80 禁断の場所 ⑤
扉を開くために制御盤の電源を入れた途端、周辺に蠢く気配を感じたライ達は、急いでその場を立ち去ります。通路を次の部屋に向かい進んだ所で、不気味な化け物に出会し、それを難なく倒したフォションとヴァレッタと共に具に見ると、魔物とは思えない異様な化け物でした。背後からなにかが近付いて来る気配を察知したライ達は、必死に逃げることになりますが…?
【 第八十話 禁断の場所 ⑤ 】
――足元に転がっていたのは、蛇と蜥蜴を足したような爬虫類系の頭部だ。だが人の髪の毛のようなものが生えている。
その化け物の全身は赤黒く焼けただれ、ボツボツとした突起物が無数に付いた皮膚をしており、四本の肢は飛蝗のように途中で折れ曲がっていて、それぞれに五本の指と鋭い爪が付いていた。
その上胴体は平たい守宮のような印象だが、背中に一列に並んだ菌糸のようなものが伸びている。それだけではなく、先端が蠍の尾のように膨らんだ尻尾があり、その尻尾はなぜか凍って床にへばりついていた。
「これは…魔物なのか…?」
あまりの不気味な姿に俺は、ヴァレッタに対して問いかけていた。
この世界でいうところの魔物とは、一般にフェリューテラ上の現存する生物がなんらかの要因で身体や性質が変化し、人を襲うようになったものを言う。それだけに通常の生物と異なる姿をしたものは、魔物とは言い難い。
「わかんないけど…気色悪い化け物だね、見てみなよ、体液がドロドロした紫色だ。とてもじゃないが、生き物の血液じゃないよ。」
「ああ、まるで腐った液体だな、下手に触らない方がいいぞ。一応ギルドへの提出用に爪と皮膚ぐらいは持って行くか。」
「そうだね。」
ヴァレッタとフォションは、手早くその化け物の一部を切断して爪と毛を収集する。それを見ていたイーヴとトゥレンは、なにかヒソヒソと小声で話し始めた。
「なんだ?」
「…ライ様、この化け物なのですが…皮膚の焼けただれた感じと、胴体から伸びる四肢の付き方が…似ているのです。…あの、技術研究室の…『死傀儡』に。」
気分が悪いのか、血の気が引いたような顔をしてトゥレンがそう言った。
技術研究室…死傀儡?――俺は一瞬、なんの話かわからなかった。だがすぐにハッとして思い出す。トゥレンが言っているのは、軍事棟に侵入者があって、殺された研究員達の遺体が化け物に変えられた時のことなのだと。
あの監視映像は不鮮明なものだったが、言われてみれば確かに…どことなく似ているような気がする。
「それとライ様、あの尾の部分なのですが、凍って床にくっついています。思うにこの施設のあの気温の低さは…この化け物への対策だった、とは考えられないでしょうか?」
「イーヴ、それは――」
カカカカカ…カカッ…コココココ…
「!!」
その音に、全員がはっと後ろを振り返る。
――暢気にこんな場所で話をしている場合ではなかった。
「移動するぞ、急げ!!」
フォションのその掛け声と共に、手を借りたヴァレッタもすぐに立ち上がると、背後から徐々に近づいてくるなにかの移動音に、俺達は再び動き出した。
この時俺には走り出す前に一瞥した、足元に転がる不気味な死骸の一部分が、もぞりと僅かに動いたように見えた。
死骸の皮膚が…動いた?
「ライ様、お早く!!」
イーヴが死骸に気を取られた俺を急かす。確かめている時間はないか…気のせいならいいが――
カンカンカンカン、カンカンカンカン、と俺達の走る足音が、細いこの通路に鳴り響く。
索敵に引っかかるなにかの気配は、どんどんその数を増していた。
俺達の背後から追って来るものと、左右から徐々に距離を詰めてくるものと、三方向から包囲されているような感じだった。
「まずい、もうすぐ通路が交わる…!!右からの襲撃に注意だよ!!すぐそこに敵がいる!!」
「ヴァリー、俺が斬り込む。」
「うん、頼むよフォー。」
「イーヴは隙を見て先行、可能であれば進行方向の通路を確保!!トゥレンはイーヴに同行し、協力して臨機応変に対応しろ!!」
「「は!!」」
――その先の通路は、真っ直ぐに走る俺達がいる進行方向の直線通路と、右から直角に別の通路がぶつかるような形になっていた。
そこを俺達が通り抜ける前に、それらは右から壁に突っ込んでくるような勢いで現れた。
ズザザザザッ…ドゴンッ
ギシャアアアアアッ
赤黒く焼けただれたような皮膚の爬虫類のような頭を持つ、さっきと同じ化け物だ。
シャシャッ…ズザザザザンッ
フォションはヴァレッタの前にスッと速度を上げて進み出ると、いつの間に取り出したのか、さっきまで手にしていた小剣と同じものをもう一本手にしていて、前傾姿勢から連続する双剣による攻撃を化け物に喰らわせた。
速い…!フォションは大剣だけでなく、双剣でも戦えるのか…!!
「ヴァレッタ、上だ!!」
ザカザカザカッ
フォションが一体目を倒す間に、別の化け物が壁を伝いあっという間に天井へと駆け上がる。どうやらこの化け物は、壁や天井を難なく移動可能な連中らしい。
「やらせるかい!!」
ゴスッ…ドンッ、ズガンッ
天井に後ろ肢だけでぶら下がるようにして長い舌を出し、ヴァレッタに襲いかかろうとしたそれは、ヴァレッタの縦回転による踵蹴りで天井から落下し、直後フォションによって止めを刺された。
「今だイーヴ、行けっ!!」
「はい!!」
ダッ
イーヴ、俺、トゥレンの順に交差する通路の先へと駆け抜ける。
フォションは化け物が次々と押し寄せる通路の前に陣取り、ヴァレッタと二人で少しずつこちらへ後退しながら、抜きん出ようとする個体から順に倒して行った。
「代われヴァレッタ、イーヴ達の先導を頼む!!」
「了解、任せな!!」
俺は素早くヴァレッタと入れ替わり、ライトニング・ソードに魔力を溜めるため、化け物との交戦を開始した。
「おい!!」
フォションは瞬時に依頼主が手を出すな、と言わんばかりに横目で俺を見る。
「剣に魔力を溜めるためだ、戦わせろ!!」
ズゾゾゾゾゾ…ガカカカカッ
ガンッガンッギインッ
化け物は通路を塞ぎ始めた仲間の死骸を乗り越えて、バカッと上下に開いた口から、針状に先端を尖らせる長い舌を使って突き攻撃を仕掛けてくる。かと思えば、それとほぼ同時に尻尾を振り上げて真横に薙ぎ払い、横の仲間を吹っ飛ばすほどの打撃技も使ってきた。
「くっ…」
俺はすれすれでそれを躱し、尻尾が壁にバカンッと当たって跳ね返った瞬間を狙って叩き切る。
ズガッ…ゴンッ
落下した尾の膨らんだ先端と、化け物が振り回す切断された尾の断面から、あのドロドロとした紫色の体液が辺り一面にビシャッと飛び散った。
ボドボドボドッと尚も流れ出る液体が、すぐに床に溜まりを作る。
俺とフォションは化け物の攻撃を必死に避け、時に剣や腕で防御しながら隙を見て攻撃を繰り返す。狭い通路のため、俺は小刻みに刀身を動かすのが精一杯だ。
ガッガッガキインッドガガガッ
いったいこれほどの数の化け物が、どこに隠れていたというのか…個体としての強さはそれほどないが、片っ端から倒しているのに一向に減る様子がなかった。
「おい、切りがない退くぞ!!まだか!?」
ブウンッ
フォションがそう言ったのと同時に、俺のライトニング・ソードの魔石に力が溜まって薄紫色の光を放ち、刀身にパリパリと強電撃を帯び始める。俺はその状態で化け物の首目掛けて力任せに剣を動かした。
ビリリッ…パリパリ、ズガガッ…ドンッ
青白い閃光が真横に走り、化け物の首を吹っ飛ばす。
電撃は無効化されない…使える!!
直後、周囲の化け物が、電撃を帯びた刀身に一瞬怯んだのを確認すると、俺はフォションに叫んだ。
「よし、もういい、溜まった!!」
「おう、行くぞ!!」
フォションは腰のベルトに下げられたバッグからなにかを掴んで取り出すと、俺に走れ、と叫んで素早く飛び退き、尚も無数に群がってくる化け物目掛けてそれを投げつけた。
ヒュッ
カッ…ヒュオオオオオッ…パリパリパリ…ガガガガガンッ
――氷柱石<ヴィルジナル・ストーン>だ。
魔法石が落下したそこから青い魔法陣が現れ、一瞬で氷の壁を作り出すと、手前にいた化け物を凍らせる。その隙に俺達は踵を返し、先行したヴァレッタ達を追いかけて全速力で走り出した。
魔法石の効果は精々一、二分しか続かない。その間に出来るだけ距離を取って化け物から逃げる。
通路はすぐに右に折れ曲がり、また少し進んで今度は左に折れ曲がった。ここから先はさらに複雑に入り組んでいて交差点が何カ所もあり、どこか一カ所でも曲がる方向を間違えれば、行き止まりにぶち当たってしまう。
記憶してきた地図を思い出しながら、緊張から言葉少なに走り続ける俺に、なぜかフォションは暢気にも話しかけて来る。こんな状況なのに、Bランク級の俺とは違って、それだけの余裕がフォションにはあるのだろう。
俺が見る限り、この男はヴァレッタよりも守護者としての腕は上だ。大型魔物と戦っているところを見なければ確信を持って言えないが、Aランク級でも恐らく上位に入るのではないかと思う。
「そのライトニング・ソードって奴は、とんでもなく高価なんだったな。国の技術者があんた専用に研究して作り出した得物だって聞いたぞ。随分とお上に気に入られてんだな、あんた。」
「そんな話をどこから聞いた?良く知っているな…ああまあ、そうだ。気に入られているというのとは少し事情は違うが…だが今は量産が可能になって、高級武具店に行けば誰でも買えるはずだ。」
――最初はなんと言うことのない雑談なのかと思った。確かに俺のこのライトニング・ソードは二年ほど前に戦地での俺の生存率を上げるためだと、技術研究室で開発されて作られたものだった。
元は俺専用に一本だけとの話だったが、俺は多少値が張ってもこの剣を誰でも使えれば命を落とす者が減ると考え、量産化と軍への支給、国内での一般向け販売を申請した。ただある程度の資質と技量がいるのか、どういうわけかあまり使い熟せる人間がいないらしい。
おまけにまだその数は少なく、年に十本程度しか生産できないそうなのだが、それでも魔法の使えない人間が殆どのエヴァンニュでは重宝されることだろう。そう思っている。
「誰でも買えるって…王都の中級住宅一軒分の値段だぞ?庶民に買えるか、そんなもん。」
「はは…そうか。」
…そんなにするのか。値段が高いとは聞いていたが、家一軒分とは…
俺は思わず手元をチラリと見て微苦笑する。
「――こんな時になんだけどよ、気になってたんだが…あんた、本当は何者なんだ?」
「…なに?」
「少なくとも、ただの王国軍人…じゃねえよな。」
「――どういう意味だ。」
フォションから突然問われた思いもよらない言葉に、俺は走る速度を緩め、警戒して剣の柄を握る手に力を込めた。
――今の話から、なぜそんな話になる?何者か、とはどういう意味だ。まさかとは思うが、フォションは俺についてなにか知っているのか…?
「おい、速度を緩めるな。詮索するつもりはない、都合良くサシになれたから知らせておきたいことがあるだけだ。…あんた、妙な連中に命を狙われてるぜ?ライ・ラムサス。」
「なっ…」
カカカカカ…
「ちっ、もう追いついてきたか…!!急げ!!」
〝命を狙われている。〟そう告げられた直後、後方からまた聞こえてきた音に、俺達は走る速度を早めた。
「おい、なぜあんたがそんなことを知っている!?」
「なんだ気にするのはそっちなのかよ…決まってるだろうが、俺に今日のこの仕事のどさくさに紛れて、あんたを殺せと話を持ちかけてきた奴がいるからだよ…!もちろん、俺は断ったがな!!」
「!?」
気にするのはそっちなのかと言ったフォションの言葉は、俺が自分の命を狙われていると言うことよりも、フォションがなぜそんなことを知っているのかと言うことの方に重点を置いたことから来るものだ。
簡単な話だ、俺が命を狙われるのは初めてのことではない。四年前にこの国へ来てから、これまでに何度もあったことだからだ。
その犯人についても、俺やイーヴとトゥレンには予想がついている。だが…
――馬鹿な…俺が根無し草に仕事の依頼をしたのは昨夜の話だぞ?護印柱の探索のことは、イーヴとトゥレン、それにヨシュアとヴァレッタにフォション、後はヘイデンセン氏とジャンしか知らない。
それも決めたのは昨日夜になってからの話で…いったい他に誰が俺の行動を知れると言うんだ…?
あまりにも早すぎる今回の計略に、俺はそのことが不気味だった。
「心配すんな、野郎は俺が突っ撥ねたら襲って来たから、返り討ちにしてやった。死体は知り合いに頼んで始末して貰ったし、今頃は魔物の腹ん中だ。」
いや、それは犯罪だぞ…!?俺が憲兵に通報するとは思わないのか!?
「フォション…あんた――」
「ライ様!!」
十字路を曲がったところで、俺を迎えに来たらしきトゥレンと出会した。イーヴのことを任せたつもりだったのだが、中々追って来ない俺を心配して戻って来たのだろう。
「トゥレン…ヴァレッタとイーヴはどうした!?」
「大丈夫です、もっと先に行きました。西側の通路との合流地点で待っているそうです。ライ様こそお怪我は――」
「おい、まずい!!南からも集団が来たぞ、ライ・ラムサス、早く行け!!」
振り返ると十字路の正面から、無数の化け物が床、両壁、天井の四方向を這いながら押し寄せてくるのが見えた。
フォションは再び氷柱石<ヴィルジナル・ストーン>を複数個取り出して、後方を氷の壁で塞ぐように時間差を付けて連続使用した。
「なんて数だ…あれじゃ五分ほどしか持たねえ、もっと氷柱石を用意してくるんだったな…!」
一通り用意してきた氷柱石はここまでで既に使い切っていた。念のためにと十個ほど渡しておいた分、全てだ。
「精炎石ならまだありますが、使えませんか!?」
「いや、あの焼けただれたような皮膚を見ただろう、恐らくあの化け物は火属性に耐性がある。最悪追い詰められた時はこの剣の雷撃で麻痺させればいい。幾ばくかの時間が稼げるはずだ。」
「麻痺が効かなかったらどうすんだ、おい。」
「少なくとも雷撃は効果があったのを、さっきの戦闘で確かめてある。」
「抜かりはねえってか…わかった、それはなるべく温存しておけ、あんたらの命を守る緊急時の頼みの綱だ。」
なんせ数が異常に多いからな、とフォションは、走りながら額から顎に流れ伝う汗をグイッと腕で拭った。
――ついさっき襲って来た輩を始末した、と平然と口に出した男とは思えない台詞だ。俺の依頼通り、俺達を守ることしか考えていないことは明白だった。
基本的に魔物から民間人を守ることを主とする守護者と、襲われたからと言って人を返り討ちにして殺す行動は相反する。
俺の殺しを持ちかけられたことといい、この男は…それこそただの守護者ではないだろう。…何者だ?
俺はそう訝りながらも、フォションのことは信用していた。もし俺を殺すつもりなら既にいくらでもその機会があったからだ。
それからさらに先へ進んで行くと、次に左へ曲がるつもりだった通路の奧から戦闘音が聞こえて来て、それと共にイーヴとヴァレッタの声がした。
「無理するんじゃないよ、下がって!!」
「だがそれではあなたが…!!」
「フォー達が合流するまで持てばいいんだ、早く!!」
ガッ、ギインッ、キンッガガッ…ギシャアアアッ
続いて剣のぶつかる音と化け物の叫声が上がる。
既に二人が交戦していることに気づき、急いでその角を曲がると、複数の化け物を相手に必死で応戦しているイーヴの姿が見えた。
「イーヴ!!ヴァレッタ!!」
真っ直ぐに伸びるこの通路の途中、直角に左からの通路が交わる場所で、進路を塞がれないようにイーヴとヴァレッタは化け物を押し返そうとしていた。
俺達の到着前にもしそこから化け物が入り込んだら、後方から追って来る敵と完全に挟み撃ちにされてしまい、逃げ場を失う。
それがわかっていたからこそ、ヴァレッタに先導を頼み、イーヴを先行させて進路の確保を任せたのだが、俺の予想よりも早く化け物が押し寄せており、少しでも後退すれば一気に雪崩れ込んで来そうだった。
まずい、押されている…!!
二人がいるその場所まで、あと僅か十五メートルほどの距離だった。
俺の呼び声に気づいたイーヴが身体を引いて体勢を立て直そうとした瞬間、二人と二人の前にいた化け物の後ろから、素早く別の個体がこちら側の通路に這い出てきて、ヴァレッタの後ろに回り込んだ。
ザカザカ…ズザザッ…ヒュンッ
「ヴァリー避けろ、危ねえっ!!」
俺の横で走る速度をぐんっとさらに上げたフォションが身を乗り出し、そう叫んで手を伸ばした。
ズンッ…
――ヴァレッタの背後に回り込んだ化け物は、敏捷な動きで壁をよじ登り、反動を付けて一度尻尾を振り上げると、がら空きだったその背中にあの膨らんだ尾の先端を突き刺した。
「ヴァレッタ!!」
かはっ、というヴァレッタの激痛に耐えながら咳き込む声が、俺の耳に届いた。続いてすぐに薄紅色の口唇の端から、一筋の血が流れて行く。
それは化け物の尾の先端が、ヴァレッタの背中から肺にまで達したことを表していた。
「おおおおっのやろうがあああああーっ!!!」
激怒し、猛烈な勢いで咆哮を上げながら、フォションは化け物に突っ込んで行く。
ヴァレッタは一度前屈みになりながらもその場で足を踏ん張り、イーヴと自分の前に立つ化け物を渾身の力を込めて左下から斜めに一太刀で切り裂いた。
一瞬で化け物の身体は真っ二つになり、その場に崩れ落ちると、また紫色の体液が辺り一面に飛び散る。
…そうしてそのまま尚も剣を振り続け、負傷したにも関わらず、フォションと俺がそこに辿り着くまで、ヴァレッタはイーヴの横で戦い続けて膝をつかなかった。
「代われイーヴ!!トゥレン、ヴァレッタを頼む!!」
ダダンッ…ドゴンッ
イーヴを安全に下がらせるために、俺は特攻体勢で化け物に体当たりを喰らわせると、吹っ飛ばした化け物ごと一旦前列の集団を押し返し、俺の目の前でフォションが討ち漏らした化け物から捌いて行く。
ギシャアアッ、ギャアアッ、グギェエエエッ
「刺さった尾を切り落とせイーヴ、早く!!」
イーヴはヴァレッタに突き刺さった化け物の尾を、剣で断ち斬って引き抜き、トゥレンが壁に張り付いていたそれに刀身を突き立てて止めを刺すと、トゥレンと一緒にヴァレッタを支えながら進行方向に後退して行く。
フォションに切り刻まれる化け物どもは、断末魔の奇声を上げて次々に死骸の山と化して行き、俺は怒りから冷静さを失いかけているフォションに、踏み込みすぎるなと叫んだ。
もう幾ばくも経たずに、今度は南側から氷柱石で足止めした集団が押し寄せてくるはずだ、もたもたしている時間はない…!!
「イーヴ、トゥレン!そのままヴァレッタの止血だけして先に次の部屋へ行け!!もうそこまで距離はないはずだ、安全な場所でヴァレッタの応急処置をしろ!!わかったか!?」
「ですがライ様!!俺はライ様のお傍に…っ」
「命令だトゥレン、さっさと行け!!おまえがごねればその分俺達の撤退が遅れる!!」
「くっ…わ、わかりました…!!行くぞ、イーヴ…!!」
イーヴとトゥレンがヴァレッタを抱えて移動を開始したのを横目で確認すると、俺は一歩下がってすぐに元来た通路の後方を確認した。
ザワザワと化け物共の気配が蠢き、索敵にもう近くまで来ている集団が引っかかっていた。
「フォション!!もういい、俺達も行くぞ!!足止めした集団がすぐそこまで来ている!!」
「…ちっ…わかったよ!!氷柱石はもうないが、こいつを喰らえ!!」
俺の説得に応じて撤退を決めると、フォションはまた腰のバッグから魔法石を取り出して投げつける。今度は緑色に輝く、風流石<シルフ・ストーン>だった。
カッ…ヒュウッ…ゴゴオオオオッ…ビュオオオオオオッ
氷柱石と同じように、敵の足元に落ちた魔法石から緑の魔法陣が輝くと、最初の一陣が小さく上方向に風を巻き起こし、続く刹那、今度は化け物に向かって吹き荒ぶ猛烈な旋風となって奧へとそれらを吹き飛ばした。
さすが歴戦のAランク級守護者だと思う。魔法石の使い方が極めて適切で、風流石<シルフ・ストーン>ではその場に足止めは出来ないが、吹き飛ばすことである程度の距離を稼ぐことができ、安全に敵に背中を向けてその場から離脱することが出来るのだ。
もちろん、敵に耐性がなければ損傷を与えることも可能だが、残念なことにあの化け物は火耐性の他に風属性にも耐性があるようだった。
そうして踵を返し、フォションが床に転がる化け物の死骸を飛び越えて、後方で待っていた俺と合流するまでに一分もかからないはずだった。
それなのに、二十五メートルほど先の俺達が元来た通路から、足止めしていた集団の最も早く辿り着いた個体の姿が見えた。
――秒よりも短い単位で、動く静止画のように、化け物の集団がこちらに向かって雪崩れ込んでくる。
そのあまりにも異様な速さに、今すぐ地面を蹴ってもフォションが間に合わないと判断した俺は、後方へ飛び退くと同時にライトニング・ソードを頭上から垂直に振り下ろして、溜めていた魔石の力を解放した。
ガカッ…バリバリバリバリ…ズガガガガガンッ
ギャアアアアアアッ
耳を劈く轟音と共に、床を這うだけのはずの雷撃が、なぜか壁や天井までもを媒介に伝い四方八方から連鎖する電撃の網となって、後方にいる化け物の集団にまで届き襲いかかった。
化け物共は阿鼻叫喚の叫び声を上げ、全身を何度も迸る電撃に囚われて動けなくなる。
その瞬間、俺はこの建物の薄い青みを帯びた建材が、軍施設の可動壁や内壁に使用されているエラディウムのように、魔法伝導率が極端に高い素材だということに気がついた。
「フォション今だ、早く来い!!」
俺はそう叫んでフォションに手を伸ばし、その手を掴もうとした。だがここで、想像もしていなかった事態が俺達の足元で起きる。
ブブ…ブブブブ…ブツブツブツツッ
――それは身の毛も弥立つ光景だった。
紫色のドロドロとした液体溜まりの中で、死骸となって横たわっていた数多くの化け物が、一斉に小刻みに震えたかと思うと、次の瞬間、蜘蛛の卵をつついて割ったように、その皮膚の突起物からなにか小さな動くものを大量に生み出したのだ。
それらは地を這う赤蟻のように、あっという間に床を埋め尽くして行く。そして見る見るうちに、あの体液を吸い上げると、ムクムクと成長して膨らみ出したのだった。
それがこの化け物と同じものだと理解するまで、一秒もかからなかった。
「に…逃げるぞフォション!!急げ!!」
ゾオオッと全身が総毛立ち、俺とフォションはすぐさまその場から逃げ出す。
「なんだあれは…あんな化け物、見たことねえぞ!!」
「聞くな!!俺にもわからん!!」
――なんてことだ、あの化け物は…ああして個体を増やすのか?一体の化け物から、どれだけの数が生まれるんだ…!!
しかも火耐性があり焼き払うことも出来ず、風属性で一度に切り裂くことも出来ない…殺せばあんな風に時間差で増えるのでは、動きを封じておくぐらいしかもう手がないだろう!!…ああそうか、だから…低温にして凍らせてあった…?そう言うことなのか…!!
ここで俺は疑問に思う。この施設は…本当に、『護印柱』なのだろうか、と。いや…だが入口の広間で見た地図から推測すれば、ここが護印柱なのは間違いないはずだ。
だとしたら、内部がこんな状態になっているのはおかしいのではないか?侵入者避け?…考えられん。ではなにかの実験施設だった?それもあり得ない。
エヴァンニュ王国全体を守護する護印柱の目的と、内部がこんな危険な化け物だらけというのは、どう考えても一致しない!!…いったいこの場所はなんなんだ…!?
良く知りもせず、俺のような人間が、迂闊に手を出すべきではなかったのかもしれないと、思い始めていた。
災厄が封じられていたルク遺跡のように、もしかしたらこの場所も触れてはいけないような、禁断の場所だったのではないかと恐ろしくなった。
もし守護壁を復活させられたなら、この国を安全な状態に戻せるかもしれないという期待があった。だが俺は…ひょっとしたら身の程を知らずに、なにかどこかで選択を間違えたのではないか…?
――情けないことだが、もう手遅れなのにそんな不安を抱えながら必死に走る。目の前の通路を左に曲がれば、正面に次の部屋があり、そこに辿り着きさえすれば逃げ込めるはずだと思っていた。
ところがこんなところでも俺達は暫くの間、立ち往生する羽目になる。
正面に部屋は見えているのに、その扉の前でイーヴとトゥレンがヴァレッタの応急処置をしながら動けずにいたのだ。なぜなら――
「扉が開かない…!?」
「はい、どこにも扉を開けるための仕掛けも駆動源も見つかりません。トゥレンと二人、何度も具に周囲を調べたのですが、なにも見つからないのです。」
イーヴは蒼白な顔をして額から汗を流し、俺にそう言った。
確かにこれまでは扉のすぐ脇の壁にあった、開閉用の駆動源が見当たらない。周囲を見回してみても、天井近くに黒い小さな突起物が見えるだけだ。当然だが、扉自体にはこれまでと同じように、取っ手などない。
「その上…ライ様、この小窓から室内を見て下さい、中央に制御盤らしきものが見えるのですが…その奧に、複数の彫像のようなものが見えますか?」
そう言われて扉の上部に嵌め込まれた、十センチ四方の小窓から室内を覗くと、イーヴが言う通りなにか彫像のようなものが見える。
それの正体がなんなのか、俺はすぐにわかった。俺達の背後に迫るあの化け物が凍りついて石のように固まって立っているのだと。
――ここから冷気は漏れて来ないが、この中は氷点下か…!空調と扉が連動しているのなら、温度を上げればたちまちにあれが動き出す…中には入れても、逃げ場を失う…!?
二つ目の部屋では、制御盤の電源を入れた途端に入口の扉が閉ざされ、進行方向の扉が全て開いた。だが同時に気温が瞬く間に上昇して、恐らくは一気に解凍された化け物が一斉に動き出したということだろう。
連中は凍りついても死なない。彫像と化している連中はそこまで多くなさそうだが、殺せば時間差でまた増える…倒すことも出来なければ、もう後戻りも出来ない。…どうする?…どうすればいい…!?
こんなところでイーヴとトゥレンを死なせるわけに行くものか…!!
「イーヴ、トゥレン、他にここへ辿り着いてなにか気づいたことはなかったか!?なんでもいい、思い出せ!!」
「ライ様…!」
「わかりません、少なくとも俺はなにも気付きませんでした。」
「私もです…申し訳ありません。」
俺の質問に、イーヴとトゥレンは視線を落として首を振る。ヴァレッタは壁に寄りかかるようにして意識のない状態だ。
手詰まりか!?こんなところで…!!
「来たぞ、ライ・ラムサス!!また化け物が押し寄せて来やがった!!なんでもいい、早く扉を開けろ!!」
〝じゃないと俺達はここで終わりだ〟…フォションはそう叫んで双剣を構えた。
「――ふざけるな!!こんなところで…終わってたまるか!!駆動源が見つからないのなら、体当たりでもなんでもしてぶち破る!!開け…!!くそ…開けええっ!!!」
そう言いながら、俺は扉に体当たりを繰り返した。
それは諦めきれない俺の、最後の悪あがきのようなものだった。体当たりなどしたところで、これほど頑強な造りの建物の扉が開くはずなどない。そうわかっていて、〝開け〟と声に出して叫びたかっただけだった。
ピコン…ザザザ…
『%A&##$□?』
突然の駆動機器の作動音…続くその音は天井付近にあった、あの黒い小さな突起物から聞こえて来たようだった。
今なにか…聞こえたか?――と、俺はそれを下から見上げる。
『――%%★△÷×…$$##。』
ギャアアッギシャアアアアッ
「おい、そこの二人、手え貸せ!!近衛指揮官閣下殿を守りたくねえのか!?」
「失敬な…!!」
「言われなくとも…!!」
フォションはあといくらも残っていない風流石<シルフ・ストーン>を上手く使いながら、扉から十メートルほど手前に陣取ると、イーヴとトゥレンを呼び寄せ、三人で化け物と再び戦闘を開始した。
――この音は…いや、この言葉は…聞き覚えがある。海神の宮でリヴが俺に最初に話しかけて来た時に使っていた…多分、古代言語だ。
なんだ…誰かが俺に話しかけている?どこかに、誰かいるのか…!?
それは若い男の声のように聞こえたが、相手が誰であっても、この状況を打開する一筋の光が見えたような気がした。
「俺は古代言語はわからない!!おまえは誰だ!?いや、誰でもいい、もし可能ならここの扉を開けてくれ!!化け物に追い詰められているんだ!!」
驚いたことに俺の叫びに対して、それはすぐに反応を返した。しかも言語を俺に理解できるよう、現代の言葉に言い換えてだ。
『――…い言語を変換…FT歴1996年現在の言語を適用する。緊急時における第三制御室への解除要請を受諾。扉のロックを解除する。来訪者よ、避難を開始せよ。』
ゴトンッ…ゴコンッゴコンッゴコンッ
信じられないことに、扉が開いた。
「イーヴ、トゥレン、フォション!!扉が開いた、早く来い!!」
俺は意識のないヴァレッタを抱き上げ、開いた扉から室内に駆け込む。だが一歩足を踏み入れた瞬間、そこは予想通り氷点下の気温だった。
――それでも今は背に腹は代えられない。風流石が尽きる前にどうにか逃げ込めたイーヴとトゥレン、フォションの三人は、転がるようにして室内に入り、扉の前でそれが完全に閉まるまで化け物を押し返し続けた。
「はあ、はあ、はあ…」
イーヴとトゥレン、フォションの肩を揺らして吐く息が、大きな白息となって室内に漂う。
俺は無限収納から何枚か自分のシャツを取り出して、急いで意識のないヴァレッタを包んだ。ただでさえ出血しているのに、この寒さで低体温まで引き起こせば死んでしまうからだ。
「ライ様…どうやってここの扉を開けたのですか?」
イーヴが寒さからカタカタと震えながら聞いてくる。
「よくわからないが、俺に話しかけてきた声に、扉を開けてくれと頼んだだけだ。」
「…は?それはどういう――」
戦っていたイーヴ達に、あの声は聞こえなかったようだった。
――寒い。汗が徐々に体温を奪い、身体が一気に冷えて冷たくなってくる。扉の外の化け物からは一先ず逃げられたが、ここにも凍って彫像化した化け物がまだいるのだ。
とにかく次は、この部屋から無事に出ることを考えなければならない。
俺は中央に設置されていた制御盤に近付いた。すぐにイーヴとトゥレン、フォションも集まって来る。
やはりここの凍り付いた装置も、先の部屋同様に電源ボタンが付いていた。
「おそらくこの電源を入れれば先への扉は開くのだろう。…だが同時に室温が上がればそこの化け物達が動き出す。扉は開いたままになるし、俺達はヴァレッタを抱えて逃げなければならない。…かなり厳しいな。」
「――おい、その話しかけてきた声ってのに相談は出来ねえのか?この化け物共を凍らせたまま、扉だけを開いて貰うとかよ。」
「そうだな、一応ここからもう一度話しかけてみよう。」
俺は息を吸い込むと肺が凍り付きそうなこの空気の中で、先程の声の主に呼びかけてみた。
「聞こえるか!?ここへの扉を開けてくれて感謝する。俺の名はライ・ラムサスだ、少し話がしたい!!応じてくれないか!?」
シン…
今度は相手がなにかを黙考してでもいたかのように、暫く経ってから何処からともなく返事が聞こえてきた。
『――私の名は〝アリスタイオス〟。来訪者よ、話とはなにか?』
俺を来訪者と呼ぶそれは、こちらの声にそう答えてくれたのだった。
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