07 夜の魔物討伐 前編
酒場で昼間出会した未知の物体について、ルーファスはリカルドから詳しく話を聞きます。それは疑似生命体という『ダークネス』と名付けられた魔物ではない存在のようでしたが…?
部屋に魔物の図鑑を取りに行ったリカルドは、脇に年季の入った分厚い本を抱えて戻って来た。
そのまま俺の横から本を広げて差し出すと、俺が見たのはこれに間違いないか、と尋ねる。
開かれたその頁には、俺達が遭遇したあの物体にそっくりな写真が掲載されていた。
「ああ、そうだ。確かにこんな感じの…」
「すげえな、写真入りかよ。」
これには覗き込んだウェンリーも素直に感心したようだった。
「分類…暗黒疑似生命体『ダークネス』?」
リカルドは再び席に戻り腰を下ろすと、聞き慣れない言葉に顔を顰めた俺に詳しく説明し始める。
「それらは魔物ではありません。普段私は『暗黒種』と呼んでいますが、実体があっても物理的な攻撃は一切通じず、疑似生命体であるため、普通の方法では倒すこともできません。体内に実体化するための赤紫色に光る "核" を持ち、それを破壊すれば〝機能を停止〟させられます。」
暗黒種…嫌な響きの呼び方だな。
「――物理的な攻撃が通じない?つまり剣では損傷を与えられないと言うことか。」
「ええ、外殻には、ですが。特にアメーバ状の形態をしているものは、ほぼ全ての物理攻撃を吸収してしまうので、斬っても叩いても無駄です。」
「じゃあどうやってその核って奴を壊すんだよ?」
ウェンリーの質問は尤もだ。外殻に傷をつけられないのなら、どうやって倒すのか。
「ああ、そうか…なるほどな。」
そこで俺はその方法に思い当たり、本から顔を上げてリカルドを見る。俺やウェンリーにはそんな敵は倒せなくても、リカルドになら倒すことが可能だった。何故なら、リカルドはその手段を持っているからだ。
「属性術<エレメンタル・アーツ>…おまえのあの力なら外殻を消せるのか。」
リカルドは黙って俺の言葉ににっこりと微笑む。
俺にはわかっても、なにも知らないウェンリーにはわからない。理解できずに眉を顰めるウェンリーに「その力を少しだけ見せてやってくれないか」と、俺はその場でリカルドに頼んだ。
「いいですよ。」
リカルドはそう言って静かに目を閉じると、右手を上に左手を下に手の平を合わせるような形で胸の前に空間を作ると、その間に氷の小さな柱を作り出した。
「氷!?…なんだそれ、どうなってんだ!?」
目を丸くして驚くウェンリーに俺は横から説明する。
「魔法の一種だそうだ。リカルドの場合、無詠唱で魔力を操れるんだよ。」
「魔法…!?」
「属性術<エレメンタル・アーツ>と言います。私の場合、闇属性以外全ての属性術を扱えますが、高威力でどの相手にも比較的有効なのは、やはり光属性の『天雷』ですね。敵に向かって雷を落とすんです。」
リカルドは話しながら氷の柱を消すと、今度は右の手の平を上に向け、そこに小さくパリパリと音を立てる雷の塊を作り出した。
「…すげえ…!!俺実際に魔法を見んのは初めてだ…!さすがトップハンターは伊達じゃねえってことかよ。」
これにはさすがにウェンリーも驚嘆の声を上げ、瞳をキラキラと輝かせていた。
――以前この世には『魔法』という力が存在していると話したが、実はなぜかエヴァンニュ王国には魔法を使える人間が殆どいない。
理由や原因については俺もなにも知らないが、そのためウェンリーのように、人が使用する魔法を目にしたことのない人間が殆どだ。
俺もリカルドに出会うまでは、実際に魔法を使用する人間を見たことがなく、魔力という存在を知ってはいても、この目で確かめられたことはなかった。
因みにリカルドは元々エヴァンニュ王国の人間ではなく、本人から聞いた話によるとファーディア王国の出身らしい。
「でもわからないな、『ダークネス』か…どうしてこんなものがヴァンヌ山に出現したんだろう?初めて見たぞ。そもそも疑似生命体だと言うけど、自然発生するような存在なのか?」
『疑似生命体』と言えば、普通は人工で作り出された生き物に似せた紛い物という意味だ。伝説的な意味合いでホムンクルスとかクレアシオンなどという別の呼び方もあるが、共通しているのは誰かが作り出したものだということだ。
俺が当たり前に疑問を抱くと、すぐにリカルドから答えが返ってきた。
「いいえ、少なくともそこいらで、自然に生まれてくるようなものではありません。私は過去に何度か戦っていますが、詳しく調べようにも倒すと瞬時に消滅してしまうので、どうして発生するのかさえ掴めていないのが現状です。ただ…こんなものがヴァンヌ山に現れたのであれば、放っておくわけには行きませんね。」
リカルドは深刻な表情を浮かべて暫くの間なにかを考え込んでいた。
そこへ先程のウェイトレスが慌てた様子でやって来る。
「す、すみません遅くなりました!ファーディア産の蒸留酒『ブラウトゥリクル』ですっ!!」
この様子…多分彼女は注文をすっかり忘れていたのだろう、かなり焦ったようにテーブルにグラスを並べて、ボトルのお酒を用意しようとしていた。
ウェンリーのためにはもしかしたら、そのままの方が良かったのかもしれない。
「ああ、いいですよ。後はこちらでやりますから。」
リカルドが優しく微笑んでウェイトレスから酒のボトルを受け取ると、彼女はもう一度頭を下げて離れて行った。
「料理も大半は食べ終わってしまいましたね。せっかくですから、今からでも乾杯しましょうか。」
「え…」
そう言って機嫌が良さそうにボトルを傾け、グラスに青く透き通った液体をなみなみと注いで行く。
「ちょ…リカルド。」
普段は察しの良いリカルドのことだ、本当は俺の言葉や態度から、ウェンリーに酒を飲ませまいとしている俺の意図とその理由に気が付いているはずだ。
なのに上機嫌で酒を注ぐと言うことは、あくまでもウェンリーの口から敗北を宣言させたいと思っているのだろう。…人が悪いな。
「さあ、どうぞ。お子様でも飲める軽いお酒です。…まさか飲めないなんて…言いませんよねえ?ふふ…」
カッチーン!…と言う音が聞こえそうなほど、ウェンリーが頭にきて顔を紅潮させる。リカルドはまたウェンリーを挑発したのだ。
軽い…?確か店主はファーディア産の蒸留酒だと言わなかったか…?
これは…俺が止めるべきなんだろうか。でも余計なことをするとウェンリーの方が、なあ…
大体にしてウェンリーもウェンリーだ、やせ我慢はいい加減にして、どうして素直に白状しないのか。…まさか、本気で飲むつもりなのか?下戸のくせに。
俺の心配を他所にグラスを握ると、リカルドが嬉しそうに音頭を取った。
「では一月ぶりの私とルーファスの再会に、これからの私達三人に乾杯!!」
「…か、乾杯…?」
俺はウェンリーを横目で見ながら疑問形で続ける。
「乾杯!!」
そのウェンリーは顔を引き攣らせながら、もうヤケクソになっている感じだった。
カチンとグラスを鳴らして、それぞれが青い液体を口に運ぶ。
「ぶっ!!」
瞬間、口に含んだ酒の味に、思わず俺が真っ先に吹き出しそうになった。
「おいリカルド、この酒…!!」
≪ とんでもなく強い酒だ…!!≫
口元に零れた酒を手で拭いながら見ると、平然とグラスを空にしたリカルドが横を向いて笑いを必死に堪えていた。
慌てた俺はすぐにウェンリーに目を向けたが、もう遅い。
「――……。」
グラスを飲み干したウェンリーは、一瞬顔を赤くしてからすぐに青くなると無言のまま椅子ごとその場で引っくり返った。
ガッターンッ
「ウェンリー!!!」
――十数分後俺は、人手を借りて俺達の部屋のベッドへと、倒れたウェンリーを運び込んだ。
「うーん、うーん…」
青ざめた顔で唸り続けて横たわり、完全に寝込んだウェンリーの額に冷たい濡れタオルを乗せてやると、俺は大きな溜息を吐いて横に立つリカルドを見上げる。
「酷いなリカルド…ウェンリーが本当は酒が飲めないことに、気付いていたんだろう?まさかあんなに強い酒を飲ませるなんて…」
「知りませんよ。そもそもウェンリーが意地を張って、素直に下戸だと言わないからでしょう。」
リカルドはツン、と拗ねた顔をしてそっぽを向いた。
「それにしたって…こんなに苦しんでいるじゃないか。…大丈夫か?ウェンリー。」
ウェンリーは朦朧としていて話しかけても返事すらできないらしい。
「…やっぱり医者を呼んだ方が良いかな?アルコールは急性の中毒を起こすこともあるらしいし、心配になってきた。」
「大丈夫ですよ、38度程度の酒をたかが小さなグラス一杯飲んだくらいで、そうそう中毒になることはありません。」
「でもせめて薬か何か貰っておけば…」
俺は気持ち悪さに苦しむウェンリーが可哀相で、どうにかしてやりたいと少し狼狽えていた。やっぱりこうなる前にあの時俺が止めておけば良かったのだ。
そんな俺を呆れたように見てリカルドは少し不機嫌になった。
「――過保護ですね。酒場で酔い潰れて寝込むなんて、成人したらさほど珍しいことでもないでしょうに。酒に弱いと自覚していながら自分で飲んだのですから自己責任でしょう。なのにあなたがそこまで彼のことを心配するとは思いませんでした。…まさか彼が命の恩人だからですか?」
何時になくリカルドは苛立った様子で、俺に対してさえ少し棘のある口調でそう言い放った。
「いや、そういうわけじゃない。…ウェンリーは俺にとって親友には違いないけれど、それ以上の存在で家族も同然なんだ。子供の時からずっと傍にいるんだし、具合が悪くなれば心配するのは当たり前だろう。」
「当たり前…ですか。私からすれば、あなたは随分とウェンリーを甘やかしているように見えますけれどね。とても成人した大人に対する態度には思えませんが。」
「リカルド…」
俺はそんなに過保護か?…ウェンリーを子供扱いしているつもりはないし、ただ心配しているだけだ。
正直に言ってリカルドにそう言われるほどだとは思わないんだが…――
その言葉を聞いて俺が戸惑っていると、自己嫌悪に陥ったような、はあぁ、と深い溜息を吐き、リカルドが右手を眉間に当てて目を伏せた。
「――すみません、少し意地が悪すぎました。」
「…?」
俺は突然謝るリカルドに首を傾げて立ち上がり、その顔を覗き込んだ。するとなぜだかリカルドは物悲しさを浮かべて決まりの悪そうな顔をしている。
「正直に言います、ルーファス。私はあなたの関心を占めているウェンリーの存在が酷く面白くありません。…この感情は恐らく "嫉妬" なのでしょうね。」
「…嫉妬…って、おまえがウェンリーにか?」
俺は驚いた。リカルドは人付き合いが下手ではあるものの、決して周囲に嫌われているわけではない。寧ろその逆で、彼と親しくなりたい人間はごまんといるのだ。
さっきも言ったがその外見と名声から、碌でもない者にまで寄ってこられるのは迷惑だとは思うが、中には本当の意味で親しく付き合える人間だっているはずだ。
それは偏にリカルド自身の優れた技量や人間性によるもので…そんなリカルドがウェンリーに対して嫉妬心を抱くような理由があるのか…?
「そんなに不思議そうな顔をしないで下さい、余計傷付くじゃありませんか。」
「…え?」
「あなたは私にとってあなたがどんな存在であるか、考えてくれたことはありますか?」
「俺…?」
わけがわからず俺が困惑していると、リカルドは益々その表情を曇らせた。
「知り合ってからの月日が敵わないのは仕方がないとしても、あなたとウェンリーの間には、私が未だに取り去ることのできない "壁" がない。あなたは私に知られたくないと思っていることがあり、それを頑なに隠しているでしょう?」
「!」
「――それを無理に聞き出してまで知りたいとは思っていませんが、恐らくウェンリーはそのことを知っていて、私は知らない。今日初めてそのことに気付きました。」
「それは…――」
――まさかリカルドにこんなことを言われるとは思わず、俺はどう答えるべきか迷った。だがリカルドは俺がなにか言う前にさらに話し続ける。
「あなたを責めているのではありません。今まで胸の内を話したことはありませんでしたが、私にとってあなたの存在は、自分よりも大切なんです。そんな私が、あなたに大切にされているウェンリーに意地悪をしたくなっても仕方がないでしょう?」
〝ああ、因みに恋愛感情はありませんから、そこは間違えないで下さいね。〟とリカルドは最後に付け加えて、俺が深刻に捉えすぎないよう、気を使っているかのように笑って茶化した。
その最後の一言で、どこまでが本心なのかわからなくなってしまったが、今後は今まで以上にもっとリカルドのことも考えようと思うのには十分だった。
俺にとってはリカルドも大切な存在なのは確かなのだから。
「確かに俺はおまえに隠していることがある。それも一つや二つじゃない。…それはおまえをヴァハに招かない理由や…二年前守護者になるのを躊躇っていた理由にも関係している。いつかは話そうと思っていたけど…すまない、中々その決心がつかないんだ。」
俺は俺なりに誠意を持って、今の胸の内をリカルドに正直に話す。
「おまえを信じていないとかそういうわけじゃない、これは俺の感情の問題なんだ。だから…黙っていることを打ち明けるのは、もう少し待ってくれないか?」
そう告げた俺にリカルドは優しく微笑んだ。俺がこう言えばリカルドはきっと受け入れてくれる。わかっていてその優しさに甘えるのは少し狡いかもしれないが、俺にとってはそれほど大きな隠し事なのだ。
「――わかりました、その時を待っています、ルーファス。私にはあなたと一緒に叶えたい "夢" があるのです。そのためならいつまででも待てますからね。」
「俺と叶えたい夢?初めて聞いたぞ。それはどんな――」
気まずくなりかけた雰囲気が和み、互いに顔を綻ばせながら俺がその夢というのを聞き出そうとした時だ。
バタバタと廊下を慌ただしく走ってくる足音が聞こえた。
「?…なんだ、廊下が騒がしいな。」
「なにかあったんでしょうか?…様子を見てみましょうか。」
リカルドが扉の取っ手に手を伸ばしたと同時に、誰かがこの部屋の扉を叩いた。
ドンドンドンッ
「すみません!こちらにリカルド・トライツィさんはいますか!?」
慌てた様子の扉越しの声に俺は聞き覚えがあった。
「この声…警備兵のノクトか?」
俺は駆け寄ってすぐに扉を開ける。
ガチャッ
「ノクト!?」
「ルーファス!ああ、やっぱり君の部屋だったのか。」
思った通り、そこに立っていたのは息を切らせたメクレンの警備兵、ノクトだった。
ノクトはもう勤務時間外のはずなのに未だ制服を着たままで、額には大量の汗を掻いており、酷く焦っている様子だった。
「どうしました?慌てているようですが、なにかありましたか?」
リカルドの問いかけにノクトは血相を変えて答える。
「リカルドさん!ルーファスも…ギルドの緊急討伐依頼は見て貰えましたか!?」
「ああ…いや――」
まだだ、と言おうとした俺の言葉を遮るようにリカルドが言う。
「私が見ましたよ。二件ともタイラント・ビートルの群れの討伐依頼でしたね。少し気になる情報だったので、明日の朝には向かおうと思っていました。ルーファスにはこれから話そうと思っていたのです。」
「そうなのか。いや、でも待ってくれ、今〝群れ〟と言ったか?…おかしいな、あの魔物が集団で動くなんて聞いたことがないぞ。」
「そうなのです。ですから気になると…」
『タイラント・ビートル』と言うのは、カブトムシとクワガタを足して割ったような姿をしていて、その鋭い頭の角を使った突進攻撃を得意としている、飛行する甲虫型魔物だ。
普段は割と大人しく、空腹にならなければ大木の洞などでじっとしていることが殆どで、こちらから余程近付かない限りあまり人が襲われることもなかった。
その魔物が群れで行動を起こすなど、普通では考えられない事態だ。それが事実だとすれば、思い当たる理由はもう一つしかない。
「――まさか…変異体か…!!」
俺とリカルドはノクトの顔を見た。
「さすがです、説明しなくてもわかって貰えるとは…メク・ヴァレーアの森から、タイラント・ビートルの集団がこちらに向かって来ています。第一波はギルドにいた守護者達で仕留められましたが、前線にいた警備兵の一人が、集団の中に巨大な影を見たと報せて来たんです…!!応戦した守護者にも既に死者が出ていると…!!」
「!!」
「お願いします、すぐに対応していただけませんか!?」
変異体が率いた集団となると統率が取れていて危険極まりない。並の守護者達では恐らく太刀打ちできないだろう。だからノクトは『Sランク級守護者』であるリカルドとそのパートナーである俺を呼びに来たのだ。
――魔物駆除協会に有資格者として名前を登録している、俺達守護者や冒険者には、その実力に伴った仕事を割り振るための、等級による個人的なクラス分けが定められている。
その等級はF〜Sランク級までの七段階に分けられており、見習い守護者を除いてFランク級が最低位で、E、D、C、B、Aと順に上がって行き、Sランク級が最高位となっている。
それは一定期間内での依頼実績と魔物の討伐能力によって、個々人がギルドから与えられる『討伐ポイント』により昇格して行く完全な実力制度だ。
この他にもパーティーランクや、魔物の等級など細かく決められたクラス分けがあるのだが、それはまた今度説明するとして、現在トップハンターのリカルドは最高位の『Sランク級』で、俺は『Aランク級』になる。
リカルドのようなSランク級守護者は、昇格するための条件がかなり厳しく、世界にもそれほど人数がいない上に、エヴァンニュに至っては数えるほどしか存在しない。
因みにSランク級とAランク級ではかなりの実力差があって、Sランク級ともなれば変異体を単独で討伐できるほどの能力があるが、Aランク級では失敗して命を落とすことの方が多い、と言えばなんとなく理解して貰えるだろうか。
まあとにかくそんなわけで、リカルドの名前が有名なのにはそれだけの理由があるのだ。
「タイラント・ビートルは強襲特化型の飛行する魔物だ。変異体を叩きつつ通常の個体も討伐していかなければ、メクレンの防護壁でも崩されかねない。街の中に侵入されたら大惨事になるぞ…!!」
言うまでもないが、魔物の目的は人間そのものだ。メクレンの防護壁は空中からの襲来を考慮していない造りになっており、もしもの際その被害は計り知れなかった。
「私はすぐに動けます。ルーファスはどうしますか?」
そう言うとリカルドはベッド上のウェンリーを一瞥した。
「もちろん俺も行く。緊急事態だ、ウェンリーのことはここの誰かに見ていて貰えるようにお願いしよう。」
「では…!!」
ノクトが安心したように俺達を見た。
急いで身仕度を整え、ノクトと一緒に階段を駆け降りて行くと、俺達に気付いた宿のご主人が走ってくる。
俺達は変異体の情報があってこれから討伐に出ることと、宿内の客を念のために外へは出さないように気をつけること、そして最後に部屋に残しているウェンリーのことを、俺が戻るまでの間誰かに見ていて欲しいとご主人に話して頼んだ。
宿のご主人は俺の頼みを快く引き受けてくれて、俺は頭を下げてウェンリーのことを任せると、そのまま宿を飛び出し、リカルド達と全速力でメク・ヴァレーアの森へと向かった。
メクレンの目的地側の門扉は閉ざされており、内側には警備兵による門を越えて魔物が入って来ることを想定した布陣が敷かれていた。
俺達はリカルドとノクトの顔で大至急扉を開けて貰うと、森までの道を一気に駆け抜け、入口手前に臨時設営された救護所で状況を尋ねる。
その場には毛布が掛けられた、守護者らしき何人かの遺体が既に横たわっていた。
「ノクト!」
ノクトと同じ制服を着た警備兵がすぐにこちらへ駆けて来る。
「状況はどうだ!?」
「なんとかまだ持ち堪えているが、倒しても新たな敵が次々現れるから苦戦している。一刻も早く群れを率いている変異体を見つけ出して始末しないと、守護者の消耗戦になってしまいそうだ。そっちはどうだった!?」
ノクトが返事をする前に、時間が惜しいとばかりにスッとリカルドが前に進み出て警備兵に状況を尋ねる。
「今現在の前線はどの辺りですか?」
「リカルド・トライツィ…!!ありがたい、来てくれたのか…!!」
これで安心、とホッとした表情を浮かべて、三十代くらいの警備兵はすぐに答えを返す。リカルドの守護者としての信頼度はかなり高く、こういう緊急事態に陥った時は特に、その姿を見せただけで周囲が落ち着きを取り戻し、瞬時にその指示に従ってくれるほどだった。
「この先の三叉路を真っ直ぐに進んだ辺りの広場だ。前方の三方向から絶え間なく魔物が襲ってくるために、Bランク級以上の守護者に放射状に散って貰って対応しているが、かなり押され気味だ。」
すぐにリカルドがその目を閉じて魔力を放つと、周囲の広範囲を索敵して行く。俺は俺でスキルの索敵を使い、大型の敵に絞ってその気配を探った。
「――周囲に変異体の気配がありませんね。…ルーファス、なにか感じますか?」
今聞いた情報の通り、森に入って少し進んだ辺りに、確かに集団と思しきかなりの数の魔物の気配がある。
そのまま目的の大型を探していると、前線の集団とは別に東の方向から近付いて来る、かなりの数の魔物の気配を感じ取った。
その進路を予測するに真っ直ぐ前線を目指しており、状況次第では背後を取られて挟み撃ちにされる危険があった。
「リカルド、東から別の集団が前線に向かっている!あのまま回り込まれれば背後から襲われて、戦っている守護者達が挟み撃ちにされてしまうぞ!!」
「!」
俺の言葉にリカルドがすぐに指示を出した。
「前線の守護者に背後に気をつけるよう、すぐ知らせを!!」
「いや、それじゃ間に合わない、東の集団には俺が行く!!」
そう言うと俺は一直線にそこへ向かって地面を蹴った。
「ルーファス!!」
リカルドよりも俺の方が足は速い。恐らくは正面ではなく、東側の集団の背後に変異体がいるはずだ。まだその気配は索敵に引っかからず掴めていないが、俺にはその確信があった。
同じ地域に生息する魔物達は、一括りに人間を襲うのが基本だと言っても、魔物同士にも敵対関係や共生関係、縄張り争いなどもあって天敵もいる。
この森に棲むタイラント・ビートルは、元々どちらかと言えば捕食される側の魔物で、普段はより強い大きな魔物に喰われることの方が多い。
そのため基本的に天敵となる捕食する側の魔物を避けて行動することが多く、ここにはその対象となる大きな魔物が多く生息していた。
それが蟷螂系の昆虫型魔物ヴァレーア・マンティスと、蜘蛛系の節足動物型魔物ヴァレーア・スパイダーだ。
タイラント・ビートルはヴァレーア・マンティスよりも、ヴァレーア・スパイダーの方が苦手だ。そして西側の広範囲にヴァレーア・スパイダーの縄張りがあり、その奥には根城がある。
前にも言ったが、同種の魔物の変異体は、能力値こそ二〜三倍に跳ね上がるものの、その性質は基本的にあまり変わらない。
そのことから考えても、変異体が潜んでいるとするのなら、より苦手なヴァレーア・スパイダーのいる西側は避け、東側にいるだろうとの推測が可能だった。
そう変異体の位置を予測していたら、東から集団が向かって来たのだ、もうこれは間違いないだろう。
一足先に俺が向かっても、リカルドはすぐに後を追いかけて来て、俺が変異体との戦闘に突入する頃には合流するはずだ。
それがわかっているからこそ、俺はリカルドを置いて先にここへ来たのだ。
「――いた…!タイラント・ビートルの集団だ!!」
ざっと索敵した数は十体ほどだ。俺は静かに剣を抜くとさらに速度を上げて地面を蹴り、気付かれる前に先制攻撃を仕掛けて、一気に半数のタイラント・ビートルを叩き落とした。
警戒態勢を取られる前なら、低空飛行をしている真下に素早く潜り込んで、柔らかい下腹部を狙い、横一直線に複数回薙ぎ払えばあっという間に倒せるのだ。
因みに今は明かりなどなにもない、暗い夜の森の中だ。それなのにどうして敵を正確に狙えるのかと言うと、スキル『暗視』を使っているからだ。
『スキル』と言うのは『技能』のことで、経験によって身に付く能力のことだ。
このスキルは、例えば暗い中で常に作業を強いられる人間が、慣れで夜目が利くようになるように、様々な状況での行動を繰り返す内に、いつの間にか取得していることが多い。
そして取得後は意識して使用することで、さらにそのスキルに磨きがかかって行く。
特に俺達守護者や冒険者は、夜間活動をすることもあり、一般の民間人に比べてかなりの暗闇でも目が見える。それがこの『暗視』の力だ。
同じように危険な場所で常に警戒していると、魔物のいる位置がわかるようになるのが『索敵』だったりする。
他にも『罠抜け』や『宝物感知』、『危険回避』や『隠れ身』など色々なスキルが存在しているが、要は自分が普段どんな行動をしているかによって、その取得内容にも個人差や個性が出るということだ。
『暗視』や『索敵』は大抵の守護者や冒険者が取得する技能で、通称『ハンタースキル』とも呼ばれているが、それ以外に『固有スキル』というものがあって、これは他人に、〝こうしていたら取得できたよ〟と教えてもらっても、他者に真似ができないような個人特有の技能のことを言う。
話が逸れたが、そんなわけで俺はこの『暗視』のおかげで暗闇でも敵の姿が見えるのだ。
「さてと…変異体が出てくる前に、残り半分をさっさと倒すか。」
耳障りなブウンブウンと言う低い羽音を立てて、俺の周囲を囲むように五体のタイラント・ビートルが陣取る。
俺を認識したタイラント・ビートルは、剣の攻撃が届きにくい高さを飛行し、攻撃を仕掛けてくる時だけ近付くようになる。
複数体で連携を取り、俺を狙って波状攻撃をしてくるが、その行動は何度も戦ったことのある経験から既に見切っていた。
突進攻撃を躱した直後、再び飛び上がられる前に横から翅を切り落とし、落下したところを蹴ってひっくり返すと、急所目掛けて上から刀身を突き刺す。
背中側は固い外殻に守られていて剣の刃が通り難いので、弱点を晒させるのが手っ取り早いからひっくり返すのだ。
後はこれを繰り返すだけで簡単に駆逐できる。タイラント・ビートルはギルドの魔物ランクではDランクに相当するが、倒し方さえわかっていて、それを実行できる能力があればなんの問題もない。
そうこうしているうちに残りは後一体だけになった。ところが…
ブブブブブブ…ウウン
その一体が攻撃をするのを止めて、空中で停滞飛行をしたまま降りて来ない。普段なら多分逃げ出しているところなのだろうが、その様子も見られないことから、近くにいる変異体の指示を待っているのだろう。
「うーん、さすがに厄介だな。統率されていると攻撃まで慎重になるのか。」
いっそのこと石でも投げて挑発してみるか?…そんなことを考えた時だ。
「岩塊よ、押し潰せ!!ストーンフォール!!」
ドゴオオンッ…グシャッ
その声と共に、空中にいたタイラント・ビートルの真上に出現した黄色の魔法陣から、大きな岩の塊が落下して来て、避ける間もなく魔物を押し潰した。
もちろんそれはリカルドの使用した属性術<エレメンタル・アーツ>で、リカルドが早くも俺に追いついたのだった。
「今のでこの集団は全部だ。」
「速すぎますよ、ルーファス。私を置いて行くつもりですか?」
リカルドは苦笑して俺にそうぼやいた。
「まさか。すぐに追いつくと思ったから先行したんだよ。」
ズゾゾゾゾゾゾ…
最後の通常体を倒し終えると、不気味な音を立てて巨大な影が上空から姿を現した。
「――思った通りだ、やっぱりこっちにいたか。」
俺の予想通りそれは近くにいたタイラント・ビートルの変異体だった。
「確かに変異体ですね。これさえ倒してしまえば、後はすぐに散開するでしょう。…それにしても大きいですね、良くここまで見つからずに成長したものです。」
シャッ
リカルドも装備していた腰の中剣を引き抜き、変異体に向かって構えると戦闘態勢に入った。
「ああ、かなり外殻が固そうだ。属性術<エレメンタル・アーツ>の氷魔法で凍結を狙って弱体化を頼む。」
「了解です。では始めましょうか。」
こうして夜の闇の中、俺達はタイラント・ビートルの変異体を倒すべく、戦闘を開始したのだった。
差し替え投稿中です。話数等おかしな部分がありますが、修正までご了承ください。