60 嵐の前の…
黒鳥族の長、ウルル=カンザスに暫くノクス=アステールに留まって欲しいと言われ、滞在中に出来ることをしようと思ったルーファスは、ギルドの問題に取り組む。色々な案を出し合い、その一つ、王国軍の協力を求めることを打診し、国王陛下の承諾を得ますが…
【 第六十話 嵐の前の… 】
『長き眠りより災厄が目覚め、凶星と凶星が邂逅する。』
黒鳥族の長ウルル=カンザスさんにそんな『星詠みの告げ』があったことを知らされ、数日間はノクス=アステールに留まるよう言われたが、俺は俺でこの間に出来ることをしようと考えていた。
まずはそもそも黒鳥族に会いに来た目的だ。今のギルドの混乱状態を早急に改善したいと言うこと。これは守護壁の消滅による魔物の活性化が原因なのだから、今後はまず以前の状態に戻ることはないと考え、ギルドでなければ処理できない依頼のみを引き受けられるように、新しく周囲の状況そのものを変えていかなければならなかった。
そこで話し合いをして色々な案を出し合った結果、やはり一番は各市町村の自衛がなにを置いても大事だという結論に至る。
これは俺が長い間ヴァハの村周辺の魔物討伐だけで守護者に頼らず、村を守って来られたことを考えればそう難しくないと思える。
魔物を討伐可能な人員さえ確保できれば、それらを派遣し、常駐させることで街そのものと住人の守護、そして周辺の魔物ぐらいには十分対応可能だからだ。そこを抑えられれば、それだけでもかなりの数の低ランク依頼がギルドからなくなる。
その上、低ランクの依頼が減れば、低ランク級の守護者や冒険者は、自ずと同程度ランクの魔物討伐に出なければ稼げなくなるので、それぞれが拠点としているギルド周辺の魔物を減らすことにも繋がるのだ。
問題はその肝心の "魔物を討伐可能な人員" の方だが、ギルドから守護者を派遣したのでは意味がなく、かと言って民間人に自警団のようなものを作らせるのは無理がある。
だがこれに関しては思わぬところに当てが出来そうだった。それはこの問題が発生する少し前に、エヴァンニュ王国軍の最高位指揮官でもある近衛隊の頂点に『黒髪の鬼神』が着任したことで、一部だが王国軍内部でも対魔物戦闘の訓練が開始されたことだった。
当然だが王都のギルドも他と同じような状態に陥っていたのだが、奇しくもそこをライ・ラムサス率いる近衛隊の助力によって、最も酷かった状態は乗り越えられたらしい。
もし国の兵士に各街の守備を頼めたら、一気に事態は好転する。そこですぐにギルドから公式にエヴァンニュ王国軍への協力要請をしてみて貰った。
結果はすぐに判明し、すんなりと国王陛下の了承を得られ、イーヴ・ウェルゼン近衛副指揮官から即日ギルドの方に返事が返ってきた。これは偏に、王宮近衛指揮官であるライ・ラムサスのおかげだとも言えた。
彼は以前俺とウェンリーが居合わせた軍施設でのカオス侵入時に、魔物が中にいる、と言う理由で警備兵はおろか、王宮を守る任にある近衛が一切手出しできなかったことに危機感を抱いていたらしい。
その直後から近衛の対魔物戦闘の訓練を始めたというのだから、中々行動力のある人物だと感心する。綽名こそ鬼神などと呼ばれているが、世間一般の評判は総じて高く、民間人に寄り添った感覚の持ち主で特に王都の住民にはかなり好かれているようだ。
となると、あの戒厳令の発令時に、彼と話が出来なかったことは今さらだが残念だ。俺の身元を保証してくれたことと言い、お礼を言って個人的な繋がりを作っておけば良かった、と後悔している。
ライ・ラムサスは守護者の資格も持っていると聞いたし、情報を共有することできっと良い関係を築けたに違いない。
まあ今になってそれを言ったところでどうにもならないので、この話はここまでにするが、後はギルド内の細かい規定にも少し変更が必要だった。
――ところで、いくらSランク級守護者で、リカルド・トライツィのパートナーだと言っても、所詮一守護者にしか過ぎない俺が、なぜギルドの運営や規定に関わるようなこんな話に口を出しているのかと言うと…
「はああ!?ルーファスが魔物駆除協会の発案者!?」
顎が外れるんじゃないかと思うほど大きな口を開けて、ウェンリーが驚く。
「はい。正確にはルーファス様と守護七聖<セプテム・ガーディアン>の皆様ですね。」
にっこりと微笑んでウルル=カンザスさんは頷いた。
「いや、俺には全く記憶にないんだけど…そうなのか?シルヴァン。」
他人事のような顔で俺が尋ねると、シルヴァンはあっさり認めた。
「うむ。千年前にも魔物を狩って金を稼ぐ者はいたが、それを組織化して今のような形態にすることを考えたのはルーファスだ。フェリューテラにその土台を作るには、当時『太陽の希望』という名で活動していたルーファスの知名度が必要不可欠だった。でなければ国交のない国同士の協力体制を作るなど不可能だったであろう。」
その当時も似たような商売はあったらしいが、店によって素材の買取額や報酬がバラバラで、常に揉め事が絶えず、今のような民間人のための駆除業者ではなく、荒くれ者やならず者が跋扈する暴力集団のような印象が強かったらしい。
そのため一見人助けをしているように見えても、その実体は弱みに付け込んだ悪徳業者と大差なく、安全な生活を保つため、というにはほど遠い状態だったようだ。
「――『守護者たる者、常に悪しき魔を警戒せよ。魔を討つ力を持つ者は、持たざる者のためにあれ。強き者は其に相応しく、他を守護せしことを誇りとせよ。術持たずとも万人の前に道は等しく、彼方を望む者に枷はない。』…魔物駆除協会の運営理念ですよね。あの言葉は、ルーファスが…?」
すぐ横に立っていたリカルドが、なぜだか哀感を含んだ笑みを浮かべて言う。
「どうかな…覚えていないけど――」
頭の中で今リカルドが言ったギルドの運営理念を繰り返す。その中で、微かになにかの欠片が心に静かに降り注いだ。
それは濃い霧のような真っ白い靄に包まれた、遠い誰かの記憶…輪郭さえ完全にぼやけた影ですらないものが、俺になにかを言っている。
〝ねえルーファス…いつか魔物が世界からいなくなったら、自由に遠くへ行けるかな?〟
そのぼやけた片鱗が、そう言って俺に笑いかけているような気がした。
「――…うん…多分そうだと思う。確信は持てないけどな。」
それだけ言って俺はリカルドに微笑んだ。
――現在の魔物駆除協会の素体を発案したのは俺と守護七聖<セプテム・ガーディアン>…それは本当らしかったが、ここまでの状態に長い時間をかけて作り上げてくれたのは、ウルルさん達黒鳥族だ。
当時から既に影の一族と呼ばれ、フェリューテラの影でひっそりと生きていた彼らは、一時期長であるウルルさんがカオスの策略に嵌まって取り込まれそうになり、それを阻止して助け出したことを切っ掛けに、俺達と親しくなった。
その後フェリューテラの種族の中でも特に知能の高い彼らに、俺達からの頼みで魔物駆除協会を形にして貰えるよう全ての運営から管理までを引き受けて貰った、と言うのがギルドの全貌のようだ。
まあそんなわけでギルドの細かい規定やなんかに、俺達が相談を受けるのも自然な成り行きだった、と言うことだ。
「――王国軍の対魔物戦闘訓練が終了するまで少し時間が欲しい、と言うことでしたが、各市町村への派兵が済めば暫くは様子見も可能でしょうね。」
「ああ。後は低ランク級登録者が生活に困らないよう、最低報酬を引き上げることも必要だ。討伐数によって追加報酬を出す形で良いと思う。」
「うむ、それと逆に上級魔物の討伐報酬も少し高めに上げた方が良いな。さすれば研鑽を積んで上を目指す者が増え、その向上心を保つのにも役立つであろう。」
後はギルドに登録していない者が持ち込む素材の買い取りも、価格を低めに設定して行うようにして、民間人の中にも自発的に魔物と戦う意志が芽生えるように促して行く、などの対策も取ることにした。
「――では大体このようなところですか。さすがはルーファス様、ギルドの運営に関しても良くご理解頂けていたようですね。」
「いや…買い被りすぎだから。後はその都度修正と補足をお願いするよ、ウルルさん。」
「はい、もちろんです、お任せ下さい。ところでルーファス様…私の方から出来ればお聞き届け頂きたいお願いがあるのですが…今申し上げてもよろしいですか?」
「ああ、構わないけど…なにかな?」
一通りの話が終わったところで、ウルルさんがそう言って俺を見ると、いつ、どこで知ったのか、俺がグリューネレイアでマルティルに貰った、三種の精霊具について尋ねてきた。
「俺が精霊界に行ったとか、精霊具を貰って帰ったことまでも、良く知っているな…いったいどうやって知ったんだ?」
唖然として尋ねると、ウルルさんは自分達が黒鳥族であることを強調し、鳥はどこにでも飛んでいる、と微笑んだ。
つまり彼ら黒鳥族は、何処にでもいる野鳥や渡り鳥などから世界中の情報を簡単に手に入れることが可能らしい。
「ルーファス様が精霊界を訪れたことは、精霊界にいるカラス達から聞きました。その際、精霊女王から精霊具を頂いていたこともです。」
「な、なるほど…」
表に出ないと言っても外界を知らないわけじゃなく、逆にノクス=アステールにいながら、どこでなにが起きているか知ることが可能だから閉じ籠もっていられると言うことか。これは彼らの目はどこにでもある、と思った方が良いな。
「それで、頼みというのは?」
「はい、ルーファス様がお持ちの精霊の鏡と、いつでもこちらから連絡が取れるように、私にも精霊の粉を分けて頂きたいのです。」
「精霊の粉を…俺は構わないが、あの粉は精霊界の扉を開く鍵でもあるから、マルティルに聞いてみないとわからないな。…ちょっと待ってくれ、彼女に聞いてみるから。」
俺はその場で無限収納から精霊の鏡を取り出し、早速マルティルに呼びかけてみた。
『まあ…ルーファス、嬉しいわ。早速鏡を使ってくれたのですね。』
すぐに反応があり、マルティルの笑顔が鏡に映し出されて、嬉しそうな声が返って来た。
「ああ、マルティル、この前は色々とありがとう。その後グリューネレイアに変わりはないか?」
『ええ、特にはなにも。世界樹の方もまだ大きな変化はありません。あら?…そこは…フェリューテラではないようですね。今どこにいるのですか?』
リカルド、シルヴァン、ウェンリーが俺の後ろに集まって鏡を覗き込んでいたが、やはり識者でなければマルティルの声や姿は認識できないようで、各々見えない、だの聞こえない、だの本当に俺には見えているのか、とかごちゃごちゃ人の後ろでうるさい。
「うん、今は黒鳥族の集落に来ているんだけど…」
俺は後ろの三人にうるさいぞ、と言いながらマルティルに事情を話し、精霊の粉を分けてもいいか尋ねてみた。
『それでしたら大丈夫ですよ、ルーファス。精霊の粉があっても、こちらへ渡る条件が整っていなければ、たとえ精霊の泉で精霊の粉を使用してもグリューネレイアには来られませんから。』
「そうなのか、安心したよ。それじゃ俺の仲間にも精霊の粉を分けて持たせてもいいかな?」
『ええ、構いませんよ。ただ精霊の粉は特殊な粉袋に入れておかないと効力を失ってしまいますから、それを用意する方が大変なのでは?』
「粉袋?いくら使っても勝手に補充されてなくならないと言っていた、この袋か?」
俺は精霊の粉も無限収納から取り出し、鏡に翳す。
『そうです。おそらく作成するのはあなたでも簡単でしょうが、素材に "アウジェレの実" の皮が必要です。フェリューテラには多分もう残っていないのではないかしら。』
俺のデータベースによると、マルティルの言う『アウジェレの実』は、別名マシマシの実とも呼ばれ、マシリリカ・アウジェレという名の外見は百合に似た花を咲かせる、かなり大きな葉と太い茎を持つ植物に成る実のことらしい。
深い森の水辺など野生動物の生活圏に多く見られ、花が咲き終わるとその部分が三十センチくらいの鬼灯のような花弁に包まれた掌大の実に変化するようだ。
その中身を取り出し、実の皮を魂食いの森にもいる『マンドラゴラ』の皮と縫い合わせて袋を作り、保存魔法をかけるとその粉袋が作れるらしい。
「マンドラゴラの皮はカストラの森で手に入るな。だけど、アウジェレの実か…」
ラビリンス・フォレストはともかく、それ以外の森になら入ったことはあるが、水辺の近く…記憶にないな。結構目立つ植物だと思うけど…
『少なくともこの近くでは入手不可能のようです、ルーファス様。』
と言うアテナの声が聞こえる。これまで俺が行ったことのある場所に、それらしい植物がなかったかすぐ調べてくれたらしいな。
やっぱりそうか…近くにないんじゃ困ったな、と思っていると、ここでウルルさんが一度パン、と顔の前で両手を叩いて、アウジェレの実ならノクス=アステールですぐに手に入りますよ、と嬉しそうに言った。
『まあ、それは良かった。』とマルティルは微笑み、俺は彼女に改めてお礼を言うと、また連絡する、と告げて鏡の通信を切った。
マルティルの許可が出て、精霊の粉を渡しても問題がないことがわかると、俺はウルルさんの要望を快く受け入れて、早速粉袋を作るために材料を集めることにした。
「アウジェレの実を採取するには、ノクス=アステールの奥地にある崖を登って、群生地に行かねばなりませぬので、私とシルヴァンティスで集めに参ります。私は空を飛べますし、シルヴァンティスは銀狼の姿で難なく上まで駆け上がれますから。」
そう言ってくれたウルルさんとシルヴァンにアウジェレの実の方は任せ、俺はウェンリーとリカルドの二人と一緒に、カストラの森に出てマンドラゴラを狩ることにした。
それにしても…未だウルルさんと、一番最初に斥候として現れた三人の男女に会ったきり、黒鳥族の他の人に会えていないのが少し寂しいな。
黒鳥族の子供とか、ウルルさんの奥さんとか(いるのかどうかはわからないけど)、可能なら会ってみたかった。
「外に出るのはこっちで良いんだっけ?」
ウェンリーが俺の少し前を歩き、俺の横にリカルドが並んでほぼ同じ速度で歩いて行く。
「ああ、多分な。」
集落の入口を出ると、すぐのところに転送陣があるとウルルさんは言っていた。
「ルーファス、あの光っている魔法陣がそのようですよ。」
リカルドが指を指して振り返る。そのリカルドの顔を見て、俺はハッと気付いた。
「リカルド?顔色が良くない、もしかして具合悪いんじゃないのか?」
さっきウルルさんの館で話をしていた時にはそうでもなかったのに、今はいつ倒れてもおかしくないような血の気のない、青白い顔色をしていた。
だがリカルドは平然とした顔をして、近くにある夜光草の青い光のせいでは?と言って、別になんともないですよ、と微笑んだ。
空元気…ではなさそうだ。無理をしているわけでもない…?だとしたら、体調が悪いことに気が付いていない、とか…?
心配になった俺は、ウルルさんの館で休んでいたらどうかと提案してみたのだが、ウェンリーが行くのに置いて行くのか、と悲しげな顔をされてしまい、なら具合が悪くなったらすぐに言ってくれ、とだけ告げてそのまま一緒に向かうことにした。
白く光る魔法陣に入ると、俺達は黒鳥族の塔の一階にある正面扉の外に出た。帰る時はそのまま塔の中に入れば戻れるようにしておいてくれるという。
マンドラゴラが近くにいると手っ取り早いと思ったのだが、周囲を探しても結界障壁の中には、定着型魔物のビーナス・フライトラップと、ハニー・ビー、フラワーディプテラしか見当たらなかった。
「俺らが特殊変異体を倒したから虫系魔物が出てくるようになったみたいじゃん。良かったな、ルーファス♪」
「いや、別に喜んでないから。」
あの時は普通に考えて植物が多い場所なのに、昆虫がいないのはおかしいと思っただけで、なにも残念だったわけじゃない。それをわかっているのかいないのか、ウェンリーはなにを言っているんだか。
「結界障壁の内部にはマンドラゴラがいないようですね、外に出ましょうか。」
「ああ、そうしよう。」
ウェンリーとリカルドは、喧嘩もしない代わりに殆ど口も利かなくなった。これは良いのか悪いのか、どっちなんだ?
啀み合うことがないのはいいが、互いに互いを気にしないように無視して避けているようにさえ見える。これは関係が改善されたとは到底言えない。
――とことんやり合わせて気が済めば、歩み寄ってくれるかと思ったのに…なんだか益々悪化したような気がする。…俺は二人共大事なのに、悲しいな。
気分が少し沈んだところで結界障壁の前に辿り着き、俺はまた来た時と同じように防護障壁とディスペルの膜を張ってそこを通り抜けた。…その直後だ。
シュシュンッ
「リカルド様!!」
「うわっ!?」
「ぎゃあっ!!」
思わず驚いてウェンリーと一緒に身構え、俺達は後退った。
「スカサハ、セルストイ…!?」
「びっくりした…なんだよ!!」
結界障壁を抜けて外に出た途端に、俺達の前へスカサハとセルストイの二人がいきなり転移して来たのだ。驚くに決まっている。
緊急事態につき驚かせて申し訳ありません、とスカサハは頭を下げ、セルストイは俺と話す余裕もないほど、すぐにリカルドの前に進み出た。
「リカルド様、お捜ししました…!!」
「ああ、ノクス=アステールにいたので、私の存在を感知できなかったのですね?すみません、通信用の魔法石も所持していなかったので、連絡することも失念していました。慌ててどうしました?」
「急を要する事態が発生致しました、すぐにフィネンにお戻り下さい…!」
リカルドは至って平然としていたが、セルストイがかなり慌てている様子から、余程の事態が起きたのだと思った。
「わかりました、戻ります。すみませんがルーファス、私は一旦ここで――」
「一緒に行かなくて大丈夫か?リカルド。」
「…えっ?」
「おいルーファス?なに言って…」
「ウェンリーはちょっと黙っててくれ。リカルド、俺はおまえが心配なんだ。なにが起きたのかわからないけど、手伝えることがあるなら言ってくれ。俺はおまえのパートナーだろう?」
ウェンリーの言葉を遮り、俺はリカルドの腕を掴んだ。リカルドは一瞬驚いた顔をしていたが、この顔色と言い、なにか胸騒ぎがして…いつもと違い、このまま黙って行かせたくなかった。
蒼天の使徒アーシャルのことは聞いた。リカルドがル・アーシャラーの第一位であり、事実上現在はアーシャル全体を指揮しているのだろうことも想像が出来た。そしてアーシャルはカオスの動向を常に窺っていて、敵対している。もしその急を要する事態というのがカオスに関わることなら、俺にも無関係じゃないはずだ。そう思った。だがリカルドは――
「ありがとうございます、ルーファス。もしあなたの協力が必要な事態であれば、手助けをお願いするかもしれません。その時は一緒に来て下さい。ですがこの場は私一人で大丈夫です。」
――そう言って俺の申し出を断った。
「…そうか…わかった。」
キッパリとそう言ったリカルドに、俺はそれ以上言うのを諦め、掴んでいた腕を放した。
大丈夫です、心配しないで。そう俺に笑いかけると、「ではまた後ほど。」といつもと同じ言葉を残して、リカルドはスカサハ達と一緒に転移して消えて行った。
転移魔法は身体に負担が掛かると言っていたのに…本当に大丈夫なのか…?星詠みの告げのこともあるし、なんだか嫌な予感がして仕方がない。…無理を言ってでも、ついて行った方が良かったんじゃないか…?
リカルドはああ言っていたが、俺に危険が及ぶと判断したら、きっと助けを求めては来ないだろう。…そんな気がした。
「ルーファス?」
ウェンリーが俺を呼び、俺の肩にトン、と手をかける。
「ああ…ごめん。とりあえずさっさとマンドラゴラを狩って、素材を手に入れてしまおうか。」
「……」
そう言った俺に対して、ウェンリーはなぜか返事をせず、じっと俺の目を見た。
「ウェンリー?」
「――なあ、ルーファス…俺、なにがあってもおまえと一緒に行くって言い張ってたけど…ひょっとしてやっぱり、迷惑だったか?」
「ええ?…突然なに言ってるんだよ、そんなこと俺が思うはずないだろう。おまえをヴァハに置いて来たのだって、俺の事情に巻き込むことでおまえの身に危険が及ばないか心配だっただけで、今も昔も、一緒にいて迷惑だと思ったことなんかただの一度だってない。」
「…そっか…それならいいんだけど、さ。」
ここに来てウェンリーまでもが心なしか沈んでいるように見える。リカルドと言い、いったいなんなんだ?
「…怒るなよ?ルーファス。もし…もしも、だけどさ、俺かリカルドのどっちかを選ばなきゃなんなくなったら、おまえ、どっちを選ぶ?」
「な…」
俺は驚いて目が丸くなった。…ついこの前、リカルドが自分を選んで欲しい、とかわけのわからないことを言っていたと思えば、ウェンリーまでこんなことを言い出すなんて思いも寄らなかったからだ。
「おまえまでなにを言ってるんだよ、それはリカルドと合わないのはもう俺にも良くわかったけど、どっちを選ぶとか…そんなの、決められるはずがないだろう!?」
「だから、怒るなって。ただおまえにはマジで悪いけど、俺、あいつとはどうしても一緒にやっていける気がしねえんだよ。相性が悪いとか、気が合わねえとか、そう言うんじゃなくって…上手く説明できねえんだけどさ。」
多分、リカルドも同じなんじゃないか。…戸惑う俺を前に、ウェンリーはそう言った。
――仲良くしろとは言わない。でもそこまで互いに相手の存在を否定するのか?上手く付き合おうと言う少しの努力すらも不可能なほどに?…おかしいだろう。
なあ、アテナ、そう思わないか?
『………。』
俺の問いかけにアテナは無言のままで、なぜか返事を返して来なかった。
すっきりしない気分を抱えたまま、この話題はそれっきり打ち切り、俺とウェンリーはマンドラゴラを狩り、余裕を持って多めに素材を手に入れると、一時間ほどでノクス=アステールに戻った。
俺達よりさらに一時間ほど遅れてウルルさんとシルヴァンが戻り、アウジェレの実を持って帰ってくると、二つの素材を慎重に加工して袋を作り、最後に俺が保存魔法をかけて合計八つほどの粉袋が出来上がった。
早速それに精霊の粉を入れると、見る見るうちに袋が膨らんでいく。
「どうなってんだ、これ!?すげえ!!」と歓声を上げるウェンリーに、さっきまでのどこか沈んだ感じはすっかり消え失せていた。
「うん、ちゃんと出来たみたいで良かった。それじゃ、ウルルさん、要望通りに精霊の粉を渡しておくよ。道具として撒くと対象を眠らせることにも使えるから、悪用されたり盗まれたりしないように、管理には気をつけてほしい。」
粉袋に入った精霊の粉を手渡すと、ウルルさんは感謝します、と喜んで受け取り、すぐに長紐を付けて自分の首にかけていた。
「――ウルル=カンザス、そなたがそれを欲しがったのは、ルーファスと連絡を取り易くするためだというのはわかったが、表に出ることを嫌う黒鳥族は、普段なら接触そのものを避けるであろう。情報を得るのはお手の物であろうし、我は少し納得がいかぬのだがな。」
「なんと…疑り深いな、友よ。我が一族にとっても、ルーファス様が特別であることはわかっているはずではないのか?」
「…疑っているのではない、納得がいかぬ、と言っているのだ。幾らルーファスがギルドの発案者だからと言って、面倒ごとを押しつけようと目論んでいるのなら、我が容赦せぬぞ。」
「そのような目論見などありませぬよ。飽くまでも緊急時のためです。」
「……。」
俺はシルヴァンとウルルさんのこのやり取りを、なにか妙だな、と思いながら見ていた。
その夜(と言ってもノクス=アステールは常に夜なのだが)、俺はウルルさんの館の二階にあるテラスで、囲いの柵に凭れながら星空を見上げていた。
災厄が目覚め、凶星と凶星が邂逅する、か…言葉だけを聞くと不吉な印象しか受けないけど、凶星は転じて吉兆だと言う占い師もいる。…あまり悪い意味にばかり囚われないようにした方が良いような気がするけど…――
「眠れぬのか?」
カラリと引き戸が開く音がして、シルヴァンが酒の入ったグラスを両手に、俺の元へとやって来る。どうやら片方は俺のために持って来てくれたらしい。
「シルヴァン…いや、凶星ってどんな星なのかな、と思って。」
差し出されたグラスを受け取り、シルヴァンに向き直ると、俺はそれを口に運んだ。ほんの一瞬、琥珀色の液体が喉を通る時にカッと熱くなる。直後、胃の辺りから程良いアルコールが身体に染みてきて、ほんのりと肌を温めて行く。
「ああ、星詠みの告げのことか。…凶星というのは禍星とも言う、血のように濃い色をした真紅の輝星を指すようだな。」
「真紅の輝星…か。フェリューテラでは真紅のような赤を総じて禍々しいとか、不吉だって言うよな。誰の中にも流れている血の色と同じなのに。」
「だからではないのか?どうしたって死や災いを連想する。凶事が起きる前は空が赤く染まるだの、太陽が赤く燃えるだの、昔からそんな言い伝えは後を絶たぬしな。」
「――…俺は、違うな。俺はなぜだか、真紅のような赤い色を見ると悲しくなる。あの色は禍々しくなんかない…悲しみと絶望の色だ。」
なぜそう思う?とシルヴァンに聞かれたが、理由はわからない。ただ、そう感じるだけだ。
「…ルーファス、深く考えずに聞き流して欲しいのだが…どうしてもこの場で我から言っておきたいことがある。」
「ん?なんだ?」
急に口調を変え、改まってシルヴァンがそう言った。
「我は今さらになってあの時、我ら七聖はあなたを一人置いて皆眠りについてしまって本当に良かったのか、と思う。」
「…?どういう意味だ?」
あの時…千年前のことを言っているのかな。
「――聞き流して欲しいと言ったであろう。」
「ああ、そうか。」
「我らが神魂の宝珠に封じられ眠りについた後から、これまでの間なにをしていたのか、まだ思い出せぬのであろう?」
「そうだな。だけど不思議と不安は感じないんだ。記憶があろうがなかろうが、結局俺は俺だからな。そりゃあ最初は不老不死とか、守護七聖主だとか言うのにはさすがに驚いたけど、だからと言って俺自身が変われるわけじゃないし、第一、俺は一人じゃない。」
「…そうか。」
シルヴァンはなぜか悲しげな瞳で俺を見て、酷く辛そうに顔を歪めた。
…深く考えずに聞き流して欲しい、と言われたが、そんな顔をされたら気になるじゃないか。
そう思ってどうしたのか尋ねようとした。だがその前にシルヴァンは俺に、今にも泣きそうな顔をしてただ一言、〝一人にしてすまなかった〟と小さく謝った。
俺はシルヴァンがなぜいきなり謝るのか、わけがわからずに首を傾げたが、その理由を問いかけてもシルヴァンはなにも答えず、もう二度と俺を一人にはしないと誓う、そう言って俺を抱きしめた。
言っておきたいことと言うのはそれか?…さっぱりわけがわからないんだが。…なんだか随分と酒臭いし、ひょっとして酔っ払っているのか?
面食らった俺はただそう思ったが、聞き流せ、と言うのだから言うことを聞いて放っておくか、とそれ以上は考えないことにした。
――深夜、ぐっすりと眠っていたはずの俺は、なぜか突然目を覚ました。
身体を起こし、横に二つ並んでいるベッドの方を見ると、ウェンリーもシルヴァンも寝息を立ててぐっすり眠っているようだった。
…おかしいな、どうして目が覚めたんだろう。普段はなにかない限り、滅多に途中で目覚めることなんてないのに。
不審に思い、完全に覚醒した頭で壁に掛けられた時計に目をやると、その針がグルグルと物凄い速さで回っていた。
「…!?」
時計が…部屋の様子が、なにかおかしい…!?
目に見えるはずのない空気が、鈍色や灰色、暗褐色に変化してゆらゆらと揺らぎ始める。すぐに微かな風の音や、ウェンリーの寝息、シルヴァンが身体を動かしたベッドの軋んだ音も聞こえなくなった。
これは…なにが起きているんだ?
部屋の天井も窓も壁も扉も、不自然にぐにゃぐにゃと歪んでいる。
俺はなにがあってもいいように、ベッドから出ると素早く服を着替え、腰にエラディウム・ソードを装備すると、無限収納カードや所持品をパッと確認して準備を整えた。
――アテナ、周囲の状況を確認できるか?……アテナ?
返事がない…まさか、アテナも眠っている?
館の内部を示す詳細地図になんの変化もない。目的地が表示されることもなく、なにかの信号が現れることもなかった。
俺は少し考えた後、辺りを慎重に調べようと動き出した。すると――
ふわっ…
風の流れも止まっているようなのに、どこからか堪らなく甘い、薔薇の香りが漂ってくる。この館の中には花など飾られておらず、周囲に見かけた覚えもなかった。その上この香りは独特で、なぜか俺にはこれが『ブルーローズ』の香りだと一瞬でわかったのだ。
ブルーローズは別名『恋人達の囁き花<フラステリ・ラヴァーズ>』と呼ばれ、恋人達が耳元で愛を囁く時のように、花から距離が近くなければ感じられないほど、仄かで微かにしか香らない。
そのブルーローズの香りが、どこからか流れて来るのだ。
俺はその香りを辿って部屋から出ると、二階の廊下を進んで最奥にある、扉が開いたままになっていた、壁掛けの大きな姿見のある部屋に足を踏み入れた。
香りの元はこの部屋にあるみたいだな。
ゆっくりと室内に足を踏み入れ、衣装部屋のような衣服が掛けられたクローゼットの辺りを注意深く見た。だがなにもないし、誰もいない。
他を調べようと身体の向きを変えた瞬間、すぐ横の壁に掛けられていた全身が映る姿見を見て思わず小さく声を上げた。
「なっ…――」
そこに、俺の姿は映っていなかった。
――代わりに、鏡の中に映っていたのは、足元にまで伸びた真珠色の長い白髪に、ブルーグリーンの瞳の、悲しげに微笑む美しい女性の姿だった。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。次回も仕上がり次第アップします。




