74 海竜リヴグスト
ギルドでアテナの資格試験を申し込み、緊急討伐依頼を引き受けたルーファス達は、その討伐対象の海獣と戦っている王国軍近衛隊のイーヴ・ウェルゼン達を見つけました。苦戦していた彼らを助けるために、アーケロンを倒した後でルーファスは、ウェルゼン副指揮官に近付き話しかけますが…
【 第七十四話 海竜リヴグスト 】
ウェンリーとアテナが合流する前に、シルヴァンと二人で緊急討伐対象の水棲海獣アーケロンを倒し、いつものようにスキルで戦利品を回収すると、俺は二人が負傷した近衛兵の手当てをしている場へ向かった。
思っていた以上に怪我人が多く、アテナには治癒魔法を使用する許可を出していなかったため、応急手当にも時間がかかっていた。
なぜアテナに治癒魔法を使わせないかというと、俺の持つ回復魔法は(かなり前にも説明したが、アテナは俺の魔法を俺の魔力を使って使用している)非常に効果が高く、病気や怪我を一瞬で完全に治してしまうからだ。
エヴァンニュ王国には魔法を使用できる人間が殆どおらず、当然高位の治癒魔法士もいない。そのため基本的に病気や怪我は病院で治療し、薬を使って少しずつ治すのが当たり前になっている。
そんな中で俺やアテナが、王国軍人相手に効果の高い治癒魔法を使用したらどうなると思う?王族や国の中枢にいる重鎮などが重い病気や大きな怪我をする度に、助けを求められて呼び出されることになりかねない。
実際外国では、治癒魔法士という専門職があり、その職にあるものはエヴァンニュで言うところの病院に当たる組織に名前を登録して所属し、大規模災害や戦争にさえ駆り出されているという。
一応通常の医療も併用しての治療も行われているらしいが、効果の高い治癒魔法なら時間をかけずに治せるために、高額を支払ってでもそちらに頼るものが多いと聞く。
そういう職が成り立っている国ならばそれはそれでいいと思うが、俺達は治癒魔法士じゃないし、それの専門職に就くつもりもない。
況してや俺が魔力の際限なしに回復魔法が使えるとなれば…考えただけでも恐ろしいことになりそうだ。
そう言った懸念もあって俺は、パーティー結成の機会にいくつかの規則を作り、その中で緊急時以外、他者への治癒魔法はあまり使わないことに決めたのだ。
――と言うわけで、ウェンリーとアテナには通常の応急手当をして貰っている。
「ウェルゼン副指揮官…怪我はありませんか?」
俺はイーヴ・ウェルゼンの元へ行き、自分を後回しにして部下の手当てを優先している彼に声を掛けた。
「大丈夫だ、私は大した傷はない。感謝する、ルーファス・ラムザウアー殿。貴殿らが駆け付けてくれなければ危ないところだった。」
相変わらず表情のあまり変わらない生真面目な人だな、と思う。
俺は以前この人に〝名前で呼んでも構わない〟と言って、ウェンリーのように、もう少し親しみを持った付き合い方をしようとしたのだが、黒髪の鬼神…ライ・ラムサスに近付こうとして警戒心を抱かれ、失敗している。
「いえ、俺達も仕事ですから。ところで近衛隊がなぜこんなところに?」
もしかしてルクサールの事件が関係しているのかな?確かリカルドが王国軍の救助隊が向かっている、と昨日の朝言っていたような気が…
「我々は一昨日から昨日の未明にかけて起きた、ルクサール炎上の原因調査を行うために、この二日間ルクサールに滞在していたのだが、街中に…と言っても最早廃墟なのだが、とにかくそこに多くの魔物が現れるようになったため、王都へ引き上げるところだった。」
その帰路の最中、徘徊していたアーケロンに遭遇して襲いかかられたために戦うことになった、とウェルゼン副指揮官は説明してくれた。
ああ、やっぱりルクサールの件が絡んでいたのか。調査隊と言うことは、救助隊は先にもう引き上げたんだな。
「ルクサールは侵入防止の外壁がなくとも、魔物は侵入しないと聞いていたのだが…」
彼は環境が変わったことに首を傾げ、その理由がわからずに眉を顰めている。
これはあくまでも俺の推測だが、ルクサールの街の奥にあるルク遺跡には、長年カラミティとマーシレスが封印されていたため、魔物はその気配を恐れ、単に近付かなかっただけなのだと思う。
今はもうそれがなくなり、街そのものも消えたため、魔物を遮るものはなにもなくなってしまったのだ。
「それは多分、もう以前の話でしょうね。焼け落ちて廃墟になった以上、ルクサールは周囲の魔物に飲み込まれます。恐らく復興するのはかなり難しいんじゃないかな。」
徘徊し始めた魔物を全て駆除しても、外壁を一から作り直し、そこに街を立て直すのは相当な時間と労力、そして資金がいる。
魔物が凶悪化した今となっては、いつどこで変異体が発生するかもわからず、魔物を排除するだけで相当な苦労を強いられるだろう。
元々見捨てられた街だと噂のあったルクサールを、そこまでして国が復興するとは思えなかった。
「――そうか…残念だがラムサス閣下には貴殿の意見として、そう言う話があったことを報告しておこう。」
ウェルゼン副指揮官は俺の話を真剣に受け取り、そう言ってほんの少し残念そうな声を出した。
ラムサス閣下…黒髪の鬼神か。
「そのライ・ラムサス近衛指揮官は…今日は一緒ではないんですか?パスカム補佐官の姿も見えませんが。」
ウェルゼン副指揮官の口からその名前が出たことで、この機に気にかかっていた黒髪の鬼神の様子を聞くことにした。
あの時はなぜあんな大怪我をしていたのかわからなかったが、これまでの状況を整理したことで俺は、恐らくライ・ラムサスはカラミティとマーシレスによってあの大怪我を負わされたのだろうという結論に至っていた。
もしかしたら彼は本能的な危険を感じて、封印から解き放たれたカラミティとマーシレスを遺跡から出さないように、戦って止めようとしたのかもしれない。…そんな気がした。
「閣下と補佐官は、ルクサールの住民に避難して無事でいた生存者が多くいたので、救助隊を率いて昨日のうちに王都に帰還した。」
「ああ…」
そうか、それなら良かった、あの後ライ・ラムサスは無事に目が覚めて、動けるようになったんだな。
俺は気になっていたことが一つ消えてホッと胸を撫で下ろす。ところが…
「――閣下と補佐官がなにか?」
なんのことはない質問をしたつもりだったのだが、即、ウェルゼン副指揮官に聞き返されて俺は思わずドキッとした。…なんというか…鋭い。
もしかしてライ・ラムサスの無事を知ってホッとしたのが、俺の顔か態度に表れていたのか?
「いえ、他意はありません。」
…怖い人だな。下手になにか口に出すと根掘り葉掘り突っ込まれそうだ。余計なことは言わないように気をつけよう…。
まさか俺がライ・ラムサスを治癒魔法で助けたなんてことに気付くはずもないとは思うが、ウェルゼン副指揮官の俺を見る視線はとても鋭く、戦々恐々としながらなにか言われる前に退散しようと心から思った。
「ルーファス、近衛兵の応急処置は終わったようだぞ。我が持っていた予備の液体傷薬を十本ほど買い取るそうだ。」
「ああ、わかった。」
「重ね重ね感謝する。ルクサールで思った以上に隊が苦戦して、薬の類いを使い切っていたので本当に助かった。」
「いえ、お気になさらず。」
「あ、イーヴさん!イーヴさんは大丈夫でしたか?無事で良かったです。」
「ウェンリー君。」
シルヴァンがウェンリーと一緒に俺の元へと歩いてきた。その後ろにはアテナもいたのだが…アテナはシルヴァンの後ろに隠れるようにしていた。
ああ、そうか…ウェルゼン副指揮官には一度、ラーンさんのところでアテナを召喚して見せたことがあるんだった。
鋭い人だからアテナの名を呼べばすぐに気付くかもしれないな。まあ…なにか聞かれたところで答えるつもりはないが。
ウェンリーはウェルゼン副指揮官に対して親しげに話しかけ、守護者になったことと、俺達が『太陽の希望』の名でパーティーを結成したことを、嬉しそうに教えていた。
ウェルゼン副指揮官の方もウェンリーのことは名前で呼び、その表情もどことなく和らいでいるように見える。その態度の違いから、俺のことは未だに不審人物として警戒しているのかもしれないと思う。
王都で疑われたあの時はまだ『マスタリオン』の意味がわからず、自分がなぜそう呼ばれたのかも理解できなかったんだよな。…俺は嘘をつくのが苦手だし、今同じ質問をされたらきっと困るだろう。
それからウェルゼン副指揮官に護衛が必要か尋ねたが、負傷者と言っても軽傷者ばかりで、変異体相手でなければ大丈夫だろうと言って丁重に断られたので、俺は俺で用事があることだし、それ以上差し出がましいことを言うのはやめておいた。
「ウェンリー、そろそろ行くぞ。ウェルゼン副指揮官、俺達はこれで。王都までまだ距離がありますから、魔物には呉々も気をつけてください。」
「承知した。…ルーファス・ラムザウアー殿、貴殿らはこの後どちらへ?」
「え?ああ…俺達は用があってこれからルク遺跡に向かうところなんです。」
「ルク遺跡へ?あそこは入口が完全に閉ざされていて、もう中へは入れないが。」
「――そうなんですか?」
俺は咄嗟にシルヴァンを見たが、シルヴァンは問題ない、と言うように黙って頷いた。
「わかりました、でもとにかく行ってみます。ああ、そうだ、それと…ライ・ラムサス近衛指揮官に、くれぐれもお身体は大切に、とお伝え下さい。…それじゃ。」
「な…?」
俺はそれだけ言って近衛隊から離れて歩き出した。すぐにシルヴァンとウェンリー、アテナも俺の後に続く。
横を並んで歩くシルヴァンが、最後のあれはなんだ?と訝り、眉を顰めて俺に尋ねた。俺はなんでもない、と言って答えをはぐらかす。
最後に俺があの言葉を付け加えたのは、ライ・ラムサスに命を大切にして欲しかったからだ。俺があの場に居合わせたのは本当に偶然で、後もう少し遅かったら多分彼は助からなかっただろう。
ライ・ラムサスはあの時完全に意識を失っていて、俺のことなど知らないはずだ。そうわかっていても敢えてウェルゼン副指揮官に伝言を頼んだのは、王国軍に魔物との戦い方を訓練したり、軍の在り方そのものを変えようとしている彼に期待しているからかもしれない。
「ウェルゼン副指揮官、あの凄まじく腕の立つ守護者とお知り合いだったんですか?」
「…知り合いと言うほどのものではないが、以前少しな。腕が立つのは当然だ、あの銀髪の若者はエヴァンニュに数えるほどしかいない『Sランク級守護者』だからな。」
去って行くルーファス達一行の後ろ姿を、怪訝な目を向けて見送りながら、声を掛けてきたヨシュアにイーヴが答える。
「Sランク級…!リカルド・トライツィと同じクラスですか…凄いですね。」
「…そうだな。――隊を纏めろ、魔物に襲われないうちに王都へ帰還するぞ。」
「は!了解しました。」
――ウェルゼン副指揮官率いる調査隊と別れた後、俺達は再び四十分ほどの距離を歩き、まだ鼻を突く、焦げ臭い匂いが残っていたルクサールに到着した。
俺がカラミティとここを去った時、まだ街の炎は赤々と燃えていたが、鎮火した後の光景はさらに見るも無惨だった。
煤で真っ黒に変色した家々の外壁は完全に崩れ、無事な建物は一つも残っておらず、廃墟と化した通りにはここ周辺のアラガト荒野に生息する魔物以外にも、新たな別種が発生し徘徊していた。
俺達はそれらと戦いながら奥へと進み、やがて入口が完全に閉ざされていると教えられたルク遺跡に辿り着く。
ウェルゼン副指揮官が言っていた通り、頑丈な扉はがっちりと閉まっていてビクともせず、両側のレバーを動かしても何の反応もなかった。
「――で、この扉はどうすれば開けられるんだ?その方法を知っているからあの時頷いたんだろう?シルヴァン。」
俺は両手を腰に当て、シルヴァンの答えを待った。
「うむ。先ずはこの遺跡の上に登ろう。」
「…上?」
シルヴァンにそう言われるまま俺とウェンリーとアテナは、遺跡の二十メートルほど高さがある上方を見上げた。念のために周囲をぐるりと見回したが、目に付く範囲に登れそうな箇所はない。
遺跡の壁はもちろんのこと、それらを包むように覆っている土岩や固い土壁もほぼ垂直で、所々に出っ張った岩や土塊は見えるが、到底俺達が登るのは無理そうだった。
「…この垂直の壁を俺達にどうやって登れと言うんだ?」
俺達はシルヴァンと違って銀狼にはなれないんだぞ?飛翔魔法は取得していないんだし、梯子かせめてロープでもなければ…いや、それでも誰かが先に上に登る必要があるか。
「なに、ロッククライミングの要領で出っ張りに手足を引っかければ――」
楽しそうに笑いながらシルヴァンがとんでもないことを口にすると、
「無理に決まってんだろっっ!!!」と透かさずウェンリーがツッコミを入れる。
直後アテナが俺の上着の裾を掴んで、くいくいっと引っ張った。
「ルーファス様、ルーファス様、また私が地属性魔法で足場をお作りしますか?」
「アテナ…」
なにかと思えば…にこにこと満面の笑みを浮かべて、最後にアテナがそんなことを言う。
いやアテナ、あの時は俺もリカルドを助けようと必死だっただけだからね?夢中だったからこそ、落下する危険も恐怖も克服できたけど…平常時は好き好んであんな無謀なことを頼みたくはないんだけど。
「冗談だ。向かって右側の外壁に隠しレバーがあり、それを操作すれば梯子が降りて来るはずだ。」
今度はシルヴァンが至ってまともな答えを返した。
「なんだ、それを先に言えよ。」
本当に垂直壁登りをさせるつもりかと思ったじゃないか。短く息を吐いて肘でシルヴァンを小突いた俺の横で、ウェンリーがハッと気付いたように透かさずアテナの方を向いた。
「あ、アテナは梯子登んの一番最後な!!」
…真顔で真っ先になにを考えたのやら。
「?…どうしてですか?」
「スカートだから。」
俺達には分かり易い即答だ。
「??」
スカートだから、と説明しても、きょとんと首を傾げるアテナに、ウェンリーがしどろもどろで詳しく、下から見える、だの、女の子は気にしないと〜などと話して聞かせるも、アテナには中々ウェンリーの言いたいことが理解できなかったようだ。…まあそう言った類いの常識の指導はウェンリーに任せよう。うん。
遺跡の脇に回り、シルヴァンが土壁を斧槍で砕いてレバーのあるキーボックスを見つけると、早速それを動かして入口の前に金属製の梯子を出現させた。
正面の扉上部にあった壁の一部が開いて、そこから内蔵されていた梯子が降りて来るようになっていたみたいだ。
それを順によじ登り、遺跡の屋上部位と土壁の間に空いた隙間に入り込むと、そこにあった開口部の小さな扉を開けて遺跡内へと飛び降りる。
中に入ると内部は壁の青い呪文字が帯状に光り輝いており、その機構はまだ稼働しているように見える。だがその通路は完全に塞がれており、表の扉が開けられない以上、外へも出られなければ中にも入れそうになかった。
その平面の壁の一部を、シルヴァンが両手をついて体重をかけ強く押し込むと、壁が動いて瞬時に隠し扉が開くようになっていた。するとその先は十メートル四方の広さがある遺跡の制御室だった。
「へえ…遺跡って中がこんなんなってんのか。」
ウェンリーが初めて見る遺跡の内部に興味津々で呟く。室内は奥の壁一面に、いくつかの駆動機器が並べられており、正面の機器上に巨大なモニターが設置されていた。
シルヴァンがその前に立ち、なにやらカタカタと音を立て、複数のボタンのついた機器を操作し始める。
「この遺跡…かなり古いんだろう?良く生きているな。」
聞いた話から年代を考えても軽く1500年は越えていそうだった。それなのに今も遺跡全体が正常に稼働し続けており、なぜ扉が閉ざされているのか聞いた時にシルヴァンが、ここに封印されていたカラミティとマーシレスの解放に反応して、内部が組み変わったのだろう、と答えたから驚きだ。
「――ここの駆動機器に使用されている魔法石は、魔力を周囲から吸収し続ける『アブソーブ』の魔法効果を持つものだ。つまりその原理的には神魂の宝珠に近いものがある。」
時折モニターを確認しながら、シルヴァンが文字盤で古代文字の文章を入力しているようだ。俺が見る限り、遺跡の状態を最初の状態に戻す、所謂『初期化』を行おうとしているらしい。
「…なるほど。」
シルヴァンがなぜこんなにも遺跡に詳しいのかと言うと、実は七聖の中に遺跡マニアの仲間がいて、こう言った機構の再稼働方法や仕組み、建築方法などの詳細を逐一叩き込まれたのだそうだ。
その守護七聖の名前は『ユリアン・ロックウッド』。世界各地に遺跡やダンジョン、迷宮を自分で建設しまくるのが夢だという、少し変わった人物だったらしい。
「…うむ、これで初期化が完了だ。この部屋は安全だが、少し揺れるぞ。」
タン、と音を立ててシルヴァンが最後のボタンを叩いた直後、俺達の足元から地鳴りのような音と震動が起こり始め、目の前のモニターに遺跡の内部構造が地図として赤く点滅し表示される。
ゴゴゴゴゴ…ズン、ズシンズズズン、と繰り返し大きな音と地震のような揺れが暫くの間続き、モニター上の地図が次々に変化して行く。要するにこれは今、遺跡の内部構造がどういう風に動いているかを表しているのだ。
三分ほどの時間をかけて構造が変化し終えると、少しずつ音も震動も静まって行った。
やがてピコン、と短い音がして、シルヴァンが操作していた機器が全ての動作終了を告げる。
「モニターの地図上では、全ての閉じられていた通路が通れるようになったみたいだな。これで入口の扉も壁のレバーで外からも中からも開けられる。お疲れ様シルヴァン、助かったよ。」
ポン、と肩を叩いて俺はシルヴァンを労った。多分俺もデータベースを洗い直せば、こう言った遺跡関係の情報も出てくるのだろうが、今回はシルヴァンに完全に任せ頼ってしまった。
「なんの、主が喜んでくれるのなら、ユリアンに鞭で叩かれながら覚え込まされた甲斐があったというものだ。」
うんうんと嬉しそうに頷きながら、シルヴァンは不穏なことを言う。
「……鞭?」
シルヴァン…一体どんな教育を受けさせられたんだ…?
俺はそう聞くなり思わず頭の中で、顔がわからず?マークの男性に、シルヴァンが鞭で叩かれている姿を想像してしまった。
――神魂の宝珠の解放には俺がなんらかの理由で決めた順番があるらしく、イシリ・レコアに安置されていたシルヴァンの封印が一番最初になることだけは、守護七聖全員に元々知らされていたようだ。(自分で言っておいて不確定形なのは、俺にその記憶がないからだ)
それは当初その計画が持ち上がった時点で話し合われ、仲間の人数が最も少なく、世界がどうなっているのか、俺がどんな状態にあるのかもわからない千年後の、最も危険な一番最初に誰が目覚めるのか、何度も何度も俺と守護七聖達の間で相談されたという。
シルヴァンを封印から解放した時に聞かされた通り、厳重に隠されているという各『神魂の宝珠』の安置場所は、記憶を失う前の俺以外、誰も知らない。
俺が彼らに与えた情報は、遺跡のような容易に人が踏み込めない場所が多い、と言った程度で、いざ古代遺跡のような場所の中に神魂の宝珠を見つけたところで、その時誰もなんの知識もなければ非常に困ることになる。
そこで長距離を早く移動できる銀狼に変化でき、どんな状況にも対応できるシルヴァンが、真っ先にその役目を担う名乗りを上げてくれたらしい。
それじゃその時に『ユリアン』という名の七聖から、遺跡に関する教育を受けたんだな、と聞くと、シルヴァンは、それはもっと前の話だ、となぜか少し寂しそうに笑った。
この時はその寂しそうな笑顔の理由が全くわからなかった俺だが、それほど遠くないうちに事情を知ることになる。
「遺跡内に魔物はいないようだけど、なにがあるかはわからない、一応気をつけて最下層に降りよう。」
俺はみんなにそう声を掛けて注意を促すと、この制御室を出る前にシルヴァンに言って、遺跡の制御機器全てに暗号とパスワードによる鍵をかけて貰った。
これで他者が勝手にこの遺跡をいじることができなくなるからだ。その後で通路に出ると脳内の詳細地図を見ながら歩き出す。
ここは二階で、すぐ隣の部屋が休憩室のようになっていて、ベッド代わりの石の台座が複数と、こちらも石造りの椅子とテーブル、調理設備が設えてあったり、保管庫らしき小部屋にあった不思議な光を放つ収納箱を開くと、中から今となっては超貴重な鉱物『アルティマイト』の塊や、結構強力な呪文字が記された魔法石などの稀少アイテムがかなりの数見つかった。
要はこれが遺跡に隠された宝箱、って奴なのかもしれない。この収納箱が光っていたのは、高度な保存魔法がかけられていたせいだった。(一体誰が置いたんだろう?)
こんな貴重なものが今まで未発見だったのは、この部屋に入る方法、若しくはこの部屋自体を見つけられた人間が過去にいなかったせいだろう。
なぜなら遺跡の入口がある一階から、二階へ上がる階段はどこにも存在していなかったからだ。
つまり、シルヴァンが土壁を砕いてキーボックスを見つけなければ、屋上に上がる梯子は見つけられず、表からは隠れていて開口部が見えないのだから、屋上の入口も誰にも見つけられない、と言うことだ。上手くできているよな。
そして俺達は通路の突き当たりの床に、一階へ降りる為の開口部を見つける。ここにも当然梯子などはなく、降りたら高さがあるため、もうここからは戻ることができない。
不思議なことに俺達が全員飛び降りた後で、遺跡自体の機能なのか、すぐに床が勝手に閉じてしまい、下から見上げても全く天井と開口部の見分けがつかなくなった。
それから俺達は俺の詳細地図に従って遺跡の中を最下層へと向かう。その途中、壁に幾つか隠し扉があって、その度に部屋の中であの『光る収納箱』を見つけて中のお宝を頂き、これはもう俺達専用の宝箱だとしか思えなくなったほどだった。
「結構な数の魔法石が手に入ったな。…そうだ、これは幾つかウェンリーに渡しておこう。」
俺は属性別に危険の少ない魔法石を選り分け、かなりの数をウェンリーに手渡した。
「え?なんで俺?」とウェンリーは不思議そうな顔をして首を傾げる。それは当然ウェンリーだけが俺達の中で魔法を使えないからだ。
俺がそう説明すると「あ、そっか!」と納得して破顔し、ウェンリーはすぐにそれをウエストバッグにしまう。
使い方は既に知っていて問題ないようだし、なにかの時にきっと身を守る役に立ってくれるはずだ。
最下層の地下五階に行くと、俺は最奥の部屋が間違いなくあの日、転送陣で最初に送られた場所であることに気付く。今はあの時のような異質な空気も特殊な力場も完全に消え失せているようだが、部屋の正面の壁と床には、ライ・ラムサスの乾いた血痕が今もベッタリと残っていた。
やっぱり最初に転送陣で飛んできたのはルク遺跡だったのか。…と言うことは…
そのことから推測するに、鏡の中のラファイエが「彼を止めて」と俺に願ったのは、もしかしたら災厄――『カラミティ』のことだったのかもしれない、と思い始めていた。
少なくともラファイエは『光神レクシュティエル』に仕えていた巫女だ。FT<フェリューテラ>歴245年では彼の神殿におり、窮屈な生活を強いられながらも役目を全うしようとしていた。だとすると、災厄を止めて欲しいと俺に願ったとしても、なんら不思議はないだろう。
ただ、どうして『俺』だったんだろう?、と疑問に思う。
現代の俺はラファイエを知らなくても、鏡の中のラファイエは俺を知っていた。それは多分あの光神の神殿で過去に出会った出来事があったからだ、と言うことまでは理解できる。でも俺が守護七聖主であることや、世界を救うために暗黒神と戦おうとしていることなどは一切話していないのだ。それなのに俺に助けを求めてきた理由が今ひとつわからなかった。
≪俺が『時翔人』だから…か?…いや、違うような気がする。もしかしたら、この先にまた彼女と会うことがあるのかもしれない。≫
――そんな気がした。
『ルーファス様、大丈夫ですか?』
唐突に頭の中でアテナの声が響き、俺は顔を上げた。アテナはウェンリーと笑いながら楽しそうに話をしているにも拘わらず、その影で俺の様子に常に気を配っているのだ。
俺の中から外に出て具現化していても、俺とアテナは今も深く繋がっていて、俺の思考や身体の異変はこれまでと何ら変わりなく、アテナには伝わっているようだった。
ああ、大丈夫だ。ちょっと考え事に耽りすぎたな。
「最奥の部屋に着いたは着いたが、海神の宮にはどこから行けるんだ?」
部屋の中を見回すも扉は見当たらず、どう見てもここは行き止まりだった。
「こっちだ、ルーファス。この柩が置かれた床はどうやら可動式の昇降機になっているようだが、それ以外にもう一つ、転移魔法陣の役割もあるようだ。魔力を床に描かれた魔法円に注ぎ込めば恐らく起動するだろう、試してみよ。」
シルヴァンが来い来い、と手招きで俺を呼んだ空の柩がある奥に行くと、確かに足元に転送陣を示す呪文字が刻まれた円形の可動床があるようだった。
「床に魔法円?…ああ、本当だこんな所に――」
俺は昇降機の作動を止める仕掛けを探して、壁にそのスイッチを見つけると接続を切り、シルヴァンとウェンリーの三人で空でも重い柩を脇に押し退けると、全員が転移魔法陣の中に立ったのを確認してから魔力を流し込んだ。
直後に転送陣が白く輝き、俺達は一瞬で別の場所に転移する。
――そこは周囲を紺碧の水と岩場を抉った自然洞のような場所で、天井には巨大な天然の明光石が水を通して輝き、太陽の光のように煌々と明るく照らしている空間だった。
足元は大理石のつるつるとした床で、端の方にはなぜかテーブルと複数の椅子が並び、珊瑚の入り江の水辺近くにはガゼボが建っている。
床から伸びる延長線上の縁には真っ白な砂浜が広がり、さらに奥には寄せては返す静かな波がザザザー、という音を立てていた。
その上、多分障壁であろう見えない壁の向こうには、海の魚が泳いでいる姿までもが見られ、恐らくだがここは、海の底なのではないかと俺は思った。
「…ここが海神の宮なのか?――誰もいないぞ。」
俺は滑りそうなぐらいピカピカに磨かれた床を、白い砂浜に向かってゆっくり歩いて行くと、辺りにキラキラと輝いて落ちていた巨大なそれを拾って手に取った。
…鱗だ。それも途轍もなく大きな、紺碧の。斜めに傾けると光の加減で瑠璃色に輝きを変える…なんて綺麗なんだろう。
途切れ途切れに聞こえていた『リヴグスト』と名乗ったあの声は、『海神の宮』と確かに言っていたはずだ。
だがこの場所に人の気配はなく、イシリ・レコアにあったような祭壇や神魂の宝珠も見当たらない。
もしかして場所を間違えたんじゃないか。…そう思った時だ。
「ルーファス、その手にある鱗はリヴ…リヴグストのものだ。」
足早に隣に来たシルヴァンが俺の手にあった鱗を指してそう言った。
「この鱗がリヴグストのもの?…ちょっと待てシルヴァン、リヴグストっていったい…」
――人間…じゃないのか?でもこんな巨大な鱗を持つ海の生き物なんて…
考えてみればここは『海神の宮』だ。そう聞いた時点で普通は気付くよな。…俺はそう思って自嘲すると、リヴグストのものだという鱗をもう一度見た。
海で『神』と呼ばれるような存在は、伝承にある『海蛇サーペント』か『海竜』ぐらいだ。…と言うことは――
「ルーファス様、海中から物凄い速さで巨大なものが近付いて来ます!!」
アテナが警戒態勢に入り、ウェンリーもそれに続いてすぐさま武器を構えた。
「待て!!敵ではない、恐らくそれが――」
シルヴァンがアテナとウェンリーの前に両手を広げて立ち塞がると、二人が早まった行動を起こさないよう瞬時に止める。
ズザザザザザアァァァッ…
直後に凄まじい轟音と水飛沫を上げて、紺碧に輝く海竜が俺達の前に広がる水の中から巨大なその姿を現した。
霧雨のように水滴が細かな粒子となって飛び散り、まるで煙のように俺達の目からその姿を隠すと、次の瞬間、しゅるるるる…っと輪郭が崩れて行き、シルヴァンぐらいの大きさに縮んで行った。
その影形から、多分シルヴァンと同じように人型に変化したのだろう。だがそう思ってぼけっと見ていた俺に、その人物はいきなり両手を広げ叫びながら物凄い勢いで突進してきた。
「予の君いいいいいいいいいいっ!!!!!」
ドダダダダダダダッ
「なっ…うわああああっ!?」
あまりの勢いに恐怖を感じてたじろいだ俺は、為す術もなく叫び声を上げてその腕の中にとっ捕まった。
「ルーファス!!」
「ルーファス様!!!」
当然、ウェンリーとアテナは慌てて俺に駆け寄ろうとする。だが…
「ちょっ…やめっ…は、放してくれっ!!!」
――記憶のない俺にしてみれば、見知らぬ人物に突然正面からしがみ付かれたようなものだ。驚いて慌てふためくのは…まあ仕方がないと思うだろう?
俺にこんな風に抱きついて来るのは、ずっとリカルドぐらいなものだった。
あいつはいつも「親愛の情です!」と言っては、にこにこと嬉しそうに微笑んで苦しいくらいに強く腕を締めるし…後は最近では――ああ、そうか、ノクス=アステールとルクサール近くのアラガト荒野で、シルヴァンにも抱きしめられたんだっけ。…なんにしても、俺は良く人に抱きつかれるな。
そう思ってほとほと困り果てそうになった時だ。
俺を抱きしめていたその手が、微かに震えていることに気がついた。
――え…?
「ソル殿…ソル殿…っ、永い間再びお目にかかれる日をこのリヴグスト、夢にまで見てお待ちしておりました…!よくぞ、ご無事で…――」
紺碧の少し長めでさらさらとしたレイヤー入りの王子系髪型に、頬にも薄らと瑠璃色の鱗の影が残っている、整った顔立ちをしたリヴグストと名乗る人物は、顔を上げて涙で潤んだ水色の瞳を向けると俺を見た。
その瞬間、俺はまた酷く胸が痛んだ。…当然だろう?俺は…彼を覚えていないんだ。
記憶がないことを告げて、覚えていないことを謝る度に、俺はいつだって相手を傷付け、悲しませている。
俺との再会をこんなにも喜んでいる守護七聖『海竜リヴグスト・オルディス』は、この後記憶を失う前の俺を知る精霊族の女王マルティルと同じように、俺が彼を全く覚えていないことを知ると、悲しそうにただ微笑んでいるのだった――
この所ペースが落ちてすみません。次回、また仕上がり次第アップします。いつも読んでいただきありがとうございます!




