59 見捨てられた街
まるで廃墟のようなルクサールの街で、子供の集団に囲まれたライは、剣を盗もうとした少年を捕まえる。蜘蛛の子を散らすように逃げ出した子供達に、なぜこんなことをしているのか尋ねますが…?
【 第五十九話 見捨てられた街 】
「やべえ!!ジャン兄が捕まった!!散れっ!!!」
わあーっっ!!
声変わりもしていないような男児の声で、耳を疑うような掛け声がしたかと思うと、一斉に俺の周りを囲んでいた子供達が逃げ去った。
…これは…
「ちっくしょう、放せっ!!放せよっ!!!」
俺の手に爪を立て、必死に掴んだ腕を引き剥がそうとするあの感心な少年は、琥珀よりやや濃い茶髪に暗褐色の瞳で俺を睨んだ。
「…なるほど、子供だけの盗人集団か。親はどうした?」
「そんなもん、とっくに死んじまっていねえよ!!」
「孤児か…だが孤児なら国の児童養護施設があるだろう。そこで働ける年令になるまで、国が保護して面倒を見ているはずだ。なぜこんなことをしている?」
ジタバタと暴れる少年をひょい、と脇に抱え上げる。…やはり軽い。おそらく服の下はガリガリに痩せているのだろう。
「は!?てめえ馬鹿か!?俺達から親を奪ったのは国なのに、なんで仇の世話になんかなるんだよ!!ふざけんな!!」
「…なに!?」
驚いてその言葉を聞き返そうと、俺は一度少年を地面に下ろした。そしてその手の力を緩めた瞬間に――
ドガッ
「ぐっ!」
――と脛を蹴られた。
「なにが児童養護施設だ、そんなもんクソ喰らえだ!!」
バカヤロー、覚えてろよ、とお決まりの捨て台詞を吐いて、少年はあっという間に俺の視界から姿を消した。
「つ…あの坊主、思いっきりやってくれたな。」
魔物の攻撃からもある程度保護可能なブーツだ、多少は痛んでもそう大したことはない。寧ろあの年でかなり身体が痩せていたことに、俺は胸の方が痛んだ。
あんな子供が、自分達から親を奪ったのは国だ、と言った。…どういうことだ?ここでなにがあった…?
――そう言えば以前、王国内の現存する市町村について学んでいた時に、トゥレンがルクサールにはとても孤児が多い、と言っていたな。商業市の際も、イーヴは集団で王都まで盗みを働きに来た子供を、あまり積極的に取り締まろうとはしていないようだった。…なにか理由があるのか。
少年が逃げて行った方向を見ながら考え込んでいると、すぐ傍の建物の前でぼろぼろの椅子に座っていた高齢の男性に話しかけられた。
「お若いの、ぼんやりしとると今度は別の子供達に狙われるぞい。」
「え?…ああ…」
かなりのご高齢だな。このご老人ならなにがあったのか尋ねたら、教えてくれるだろうか?
「…兄さん、どこか他所から来なすったか?漆黒の髪色とは珍しい。おまけにこの街のことをようけ知らんようじゃが…」
「もう四年以上も前になるが、以前はファーディアに住んでいた。」
俺はご老人の傍に近付くと、その隣の壁際に置いてあった木箱に腰を下ろした。
「おお、そうか…ならば十年ほど前に、ファーディアのお隣のラ・カーナ王国がこの国とゲラルド王国の戦争に巻き込まれ、どうなったかを御存知じゃの?」
「…ああ、良く知っている。それこそ嫌と言うほどにな。」
まさかここでラ・カーナの話題を出されるとは…
「俺はラ・カーナのヘズルという街にあった孤児院で育ったんだ。被災して後にファーディアに移り住んだ。」
「なんと…そうじゃったか、ではあんたさんもこの街と同じゅう、この国とあの戦争の被害者なんじゃなあ。そうか、そうか…」
ご老人はうんうん、と頷き、皺だらけの顔を寂しげに顰めてどこか遠くを見ていた。
「このルクサールは随分と寂れているが、いったいなにがあったんだ?働き盛りの大人の姿が見受けられない。子供とご高齢の方ばかりのようだし、それに街全体がぼろぼろで…これではまるで廃墟だ。」
まともな建物はほぼ残っていない、と言っても過言ではなかった。どの建物もどこかしら壊れていて、中に人がいるようなのに、天井が抜け落ちていたり、壁に大きな穴が空いていたりしている。
ここまで酷い状態の住人のいる街は見たことがない。
「――…国にの、全て奪われたんじゃよ。わしの息子夫婦も含め、ここの大人はみぃんな、あのラ・カーナ王国を滅ぼした自爆戦争の時にの。」
「じ、自爆戦争…!?」
そんな呼び名が付いているとは知らなかった。ご老人にそう言うと、その呼び名はルクサールの中でだけ国を揶揄して貶む意味を込め、使われている言葉なのだと教えられる。
そのまま俺は、ゆっくりと、静かに語るご老人の話にじっと聞き入った。
――先代のラドクフ国王の時代には、このルクサールも年間数万人が訪れる、遺跡見学を中心としたそれは賑やかな観光地だったという。
ここからでは見えないが、街の奥にあり隣接すると言う『ルク遺跡』の周囲には、その当時歴史や古代言語、考古学を学ぶ学者や学生達が大勢住んでいて、国からの支援を受けて遺跡の発掘や研究をしていたらしい。
だが現国王であるロバム王が王太子に正式に決まり、俺の母であるベルティナ前王妃と結婚した頃から、少しずつ国の制度が変わり始め、二十年程前にラドクフ国王が亡くなると、即位した直後に何の連絡もなしにある日突然、国からの資金援助が全て打ち切られたのだそうだ。
ご老人を含め、この街に残っている高齢者は、未だにその明確な理由がわからない、と国王に不信を抱いているという。ただ噂によると即位直後の財政会議で、あの男は〝我が国の公費に過去の遺物に支払う徒金はない〟と公言し、そのころから考古学や古代言語学、歴史学者などへの圧力が強まったとされる。
当然、それらの対象となった人々は猛反発し、示威運動や抗議集会を繰り返して『歴史を蔑ろにする国に未来はない、過去の出来事の教訓からより良い世界は生まれるのだ』そう訴えると、歴史を学ぶ重要さや研究の必要性を国中に説いて回ったそうだ。
だがこれが原因なのかは定かではないが、反発を強める一部の国民に対し、あの男は有無を言わせぬ実力行使に出た。
「ロバム王はよほどそれらを不必要な物、と考えておるんじゃろう。あれこれ理由や難癖を付けて遺跡の調査や発掘を片端から中止させて行った。逆らう者はバスティーユ監獄に送られ、教職にあった者は資格も剥奪されてしまい、やがてルクサール以外の街では考古学そのものが放棄され、消え失せてしまった。」
活気を失い、観光地としても成り立たなくなったこの街は、僅か1、2年の内に廃れ、極端に生活が苦しくなった住人達は、食べるのにも困るようになった。だがそれでもこの街の人々は歴史の探究や考古学を諦めず、街を建て直そうとあの手この手で努力し続けた。
その頃はまだ情熱と活力に溢れた、働き盛りの大人達が大勢残っていたからだ。
そんな中、かねてから緊張した関係が取り沙汰されていた、ゲラルド王国との間で遂に戦争が始まった。それが約十八年前のことだ。
その原因はエヴァンニュの同盟国だった俺の母の母国、ミレトスラハ王国が、その三年前(今から二十一年ほど前になる)にゲラルド王国の侵攻によって滅んだことだった。余談だが、俺がレインの手に引き取られ、ラ・カーナ王国に渡ったのはおそらくこの頃だと思われる。
話を戻すが、そうして始まった戦争は何年かの間は膠着状態が続き、エヴァンニュの兵力を疲弊させた。その事態に、あの男は最悪の法律を作り、施行した。
それがあのヨシュアの書類に小さく書かれてあった『緊急時従軍徴兵制度』だったのだ。
信じられないことにその制度は、試験的にルクサールの街を中心として実施されたという。
当時は飽くまでも『民間人の徴兵』がどの程度有効なのか、それを確かめるためだとして、公式ではないものと国内全域に厳重な情報規制が敷かれており、現在でもこのことを正確に知る者はここの住人以外、殆どいないらしい。
あの男の私情による行いとしか思えない勅令は、数回に渡って繰り返され、最後の施行は約十年前…あの、ラ・カーナ王国滅亡の原因となった、謎の飛行戦艦同士の空中戦に投入された戦闘員の徴兵だった。
「ここから強制的に連れて行かれた者達は皆、碌な訓練も受けられず、全て戦死したと報された。無事に生きて戻った者は誰一人おらんかったよ。」
「――……」
ご老人の最後の言葉が、遠くに聞こえた。
――誰か…助けてくれ、吐き気がする。全身の血の気が引いていくのがわかる。指先が冷たく冷えて、身体の震えが止まらない…!
眩暈がして気分が悪い、意識を保っているのがやっとだ…泣き出したい…叫び声を上げて、突っ伏し、泣いてしまいたい…!!
俺は必死に、自分で自分の身体を両腕で抱えるようにして支え、暫くの間小さく背中を丸めたまま顔を上げることが出来なかった。
信じられん…この廃墟のような街は、あの男の所為か。…リーマが孤児になったのも、ヨシュアの実の両親が亡くなったのも…全てあの男の所為なのか。
なぜだ…なぜ、そんなことが出来た…?
イーヴ、幾ら動揺しないように心積もりをしていても、こんな話を聞いた俺が、平然としていられるわけがないだろう…――
「大丈夫かの?兄さん…あんたさん、顔色が真っ青じゃ。…他所から来なすったお方には事実じゃとは言え、衝撃が強すぎたのかの。」
ご老人が心配そうに俺の顔を覗き込むと、背中を優しく摩るように撫でてくれる。
「いや…大丈夫だ、詳しく話を聞かせてくれてありがとう。」
一度深呼吸をして震える声を立て直す。…しっかりしろ、肝心の目的は別にある。
「しかしそんな事情も知らずに、あの少年には無神経なことを言ってしまった。俺はどう謝ればいいのか…」
「ええよええよ、悪気があったわけではあるまいに。坊主にはわしからようけ言っておこう、あんたさんが心から謝っておったとな。ところで兄さん、こんなところへなにをしに来なすった?」
皺だらけの顔から覗く、ご老人の小さく優しげな瞳が不思議そうに俺を見る。このご老人の家族もあの男の所為で亡くなったのか…詫びの言葉もないな。
「ああ…実は、ヘイデンセン・マルセル、という名の考古学者に会いに来たんだ。色々とこの国の昔について話を聞きたいと思ってな。」
「ほう、マルセルにのう。」
「知っているのか?」
「この街に残っておる最後の考古学者じゃよ。ほれ、さっきの坊主…ジャン、と言う名前なんじゃが、あれがそやつの孫じゃ。他にも身寄りのない孤児を集めて面倒を見とる。」
それを聞くと俺は下を向いて大きく溜息を吐いた。
「…ついていないな、あの子が孫か。怒らせた後では訪ねて行っても会わせて貰えそうにない。」
ガタン、と音を立て、俺は座っていた木箱から立ち上がると、そのジャン少年が去って行った方向を見渡す。
「それで、家はこの方向でいいのか?」
そうご老人に尋ねた時だ。くいくいっと、誰かが俺の外套の裾を引っ張った。
驚いて足元を見ると、まだほんの五才くらいの小さな少女が大きな瞳で俺を見上げている。
この子は…さっき俺の周りにいた女の子か。…小さいな。
「おにいたん、ジャン兄のおうちに行きたいの?あたちが案内ちてあげゆ。」
栄養状態が悪いせいか、あまり艶のないピンク色の髪に、藍色の瞳をした少女は、拙い言葉で俺にそう言った。
その言葉を皮切りに、またどこから現れたのか、先程の子供達が次々と俺の前に姿を見せると、一斉に俺を少年の家に案内する、と口々に言い出した。
「なんじゃおまえ達、さっきまでこの兄さんの懐を狙っておったじゃろうが。どういう風の吹き回しじゃ?」
「だって…この人、さっき孤児院で育った、って言ってたし…エヴァンニュに滅ぼされた国にいたんでしょ?あたし達と同じなんだもの。」
俺とご老人の会話を近くで聞いていたのか、十二才くらいの少女が少し申し訳なさそうな顔をして上目で俺を見ると、小さく言い訳をするように口に出す。
ご老人は、こりゃ、盗み聞きをしておったな、と子供達を軽く窘めると、案内人がいれば迷うこともないじゃろう、と目を細めて笑った。
戸惑う俺にご老人は、この街には魔物が入って来ることもないから子供達だけでも大丈夫だと言って、後についていくように手で指し示す。
俺はもう一度子供達の顔を見回すと、結局それ以外に方法はなさそうだ、と案内を頼むことにした。
「おにいたん、あたちマリナってゆうの。おにいたんは?」
「俺か?俺は…『ライ』だ。」
「ライおにいたん…!」
最も小さいその少女は、俺の右手の人差し指と中指の二本だけをしっかりと掴んで、傷んだ靴で一生懸命に歩く。
「あたしはネイよ。」
「年は幾つだ?」
「今年で十三。そこのアダムと同い年なの。」
年の割にしっかりした口調でクレイブラウンの髪の少女が話し掛けてくる。
「おいらアダム!なあなあライ兄ちゃん、その剣っていくらぐらいすんの?」
「え?ああ…まあ結構するかな。」
アダムはさっきジャン少年が盗もうとした俺の剣に視線が集中している。
「おれはヨハンだ。ジャン兄の一の子分なんだ!さっきは悪かったよ、おれら腹減ってたもんだから、カモにしちゃってごめんな、あんちゃん。」
「いや…」
根は決して悪い子供達ではないのが良くわかる。
ヘズルの孤児院にいた頃は、よくこうして自分よりも年下の小さな子供達の面倒を見ていた。俺と、仲の良かったシンは、孤児院の中で一番年上で…ああ、懐かしいな。大分思い出せなくなっていたのに、この子供達を見ていたら、急に色んなことが甦ってきたような気がする。
「ヨハンと言ったか、腹が減っているのなら大したものはないが、なにか食べるか?」
俺は無限収納の中に非常用に入れていた食料があったのを思い出し、お腹を空かせた子供達に食べさせたいと思った。
「えっ嘘、なんか持ってんの!?うん、ちょうだい!!今朝からなんも食ってないんだ、俺達…!!」
俺はすぐに無限収納からかなりの量の携帯食料を取り出し、子供達に食べさせた。その場でしゃがんであの決して美味くはないレーションを夢中で頬張り、美味しい美味しい、と言って食べる子供達に胸が締め付けられる。
なにかこの子達に俺がしてやれることはないのか…?その場しのぎではない、根本から解決できる今の俺に可能なことが…少しでもいい、なにかしてやりたい。
強くそう思っても情けのないことに、すぐにはなにも頭に浮かんで来なかった。
数分後、お腹を満たした子供達は元気にごちそうさま、と言って立ち上がると、また俺の前を歩き出した。
こんな境遇にも拘わらず、明るく無邪気に笑っている姿を見ると、俺はどうしてもあの男に対する憎しみが、腹の底に沸き上がってくるのを我慢できなくなる。
こんなところで腹を立てたところで、なににもならない。怒るのは城に帰ってからでいい。ドス黒い負の感情を抑えながら子供達の歩調に合わせて歩いていると、すぐ後ろでマリナが石に躓き、コテン、と転んだ。
ふぎゃあああ、というなんとも言えない声を上げて、火がついたようにマリナは泣き出す。
「マリナが転んだ!泣いた!!な、なんとかしろよアダム!!」
おろおろとヨハンが慌てふためく。
「なな、なんとかって…無理だよ!ジャン兄じゃなきゃ…っ」
「ばか!早くしないとジャン兄に怒られるじゃない!!ちょっとマリナ、お願いだから泣かないでよ…!!」
うあああん、うあああんと大声で泣く姿に、見かねた俺はマリナをそっと抱き上げる。
「よしよし、泣くな。ほら、俺がおんぶしてやるから。」
背中に乗せるとマリナは、ひっく、ひっくとしゃくり上げながらもすぐに泣き止み、俺にしがみ付いた。
「ふわあ…ライ兄ちゃん、すげえ。マリナがこんなすぐに泣き止むなんて…いつもはジャン兄が暫く抱っこしないと絶対に泣き止まないんだぜ。」
そう言ってヨハンが目を丸くした、その時だった。
「なにやってんだ!?今マリナの泣き声が聞こえだぞ…って――」
「あ、ジャン兄!!」
建物の影から慌てた様子であの少年が姿を見せる。だが俺を見ると即座に後退り及び腰でたじろいだ。
「さっきの…なんでそんな奴と一緒にいんだ、おまえら…!!」
「ジャン兄、じいじにお客だよ!このあんちゃん、わざわざ会いに来たんだってさ。」 タタタ、とヨハンが少年に駆け寄り、その腕を掴んだ。
「ああ!?なに言ってんだヨハン、そんな余所者に構ってんじゃねえ!!ほら、さっさと来いって!!」
少年が強引にヨハンやアダムの腕を引っ張り、俺の傍から引き剥がそうとした。
「おい待て、乱暴は――」
「うるせえ!!」
毛を逆立てて警戒する子猫のように、カッとして今にも噛みつきそうな表情で少年は俺に怒鳴った。
すると俺の背中にいたマリナが怯えて、また火がついたように泣き出す。
「うわあああん!!ジャン兄、怖いよおぉ!!ああん、ああん!!」
「マ、マリナ…」
その泣き声に一瞬で妹を思う兄のような表情に変わり、ジャン少年はおろおろと狼狽えた。
「あ〜あ、ジャン兄が大声を出すから…せっかく泣き止んでたのに。」
「そうだよ〜!!」
「んぐ…な、なんなんだよ、おまえら…っ!!」
ヨハンとアダム、ネイにまで責められ非難された少年は、結局渋々仕方なしにだが俺を自宅に案内すると言ってくれた。
少年を先頭に子供達と後について行くと、やがて街を外れてすぐ近くに見える遺跡らしい、大きな建造物のある場所へと向かい出した。
「どこへ行く?その先は遺跡じゃないのか?」
不思議に思い尋ねると、すぐに「いいんだよ、俺達の家はこの遺跡の中にあるんだ。」と少年は返した。
俺は驚き、危なくないのか、と聞き返したが、少年はなにが?と不思議そうに首を捻った。
――遺跡と言えば普通は魔物が棲みついていたり、複雑な罠や仕掛けがあったりして人が住むのに適しているとは到底思えないんだが…大丈夫なのか?
だが不思議なことに、魔物除けの外壁で囲まれているわけでもないのに、ここまで街中でただの一体すら魔物の姿を見ることはなかった。
「なんだよ、意外に情けねえんだな。その腰の剣は飾りかよ?そんなビクつかなくったってなんも出やしねえよ。」
少年は俺を嘲笑うかのように口の端を上げ鼻をフフン、と鳴らした。
「…なぜ街に住まない?なにかのいるいないに関わらず、マリナのような小さな子供にとっては遺跡の中はかなり危険だ。」
「うるっせえな!!大きなお世話だってんだよ!!なにも知らねえくせに、余所者が口出すんじゃねえ!!」
…どうやら俺はまたなにか余計なことを言ったようだ。
少年はドスドスと腹立たし気に蟹股で地面を踏みしめると、ズンズンと先へ歩いて行く。
「大きなお世話、か…まあ確かにそうかもしれないが…マリナはいくつになった?」
背中のマリナに問いかけるが返事がない。気付けばいつの間にかマリナはすやすやと寝息を立てていた。透かさず傍にいたネイが答える。
「五才よ。…多分、だけど。この子だけあたしたちよりずっと小さいでしょ?半年くらい前にジャン兄がどこか他から連れて来たの。」
ネイの話では、マリナの両親は魔物に殺され、その後で親戚に引き取られていたらしいのだが、そこで養い親から酷い虐待を受け、口が利けなくなるほどに弱っていたところをジャンが救い出して来たのだそうだ。
「本当はね、マリナがここへ来た時にやっぱり遺跡の中は危ないから街に移ろうとしたの。でもあんなに壊れてボロボロなのに、家賃が凄く高くて…諦めるしかなかった。」
「――そうか…そういう事情で…」
俺はまた言葉に詰まる。本当になにも知らないくせに大きなお世話だな。と苦笑するしかない。
「ライお兄ちゃんも孤児だったんでしょ?あたしたちみたいに、大人達に意地悪されたりした?」
「…中にはそう言う大人も一部いたかもしれんが、俺は幸せな方だったと思う。少なくとも、街の人間は皆優しかったし、孤児院にいれば飢えることもなかった。尤も、そこにいられたのはネイの年になるまでの僅か六年ほどだけだったがな。」
「そうなの…やっぱり、お兄ちゃんもかわいそう…。その場所はもうなくなっちゃったんだもんね。」
…子供の方が余程思いやりがあるな。
「おい、なにしてんだよネイ、早く来い!」
遺跡の入口に着くと、大きな紋様の入った扉の、両脇にある柱に向かって子供達が左右に分かれ、その影に立つと四人がそれぞれ二人ずつなにかの突き出した棒状の物に手をかけた。
「いいか?…せーの!!」
ガコンッガココン
合図に合わせてそれを下に押し下げると、壁の向こうで重いものが動く音がして、ゆっくり扉が開き始めた。
「仕掛け扉か…かなり頑丈そうな遺跡だな。」
遺跡の壁の表面は花崗岩のような斑模様が入っており、その上をなにか土や普通の砂利土を被せて塗り固めたような奇妙な外観をしていた。
少なくとも地面から伸びた上部は、歪な形の段差が幾つもあり、なにかの建物としてはでこぼことした不自然な印象を受けた。
言うなれば大地に斜めに突き刺さった巨大な帚星の尾、という感じか。
「よし、開いた。足元に気をつけろよ。」
少年が注意を促す足元は、20センチほどの段差があり、そこを降りると中は薄暗く、床石は所々が欠けており、あちこちに小粒の石の欠片が転がっていた。
「ねえねえ、見てみなよ兄ちゃん、この扉の厚さ…半端ねえだろ?ずっと昔、大人達がここを開けようとした時、ビクともしなかったんだってさ。ちょっとやそっとじゃ壊れないんだぜ。」
得意げにアダムが扉を指さして俺を呼ぶ。
――エラディウムとも違う…もっと固い材質だ。確かに魔法石の爆発を受けても壊れそうにないほどの厚みと材質の扉だ。少し異様に感じるほどの…
これは俺の勘だが、なにかこの遺跡は危険な感じがする。壁に絶え間なく流れる青く光る記号のような帯に、表面と内部が異なる材質で作られ、狭く入り組んだ通路に、低くて集中しないと聞き取れないほどの微かななにかの動作音…やはりここは人が住むような場所ではないと思った。
「おい、背中のマリナ、俺に寄越せよ。灯りがねえから足元危ねえんだ。そのまんまの状態でマリナごとすっ転ばれちゃ堪んねえ。」
マリナを心配する少年に俺は素直にマリナを下ろし、静かに移動させた。
「う〜ん…いやあ…」
「よしよし、大丈夫だ俺だよ。」
愛しい者を見る優しい瞳でぐずるマリナを抱きかかえる少年に、俺はこの場でさっきのことを謝っておきたいと思った。
「…ジャン、さっきは悪かった。街の入口近くでのことと言い、事情も知らず無神経なことを言った。…すまない。」
「な、なんだよ急に…!」
「お詫びと言ってはなんだが、おまえ達のために俺になにか出来ることはないか?」
俺がそう言った途端に、ジャンの表情がまた険しくなった。
「はあ?…気持ちはありがてえけどよ、それ、本気で言ってんの?あんたみたいな通りすがりの余所者になにが出来るって言うのさ?」
「それはそちらの要望次第だと思う。」
「へえ…?はは、じゃあさ、とりあえず五十万Gほど恵んでくれよ。そうすりゃあんたの言う通り、街ん中に家借りて引っ越せらあ。」
ジャンのその瞳は、不信感と猜疑心に満ちていて、自分達のことは誰も助けてくれないし、見向きもしないと完全に諦めている顔をしていた。
「……。」
「出来んの?出来ねえだろ?口ではさ、誰だってなんとでも言えんだよ。どうせあんたも――」
「一週間ほど時間を貰えれば用意できると思う。それまで待って貰えれば、ここに持って来よう。それで足りるのか?」
「はあ!?て、てめえ…馬鹿か!?五十万だぞ!?一週間でどうやって用意出来んだよ!!」
「俺は守護者の資格を持っている。上級ランクの魔物を狩れば、短期間でそのぐらいは用意することも可能だ。今すぐに俺がしてやれることがそのぐらいしかないのなら、時間を作ってでも金を持って来よう。」
「―――」
ジャンはそのまま口を開けて絶句した。
「…は…はは、はははは、あんた…馬鹿じゃねえ?上級ランクの魔物を狩るって…命かけるつもりかよ。マジで俺らのために?…信っじらんねえ。」
そう言って暫くの間複雑な顔をして笑うと、ジャンは俺を様々な感情の入り交じった目で見た。
「…俺はジャン。もう知ってるみたいだけど、改めてさ、ジャン・マルセルだ。…あんた、名前は?」
「ライ…ライ・ラムサスだ。」
「…ライ、か…さっきのは冗談だから、本気にすんなよ?金なんか持って来られても受け取らねえから。」
そうしてジャンはマリナを抱えたまま俺から顔を背け、悪かったよ、と小さくポソリと呟いた。
その後もジャンについて行きさらに先へ進むと、一定の範囲を超えた辺りで俺は、突如として途轍もない悪寒に襲われる。
ゾクゾクゾクッ…
「「…!?」」
それは足元から衣服の中にまで入り込む、一気に温度が二十度ぐらい低下したような冷気が這い上がってくるような感覚だ。
黙っていても背中をヒヤリとした冷たい汗が流れ、両腕に細かな鳥肌が立っているのがわかる。…なんだ…なにを感じている?
わけのわからないなにかを感じて、俺の足が竦んだ。
「――ジャン、おまえ達が住んでいる場所は、もっと奥なのか?」
「え?ああ、うん、階段を降りた地下二階に大広間みたいなだだっ広い部屋があるんだ。そこを家にして使ってるんだよ。」
「…そうか。」
地下二階…ジャンを含め、子供達はなにも感じていないようだ。だが俺にはわかる…と言うことは、これは強烈な、なにかの存在する気配…なのかもしれない。
なぜ外壁がなくても街中やこの辺りに魔物が入って来ないのか、その理由がわかったような気がする。
――階段を地下二階まで降りてからまた狭い通路を歩くと、やがて木の板を欠けた壁にロープで括り付けただけの扉で塞がれた、ジャン達の家に辿り着いた。
よく見るとここにはきちんとした仕掛け扉があるようなのだが、動かせないのか開いたままの状態になっているようだった。
「ただいまぁ!!じいちゃん、いる?」
そうジャンが声を掛けるが返って来る返事はない。
「ネイ、マリナをベッドに連れてってくれ。」
「はあい。」
ジャンは抱えていたマリナをネイに渡すと、木の板と石の壁で仕切られている小部屋の向こうを覗き込んだ。
「やっぱいねえや、おかしいな。」
「おっかえり〜ジャン兄!…げげっ!?さっきのカモ!!なんでここに!?」
ネイと交代で奥からパタパタとやって来たのは、やはり街の入口で俺を取り囲んだ中にいた他の少年だ。
「俺が連れて来たんだよ。レゴ、じいちゃんは?」
「地下五階の『剣の大広間』に行ったよ。なんかさっき聞き慣れないかなり大きな音がしたんだ。どこかで仕掛けが動いた時みたいな…気になるから、様子を見てくるって。」
レゴと呼ばれた少年は、頭の上で腕を組むと、そばかすだらけの悪戯っぽい顔でそう言った。
「また一人で行ったのか!?…ったく、しょうがねえなあ、もう年なんだから一人じゃ危ねえって言ってんのに…!!」
剣の大広間…?やけに耳に残る言葉だ。
「おいレゴ、ちょっとの間みんなを頼む。心配だから俺、じいちゃん迎えに行って来るわ。」
「うん、わかった。」
そうしてこの場から出ていこうとしたジャンを、俺は手を掴んで引き止めた。
「待て、ジャン、俺も行こう。」
「え?なんでさ。ここで待ってなよ、すぐ戻るし。」
ジャンは不思議そうに首を傾げる。
言うまでもない、嫌な予感がしたからだ。
「少し気になることがある。この遺跡の奥がどうなっているのか見たいんだ。」
「ふうん?まあ構わねえけど…じゃあとっとと行こうぜ。じいちゃんが怪我でもしてたら困る。」
一通りそんなやり取りをした後で、俺とジャンは階段へ戻り、さらに下へと降りて行く。
階層を降りるごとに、壁を走る青く光る記号の帯がその数を増し、徐々に本数も増えていった。…と同時にあの低いなにかの動作音が耳につくほど大きくなって来る。
「…ここの遺跡は下へ下へと最奥部が下っているのか?」
「うん、一応この階…地下五階で行き止まりみたいだけど、面白えだろ?」
階段から五階の通路に入り、慣れた様子で歩くジャンの話を聞く。
この階は明かりもないのに、壁の光る文字だけで十分足元も見えるほどに明るかった。
「この階の一番奥にさ、壁画と一体化して壁に埋め込まれたみたいな、大昔の剣が安置されている部屋があるんだ。それを見た時最初はただの彫刻なんじゃねえかと思ったけど、じいちゃんが詳しく調べてみたら、どうも違うらしいんだよね。歴史的にも物凄い価値がありそうだって言ってた。」
「壁に埋め込まれた、剣…?」
ジャンは無邪気に、俺も見たらきっと驚く、と楽しげに笑っていた。
だがこの時俺は、言いようのない胸騒ぎに襲われていた。なぜなら、唐突に頭の中になにかがスイッと入り込んだかのように、軍施設に侵入した正体不明の子供が言った、『闇の守護神剣』と言う言葉が浮かんで消えなかったからだ。
俺はジャンと共に通路を進み、奥へ奥へと歩いて行く。途中、幾つものなにもない小部屋の前を通り過ぎ、どこも似通った作りで知らなければ迷いそうだ、と思いながら具に周囲を観察する。
だがそれから僅か数秒後、突然前触れもなく足元から、突き上げるような衝撃がドズン、と一度俺達を襲う。直後、身体が浮き上がるような感じがして、地面が大きく揺れ始めた。
「な…じ、地震…!?」
「危ない、ジャン!!」
天井が動き、俺達目掛けて落ちて来る。が、それと同時に俺達がしゃがみ込んだ床が滑るように動き出し、ヒュウン、ヒュウン、と未だかつて耳にしたことのない奇妙な音が周囲に反響し始めた。
目まぐるしく点滅する青い光が眩く輝き、俺は怯えて叫び声を上げたジャンを腕の中にしっかりと抱きしめた。
そうして俺達の視界は、青い光と舞い上がる土埃で、一切なにも見えなくなった。
次回、また仕上がり次第アップします。今週はペース早めかもしれません。いつも読んでいただき、ありがとうございます!




