64 目覚めし災厄カラミティ ④
光神の神殿で光神その人が目の前に現れた。畏怖の念を抱くもルーファスなど目に入らないかのように光神はラファイエに声を掛ける。手を伸ばされたラファイエは怯えたようにそれを拒んだ。二人を見て戸惑うルーファスですが…?
【 第六十四話 目覚めし災厄カラミティ ④ 】
「――ル…シリス様…」
俺の、少し後ろに立っていたラファイエが、カタカタとその手を震わせ、酷く緊張した面持ちで呟く。
ルシリス…光の神その人の名だ。
「…ラファイエ。」
対して、俺など目に入らないかのように彼女だけを見て、ゆっくりとこちらに近付いてくる彼は、まるで至上の喜びがその名に全て含まれている、と言わんばかりの甘く、どこまでも優しい声で、彼女を呼ぶ。その微笑みにはただ只管に溢れんばかりの胸の内が表れていた。
「ここ暫くの間、ずっと私を避けていたね?…なぜなのかな。」
彼はそのまま優しげな笑顔に反して、こちらにおいで、と有無を言わせぬ気配を纏いながらスッと手を差し出した。
だがラファイエはそれを拒むように身体をビクッと萎縮させ、代わりに俺の左腕をぎゅっと掴む。
ザワッ…
――瞬間、礼拝堂の中の空気がざわめき立った。
「ラファイエ…君は私の巫女だ。差し出したこの手を取る、義務がある。…私に恥をかかせるつもりかな?」
「ルシリス様…ち、違います、私…そんなつもりでは…!」
そうして怯えたラファイエは、俺の後ろに隠れ、さらにぎゅっと俺の背にしがみ付いた。
――…こ、れは…
俺を挟んで、光神とラファイエの間に居た堪れない空気が流れている。そのあまりの居心地の悪さに、思わず俺はその場から逃げ出したい衝動に駆られた。…それも仕方がないと思う。
光神の巫女、と言うのがどんな役割を担っているのかはわからないが、光神のこの態度と言い、ラファイエの怯え方と言い、とてもただの崇拝対象とその巫女の間柄だとは思えない。それは恋愛感情が絡んだ男女のようで、それほどまでに、どうにもこの二人の雰囲気はおかしかった。
本来の神という存在がどんなものなのかは知らないが、少なくとも今俺の目の前にいるこの神はとても人間に近く、どこかの神話で語られるように、同様に似た感情を持ち、思い通りにならなければ気分を損ねる、そんな自己中心的な部分さえも持っているようだ。となれば当然、ここに立つ俺の存在は、ただの邪魔者にしか見えないだろう。
「――……」
そうしてお決まりのように、光の神がみるみる機嫌を損ねて行く。俺はすぐにそれを感じ取り、きっと次に来るのは俺に対する敵意だろうな、と心の中で溜息を吐いた。
案の定、程なくしてスゥ…ッと俺の周りの空気だけが、氷点下の気温まで下がったように冷たくなった。多分これは畏敬の念から来る俺の恐れと、圧倒的な相手の異質な力によるものだろう。
…凄まじい嫉妬だ。これは、下手をすると馬に蹴られて死ぬかもしれない。
俺はゾッとして言いようのない寒気と、敬うべき相手からあからさまに向けられた殺気で、背中にツツーっと冷や汗が流れて来る。
「――随分とラファイエに好かれているようだな。…気に入らぬ、名は?」
その声は冷たく、怒気を含んでいた。
「ルーファス…ルーファス・ラムザウアーです。光の神、ルシリス・レクシュティエル様。」
俺は顔を引き攣らせながら、精一杯敵意がないことと、心からの敬意を表して頭を下げた。
「ルーファスか…毛色の変わった存在だ。なぜこの時代に現れた?」
――俺が時間を越えて来た存在だと、既に気が付いている…?
さすが神…――
「不可抗力です。己の意志ではなく、外部からの干渉により突然飛ばされました。」
こう話して、許して貰えるだろうか…?…さすがに光神を怒らせて無事でいられる自信はない。おまけにこの神は、人であるラファイエに異性としての愛情を抱いているように見える。
そのラファイエが俺に触れるから、それに対する嫉妬で、さっきまでの温かさも慈愛に満ちた雰囲気も、全て消し飛んだみたいだ。
はっきり言って、これは…真面目に恐ろしい。
「ルシリス様、そのような下銭な者に近付いてはいけませぬ!!御身が穢れます…!!」
気絶から覚めたフォルモールが、開口一番にそう言って慌ててこちらに駆け寄ると、光神の傍に跪いた。
「下銭?…フォルモール、そなたの目は節穴だな。」
「は…?」
「我が主、只今は後れを取りましたが、その者の処分は我にお任せ下さい。お手を煩わせるわけには行きませぬ。」
同じく気が付いたレウニオスも、近くに来るなり跪いてそう言った。
「――黙れレウニオス、まずは相手の力量を見誤り、ただの侵入者と侮った己の傲慢さを悔いよ。この者は初めから神殿内の人間を誰一人傷付けておらぬ。そなたらも何度も手を止めるように言われていたが、聞く耳を持たなかっただろう。
挙げ句に敗北して私の顔に泥を塗り、あまつさえ負傷した傷をこの者に癒やされた。これ以上私を不愉快にさせる気か?二人とも下がれ、呼ぶまで後ろに控えていよ。」
「…は、申し訳ありませぬ。」
怒り心頭でそう言っているのかと思えば、言葉こそそう聞こえるが、俺が見た感じでは至って冷静で、その感情は少ないように思えた。俺に向けられた嫉妬こそは凄まじいが、そこはやはり善神、光の神、と言うところなのだろうか?従者には優しいようだ。
控えろ、と言われたフォルモールとレウニオスは、意気消沈した面持ちで礼拝堂の入口前にまで下がって行く。
「さて、ルーファス。まずは我が従者はともかく…神殿内の者を誰一人として傷付けずにいたことには礼を言おう。あれでもかなりの手練れ達だったのだがな、汝はそれの遙かに上を行く力の持ち主のようだ。その身に複数の魂を宿していることと言い、徒人でないことは確かめるまでもなく明白だな。」
「…!」
アテナのことがばれた…!?
「――だが、たとえ不可抗力であろうとも、我が神殿に私の許可なく足を踏み入れたことは許せぬ。よってその罪は償わせねばな。」
ズアッ
「…!!」
その言葉と同時に、閃光かと思うような眩い闘気が放たれた。
『ルーファス様!!』
「…やっぱり問答無用なのか、さすがに…これはまずい、逃げられるか…!?」
『無理です!!』
ラファイエが言った通り、どんな理由があろうとも決して許さないと言うのは本当のようだ。
俺は真の神とこんな唐突に戦うことになるとは思いもせず、なんとか逃げる方法を考える。だが、この偉大な神の前に、そのどれもが通用するとは到底思えなかった。
万事休すか…!…そう諦めかけた時だ。
「止めて下さい、ルシリス様!!」
俺の前に両手を広げ、ラファイエが光神から俺を庇うように前に出た。
「ラファイエ!どきなさい、その者を庇うのは許さぬ。」
ピリリ、と直前までにはなかった、強い殺気を伴う魔力の迸りが俺の肌に突き刺さる。
「危ないラファイエ!俺に構うなと言っただろう…!!」
俺は慌てて彼女を後ろに下がらせようとした。
「だめよルーファス、元の世界に戻るのでしょう…!?きっとあなたを待っている人がいるのよね、ごめんなさい、私があなたをここに呼んでしまったから…!」
「え…――」
俺は驚いて言葉を失う。まさか、やっぱりあの鏡の中のラファイエと繋がりがあったのか…?一瞬、そう思ったからだ。
「私…自由になりたかったの。レクシュティエル様の巫女に選ばれてから、ずっと神殿の中に閉じ込められて…ほんの少しでいい、以前のように外へ出て好きなように森の中を歩き回りたかった。
誰でもいいから私を連れ出してくれる人が現れてくれたら、って…強くそう願ったの。そうしたら…あなたが目の前に現れた。ごめんなさい、私の所為だわ…私が、あなたを呼んだから…!」
「いや、それは違う、きっと関係ない。君のせいじゃない…!」
予想していた答えと違う言葉がラファイエから返ってきたため、俺は彼女の言葉を否定する。
そして自分が彼女の願いを叶えられるような存在じゃないことと、これはきっと偶然だ、そう言ったのだが、ラファイエは自分が俺を無理に呼んだと思い込み、なんとしても光神から俺を守る、と言い張った。その直後――
ゴオッ
――光神の嫉妬が頂点に達した。
白銀と黄金色の闘気が、目も開けられないほどの眩い『敵意』となってこちらに向かう。
それは多分、まだ攻撃の始まりですらなかったと思う。
このままだと彼女まで攻撃に巻き込まれる…!
光神の闘気は凄まじく、その怒りの対象が俺だけであっても既に冷静さを欠いており、ラファイエまでも一緒に傷付けかねなかった。
「ラファイエ!!」
ドンッ
俺は仕方なく彼女を突き飛ばして、無理矢理自分から遠ざける。
「きゃあっ」
ズササッ
ラファイエは小さく悲鳴を上げ、俺から離れた位置に手を着いて転んだ。
『ルーファス様…!』
――これは…俺の防護障壁でも完全には防げないな…!かなりの傷を負う覚悟をした方が良さそうだ…!!
シュンッ
そう覚悟した直後、俺の視界がなにかで翳った。誰かが俺の前に転移して来たらしい。
「止めよルシリス、なにをしている!!」
「…!?」
誰…――
まるで俺を庇うように突然目の前に出現したその人物は、クルリと振り返って俺を見るなり、その手を翳して呪文を唱えた。
「『時を超えし翔人、汝が望む在るべき縁の地へ復れ!クロノツァイト・サリアトランス』!!」
キイイイィィィ…ン
ここへ来た時と同じように、俺の耳にあの甲高い耳鳴りが響き始める。
この感じは…――まさか、またどこかへ飛ばされる…!?
そう気付いた時にはもう、身体がふわりと浮き上がるような感じがして、軽い立ち眩みのような視界の揺れと共に、俺はその場から強制的に排除された。
シュンッ
…ドッ
その後、再び俺はどこかの暗闇に放り出される。
「――…く…っ…」
かなり長い時間流れゆく光の中を、身体が重力に無理矢理引っ張られるような…そんな感じが続いていたように思う。
そのせいか俺はそこに辿り着いた途端に、強烈な疲労感に襲われて立っていられずに、ガクン、と膝を折ると地面に両手を着いた。
『ルーファス様!大丈夫ですか…!?』
頭の中にアテナの俺を心配する声が響く。だがすぐには答えられずに、俺は下を向いたままだった。
…転移した反動で手足がガクガクと震えている?…どこに飛ばされたのかはわからないけど、ここまで身体に負担が掛かった移動は初めてだ。
アテナ…ああ、なんとか大丈夫みたいだ。
ほんの一瞬しか見えなかったけど、俺の前に転移して現れたあの人物は、いったい誰だったんだろう。
〝汝が望む在るべき縁の地へ復れ〟
あの呪文…転移魔法だった。もしかして、ここは――
顔を上げ辺りを見回すと、荒れ果てた固い大地に、夜空には半欠けの月と数多くの星が輝いていた。そして遠くに時折、星とは異なるチラチラとした赤や緑、橙色に点滅する光が見える。
『ルーファス様、ここはエヴァンニュ王国の西方、ルクサール近くのアラガト荒野です…!』
――やっぱりか…!
「俺達の時代に戻って来た…?」
『当初私達が転移前にいた遺跡は、ここからさらに西…ちょうど今、あの赤い光が輝いた辺りになります。ですがその辺りで、なにか戦闘のような異変が起きているようです。』
異変…あの先に見える様々な色の光は、もしかしたら攻撃魔法による光かもしれない…!
俺はまだふらつく身体に鞭を打ってすぐに立ち上がり、ルクサールがある方角の西を目指して走り出した。
アテナ、本当に俺達の世界で間違いなさそうか?一応確かめてくれ…!
俺は走りながらアテナに周囲を確認して貰う。
『はい、状況、環境、生息する魔物、星の位置などその他全ての条件を照らし合わせても間違いありません。』
そうか、それなら俺はこのままルクサールを目指す。周囲の魔物は全て無視するから、変異体のような強力な魔物に気付いた時だけ教えてくれ…!
『かしこまりました…!』
俺が帰りたいと望んでいたのは、リカルドを救うことが可能な時間のフェリューテラだ。だからきっと間に合う…リカルド…!
――黒灰色の撫で付けた少し長めの髪に、灰白色のメッシュが左右に入っているのが見えた。僅か一秒にも満たないあの一瞬、優しそうな灰色の瞳と俺の目が合った。
おそらくあの時翳された手から俺に向けて放たれたのは、時空転移魔法…あれが誰だったのかはわからないけれど、あの人が俺を元の時代に帰してくれたのに違いない。
俺は誰かもわからないその人物に、心から感謝していた。
いつか…探し出してお礼を言えるといい。…そう思いながら。
アラガト荒野を真っ直ぐに駆け抜ける俺の目に、少しずつ近付くルクサールと思しき街影が見えてくる。ところが…その街は、燃えていた。
上空を赤々と染め、オレンジ色の炎が火の粉を飛び散らせながら、煙と共にその先端を夜空へと伸ばしている。
「街が燃えている…!なにがあったんだ…!?」
大分街に近付いたところで、アテナが俺に警告した。
『ルーファス様、上空から有翼人が近付いて来ます…!!』
「!?」
走る速度を緩めずに空を見上げると、二枚羽根を背に生やした有翼人がその羽を縮めて急降下し、俺の行く手を塞ぐように降りて来た。
「お待ちください!恐れ入りますが、その銀髪…もしやルーファス様ではありませんか…!?」
ミスリル製の剣を手にし、もう片方の手には盾を持った、薄い緑髪のその女性は少し赤みがかった瞳で俺を見て慌てて駆け寄って来る。
「俺を知っているのか?」
俺は一度足を止め、その女性に聞き返した。
「やはり!ル・アーシャラー第二位、ロシェ・アミッドと申します。現在ルクサールは災厄が出現し、我々蒼天の使徒により厳戒態勢にあります。リカルド様率いる第一徒団、第五、第九徒団三隊はルク遺跡上空にて交戦中につき、何人も近付けないよう周辺を封鎖しております、危険ですのでどうかお引き取りください…!!」
「災厄…災厄と言ったな!リカルドは交戦中か…スカサハとセルストイは!?」
俺はそのロシェと名乗った女性に詰め寄る。その『災厄』との戦闘で、リカルドは命を落とす…あの滅亡の書にはそう書かれていたんだ…!!
「彼らはルク遺跡手前でリカルド様の補佐をしているはずですが――あっお待ちください、ルーファス様…!!」
「俺のことはいい、あなた達は持ち場を離れるな!!」
再び俺は走り出し、今度は上空から聞こえるアーシャル達の制止の声に構わず、ルクサールの街まで一気に駆け付けた。
第二位のロシェ、と言った。俺が見た感じ、周辺の上空にはかなりの数の蒼天の使徒がいる…それだけの脅威が相手だと言うことか。
だけどそれなら…リカルド…どうして俺に一言、相談してくれない?俺はおまえのパートナーだろう…!おまえが俺の身を心配してくれるように、俺だっておまえが心配なんだ…!!それなのに、なぜ――
リカルドが俺を心配してくれる気持ちはわからなくもなかった。…だけど、それ以上に俺は、信頼されていないように感じて…ただ悲しかった。
俺が息を切らしその側まで駆け付けると、崩れた外壁の手前にシャトル・バスのターミナルが見え、その看板や停留所の標識、雨避けの屋根にも火が着いており、地面に転がるように倒れていた。
「この街の住人は避難したのか…!?」
『――わかりませんが、街の中に要救助者は見当たりません。おそらく既に蒼天の使徒によって避難は完了しているものと推測します。ですが奥の方に味方、若しくは中立関係にある存在を示す信号が複数ありますので、そこにあの二人とリカルド・トライツィ氏がおられるのではないでしょうか。』
「わかった、このまま防護障壁を張って炎上した街中を突っ切る。なにか異変を感知したら教えてくれ!」
『かしこまりました、お気を付け下さい…!』
「『ディフェンド・ウォール・フレイム』…!!」
キンッキンキンッ
俺はディフェンド・ウォールに炎耐性をつけ、ルクサールの入口から燃えさかる街中に飛び込んだ。
土塊や石、煉瓦などを簡単に積み上げただけのような建物の、なにがそんなに燃えているのか…よく見ると、その建物はボロボロの板や枯れた草木の枝などで隙間を埋めていたり、大きな布で屋根を覆っていたりしたようだ。
それらの燃える建物を見た時に、俺はふとなにかの違和感を感じたものの、それに構わず街の奥へと走る。
――そうして俺は、ようやくスカサハとセルストイの姿を見つけた。
「スカサハ、セルストイ…!!」
俺がその場に駆け付けると、二人の周囲には既に事切れたアーシャル達の遺体が複数横たわり、満身創痍の使徒達も治癒魔法による治療を受けていた。
「ルーファス様!?どうしてこちらに…!!」
駆け付けた俺を見て、二人は酷く驚いた。
「それは後だ、リカルドは…リカルドはどこだ…!?」
俺は周囲を見回したが、普段ならこの二人の傍にいるはずのリカルドの姿がどこにもなかった。
「ルーファス様、どのような理由にせよ、お越し頂いて助かりました!!お願いですリカルド様を…リカルド様をお止めください!!あのままでは死んでしまいます…!!」
いつも冷静沈着な顔しか見たことのないセルストイが、切羽詰まった必死な表情で上空を指差し俺に訴えた。
「上…!?どうして上を指差して――」
そのセルストイが指し示す上空を見て、俺は驚き、大きく目を見開いた。
初めて見る深緑色の闘気に包まれ、リカルドが遙か上空で真紅に光る何者かと激しく戦っていたからだ。
その手に握られているいつものあの中剣も、オレンジ色の眩い光を発しながら相手の手にある青黒い光の中剣とぶつかり合い、その度に火花が飛び散っているように見える。
空中戦…!?あんな高いところで――!!
「リカルドは、空を飛べたのか!?」
「いえ、実は我々も先程初めて知ったのです…!おそらくは、有翼人に伝わる飛翔魔法を使用されているのではないかと思うのですが、リカルド様がそれを御存知とは知りませんでした…!」
「飛翔魔法…空を飛べる魔法か?でもその手の特殊魔法は総じて魔力の消費量が凄まじいんじゃないのか!?普通は人間に扱える種類の魔法じゃないだろう…!」
「はい、その通りです。あれは有翼人の我々が翼を損傷するなどして空を飛べなくなった際の非常時に使用する魔法で、そもそも普段から利用することは禁じられています…!ですがリカルド様は、もうあれを数十分も続けておられるのです!!」
「な…」
――その上で見たこともないあの相手と、あれだけの魔法と剣技を使用して戦っているのか…!?無茶だ…!!
俺は愕然とした。幾らリカルドが魔法に長けているとは言え、俺のように無尽蔵に魔法が使えるわけじゃない。それが飛翔魔法を維持しながら、どうやって長い時間あの状態を続けているのか、すぐには理解できなかった。
『ルーファス様、あのリカルド氏ですが…おそらく、生命力を魔力に変換して戦闘を継続しているのではないかと思います。』
なんだって…!?
『これは私の推測ですが、もしかしたら彼は…命を落としても構わないと思っているのではないですか?』
アテナのその言葉が、一瞬で俺の頭を真っ白にした。
「や…やめろリカルド…降りて来い!!一人で戦うな…!!リカルドっ!!!」
俺は剣戟の音さえ聞こえないほどの高度で、ぶつかり合うように攻撃しては離れ、離れては魔法を放ち、また接近して攻撃する…それを物凄い速さで互いに繰り返すリカルドと真紅の相手をなすすべもなく見上げた。
俺の声が届かない…聞こえないのか…!?このままじゃ止められない、どうすれば――
…その時だ。
キン、と言う硝子のコップの縁を指で弾いた時のような音がして、瞬間、目の前が暗くなり、それと同時に俺が今見ている光景に重なって、なにか別のものが見えた。
俺は凍り付き、大きく目を見開いてその悪夢を凝視する。
それは、リカルドが青黒く光るあの中剣に貫かれ、遙か上空から俺の目の前に落下してくると言う、最悪の場面だった。
――既視感…?……違う……いつか、ずっと前に見たことのある光景だ。…あの時俺は、今と同じように下からただ見上げるだけで…叫んだのに、手を伸ばしたのに、どうすることも出来ずに…リカルドを助けられなかった。
抱き起こした俺の腕の中で…血に染まったリカルドは、そのまま一度も目を開けることなく息を引き取った――?
――嫌だ……リカルド…!!!
その瞬間に俺は理解した。これは、警告だ。もう、その時が迫っている、と言う――
「――アテナ、頼む!!地属性魔法で土塊を発生させ、俺の足場を作ってくれ!!」
そう告げると、俺は強制的にアテナを具現化させて呼び出した。
時間がない!今の俺に思い付くのはこの方法だけだ…!!
「ルーファス様…!?」
「おまえの協力があれば、あそこまで俺は駆け上がれる!!あの二人の間に割って入り、俺が直接リカルドを止める…!!」
「む、無茶です…!!あそこに駆け上がるにしても、私の魔法のタイミングが少しでもずれたら、ルーファス様が転落してしまいます!!」
「大丈夫だ!!アテナなら、絶対に上手くやれる…俺はアテナを信じている、だから頼む…!!」
俺一人では魔法を高速で発動し、足場を作りながらあの高さまで行くのは無理だった。だからここはアテナの力を借りるしかない…!!
アテナはほんの一瞬躊躇った表情をしたものの、すぐに意を決して俺を見る。
「…わ、わかりました、やってみせます…!」
アテナは大きく頷くと、その場で全神経を集中し、地属性魔法を唱えた。
「出でよ地の塊『ソル・スキャッフォルド』!!」
ゴンッゴゴンッ
最初の土塊が出現したのを合図に、俺はすぐさま地面を蹴って飛び上がり、アテナが高速発動する魔法で螺旋状に次々出現する足場を、それが消える前に移動して駆け上がって行く。
ドンッドンッゴッゴゴンッ
俺がアテナに要求したのは、かなり難しい魔法の応用だ。
俺が空中で足場にしている土塊が消える前に次の魔法を発動させ、尚且つそれを維持しながらまた次の足場を、位置を変えて新たに出す。
それは一秒にも満たない間に次々と適切な場所に魔法を発動し続けるという、非常に高度な技術と集中力が要求されるものだった。
普通に考えれば連続して魔法を使用するだけでも大変なのに、それを俺がいる位置を確認しながら発動しなければならないのだから、どれほど難しいか…それは言うなれば一つの楽曲を一小節ずつずらしながら重ねて奏でて行き、尚且つ目では別の楽譜を読む…そんな感じだろうか。
俺は一応上まで行くのに、スカサハかセルストイに頼んで、飛翔魔法を教えて貰う方法も考えたのだが、いきなり俺がそれを使用したところで、おそらく自由自在には動けない。俺は空を飛んだことはないし、リカルドのように動くためにはそれなりの訓練が必要だからだ。
ならば、アテナに連続して魔法を発動してもらい、足場を作って貰えさえすれば、それを渡って行くことで上まで行けると考えた。
但し、これは飽くまでも上に駆け上がる手段で、リカルドのところへ辿り着けたとしてもその場に留まれるわけじゃない。魔法が消えれば、地面に向かって真っ逆さまだ。
――でもそれでいい。俺がリカルドの前に割り込み、一瞬でもリカルドの気を逸らせれば…あいつはきっと、戦闘よりも落下する俺を優先する。
それになにより…もしさっき見たあの場面に対峙するなら、俺がリカルドの盾になる…!
死なせない…さっき幻覚のように見た、あの場面の再現はさせない…!!
俺はそう固く胸に誓って、地属性魔法で出現する足場を高速で駆け上がって行った。
――そんなルーファスの心など知らずに、上空で災厄と激しく剣を交えるリカルドは、周囲の状況などもうどうでも良いのか、まるで気にも止めていなかった。
自分を援護するために、命じたわけでもないのに攻撃を仕掛け、何人もの下級使徒達が散っていったことにも眉一つ動かさず、酷薄な笑みさえ浮かべていた。
リカルドの中で最早自分の命は尽きており、相手の攻撃で頬の皮膚が幾筋もに裂け、汗の代わりに血が流れても、襲い来る魔法で手足に酷い裂傷を負おうとも、その痛みさえ感じず、ただただ眼前の真紅の敵に、力尽きるまで攻撃を繰り返すことしか考えられなかった。
あと少し…、もう少し…もう少しでこの苦しみは終わる。刻一刻と死が近付く瞬間を待ち侘びながら、リカルドは恍惚とした表情で狂ったように歓喜する。
そうして…またリカルドが、自身の命を削りながら振るう守護神剣グラナスの攻撃を、死人のように何の感情も持たない災厄が、その手に握る同じく守護神剣マーシレスで次々と受け止めて行った。
ガッキンッ、ギインッ、ガガッ
右、左、右下から左上へ、そして左から真横に切り払う。剣と剣がぶつかり合い、その衝撃で火花が散る。剣筋を変えて攻撃しているにも関わらず、その全てがマーシレスに防がれると、リカルドは少しふらつきながら距離を取った。
「――まったく…やはり想像以上の化け物ですね。私とグラナスでこれだけ攻撃を叩き込んでも、大した傷を負わせられないとは…!!」
キュオオォ…ドンドンッ
リカルドの手から放たれるエレメンタル・アーツが、複数の渦を巻く四属性の魔法弾となってカラミティに襲いかかる。
『羽虫如きが束になって来ようとも通用せぬと思い知れ。だが、たとえ僅かでも人の身の分際でカラミティに傷を付けたことは褒めてやろう。』
その魔法弾をカラミティは左手に魔法による盾を作り出し、難なく防いだ。
『マーシレス…なぜそこまでそれに拘る?既に意思をなくした妄執の塊… "亡霊" の名に相応しく、うぬの操り人形ではないか…!』
カラミティから放たれる強烈な闇魔法を、リカルドはグラナスを盾に辛うじて防ぐ。その反動で大きく後退り、カラミティとの間にさらに距離が開いた。
『――自ら剣の核となった貴様にはわからぬであろうな。だが貴様は一つ大きな勘違いをしている。…なあ?カラミティ。』
「――…」
マーシレスの問いかけに、カラミティは何の反応も示さなかった。
グラナスで闇魔法を防いだ後、急速に力が衰えていくのを感じたリカルドは、その直後から手がブルブルと震え出し、魔力が不足し始めたことに気付く。
やがて襲い来る気分の悪さから呼吸も荒くなり、大きく肩で息をして一度、苦しげに顔を歪ませると、手の中のグラナスに向かって静かに微笑んだ。
「…すみませんグラナス、そろそろ限界です。予定通り、マーシレスを…」
『――…わかった、ディアス。』
「…長い間、私を助けてくれてありがとう。次はもっと良い人間の手に渡ることを祈ります。」
『ふ…』
ゴオッ
『――なに!?』
リカルドと守護神剣グラナスの闘気が混ざり合い、一体化して爆発的にその能力を跳ね上げた。
それに気付いたマーシレスは、驚愕する。
『我と差し違えるつもりか、グラナス…!!』
『うぬさえ眠れば、それはただの抜け殻に過ぎぬ。カオスが目論見も露と消え、あとは守護七聖主が暗黒神を倒すだろう。…去ね!無慈悲たる闇の守護神剣よ!!』
リカルドとグラナスは、渾身の一撃をカラミティではなく、それを操っていると思しきマーシレス目掛けて狙いを定め、突撃を開始した。ところが…
『カラミティ!!あれは厄介だ、いつまでのらりくらりと傍観を決め込んでいる!?人形の振りはもう止めよ!!』
マーシレスは、リカルドとグラナスの最後の強化状態に危機感を感じて焦り出し、意思のない亡霊のような状態のカラミティに呼びかけた。
その直後…一呼吸置いてカラミティがふっ、と僅かに息を吐く。
「――囂しいぞマーシレス…狼狽えるな。」
マーシレスの呼びかけに、それまでなんの反応も示さなかったカラミティが、突如そう返事を返した。
「な…」
『なに…!?』
≪ 災厄が、口を利いた――!?≫
猛烈な勢いで攻勢に入っていたリカルドとグラナスは、その勢いを止められずにカラミティに近付いて行く。
瞬間、カラミティは無言で全身の闘気を変化させて放った。
ゴッ
それは指向性の衝撃波となって二人を襲い、ただそれだけでリカルドは攻撃を中断されて、相手の間合いで大きく体勢を崩した。
そうして出来た一瞬の隙は、カラミティが全てを終わらせるのに充分な時間だった。
ズオッ…
なんの感情も映さない真紅の瞳が前を向き、カラミティがマーシレスを手に貫きの構えで襲いかかる。
「つまらぬ遊びは終わりだ。…消えよ。」
――次の瞬間…
「やめろおおおおおっ!!!」
そのカラミティとリカルドの間に、脇から全身を開いた形で、ルーファスが割って入った。
――間に合った。…俺の名前を呼ぶリカルドの声が、後ろからはっきりと聞こえる。
背筋が凍るほど青白く美しい顔をした真紅の男が、青黒い剣を突き出し、こちらに猛烈な勢いのまま突っ込んでくる。…多分これは避けられない、俺はそう悟る。でもそれでもいい、あの剣がリカルドの身体を貫くよりは。
リカルドは…生きている。――俺は、今度こそ間に合った…!!
急に時の流れが遅くなったかのように、ゆっくり、ゆっくりとそれが俺に迫り、青黒く光る刃が胸の辺りに突き刺さる…そう覚悟した刹那、俺の目を見た真紅の瞳が、狂喜の光を宿してそれを細めた。
〝――待ちかねたぞ、ルーファス。〟
「…!?」
――俺は耳を疑った。だけど幻聴じゃない…歪んだ笑みを口元に浮かべて、真紅の男は、確かにそう言った。
『災厄』と呼ばれるその男は、剣の切っ先が俺の胸に沈み込む、その数センチ手前で、なぜかその手をピタリと止めた。
そうして突然戦意を失くしたかのように戦闘そのものを中断すると、右手の青黒い剣を下ろし、いきなり俺の左腕をガッと掴んだ。
「見つけた――ここで待てば必ず姿を現すと思っていた。」
「な…?」
真紅の長髪に血の気のない白い肌…血のように紅い瞳の男は、なぜか俺を見て心から歓喜している。
見つけた…?俺のこと…だよな?名前を呼ばれたし…――
「ルーファス!!」
この男は俺を知っている。そう思った俺の背後でリカルドが動く気配がする。…が、真紅の男はツイっと顔を上げ、その視線を俺の後ろに向けると、この国全体に行き渡るような、紅の波動を身から放った。
ズオオッ…ドンッ
それは途轍もない、なにかの意図を持って放たれた異質な力の波動で、すぐ傍にいるにも関わらず、俺を避けて通り抜けた。
腕を掴まれたまま振り返った俺の目に、気を失って剣と共に落下していくリカルドの姿が映る。
「リカルド!!」
手を伸ばした俺の視線の先で、スカサハとセルストイが羽を広げて飛び上がり、地面に叩き付けられる前にリカルドの身体をしっかりと受け止めていた。
ほっと安堵したのも束の間、今度は俺の足元の土塊が消え去り、ガクン、と俺の身体が垂れ下がった。
足場を失い、空中に無防備な身体を晒して見上げる俺を、真紅の男はガッチリと腕を掴んだままこちらを見下ろしている。
不思議なことに、俺の中にこの男に対する敵意は、なぜかほんの欠片さえも湧いて来なかった。
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