すための準備を整え、女も子供も武器を手に、戦いの狼煙が上がるのを待っているのだそうだ。
あり得ぬ。千年前でさえガルフィデアから出て、他国で生き延びた獣人はまずいなかった。一人や二人ならまだしも、里を作るほどの人数が…しかも長不在の状態で、それだけの女子供がいるはずがない。
もしいるとするのならば、それはもう我の一族ではない、別の種族だ。
「…馬鹿馬鹿しい、獣人の側から戦を仕掛けるなど愚かにもほどがある。それを聞いてなぜ我がその者と顔を会わさねばならぬ?まさかそなたは其奴らと協力して、人族と事を構えるつもりだというのではあるまいな。」
「必要とあらばそれも考慮すべきです。一族に守護神たるシルヴァンティス様がお戻りになれば、千年前のように戦うことも可能ではありませぬか…!」
「そなた…!!」
馬鹿な…!!
「――それは聞き捨てならないな。」
ずっとただ話を聞いていただけの主が、戦いと聞いて遂に口を挟んだ。
「アティカ・ヌバラ大長老、あなたは獣人族を守るのではなく、守護神シルヴァンティスの名を掲げて再び人間と争わせるつもりなのか。」
「お客人は黙られよ。守護七聖主だか太陽の希望だか知らぬが、所詮人族に担ぎ上げられただけの人間に過ぎぬ。千年前の伝承だとて、どこまで真実だか怪しいわ。」
「貴様、我が主を愚弄するか!?」
「黙っていろ、シルヴァン。俺のことはいい。」
「!」
ゴ…
――ルーファスがその感情を、表に顕わにした。
椅子に座ったままの状態で、少し俯き加減のその顔の上半分が影になり、普段は優しいあのブルーグリーンの瞳が見えなくなる。
カタリ、と手にしていたフォークをテーブルに置き、主の全身から、白銀と黄金の生命光がゆらゆらと立ち昇ると、魔力の流れが目に見えるほど高まって行く。
始まった。…こうなればもう、我には主を止めることが出来ぬ。…ここまでの激しい怒りは、千年以上も前に見たのが最後だ。
カタカタと我の身体が震える。その畏れを己で制御出来ぬのだ。それほどまでに、主の怒りは…恐ろしい。
「――当時の現実を知らぬ者になにを言っても無駄だろう。だが俺とシルヴァンは、迫害戦争の最中、実際にその戦場を駆け抜けた。俺達がこの目で見て、経験したことを、そのままそっくりあなたにも見せてあげよう。そうすれば、少しはわかるかな?」
そうして、ルーファスがふっ、と口元に笑みを浮かべた。
「な、なにを――」
アテナとウェンリーがその異様な状態に気が付き、それを止めようとしている。だが、無駄だ。既に右手には、薄紫の魔法陣が輝いていた。
「無知なる者よ、その身を以て過ぎ去りし他の者の現実を知れ。『エフィアルティス・ソメイユ』。」
主が唱えたその魔法は、『悪夢の眠り』という。
一度でも味わえば、二度と経験したいと思わぬ、冥属性高位魔法だった。
次回、仕上がり次第アップします。




