67 目覚めし災厄カラミティ ⑦
ルーファスが止める間もなくカオスに突進していったアーシャル達は、ルーファスの目の前で無残にも死龍に噛み砕かれて散って行った。それを見たルーファスは自分がなぜ暗黒神とその眷属であるカオスと戦うことに決めたのか、その理由を思い出します。そうして忘れていた激しい怒りを思い出し、目の前のカオスを改めて敵だと認識しますが…?
【 第六十七話 目覚めし災厄カラミティ ⑦ 】
――俺の目の前で、死龍に噛み砕かれたアーシャル達の白い羽が、まるで吹き荒ぶ雪のように飛び散った。
カラミティはル・アーシャラーの魂は死んで一定時間が経過すると結晶化することを教えてくれた。それがあれば、復活することが可能なのだと――
では彼らの遺体すら残らなかった場合はどうなる?死龍に噛み砕かれて、飲み込まれた場合は?『サナトス・エジダイハ』は魂すらも食い尽くす。
つい数分前まで生きており、俺に逃げろ、と言ってカオスに向かって行った彼らは…もう戻って来ないのか。
彼らは第六位セスタール・メイブと、第七位アヴァード・モーナ…そう俺に名乗った。
カラミティがアーシャルに向けて攻撃を放った時とは違う、全く別の感情が俺のどこか奥底から沸き上がって来るのを感じる。
同じ命を奪う行為であり、同じ『死』には違いない。…だけど俺は知っている。いや、正確にはたった今、思い出した。
カオスが与えた『死』には、救いがないことを。カオスが与える『死』には死せる魂の行き着く先に―― "安らぎ" が存在しないことを。
何故なら『カオス』は、本来の役割を放棄した、狂った暗黒の神に仕えているからだ。
『カオス』は生命を弄ぶ。嘲り、愚弄し、傷付け、ズタズタに引き裂いて…それでも飽き足らず、死した後も死傀儡のような傀儡にしたり、魂無き器として操ったり…その果てに穢れに満ちた魂は冥界にすら行くことが出来ず、死霊や怨霊と化して永遠にフェリューテラを彷徨い続ける。
千年よりもずっと前、俺はそんな光景をフェリューテラの様々な場所で、何度も何度も目撃した。
魔物に怯えながら日々を必死に生きる人々…すぐ傍に死の危険を感じながらも、笑顔を絶やさず、愛する家族や恋人、友人を守りながら、懸命に自分達の生を全うしていた。
その頃、俺にはなにか別の目的があって…そのために世界を旅する中、行く先々で出会うそんな人々の姿を見るうちに、いつしか儚く消えて行く彼らを魔物から守りたいと思うようになった。多分…それが始まりだ。
直前まで俺の目に映る輝いていた命が、無残にも救いのない暗黒の彼方へ散って行く…本来の役割を放棄し、『カオス』を生み出した暗黒神も、俺が大切に思う精霊や人間、多種族にフェリューテラの美しかった自然や動植物、小さな虫の一匹に至るまでその命を破壊し、冒涜し続ける『カオス』も――
――許せなかった。
「――思い…出した…俺が暗黒神と…カオスと戦っていた、その理由…を…」
俺の心に、目の前にいる『カオス』に対する激しい怒りが湧いて来る。それはおそらく、とても永い間…俺の中で静かに眠っていた感情だったに違いない。
今ならはっきりとわかる。暗黒神とその眷属であるカオス…カオスは俺の――
――『敵』だ…!!!
「……俺は…おまえ達を、許さない…!」
ゴッ…ドオンッ
目の前で蒼天の使徒アーシャル達を死龍『サナトス・エジダイハ』の餌食にされた俺は、カオスと戦っていた理由を思い出すと同時に赫怒して冷静さを失った。
傍にいたカラミティとマーシレスのことも頭から吹っ飛び、腰のエラディウム・ソードを引き抜くと、頭の中で叫ぶアテナの声に耳を傾けることも忘れ、全力でカオスに襲いかかった。
――死龍を倒し、体内に取り込まれたル・アーシャラー二人の亡骸だけでも取り戻せば、もしかしたらまだ間に合うかもしれない…!!
もしくは結晶化した宝玉さえ取り出せれば、きっと彼らを助けられる。…そう思った。
『エキドナ』から放たれる闇属性魔法をディフェンド・ウォール・リフレクトで弾き返し、左右から俺を挟み込むように巨大な鉄槌を振り下ろして来る、三メートルほどの躯体を持つゴーレムに似た駆動人形の攻撃を躱しながら、俺は一直線に最奥にいた黒ずくめの男と死龍を目指した。
「取り戻す…奪われた彼らの命を、俺がっ!!絶対に取り戻す…っ!!!」
救える可能性が少しでもあるのなら、諦めない…諦めたくない…!!
ブオオオオオオオオオオッ
ドス黒い靄と腐臭を撒き散らしながら、眼前の巨大な死龍が咆哮を上げる。その姿は『龍』とは名ばかりの、腐肉がドロドロに液状化し、崩れかけたものをまた吸い上げるように形成する…そんな醜悪な循環を繰り返す、肉塊にしか俺には見えなかった。
ガガッギインッヒュヒュンッ
その肉塊の影から躯体を突き抜けて、無数の鏃のような棘の付いた鞭の先端が空を斬り、放射状に俺の顔を目掛けて飛んで来る。咄嗟に剣で目を守り、後は甘んじて受け止めることにした。かすり傷程度なら放っておいてもすぐに治るからだ。
ビビッビッ
予想通り全ては避けきれず、俺の頬と肩の辺りに鋭い痛みと、幾筋かの裂傷が入った。瞬間、今度は足元に黄土色の魔法陣が輝く。エキドナの土魔法による下からの攻撃だった。
「!」
『ディフェンド・ウォール・ソルグランド!!』
ゴッゴッドゴゴゴゴンッ
アテナ…!!
アテナが発動した防護障壁で即座に魔法は粉砕された。
『ルーファス様!!お願いです、今はお引きください…!!お一人でカオスの三人を相手にするのは無謀です…っ!!!』
嫌だ!!きっとまだル・アーシャラーの二人は助けられる!!絶対に諦めない…!!
――俺はアテナの願いを無視した。
左手に瞬間詠唱でグラキエース・ヴォルテクスの魔力を込め、右手のエラディウム・ソードで光属性魔法剣技インスピラティオを放ち、連続した攻撃を死龍のみに集中して畳みかけた。その間アテナは、最も危険だと判断したエキドナの魔法詠唱を細かい攻撃魔法で邪魔をし、合間に次々と変化する戦況に必死に対応し続けている。
グラキエース・ヴォルテクスの氷結効果で液状化していた腐肉の表面が凍り付き、インスピラティオの斬撃が死龍の前面を砕いた。だが表面を削るに止まり、取り込まれたル・アーシャラーの二人がいる辺りにまでは届かない。
≪くっ…躯体が巨大すぎて攻撃が奥まで通らない…!!もっと威力の高い魔法で一気に攻撃しないとだめか…!!死龍の弱点は光属性…過去に飛んで習得した、光属性の禁呪『グランドクロス』が使えれば…!!≫
その時、がら空きになった俺の背後に駆動人形が回り込み、視界が翳った。
それに気付いてハッとした俺は、なんの攻撃が来るのか確かめずに防護障壁を発動する。振り返っていては到底間に合わないからだ。
「『ディフェンド・ウォール・リフレクト』!!」
直後、凄まじい轟音と共に、駆動人形の鉄槌による振り回し攻撃が俺を襲った。
ドゴゴゴゴゴゴッ
咄嗟に身構え、両手で障壁を維持し続けたが、その衝撃に押されて俺は足下の地面に抉られた筋を二本残しながら障壁ごと後退る。
「くっ…なんて重い攻撃だ…!」
三撃目まで障壁に当たった所でその力が跳ね返り、駆動人形は回転を中断して後方に引っくり返った。だが俺の防護障壁も同時にパシャーン、という硝子が割れるような破砕音と共に砕け散った。
「ディフェンド・ウォールが砕けた…!?」
障壁が消えたその一瞬の隙を突き、巨大なヒキガエル(の姿をしたカオス)が、その外見に似合わず素早く動き、目の端で俺の動きを妨げるネバネバした粘着質の唾液を大量に吐きかけて来るのがわかった。
ドボドボドボボッ
「うわっ!!?」
しまった…身動きが取れない…!?
ドロドロとした液体が吐き出される不快な音がして、悪臭を放つ卵の黄身のような色をした液体が全身に降り注ぎ腕や足に絡みつくと、俺はそのまま思うように動けなくなった。
『ルーファス様!!すぐに浄化魔法を――はっ…』
アテナが状態異常を治療する浄化魔法『リカバー』を唱える前に、黒ずくめの男が目の前で鞭をヒュッと振り上げると、それに従うように死龍が大口をガパッと開けて俺の頭上から飲み込まんと襲いかかって来るのが見えた。
障壁…間に合わない…――っ…
「天空に掲げられし聖なる十字は穢れを祓い、不浄なる悪しき権化を滅ぼさん。死せる者は死せる者たる汝が在るべき冥府へ還れ。天位聖光…『グランドクロス』。」
カッカッカカカカカッ…
まだ星明かりの残る紫色の空に、白く輝く魔法円が内側から外側へと拡がるように描かれて行き、その中心に斜めに走る十字が輝くと、それは閃光を伴って死龍の上に一気に降り注いだ。
キュオオオ…ドシュウウウウウウンッ
瞳に直接光を向けられた時のように、視界が一瞬で真っ白になってなにも見えなくなると、俺は衝撃でその場所から十メートル以上も後方に吹っ飛ばされた。
反動で背中から地面に叩き付けられ、思わずその痛みに顔を歪ませると、なんとか上体を起こしながら歯を食いしばる。
「う…く…、なにが…」
『浄化せよリカバー!!傷を癒やせ、エクストラヒール!!ルーファス様!!大丈夫ですか!?』
…ああ、なんとか大丈夫そうだ。…凄い衝撃だった、今のは…?
すぐにアテナが回復魔法をかけてくれて動けるようになった俺は、強打したせいで痛みが残る右腕を左手で押さえながら立ち上がった。
顔を上げて光の粒子が立ち昇るその方向を見ると、俺が寸前まで対峙していた死龍は跡形もなく消滅し、近くにいた駆動人形も二体の内一体が半壊していた。
カオスの面々は咄嗟に距離を取ったのかほぼ無傷で、宙に浮かぶカラミティを驚愕の表情で見上げていた。
『ルーファス様、今のは古代魔法聖光術グランドクロスです…!災厄…カラミティがあれを使用しました…!!』
カラミティが…?
真紅の髪を靡かせて宙に浮いていたカラミティは、死龍がいた辺りにふわりと舞い降りると、そこから地面に落ちているなにかを拾い上げ、俺の所へ飛んで来るなりスッと手を差し出した。
「――まだやるつもりか。」
そう言って俺を見下ろすように視線を向けると、パッと開いたカラミティの手から、白みを帯びた緑色に輝く二つの宝玉が零れ落ちる。俺はそれを両手で落とさないように、しっかりと受け取った。
ル・アーシャラーの宝玉…取り返してくれたのか…。
「…いや、これさえ取り返せればいい。」
手の中で微かに感じる温もりにホッとした俺は、さっきまで自分の中にあったカオスへの激しい怒りが急速に静まって行く。
『ならばとっとと離脱を…と言いたいところだが、やはりそう簡単には行かぬな。…どうやら闇犬共は徹底的に我らとやり合うつもりだ。』
ブウン、と光るマーシレスの声と同時に、黒ずくめの男が今度は三体の合成魔獣を召喚し、ヒキガエル男は破損した駆動人形を修復して体勢を立て直した。
「合成魔獣…!!」
頭が獅子、身体には蝙蝠の羽根と強固な鱗、四肢の爪は鋭く尻尾は三匹の大蛇…以前王都の軍施設で戦った時のものより遙かに大きく、身に纏う魔力も強大で、一目見て桁外れに強化されているキマイラだと見てわかった。
おまけにエキドナが後衛に下がり、得体の知れない強化魔法陣を広範囲に展開して、今度は完全に補助に徹する戦闘隊形に変えてくるようだ。
「――逃げられそうにない、な…これは。」
少しでも動けば、即座に戦闘が再開されそうな一触即発の状態だった。
その上、さっき吹っ飛ばされた衝撃で、俺のエラディウム・ソードがいつの間にか手元からなくなっていた。
俺はル・アーシャラーの宝玉を無限収納の貴重品に仕舞って、予備に入れておいた別の武器を取り出そうとした。ところがその時、カラミティから思いも寄らない提案をされる。
「いいや、そうでもない。ここからはマーシレスを使え、ルーファス。」
「え…?」
「うぬがこれを手に戦えば良い。どの道我ではカオスを倒せぬ。」
「な…あなたはどうするんだ?」
マーシレス…その禍々しい剣を俺が使う…?
戸惑いながら青黒く光るマーシレスを見る俺に、カラミティはそれ以上なにも言わずに剣を差し出した。
アテナ…俺がこの剣を使っても大丈夫だと思うか?なんだか嫌な予感がするんだけど…。
どうしたらいいか考え込んでいたのか、返事が返ってくるまでに数秒間の間があって、あまり気乗りのしない声と口調でアテナは言った。
『…ここから無事に逃げ出すにはやむを得ないかもしれません。その剣はどのような力を秘めているのか私にも全くわかりませんが、その分ルーファス様のお力と合わさればカオスを退けることも不可能ではないと思います。ただ…』
ただ?
『闇の力が強すぎるために、お身体になんらかの影響を与える可能性が僅かに懸念されます。…ルーファス様、闇の力に飲まれるような異変を感じた際は、すぐにその剣をお放しください。』
わかった、気をつけるよ。
アテナがやむを得ないと言った。つまりここから逃げ出すにはこの時点で俺の力は足りておらず、さっき言われた通りあの三人を相手にするのは、かなり厳しいと言うことか。なんとなくわかってはいたけど…
マーシレスがブウン、と光を発し、俺を揶揄うように嘲笑う。
『ククク…どうした守護七聖主、我を御しきれぬと怖じ気づいたか?安心しろ、取って食いはせぬ。貴様を傷付けて本来の目的を達せられなくなれば本末転倒なのでな…如何に貴様が不老不死とは言え、手加減する。』
それでも俺はどこかに躊躇いがあり、伸ばす手の指先に微かな震えが生じていた。だが――
『ルーファス様お早く!!カオスの攻撃が来ます…!!』
――迷っている時間はなかった。
『ディフェンド・ウォール・リフレクト!!』
アテナが戦闘フィールドを展開する前に防護障壁を発動し、カオスの遠距離攻撃から俺とカラミティを守った。
『対カオス対召喚体、合成魔獣戦闘フィールド展開…!フォースフィールド、クイックネス、闇属性耐性付加――きゃああああっ!!!』
アテナの補助魔法が発動し、俺がマーシレスを手にした数秒後、その強大な力が俺の中に流れ込み、アテナの悲鳴が頭に響いた。
アテナ…アテナ!?
そうして突然、アテナの気配が途絶えた。
『余所見をするな守護七聖主!!行くぞ!!』
ドンッ
マーシレスの闘気と、俺の闘気が混ざり合い、普段の何倍もの力が俺の中から沸き上がってくる。死龍と戦っていた時とは相手の強さが違って見えるほど、俺が放つ魔法も剣技も桁違いに威力が上がって行った。
――なんて力だ…いったいこの剣はなんなんだ…!?
俺の疑問を察したようにマーシレスが話し掛けて来る。
『丁度いい、名乗っておく。我は闇の守護神剣<カオス・ガーディアンソード>マーシレスだ。以後貴様とはなにかと共闘する機会も増えるだろう。よろしく頼むぞ、守護七聖主。』
闇の守護神剣<カオス・ガーディアンソード>…!!
「なぜカオスはカラミティとおまえを狙う?俺に気付くまではおまえ達が標的だっただろう…!」
俺はまず最初に三体の合成魔獣キマイラと、二体の駆動人形から攻撃し、一体一体を確実に倒すことにした。
マーシレスと組んだ俺の力は圧倒的で、このまま順調に行けば問題なくカオスの戦力を削って行けるだろう。
アテナの気配がなくなってしまったため、いつでも防護障壁を放てるように常に左手に待機しておく。
『なに、簡単な話だ。我が暗黒神の元に保管されていた時に、捕らえられたカラミティが奴らから我を盗み出したからだ。もっとも、それを唆したのは我自身だがな。ククク…』
「つまりカオスは、これから復活する暗黒神ディースのために、おまえを取り返そうとしている…そう言うことか。」
『まあそうだな。だが我にも目的がある。それは暗黒神の元では叶わぬ願いでな、いつか奴らの元から逃げだそうと思っていたのよ。そこへカラミティが捕らわれて来たのは僥倖だった。』
「目的?それはなんだ?」
『――それはまたの機会に話そう。我は暗黒神の元へ取り返されても我の意思で協力するつもりはない。だが、あれの手に戻った途端に我の意志は捻じ伏せられ、ただの剣のように力を振るわされることになるだろう。故に守護七聖主…ここはなんとしても切り抜けさせて貰うぞ。』
三方向から同時に放たれるキマイラのファイアブレスをディフェンド・ウォールで防ぐと、その攻撃の隙にマーシレスの刀身を通してグラキエース・ヴォルテクスを放つ。
ブレスを吐き出している最中に俺の氷魔法を喰らったキマイラは、瞬時に凍結して動きが止まる。その間にマーシレスは闇の衝撃魔法を放ち、右側にいた一体目のキマイラを粉砕した。
俺はそっちをマーシレスに任せている間に、正面のキマイラに最大威力の無属性魔法『クリシス・パノプリア』を放って粉砕する。
これで残るキマイラは一体になり、駆動人形二体とカオスのメンバーのみになる。
カラミティは後方でカオスの行動を牽制し、時折魔法を使って俺とマーシレスの補助をしてくれていた。
俺はなぜカラミティではカオスを倒せないのか、それもマーシレスに聞いてみた。
「カラミティではなぜカオスを倒せない?普通に攻撃は効いているし、おまえがいればさっき放ったグランドクロスのような魔法で致命傷を与えられそうに思えるけどな。」
残る一体のキマイラに攻撃を集中して、氷属性魔法とマーシレスによる攻撃を交互に仕掛けながら追い詰めていく。
『――奴はその資格を失った存在だからだ。貴様はすっかり忘れているようだが、我を手にするまで、カラミティは正気を失っていた。己の意思を持たぬ、それこそただの災厄にすぎなかった期間がある。』
「正気を失っていた?その原因は?」
『それは我が話すことではない。いずれ必要とあらばカラミティが自分から話すだろう。』
「――…。」
俺は俺なりにマーシレスの話から考えを纏めてみた。
カオスがカラミティを標的にしたのはマーシレスを取り戻すため…マーシレスは目的があって暗黒神の元から逃げ出したかった。…と言うことは、カラミティとマーシレスはなんらかの形で、その目的が一致しているのかもしれない。
そこに俺が絡んでくる理由はなんだろう。その目的に俺の力が必要なのか…?
取り敢えず今のところはカラミティがカオスに協力する気にさえならなければ、カラミティにとっても暗黒神とカオスは敵対存在に当たる…そう判断しても大丈夫そうだ。
そうこうしている間に三体目のキマイラを難なく倒し終わり、気付いた時にはカラミティが駆動人形二体を極悪魔法(見ていなかったのでわからなかった)で倒し終わっていた。
これでようやくカオスの対応に本腰を入れられる。
もし運良くこの場でこのメンバーの内誰か一人でも倒すことが出来れば、今後がかなり楽になることは想像できた。隙を見て逃げ出すのではなく、倒せるのなら倒してしまおう。…そんな自分の力量を見誤る、奢った考えが何処からともなく頭を埋め尽くす。
俺は自分でも気付かないうちに、普段の俺からは想像できないような感情に支配されつつあった。
高慢、驕り、過信、慢心、侮蔑、軽侮、憎悪などの負の感情だ。
それが、闇の力による影響なのだと全く気付くこともなく、ゆっくり、ゆっくりとマーシレスの持つ強大な闇の魔力に侵蝕されて行き、まるで自分が神にでもなったような錯覚を起こしていた。
そうしてカラミティと二人、マーシレスを手にしたまま俺は、未だに余裕の表情を崩さないカオスの三人と向き合って正面から対峙することになった。
カオスの面々はなぜかここに現れた時の姿に戻り、俺の前に並んで不吉な笑みを浮かべた。
「――これはこれは…まさかよもや守護七聖主が、最も忌み嫌う闇の力に頼ってまで我々との戦闘に挑もうとなさるとは…思いがけぬ嬉しい誤算だ。のう?ガネーシャ。」
ヒキガエル男がまた突き出た腹を叩いて、含みのある嫌らしい笑いを俺に向ける。
「ふふふ…面白いことになりましたね、ルエル殿。ちょうど良い、ここで我らも正式に名乗り、守護七聖主殿にきちんとご挨拶をしようではありませんか。」
…?…なんだかカオスの様子がおかしい…?
さっきまで俺を殺そうとしていた殺気は消え失せ、態度を軟化させるかのように奇妙なことを言い出す。なにが可笑しいのか、その笑みに言い知れぬ不気味さを感じて薄ら寒くなった。
不審に思い訝しむ俺に、エキドナの変態を解いたあの妖艶な美女がスイッと前に進み出て、同じような含みのある声で笑いながら艶めかしい視線を向けて来る。
「うっふふふふふ…そういうことなのね、守護七聖主 "様" 。わたくしたちは敬愛する暗黒神ディース様の眷属、カオスの一員…そしてわたくしは蛇人族の魔女、名を『ナキア』と申します。以後お見知りおきくださいませね。」
なにを考えているのか、まるで俺に親愛の情でも表すかのように挨拶をする。
「わしは蛙人族のルエルじゃ。人形遣いのルエルとも呼ばれておる。そして隣の此奴が――」
「死人族のガネーシャと申しまする。我が研究の産物、キマイラがこうもアッサリと退けられるとは…さすが、としか言いようがありませんな。」
ヒキガエル男に続いて、黒ずくめのガリガリ男が心にもない世辞を交えてそう名乗った。
蛇人族に蛙人族、死人族…?初めて聞く種族名ばかりだ。
『連中は暗黒界の "魔族種" だ。』
マーシレスがぼそり、と補足する。
「魔族…!?」
魔族とは極めて悪辣な残虐性を持つ、強靱な肉体と魔力を備えた所謂『化け物』と呼ばれる類いに入るフェリューテラには存在しない異界種族だ。
考えてみれば当然のことだったかもしれない。カオスは異界属性を持つ闇の存在で、あの外見…フェリューテラに元から住んでいた種族ではない可能性は十分あり得ることだった。
「さて…無駄かとは思いますが、一応交渉してみましょう。守護七聖主殿…その手の闇の守護神剣<カオス・ガーディアンソード>マーシレスを、大人しく我々に渡しては頂けませぬでしょうか?その剣は我らが主のもの…千年ほど前にカラミティに盗まれ、困り果てていたのです。素直に渡していただければ、今日の所は大人しく我々も引き下がりましょう。」
死人族のガネーシャと名乗った黒ずくめの男が、どこまで本気なのかわからない交渉を俺に持ちかける。
「――断る。俺はおまえ達と如何なる交渉もしない。俺にとっておまえ達カオスと暗黒神ディースは敵だ。そんなにマーシレスが欲しければ、この俺から力尽くで奪ってみたらどうだ?」
俺はけんもほろろにカオス達の要求を一笑に付した。
「ほほう…やはりそう来ますか。」
うふふふふ、ほっほっほっ、クヒヒヒヒ、と彼らは三者三様の笑い声を上げて俺を嘲った。瞬間、俺の頭にカッと血が昇り、俺らしくもなく馬鹿にされたことに苛立ち、自分を見失った。
胸に渦を巻く真っ黒な憎悪に神経を逆撫でされ、感情のままに闘気を纏い、あろう事か自らその挑発に乗ってしまったのだ。
「笑っていられるのも今の内だ、覚悟しろ…カオス…!!」
ゴッ
――この時、隣に立っていたカラミティは俺の様子を窺うようにその真紅の瞳だけを動かし、一瞥していた。それに気が付くこともなく、自分が闇に侵されている自覚もないままに、俺は再びカオスとの戦闘を開始した。
後から考えてみると、俺の身に起き始めていた異変に気付いていなかったのは、多分俺だけだったのだと思う。
様子の一変したカオスの三人は元より、手にしていたマーシレスと、マーシレスを手渡したカラミティでさえ、少しずつ変化する俺に気が付いていたのだ。
戦闘開始直後からカオスの三人が取った行動は至って単純だ。徹底して俺を馬鹿にし、負の感情を煽り続ける。ちょこまかと動き回り、挑発を繰り返しては大したダメージもない攻撃を細かく、執拗に当てて来た。
集中力を欠き、その力が膨れ上がっているのにも関わらず、上手く力の方向を制御できなくなり、俺は徐々に疲弊し始めた。
――そうしてようやく自分が "おかしい" ことに気付いた時にはもう…手遅れだった。
身体が『闇』に侵蝕される感覚を、俺はこの時初めて味わうことになった。
戦闘中に冷静さを完全に失い、感情の制御が一切出来なくなった。わけのわからない苛立ちに苛まれ、次々に沸き上がる憎悪の抑えが利かなくなる。魔法をまともに詠唱することも出来なくなり、やがて俺は意識が朦朧とし始めた。
ま…ずい…マーシレス、を手放さない…と…――
遠のく意識を必死に保とうと努力はした。少しでも気を緩めると、重い身体がどこかに沈んで行きそうになるからだ。
そんな俺を傍にいながらカラミティは…なにもせずただじっと様子を覗っていたような気がする。マーシレスは何度も俺に呼びかけ、黒雷という黒い小さな雷を手元に放ち、俺が気を失わないように働きかけてくれていたみたいだった。
そんな行為も虚しく、俺はその場に膝を折り、程なくして足元から崩れ落ちた。
せせら笑うカオスの三人が俺が気を失う寸前に、マーシレスを奪おうと手を伸ばしたのを覚えている。
――そして俺は真っ暗な深淵の底に沈んだ。
♢ ♢ ♢
「お…おい、あれ…見ろよシルヴァン!!空にでけえ魔法陣が――なにかの魔法か…!?」
シルヴァンの背中にしがみ付いたまま俺は、彼此三十分近くアラガト荒野を走って来た。もうかなりルクサールの近くまで来てるに違いねえ、そう思い始めた頃、俺らが目指す方向の西の空に、真っ白い光を放つ超巨大な魔法陣が浮かび上がった。
驚いた俺は声を上げて空を見上げると、シルヴァンの頭をバンバン叩いた。
『あの呪文字…光属性の古代魔法か…!!あれを使うには膨大な魔力が要る、あの辺りにルーファスがいるのかもしれん、急ぐぞ!!』
「急ぐってこれ以上どうやって…んぎゃあ!!!」
ゴオッという嵐の時の風のような音を出して、ただでさえかなりの速度で走って来たのに、さらにそれを上げてシルヴァンが全力疾走し始めた。
「ぎゃあああっ速え、速え、速ええってばよおおおおーっっ!!!」
俺はもう、そりゃあ必死で全身を使ってシルヴァンにしがみ付いたさ。
…あ?おかげで楽できただろって?そんなこと言うなら、一遍こいつの背中に乗ってみろってんだ!!
毛がフサフサしてるから柔らけえのかと思いきや、筋肉質でゴツゴツして尻は痛えし、掴まるとこなんかどこにもねえから毛から手が滑ったら、吹っ飛ばされて落ちて置き去りにされんだぞ!?
強いて言えば唯一いいところは、颯爽と駆けて行く姿が見た目だけ格好いいってとこぐらいか?…ああ、いけね、歩くよりかは格段に速いんだっけ。
……って俺は誰になにを言ってんだか。それどころじゃねえだろ!!
「なあシルヴァン、カオスの連中と戦闘になったら、俺、邪魔にならねえか!?これでも身の程は弁えてっからさ、少なくともルーファスやシルヴァンの足手纏いにだけはなりたくねえんだよ…!!」
俺は以前相手にしたことのあるあのオレンジと白の二色髪をしたガキんちょを思い出した。見た目は子供なのに可愛らしさなんて微塵もなくて、ゾッとするような悪意の籠もった目でルーファスを睨んでたっけ。
おまけにあの触手みたいな複数の武器と、発動しなかったから被害を免れた魔法は…きっと俺じゃどうにもならねえ。
『――心配要らぬ、その時はルーファスに言って防護障壁を張ってもらい、そこで待機していて貰うような手段も取れる。無論そなたは自分の命を第一に行動せよ。何かあれば我もルーファスも動揺せずにはいられぬであろうからな。』
「うん…ありがとな、シルヴァン。」
シルヴァンって、ホント俺に優しいよなあ…。懐が深いっつーか、面倒見がいいっつーか…他の七聖もシルヴァンみたく、俺を受け入れてくれるといいんだけどな…。もしリカルドみてえな嫌な奴がいたら…どうしよ。
…なんてな、そんな心配今からしてどうすんだ、っての。それに類友って言うし、ルーファスが選んで七聖になった仲間なら、きっと…んにゃ多分俺が好きになるような奴らばっかに決まってる。
『――あれは…!!見つけたぞウェンリー、あそこにいる真紅の男がカラミティだ…!!』
シルヴァンに言われて顔を前に向けると、ルクサールに行くかなり手前の辺りで腕を組み、さらにその先で激しく交戦中の戦闘をただ突っ立って見守っているような背の高い不気味な姿の男が見えた。
ある程度の距離に近付いたところで俺はシルヴァンから飛び降り、シルヴァンは即座に人の姿に戻って斧槍を取り出した。
カラミティって男は、俺らに気付くなりスウッと滑るように浮き上がって一瞬で距離を詰めて来る。
すげえ…本当に真紅の髪に真紅の瞳だ…!こいつが…災厄…!?
「…獣人族の七聖か。白の守護者…千年の眠りについたと聞いていたが、目覚めたのか。」
「カラミティ…!我が主…ルーファスはどこだ…!?」
シルヴァンが血気逸って真紅の男に食ってかかりそうになった。
「ちょ…落ち着けってシルヴァン…!!」
絶対ヤバい。こいつは絶対にヤバい奴だ。なにがって…滲み出る雰囲気が普通じゃねえ!!俺なんか震える足をなんとか押さえるので精一杯なくらいだぜ…!?なんでシルヴァンは平気なんだよ…!!
シルヴァンを抑えようと止めに入った俺を見て、カラミティはほんの一瞬ピクッと髪と同色の眉を動かした。
「…うぬは……いや、気のせいか。」
は?なんですか?…なんか勝手に呟いて勝手に完結してるし。
直後カラミティはシルヴァンの質問に答えるように、見ればわかるだろう、カオスと戦闘中だ、と目にも止まらぬ速さで魔法や剣技が繰り出されている戦域を顎で指し示した。
地面には力尽きて倒れているヒキガエルみてえなおっさんと、蛇の下半身を持った超爆乳の妖艶美女が気を失ってた。
「え…?いや、いねえじゃんルーファス…確かに誰か戦ってるみてえだけど、あれ、ルーファスじゃねえぞ。」
「――地面に倒れている二人と、戦闘中の黒ずくめの男は…初めて見る顔だが確かにカオスのようだな。だが、その相手は……?」
今いる位置より前に出ると凄まじい攻撃の余波を喰らうため、これ以上近付けない、とカラミティが言う戦闘フィールドを見ると、真紅の闘気を纏った男が、青黒く光る中剣を手に次々と闇色の魔法を放っているのが見えた。
けどその男はルーファスじゃねえ。だってそうだろ?そいつが靡かせている髪の色は、漆黒の黒髪だったんだ。
「闇魔法を使い熟す…漆黒の黒髪の男…?おい、カラミティ…誰だあれは――!!」
シルヴァンがカラミティの腕をグイッと掴んだ。…と同時に、戦闘フィールドで激しい爆発が起きて、周囲を燃え上がる炎が真っ赤に染めた。
俺とシルヴァンはその爆風から腕で顔を庇い、もう一度戦闘フィールドを見る。
その攻撃の直撃を喰らった黒ずくめの男が黒焦げになり、がくりと膝を付いて倒れるのが見えた。
「――終わったようだな。」
カラミティはそう呟き、組んでいた両手を解くと二、三歩前に進み出た。
漆黒髪の男が、ゆっくりと静かにこちらへ向かって歩いて来る。
その背後で、むくりと起き上がった爆乳美女とヒキガエルのおっさん、黒焦げの黒ずくめ男の三人は、振り返った漆黒髪の男に向かってなにか話しかけると、そのまま互いに互いの身体を支え合って転移魔法で消えて行った。
再び漆黒髪の男は歩き出すと、カラミティの前まで来て無言で青黒い剣をスッと差し出す。
「え…おまえ…、ルー、ファス……?」
その姿を見た瞬間、驚いた俺とシルヴァンはその場で大きく目を見開いて動けなくなった。
――漆黒の長い髪をルーファスと同じく一つに束ね、紫紺の瞳で俺らを見た…少しルーファスよりも大人びて見えるその顔は、見間違えるはずもねえ。
確かに俺の親友…ルーファスの顔に間違いなかった。
次回、仕上がり次第アップします。




