83 消えゆく思い
護印柱に辿り着いたライ達は、装置の中に浮かぶアリスタイオスと対面します。ライはエヴァンニュ王国に守護壁を取り戻す方法を尋ねようとアリスタイオスに問いかけますが…?
【 第八十三話 消えゆく思い 】
あ〜あ、ヴァレッタ・ハーヴェル様ともあろうものが情けない。あたしも焼きが回ったかねえ?この程度の怪我ぐらい、耐えられると思ったのに…
――人生ってさ、三度生死に関わる大きな分岐があるんだって、いつか誰かが言ってたよね。三度のうち二度までは死を免れても、三度目は本当に本当の終わりが来る。差し詰めあたしの場合、今回が三度目かなあ…
最初は両親が死んだ時。あたしの父親はメソタ鉱山の鉱山夫で、母親は近くの食堂のしがない店員だった。下には二つ下に弟がいて、ごく普通の平民家庭だったよ。
ある日父さんと母さんが、プリーストリ村の小さなお祭りに行こうと言い出して、二泊三日の小旅行を計画した。弟はとても喜んで…あたしも初めてメソタニホブの外へ出かけられるのを楽しみにしていた。それが七歳の時だ。
今でもそうだけど、プリーストリ村までシャトル・バスは通っていない。メソタニホブから北にあるその村に行くには、馬車を借りて守護者の護衛を雇うのが普通だった。当時はまだ今ほど魔物は多くなかったし、変異体もいなかったから、護衛がいればそこまで危険じゃなかったんだよね。
だけど街道で運悪くホーンドウルフ(角の生えた狼型の魔物だよ)の集団に出会して一瞬だった。護衛の守護者がやられて、父さんと母さんはあたしを馬車に積まれていた木箱に隠すと、弟を連れて逃げようとした。
守護者になったからわかるけど、魔物から逃げる時はすぐに背中を向けちゃいけないんだ。元は動物の本能と同様で、確実に襲ってくるから。
暫くは木箱の中でじっとしてたけど、父さん達の悲鳴が聞こえて、あたしはそこから飛び出してしまった。目の前には両親と弟の無残な姿があって、当然あたしも襲われて食われそうになったけど、近くにいて駆け付けてくれた他の守護者に助けられ、軽傷で済んだ。これが最初だね。
二度目はついこの前…国際商業市の前日だ。掲示板にあった緊急討伐の依頼票を見て、討伐対象がマッド・ベアーの変異体だって情報だったから引き受けたのに、現場へ行ってみたら普通の攻撃が全く通用しない正体不明の化け物じゃないか。
いやそりゃあ依頼ランクはアンノウンだったよ?けどギルドの情報が違っているなんて過去にないことだったからさ。
逃げようとしてもしつこくて隙はないし、魔法石を使っても暫くすると損傷が回復する。そのうち道具は尽きるし、ライラとミハイルは倒れるしで、ルーファスって銀髪の守護者が助けてくれなけりゃ、確実に死んでたところだ。危うくあれが三度目になるところだったよ。
数が合わないって?あー、二年ぐらい前にリカルド・トライツィに酷い目に遭わされたことがあってさ。まあ、魔物の巣に突っ込むよう誘導されただけなんだけどね。あれは…腹が立つし思い出したくないから、数に入れない。あいつはあたしの天敵(そう勝手に認定した)さね。
だから今日のこれが、三度目だ。
これまでにも散々怪我はしてきたからわかる。背中に受けた傷はなんか変だ。勝手に手足が痙攣するし、なにかが動いてでもいるようにむずむずしながら激痛が走る。それから…多分これはあたしの本能だ。
自分の、死期が迫っていると言う、底知れない恐怖…――
「――ヴァリー…おいヴァリー、具合はどうだ?」
目を開けたら、フォーの男臭いむさい顔があった。
脱色した黄色に近い薄茶色の短髪に、もう髭が無精したみたいに伸びて来てる。地面に落ちた胡桃みたいな色の瞳をして、馬鹿みたいに優しく起こすんだから、参るよね。
「…フォー…うん…痛みは落ち着いた。鎮痛薬が効いてるみたいだよ。」
「そうか、なら良かった。」
フォーはほっとした様な顔をしてあたしの頭に手を置いた。あんたさあ、二つしか違わないのに、あたしのこと子供扱いしてんの?それ。保護者のつもりなのかねえ…。
「…黒髪の鬼神は?」
「護印柱の前だ。もう少しこのまま横になってろ。地上に出たら、すぐ病院に連れてってやるからな。」
ああ、あんなところにいるのか。あの青く透き通った硝子みたいな円柱が…護印柱なんだ。…良かった、後はこの国の魔物のことは、きっとライ・ラムサスがなんとかしてくれるよね。
漆黒の黒髪に細身でも鍛えられた筋肉質の体躯に、月光下の宵闇のような紫紺の瞳。本人はあんまり感じてないみたいだけど、どこか影のある雰囲気とキリッとした顔立ちに、キツく見える眼差しも…真っ直ぐに見つめられると女はコロリと胸を射貫かれちまう。
やっぱりいい男だなあ…女がいたのはかなり衝撃だったけど、彼女…どんな子なんだろう。貴族とか、いいとこのお嬢さんとかなのかなあ…羨ましい。
「…うん、わかった。」
あたしが返事をすると、フォーは口の左端をくっと上げて目を細めて、また頭をポン、と一度撫でるように手を置いてから…あたしから離れて行く。
そうだ…これだけは言っておかなくちゃね。
「フォー。」
「んあ?」
「――ありがとうね。」
「おう。」
――ごめん、フォー…あんたと黒髪の鬼神の話、途中からだけど聞いてたんだ。あんたってばお節介だよ、おかげでライ・ラムサスの知りたくなかった本心まで聞こえちゃったじゃないか。…まあ元々最初から相手にされてなかったから諦めもつくけどさ。
大体にして〝命をかけても惜しくはねえぐらいに思っちゃいる〟ってなんだい。いい女だって思ってたんなら、口説いてくれれば良かったのに。そうすりゃあたしだって…
――ああ、また眠くなって来た…もう痛くはないけど、これが、最後かなあ…。
心残りは報酬のキスが貰えないことかな。ライ・ラムサス…あたしね、これでもあんたに本気で惚れてたんだよ?あんたは冗談だと思ってたかもしれないけど、本気だったんだ。
せめて最後に、そう伝えたかったな…。
「――アリスタイオス=キーオーン…?その姿は…」
光の屈折が円柱内で反射して跳ね返り、不思議なものを映し出している。それは物体であるのかさえもわからない、正方形の銀色の枠が、くるくると回転して二重、三重に見えたかと思えば、複数の枠が角度を変えて重なり八角形に見えたり、十字に見えたり、高速回転して円柱に見えたりと、真の形状がどうなっているのか全くわからない "なにか" だった。
『私が "人" でないことには既に気づいていたのではないのか?』
青く透き通った硝子のような材質の巨大な円柱の中で、上下にゆらゆらと浮遊するそれは、そう言い放った。
「それは――」
――確かに人間味を感じないとは思ったが…これは人どころか生物ですらないのではないか…?
おまけに、なぜ護印柱の装置の中にいるのか。
その円柱内には、どこか遙か上の方から、キラキラと舞うように雪のような輝く結晶が降っている。それははらはらと内部の底に落ちると、積もることなくパッと弾けて消し飛んだ。あれは…なんだろう?見たことがないものだ。
『知りたいことがあるのだろう、質問を受け付ける。そちらに〝知る権利〟のある問いにのみ回答しよう。なにが聞きたい?ライ・ラムサス。』
聞きたいこと…それはまずなにより――
「守護壁が消えた原因を知りたい。この国を千年もの間、悪しきものから守ってきたという守護壁はなぜ突然消えた?護印柱が壊れたのか?」
俺は目の前の奇妙な存在に警戒しながら問いかける。いったいこれは…なんなのだろう?生物にすら見えないのに思考を持ち、俺に話しかけ、俺の問いに答える。
やはりイーヴが言っていたように、異界から来た人工因子…フィアフのようなものなのだろうか?だがフィアフが思考を持って話すなどとは聞いたことがないが…
『否。護印柱はフェリューテラが存在する限り、なにがあろうとも破壊不可能な、故障することも壊れることもない永久的永続機構だ。守護壁の消滅は単に動力源の枯渇によるもので、突然消えたのではなく、定められた期間の役割を終えたために消滅したものである。』
≪…口もないのに、どこからこの声を発しているのだろう。≫
そんな仕様もないことを一瞬考えながら、説明に耳を傾け、真剣にその内容に聞き入る。
その間イーヴとトゥレンはと言うと、イーヴはアリスタイオスの話す内容を聞きながら魔法石で記録して要点だけを帳面に取り、トゥレンは安全確認と出口を探すために、奥にある扉の先を見に行った。
そしてフォションは俺の斜め後ろに立っている。
「定められた期間…それが千年間?」
『正確には障壁発生時より999年と2ヶ月。FT歴1996年の春までだ。』
「!」
つまり…今年必ず消滅することになっていた、そう言うことか。しかもきっちり千年ではなく、なぜそんな中途半端な…
「なぜ期間が決められていた?なぜそれが今年なんだ。」
『それはいくつか理由があるが、第一は建造主がこの地に守護壁を施した理由でもある、"ある封印" が関係している。そこには驚異的異存在とあるものが封じられており、それらを排除することが可能になるまでの期間、封印を強化しておく必要があった。なぜそれが今年なのかは明確に私の知るところではないが、それらへの対抗手段がある程度整うためだと推測する。』
「驚異的異存在!?それは〝災厄〟のことか!?」
『否。災厄は排除すべき対象にない。』
――なんだと?災厄ではない…あの恐るべき剣と真紅の男が、排除すべき対象ではない…?どういうことだ…!!
「ではその驚異的異存在とはなんだ!!それに対抗手段とは――」
『――回答を拒否する。来訪者はそれを知る必要がない。知るべき立場にないものが余計な情報を得ればさらなる状況の悪化を招く。故に権限が与えられない。』
ここまで話しておきながら、今さらなにを――!!
「俺はこの国の…エヴァンニュ王国軍最高位にある王宮近衛指揮官だ、国と国民を守る義務がある!!国内に脅威があるのなら、それに対応すべく対策を講じねばならん、それでもか!?」
人でも生物でもなさそうに見える相手に、苛立ちが募る。抑揚のない淡々とした声は、俺の感情などどうでもいいと思っているに違いない。憖っか会話が成立するからこそそれが透けて見えて腹が立つのだ。
『現時点で人間である来訪者が対策を取ったところで、それは自然災害や天災に抗おうとするようなものであり、驚異的異存在に相対することは不可能だ。それよりも今後起こりうるさらなる異変に備えることを強く推奨する。』
「なに…?今後まだなにか起きるというのか?それはどんなことだ!?」
『この地に住む人間は護印柱の持つ副次的作用から、生まれつき魔法を行使する力を〝狂わされて〟いる。それは魔物の変異化を防ぎ、誤って驚異的異存在の封印を解かぬ為の対抗措置であり――』
今、なんと言った?護印柱の副次的作用?魔物の変異化を防ぐ?それはまさかこの国の人間が、魔法を使えない理由のことを言っているのか…!?
「おい待て、その副次的作用について話をもう少し詳しく――」
聞かせろ、と言おうとしたところで、どこからか横槍が入った。
『――そこまでだよ、アリスタイオス。制御システムのプログラムのくせに、余計なことを喋りすぎだ。限定的とは言え、人工知能を一部組み込んだのが失敗だったかな…おかげで僕が怒られたじゃないか。』
『ガ、ガ…――』
ブツンッ
その独り言を呟くような声は、アリスタイオスに良く似た声でそう言うと、なにをしたのかアリスタイオスの様子がぶれて狂ったようにおかしくなり、その姿が異様な音を立てて消えた。
「アリスタイオス!?」
驚いた俺にその声は、どこからか俺を見ているかのように話しかけて来る。
『――やあ、驚かせてごめん。君がライ・ラムサスだね。初めまして、僕はこの護印柱…長期超高位魔法障壁維持機構を設計して作成した者だ。声だけで失礼するよ。』
――そこから先は暫くの間、この声の主が一方的に話すのを…ただ聞いているだけのような感じだった。
アリスタイオスと違って生きた人間のような話し方をする声の主は、なぜ俺を知っているのかと言うことも含め、俺の問いかけには殆ど答えをくれなかった。
『本題に入る。君がここへ来た元々の理由は、エヴァンニュ王国のために、守護壁を復活させられるかどうかを知りたかったからだろう?』
「!!…そうだ、どうしてそれを――」
『結論から言う、それは無理だ。』
「なぜだ、護印柱は壊れたわけではないのだろう?動力源が枯渇しただけだとアリスタイオスから聞いた。ならばそれさえ補えれば可能なのではないのか?」
『そう単純にいけばね。先に言っておくけどその動力源の確保には、九千年の月日がかかる。』
「きゅ、九千年…!?」
『うん。…その理由をなにもかも教えないのはさすがに納得できないと思うから、話せることだけは話すとしよう。まず…』
――まず、この護印柱が各地に設置されたのは、信じられないことに、現在から一万年も前…つまりフェリューテラ歴が始まるよりも、さらに遙か以前のことなのだそうだ。
それには動力源となる力を集めるのに、それほどの長い年月が必要だったからで、その動力源がなににせよ、すぐに用意できるような代物ではないことを示していた。
「いったいその動力源とはなんだ…?」
『〝霊力〟だよ。生けとし生ける物全ての生命の源であり、全ての世界を巡る、命の根源。君を含め、野草の一本、虫の一匹にまで至るまで、必ずその誰もが所持している魂その物のことだ。目には見えないし、手で触れることも叶わないけど、どこにでも当たり前にそれはある。』
「――命の力…魔力とは違うのか。…いや、まさか生物を動力源にしていたと言うことか…!?」
『違う違う、そんなことするわけないだろう!?霊力はどこにでも当たり前にあるって今言ったじゃないか!!』
なんてことを言うんだと憤慨した様子のその声が説明するには、霊力は空気中や大地、水の中にも当たり前にあり、それがあるからこそ世界に命は生まれてくるのだという。
それらは常に世界を巡っていて、僅かな余剰分をほんの少しずつ集めたものを蓄えて大きな結晶に変えて行き、護印柱の中に閉じ込めて動力源として使っていたのだそうだ。
つまり千年護印柱を動かすのに必要な霊力は、九千年かけて少しずつ集めないといけないのか。
「ではどうあってもこの国に、守護壁を張り直すのは無理なのだな。」
『結論から言えばね。守護壁自体はいつでも張れるけど、それを維持することが出来ないんだ。あと今から九千年かけても霊力は集まらない。魔物が増加して世界全体の霊力が激減しているからね。まあそっちは僕らがなんとかするからいいんだけど――』
「…?…どういう意味だ?」
『ああ、なんでもない。とにかくそう言うわけだから、君達はもうここに来てはいけないよ。第一通路から先は僕の方で完全に閉鎖して、関係者以外は入れないようにロックしたから、二度と君達は入ることが出来ない。もちろん、他の場所にある護印柱も同様だ。わかったね?』
「…ああ、わかった。」
――無駄足か。…命がけでここまで来てなんの結果も持って帰れないとは…。
これ以上はなにを聞いても無駄なのだと、俺は心底落胆する気持ちを隠せなかった。苦労して散々な目に遭いながら得られた情報は少なく、この声の主の正体も、驚異的異存在というのがどんなものなのかも、一切教えて貰うことが出来なかった。
護印柱の設計作成者だと言いつつも名前さえ名乗らず、それを設置したのが一万年も前のことだと平然と言いながら疑問には答えない。只者でない相手であることだけはわかるが、悪意を感じないのが不思議だ。
『わかって貰えたのなら安心したよ。休みたいのなら奧の休憩室に寝台がある。横になって休むだけで、治癒魔法が発動する仕掛けになっているから少し休むといい。それから、ここから出るには奥の扉の先にある転送陣に入って一旦エントランスに飛ぶんだ。遺跡入口の扉は開けておいたし、〝風雷の谷〟の仕掛けは照明以外止めたから、安全に階段まで戻れるからね。』
階段は自分の足で歩いて上らなけりゃなんねえのかと、うんざりしたように溜息を吐き、小さくぼやくフォションの声がした。
奥の部屋を確認しに行っていたトゥレンが戻り、確かに休憩室と転送陣があることがわかると、その声の主は別れの挨拶もしていないのに、それきり一切の声を発しなくなった。
「フォション、休憩室にある寝台にヴァレッタを寝かせてみよう。治癒魔法が発動する仕掛けになっていると言っていただろう?地上に戻るにはあの階段を上る必要がある、時間がかかるから少しでも彼女を休ませた方がいい。」
「おう、そうだな。ついでに俺達も少し休むか。ここには泉もあるし飲み水にも困らねえ。」
「ああ。」
俺がそう提案するとフォションは、すぐにトゥレンに手を貸せと言って、ソファに横たわるヴァレッタの元へと二人で走って行った。
俺の前に立つイーヴが記録し終わった帳面を手に、いつも通りの無表情で話す。
「ライ様、私はアリスタイオスの声を録音した魔法石を再生機器で聞き直し、すぐに概要を纏めておきます。かなり気になる内容の話を語っていたので、今後軍施設の情報記録機器を調べて精査し――」
その時だ。
「ヴァレッターッッ!!!」
フォションの尋常ではない叫び声が室内に響き渡った。
「!?」
驚いた俺とイーヴは、すぐにフォションとトゥレンのいる、ヴァレッタが横たわるソファへ駆け付けた。
「どうした!?」
青ざめたトゥレンが振り返る。
「ライ様…ハーヴェル殿が、息を…しておりません…。」
「え…?」
息をしていない。…それは、どういう意味だ…?
呆然として俺は膝をつくフォションの背中を見た。
「そんなはずは!!致命傷に至るほどの怪我はしていなかったはずだ!!」
血の気の引いた顔をしてイーヴが、慌ててヴァレッタの様子を確かめる。
手首を掴み脈拍を測り、首元でも脈を測り、口元に耳を当てて、最後に心音を確かめた。
≪出血はない…毒もない。有翼の敵から受けた傷は全て癒えている。死ぬはずがない。死ぬような傷はない…!!≫
とくん…
イーヴの耳に、小さくゆっくりとしたその心音が、一度だけ聞こえた。
「――違います、生きています!!呼吸は殆どなく体温もかなり低下していますが、非常にゆっくりとでも心臓は動いています!!」
それは言わば仮死状態に近かった。
顔を上げたイーヴが最悪の事態を否定するように訴える。
「本当か!?」
「な、なら治癒魔法が発動するという寝台に寝かせれば――」
おろおろと狼狽するフォションは、ヴァレッタを移動させようとしてその身体の下に両手を入れ、すぐに抱き上げる。
「いえ、一刻も早く病院に連れて行くべきです。人工呼吸器と心停止を防ぐ機器が必要です、急いで外に出ましょう…!!」
「わかった!フォション、そのままヴァレッタを運べるか?」
「問題ねえ、敵さえ出て来なけりゃなんとかなる…!」
「よし、急ぐぞ!!」
――こうして俺達は休む間もなく、危篤状態に陥ったと思われるヴァレッタを助けるために、急いで奥の扉を開けて室内に駆け込んだ。
そこには二つの魔法陣があり、片方は暗転していたが、片方は薄く白に近い金色の光を放っていた。
「エントランスに飛ぶと言っていたな、早く入れ!」
全員で足を踏み入れ、一、二秒が経つと、足元の魔法陣から強い光が輝いて、一瞬で俺達は眩い光に飲み込まれた。
身体がふわりと浮き上がるような感覚があり、次の瞬間、そこは一番最初に入ったこの施設のエントランスだった。
戻って来た。出入り口の開いている扉が見え、壁にはあの大きな画面と立体的な地図もある。
俺達はヴァレッタの命が懸かっていると、かなり焦っていた。最初に足を踏み入れた時この場所に敵の気配はなく、扉も閉ざされていたために、ここにはなにもいないと思い込んでいたのは確かだ。
索敵をすることもなく、時間がないと走り出した俺達は、二、三歩勢いよく駆け出したところで、突然足元に現れた魔法陣から上方に伸びた光の柱に囚われた。
キンッキン、キン、キキキンッ
「――っ!!?」
「ライ様!!」
「イーヴ、トゥレン…フォション!!」
「おい、なんだこりゃ!?ヴァリーがっ!!」
その光の柱は、ヴァレッタをフォションから引き剥がし、一人一人完全に個別に分けると、隔離して白く輝く魔法の檻となって横一列に並び、完全に俺達を閉じ込めた。
「なんだこれは…魔法の檻!?」
シュンッシュシュンッ…
…トッ
だだっ広いこのエントランスに、どこからどうやって来たのか、三人の男が突然姿を現した。
中央の男の左右に緑髪の変わった衣服を着た二人の男が立ち、その立ち位置はまるで普段の俺とイーヴ、トゥレンのようだ。
一人は濃い緑髪に額飾りを付け、後頭部の高い位置で長めの髪を結んだ、子鹿色の瞳の男。もう一人は同じく濃い緑髪に、所々薄い黄緑色のメッシュが入った短髪に、後ろの一部分だけを少し伸ばして結んだ金瞳の男で、耳に雫型の飾りを付けている。
そしてなによりも、俺達が声も出せないほど目を奪われたのは、その中央に立つスラリとした細身の長身で中性的な美形の男だ。
女性かと見紛うほどの端整な顔立ちに、セルリアンブルーの宝石の様な瞳を持ち、金色に光り輝く、さらさらとした真っ直ぐの長い髪を靡かせた、誰もが目を奪わずにはいられないような美丈夫。その美丈夫が、ゆっくりとこちらに歩いて来る。
「リ…リカルド・トライツィ…!?」
〝どうしてあんたがここに…〟と、フォションがその、やたらと綺麗な顔の金髪男を見て呟いた。
『リカルド・トライツィ』…?それは現在全ハンターの頂点に立つ、Sランク級守護者の名前じゃないのか。…まさか、この金髪の男が…?
その男はイーヴも顔負けの無表情で、冷ややかな声を出し口を開く。
「――あなたがたは、どうやってこの場所を知ったのですか?入口は表からではわからぬよう完全に封鎖してあったはずです。地下水路の壁の紋章も知らなければ見つけることが出来ないよう、目眩ましの魔法がかけられていました。その上に、まさか中に入って無事に生きて出てくるとは…驚きました。」
「…!?」
そっちこそなんだ、いきなりなんのために現れて、俺達にこんなことをする?…そう言いたかった。だがすぐに声は出ず、俺はただ唖然として見ていた。
無事に生きて出てくるとは、だと?…ということは、中にレスルタードがいることも、フェザーフォルク・ラルウァの存在もこの男は知っていると言うことか…!?
「それはどういう意味だ…!そもそもおまえたちは誰だ?この檻のような魔法はおまえたちの仕業か。フォションが今、リカルド・トライツィと呼んだようだが…貴様はあの有名なSランク級守護者なのか?」
「私が誰であろうとあなたには関係ありません。先日まで守護者であった〝リカルド・トライツィ〟は、今後表立って動くことはもう二度とないでしょう。守護者は辞めました。」
「は…!?て、てめえ首位ハンターがなに言ってやがる、寝惚けてんのか…!?おい、そんなのはどうでもいいからここから出せ!!ヴァリーが…仲間が死にかけてるんだ!!」
バン、バン、とフォションが、同じように囚われた床に倒れたままのヴァリーを見ながら檻の壁を拳で叩く。だがリカルドという男は顔色一つ変えずにヴァレッタを一瞥すると、フォションを無視した。
目の前に今にも死にそうな人間がいるというのに、守護者でありながらなにも感じないのか…!?
――どうやらこの男は、聞いていた噂とは随分と違うようだ。守護者として並ぶ者のないほどの優秀な実力を持ち、弱者のために魔物を狩り続ける世界最高のSランク級守護者…見習い守護者を指導することもあり、魔物駆除協会からの信頼も厚いという話だったが…守護者を辞めた?…どういうことだ。
おまけに見た目は凄まじく綺麗だが、随分と冷酷な印象を受ける。特にあの目は…生きることを諦めた、絶望に支配されている自暴自棄の人間と同じ目だ。ルーファスは本当にこんな男とパーティーを組んでいたのだろうか…?
「リカルド様、その者は『黒髪の鬼神』と呼ばれる、エヴァンニュ王国の第一王子、ロバム王から救出要請があった〝保護対象者〟です。」
「!?」
なっ――
短髪に耳飾りの男が、俺達の目の前で、いきなり俺が認めていない素性を "暴露" した。これにはイーヴとトゥレンも驚愕し、目を見開いている。しかもあの男から救出要請があった保護対象者、だと…!?なんの話だ…!!
「なん…?だ、第一王子…!?ライ・ラムサスがか…!?」
フォションが吃驚した目で俺を見る。…なにか俺について気がついていると思ったのは考えすぎだったらしい。
知られた…全く城と関わりのない第三者に、俺が最も知られたくないことを…!!
だがこの後、金髪の美丈夫… "リカルド・トライツィ" という男の言葉に、俺はフォション以上に驚いて声を失うことになる。
「ああ…二十一年前にミレトスラハで、レインフォルス・ブラッドホークが連れ去ったとかロバム王が騒いでいた第一子ですか。」
ザワッ…
それを聞いた瞬間に俺の全身が凍り付くように、サアッと冷たくなった。
――今、なんと言った…?レインが、俺を連れ去ったと言ったのか…!?
〝そんなはずがあるか!!〟
なんなんだ、この連中は…!突然現れて魔法の檻に俺達を閉じ込め、いきなり俺の素性を暴露し、レインの名前を口にする…特にこの金髪の男…フォションとそう変わらない年令に見えるが、なぜレインと二十一年前のことなど知っている…!?
「たとえ保護対象者であろうが〝テリビリスザート〟に巣喰われていれば解放するわけには行きません。スカサハ、セルストイ、光檻内に『リヒトプレシオン』を。発芽しているかどうかはそれでわかります。」
冷酷な光をその青い瞳に宿し、リカルドという男はゾッとするほど冷たい声で言い放った。
テリビリスザート…リヒトプレシオン?…なんのことだ?
「――かしこまりました。」
二人の緑髪の男達がスイッと俺達の前に進み出ると、音もなくその両手を真っ直ぐに伸ばして向け翳した。…その掌に、白い光が集まって行くのが見える。
「待て…な、なにをするつもりだ…!?」
敵意も殺気も感じないのに、途轍もなく嫌な予感がして俺は身構えた。
「「集束せし光の粒子よ、彼らの体内を駆け巡り、悪しき種子を押し潰せ。『リヒトプレシオン』。」」
ギュオオオォ…
二人がほぼ同時に呪文のようなその言葉を唱えると、彼らの手にあった白い光が魔法陣を描いて弾け飛び、俺達が囚われた光の檻の天井に、直径が十五センチ大の光球が出現した。
それは俺達の頭上にゆっくり降りて来ると、そのまま頭の天辺からなんの抵抗もなくスッと体内に入り込んだ。
ビリリリッ…
「ぐああああああっ!!!」
「うおおおおお!!!ラ、ライ様あああああーっ!!!」
「ああああああ!!」
「おおおおおおお!!!」
直後から俺達は、体内をなにかにめちゃくちゃにされ、引っ掻き回されているような、激しい痛みと苦しみに身悶えて暴れ、絶叫した。
自分の喉を通り口から吐き出される息が、それと意識していないのに周囲の音を遮断する叫声となって頭の中に木霊する。
「がああああああああああぁーっ!!!!」
なんだこれは…なんなんだこれはっ…!!やめろ、やめてくれ…!!苦しい…!!!全身を、なにかに…潰されるような、痛みが、息が…息が出来ない…っ!!!
感じたことのない苦痛に転がり、床で暴れてのたうち回ると、俺の衣服の物入れから、フェザーフォルク・ラルウァを倒した後に拾った…あの白みを帯びた緑色の宝玉が落ちて、リカルド・トライツィの足元に転がって行った。
ガクガクと痙攣し続ける自分の身体を、両手で押さえるように身を縮め、少しずつ弱まっていく苦痛に耐えながら、リカルド・トライツィがそれを拾うのを涙越しに左目で見ていた。
やがて永遠に続くかと思った長い時間が終わりかけた時、声が涸れて息が出来るようになって来た俺達とは反対に、とても人間のものとは思えない咆哮がすぐ横から上がった。
「グギャアアアアアアアーッ」
ボコン、ボコン、とその皮膚が変異して醜く盛り上がって行く。手足が赤く焼けただれたように鱗化して行き、その指が見る間に太く長く伸びて爪が猛禽類のように鉤状に歪んだ。
着ていた衣服がその膨張に耐えられずにバリバリと裂け、あの、嫋やかで女性らしい曲線を描いていた彼女の身体が、見る影もなく崩れて行く。
――そうしていつの間にか苦痛が治まっていた俺達の横には、魔法の光檻に囚われたまま巨大なレスルタードと化したヴァレッタがいた。
力無く檻の壁に背中を押しつけ、床に腰を抜かしたような格好で座ったまま茫然自失のフォションがいる。
イーヴもトゥレンも、苦痛が残る身体に顔を歪ませながら、各々らしい格好で膝をつき、青を通り越して土気色になった顔色で震駭を隠せずにいる。
俺も同じだ。
目の前で起きた出来事が受け入れられずに、驚倒しながらカタカタと震える身体を精一杯制御している。
なにが起きた。ヴァレッタが横たわっていた檻の中に、なぜあんな巨大なレスルタードがいる?…理解できない。
――エントランス中に響く咆哮を上げ、〝それ〟が太く長い蠍の尾のような先端のついた強靱な尻尾を振り上げる。
バシャーンッ
次の瞬間、魔法の光檻が硝子のように割れて砕けて飛び散った。
「リカルド様、テリビリスザートに侵されていたのは一人だけのようです。」
緑髪に額飾りの男が眉一つ動かさずにそう言うと、リカルド・トライツィはさらりとその美しい金髪を靡かせながら一歩前に進み出る。
「――魔界樹の種『テリビリスザート』を体内に植え付けられた者はあのようにレスルタードと化し、死しても二度と人には戻れません。塵も残さずに殲滅します。行きますよ、スカサハ、セルストイ。」
「「はっ!!」」
そして始まった壮絶な光景を、俺達はただその檻の中で見ているだけだった。
次回、仕上がり次第アップします。いつも読んでいただき、ありがとうございます!




