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Eternity~銀髪の守護者ルーファス~  作者: カルダスレス


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85 隠れ里ルフィルディル

ルーファスに突然、格上相手に単独で戦えと言われたウェンリーは、置いて行かれたくない思いで必死に戦います。なんとか魔物は倒せたものの、ちょっとした傷を負って薬で治そうとしましたが、アテナが治すと言って治癒魔法を使いました。自分を心配してくれるのかと嬉しくなったウェンリーですが…?

        【 第八十五話 隠れ里ルフィルディル 】



 ――ある朝目が覚めたら、そこはいつもの俺の部屋で、扉の向こうからはお袋の怒鳴り声が聞こえてた。

 俺は途轍もなく嫌な予感がして、慌ててベッドから飛び起き家を出ると、脇目も振らずに長の家へ駆け込んで、ルーファスの部屋の扉を開けた。

 …だけどそこにはもうルーファスの姿はなくて、その荷物もなにもかもが消えてなくなってた。


 その瞬間、俺は愕然とする。


 置いて行かれた。連れて行って貰えなかった。ルーファスはもう遠くに旅立って戻って来ないし、俺はもう二度とあいつに会えねえんだ。


 そして俺は床に突っ伏して泣いた。泣き叫んだ。それがルーファスとの永遠の別れになると知ってたからだ。


 …まだヴァハにいた頃、俺は何度かそんな悪い夢を見て、自分の泣き声で目を覚ましたことがあった。

 その時感じた絶望感と胸の痛みは酷く現実的で、本当に夢だったのかと頭を抱えて混乱するぐれえだった。


 あんな思いはあの悪夢の中だけで十分だぜ。


 ――ルーファスが言うように、俺には人並みの力しかないのはわかってる。魔法も使えねえし、体力もねえ、嫌になるくらい平々凡々だ。

 けど俺は、それでもルーファスと一緒に行きてえんだ。こんなところで本当に親父のところに帰れなんて言われたくねえ…!!


 ルーファスは俺に出来ないことはやらせないって言ったよな。なら俺には、それを一人で倒せるだけの力があると、ルーファスは認めてくれたんだ。

 だったらやってやる。なにがなんでも倒してやる。絶対(ぜってー)負けるもんか…!!


 ルーファスが右手に紫紺の魔法陣を描き、魔物寄せの誘引魔法を放つと、足下の地面のずっとずっと下の方から、ゾリゾリゾリ、って音と小刻みな震動が響いてくる。

 それが少しずつ大きくなって来て、徐々に近付いて来ると――


「構えろ!!」


 ――ルーファスのその声が背後に聞こえて、真下に魔物が立てる轟音と強力な敵の気配、そして俺を狙う殺気を感じた。


 俺は地面に大穴が空く直前に、そこから大きく距離を取って飛び退き、先ずはそいつの初撃を躱す。

 ドボゴゴゴンッと陥没して口を開けたその穴の大きさは、優に直径が約四メートルもあった。ずぞぞぞっとそこから土塗れで這い出てきた、毛むくじゃらの魔物そのものの大きさだ。


 そいつを見た瞬間、ぞくんっと背筋が寒くなる。自分より格上の魔物と対峙した時に感じる、本能からの警告って奴だ。


 事前情報の通り、やっぱり…でけえ。


 俺は無理矢理それを振り払い、先手を仕掛ける。


「顔の両側に長い髭…鶏冠(とさか)はねえ!こっちが雄だな、喰らええっ!!」


 敵が俺を捕捉して攻撃態勢に入る前に目標相手を確かめると、俺はルーファスに渡された龍火石<ドラゴニック・フレイム>を使った。


 ドゴオオオッ


 ドラゴニック・フレイムは風流石<シルフ・ストーン>と同じような中級攻撃魔法だった。直線的に旋風を描いて炎の渦が俺の前から敵に向かって行く。


 それをまともに食らって全身の毛が炎上したそいつは悲鳴を上げた。


 ゲギャアアアアッ


「よっしゃ、直撃ィ!!」


 先制攻撃を食らわせたのと同じくらい、初撃で痛手を与えてやった。結構行けんじゃね?


 そいつは地面に躯体を擦りつけるようにして転がり火を消すと、俺の方を向いて大きな両前脚を使い、重そうな躯体をトドのように引き摺りながら敵意剥き出しで向かってくる。


 同時に出現したもう一体の方は、シルヴァンとアテナがすぐに攻撃して注意を引くと、そのまま俺の戦闘フィールドから誘い出して離れて行く。

 これで敵は分断されて俺は目の前のこいつだけに集中できるってわけだ。


 ルーファスが俺達に熟せる高難易度の依頼だと、選んで持って来たこの討伐対象は、外見が土竜型の大型魔物『ホールモール』だ。

 メソタ鉱山にも出たトゥープに姿形は似てんが、その身体の大きさと攻撃力の高さ、体力の多さと丈夫さは全くの別もんだ。

 けど視力が弱いのと嗅覚で獲物を探すのが特徴だから、風上に立たねえようにして攻撃すればいい。弱点は火属性。だからルーファスはこの魔法石を用意してくれたんだ。


 俺は魔法が使えねえけど、魔法石なら道具がある限り使える。ルーファスはそのために龍火石を作ってくれて、俺にそれを上手く使い熟せるように訓練させるつもりなんだろな。


 エアスピナーの物理攻撃だけじゃ歯が立たねえ相手にも、魔法石があれば補える…後は使う時期を見誤らねえことと、最も効果的に使う方法を自分で考えること、だな。

 そういや…魔法石を使って思い出したけど、ヒックスさんの攻撃手段だった調合爆弾(ミックスボム)…あれの真似事って魔法石で出来んのかな?違う種類の魔法石を同時に使用して即席合成魔法…みたいな。


 魔法の属性には相性があって、特に火と風、水と風、地と水、などといった具合に相乗効果で威力を上げられるんだとそう聞いた。ちょっと試してみたら…どうだろ?上手く行けばトドメに使えるかもしんねえな。


 やってみっか。


 その前に、きちんと体力を削りきって弱らせねえと…!!


 大型や変異体みてえな体力の高い魔物と戦う時の最重要注意点は、相手を攻撃しすぎて怒らせねえことだ。

 強力な奴ほど瀕死になると激昂化<ブレイクレイジ>状態になる。激昂化した魔物は死に物狂いで襲ってくるから、形勢を逆転されたりして思わぬ命取りになることがあるんだ。

 そうなる直前ギリギリまで損傷を与えて、後は高威力の攻撃で一気に止めを刺す…それがルーファスに教わった常識的な戦い方だ。


 俺はエアスピナーをホールモールじゃなく、風上に向かって放つ。すぐ脇を空を斬る得物の音に反応して、ホールモールが俺に背中を向けた。

 その間に俺は、エアスピナーが戻ってくる位置に移動して置いて、エアスピナーの刃で魔物に損傷を与えるのを確かめてから、それをしっかりと掴んだ。


 魔物に捕捉されねえように、常に移動しながらそれをひたすら繰り返して行く。大丈夫だ、行けるぜ…!この戦い方は、こいつが相手だからこそ通用する方法だ。


 俺は回避と素早さに特化した撹乱攻撃型だ。守護者になってから、スキルの数も大分増えた。今はそれを総動員して全力で戦ってる。


 弱い魔物でも油断するな、戦闘中は集中を途切れさせるな、相手の動きを数手先まで読め、相手の攻撃手段を封じ込めろ…などなど、ルーファスに言われてきたことは数多い。

 それは大抵一度にじゃなく、その都度一つ一つ叩き込まれてきた。


 もしかしてこりゃその卒業試験かね?…なんて調子に乗っていたら、ホールモールの体力を大体半分ぐらい削ったところで、いきなり奴が地面に潜った。


「!!」


 やべえ、逃げられる!?


 慌てて後を追おうとして地面を蹴った俺に、ルーファスの声が聞こえる。


「止まれウェンリー、追うな!!」

「…っ!!」


 反射的に足を止めた直後に、その気配が移動してきて、俺の真下に轟音が聞こえる。


 そうだった、こいつは元々地面の下から人間を捕食する魔物なんだった…!!


 そのことをすっかり忘れてた俺の、足下が一気に崩れて陥没する。


 下を向いて大きく目を見開くと、大穴の中でバックリと口を開けたホールモールの鋭い歯と、悪臭のする紫色の舌が見えた。


 あ、こいつはマジでやべえ…!


 俺は少し早かったけど、龍火石を真下に投げ込む。


「ちっくしょー、まだ体力削れ切れてねえのに…っ!!」


 ドゴオオオオオッ


 落下するまでにドラゴニック・フレイムが発動したのを確認して、すぐに今度は風流石<シルフ・ストーン>を投げ込んだ。その差は一秒もねえ。


「もういっちょ…喰らええっ!!」


 ビュオオオオオオッ


 風流石に込められてんのは、『ラファーガ』って中級風属性魔法だ。同クラスの『タービュランス』より少し威力は低いけど、吹き飛ばす力が強い。…って聞いた。

 緊急避難にも使えるこれを合わせれば、ドラゴニック・フレイムの威力を上げられて、おまけに俺を衝撃で上に持ち上げてくれる…は、ず――


「う…ええええっ!?」


 ゴオッ


 ――思った以上に魔法の威力が上がり、爆風で俺は高く吹き飛ばされた。


「ちょっ…飛ばされすぎだっつーのおおっ!!!」


 おまけに消えかけた炎の中で、ホールモールがまだ動いていて、躯体が徐々に赤くなり始めた。瀕死状態で生き残り、激昂化しかけてんだ。


 くそっ、あとちょっとなのに…!!


「ぶっ殺す、やらせねえよ!!『天翔狩命呀(てんしょうかめいが)』!!」


 咄嗟に俺はエアスピナーを構えた。


 コオオオ…ドシュウウウウウッ


 〝絶対に止めを刺す!!〟…って念を込めて真っ直ぐに放ったエアスピナーが、なんかまた巨大化して真っ赤になり、ホールモール目掛けて飛んでった。


 あ、因みに技名は今思い付いて口にしただけだから、気にすんな。


 エアスピナーの攻撃がホールモールに届いた直後に、俺もそのまま重力に引っ張られて、もちろん真っ直ぐ穴の中に吸い込まれた。


 ドンッ


「ウェンリー!!」

「ウェンリーさんっっ!!」


 すぐに上から慌てたルーファスの声と、なぜか心配そうなアテナの声がする。あ、そっか、そっちももう倒し終わったんだな。


「うへえ…こいつ、くっせえ!!しかも痛え…しこたまケツ打った〜…。」


 落下した時に、咄嗟に身体を捻って足から着地しようとしたけど失敗して、俺はお尻からズドン、と魔物の上に落ちた。


「大丈夫か!?」

「あー、平気。死骸の上に落ちたからなんともねえ。」


 逆光で影になってたけど、覗き込んでいたルーファスとアテナが、ホッとした顔をしたのが見えた。


 それから俺はホールモールの死骸を足場に五メートルほど上の地面に、穴から攀じ登ろうしたけど上手く行かなくて、結局ルーファスに上から縄を下ろして貰い、シルヴァンと二人で引っ張り上げて貰った。


「は〜…なんとか倒せたぜ。」

「最後ヒヤッとしたけど…よくやったな、ウェンリー。素材の回収はこのディバイドの魔法石を使うといい。」

「おおっ早速作ってくれたのか、よっしゃ〜♪」


 俺はルーファスに渡された、ルーファスの新魔法『ディバイド』の魔法石を使ってホールモールの解体と戦利品回収作業を一瞬で終えた。


「うおー!!マジこれ最高じゃん!!自動で素材が全部無限収納に入ってくれる〜う!!」


 しかも面倒な魔物の死骸を埋めたりする後始末も要らねえと来た!!…死骸はどこに行ってんだろ?…ま、いっか。


「我も早速使わせて貰ったが、なんと便利な魔法だ。これの魔法書を作ってギルドで売りに出し、さらに魔法石にしてルーファスの名前で独占権を得れば、莫大な資金が稼げるぞ。」


 え…シルヴァン、いくら嬉しいからってルーファスの力を金儲けにすんの?あんた、守護七聖<セプテム・ガーディアン>だろ?


「あのな…魔法石はともかくとして、この魔法は空属性の素質がないと使えないんだよ、一般に普及させるのは無理だ。それに俺は、自分で作った魔法を金儲けの商品にするつもりはない。」

「無論わかっている、冗談に決まっているだろう。」

「………。」

 ルーファスの顳顬にピクリと青筋が立った。


 シルヴァンって、性質(たち)悪ィ…。


 ――ルーファスとシルヴァンがそんな会話をしているところへ、離れていたイゼス達が合流する。

 イゼス達はイゼス達で、ルーファスが作る高威力の魔法石を売って貰えないかと言い出した。

 確かにルーファスの魔法石は普通のより威力が高いような気がする。ただいくら短時間で作れても、それをやるのはルーファスなんだから、大量生産なんて無理だろ?そこは難しいんじゃねえのかな。

 そんなことを考えながらルーファスを見てたら、身体を動かした瞬間、右腕に痛みが走った。


「あれ…いつの間に。」


 攻撃を食らった覚えはなかったのに、気が付いたら右の二の腕裏側に怪我をしてて血が流れてた。着地した時にホールモールの歯で傷付けちまったらしいな。

 大したことはねえし、液体傷薬(ポーション)でいいやと自分でその傷を治そうとしたら、いつ側に来たのか、ルーファスの隣にいたはずのアテナが俺の手を掴んだ。


「ウェンリーさんの怪我は、私が治します。」

「アテナ?…や、そんな大したことねえし。薬で十分――」

「だめです。きちんと治させてください。」


 アテナはやけに真剣な顔をして、俺が止める間もなく治癒魔法を使った。


「え…あ、ありがと。」


 これって…アテナが俺を心配、してくれてんだよな…?


 俺は素直に嬉しいと思って喜んじまった。だけど――


 アテナってさ、ふわふわのラベンダーグレーの髪から、ラベンダーの花の香りがするんだよなー…。

 色白で小柄な身体は俺の腕の中にすっぽり入りそうだし、目線を落とすと長い睫毛が見えて…なにかの拍子に薄紫のあの瞳で見上げられると、なんかこう…胸がきゅっと絞まるって言うか…ツキーンって来るって言うか…


 手を握られて嬉しくて、デレッと鼻の下を伸ばしてた俺に、アテナが言う。


「――ルーファス様のお考えはわかるのですが、ウェンリーさんに危ない真似はして欲しくありません。できるだけ怪我はしないで下さい。ルーファス様が心を鬼にしてあなたを鍛えようとなさるのなら、アテナがあなたを守ります。ルーファス様は七聖の方々が合流すればほぼ無敵になられますが、ウェンリーさんはこの先もただの人のままですから。」


 "ただの人のまま"


 …アテナにそう言われた瞬間、ちょっとショックだった。や、その通りなんだけど…


 アテナは俺が弱いから守るって言ってんのかな。…ひょっとしたらこれも心配してんじゃなくて、情けねえ奴とか思われて迷惑かけてんのかも――


「…ごめんなアテナ、俺――」


 アテナが治癒魔法を使っていると、それに気づいたルーファスが駆け寄って来る。


「ウェンリー、怪我をしたのか!?」

「あー、なんてことねえって。攻撃食らった覚えはねえから、落下した時に傷付けたんだと思う。傷薬で治せんのに、アテナが大袈裟なんだよ。」

「全然大袈裟じゃありません。……終わりました。」


 アテナは俺の傷を完全に治すと、それだけ言ってぷいっと俺らから離れて行く。


 …え?…あれ?…なんか俺、怒らせた…?


 ――この後俺は、なんでか暫くの時間アテナに口を利いて貰えなかった。




『ではここからは予定通り、我らの足で行く。』

「乗せて貰って悪いな、シルヴァン。」

『要らぬ気遣いだ、ルーファス。』


 シルヴァンとイゼス、レイーノとランカは獣化して狼と豹の姿になり、俺はシルヴァンに、アテナはランカに、ウェンリーはレイーノの背にそれぞれ跨がった。


 王都を出る前に話し合っておいた通り、二つの依頼を済ませたら、ディル湖からはシルヴァン達の力を借りて一気に目的地へとアラガト荒野を駆け抜ける。

 行き先は隠れ里なのだから、当然シャトル・バスのような交通手段などあるわけがなく、まともに歩いたら数日はかかるため、時間を節約するにはこれが最も早く目的地に着ける手段だった。


 獣人族(ハーフビースト)との会話と意思疎通は全て思念伝達で行う。


『アテナさんって…物凄く軽いんですね。なんだか体重をまるで感じません。』

「そうですか?まあ、私はまだ空気と同じようなものですから。」

『…え?空気…?』


 ツン、とすました顔でさらっとそうランカに言ったアテナに、俺は慌てて頭の中で注意する。


 こらこらこら、アテナ!余計なことは言うなよ…!!


『…大丈夫です、わかっていますルーファス様。』


 ――?


 …なんだろう、なんだか思い做しか、アテナの声が尖っているような気がする。ひょっとして機嫌が悪いのか…?


 頭の中に返って来た声を聞いて首を捻る。なにかに拗ねているという風でもなく、俺に対して怒っているという感じでもない。ただ本当に機嫌が悪い、という形容がぴったりくる感じだった。


 おかしいな、さっきまでにこにこしていたのに。


「ごめんな、レイーノ。俺重くねえ?」

『ふっ…大丈夫だ、しっかり掴まっていろよ。』


 ウェンリーは青灰色の狼に変化したレイーノを、気遣うように覗き込んでいる。思念伝達で言っていることはわかるが、耳にはガウガウ、とかバウバウ、とかいう声にしか聞こえないのが面白いところだ。


「準備は整ったみたいだな…よし、出発しよう。変異体のような強力な魔物に出会した時は、逃げ切れなければ戦うが、基本的に無視する方向で一気に進もう。イゼス、案内を頼む。」

『かしこまりました、お任せを。』

『行くぞ!!』


 黒豹姿のイゼスを先頭に俺達は走り出した。


 遮るものがなにもないアラガト荒野は、今日も乾いた風に土埃の匂いだけが混じっていた。空は青く澄み渡っていて、春の日差しが暖かく、体感的にも丁度いい気温だ。

 軽快に進んで行くシルヴァンの背中で風を切りながら、見渡す限り殺伐としたこのなにもない風景を見ていたら、俺はなぜだか急に不安に襲われた。


 なんだ…?なにか…――


 なにか嫌なものを目にした後のように、もやっとした息苦しさが胸を突く。


 俺を照らす日差しはぽかぽかと暖かいのに、ほんの一瞬、ヒヤリとなにかが身体の中を駆け抜けて行ったような気がして、ぶるるっと震えた。


『どうしたルーファス、寒いのか?』

「ああ、違う…大丈夫だ。」


 シルヴァン…走っているのに、よく俺の身体の震えに気がついたな。寒いわけじゃない…だけど、今の感覚はなんだ…(おそれ)?…なにに対しての?


 ――この時俺は、確かになにかを感じていたようだったのだが、その正体がなんなのかわからないまま、その不安を振り払った。




 ――王都を発って六時間ほどが過ぎ、日暮れ前にようやく俺達はとある場所に辿り着く。


「イゼス…、ここは…」


 地面から二メートルぐらいの高さまで、薄霧のように漂う黄土色の花粉。アラガト荒野から、きっちりと線引きされたような境界で隔てられているその入口。

 こちらから鬱蒼とした暗がりの奧は全く見えず、ギャア、ギャア、とどこか木の上方から夕啼き鳥の声がする。


 ここはエヴァンニュ北東部に広がる『デゾルドル大森林』…別名、『惑わしの森』。隣国シェナハーン最南端の辺境まで続く樹海だ。

 ヴァハ南部に広がるラビリンス・フォレストとは少し違うが、人が容易に足を踏み入れることの出来ないかなり危険な場所で、別名の由来にもなっている『幻惑草』の有名な群生地でもある。

 またシェナハーン王国との国境付近には巨岩石の岩山が聳え立っており、その山頂には『ヌイ・アウィス・ラパクス』という、巨大な大鷲が住んでいると言う伝説がある。


「はい、もうおわかりでしょうが、デゾルドル大森林です。」


 進んでいる方向からもしかしたら、とは思ったけど…


 獣化を解いたイゼスは戸惑う俺達に、あっさりとそう言ってにっこり笑った。


「マジか…!?ギルド情報の〝絶対に入っちゃいけない森〟第二位じゃんか!!」

「…なんですか?それ。」


 狼狽えるウェンリーにアテナが首をこてんと傾げる。俺のデータベースにはない情報だと不思議に思っているようだ。

 多分ギルドで仕入れたのだろうその知識を(因みに一位はおそらくラビリンス・フォレストだ)、アテナに説明するウェンリーには構わず、シルヴァンが怪訝な顔をして俺に言う。


「――千年前はこの森に幻惑草など、一本も生えていなかったぞ。あれは危険極まりない植物であるだけに、昔も見つけ次第繁殖する前に焼き尽くすのが当たり前だった。それがなぜこんなに…?」


 余程気になるのか、考え込んで目線を落としたシルヴァンは、元々ずっとあまり浮かない顔をしてはいたが、さらに段々と暗く沈んで行くように見えた。


「イゼス、こんな場所に君達の隠れ里があるのか?幻惑草の花粉は人間や動物にとっても猛毒と同じだ。大量に吸い込めば死に至るし、それは獣人族(ハーフビースト)にも同じだと思うんだが…」

「確かにその通りですね。我々にとっても、そこに漂っている花粉の霧は猛毒です。ですがその毒を中和する獣人族(われわれ)の秘薬がありますので、問題はありません。」

「あの猛毒を中和する秘薬だって!?そんなものがあるのか…!?」


 俺は驚いた。なぜなら幻惑草は変異を繰り返す特殊な植物で、その花粉は一株一株微妙に毒性が異なり、吸い込んで中毒を引き起こした際の明確な治療薬さえまだないのだ。

 それがその猛毒を中和できるとなれば、幻惑草の被害で死ぬ人間がいなくなる。


 だがそこで俺ははた、と気が付いた。


 千年前はこの森に一本も生えていなかったとシルヴァンは言ったよな。…そうか、もしかしてここが幻惑草の群生地なのは――


「この森に幻惑草を植えたのは、イゼス達獣人族(ハーフビースト)の先祖なのか…?」

「気づいていただけましたか…そうなのです。そしてここが先祖が命がけで植えた幻惑草の群生地だからこそ、我々は人族から隠れて生き延びてこられたのです。」

「そうだったのか…。」


 なるほどな。だとしたら、獣人族の秘薬を世の中に出すわけには行かないよな。ここの幻惑草は、イシリ・レコアを囲むラビリンス・フォレストとインフィランドゥマのように、彼らの居場所を守る障壁と同じだ。

 尤も、俺の防護障壁(ディフェンド・ウォール)なら無効化できると思うけど――


『それはお勧めできません、ルーファス様。』


 アテナの声だ。


 どうしてだ?


『ルーファス様が防護障壁を張りながら森を進まれると、それに触れた幻惑草はおそらく枯れてしまうか消滅してしまいます。それと同時に障壁には空気を浄化する作用もありますので、彼らの里までの花粉の霧が消えてしまい、安全な通り道が出来上がってしまいます。』


 あ…それは不味いな。植物の成長はそれなりだけど、たとえ短期間でも道が出来てしまうのは大問題だ。


 わかった、防護障壁(ディフェンド・ウォール)は使わないよ。ありがとう、アテナ。


 ――となると…


「そんで?中和する秘薬があるってのはわかったけど、この先どうやって森ん中を進んで行くんだ?」


 ブレないな、ウェンリー…ひょっとしておまえにも俺の心の声が聞こえているんじゃないか?


 俺が口に出す前に、ウェンリーの問いかけがいつものように先だった。


「こちらをどうぞ、『アン・サンムド』の秘薬です。口に含んで噛み砕いてください。これの効果で安全に森を抜けることが出来るようになります。」


 ランカが腰に下げていた胴乱の中から、小粒の丸薬を四つ取り出して俺達に手渡してくれた。

 俺は言われた通りにそれを口に入れると、奥歯でガリリッと噛み砕く。瞬間、口の中になんとも言えない、どろりとした液体が広がる。微妙に甘くて青臭い、花の蜜と樹液を足したような薬の味がした。


「皆さん飲めましたか?舌の先がピリピリして来たら、秘薬が効いてきた証拠です。」

「あ…俺もうピリピリしてる。」

「私もです。」

「…我も良いぞ。ルーファスは?」

「ああ、俺も効いているみたいだ。」

「では行きましょうか。」

「え…イゼス達は飲まないのか!?」


 俺は一瞬焦った。ランカがくれた薬は、もしかしたら元はイゼス達の分で、それを俺達に分けてくれたのかと思ったからだ。

 ところがイゼスは平然として、幻惑草の毒は自分達には効かないから大丈夫なのだと言った。…どういうことだ?


 幻惑草の猛毒はかなり強い。魔物であってもこれほどの花粉が舞っていれば、耐性持ちでない限り、五分と経たずに即死するだろう。それを獣人族が無効化するとは驚いた。つまり彼らは耐性を持っていると言うことなのか。


 その答えは道すがらの会話ですぐに判明した。


 俺達はイゼスとランカ、レイーノ達の後に続いて、幻惑草がびっしりと足元に生える道のないデゾルドル大森林を歩き出す。

 入口からも見えていた通り、シルヴァンの頭ぐらいの高さまで花粉が舞っており、着ている衣服がすぐに黄色くなって行く。秘薬で中和されていると頭ではわかっていても、正直に言ってゾッとしない。


「うへえ〜…手まで真っ黄色かよ。」

「ああ。…大丈夫だとわかっていても口と鼻を塞ぎたくなるな。」


 ――幻惑草に足が触れる度に、百合に似た形をした花弁が膨らんだその奧から、大量の花粉が撒き散らされている。この花は虫が止まっただけのような、ちょっとした揺れや刺激でも花粉を振り撒くのだ。

 幻惑草の花は茎や葉と同じく緑色だ。通常は周囲の草と見分け難いように、背の高い草の茂みなどに咲いており、良くそれで花に気づくのが遅れた守護者や冒険者が、花粉を吸い込んで倒れる事故が起こる。

 稀に薬の開発用に採取対象になることもあるが、この森以外ではもし見つけた場合、直ちに焼き払うようギルドから通達も出ていた。


「ここの幻惑草はなぜ焼き払われないで済んでいるんだろう?破落戸なり初心者冒険者なりが探究心から、敢えて狙って火を放ちそうなものだけどな。」


 危険が道を塞いでいるその奧には、秘密や秘宝が眠っていると思う人間は数多くいる。だからこそ冒険者という職名があるのだが、遺跡やこういった場所はそう甘くないのが現実だ。


「偶にありますよ。ですがこの森は外から火を放っても燃やせないんです。詳しい話は里でさせて貰いますが、ここに里を作る時、火耐性特化の結界を張ってくれた魔法の使い手がいたそうです。場所は言えませんが、その結界石がある限り、デゾルドル大森林は燃えません。当然、里以外の森の中では、火属性魔法も使えませんけれどね。」

「…なるほどね。」


 ――良く考えられているなと思った。火耐性特化と言うが、多分それ以外の効果も備えた結界に違いない。アラガト荒野との境界線がきっちりと分かれているのがその証拠だ。もし俺が獣人族の隠れ里をイシリ・レコア以外の場所に作ろうとしたなら、同じような策に行き着いただろう。

 ただ結界は簡単に破られない強力な物である必要があるし、なにより幻惑草を使うことが前提だったのなら、その危険度が高すぎる。

 それしか方法がなかったのだろうが、俺ならまず犠牲が出るような方法は避けただろう。多分そうせざるを得ない事情があったんだろうな。


「里にいる獣人族は、みんな幻惑草に対する耐性を持っているのか?」

「生まれたばかりの赤子と一歳以下の幼子以外は全員そうですね。…幻惑草の毒に耐えられなかった子供は皆死んでしまいますから。」

「「「…!!」」」


 ――イゼスからそれを聞いた瞬間に俺はやっぱりそうなのか、と理解した。


 毒性の強いものが身近にある場合、それに耐性をつけるには、わざとそれを少しずつ体内に取り入れ、身体を慣れさせて行く方法が考えられる。

 俺達守護者が、魔物からの状態異常攻撃に繰り返し晒されていると、だんだんと慣れて行き、耐性スキルを獲得するのとほぼ同じだ。

 恐らく彼らはそれと同じ方法を取っているのではないかと思った。


 その考えに行き着いているのが俺だけでないことは、ウェンリーとシルヴァンのその震撼から来る表情を見れば明らかだった。


「…俺達の里の子供達は、一歳になると同時に、食事に幻惑草の毒を混ぜて食べるようになる。」


 押し黙った俺達に静かな口調で話し出したのはレイーノだ。


「一歳の誕生日を無事に乗り切れる子供は七割だ。だがそこからさらに毒の摂取量を増やすために、最終的に十五まで生き残れるのは五割に満たない。そうして生き残ってきたのが俺達なんだ。」

「――……。」


 それは想像を絶する命がけの生存手段だと思う。そうまでしなければ、彼らは人の迫害から逃れることが出来なかったのだ。


「ここから里を移そうと考えたことは?」

「年月を経るにつれ、何度かそういう声を上げた者は過去にいましたが、誰もその意見に賛同しません。それでも外で生きたいと長老の許しなく里を出て、生きている者は一人もいませんので。」

「中には里を出た者がいるのか?」

「………。」


 …イゼス達からの返事がない。


 ――ああ、そう言うことか。


 里から許可なく出た者は、仲間の手で森を出る前に有無を言わさず殺されるのか。イゼス達ウースバインのような職にあるものでない限り、人族に紛れて生きることも禁じられているのだろう。もし万が一にでも里のことが知られたら、人族にどんな目に遭わされるかわからない。…そう言うことなのかもしれなかった。


 凄まじく徹底している。…本当に良くアインツ博士達が信頼を得られたものだ。そう考えると、博士達には監視が付いているのかもしれないな。それこそ黒鳥族(カーグ)のような。


 なんとなく裏の事情がわかったような気がした。


 デゾルドル大森林に入ってから、一時間近く鬱蒼とした森の中を歩いてきた。樹齢百年どころか、軽く数千年を越えた巨木ばかりの樹上から、俺達の気配に騒ぐ寝る前の鳥の声だけが聞こえ、魔物が出て来る兆しもない。

 ランカの話だと草と木、幻惑草に覆われて見えないが、ここの地面には迷い込んだ人間や動物、魔物などの骨だけとなった死骸が、数え切れないほどあちこちに転がっているらしい。

 死体は良い幻惑草の養分になるんですよ、とランカに笑顔で告げられた時は、さすがの俺もドン引いてしまった。


 そうしてある一定のところまで来た時、別の種の結界障壁に触れたような感覚が俺の身体を通り抜けた。


 ――直後、鬱蒼として暗かった辺りが一瞬でパアッと明るくなる。


 ほんの一時その眩しさに目を細めて顔を逸らした俺が、次に正面を向くと、そこにそそり立っていたのは、天然の巨大な明光石(ライトストーン)が設置された十五メートルほどもの高さがある変成岩の大門だった。

 その大門前には剥き出しの固い土の地面に、魔法陣のような円形を象った色とりどりの石が埋め込まれた広場があり、左右対象の門柱にはイシリ・レコアと良く似た獅子と狼の盾の形をした彫刻が刻まれていて、門には分厚い鋼鉄製の門扉が嵌められている。

 そこから延びる、おそらくはこの里をぐるりと囲んでいると思しき、白色花崗岩の外壁には、びっしりと蔦が繁茂しており、見事なまでにこの深い森と緑一色で一体化していた。


 そして高い外壁からはその奧にある里の上空が覗き見えたが、日の暮れかけた赤紫色の夕焼け空は殆ど見えず、聳え立つ大木の極太い枝と、そこに生い茂った青々とした葉だけが、まるで天井のように空を覆っていた。

 それなのにかなり明るく下の方から、大木の枝葉が光に照らされているように見える。


 ――微かに賑やかな音楽と、人のざわめきが聞こえて来るな。これは…ちょっと予想以上だ。


 入口の門を見ただけでもわかる。この獣人族(ハーフビースト)の隠れ里は〝里〟なんて水準じゃない、イシリ・レコアよりも遙かに発展した〝街〟のようだ。


 アテナの分析によると、今通った結界障壁には徹底した隠形系の魔法効果があるという。それは魂食いの森の黒鳥族(カーグ)が張っているもの以上に複雑な、複合魔法による多重結界障壁だった。


 多分俺でも、これだけの結界障壁を張るのはかなり難儀なことだろう。それだけでも彼らの先祖が、どれほど苦労してここに里を築いたのかが窺い知れるというものだ。


 俺達の前に横に並んだイゼス、レイーノ、ランカがシルヴァンに真向かう。


「――シルヴァンティス様、ここがイシリ・レコアとほぼ同じ年代に作られた、我らの里『ルフィルディル』です。ようこそおいで下さいました。」

「…ルフィルディル…だと…?」


 里のその名を聞いた瞬間、ずっと浮かない顔をしていたシルヴァンは、なぜだかそう呟いて驚愕したのだった。 

次回、仕上がり次第アップします。

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