76 禁断の場所 ①
ルクサールから避難施設に移り住むことになったジャン達の様子を見に、トゥレンを連れて大部屋を訪れたライは、ルク遺跡で約束したとおり、ヘイデンセンに守護壁についての話を聞くことにした。エヴァンニュでは知らされていない建国当時の歴史を知り、守護壁が実在していたことを知ったライですが…?
【 第七十六話 禁断の場所 ① 】
「へえ〜、ふうん、それがライの近衛指揮官服かあ…」
俺の頭の上から爪先まで、眺めるようにして見ると、ジャンは生意気に顎に手を当てて〝すげえ格好いいじゃん〟と褒めた。
「そうか?…褒められてもあまり嬉しくはないんだがな。」
俺はマリナを抱き上げたまま苦笑して答える。俺の後ろに立っていたトゥレンはほんの一瞬眉を顰めてジャンを見た。
トゥレンが今なにを考えたのか俺にはわかる。子供が相手だというのに、ジャンが俺を呼び捨てにしたことが気に入らなかったんだろう。
ルクサールから引き上げる際に、俺はジャンと〝ある約束〟をして対等な友人になった。
元々ジャンはあの見捨てられた街の中で、貧しく暮らす老人達や幼い子供達を影で助け、困ったことがあれば隣街のロックレイクや時に王都まで出て来ては問題を解決する、と行った中心的存在を熟していたらしい。
その多くは犯罪紛いのスリやこそ泥、騙されたことに対する殺しを含まない仕返しなど、決して褒められた行いではなかったようだが、それでも住人に頼られ慕われるのには十分すぎる理由だ。
言うまでもないが、ルクサールの住人は皆あの男と王国軍人を嫌っている。街があんな状態になったにも関わらず、あの日救助に駆け付けた王国軍とルクサールの住人達の間では揉め事になっていた。
住人達が反発して国の救助を受け入れようとしなかったためだ。
それを説得して老人や子供達を纏めたのはジャンだ。ジャンは俺が一般軍人ではなく、王宮近衛指揮官だと知ると酷く驚いていたが、俺個人を信じると言ってくれて、支援を受け入れることに決めてくれたのだ。
その時俺は、もうこれ以上ルクサールの人々を苦しめないことを約束し、ジャンには彼らの代表として俺との橋渡しを頼むことにした。
以降ジャンは俺をライ、と呼ぶようになり、俺はそれを当たり前に受け入れている。
「なにも問題はないか?」
ざっと部屋を見回したが、室内は清潔で一通りの家具も揃っており、子供達の衣服も箱に十分な量が詰められていて、普通に暮らせるだけの設備が整っているようだった。
「うん、大丈夫だよ。あ、そうだライ、これ…持ち主に返しといてくれるか?悪かったって、謝ってさ。」
そう言ってジャンが俺に差し出したのは、戒厳令時に臨時発行された軍の身分証明カードだ。
「よく見たらそこにライの名前が書いてあんじゃん?さすがにまずいかなと思ってさ。」
〝悪用はしてねえから〟と少し申し訳なさそうな顔をして、ジャンは人差し指で鼻を擦った。
「ああっ!それはウェンリー君の盗まれた身分証明カード!?まさかあの時の子供のスリとは…君か!!」
どうもジャンは国際商業市が開催された時、食費を荒稼ぎするためにスリ目的で王都に来ていたらしいのだが、戒厳令で外に出られなくなり、軍施設を出て来た民間人から財布を盗んだのだそうだ。
大きな声を出し騒ぎ立てたトゥレンをうるさいと窘め、盗難届が出ているのならこれはもう無効になっているから問題ないと説明し、俺の方で処分することにした。
その辺に捨てるか処分してしまえば良いものを、俺にわざわざ返してくるところがジャンらしいと言うか…
今後暫くの間は食べる物に困ることもなくなるだろう。王都には働き口もあることだし、盗みを働く必要もない。この機会にけじめを付けると言う意味があるのかもしれないな。
「そんで?ライ…俺達に会いに来てくれただけ――ってことはねえよな、軍服で来てんだから。」
両手を腰に当ててジャンがヘイデンセン氏を呼んだ。
「マリナ降りろ。じいちゃん、ライがあの話を聞きに来たよ!」
俺がなにか言う前に用件を察したジャンは、俺からマリナを受け取り、傍にいたネイ達にも俺から離れるように言うと、仕切り用の衝立の向こうを指差して、じいちゃんはあっちにいるから、と俺を促した。
俺はジャンに礼を言ってトゥレンを伴い、ヘイデンセン氏の元へと向かう。
「――待っておったぞ、黒髪の鬼神。さすがに早いな。」
テーブルの椅子に座り、古びた手帳や何冊かの帳面を用意して俺を待っていた彼は、険しい顔をしてそう言った。
「ああ。あれらが目覚めた以上、急いだ方が良いと思ったからな。」
目の前に座るよう言われた俺は、粗末な木製の椅子に腰を下ろす。トゥレンは立ったままで良いと断り、俺の右背後に後ろ手を組んで軍人らしい姿勢を取ると、こんなところで護衛でもするかのように背筋をビッと伸ばした。
「時間が惜しい、早速だが話を聞かせて貰おう。」
――ジャン達の様子を確かめる他に、『ここから無事に脱出できたら』とルク遺跡で約束を交わした通り、俺は今日ここに、守護壁とはなんなのか、本当に存在していたのか、ヘイデンセン氏にその話を聞きに来たのだった。
「うむ、長くなるぞ。エヴァンニュに来る前はファーディアにいたそうだが、この国の古代戦争期…つまりは建国当時とそれ以前の歴史について、どこまで知っておる?」
「殆ど知らないと言った方が良いな。学校には通っていたが生活が苦しく、十三で守護者になってからは仕事の方を中心にしていて、勉強はあまりしていなかった。」
「…そうか、ではわしが調べて来た知られざるこの国の過去について、先ずは話そう。」
そう言ってヘイデンセン氏は、手にした史料を見ながら静かに話し始めた。
――その昔…今から千年以上も前、フェリューテラは一時期全ての生物が滅びに瀕するような大災害に見舞われた。
それはこの地に生きる人間の全く知らないところで突然始まり、それを招いたのが『災厄』と呼ばれる災いの化身だったと言われている。
大災害の前、エヴァンニュがまだ前身『アガメム王国』であった頃、この辺り一帯は現在のような荒れた大地ではなく、自然豊かな深く広大な森に覆われていた。
そして人間と獣人族と呼ばれる半獣の異種族とが、領土を二分して各々の国を形成していたようだ。
その人間が暮らす地域を『アガメム・アルフィネア』、獣人族が暮らす地域を『ガルフィデア獣国』と言った。
両国の異種族間での表立った交流はそう多くはなく、国を治める者同士が手を取り合うことこそなかったが、それでも暗黙の内に互いの領域を侵さず、永い間静かに平穏な暮らしを送っていたという。
ところが世界が大災害に見舞われ混乱に陥ると、アガメム・アルフィネアの人間は獣人族達を敵視し始めた。言うまでもないが、その大災害とは天災を含む、魔物の増加と凶悪化である。
獣人族は元々獣に変化する人種で、その外見も特徴的な獣の一部を持ち、アガメム王国の古文書には『魔物に最も近い凶暴な異種民族』と残されていたそうだ。
実際にはそのような事実は否定されているが、結局そんな誤った認識が原因で魔物同様の凶悪な種族として忌み嫌われるようになり、遂には『迫害戦争』が始まったという。
だがその迫害戦争当時、アガメム王国の第一王女『マリーウェザー』とガルフィデア獣国の長の息子『シルヴァンティス』は、人と獣人として敵対関係にありながら結婚を約束していた恋仲であり、二人は協力して戦争を止めようとしたのだが、アガメム王国側の策略で獣人族の長が命を落としてしまい、停戦は叶わぬものとなってしまった。
やがて追い詰められた獣人族はアガメム王国だけでなく、諸外国からも兵を差し向けられ完全に逃げ場を失った。獣人族にとってそんな危機的状況だった時、戦況を覆して彼らを救い、最終的には安住の地へと導いた人物がいた。
それが『守護七聖主』と後に呼ばれるようになった、自らを『太陽の希望』と名乗る救世主の存在だ。
その救世主は圧倒的で不思議な力を持ち、彼によって安全な場所へ脱出したと思われる獣人族は、以降忽然とフェリューテラから姿を消してしまう。ただ一人、長となったシルヴァンティスを除いてだ。
守護七聖主に一族を救われた長のシルヴァンティスは、その恩に報い、大災害に見舞われた世界を救うため、救世主の仲間となって共に戦うようになったと言う。
そして彼らは諸悪の根源を倒し、世界に大災害を齎した災厄は何処かへ封印された。
「その封印場所は完全に秘され、世に知る者はただの一人もいなかった。それが実はどこにあったのか…あんたにはわかるだろう。」
ヘイデンセン氏はルク遺跡でのことを、トゥレンに聞かせるべきかどうか躊躇っているかのように、遠回しな言い方をした。
俺は黙って頷く。実は俺もまだイーヴ達に、ルクサールでのあの出来事を話してはいなかった。だからこそ原因不明の炎上事件として、その調査をイーヴとヨシュアに命じたのだ。
「これがこの国で隠されて来た建国時の知られざる歴史だ。考古学的な調査を重ねて古文書を分析し、古代文字をコツコツと解読してわしが得た…な。だが60年近くも研究してきたというのに、わしは〝あれ〟が封印だったとは気づかなんだ。」
「――……」
あれ、とはあの不気味な剣の封印のことか…
今思い出しても身体が竦む。…あの得体の知れない恐怖は、一度味わえばもう十分だ。
「ジャンの話では当初、壁に刻まれた彫刻のようだったと聞いたが…」
「そうだ。一見すると単なる浮き彫りの壁画のようにすら思えたぐらいだ。わしは調査をしてはいたが、あれには一切触れておらん。」
つまり封印には見えないような、封印の仕方がされていたと言うことか。
「実はエヴァンニュには、ルク遺跡以外にも数多くの古代遺跡が存在しているのを知っているか?」
「いや…初耳だ、そうなのか?」
「うむ。それらのいくつかは未だに未調査で、誰も足を踏み入れたことがないと言われておる。文献によるとそれら未発掘の遺跡は、内部に強力な魔法による封印がかけられており、それをさらに強化するように、『あるもの』が補助的な役割を果たしていると記されてあった。それが――」
俺が知りたがっていた『守護壁』のことなのだ、とヘイデンセン氏は言った。
『守護壁』とは、エヴァンニュの複数箇所に設置された『護印柱』と呼ばれる特殊な障壁発生装置によって、エヴァンニュ王国全土をすっぽりと包み込むように張られた、魔法の防御壁のことだという。
その壁は視認できず、触れることも出来ないのだが、強力な力を持つ魔物や、悪しき存在を弾き、内部の魔物を弱体化させるほどの加護を永年エヴァンニュに齎していた。
その期間はなんと千年にも渡るらしい。
「元より災厄は、エヴァンニュの加護が消え去った後にやって来ると言われていた。順番通りだとすれば、守護壁が消滅したことで封印が弱化し、あれが出現したと言うことになる。」
「やはりそうなのか…!聞いたか?トゥレン。この国に守護壁は確かに存在していた。だからこそこれまでこの国は魔物の被害が少なく、安全に暮らせていたのだ。」
「はい、ライ様が仰っておられた通りだったのですね、驚きました。」
背後に立つトゥレンの顔を見上げて俺は思わず声を上げた。
「だとすれば希望がある。その護印柱を探し出し、守護壁が消えた原因を探れば、また以前のようにこの国を安全な状態に戻せるかもしれん。」
「朗報ですね、早速国王陛下にご報告して近衛の調査隊を各地に派遣しましょう。」
「いや、それは絶対にだめだ。」
「え…なぜです?ライ様。」
「その話は後だ、トゥレン。」
話を聞いた直後の俺を、じっと観察するかのように見ていたヘイデンセン氏は、彼に向き直った俺を見て目を細めた。
「――なるほど、どうやらあんたはわしが思っていた以上に、頭の柔らかい男のようだ。王国軍の最高位にある人間が、あの狡猾な国王に隠れて行動を起こそうと考えるとはの。」
さすがにヘイデンセン氏には見抜かれたか。だが当然だろう、あの男は意図的に考古学を排除してきた。今ならわかる、それは明らかになにかを知っていて、わざとそうしているのだ。
ならばもしトゥレンが護印柱のことを報告したら、調査隊を派遣どころか俺達が謹慎処分にされかねん。いや…あの男なら必ずそうするだろう。
「調査に向かうのなら少人数で動き、日を開けずに急いだ方が良いな。その護印柱がどこにあるのかわからないのではあまり時間がない。」
「…護印柱の在処なら一箇所だけわしが知っておる。」
ヘイデンセン氏は険しい顔をして続けた。
「それはこの王都の地下深くだ。」
――ヘイデンセン氏との話が終わった後、俺が部屋を出ようと立ち上がると、待ちかねていたかのようにジャンが声を掛けてきた。
「話は終わった?すぐ帰んのか?」
「ジャン…ああ、色々とやることがあるからな。」
がっかりした顔で肩を落とし俺から視線を逸らすと、諦めきれないのかジャンは少し小さな声で続けた。
「そっか…二人きりで話したいことがあったんだけど、時間ない?」
「いや、少しぐらいなら大丈夫だぞ。トゥレン、先に城へ戻っていろ。」
「ライ様、ですが…!」
「今はイーヴもヨシュアもいないんだ、なにかあると困る。なるべく早く戻る、近衛の方は任せたぞ。」
「――…承知しました、本当に早く戻って下さいよ?」
渋面をしながら不承不承そう言うと、トゥレンは俺を置いて部屋を出て行った。
あいつにしては意外にもすんなり言うことを聞いたな、と少し驚く。
「この後俺はこの近くにあるギルドに行こうと思っているが、一緒に来るか?」
「えっ…いいのか!?」
「ああ。話は歩きながら聞こう。」
ジャンは大喜びでネイ達に留守番を頼むと、ヘイデンセン氏に俺と出かけることを告げてから頭に帽子を被り、上着を羽織って走って来た。
「お待たせライ!行こうぜ。」
≪ …まさかこんなに喜ぶとは思わなかったな。≫
何気ない思いつきから出た言葉で嬉しそうに破顔するジャンを見て、俺は目を細めた。
避難施設を出て通りを歩き出すと、上機嫌で横を歩くジャンに、俺に二人きりでなにを話したかったのかを尋ねる。
「それでどうした?悩み事か?」
「あ…そんなんじゃねえんだけど…ただライに聞きたいことがあって…」
「なんだ?」
歯切れの悪い言い方をして目を逸らすジャンに、なにか聞きにくいことを俺に尋ねたいのだと言うことは薄々気がついた。
「あの、さ…ライはどうしてエヴァンニュの軍人になったんだ?」
――ああ、なるほど…ジャンにしてみれば、俺がファーディア出身で守護者の資格を持ちながら、なぜ他国の軍人になったのかと疑問に思うのは当然なのかもしれないな。
「…聞いてもあまり楽しい話ではないと思うぞ?」
それでも聞きたいのか、と言ったが、ジャンはうん、と返事をして大きく頷いた。
「――そうだな…まず始めに、俺がこの国に来たのも、この国の軍人になったのも、俺が自分から望んだことではなかったということは言っておくか。」
俺はジャンに自分の生い立ちから、エヴァンニュに来ることになった経緯と、レインやマイオス爺さんのことなど、俺があの男の息子だと言うことだけを除いて話して聞かせた。
「そのライのお爺さんは、今でもファーディアでライの帰りを待ってんのか?」
「……いや…少し前に死んだ。恐らくはずっと俺の帰りを待ちながら、たった一人でな。育てて貰っておきながら、俺は酷い家族だったと思うよ。」
最近はリーマのことが中心で大分少なくなったが、今でもマイオス爺さんと暮らした日々を思い出すことがある。病に冒され、不自由になった身体で俺に毎日食事を作ってくれ、皺だらけになった荒れた手で俺の頭を撫でてくれた。
どんなに貧しくても、大切にされている家族としての愛情をいつでも感じられて、俺はレインがいなくなった後も孤独を感じずに済み、幸せだったと思う。
「そんなことねえって。けどその…ライを無理矢理エヴァンニュに連れてこさせた親父さんは、ライのことを少しは考えてくれねえのか?」
「――違う。」
「え?」
「父親ではない。俺の父親は…行方不明になった養父のレインただ一人だけだ。」
ジャンにむきになって否定しても仕方がないことはわかっている。だがそれでも、こんな会話の中でさえ、あの男を父親だと言われることは耐えられなかった。
「ふ…はは、なんか…安心した。ライでもそんな顔するんだな。」
いきなり笑い出したジャンに驚いて問い返す。笑われるようなことを言った覚えはないんだが。
「?どんな顔だ?」
「自分の思い通りにならなくて悔しいって顔さ。」
〝俺は今そんな顔をしていたのか…〟そう思い、思わず自嘲する。
「ああ…自分の人生でも思い通りにならないことなど当たり前のようにある。だがそれでも俺は抗う。俺が俺であるためにも、あの男の思い通りにはなるものか。俺は毎日そんなことを考えながら生きているんだ。…幻滅しただろう?」
「ははっ、まさか。逆に益々好きになったよ。決めた、やっぱり俺…あんたに剣の扱い方を教わりたい。あんたみたいに守護者としてじゃなくっても、マリナ達を守れるようになりてえんだ。」
そう言うとジャンは真剣な目で俺を見て、王都に来ても気が変わらなかったら教えてくれるって言ったよな?と言い放った。
確かにそうは言ったが、守護者になりたいと言うから他の仕事があることを知っても、と付け加えていなかったか…?
……まあいいか、約束は約束だ、基礎訓練に音を上げる可能性もある。ジャンにとって最良の方法を俺なりに考えることにしよう。
「――わかった。少し時間を貰うが、約束したしな。」
「やった!!」
「喜ぶのはまだ早い。お爺さんの許可を貰わないとだめだし、おまえはとにかく沢山食べてもう少し体力を付けろ。身体も十五には見えないほど痩せていて小さいが、食事さえまともに取れればまだ大きくなれるはずだ。」
「わかった、ガンガン食べてしっかり成長するよ。へへっありがとうな、ライ!」
「ふ…」
俺は嬉しそうに笑うジャンの頭をくしゃりと撫でた。
それから俺達は二重門に最も近い魔物駆除協会へ向かった。
俺がジャンに一緒に来るか、と言った理由はギルドの守護者専用フロアを見せてやりたかったのと、もう一つはここに来た目的にある。
「ヴァレッタ・ハーヴェル?根無し草のリーダーか、昨日Aランクの依頼を一つ終えたばかりだから、二、三日休むって言ってたよ。」
「そうか…彼女が普段どこにいるか知らないか?」
専用フロア内で、依頼票の掲示板を見ていた守護者らしき若い男に、俺はここへ来た目的…あのヴァレッタの行方を尋ねた。
「うーん、家はどこか知らないけど、夕方を過ぎれば多分下町のアフローネって酒場にいるんじゃないかな。お気に入りの店なんだって話してるのを聞いたことがあるから。」
アフローネ…リーマの店か。
俺は守護者に礼を言ってその場を離れると、壁に掛けられた時計を見た。
「――少し早いか…」
リーマのところに寄るぐらいの時間はありそうだな。
「ライ、ヴァリー姉を探してんのか?」
「そうだ。彼女に仕事を頼もうと思ってな。」
ジャンを促し階段を降りながら質問に答えると、眉を顰めてジャンはさらに尋ねる。
「ひょっとして爺ちゃんとさっきしてた話と関係ある?確か、護印柱…だっけ?ライはそこに行くつもりなんだろ?」
「こら、盗み聞きしていたのか。」
「いやいや衝立しかねえのに、聞くなって方が無理だって!」
「まあそうか…そうだな、お爺さんの話だと永い間閉ざされたままで内部の様子もわからない、かなり危険な場所のようだからな。信頼できる守護者に同行を頼もうと思っているんだ。」
ジャンが言った通り俺は、準備が整い次第明日にでもすぐに、この王都の地下深くにあると言う『護印柱』のある場所へ行ってみようと思っていた。
だがルク遺跡でのことでほんの少し反省した俺は、自分だけの力でなんとかしようとせず、きちんと腕の立つ護衛を雇うべきだと考えた。
もし王都にルーファスがいたら、都合を付けて貰ってでも直接依頼したかったところだが、ギルドに尋ねてみたが残念なことに、彼はあれきり王都を訪れてはいないようだ。
後は俺が知る信頼できる守護者と言えば、ヴァレッタがリーダーを務めるパーティーしかいない。
≪そう言えば窓口の受付嬢が少し気になることを言っていたな。リカルド・トライツィが体調不良で長期休養に入ったとかなんとか…≫
窓口でルーファスのことを尋ねたら、受付嬢が独り言のようにそう呟いたのが聞こえたのだ。
確かルーファスはリカルド・トライツィとパーティーを組んでいると、イーヴ達から聞いたような気がするのだが…なにかあったのだろうか?
そう気にしたところで、はた、とあることに気づき苦笑する。…俺は一度もまともに話したこともない相手だというのに、なぜこんなにもルーファスのことを考えているのか。
彼はレインかもしれない。だが違うかもしれないのだ。それを確かめるには直接会って話をしてみるしかないのだが…
――止めよう、今こんなことを考えても会えるわけではない。とにかく先に護印柱の方を…守護壁さえ元に戻れば、近衛の仕事にも余裕が出来るはずだ。
そうしたら王都から離れ、ヴァハの村に彼を訪ねることも可能になるだろう。
俺はジャンを連れたまま歩いて下町へ行き、リーマの部屋の扉を叩いた。ジャンは薄暗いアパルトメントの建物に、なにしに来たのかと訝しんでいたが、すぐにわかる、とだけ言って静かにするように合図をした。
まだ出勤前の時間で部屋にいたリーマの声が、すぐに聞こえて来る。
「俺だリーマ。」
慌ただしく部屋の中を動く音と気配がして、ものの数秒もしないうちに扉が開いた。ルクサールへ行く前にも会っているのに、彼女のその笑顔を見て俺はホッと安堵する。
「ライ…!お帰りなさい!!あら…?」
リーマはすぐに俺の横にいたジャンに気づくと、不思議そうに小首を傾げた。
事情を話してジャンも一緒に部屋へ入れて貰った俺は、いつものように着ていた薄いマントと制服の上着を脱ぐと、ついリーマに手を伸ばしそうになるのをぐっと堪え、椅子に腰を下ろした。
さすがに子供の前で手を出すわけにはいかないからな。
「はあ…ライの、恋人…リーマさん…ライって彼女いたんだ…?」
呆然とした顔でその口を大きく開け、〝しかもすっげえ美人だし〟とジャンはジト目で俺を見た。
「俺に恋人がいたらおかしいのか?」
「おかしかねえけど…意外だったっつーか?…あの堅物そうな部下さん達は知ってんの?なんかこういうことにもうるさそうだけど。」
「…ヨシュアは俺と同じく下町に婚約者がいて、リーマのことも知っている。が、イーヴとトゥレンには一切知らせていない。あの二人にはまだリーマのことを言えない事情があるんだ。」
秘密なんだ!と目を輝かせてにやけたジャンに、揶揄うな、と頭を小突いた。
それから他愛のない歓談をして一時間ほどを過ごし、リーマの出勤に合わせて部屋を出ると、俺達はそのままアフローネに向かった。
俺は一応あまり目立たないように近衛の上着は脱いだまま、マントだけを羽織って酒場に入る。
子供連れで入った俺にギョッとしたウェイターは目を丸くしたが、俺に気づくとなにも言わずに奥の方の席に通してくれた。
本来こんな大人が来る店に、子供を連れて来るべきでないことはわかっていたが、ジャンをヴァレッタに会わせてやりたかった俺は、食事目的で注文をし、ジャンに好きな物を食べさせた。
すると暫くして彼女が店に入ってくる。ギルドで聞いた情報は確かだったようだ。
「あんれまあ…こりゃまた、意外なところでまた意外な人物に会うよ。家で引っかけてから来たせいで、もう酔っ払っちまってんのかねえ?あはは」
俺に気づいたヴァレッタは、ふらふらと少し酔ったようなふりをして、俺に撓垂れかかってきた。
「あはん♥今日もいい男だねえ、黒髪の鬼神。あんたでもこんな下町の酒場に来ることがあったのかい?」
「おまえに用があって探していた。ギルドでこの酒場に良く来ると聞いたから待っていたんだ。」
ヴァレッタは俺の肩に右手をかけて、その額をコツンと二の腕の辺りに当ててくる。これは…あからさまに俺を誘っているな、と苦笑する。
夜の酒場だ、そういう男女の付き合い方があることは知っているが…
「あたしに用?もしかしてデートのお誘いかい?なんだったらこのままあたしのメゾネットでしけ込んでも良い――」
「おい…!」
ジャンの前でなんてことを言うんだ…!!
酔っていて気づいていないのか、子供の前でとんでもないことを言うヴァレッタに、俺は慌ててその言葉を遮った。
「ヴァ、ヴァリー姉…」
ジャンはこんなヴァレッタの姿に、ガーンと酷い衝撃を受けたような愕然とした顔をして口をあんぐりと開けた。
「ん…?な、ななな、ジャジャジャ、ジャン坊!?なんでここにっっ!?」
ようやく正気に返ったヴァレッタは、ガタガタガタン、と大きな音を立てながら慌てふためいて、椅子にきちんと座り直した。
須臾後、間を置いて気を取り直したヴァレッタは、一気に酔いが覚めたと言って笑って誤魔化す。正直に言って、もう遅いと思うのだが――
「あ、あはは…久しぶりじゃないか、ジャン坊。元気だったかい…?みっともないところを見られちゃったねえ…。」
「俺は元気だけど…ヴァリー姉、ライのことが好きだったのか?しけ込むって…あれって意味だろ?」
「ちょっと!!」
真っ赤な顔をして両手で否定し恥じらうヴァリーは、直後に俺の腕を掴んで助けを求める。
「巻き込むな!自業自得だろう、おまえのせいだ。俺は知らん。」
「だだだってさあ、ここは下町の酒場だよ!?子供がいるなんて微塵も思わないじゃないかっ!!」
〝第一、あんたしか目に入ってなかったし〟、と顔を赤らめてヴァレッタは小さく言い訳をした。…どこまで本気で言っているのか、返答に困る。
「ライってモテるんだな。通りを歩いてると綺麗な女の人とかからの視線が物凄えし、まさかヴァリー姉まで落としてるなんて…びっくりだ。」
「こらジャン、人聞きの悪い言い方をするな、俺は無実だ。」
「ええ〜?」
「そ、それはそうと、あたしを探してたって…なんの用だい?」
上手い具合に逃げて話をはぐらかしたヴァレッタのおかげで、ようやく本題に入れる。
「ああ、仕事を頼みたいんだ。急だが、出来れば明日にでもすぐにだ。」
「また随分いきなりだね。緊急なのかい?」
仕事の話だ、と言った途端にその目つきが一変する。優秀な守護者は彼女のように、仕事と聞いた瞬間に『守護者』の顔になる。尤も、それが信頼できる守護者の証でもあるのだ。
「緊急だ。場所などの詳細は引き受けてくれるのなら話す。依頼ランクは『アンノウン』。俺個人からの護衛が主な仕事だ。もちろん俺も危険を承知で戦闘には参加する。報酬は出来る限り希望に添うだけの金額を出そう。考えて貰えるか?」
俺個人からと聞いてほんの一瞬目を見開いたヴァレッタは、すぐに値踏みするように目を細めて興味を示した。
「へえ…あんたからの依頼かい。ねえ、報酬は金じゃなくても良いのかい?」
「?…別に構わないが…俺に支払いが可能な対価ならいいぞ。」
「もっちろん、あんたじゃなけりゃだめさ。」
…?俺でなければ、だめ…?
なんだか嫌な予感がした俺は、妙な報酬は支払えないぞ、と言おうとしたが、その前にジャンが叫んだ。
「あっわかった!ヴァリー姉、ライに身体で支払わせようって考えてんだろ、だめだよ、ライには恋人がいんだから!!」
「ジャン、いくらなんでもそんな要求をするはずが…」
「うっそだろう?やだあ、嘘だって言っておくれよぉ…恋人がいる?そんな素振り、微塵もなかったじゃないかい…!」
そう言ってヴァレッタは突然テーブルに突っ伏した。
「おい、冗談は止せ。ふざけている場合ではないんだ。」
「…はあ、わかったよ、諦めるよ。…仕方ない、他の報酬に変えるか。」
――おい!!
顔を上げたヴァレッタは、悪びれもせずにそう呟いた。
ふざけたような会話はここまでで、以降俺達は真剣に仕事の話に入る。ヴァレッタはパーティーメンバーにすぐに高価な共鳴石で招集をかけると、一度顔を合わせたことのあるメンバーの他に、もう一人副リーダーだという屈強な男性をアフローネに呼び出した。
ジャンは思いも寄らぬ根無し草のメンバーとの再会に喜び、彼らに頭を撫でられてすっかりただの子供に戻っていた。
そして肝心な仕事の話だが…
「オーケー、スコットとライラ、ミハイルは今回除外だね。」
「すまないリーダー、明日はどうしてもユーナの幼年学校入学の面接があって…俺が行かないと無条件で弾かれるんだ。」
双剣使いの男性だ。…幼年学校にこれから入るような小さな妹がいるのか。だが兄が面接を受けると言うことは…親がいないのか?
「いいって、急だったからね。家族の方が大事なのは当たり前さ。」
スコットは申し訳なさそうに頭を下げていた。
「ライラとミハイルは親御さん達に、結婚の許可を貰いに行くんだったよね。しっかり挨拶して、認めて貰うんだよ?応援してるからさ。」
「すみませんリーダー、何度も頼んでようやく会って貰えることになったので、これを逃すと多分、俺らはもう両親に許して貰えない可能性が高くて…」
「ごめんなさい、ヴァリー!」
「ああ、良いって良いって。」
ヴァレッタはライラという弓使いの女性を優しく宥めていた。…なんというか、まるで家族のようなパーティーだな、と見ていて思う。
結果、仕事を引き受けてくれることになったのは、リーダーのヴァレッタと、副リーダーのフォションの二人と言うことになった。
「悪いね、黒髪の鬼神。あたしとフォーだけだけど、それでも良けりゃ引き受けたよ。」
「ああ、よろしく頼む。」
今回の仕事に参加しないメンバーを帰し、その後で詳細を話すと、副リーダーが手早く契約書を作成し、注意事項と概要を書き込んで行った。
ヴァレッタは見た目通り細かい作業が苦手らしく、副リーダーは見た目に似合わず細かい作業にはとても慣れた様子だった。
俺は差し出された契約書の内容を確認し、それにサインをして手渡す。
「これで契約成立だよ。」
「ギルドへの届け出はこちらでやっておく。…良かったな、ヴァレッタ。報酬欄の備考には気づかれなかったようだぞ。」
「うんうん、恋人がいたって、このぐらいの役得があっても許されるよねえ〜♥」
「――………なに?」
ヴァレッタのほくそ笑む姿に、慌てて契約書類の控えを確認すると、俺が見逃していた報酬欄の備考に、よく見ないと見えない、小さな汚れのような文字で追記がされてあった。
――無事依頼完遂の際は、ライ・ラムサスこと黒髪の鬼神は、ヴァレッタ・ハーヴェルこと根無し草のリーダーに熱い接吻をすること。
「おい!!これはなんだ!?」
「ヴァレッタが希望した成功報酬だ。あんたも男だろう、このぐらいで狼狽えるな。」
「なっ…」
ドッシリと構えた大剣使いの副リーダー、フォションに哀れみの混じった同情からの笑みを向けられ、俺はその場で絶句するのだった。
次回、仕上がり次第アップします。




