71 海神の宮 ③
リヴグストは人間の子供――ジャンが攫われたのを目撃し、黒髪の識者、ライの元へと駆け付けました。ところがライはリヴグストを敵と勘違いして…?
【 第七十一話 海神の宮 ③ 】
――なぜこうなった?、と三節棍で攻撃を弾きながらリヴグストは思う。
ほんの数分前、人間の子供がルイーバに攫われるのを目撃した故に、地面に座り込んで呆然としていたこの『黒髪の識者』の元に駆け付け、先ずは安心させようと開口一番に少年が生きていることを告げた。
その上で自分が手を貸すから、協力して助けに向かおうと促したつもりだったのだが…それのなにがいけなかったのか。
着ていたマントの袖から薄ら光る鱗が見えたせいなのか、この識者は立ち上がって警戒するように後退ると、フードを取って顔を見せろと言い放った。
言われるままに顔を見せた途端に、その態度がさらに硬化し、両耳の鰭と、自慢の龍眼(蛇のような瞳に見える)を指して「貴様、あの化け物の仲間だな!」と睨みつけ憤激したのだ。
不愉快だ。全く以て不愉快だ。あの裏切り者であるルイーバと一緒くたにされるなど、実に不愉快極まりない。奴に似ている部分など、海棲族特有の蹼や鰭ぐらいしかないではないか。
そう憤慨する自分に、黒髪の識者は問答無用で剣を抜いた。
予の説明が足りなかったのか?急いだ方が良いだろうと思ったが故に、名を名乗らずに声を掛けたのがいけなかったのか。そのどちらにしても、子供の無事を知らせた予に対して感謝されこそすれ、ここまで怒り狂ったように襲いかかられる謂れはないと思うのだが。
おまけに間を取りなして貰おうと思ったアギに乗ったパキュタは、予に気付くなり青くなって逃げ出しおるし…彼奴め、予をなんだと思っておる。
〝後でデズンに申しつけ、おやつ抜きの刑にしてやるわ。〟
そうぶつくさと文句を呟きながら苦虫を噛みつぶし、話の通じぬ人間だとリヴグストは、猛烈な勢いで剣を振り回すライの攻撃を、右へ左へと鮮やかに躱しつつ相手をする羽目になった。
ガッガッガキインッ…バチバチバチッ…
右上から左下への袈裟斬り、左下から真上への斬り上げ、左上から右下への斜め切り、と前傾姿勢からの素早い連続攻撃がライから次々と繰り出される。
それは一切の容赦がなく、リヴグストに破竹の勢いで襲いかかり、並の者であれば恐らく、一溜まりもないであろうと思われた。
ガガガガガンッ…バチバチバチッ
怒りのままに振るわれる怒濤の攻撃は休むことなく猶も続き、リヴグストの棍はミスリル製のため、その剣撃を三節棍で受け止める度に、ライトニング・ソードの雷撃と共に激しく火花が散っていた。
リヴグストは暫くの間、それを軽々と躱しながら様子を見ていたが、再び呆れたように大きく溜息を吐き、ライに言い聞かせる。
『黒髪の識者よ少しは落ち着け、予は海竜の化身ぞ!徒人の身で勝てるはずがなかろう、怪我をする前に無意味なことは止めよ!』
疲労から息を切らして間合いを取ったライに、リヴグストの三節棍の先端がその顔を掠めるように右、左、と空を斬り高速で飛びかかる。
ヒュヒュンッ
それをライは既の所でなんとか躱した。
「はあはあ、化け物め…よくもジャンを!!許さん…決して許さんからな…!!」
再度ライは間合いを詰め、リヴグストに猛烈な多段突き攻撃を試みる。
『失敬な、誰が化け物だ!(確かに完全な人の姿にはなり損ねておるが)…ええい、だからあの少年を助けたくば予の言うことを聞け!!予はルイーバの仲間ではない、鰭と鱗で思い込むとはなんと頭の固い奴か…!!』
リヴグストはその突き攻撃を三節棍で全て軽く受け流し、スイッと一気に懐まで入り込むと、ライの顔前20センチほどまで顔を近付け、右目を隠していた前髪にふうっと息を吹きかけた。
瞬間、ふわりと靡いた前髪の下から、ライのオッドアイが驚愕の色を浮かべてリヴグストに釘付けになる。
『ほう、顔を隠しておるからなんぞ疵でもあるのか思えば…オッドアイとはまた珍しい。』
「!!」
『――どうだ、これでもまだわからぬか?予が本気でそちを殺しにかかれば、五分と持たぬわ。いい加減に剣を収め話を聞かぬか、愚か者が。』
攻撃を全て躱し、隙を縫ってその蛇に似た龍眼が自分を覗き込んだ瞬間、ライはゾッとして力の差を思い知らされる。
≪ こいつ、俺を弄んでいる…!?≫
そう思い命の危険を感じたライは、リヴグストから一気に後退し、大河を背に魔石の力を解放した。
『!!』
その瞬間、ハッとしてリヴグストがライの背後に目を向ける。川面に複数の黒い影が蠢いたのだ。
『待て!!そこは危険ぞ!!』
その言葉など耳に入らないのか、ライはその場から動かず、突き出すように翳したライトニング・ソードからリヴグストを目掛け、幾筋もの雷が迸った。
ガカッ…バリバリバリリ…ッ
リヴグストは三節棍を一瞬で連結して棍の状態に戻すと、くるりと右手に持ち替え、空いた左手をライに向け魔法を唱える。刹那、ブウンッと言う空気を震わせるその音と共に水色の魔法陣がリヴグストの手元に輝いた。
『 "吸魔水鏡" 』
リヴグストを目掛けて放たれたうねる雷撃は、リヴグストの左手に出現した揺らめく魔法の水鏡に吸収され、あっという間に波紋の中心に吸い込まれて行くと、まるでふっと息で吹き消すように消え失せた。
「なっ…」
次の瞬間――
『穿て雷!!刃となりて予の敵を討て!!』
カッ…
その左手の水鏡が輝き、驚愕するライの視界が眩い薄紫の閃光に包まれる。直後、今しがた自分が放った魔石の力が、吸収されたリヴグストの魔力によって倍の威力に膨れ上がり、跳ね返ってくる。
ライは直撃を覚悟し、咄嗟に腕で身を庇った。…が、リヴグストが跳ね返した雷撃はその全てがライを擦り抜け、ライの背後へと突き抜けて行った。
ガガガガガッ…バリバリバリバリ…ズガガガガガンッ
グギャアアアアアッ、ギャアアアッ――
凄まじい轟音にライが後ろを振り返ると、背を向けて立っていた川面から断末魔の絶叫が響き渡り、水面を駆け抜けた雷撃で六体ものウォントが瞬時に絶命した。
なにが起きたのかすぐには理解できなかったライの目の前を、その死骸がぷかぷかと浮き上がって漂い、下流へと流されて行く。
『おい!大事ないか!?』
リヴグストはライに駆け寄り、怪我がないか確かめようと声を掛けた。だがライは手を伸ばしたリヴグストに猶も身構え、一度身体をビクッと揺らした後、すぐにまた持っていた剣を盾代わりに自分の前に翳した。
『いい加減にせよ、まだやるつもりか!?』
さすがに一瞬カッとなるもリヴグストは、ライが剣先を自分に向けていないことに気付き、すぐに気を静める。まだ警戒はしているものの、その瞳から敵意が薄らいでいることに気付いたからだった。
「――俺をウォントから助けた…のか?なぜ…」
『なぜ?ウォントはルイーバの兵隊だ、予にとっても敵に当たる。それ故に仲間ではないと先程から何度も言うておるのに、そちが勝手に勘違いをして――』
再び自分がルイーバの仲間ではないことを詳しく説明しようとした時だった。
『お待ちください〜〜〜リヴ様あああああっっ!!!』
暗がりの奥からアギに乗ったパキュタと、その隣に別の洞窟蝙蝠に乗ってデズンがぴゅうーっと慌てた様子で飛んできた。
『なんだデズン、なにをしに来た?予は今、この分からず屋に話を――』
『ですから、お待ちください!!リヴ様、リヴ様がその識者に対してお使いになっているのは、古代言語ですっっ!!』
『…………なに?』
『千年以上も前の古代言語で現代の人間に話しかけられても、リヴ様がなにを仰っておられるのか、私以外パキュタにもその者にも理解できませんっっ!!!』
――その瞬間、全てを理解したリヴグストは、ピシッという聞こえないはずの音を立てて石化した。
「…つまり、ジャンは生きている、と言うことか…?」
川岸はウォントに襲われる可能性が高く、話をするには危険だと言うことで、近場にあった適当な場所に移動し、そこに張られた魔物除けの障壁の中で俺は、このマントを羽織った人物から詳しい話を聞くことになった。
――紺碧の髪色に龍眼という蛇の目に似た水色の瞳を持つ、腕に瑠璃色の鱗があるこの男は、俺にわかる現代の言葉で海棲族(字の通り海に棲む種族の意)の『リヴグスト・オルディス』と名乗った。
リヴグストは俺に、ジャンはなんらかの理由で連れ去られただけで、すぐには殺されないはずだと言う。
「そうだ。人の子供が予の敵でもある『クヴィスリング・ルイーバ』に攫われたことに気付き、すぐに後を追ったのだが見失ってしまった。その時奴めが、気を失った少年の口に、水中でも呼吸が可能になる特殊な貝を銜えさせていたのを見たのだ。あれがあれば鰓のない陸上の人間でも溺れずに済む。」
「…ジャン…!」
俺はそう聞いた途端に一気に脱力してその場にへたり込んだ。
ジャンが生きている…連れ去られてはいるが、それでもまだ俺の力で助け出すことが出来る…!
まだジャンを完全に失ったわけではないことを知り、ホッとして俺は手が震えた。
「そちに声を掛け、一番最初にそのことを伝えたかったのだが…すまぬ、まさか言葉が通じておらぬとは思いもせなんだ。憖っか言っていることは理解できたために、却って気付かなかったようだ。」
「いや…俺の方こそ敵だと思い込んで斬りかかってしまい、本当にすまなかった。ジャンが生きていることを教えてくれて感謝する。」
俺は気を取り直して立ち上がると、リヴグストに深く頭を下げて謝罪し、改めて礼を言ってから名を名乗る。
「俺はライ・ラムサスだ。ライと呼んでくれて構わない。」
「ライか。ならば予のことも〝リヴ〟で構わぬ。親しい者は皆そう呼ぶのでな。」
「わかった、そう呼ばせて貰おう。早速だがリヴ、そのクヴィスリング・ルイーバという敵について教えて貰えないか?」
「ああ、いいぞ。『クヴィスリング』とは古代言語で『裏切り者』を表し、『ルイーバ』とは知能を持たないただの『魚』という侮蔑の意味を込めて、名前のない、魚人族の兵隊を使役する代々の半魚人族の長をそう呼んでいる。」
――半魚人族はその昔、オセアノ海王国で賢王リヴァイアサンに仕えていたが、ある時世界の混乱に乗じて王を裏切り、魚人族との友好の証である『水晶の珊瑚<クリスタル・コラル>』と言う秘宝を盗み出した。
魚人族は武勇に優れた種族だが、その中でも『ウォント』は極端に知能が低く、クリスタル・コラルを持つ者にしか従わないと言う特徴を持っていた。そのため、秘宝を盗まれて以降、魚人族はその大半が半魚人族の言いなりになった。
そうして武力を手にした半魚人族は魚人族を従え、賢王リヴァイアサンに反旗を飜すも、あっけなく敗北し、永い間彼方の海に逃げ延びて隠れ棲んでいたのだが、オセアノ海王国が沈むと再びこの海域に戻ってきたのだという。
かつて『海神』と呼ばれた賢王リヴァイアサンは疾うになく、未だ海の支配を望む半魚人族だけがこの海域に残っていると言うことのようだ。
「そのルイーバがなぜジャンを攫う?なにか理由に心当たりはないか?」
「ふむ…それなのだがな、考えてはみたのだが、そもそも陸の人間は魚人族や半魚人族のように水中で自由には動けぬ。連中の住み処は海中だから奴隷として使役するとも思えぬしな。他にこれと言って思い当たる理由がないのだ。」
「そうなのか…だが生かして攫うからには、必ずなにかの理由があるはずだ。よく考えてみてくれ、例えば人間でなければ出来ないことや、行けない場所があるとか…」
「行けない場所…?」
リヴが右手の握り拳を口元に当て、目を伏せて深く考え込んだ時だ。突然傍で話を聞いていた、デズンという名のクレイリアンの長老が、ああっ!!と声を上げた。
「なんだ?なにか思い付いたか。」
『はい、リヴ様…まさかとは思いますが、ルイーバの狙いは〝海王珠〟にあるのでは…?』
「海王珠?」
俺は俺の目の高さを蝙蝠に乗って飛ぶデズンに問い返した。
『海を自由自在に操ることが出来る、海神の秘宝です。かつて海を越えた未知の大陸から押し寄せた異大陸人の軍船を、フェリューテラに近付けぬよう賢王リヴァイアサンが大海嘯を起こして海に沈めたという伝説があるほどの…代々のルイーバはあれを狙っていたではありませんか。』
デズンは俺に簡単に説明すると、リヴの方を振り返ってそう訴えた。
「そんな危険なものがここにあるのか?」
「ああ、あるにはあるが…」
リヴの説明では、その海王珠は宝物庫の最奥に安置されており、その宝物庫に海棲族はリヴも含め、一切何者も近付けないように結界障壁を張ってあるのだそうだ。
「海棲族は近付けなくても、人間であれば入れるのではないか?例えばルイーバが、ジャンを利用して秘宝を持ち出そうとしたら?脅して宝を取りに行かせるとか…」
「いや、そんなことをしても無駄なのだ、海王珠は宝物庫から絶対に持ち出すことは出来ぬ。あれは正当な持ち主以外が触れただけで転送陣が発動するようになっており、何人であろうと例外なく別の場所へと飛ばされる。」
「なるほど、秘宝を守るための罠か。だとしたら海王珠を奪われる心配はないのだろうが…そのことをルイーバは知っているのか?」
「まさか。知るはずがなかろう、宝物庫の仕掛けは奴がこの世に産まれる何世代も前のもので――」
リヴがハッとして俺を見る。
「知らない?ルイーバは宝物庫の罠を知らないのか!?海棲族は宝物庫に近付けず、罠を知らなければジャンを利用して確実に狙うだろう!!秘宝はルイーバの手に渡らなくとも、利用されたジャンはどうなる!?転送陣でどこに飛ばされるんだ…!!」
――俺はリヴから行き先を聞いて愕然とした。そこはかつての亡国が罪人の処刑場として利用していたという、肉食海獣『アーケロン』という化け物の巣だったからだ。
俺はとにかくそこへ案内して欲しいとリヴを説得し、デズンとはここで別れて、アギに乗ったパキュタと一緒に、急いでその宝物庫へと向かうことにした。
「すまぬライ、人間の子供が宮に入ることなど想定しておらなんだ。況してやルイーバに攫われて利用されるなど…予の考えはそこまで到底及ばなかった。」
「あなたが悪いわけではない。俺だってジャンを連れてここに来たのは不測の事態が発生したからなんだ。想定外なのはお互い様だ。」
「不測の事態…そう言えばそちがなぜあのような子供連れでここへ来たのか、その理由をまだ聞いておらなんだな。」
「ああ…詳しい事情はジャンを無事に助け出してから話したい。リヴの助力を得られれば、俺達が抱えている問題も解決できるかもしれないからな。」
「ふむ…やはりなにか事情があったのか。まあ良い、予もそちに少し興味があるのでな、全て終わったら話を聞かせて貰うとしようか。」
リヴのその言葉にはなにか含みがあるように感じたが、今は気にせず宝物庫へと走る。なんとしてもジャンを助け出し、今度こそ手を離さず、俺の命に代えても守る…そう心に誓いながら。
リヴの案内で辿り着いたその宝物庫は、海神の宮をかなり進んだ先にあり、巨大な空洞の周囲を海水で囲まれた島に建てられた祠堂になっていた。
遠くに見えるその島への唯一の橋へ向かい、小走りで岩場の道を進みながら、俺は隣を走るリヴに話しかけた。
「あの建物がそうか?」
「うむ、入口の扉に鍵はかかっておらぬ。建物の外観は小さく見えるが、内部は三つの部屋に区切られており、海王珠はその一番奥の部屋に安置されておるのだ。」
「そうか、わかった。」
「一つ忠告しておくが、宝物庫にある金銀財宝には手をつけるでないぞ?あれは『海神の供物』と名付けられた、呪いの宝だ。」
「海神の供物…確か石版に警告文があったな。死が待っているとか…」
「最終的にはな。あそこに保管してある財宝の一つ一つ全てに、海の魔女セイレーンの呪いがかかっている。フェリューテラでも稀に聞くであろう?『呪いの指輪』とか、『呪いのネックレス』とか言った類いの話を。」
「所有者を不幸にする装飾品か。心配するな、金目のものに興味はない。」
「それならいいが、たとえ金貨一枚でも手にした途端に、床の転送陣が発動するからな、注意せよ。」
俺達は事前の話し合いで、もしジャンが肉食海獣の巣に飛ばされた時は、その時点で俺がすぐに後を追い、宝物庫に入れないリヴは直接巣に向かってそこで合流することに決めておいた。
リヴの話では『アーケロン』と言う海獣は大型でかなり獰猛らしく、幼獣でも簡単に人の手足を食い千切るほどの力があるらしい。
出来ることなら相手にはしたくないものだが…そうも言っていられないだろう。
一番いいのは、宝物庫に入る前にジャンを助け出すことだ。まだジャンがここにいる、若しくはここに必ず連れてこられるとは限らないが、心積もりはしておくにこしたことはない。
鍾乳石のアーチをくぐり抜け、島へと続く橋のたもとまで来た所で、俺達の目の前に突然水中から水飛沫を上げて、十体ものウォントが出現し立ち塞がった。
ザバアッザザッザアンッ
「ウォント!!数が多い…!!」
シャッ
「見よライ!あそこだ!!」
ライトニング・ソードを引き抜き構えた俺の左横で、同じように棍を構えたリヴが橋の向こうを見て叫んだ。
三十メートルほど先の祠堂の前に、あのルイーバという化け物と、腕の代わりに大きな翼を持つ、下半身が魚の姿をした女に挟まれる形でジャンが立っていた。ルイーバの狙いが宝物庫にあると思った俺の推測は、間違っていなかったのだ。
「ジャン!!!」
ジャンの名を呼んだ俺の声を合図にするかのように、周囲のウォント達が一斉に動き出す。
ズザザザザッ
ガキインッガッガカカッ
突き出された槍の先端が凄まじい速度で前後に動き、俺の顔を目掛けて襲いかかってきた。その脇から別のウォント二体の突進攻撃が繰り出され、俺はそれらを辛うじて躱すのが精一杯だった。
≪ は、速い…!!≫
「屈めライ!!」
「!」
背後から聞こえたリヴの指示に、俺は振り返らずその場ですぐに身を屈めると、直後に、炎を纏い高速回転した棍が俺の頭上を掠め、ウォント達を薙ぎ払った。
身体に火が付いて炎上したウォントは、絶叫して周囲に吹き飛ぶ。その瞬間、俺の目の前に道が開けた。
「ここは予に任せよ!!ルイーバから子供を取り返すのだ!!」
絶え間なく襲いかかるウォントの攻撃をものともせず、自由自在に棍を操るリヴは、まるで舞い踊るように流れる動作で次々とウォントを倒して行く。
それを見た俺はリヴの言葉に従い、祠堂に向かって岩の地面を蹴り、橋上へと走り出した。
石の支柱に支えられた木製の橋は水を吸って朽ちかけており、俺が橋板を踏みしめて蹴る度に鈍く軋んだ音を立てる。
俺は剣を両手で握り、斜め右下に構えつつ、幅が一メートル半ほどの橋を一気に駆け抜けると、先ずはジャンの右側にいた翼を持った女に狙いを定め、右下から斜めに左上方へと切り上げた。
「化け物共め、ジャンから離れろ!!」
振り抜いた遠心力でライトニング・ソードの小雷が、女を目掛けバチバチと迸る。
ルイーバは背後で飛沫を上げて水中へと逃げ込み、女は俺から距離を取ってひらりと身を躱した。
ジャンから化け物を引き離すことに成功した俺は、後ろを振り返り声を掛ける。
「ジャン!!怪我はないか!?」
だが俺の呼びかけに対して下を向いていたジャンはなにも答えず、代わりに右手に握られていた短剣で突然襲いかかってきた。
ヒュッ
ジャンの右手が左から右へと素早く真一文字に動いた。咄嗟に身を引いてそれを躱した俺の前で、体勢を崩したジャンが足を踏ん張り、くるりと振り返ってまた短剣を振り回す。
ヒュッヒュンッ
右上から左下へ、左上から右下へとジャンは無言で俺への攻撃を繰り返した。
「な…止めろ、ジャン!!俺がわからないのか!?」
俺を見上げるジャンの目は、昏くくすんでおり、一目見てなにかの術にかかっているのがわかった。
様子がおかしい…まさか、操られているのか…!?
「ジャン!!しっかりしろ、俺だ!!ライだ!!」
再び俺が呼びかけると、ほんの一瞬、ジャンの手が止まる。だが直後、女が羽ばたきながら不気味な歌を歌い出すと、ジャンの身体はビクンッと大きく反応し、右手で短剣を握ったまま、両手で頭を押さえ出した。
「うう…父さん…母さん…っ」
――この時、ジャンは魔術により幻覚を見ていた。
幼い頃、徴兵制度により強制的に自分から引き剥がされ、父親と共に王国軍に連れられて行った母親…その記憶に混じり、実際とは異なる光景を頭の中で目の当たりにする。
それは優しかった記憶の中の父と母が、王国軍人にジャンの目の前で斬り殺される姿だった。現実ではジャンの両親は、飛空戦艦に一般兵として乗船しており、ラ・カーナ王国に墜落して炎上した戦艦と共に戦死したとされている。
つまりジャンが見ているのは現実とは全く異なる幻覚で、その上、そこにライが王国軍人であることに気付いてしまった時の些細な衝撃が、事態を悪化させる要素となって加わり、両親を斬り殺した軍人=ライへと歪んだ形で幻影を見せていた。
そのことがジャンの頭を激しく混乱させる。
「ううう…仇…ライさんは父さんと母さんの、仇…――」
『人間!!こいつはセイレーンだ、チビはこいつに操られてる!!先にこいつを倒せ!!』
アギに乗ったパキュタが女――セイレーンの顔の前を飛び回り、その歌を妨害する。俺はその隙を縫ってセイレーンに近付き、飛び上がって左の翼を切り落とした。
ザンッ
ギャアアアッ
セイレーンは悲鳴を上げて地面に落ちると、すぐに起き上がり体勢を立て直して、鋭い棘の付いた長い尾鰭を振り回し、叩き付けるように何度も俺に猛攻を仕掛けてきた。
アギに乗ったパキュタは、あの小さな身体で少しでもセイレーンの気を散らそうと、何度も何度も目の前を飛び回り、魔術を使われないように邪魔をしてくれている。
その隙を突いて連携を取り、俺はセイレーンへの連続攻撃を叩き込んで行く。セイレーンは負けじと身を捩り、残ったもう片方の翼で致命傷を喰らわないよう、自分を庇いながら反撃して来た。
一進一退を繰り返す俺の背後でこの時、操られていたジャンに異変が起き始めていた。だが俺はセイレーンを先に倒そうと夢中で、全くそのことに気が付いていなかった。
「うう…あああああっっ!!!」
ジャンが狂ったように叫び声を上げる。
「危ないライっ!!!」
ハッとして振り返ろうとした俺の耳に、ウォントを倒し切り、こちらへ向かっていたリヴの警告する声が橋上から届く。次の瞬間――
ドッ…
――俺の脇腹にジャンの手に握られていた短剣が突き刺さり、激痛が走った。
「――…っ、ジャン…っ」
セイレーンに操られたジャンが、無防備だった俺の背中に短剣を構え突進してきたのだ。
ジャンはすぐに短剣から手を放して後退ると、ブツブツと呪文のように独り言を繰り返す。
「黒髪の鬼神…ライ・ラムサス…父さんと母さんを殺した…仇…ライさんは、エヴァンニュの軍人…――」
その言葉を聞いた瞬間に、俺が王国軍人であることをジャンは知っていたのだと気付く。だが仇と言うのは…?
「ぐっ…」
足元から力が抜け、俺はその場にガクリと膝を付いた。
『人間っっ!!!』
「ライ!!!」
アギに乗ったパキュタが慌てたように俺の頭上を飛び回り、橋を渡り切ったリヴが俺の元へと駆け付けると、その直後、またセイレーンが歌を歌い出す。
「歌を…リヴ、セイレーンの歌を止めろ…っ!!」
「そちの治療が先だ!!」
脇腹に刺さった短剣を引き抜き、痛みに耐えながらリヴに訴えると、リヴは俺の言葉に首を振り、その手から治癒魔法を放った。
『おいらが行くっ!!』
アギに乗ったパキュタがセイレーンの顔に再び突撃して行く。俺はパキュタの勇敢さに頭が下がる思いがした。だがその歌を止める前に、操られたジャンは踵を返し、宝物庫の扉をバンッと勢いよく開け放つと、中へ駆け込んで行った。
「ジャン!!!」
リヴが放つ治癒魔法の淡い緑色の光が一際強く輝くと、俺の傷が一瞬で治り、痛みも消え失せる。
「すまないリヴ、助かった。」
すぐさま俺とリヴは立ち上がり、飛び回るアギとパキュタを追い払おうとして暴れるセイレーンを見やる。
「気にするな、それよりセイレーンを倒すぞ。あれが生きている限り、あの子供は正気に返らぬようだ。」
「だがルイーバはいいのか?奴は――」
「理由があって今はあれを倒すことが出来ぬのだ。どの道海王珠があれの手に渡ることはない。故にセイレーンだけを倒せば良い。」
リヴは俺の言葉を手で遮り、心配は要らぬ、と慌てた様子もなく至って冷静に首を振った。
なにか大きな理由があるのか…リヴがそう言うのなら、俺がこれ以上気にしても仕方がない。
俺はリヴと二人で、片翼を切り落とされながらもまだ余力を残すセイレーンに全力で挑んだ。
――リヴの力は圧倒的だった。連結を解除し、三節棍に切り替えるとセイレーンの俺への攻撃を全て弾き返し、俺が剣による連続技を繰り出す度に、背後から攻撃してくるルイーバにも対応し補助に徹底してくれていた。
その上で俺の攻撃が途切れると、間を空けず武器を棍の状態に連結し、長いリーチを活かして俺の背後からセイレーンを攻撃し続ける。
それは前衛を守りながら補助と攻撃を担う、とんでもなく高等な戦闘技術だった。
そのことから、リヴはこう言った他者との連携を取る戦闘にかなり慣れていて、相当な経験を積んでいることがわかった。
おまけに――
「頃合いだライ!!予が唱える水魔法に乗せ、魔石の力を解放せよ!!」
ブウンッ
『清き流れよ、全てを飲み込む濁流となりて彼の者を飲み込め!!〝アクエ・ヴァルナー〟!!』
ゴオッ…
「喰らえ、雷撃…!!うおおおおおっ!!!」
――リヴの前に水色の魔法円が輝き、轟音と共に出現した大量の水がセイレーンに押し寄せる。海棲族のセイレーンにそれだけでは損傷を与えられないが、そこに俺がライトニング・ソードの雷撃を乗せることで、二つの属性効果が合わさり、高威力の雷撃波となってセイレーンを飲み込んだ。
バリバリバリズガガガガガッ
ギャアアアアアッ
セイレーンは全身を雷に貫かれ、消し炭となって崩れ去ると、後には骨も残さず消滅した。
「はあ、はあ…」
――なんという威力だ。これがリヴの力…そして魔法の力か。
俺は初めて目の当たりにした桁外れの魔法に、恐怖すら感じた。
「まだ終わっておらぬ、気を抜くでない!!」
へたりかけた俺の腕を掴んでグイッと引っ張ると、リヴは俺を叱咤して後ろを振り返った。
「たった今宝物庫の転送陣が発動した!!手筈通り子供を追いかけよ、すぐに予も向かう!!合流するまでなんとか持ち堪えるのだぞ!!」
「ジャン…!!わかった、頼んだリヴ!!」
「行け!!」
――宝物庫へ走り出した俺のすぐ脇で、リヴの身体が水色の光に包まれていく。その身体の輪郭が見る間に崩れて行き…俺の視界の端でリヴが巨大な海竜の姿に変化するのが見えた。
あれは…海神…!?
ジャンがルイーバに攫われた時、水中で見かけた巨大な姿――それがリヴだったのだとこの瞬間、初めて気が付いた。
俺は宝物庫の最奥の部屋へと駆け込み、そこにジャンの姿がないことを確認すると、中央の台座に青白く輝く、三十センチ大の水を纏った宝玉に手で触れた。
ブオンッ…シュンッ
床が一面光り輝き、身体がふわりと浮き上がるような感覚がして、次の瞬間には、別の場所に飛ばされていた。
「ジャン…ジャンはどこだ!?」
俺はすぐに先に飛ばされたはずのジャンの姿を探したのだが、傍には見当たらなかった。
別の場所に飛ばされたのか…!?
――そこは水が滴る音だけが響く、薄暗い湿った岩壁の地下牢のような場所で、部屋の隅に巨大な光茸が青く輝き、室内を照らしていた。
岩壁の端には金属製の格子扉が嵌められていて、閉じられてはいたものの、鍵は一切かかっていなかった。
耳障りなキイィ…と言う音を立て、その扉を押し開けると、俺は暗くて殆ど見えない通路へ出て周囲を見回す。…今のところなにかの動く気配はないようだ。
暗闇に少し目が慣れてくると、そこは監獄のようにいくつもの岩屋が並んだ通路で、小部屋の中には複数の人骨が転がっており、閉じ込められたまま外に出られず亡くなった人間がいたことを表していた。
ジャンを見つけないと…ここの他にも同じような通路があるのかもしれない、探そう。
俺は急いで通路を辿り、他の岩屋に行ける道を探した。
この場所は中央に大きな円形の広場があり、その周囲に放射状に伸びる通路と、岩屋が複数並んでいる…そんな構造の造りになっていた。
各通路の入口の壁には壁掛け松明があり、俺は視界を確保するために各岩屋を見て回りながら順々に灯を点していった。
いない…どこだジャン…どこにいる?
中々ジャンを見つけられずに焦り出した時だ。どこかから微かに、子供のすすり泣く声が聞こえた。
俺はその声の聞こえる方に急いで向かう。
「…ひっく…ひっ…じいちゃん…ライさん…ひっく…父さん、母さん…帰りたいよ…」
「ジャン!!そこにいるのか!?」
格子扉を開けその声がする岩屋に入ると、部屋の隅で膝を抱えて泣いているジャンをようやく見つけた。
「ジャン!!」
「ラ…ライさん…ライさんっ!!」
ジャンは余程心細かったのか、俺を見るなり手を伸ばし抱き付いて来た。
「大丈夫か?怪我はないか?…良かった、正気に戻ったんだな。」
俺はジャンの顔の汚れを指で拭い、汗で張り付いた前髪を掻き上げて顔を確かめた。
「ああ…俺、俺…っごめんなさい、俺ライさんを短剣で刺し――」
ジャンはガタガタと震えながら、涙を浮かべて俺にぎゅっとしがみ付く。
「心配するな、一緒にいた仲間に治癒魔法で傷はもう治して貰った。痛みもないから気にしなくていい。」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ライさん…!」
「いいんだ、謝るな。おまえは悪くない、化け物に操られていただけだ。それより動けるか?この場所はかなり危険な所らしい、急いで出口を探すぞ。」
「う、うん…」
俺は左手でジャンの手をしっかりと握り、岩屋から再び通路に戻った。
「ライさん…ここってなんなの?…まるで牢獄みたいだ。」
「ああ、遙か昔に沈んだオセアノ海王国では、罪人の処刑場として使用されていた場所だそうだ。『アーケロン』という名の肉食海獣の巣らしい。」
「アーケロン…!?それって、古代期の巨大な海亀のことだ…!サーペントと並んで、恐れられてたって伝説の化け物だよ…!!」
「――そうか。」
「そうか、ってライさん、まさかそんなのと戦う気かよ!?無理だって…!!」
「落ち着けジャン、俺だって出来るなら戦闘は避けたい。だが先ずは仲間と合流するのが先だ。」
俺はジャンにリヴのことを話し、ジャンが攫われた時もそのリヴが生きていることを知らせてくれたことと、俺よりも遙かに腕の立つ人物だと言うことを伝えた。
その上で、今度はなにがあっても、俺が命をかけてジャンを守ると、固く約束した。
「そう言えばジャンは…俺が軍人であることに気付いていたんだな。…黙っていて悪かった。」
「あ…うん…でも俺、ライさんのことは信じるよ。ライさんは…俺に嘘を吐かなかった。それに今もこうしてちゃんと助けに来てくれたもんな…やっぱりライさんは、俺にとって守護者だよ。」
そう言ってジャンは俺に心からの信頼を向け、笑顔を返したのだった。
投稿までに時間がかかってすみません。次回、なるべく早く上げられるように頑張ります。仕上がり次第アップします。いつも読んでいただき、ありがとうございます!




