61 目覚めし災厄カラミティ ①
深夜に突然目を覚ましたルーファスは、ブルーローズの香りに惹かれて入った部屋で、鏡の中の女性に出会います。その女性はなにかを必死に訴え、ルーファスの前に転送陣を出現させましたが…
【 第六十一話 目覚めし災厄カラミティ ① 】
――鏡の中に、女の人がいる。驚いて俺は鏡から目が離せなかった。
歪められた空間に、なんの音もしない部屋…どうやらブルーローズの香りはこの鏡の中の女性から漂っているみたいだ。
堪らなく甘く、どこかで嗅いだことのあるような――酷く懐かしく感じる、仄かな匂い。いったいこの人は…?
「…あなたは、誰だ…?」
身長は150センチくらいのかなり小柄で、年令は二十代くらいだろうか?酷く悲しげな整った顔立ちに、裸足の足元にまで伸びた真珠のような真っ白い髪。透き通った白い肌に、海と空と森を合わせたようなブルーグリーンの瞳が印象的で、身体には衣服ではなく、シーツのような一枚の白い布を全身を包むように巻いていた。
鏡に手を伸ばしてみるが、感触はヒヤリと固く冷たく、それそのものでおかしなところはない。ただ俺の姿が映っていないだけだ。
『――…―、――…』
その女性は俺になにかを訴えるように、涙を浮かべながら桜色の唇を動かしている。けれども俺の耳にその声は聞こえず、なにを言っているのか、全くわからなかった。
「ごめん、なにを言っているのか聞こえないんだ。ゆっくりと口を動かして言葉を発してくれないか?なんとか読み取ってみるから。」
俺の声は届いているのか、その女性は瞳から涙を流し、ゆっくり口を動かした。
「――と、めて…かれ、を…彼を、止めて?」
〝お願い、急いで…!!〟
その悲痛な叫び声が聞こえて来るような気がした。
俺に誰かを止めて欲しい、と言っているのか…でも誰を?急いで、と言われてもどこへ行けばいいのかさえわからない。
そう思い、行き先を尋ねようとした時だ。フォン、という魔法陣が形成された瞬間の音がして、俺のすぐ後ろに青白く輝く転送陣が出現した。
「転送陣…!?これは、あなたが?」
振り向いて鏡を見ると、女性は暗闇の中に跪き、祈るように両手を胸元で組むと、必死に魔法を維持している様子だった。
初めはかなり強く放たれていた身体の表面を覆う光が、徐々にその輝きを失って行き、女性の魔力が凄まじい速度で減少しているのを表していた。
まずい、急いであれに入らないと、おそらくすぐに転送陣が消える…!!
――躊躇っている暇はなかった。
目的も理由も、どこへ行けばいいのかさえわからぬまま、俺は踵を返し、転送陣に飛び込んだ。
転移魔法が発動する瞬間、鏡の中で女性が力尽き倒れ、そのまま消えて行くのが見えた――
♦ ♢ ♦
「――ジャン…ジャン、しっかりしろ、大丈夫か!?」
俺は時折ゴホゴホと籠もったように咳き込みながら、腕の中にいる気を失ったジャンに声を掛け、その痩せた身体を軽く揺さぶる。鼻や口に入った細かな土や砂がジャリジャリとして喉の奥を刺激する度に、また酷く咳き込んだ。
いったい、なにが起きたのか…程なくしてジャンは気付き、起き上がって俺から離れた。
「あんた…ライ、さん…そっか俺、気絶して…なにがあったの…?」
「…わからん、だがただの地震ではなかったようだ。どこか痛むところはないか?」
ジャンは自分の身体を確かめると、大丈夫みたいだと言って頷いた。
あの凄まじい異変の中で、俺もジャンも手足や顔に擦り傷を負った程度で済んだのは奇跡だった。永遠にも感じた轟音と震動、辺り一面を埋め尽くす青い光に、衣服で鼻と口を塞がなければならないほどの土埃で、窒息するかと思ったほどだ。
だがそれは徐々にではなく、まるで動力が切れたか、動作が終了したかのように唐突に治まり、それと共に青かった周囲の光は黄色と赤色に変化して、その二色の光が交互に点滅するようになった。
そして今、少しずつ土埃が落ち着いてきて視界が開けて来ると、俺とジャンは地震かと思ったあの揺れが、実はそうではなく、途轍もなく大がかりなこの遺跡の仕掛けが動いたことによるものだったと、驚愕の事実を知る。なぜなら――
「――え…う、嘘だろ…!?道が…通路が変わってる…!?」
慌てた様子で立ち上がると、ジャンは俺達の前にあったはずの通路が塞がれ、壁になっている場所を両手で触って確かめた。
あの最初の揺れの時、天井からいきなり角塊状の塊が落ちて来るのを目撃した。そのままであれば押し潰され、俺達は死んでいただろう。だが俺達がいた足元の床が、揺れに対応してしゃがみ込んだ瞬間に後方へ移動するのがわかった。
あの感覚は、この遺跡の壁や天井、床の部位が内部を組み替えるように移動したことを表していたと思う。
それだけではない。俺は時間を知るために、上着の内ポケットに入れていた懐中時計を見て驚いた。
先に言っておくが、俺は意識を失ってはいなかった。目に土埃が入らないように、ぎゅっと閉じてはいたが、命の危険を感じながらも、意識はちゃんとあったのだ。
その俺の感覚的には僅か3、4分の出来事であったはずなのに、目を疑うことに時計が示していた時刻は、深夜だった。
――有り得ない。ジャンの案内で遺跡に入った時はまだ明るい時間で、夕方にさえなっていなかった。それが一気に8〜9時間も時間が進んでいたのだ。
…いや、もしかしたら時計が壊れたのかもしれない。ここから外は見えず、本当に夜なのかは確かめられないのだから、断定するには早いだろう。
今はとにかく、状況を調べてジャンのお爺さん――ヘイデンセン・マルセル氏を一刻も早く探し出すことと、上階に置いてきた他の子供達の無事を確かめることがなにより先決だ。
「落ち着けジャン、ここの遺跡内に詳しいおまえが頼りだ。またいつ仕掛けが動くかわからない、今の内に移動してお爺さんを探すぞ。この遺跡は床に罠などの危険な仕掛けはあったか?」
俺は一旦、ジャンを落ち着かせようとその両肩に手を置いて言い聞かせる。
「え…う、ううん、そんなのはない。部屋の扉が仕掛け扉になっていたり、開かない扉がある部屋はあったけど、罠は見たことない。」
「そうか、ならばおそらく通路に罠はないと思うが、床や壁に普段とは違うものやおかしな点があったら俺に教えてくれ。」
「わ…わかった。けど俺マリナ達が心配なんだ…!じいちゃんも心配だけど、俺があいつらを守ってやんなきゃ…あいつら、きっと怖がって俺を呼んでる…!!」
「ジャン…わかっている。だが落ち着いてよく周りを見てみろ、周囲に崩れたような箇所はない。あの部屋は細かく仕切られたような作りではなかったし、この遺跡は頑強で、おそらく揺れはあっただろうが、ここのように床や壁が動くような仕掛けはないと俺は思う。だからマリナ達はきっと無事だ。寧ろ心配なのはお爺さんの方だ、先にお爺さんを探そう。」
根拠はない。だが俺にはなぜか確信があった。俺の養い親であるレインと別れて以降、遺跡の探索などからは離れて久しかったが、幼い頃レインが教えてくれた知識については、うろ覚えでもそれなりに自信があったのだと思う。
古代期の遺跡というのは各々特徴があって、その場所がなんのために作られ、なにに使われているのかによって、仕掛けなどに大きな違いがある。
レインは幼い俺に、よくそんな遺跡の特徴について、細かい見分け方などの知識を与えてくれていた。もう思い出すこともなく、殆ど忘れかけていたのだが、まるでこのためにあったのかと思うほど、今、俺の頭の中に鮮明に記憶が甦り始めていた。
そんな俺の知識から思うに、この遺跡はおそらく、なにかを封印するために使われている場所だと思われた。
遺跡の入口に、上から塗り固められたような覆いが見られたことから、本来この遺跡は表に出ないよう、山や丘のように見せかけた自然な形で隠されていたのではないかと俺は思った。
それが周囲の環境が変わることで少しずつ露出し、考古学者などに発見されたことで掘り返され、長い年月をかけて今のような状態になった。
やり方は決して認められるものではないが、もしこの遺跡が、人の目に触れてはいけない類いのものであったとしたら、あの男が発掘を止めさせようとしたのは正しい判断だったと言う可能性も捨てきれない。
あの男の所業など決して認めたくない…認めたくはない、が…――
――俺はジャンを宥め、内部が組み変わってしまった、元は地下五階だったこの階を慎重に進んで行く。元がどの程度の広さであったのかはわからないが、通路は迷路のように複雑に仕切られ、初めは部屋らしきものが幾つもあったのに、それが全て移動して扉が出現していたり、行き止まりに変わっていたりしてなかなか思うようには進めなかった。
だが俺に紙とペンを用意させ(無限収納に入れていた)、地図作成をしていたジャンが、その内〝法則がわかった〟と言い出すと、同じ通路を何度も行ったり来たりするように俺を案内し始めた。
さすがは考古学者の孫だ。ジャンが言うにはこの遺跡は、正しい順番で扉を開けて通過することで、隠された先の通路が現れる仕組みになっていたらしい。
それは先程のように壁が動くというような大がかりなものではなく、薄い板のようなものであたかも壁があるかのように見せかけた、目眩まし式の仕掛けだったようだ。
結局、ジャンのお爺さんが向かったという『剣の大広間』の位置は、方角的な場所から見ても動いておらず、代わりに辺りの壁が動いたことによって、二重に周囲を囲まれる形に変化しただけのようだった。
ジャンの機転によってどうにか仕掛けを通過した俺は、剣の大広間に近付くにつれ、強い耳鳴りに襲われる。
――なんだこの不快な耳鳴りは…?
それは周囲の音がくぐもって聞こえるほどのキイィィン、という甲高い音で、すぐ近くに得体の知れぬそれの発生源があることを俺に教えていた。
「あ…あの壁!剣の大広間の壁だ!!」
ジャンが指を指すその壁は、一つ一つの角塊に光る青い文字が点滅する、異様な見た目をしており、その中の文字の一つに、俺は見覚えがあった。
あの文字は――
『いいか、ライ。この文字とこの文字の組み合わせは、その先に危険を伴う、重要なものが隠されていることを表しているんだ。この文字が並んでいる遺跡には、間違っても近付くんじゃないぞ。』
かつてレインが幼い俺に言い聞かせていた言葉が、昨日のことのようにはっきりと、思い浮かんだ。
まずい、この先にジャンを行かせない方がいい…!!
そう思いジャンを呼び止めようとしたが一呼吸遅く、〝剣の大広間はすぐそこだよ!〟とジャンが口にした直後――
「うおおおぉっ…!!」
――野太く嗄れた叫び声が聞こえた。
「この声…じいちゃん!?」
「待てジャン!!」
俺はその声のする方向へと、脱兎のごとく駆け出したジャンの後を追う。
すぐ先の通路を曲がったところで、それなりに身体の大きい人間が、まるで放り投げられた小石のようにポーンと目の前を横切り、背中から壁にぶつかってドンッと床に落下するのが見えた。
「じいちゃん!!」
ジャンは手を伸ばし、床に倒れた人物に駆け寄る。俺はすぐに液体傷薬を取り出してジャンに手渡した。
「ジャン、薬だ!!おい、大丈夫か!?」
ジャンに続いて助け起こそうとした俺のことなど、まるで目に入らないかのようにその老人は、苦痛に顔を歪ませ口の端に血を滲ませながら、たった今自分が飛ばされて来た方向を震える手で指さした。
「ぐ……うう…、い、いかん…、剣が…――」
〝剣が、目覚めた〟
ブウウン、ブウウン、ブウウン、と室内の空気を震わせる、低く、重い不気味な音が響き渡る。
俺がそちらへ顔を向けると、老人が差し示したその部屋の床には、崩れて粉々に散らばった、元は壁らしきものの残骸が転がっていて、その中央に、漆黒と紫紺、黒灰の入り交じった色の不気味な靄を纏う、青黒く光る中剣が浮かんでいた。
その宙に浮いた中剣は、この遺跡の壁に流れていた、青く光る文字と同じような帯状のものに四方八方から繋がれ、床に描かれた円形の陣から今しがた伸びたばかりのような、植物の蔓に似たものが下から幾重にも絡みついていた。
――誰に確かめなくてもわかる。これだ…これが、あの侵入者が口にしていた、『闇の守護神剣』だ…!!
俺の耳に耳鳴りを起こし、周囲の空気を震わせていた、この中剣が引き起こしている低い振動が、徐々にその激しさを増して急速に高まっていくのを感じる。
凄まじい速さでそれが限界に達すると――
ブウウウン、ブウウン、ブウン、ブンッ…ビ…ビビ、ビリビリビリ…ズッ…
…ッドオンッ
――世界が暗転したかのような閃光に包まれ、衝撃波が放たれた。
ガラガラガラ…ドガガガガ…
五メートルも離れていない至近距離で放たれた衝撃波にも拘わらず、凄まじい音と少しの振動を感じただけで、俺達は無事だった。
それは、予め想定されていたかのように、周囲を囲んでいた壁がその衝撃波を吸収するような魔法の防壁で守られていたからだった。
だがそれだけで終わるはずもなく、なにかが崩壊した音がしたと思えば、中剣が浮いている部屋の奥の壁が消滅し、さらに奥に隠し部屋が現れた。
その隠し部屋には、おそらくは魔法による結界と思われるものに覆われた柩らしき箱が安置されていて、その柩の下にも中剣の真下にある円形陣と同じ物が描かれており、一部分が交わるように二つの陣が重なっていた。
その円形陣が二つとも、上に向かって端からほろほろと、昇華するように消えて行く。
やがて、柩の蓋がゆっくりと開き、その中から真紅の闘気に包まれた、異様な姿の男が空中にふわりと立ち姿で浮かび上がった。
――寒気がするほどの美しい顔と、眠ってでもいるかのように閉じられた目に、真っ白く血の気のない死人のような肌…鮮血のような、鮮やかな血の色をした腰までの長さの髪に衣服は身につけておらず、代わりに中剣と同じような靄を纏っている。
それは、俺の前で静かに目を開けた。
紅い…髪色と同じ、なんの感情も映さない鮮やかな真紅の瞳だった。
須臾後、床にスゥッと音もなく着地し、纏っていた靄が一瞬で同色の衣に変化すると、男は右手を掲げてくいっと指先を動かした。
刹那、中剣を繋いでいた何本ものあの帯と、床から伸びた蔓が瞬く間に消滅し、
青黒いその剣は解き放たれて自由になった。
――男が、それに手を伸ばす。
俺は男がそれを掴む前に、ジャンに老人を連れてここから逃げるように叫んだ。
「逃げろジャン!!…早く!!」
目の端にジャンと老人がすぐこの場から離れて行くのが見えた。
シャッ
俺は本能的に腰のライトニング・ソードを引き抜き、あらん限りの力で、男が青黒い中剣を掴むのを阻止しようとした。
…だが間に合わず、男はその中剣で斬りかかった俺の攻撃を受け止めた。
――そう思ったのだが…
違った。俺の攻撃は、男に届くことさえなく、その10センチほど手前で、見えないなにかに遮られていた。青黒い中剣を掴んだ男が、死人のようななんの感情もないあの真紅の瞳で俺を見る。
直後、俺はなにかに弾き飛ばされ、ついさっき見たあの老人のように…いや、それよりも遙かに凄まじい力で壁に叩き付けられた。
グシャッ、と言う聞いたことのない音が、自分の体内から聞こえた。
逆流する液体が、口から勢いよく飛び出す。それが、下を向いた俺の白かったシャツを真紅に染めた。
ずるり、と力が抜け、壁から背中が滑り落ちると、急速に視界がぼやけて暗くなり、俺は…そのまま一声も発せずに意識を失った。
♢ ♦ ♢
「はあ、はあ、はあ」
――紅翼の宮殿二階の廊下を、近衛服姿のヨシュアが真っ青な顔をして走って行く。
息を切らせ、足が縺れそうになるほど慌てて、一秒でも早くそこへ辿り着こうと必死だった。
ライの側付きになることを承諾し、二日後には正式な辞令をもらって、自分もこの階の部屋に住居を移す予定だ。
だがそれまではまだ第二小隊所属のヨシュア・ルーベンスであったため、今夜は夜勤の当直を務め、近衛の詰め所でトゥレンに命じられた(押しつけられた)仕事をしていた。そこへ――
――『ルクサール炎上』の知らせが入る。
≪ルクサール…ルクサールが、炎上だって…!?今日ライ様が朝早くに城を出られて、向かわれたはずなのに…!!≫
ライがルクサールに出かけたことは、側近であるイーヴとトゥレン、そしてヨシュアの三人しか知らなかった。問題がなければライは、明日朝には戻る予定であったため、表向きは在宅勤務と届け出ており、周囲には知られないよう極秘で外出していたのだ。
その理由は、考古学嫌いだと公言している国王ロバムに、ルクサールくんだりまで出かけてまで、ライが過去のことを調べようとしていると気付かれないようにするためだった。
結果、ライが国王の許可を得ずに城を空けていることも、なんらかの要因で炎上している街にそのライが滞在しているはずのことも、公には出来なくなった。
通常であれば担当の近衛隊士がライの元に知らせを寄越す。だがライが不在であることを隠すため、偶々当直だったヨシュアがこうして、副指揮官のイーヴの元へと走っているのだ。
ドンドンドン
ヨシュアはイーヴの部屋の扉を激しく叩く。おそらくイーヴはもう寝ているはずだ。そう思ったのだが…
「ウェルゼン副指揮官!!ヨシュアです!!起きて下さい!!」
ヨシュアの予想に反して、部屋の扉はものの数秒でガチャリと開いた。
「ヨシュア、どうした?」
ガチャッ
「ヨシュア!?」
イーヴの部屋の扉を叩いた音で、隣室のトゥレンもすぐに部屋を飛び出して来る。二人とももう遅い時間なのに、なぜか寝付けずに未だに起きていたのだ。
「パスカム補佐官も…た、大変です!!たった今、ルクサールの街が炎上していると緊急事態の一報が入りました…!!」
「なに…!?」
「…!」
イーヴとトゥレンの二人は踵を返し、二分も経たずに近衛服に着替えると、ほぼ同時に部屋を飛び出して来た。
紅翼の宮殿の廊下を足早に移動しながらイーヴとトゥレンはどう動くかを確認し合う。
「救助隊の編成は俺がやる。ヨシュアは救援物資の手配を頼む。」
「は、はい…!」
「近衛だけで足りるか?」
上着のボタンを留めながらトゥレンはイーヴに問いかけた。
「ルクサールの住人は全員でも二百人に満たない。だが子供と高齢者ばかりだ。」
「人数は足りるが医者が要るな。ヨシュア、就寝中の近衛は叩き起こしたか?」
「宿舎と自宅に知らせは向かいました。魔物の襲撃である可能性を考慮し、全員出撃態勢を整えるよう通達してあります。」
ヨシュアは二人に必死でついていこうと頷く。
「良い判断だ。」
トゥレンは微笑み、ヨシュアの背中をポン、と叩いた。
≪…やっぱり双壁のお二人は凄い…ルクサールが炎上した、そのたった一言だけで、ライ様がおられなくてもなにをするべきか、全てわかっているようだ。でも――≫
ヨシュアはなぜ真っ先にライの話が出ないのか、少し納得がいかなかった。
「王立病院には私が連絡を入れておく。」
「わかった。救護班に搬送用の緊急車両の台数を増やすように手配する。」
「ウェルゼン副指揮官、ルクサール炎上の一報は国王陛下にも届いています。ですがライ様の不在は知らせておりません。なによりライ様はルクサールにおられるはずです、閣下の救出を最優先にするべきでは!?」
一瞬の間を空けて、イーヴが答える。
「…ライ様の救出はもちろんだが、最優先にすべきかどうかはまた別だ。ルクサールの状況を見て、それは判断する。だが…国王陛下にはお知らせするべきか。」
「いや、待てイーヴ、ライ様は…おそらくご無事だ、俺にはわかる。」
「トゥレン?」
「パスカム補佐官…!?」
トゥレンは一切慌てる様子もなく冷静に二人にそう告げた。
「詳しい理由は話せないが、ライ様に万が一のことがあれば俺には一瞬でわかる。ライ様がご不在でも近衛の指揮は俺達で執れるだろう。今のまま出来るだけ隠し、ライ様のご意向を妨げることのないように動こう。でなければ今後のことに支障が出る。」
「――おまえにしてはやけに落ち着いていると思えば…どういうことだ?」
「…理由は話せない。たとえおまえでもだ。」
イーヴとトゥレンの間に、瞬間的な沈黙が流れる。…が、すぐにそれは払拭され、イーヴはそれ以上トゥレンを追求せず、その言葉を信じることにしたようだった。
「わかった、ではその方向で行く。ヨシュアも必要以上に狼狽えるな。」
「はい…善処します…。」
≪…どうして…ライ様の救出は最優先ではない…?ウェルゼン副指揮官はなぜそう仰るのか…わからないな。≫
ヨシュアは従いつつも、イーヴの考えが理解できなかった。
♦ ♦ ♦
――その頃、リカルド率いる『蒼天の使徒アーシャル』は、轟音を立てて燃えさかる街から、生き残っているルクサールの住人を避難させていた。
普段であれば彼らが表立って直接人間に関わるようなことは殆どない。だが今度ばかりは別だった。
街のすぐ外でリカルドは、スカサハとセルストイ、ル・アーシャラー第五位と一部の徒団に指示を出しながら、やがて出現するはずの『それ』が遺跡から飛び出してくるのを待っていた。
『それ』はまだ鳥籠の中にいる。
…にも拘わらず、地下に居ながらにして、剣が放った波動は、ただでさえ廃墟のようだったルクサールの街を完全に破壊して燃え上がらせた。
一度目はおそらく、衝撃を吸収する防御壁に相殺されたのだろう。だが我ら蒼天の使徒アーシャルが、遺跡の外側に結界を張ろうとした瞬間、二度目がルク遺跡の外に放たれた。
その波動は低級使徒の一個徒団を一瞬で死亡させた。異変を感知して事前に何人かの街の住人を避難させていなければ、彼らは諸共全滅していただろう。
――ルーファス達と魂食いの森で別れた後、アーシャルの拠点である天空都市フィネンにリカルドが戻ると、神殿では酷い混乱が起きていた。
「落ち着きなさい!!無様ですよ、蒼天の使徒ともあろうものが、冷静さを欠くなどみっともない!!」
「リカルド様…!!」
「お戻りですか、よろしゅうございました…!!」
ベージュ色の神官服に身を包んだ、神官達が一斉にリカルドを見て礼をする。
「セルストイから状況は聞きました。災厄の封印が弱まるのは想定されていた事態です、慌てないように。これより全アーシャルはエヴァンニュ王国西方地区、ルクサール地域に出撃します。
第五位ハイルと第九位レムレストは徒団を率いて私に同行。第二位ロシェ、第六位セスタール、第七位アヴァードはルクサールから半径二十キロ圏内の警戒、第三位ホリン、第四位アイラ、第八位ドグマは対カオス戦に備え、ルクサール近郊に待機!!『災厄』と『闇の守護神剣マーシレス』をカオスに渡してはなりません!!行動を開始!!」
「はっ!!!」
リカルドの指示を受け、蒼天の使徒アーシャルは一斉に動き出す。
彼らが狼狽えるのは無理もない。あの地に眠るのは、異界を含めた全ての世界に災厄を齎す顕現主…言うなれば暗黒神同様、滅びの化身だ。敵対すればこのフィネンとて無事にはすまないだろう。そうリカルドは考える。
「ルク遺跡の封印は非常に強力です。たとえ『カラミティ』と『マーシレス』でも全ての魔法封印を解くには数時間がかかるはずです。今すぐ転移して外部に聖光術の封印結界を施せば、再度封印できるかもしれません。」
「かしこまりました、ではそのように――」
「リ、リカルド様!!ルク遺跡に特殊事象が発現しています!!付近までの転移魔法が使えません!!」
「な…」
その瞬間、毅然として振る舞っていたリカルドが、一瞬身体をふらつかせる。
「!…リカルド様…!!」
透かさずスカサハとセルストイがそれを支えた。
「――リカルド様、やはりどこか具合がお悪いのではありませんか…!?先日のインフィランドゥマでの一件以降、時折こうしてお倒れになられておられますよね?なにかあるのでしたら、我々にだけはお知らせ下さい…!!」
心配してそう言ったセルストイの手を振り払い体勢を立て直すと、リカルドはキッと睨んで「なんでもありません。」と一言だけ言うと、すぐに背筋を伸ばした。
「転移魔法が使えないのならば、今すぐ全軍を出撃させます…!!エヴァンニュに到着するまでかなりの時間がかかるので、私達も急ぎますよ。すぐに準備なさい。」
「…か、かしこまりました…。」
リカルドから離れ、配下を纏めに走るスカサハとセルストイの後ろ姿に、リカルドは目を伏せる。
≪…話したところで誰にも、どうすることも出来はしない。それがたとえルーファスであっても。≫
――フォルモール様がいなくなって、全ての真実を知った時、私はもう『次』を探すのは止めたのだ。残りの生は以前のことなど全て忘れ、ただルーファスの傍にいて、その時が来るまでの間…自分の真の正体はなにも知らせず、静かに過ごして行ければそれで良いと、そう思ったのに…
あの日、ウェンリーが私の前に現れた。
ルーファスの横に親しげに肩を並べる彼を見て、自分にかけていた暗示の全てが解けてしまった。
なにも思い出さなければ、私はただの『リカルド・トライツィ』として、蒼天の使徒アーシャルも、天空都市フィネンも、災厄もカオスもフェリューテラも、なにもかもを捨てて生きていられたのに。
スカサハもセルストイも…愚かですね。〝ルーファスを仲間に引き入れたら、フィネンに戻る〟などという私の嘘を信じて…グラナスもそうです。私はもう疾っくにあなた達を裏切って、捨ててしまっているのですよ?…そうとも知らず、私の身を案じるのですから――
夜の闇の中、リカルドは炎上するルクサールの奥に鳥籠を見つめる。
『特殊事象』の発生したそれは、歪んだ異空間の如き様相を呈し、そこだけ不気味な色の靄に包まれていた。
その靄がなにかに吸い込まれるように集束し、弾け飛んで霧散した。次の瞬間、
世界が暗転し、遺跡の遙か上空に、真紅に輝く禍星が顕現する。
「リカルド様!!さ、災厄です!!災厄が封印から完全に解き放たれました…!!」
下級使徒の叫び声が聞こえる。
――偏に、これも巡り合わせかもしれません。グラナスの力と私の全生命力をかけて挑めば、おそらくカラミティに深手を負わせることは出来るはず。
再び封じるのは無理でも、マーシレスを引き離せれば、最悪の事態は免れるでしょう。
千年前、誰が彼らをここに封印したのか知りませんが、なぜカラミティとマーシレスを同じ場所に封印したのか…別々に封じれば、少なくとももう少し対策が取れたでしょうに…
「…まあ、今さら言っても始まりませんね。」
スカサハ、セルストイ、後は頼みます。…そう言って微笑むと、リカルドは今まで誰にも見せたことのない深緑色の闘気を纏い、魔法で宙に浮かび上がると、一直線に『災厄』の元へ飛んで行った。
「な…リカルド様!?」
スカサハとセルストイは驚いてリカルドが飛び去った上空を見上げる。
「リカルド様が、空を…どういうことだ!?」
二人は互いに顔を見合わせ、不吉な予感にすぐさま下級使徒に指示を出す。
「ぜ…全第一徒団、全力でリカルド様の援護に回れ!!少しでも『災厄』と『守護神剣』の攻撃を分散させよ!!」
「はっ!!!」
命令を受けたアーシャル達は背中に二枚羽根を出現させ、すぐさまリカルドの後を追い、一斉に空へ舞い上がる。
「スカサハ、ルーファス様にご連絡を!!リカルド様のご様子がおかしい、まるで死をご覚悟なされておられるようだ!!我々ではお止め出来ん…!!」
「セルストイ、ルーファス様は今ご連絡の取れる場所におられない、無理だ…!!」
「…!!」
炎上するルクサールを下後方に、リカルドはルク遺跡の上空で青黒い光を放つ剣を手にした『災厄』と対峙する。
「――『真紅の亡霊』とも呼ばれる貴方は、いったい何者なのですか?カラミティ。その紅の瞳にはなにも映さず、千年前にはカオスにまでその脅威の力を見せつけたと聞きますが、どうか再び大人しく眠っては頂けませんか?この世界に、『災厄』は必要ありません。」
――リカルドがそう言葉を発した瞬間、災厄と青黒い剣は同時に禍々しい闘気を放った。
ゴオッ…
それは遮るもののない空中で、空震となってさらに上空の雲さえも吹き飛ばした。
リカルドの輝く金髪がそれに靡き、後方に待機して臨戦態勢を取っていた下級使徒達を蹌踉めかせる。
『――ほう…懐かしき同胞よの。大地の守護神剣、グラナスよ。久しく至高天界より行方を晦ませていたかと思えば、フェリューテラで人間の手に渡っていたとは。』
青黒い剣が明滅して言葉を発する。
『確かに久しいな、闇の守護神剣、マーシレス。うぬこそ千年もの間自由を奪われていたのに、反省もせずまだ復讐を諦められぬのか。…徒なことを。』
リカルドの手の中にある剣が、オレンジ色の光を放ち同じように答える。
『徒かどうかは挑まねばわからぬだろう。だが…これで神界の三剣、全てがフェリューテラに顕現したな。尤も、光の守護神剣ラケシスは面白いことになっているようだが。ククク…』
『…彼女の所在を知っているのか?』
『――さてな。…時間だ、カラミティが苛立っている。』
『『行くぞ!!』』
ッドオオンッ
深緑の闘気と、真紅の闘気がルクサールの上空で夜空を染め上げた。
――こうしてリカルドと災厄の戦いが今、始まった。
二話同時投稿です。いつも読んでいただき、ありがとうございます。




